菅ちゃんの呟き
 さくぶん上手           最終更新日 2009年 9月10日
                     (since 2005.1.28)
 このコーナーは作文講座です。大学受験・就職試験に課される論作文試験に
対して「限られた字数でいかにわかりやすく無駄のない文章を書けるようにする
か」をテーマとして、高校生に必要な作文能力を培うことを目的とした講座です。
 受験以外でも、実用的な文章を書く上で役立つ知識や技術を取り上げますの
で、ぜひご活用下さい。  
メールは、こちらへ ご意見・ご感想はこちらへ!   − 2009年9月10日 擱筆 戻る
【 も く じ 】
第1章・原稿用紙の使い方

 (1)原稿用紙に使用できる文字
 (3)文字・記号の使用規則
 (5)加除訂正のルール

第2章・わかりやすい文をつくる技術

 (1)一文の長さ
 (3)修飾語が複数ある場合


第3章・読点の正しい使い方

 (1)必ず打たなければならない読点
 (3)絶対に打ってはならない読点

第4章・注意すべき語句の用法

 (1)陳述の副詞とその呼応
 (3)助詞・助動詞
 (5)文体

第5章・文と文のつなぎ方

第6章・段落の作り方

第7章・構成
 (1)全体の配分
 (3)本論

第8章・出題形式とその対策

 (1)自由論述形式
 (3)データ提示形式

第9章・論作文に対する日頃の取り組み
 (1)新聞を読む
 (3)言語感覚の鍛錬

終章・究極の上達法は


(2)原稿用紙に使用できる記号
(4)数字の使用規則




(2)修飾語と被修飾語との距離
(4)効果的な漢字の使い方




(2)書き手の裁量に任せてよい読点




(2)話し言葉と書き言葉
(4)敬語






(2)序論
(4)結論



(2)課題文提示形式



(2)テレビ番組
(4)自分の意見を表明する訓練
**************************************************************************
        

第1章・原稿用紙の使い方
 日常生活ではどんな紙に文を書こうと自由だが、大学受験や就職試験に課される論作文
試験においては、受験先の学校や会社が用意した所定の原稿用紙に、自筆で書くように指
示される。 そこで、原稿用紙の正しい使い方を知ることが大切だ。

(1)原稿用紙に使用できる文字
 日本語として使える文字は漢字・ひらがな・かたかなの3種類。数字として算用数字・漢数
字である。日本語以外の文字として、アルファベッドやギリシャ文字などの外国語の文字を
使用できる。その他、「%」「℃」といった単位も文字として扱う。

(2)原稿用紙に使用できる記号
 下記の14種類。記号と呼び名・使い方を知っておきたい。なお、(ニ)の読点に関しては難
しいので、項を改めて詳述する。
 (イ)   句点 ・・・・・ 一文の終結を表す。
       例 卒業後は介護福祉の仕事に就きたい。
 (ロ)  感嘆符 ・・・・・ 1.呼びかけや強い命令を表す。
                   2.驚き・感動・強調の心情を表す。
       例1.おい!こら!さぼることばかり考えず、少しはまじめに働け!
       例2.え!あの人が最優秀賞だなんて!
 (ハ)  疑問符 ・・・・・ 1.疑問を表す。
                   2.皮肉っぽく表現したり、どうかと思う心情を表す。
       例1.これからどうするつもりですか?
       例2.ペットも生き物だから当然、人権?があるはずだ。
 (ニ)   読点 ・・・・・ 文中において、意味の区切れ目に用いる。
       例 海に生息する動物の大半は卵生類だが、鯨は哺乳類である。
 (ホ)  中点 ・・・・・ 同種の事物を並列する。
       例 四国は香川・徳島・愛媛・高知の4県である。
 (ヘ)  リーダー ・・・・・ 1.後続の語を省く。
                    2.会話文における無言や途切れ・省略を表す。
       例1.干支は子、丑、寅・・・という順に全部で12種ある。
       例2.落選の報に、彼は「まさか・・・。」と呆然としてしまった。    
 (ト)  中線 ・・・・・  1.挿入句を挟む。
                 2.会話文における無言や途切れを表す。
       例1.この種の薬剤は―といっても全てではないが―自律神経に作用するものが
          多い。
       例2.「もしもし―」と言う間もなく、相手は電話を切ってしまった。
 (チ)  ハイフン ・・・・・ 語と語とを連結する。
       例1.うちの実家の郵便番号は662−0018です。
       例2.この機種はA−300型で、ジェット機としては中型である。
 (リ)  二重ハイフン ・・・・・  1.外国の人名で、姓と名との境界を表す。
                      2.外国の複合語で、2語の境界を表す。
       例1.ドイツのヴィッテンベルク大学で神学教授を務めていたマルティン=ルター
          は、九十五箇条の論題を発表した。
       例2.中世ヨーロッパにおけるローマ=カトリック教会の最高位は教皇であった。
 (ヌ)  波型 ・・・・・ 1.期間や区間など、一定の範囲を示す。
                 2.前後いずれかの語句を省く。
       例1.大雪のため、東海道新幹線はただいま名古屋〜新大阪間で運転を見合わ
          せております。
       例2.「〜だろう」という表現は無責任だ。
 (ル) 「」 かぎかっこ ・・・・・  1.会話文であることを明示する。
                     2.ことわざや先人の名言など、何らかの語句を引用する。
       例1.母が「勉強しなさい。」とうるさく言う。
       例2.「光陰矢のごとし」とはよく言ったもので、高校の3年間はあっという間である。
 (ヲ) 『』 二重かぎかっこ ・・・・・ 1.書名や作品名を表す。
                       2.引用文中にさらに引用文が挿入されていることを示す。
       例1.夏目漱石の『坊ちゃん』は彼の初期作である。
       例2.「店長は私を『仕事熱心な人だ。』と評価してくれたわ。」と美奈子が言った。
 (ワ) ( ) 丸かっこ ・・・・・  1.注釈を付記する。
                   2.かっこの中に記された語句も使われることを表す。
       例1.はがきは(ただし年賀はがきを除く。)通年販売しています。
       例2.当社は昨年、ISO140001(環境マネジメントシステム)の認証を取得した。
    ※この種のかっこには他に< >・【  】・〔  〕・{  }・《  》などがある。
      しかし、受験の論作文においては(ワ)でほとんど間に合うので、使用する機会はない。
 (カ)  矢印 ・・・・・ 方向を表す。矢印には、↑・↓・←・→など一方向を示すものと、
                ⇔ のように両方向を示すものがある。
       例 当社では、お客様にご満足いただいてからご購入していただくため、
          資料請求→無料サンプル発送→1ヶ月間試用→入会手続き→本会員登録
        というシステムをとっております。

(3)文字・記号の使用規則
 原稿用紙には縦書きのものと横書きのものとがあるが、下記の13個については共通する
きまりである。文字と句読点を同じマスに入れるなど、知らずに書いてしまっている原稿も少
なからず見かけるので、ここで再確認しておきたい。
 (イ) 本文の書き始めは必ず1マス空けて2マス目から書く。(例1)
 (ロ) 段落を改める場合は次の行に移る。
   その際、(イ)と同様に書き始めを1マス空ける。(例2)
   (例1)(例2)
       
 (ハ) (ニ)〜(ト)以外の文字・記号は全て1マスに1つずつ入れる。
   句読点やかっこ・ハイフンなど、各種の記号も1つにつき1マスを使う。
   (例3)
       
 (ニ) 2桁以上の算用数字は1マスに2字ずつ入れる。
   (例4)
       
 (ホ) アルファヘッドの小文字が2字以上続く場合は、1マスに2字ずつ入れる。
   (例5)
       
 (ヘ) リーダーは2マス使う。その際、1マスに点を3つ打ち、合計6個の点を打つ。
   (例6)
       
 (ト) 中線は2マス使う。
   (例7)
       
 (チ) 感嘆符・疑問符の直後の1マスは空ける。
   (例8)
       
 (リ) かっこ類の起始部分は、行の最後のマスには使ってはならない。
   この場合は、そのマスを空けたまま次の行の冒頭に使う。
   (例9)
       
 (ヌ) かっこ類の終結部分と句読点は、行の最初のマスには使ってはならない。
   この場合は、前の行の最後のマスの後に、はみだして書く。
   (例10)
       
 (ル) 最後のマスに感嘆符・疑問符を使った場合は、次の行の最初のマスを空けずに書く。
   (例11)
       
 (ヲ) 中線やリーダーが最後のマスにきた場合は、2マス目を次のマスに書いてはならない。
   2マス目にあたる部分をその行の最後のマスの後に、はみ出して書く。
   (例12)
       
 (ワ) 引用文がある程度まとまった量の場合は、改行する。また、引用部分は各行とも2マ
   スずつ空けて、それが引用したものであることが視認できるようにする。
   (例13)
       
 なお、縦書きの原稿用紙の場合は、次の2点が上記(ニ)(ホ)と異なる。
 (カ) 算用数字を使用する際、2桁の場合は1マスに入れるが、3桁以上の場合は上位の
   桁の数から順に一字ずつ入れる。(例14)
 (ヨ) 小文字のアルファベッドは、2字の場合は1マスに縦のまま入れても問題ないが、3字
   以上の場合は、横書きにして1マスに2字ずつ入れる。(例15)
   (例14)                     (例15)
                                 

(4)数字の使用規則
 原則として縦書きの原稿用紙の場合は漢数字、横書きの場合は算用数字を使う。また、
漢数字で表記する場合は「十」「百」「千」といった単位語を使う場合と使わない場合がある
ので注意したい。
<縦書きの原稿用紙の場合>
 (イ) 時刻・世紀・元号を使用した年・月日・年齢・値段は漢数字で表記し、全て単位語を入
   れる。(例1)
 (ロ) 数値は漢数字で表記する。その際、5桁未満の場合は全て単位語を入れる。 しかし、
   5桁以上の場合は「万」以上の単位語のみ使い、「千」「百」「十」は省く。(例2)
 (ハ) 西暦・郵便番号・所在地・電話番号・法令番号は漢数字で表記する。 その際、5桁未
   満であっても単位語を入れない。(例3)
   (例1)               (例2)        (例3)
                     
 (ニ) 緯度・経度は、単位語を入れずに漢数字で表記する。(例4)
 (ホ)航空機・船舶・列車の運行番号や機械の形式番号、国道や県道の数字、背番号、暗
   証番号など、もともと算用数字で表記されているものは、縦書きの原稿用紙であっても
   そのまま算用数字で表記する。(例5)
   (例4)                (例5)
                       
<横書きの原稿用紙の場合>
 (ヘ) 上記(イ)〜(ニ)はすべて算用数字とする。
   (例6)
       
 (ト) 5桁以上の概数を表す場合に限り、単位語を使用する。 但し、「万」以上の単位語の
   み使い、「千」「百」「十」は省く。
   (例7)
       
 (チ) 数値としてではなく、日本語の一語彙として使われる場合は、横書きの原稿用紙であ
   っても漢数字を使う。
   (例8)
       

(5)加除訂正のルール
 原稿用紙をよく見ると、マスがある行とない行とが交互に配置されていることがわかる。マス
のない行がある理由は加除訂正の際に使うためである。元の原稿にある語句や一文を書き
加えたい場合は、行間(マスのない部分)に加筆したい内容を書く。その際、縦書きの原稿用
紙の場合は右側の行間を、横書きの原稿用紙の場合は上の行間を使う。また、挿入する場
所がわかるように加筆内容が短い場合は「<」で、長い場合は数学の連立方程式で使う「 { 」
を用いて明示する。ある語句や一文を削除したい場合は本文の上から直接二重線を引く。訂
正したい場合はまず元の語句を二重線で削除し、改めた語句を上記の行間に書いて挿入す
る場所を明示する。

第2章・わかりやすい文を作る技術
 本章からは作文上の技術について解説する。日記ならともかく、相手に読んでいただく文を
書く以上は、わかりやすい文にすることが必須条件である。特に論作文試験においては、採
点担当者が一読してすぐにわかるような文でなければならない。よく小説や詩歌には「一読し
ただけではよくわからないが、二度三度と読むうちに素晴らしさが伝わってくる。」と評される
作品がある。小説や詩歌は言葉の芸術であるから、そういう作品が優れていることもあるだ
ろう。しかし、論作文がそれではダメである。論作文はまず、一読してすぐにわかる文を書くこ
とだ。そのために心掛けるべきポイントは次の5点である。

(1)一文の長さを短くする
 これは『文章の書き方』という類の本にはたいてい書いてある。特に、初心者はなるべく一
文の長さを短くしたほうが良い。一文を長くしてもわかりやすい文にすることは可能だが、そ
れには一定以上の作文技術を要するからである。一文の字数は最長でも50字、すべての
文の平均字数は35字以内におさまるようにするのが理想である。
ではどうすれば短くできるか?その方法は次の3点である。
 (イ)読点を句点に置き換えることができる場所は、句点に直して文を終える。
 日本語は接続助詞を使えばどこまでも文を続けることができる。現に『源氏物語』『大鏡』
といった古典文学作品は接続助詞が多用され、どれも延々と一文が続いている。しかし論
作文を書く場合、これは決して勧められない。まず下記の文を読んでみよう。

   僕たちはバスをおりて、長い階段を上がって、動物園に向かったんだけど、動物園の
  門にはライオンの絵がかいてあって、とても大きくてびっくりしたけど、中に入ると最初
  はパンダがいて、その先にはリスやコアラがいたり、おもしろい鳴き声を出す鳥とかが
  たくさんいて、祐二君が「動物園ってすごい楽しいね」と言っているうちに、お昼ごはん
  を食べる時間になって、キリンの長い首を見ながらお弁当を食べて、それから大きなゾ
  ウを見て、長い鼻でエサを拾いあげるようにして食べるのを見て、すごいおもしろかった
  けれど、途中から雨が強くなって、早めに学校に帰ることになったから、ちょっと残念だ
  った。

 これは動物園へ遠足に行った小学生が書いた感想文である。接続助詞「て」が11回、接
続助詞「けれども」(文中では「けど」と表記されている)が3回使われ、途中に1句点が全く
ない文になっている。さすがに中学生以上にもなればこのような文は書かないが、ここまで
ひどくなくても、句点で文を切らずに読点を使ったために文を長くしていることは少なくない。
 以下、青文字で例文を示し、改善した文を赤文字で示していきたい。  
例1 送別会の後、私と孝司は帰ったが、正博は永原先輩に誘われてカラオケ店に行った。
 この例文では読点が2つ使われているが、後の読点を句点にすれば、前の文が15字・
後が25字になり、平均が20字になる。
 →送別会の後、私と孝司は帰った。だが、正博は永原先輩に誘われてカラオケ店に行
  った。

 例1の文ならもともと38字だから2つに分けるほどの長さでもなさそうだが、それぞれの
語句に下記の修飾語があったらどうなるだろうか?
 送別会・・・・・水野先生の
 私・・・・・・・・・自宅が遠い
 孝司・・・・・・・疲れていた
 帰った・・・・・・すぐに
 正博・・・・・・・歌うのが大好きな
 先輩・・・・・・・仲の良かった
 カラオケ店・・・近くの
例2 水野先生の送別会の後、自宅が遠い私と疲れていた孝司はすぐに帰ったが、歌うの
   が大好きな正博は仲の良かった永原先輩に誘われてカラオケ店に行った。
 →水野先生の送別会の後、自宅が遠い私と疲れていた孝司はすぐに帰った。 だが、歌
  うのが大好きな正博は仲の良かった永原先輩に誘われてカラオケ店に行った。

 例2は70字である。長すぎると感じるか否かの境界線とも言える長さである。改善した文
は30字と39字に分割され、平均34.5字でおさまっている。
 では、例1の各語句にさらに下記の修飾語を加えたらどうだろうか?
 送別会・・・・・2年間私たちにバスケットボールを指導してくださった水野先生の
 私・・・・・・・・・遅くなって終電車がなくなるのを心配した
 孝司・・・・・・・連日のアルバイトでヘトヘトに疲れていた
 帰った・・・・・・そのときちょうどホームに滑り込んできた特急電車に乗って
 正博・・・・・・・みんなとわいわい騒ぐのが大好きな
 永原先輩・・・自分が入学したときからずっと可愛がってくれた
 カラオケ店・・・駅前にある行きつけの
例3 2年間私たちにバスケットボールを指導してくださった水野先生の送別会の後、遅くな
   って終電車がなくなるのを心配した私と連日のアルバイトでヘトヘトに疲れていた孝司
   はそのときちょうどホームに滑り込んできた特急電車に乗って帰ったが、みんなとわい
   わい騒ぐのが大好きな正博は入学したときからずっと自分を可愛がってくれた永原先
   輩に誘われて駅前にある行きつけのカラオケ店に行った。
 例1と同じ場所に読点が2つ使われているが、一文の字数は181字にもなってしまってい
る。これでは大多数の人が「長すぎる」と感じるのではないだろうか。それに、2箇所しか読
点がないので、読むほうは息つく間もなくて疲れるはずだ。さきほどと同じ手法で二分する
と次のようになる。
 →2年間私たちにバスケットボールを指導してくださった水野先生の送別会の後、遅くな
  って終電車がなくなるのを心配した私と連日のアルバイトでヘトヘトに疲れていた孝司
  はそのときちょうどホームに滑り込んできた特急電車に乗って帰った。だが、みんなとわ
  いわい騒ぐのが大好きな正博は入学したときからずっと自分を可愛がってくれた永原先
  輩に誘われて駅前にある行きつけのカラオケ店に行った。

 この結果、110字と73字である。しかし、これでも平均91.5字もあり、まだまだ長い。語
句を入れ替えたりして次のようにすればさらに一文の長さを短くできる。
 →2年間私たちにバスケットボールを指導してくださった水野先生の送別会を開いた。そ
  の会の後、私と孝司はそのときちょうどホームに滑り込んできた特急電車に乗って帰っ
  た。私は遅くなって終電車がなくなるのを心配したからだ。孝司は連日のアルバイトで
  ヘトヘトに疲れていた。だが、みんなとわいわい騒ぐのが大好きな正博は駅前にある
  行きつけのカラオケ店に行った。入学したときからずっと自分を可愛がってくれた永原
  先輩に誘われたからだ。

 このように6つの文に分割すれば、個々の文は38字・42字・25字・23字・42字・35字
となり、平均も34.2字(小数点第2位を四捨五入)になる。「読点を句点に置き換えられ
る場所」には、接続助詞が使われていることが多い。もう一度、冒頭の小学生の作文で検
討してみよう。
   僕たちはバスをおり、長い階段を上がっ、動物園に向かったんだけど、動物園の
  門にはライオンの絵がかいてあっ
、とても大きくてびっくりしたけど、中に入る最初は
  パンダがい
、その先にはリスやコアラがいたり、おもしろい鳴き声を出す鳥とかがたく
  さんい
、祐二君が「動物園ってすごい楽しいね」と言っいるうちに、お昼ごはんを食
  べる時間になっ
、キリンの長い首を見ながらお弁当を食べ、それから大きなゾウを
  見
、長い鼻でエサを拾いあげるようにして食べるのを見、すごいおもしろかったけど
  途中から雨が強くなっ
、早めに学校に帰ることになったから、ちょっと残念だった。
 赤文字の部分が接続助詞である。接続助詞を全く使わず、必ず句点に直して文を切る必
要はない。しかし、一文中に接続助詞を2つ以上入れないようにする。これだけは心がける
べきである。そうすれば文はぐっと短くなる。内容を変えずに必要に応じて読点を句点に置
き換えていくと次のようになる。
 → 僕たちはバスを降りた。長い階段を上がって動物園に向かった。動物園の門にはラ
  イオンの絵がかいてあった。とても大きくてびっくりした。中に入ると最初はパンダがい
  た。その先にはリスやコアラがいた。おもしろい鳴き声を出す鳥とかがたくさんいた。祐
  二君が「動物園ってすごいね」と言っているうちに、お昼ごはんを食べる時間になった。
  僕はキリンの長い首を見ながらお弁当を食べた。それから大きなゾウを見た。長い鼻で
  エサを拾い上げるようにして食べるのを見た。すごいおもしろかった。途中から雨が強く
  なって早めに学校に帰ることになった。ちょっと残念だった。
 もちろん、この修正だけでは完璧な文とは言えない。文と文とをスムーズにつなげるため
に必要に応じて接続詞を用いたり、用語の不適切なものを他に置き換えたりしなければな
らない。しかし、「一文の長さ」に関しては、非常に短くなって良くなったと言える。
 (ロ)一文中の主語と述語は2つ以内にする。
 主語と述語の関係が一組ずつしか成立していないものを単文、二組以上が並立して存在
するものを重文という。
 例 青かった
   →主語は「海」に対して「青かった」述語による一組しか主述関係がないので単文。
 例 青く緑一色だった
  →主語は「海」に対し、「青く」という述語で一組、主語は「山」に対し、「緑一色だった」と
いう述語で一組、合計二組の主述関係があるので重文。
 主語・述語を3つ以上にすると、主述関係がねじれたりしてわかりにくい文になる恐れが
ある。さっそく次の例文を検討してみよう。
例1 歌さえ聴ければかまわないという人はどうでもよいことだと思うだろうが、初回限定盤
   はポスターが特典として付くのでファンは欲しがるだろうし、なくならないうちに僕は早
   速買い求めた。

 この文は次のように主述関係が3つある。

   (主   語)    (述   語)
「歌さえ聴ければかまわないという人」    「思う」
「ファン」    「欲しがる」
「僕」    「買い求めた」

 そして「どうでもよいことだと思っている」の目的語が省かれていることも問題である。よく
読めば「ポスターが特典として付く」ことを「どうでもよいことだと思う」ということに気づくが、
すぐにはわかりづらい。また、「なくならないうちに」の主語も省かれているのも好ましくない。
→ 初回限定盤を買うとポスターが特典として付く。歌さえ聴ければかまわないという人は、
  ポスターなどどうでもよいことだと思うだろう。だがファンは特典を欲しがるだろうから、初
  回限定盤がなくならないうちに僕は早速買い求めた。

 このように文を切って、主述関係が二組以内におさまるようにすればすっきりする。
例2 冬の北陸は曇りや雪の日が多く、私が去年訪れたときも海は黒く空は灰色だったが、
   今年は晴れの日ばかりで土地の人も驚いている。

 字数は60字なので「非常に長い」というほどでもないが、これでも次のように3つに分けた
ほうがわかりやすい。
→ 冬の北陸は曇りや雪の日が多い。去年私が訪れたときも、海は黒く空は灰色だった。
  だが今年は晴れの日ばかりで、土地の人も驚いている。

 (ハ)一文中に述べる事柄はできるだけ一つにする。
 長々と書かれている文を分析すると、一文中に複数の事柄が述べられている場合が多い。
2つ程度ならともかく、数個の事柄を述べている場合がある。まず下記の例文から検討しよう。
例1 私の家族はタクシーの運転手をして毎日夜中まで働いている父、昼間はスーパーマー
   ケットに勤めながらも家族のために黙々と家事をこなしている優しい母、音楽が趣味で
   高校生のときからギタリストを志している兄、介護福祉士の資格を取ろうと勉強している
   姉、飛行機が大好きで将来はパイロットになりたいと毎日のように言っている弟、そして
   私の6人である。

 家族の紹介文としてよくありがちなものである。主語「私の家族は」の述語が延々と述べら
れている。重文ではないとはいえ、個々の人物に修飾語がついているために非常に長くなっ
てしまっている。この文は165字にも及び、合計11個もの事柄が述べられている。次のよう
に9つの文に分割すれば、ほとんどの文は一つの事柄を述べるだけになり、わかりやすくな
る。
家族は両親・兄・姉・弟・そして私の6人である。父はタクシーの運転手で、毎日夜中まで
 働いている。母は昼間スーパーマーケットに勤めている。優しい性格で、家族のために黙
 々と家事をこなしている。兄は音楽が趣味だ。高校生のときからギタリストを志している。
 姉は介護福祉士の資格を取るために勉強中だ。弟は飛行機が大好きだ。「将来はパイロ
 ットになりたい。」と毎日のように言っている。

 まず家族一人ひとりの続柄と人数を述べる。次に年長の者から順に、しかも個々に紹介す
る。上の改善例で2つの事柄を述べている文は、「父はタクシーの運転手で、毎日夜中まで
働いている。」と、「優しい性格で、家族のために黙々と家事をこなしている。」の2文だけで
ある。いずれも30字以内なのでこの程度の長さなら問題はない。しかし、それ以上の長さに
なったり、一文中に3つも4つも事柄を叙述するのは避けたい。
例2 校門をくぐるどころか、近くの学校のチャイムの音を聞くたびに耳をふさぐほど昔から
   大の学校嫌いだった私が高校生活を楽しめるようになったきっかけは、高校に入学し
   てすぐに出会った大野先生のあの一言だった。
 この文は「私」に対して「大の学校嫌いだった」という修飾語が前につき、さらにどの程度
「大の学校嫌い」なのかを説明する文節が前に加わっているため、非常に長くなっている。
次のように4つの文に分割すれば、個々の文は一つの事柄だけを叙述すれば済むように
できる。
私は昔から大の学校嫌いだった。校門をくぐるどころか、近くの学校から聞えてくるチャイ
 ムにも耳をふさぐほどであった。そんな私が高校生活を楽しめるようになった。そのきっか
 けは高校入学後すぐに出会った大野先生のあの一言だった。

 論作文においては何らかの課題が示され、その事柄の原因を指摘したり、改善策を提案
する場合も多い。原因や改善策が複数ある場合は論述方法に注意が必要だ。
 次の文で検討してみよう。
例3 部活動をより充実したものにするために部長の私が努力しなければならないことは、
   顧問の先生方・個々の部員・マネージャーとの意思疎通を図ること、たとえ後輩でも
   部の活動内容に対して意見を言えるような明るい雰囲気をつくってやること、試合に
   レギュラーとして抜擢されなかった部員に対するフォローをしてやること、後輩に対す
   る体罰・恐喝・カンパを撲滅すること、部員でない生徒や他の先生方からも認めても
   らえるよう、活動実績を示すことと、山のようにあって大変だが、積極的に取り組んで
   いきたい。

 この文は「部長の私が努力しなければならないこと」が5つ述べられている。こういう場合、
読点を使ってだらだらと改善策を連ねるのではなく、箇条書き形式にして一文につき一項
目になるようにした方がわかりやすい。
充実した部活動にするために部長の私が努力すべきことは次の5つである。第1に、顧
 問の先生方・個々の部員・マネージャーとの意思疎通を図る。第2に、たとえ後輩でも部
 の活動内容に対して意見を言えるような明るい雰囲気をつくってやる。第3に、試合にレ
 ギュラーとして抜擢されなかった部員に対するフォローをしてやる。第4に、後輩に対する
 体罰・恐喝・カンパを撲滅する。最後に、部員でない生徒や他の先生方からも認めてもら
 えるように活動実績を示す。このように数多くあって大変だが、積極的に取り組んでいき
 たい。


(2)修飾語と被修飾語との距離
 ある言葉に何らかの修飾語を加える場合、修飾語の直後に被修飾語がくるようにする。
そうしないと非常にわかりにくいものになる。
例1-1 きのう借りた本を読んだ。
 この場合、「借りたのがきのう」なのか、「読んだのがきのう」なのか。大方の人は前者と
解するだろう。ということは「読んだのがきのう」だと言いたい場合、上の文では誤解の元
となり、わかりにくい。では次の場合はどうか?
例1-2 きのう、借りた本を読んだ。
 ただ「きのう」の後に読点を入れただけであるが、こうすれば「読んだのがきのう」と解釈
できる。しかし、どんな場合でも読点さえ入れれば全く問題が生じないとは限らない。「本」
の修飾語が長い場合は、やはりわかりにくい文になる。
例1-3 きのう、先週の日曜日に神戸市立中央図書館から私の妹が借りた本を読んだ。
 以上の問題を解決するには、「読んだ」の直前に「きのう」をもってくることだ。つまり、「き
のう」という修飾語の直後に被修飾語「読んだ」が続くようにすれば、「本」の修飾語の長短
にかかわらず、わかりやすい文になる。
借りた本をきのう読んだ。(例1-1の改善例)
 この文なら「読んだのがきのう」だということが確実に伝えられる。逆に言うと例1-1の文
が「借りたのがきのう」だと解釈される理由は、修飾語「きのう」の直後に被修飾語「借りた」
があるからである。
先週の日曜日に神戸市立図書館から私の妹が借りた本をきのう読んだ。
                                           (例1-3の改善例)
 この場合も、「読んだのがきのう」だということが確実に伝えられる。と同時に、「借りたの
は先週の日曜日」であることもはっきりと伝わる。同様のものをもう一例検討してみよう。
例2-1 事故後の会社の対応は決して誠意ある態度だったとは言えない。
 こういう文を書いて何とも思わない人が意外と多い。問題は修飾語「決して」の位置であ
る。これの被修飾語は「誠意ある態度」ではなく、「言えない」のはずである。この場合、修
飾語が「決して」であるから、まだマシだ。文法上「決して〜ない」という呼応の関係にある
から、少々離れた位置にあってもさほど誤解を与えないかもしれない。では、同じ副詞でも
「決して」を「とても」にしたらどうなるか?
例2-2 事故後の会社の対応はとても誠意ある態度だったとは言えない。
 こう書くと、「とても」は何を修飾していると解釈できるか?換言すれば、2-2 の文は(ア)
(イ)のいずれの文と同じ意味になるだろうか?
 (ア)事故後の対応は「非常に誠意ある態度だった」とは言えない。
 (イ)事故後の対応は「誠意ある態度だった」とは到底言えない。
  例2-2だと(ア)と同じ意味に解釈されてしまう。つまり、「とても」の被修飾語は直後にあ
る「誠意ある」になるわけだ。例2-1 と同様に「言えない」を修飾、あなわち(イ)と同じ意味
に解釈してほしいのであれば、「とても」の位置を変えなければならない。
例2-3 事故後の会社の対応は誠意ある態度だったとはとても言えない。
 つまり、修飾語「とても」の直後に被修飾語が続くようにするべきだということがわかる。
 したがって、例2−1の改善例も次のように書かなければならない。
事故後の会社の対応は誠意ある態度だったとは決して言えない。
 このことは、主語と述語の距離についても言える。広い意味では「主語」にあたるものが
述語を修飾しているからである。これは日本語のもつ特質の一つと言える。
例3-1 私は彼は退学するのではないかと思った。
 この文を見ると主語「私は」の述語は「思った」である。「彼は退学するのではないか」は
思った内容である。この場合は「私は」の直後が「彼」だからまだ救われているが、「彼」に
「クラスのみんなからいじめられ、仲間はずれにされた」という修飾語がついていたらどうだ
ろう。
例3-2 私はクラスのみんなからいじめられ、仲間はずれにされた彼は退学するのではな
     いかと思った。

 これだと、「クラスのみんなからいじめられ」たのは「私」で、「仲間はずれにされた」のは
「彼」であるかのような誤解を招く。次の文のように修飾語句を根拠や理由を説明する表
現にすると、さらに誤解を招きやすくなる。
例3-3 私はクラスのみんなからいじめられ、仲間はずれにされたので彼は退学するので
     はないかと思った。

 こうなると、「クラスのみんなからいじめられ、仲間はずれにされた」のが私なのか彼なの
かさっぱりわからなくなってしまう。これらの例はいずれも主語「私は」と述語「思った」との
距離が離れすぎているのが原因なので、次のように「私は」の位置を改めれば良い。
クラスのみんなからいじめられ、仲間はずれにされた彼は退学するのではないかと私は
 思った。
                                    (例3-2の改善例)
クラスのみんなからいじめられ、仲間はずれにされたので彼は退学するのではないかと
 私は思った。
                                 (例3-3の改善例)
 読点の使い方に関する問題が残っているので、これでも完璧とは言えない。しかし、少な
くとも「クラスのみんなにいじめられ、仲間はずれにされた」のが私であると誤解される恐れ
がなくなったことは確かである。この種の文は法律の条文にもみられる。下記は学校保健
法第12条である。学校に在籍している児童・生徒・学生・幼児で伝染病にかかっている者
(その恐れや疑いがある場合も含む)が現れた場合の措置を規定したものだ。
 校長は、伝染病にかかっており、かかっておる疑があり、又はかかるおそれのある児童、
生徒、学生又は幼児があるときは、政令で定めるところにより、出席を停止させることがで
きる。

 一読してすぐに正しく理解できただろうか?この条文は、主語「校長は」と述語「出席を停
止させることができる」との距離が離れすぎている。そのうえ、直後に「伝染病にかかってお
り」という用言がある。この2つの理由で校長が「伝染病にかかってお」るかのような誤解を
招く。法律家の文はわかりにくく書かれたものが多い。したがって法律の条文や新聞に載
る裁判の判決文・訴状などの文を真似しないほうが良い。各種の保険や携帯電話を新規
に契約した際に配布される「約款」の類も同様である。

(3)修飾語が複数ある場合
 ある語に修飾語が1つある場合は、(2)で述べたとおり被修飾語の直前に修飾語を置け
ば良い。では、ある語にA・B2つの修飾語が場合、どちらの修飾語を先に置くべきかという
問題が生じる。どちらを先にしても問題ない場合もあるのだが、一方を前に置いたために
文意が誤解されることも少なくない。そこで、例文を示しながら「わかりやすい文」にするた
めの方法を4つ紹介する。
 (イ)長短2つの修飾語がある場合は長い方を先にする。
 例1-1 あの黒い携帯電話は僕のです。
 「携帯電話」という名詞に「あの」と「黒い」という2つの修飾語がついている。この場合は
長さも大差ないので「黒いあの」として問題はない。では、2つの修飾語のうち片方の「黒
い」を「教室の後方にあるロッカーの上に置き忘れた」にしてみるとどうなるか?
 例1-2 あの教室の後方にあるロッカーの上に置き忘れた携帯電話は僕のです。
 例1-1では「あの」も「黒い」も共に「携帯電話」を指していたのに、例1-2では「あの」が
「教室」を指してしまう。そうなってしまう理由は2つある。一つは「あの」の指すべき語「携
帯電話」があまりにも遠く離れているからである。もう一つは「あの」の直後にある「教室」
が名詞(体言)だからである。つまり、連体詞「あの」は直後にある名詞を修飾する働きを
もつわけだ。したがって、2語とも同一の単語を修飾するようにするには、長い修飾語を
先にしなければならない。
例1−2は次のように改めれば誤解を招かない。
教室の後方にあるロッカーの上に置き忘れたあの携帯電話は僕のです。
 上記は名詞(体言)に修飾語が2つあった場合であるが、同様のことは動詞(用言)に修
飾語が2つある場合についても言える。
 例2-1 親切に笑顔で案内する。
 「案内する」という動詞に「親切に」と「笑顔で」という2つの修飾語がついている。この場
合は長さも大差ないので「笑顔で親切に」として問題はない。では、2つの修飾語のうち片
方の「笑顔で」を「初心者で機械の操作に不慣れな人の立場に立って」にしてみるとどうな
るか?
 例2-2 親切に初心者で機械の操作に不慣れな人の立場に立って案内する。
 例2-1では「親切に」も「笑顔で」も共に「案内する」を指していたのに、例2-2では「親切
に」の指す語は何かと考えさせられてしまう。そうなってしまう理由は「親切に」の指すべき
語「案内する」があまりにも遠く離れているからである。したがって、この場合もやはり長い
修飾語を先にしなければならない。例2-2は次のように改めれば誤解を招かない。
初心者で機械の操作に不慣れな人の立場に立って親切に案内する。
 (ロ)述語が含まれる修飾語句を先にする。
 例3-1 松井先輩の家には黒い大きな犬がいる。
 「犬」という名詞に「黒い」と「大きな」という2つの修飾語がついている。この場合は両者
の長さも大差なく、どちらも述語を含まない修飾語なので、どちらを先にしても問題ない。
では「大きな」を「首輪のついた」にするとどうなるか?
 例3-2 松井先輩の家には黒い首輪のついた犬がいる。
 例3-1では「黒い」も「大きな」も共に「犬」を指していたのに、例3-2では「黒い」が「首
輪」を指してしまう。つまり、犬の体色は黒くないが、その犬につけられている首輪が黒い
ことになってしまう。そうなってしまう理由は「首輪のついた」が述語を含む修飾節だから
である。「黒い」も「首輪のついた」も共に「犬」を修飾するようにしたいのであれば、次の
ように改めたほうがよい。
松井先輩の家には首輪のついた黒い犬がいる。
 上記は名詞(体言)に修飾語が2つあった場合であるが、同様のことは動詞(用言)に修
飾語が2つある場合についても言える。
 例4-1 火災の際は速やかに慌てずに避難して下さい。
 「避難し」という動詞に「速やかに」と「慌てずに」という2つの修飾語がついている。では、
2つの修飾語のうち片方の「慌てずに」を「姿勢を低くして」にしてみるとどうなるか?
 例4-2 火災の際は速やかに姿勢を低くして避難して下さい。
 例4-1では「速やかに」も「慌てずに」も共に「避難して下さい」を指していたのに、例4-2
では「速やかに」が「低くして」を指してしまう。つまり「姿勢を低くする」という動作を速やかに
実行して避難して下さいという意味に誤解される恐れがある。そうなってしまう理由は「姿勢
を低くして」が述語を含む修飾節だからである。「速やかに」も「姿勢を低くして」も共に「避難
して下さい」を修飾するようにしたいのであれば、次のように改めたほうがよい。
火災の際は姿勢を低くして速やかに避難して下さい。
 (ハ)重大な事柄を述べたものから順に並べる。
 「切ってしまった」という述語に、長さに差がない次の語句をつけて作文するとしよう。
  「鈴木さんが」  「コンサート中に」  「ギターの弦を」
 この場合、3者を並べ替える場合の組み合わせは次の6通りになる。
例4-1 鈴木さんがコンサート中にギターの弦を切ってしまった。
例4-2 鈴木さんがギターの弦をコンサート中に切ってしまった。
例4-3 コンサート中に鈴木さんがギターの弦を切ってしまった。
例4-4 コンサート中にギターの弦を鈴木さんが切ってしまった。
例4-5 ギターの弦を鈴木さんがコンサート中に切ってしまった。
例4-6 ギターの弦をコンサート中に鈴木さんが切ってしまった。
 このうち最も自然なのは例4−1だ。逆に不自然なのは例4-6になる。これは、最重要な
事柄が「鈴木さんが」であり、次に「ギターの弦を」が重要な事柄として続くからである。つま
り、下記の3つの条件をすべて満たす場合は重大な事柄を優先し、軽少な事柄を後回しに
した方がわかりやすい文になる。
 (@)ある述語にかかる修飾語句が複数ある。
 (A)それぞれの修飾語句の長さに大差がない。
 (B)いずれも述語が含まれた修飾語句ではない。
 もう一例、修飾語句の数を増やした例文で検討してみよう。「発送した」という述語に次の
4つの語句をつける場合、どのような順序で並べたらわかりやすい文になるだろうか。
  「山本課長に」  「お歳暮を」  「宅急便で」  「加藤君が」
 今度は4者なので並べ替える場合の組み合わせは24通りにもなる。
例5-1 山本課長に加藤君がお歳暮を宅急便で発送した。
例5-2 山本課長に加藤君が宅急便でお歳暮を発送した。
例5-3 山本課長にお歳暮を加藤君が宅急便で発送した。
例5-4 山本課長にお歳暮を宅急便で加藤君が発送した。
例5-5 山本課長に宅急便で加藤君がお歳暮を発送した。
例5-6 山本課長に宅急便でお歳暮を加藤君が発送した。
 「山本課長に」は、主格「加藤君が」からみて対格である。例5-1から例5-6はいずれも
対格から文を始めたものだが、これだとその後の語順をどのようにしても不自然な文にな
ることがわかる。その理由は、対格が述語にかかる語句の中で最重要の事柄ではないか
らである。
例5-7 お歳暮を加藤君が山本課長に宅急便で発送した。
例5-8 お歳暮を加藤君が宅急便で山本課長に発送した。
例5-9 お歳暮を山本課長に加藤君が宅急便で発送した。
例5-10 お歳暮を山本課長に宅急便で加藤君が発送した。
例5-11 お歳暮を宅急便で加藤君が山本課長に発送した。
例5-12 お歳暮を宅急便で山本課長に加藤君が発送した。
 「お歳暮を」は、主格「加藤君が」からみて目的格である。例5-7からの6例はいずれも
目的格から文を始めたものだが、これもやはり文としては不自然なものになる。つまり、
述語にかかる語句の中で比較した場合、目的格も最重要な事柄ではないことが言える。
例5-13 宅急便で加藤君が山本課長にお歳暮を発送した。
例5-14 宅急便で加藤君がお歳暮を山本課長に発送した。
例5-15 宅急便で山本課長に加藤君がお歳暮を発送した。
例5-16 宅急便で山本課長にお歳暮を加藤君が発送した。
例5-17 宅急便でお歳暮を加藤君が山本課長に発送した。
例5-18 宅急便でお歳暮を山本課長に加藤君が発送した。
 「宅急便で」は、主格「加藤君が」からみて補語にあたる。例5-13からの6例はいずれ
も補語から文を始めたものだが、やはり不自然だ。結局、主格「加藤君が」から文を始め
るのが最も自然ということになる。では、主格の次はどういう語順が自然だろうか?
例5-19 加藤君が山本課長にお歳暮を宅急便で発送した。
例5-20 加藤君が山本課長に宅急便でお歳暮を発送した。
例5-21 加藤君がお歳暮を山本課長に宅急便で発送した。
例5-22 加藤君がお歳暮を宅急便で山本課長に発送した。
例5-23 加藤君が宅急便で山本課長にお歳暮を発送した。
例5-24 加藤君が宅急便でお歳暮を山本課長に発送した。
 この6通りを比べると、最も自然なのは例5-19で逆に不自然なのは例5-24だというこ
とがわかる。これは「AがBにCを××する」という構文が最も順当な語順になるからであ
る。「宅急便で」という語句は最も軽少な事柄になるので最後にしたほうが良い。

(4)効果的な漢字の使い方
 さっそく下記の2例を見ていただきたい。
例1-1 しょうらいはしんぶんしゃににゅうしゃしてげんこうのこうせいをたんとうしたいとお
    もいます。

例1-2 ショウライハシンブンシャニニュウシャシテゲンコウノコウセイヲタントウシタイトオ
    モイマス。
 例1-1はすべて平仮名で、例1-2はすべて片仮名で表記したものである。一見しただけ
でも読みにくさを感じるであろう。では、なぜ読みにくさを感じるのか?
 その理由は次の3点による。
 (@)大きさも密度も等しく、しかも同じような形をした文字が切れ目なく並んでいる。
 (A)単語としての形をなしていないから、一字一字を拾わなければならない。
   どこで切って読めば良いかがすぐにはわからない。
 (B)文字を拾ってから単語としての意味を読み取らなければならない。たとえば「げんこ
    う」「ゲンコウ」が「原稿」なのか「現行」なのか「言行」なのかを頭の中で判断しなけ
    ればならない。
 従って、下記のように漢字を混ぜた方が視覚的にわかりやすい文になる。理由は漢字が
表意文字であること、そして、「将来は」「入社」「校正を」という具合に、文字単位ではなく
単語や文節の単位で文を読むことができるからである。つまり容易に意味を把握できるわ
けである。
将来は新聞社に入社して原稿の校正を担当したいと思います。
 しかし、この漢字も適切な量がある。少なすぎても読みにくくなるが、多すぎてもやはり読
みにくい文になってしまう。
例2-1 親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二
    階から飛び降りて一週間程腰を抜かした事がある。

 この文は夏目漱石の小説『坊ちゃん』の冒頭の2文である。問題は2つ目の文だ。「時分
学校」と「一週間程腰」の部分は漢字が連続している。これでは「時分学校」が学校の名前
かと誤解されたり、「居る時」と「分学校」で区切れるのかなと考えさせられる。「一週間程
腰」にしても「程腰」が「腰」のある部位の名称かなと思う人が生じるかもしれない。こういう
誤解を与えかねない理由は、漢字が多すぎるからである。
親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居るじぶん学校の二階か
 ら飛び降りて一週間ほど腰を抜かした事がある。
 ただ「時分」と「程」を平仮名にしただけであるが、これだけでも視覚的にはかなり違う。
そこで、漢字はどういう使い方をすれば効果的なのか、どう使えばわかりやすい文になる
のかを検証してみよう。
(イ)熟語は常用漢字外のものでもそのまま漢字で書く。
 漢字には常用漢字とそうでないものとがある。例えば「字句や語句・表現を意図的に変
えること」という意味の言葉に「改竄」という語がある。この場合「改」は常用漢字であるが、
「竄」は常用漢字ではない。また、常用漢字であっても特定の音や訓の場合は音訓表に
その読み方が取り上げられてないものもある。例えば、「本日は、あいにくの雨で・・・」の
「あいにく」は漢字で書くと「生憎」で、「生」も「憎」も常用漢字である。しかし、「生」に関し
ては「生(せい)徒」「一生(しょう)」「生(う)まれる」「生(い)きる」「生(なま)放送」といった
読みは常用漢字だが、「あい」と読ませる場合は常用漢字外の音訓になる。
 前置きが長くなってしまったが、論作文講座のテキストには「常用漢字の場合は必ず漢
字を使い、そうでない場合は平仮名書きにする。」と書かれているものが少なくない。しか
し、「わかりやすい文」の観点から検証すると、そう単純にはいかない。さっそく次の5例を
見ていただきたい。
例1 常とう手段を講じるのが常に最善とは限らない。
例2 18世紀のフランスは国王によるし意的な政治が続いた暗黒の時代であった。
例3 富山にしん気楼を撮影しに行く。
例4 彼は新しい職場でもらつ腕を振るった。
例5 真しに向き合う姿勢が大切だ。
 いずれの例文も常用漢字でない文字を平仮名で表記したものである。
すると次のような誤読・誤解を招く恐れがある。
例1 「常」を「つね」と読み誤る。
例2 「国王によるし」で文節を切って読む。
例3 「富山西」と読んだり「にしん」を「鰊」と解釈する。
例4 「腕を振るう」を「うでをふるう」と読み誤る。
例5 「しに向き合う」を「死に向き合う」と文節を切ったり、「真氏」(個人の名称)を「真市」
   (地方公共団体の名称)と読み誤る。
 やはり、次のように表記した方がわかりやすい。
例1 常套手段を講じるのが最善とは限らない。
例2 18世紀のフランスは国王による恣意的な政治が続いた暗黒の時代であった。
例3 富山に蜃気楼を撮影しに行く。
例4 彼は新しい職場でも辣腕を振るった。
例5 真摯に向き合う姿勢が大切だ。
 「常套手段」「恣意的」「蜃気楼」「辣腕」「真摯」はいずれも熟語であるから、漢字と平仮名
に分解してはならない。読みにくくなるばかりでなく、当該熟語の前後の単語によっては思わ
ぬ誤解を招く恐れもあるからである。
(ロ)漢字で書かないと誤解を招く場合
例1 こんな物置は庭にはいらない。
 この文だけだと「物置を庭に置く場所がない」と「物置を庭に置く必要がない」との2通りに
解釈できる。つまり、平仮名で表記した場合はどちらの意味なのかが読む側にわからなくな
るのである。もちろん、前後の文を読めば判断できるはずだが、それでもここは漢字で書く
べきである。
こんな物置は庭に入らない。  (庭に置く場所がない場合)
  こんな物置は庭には要らない。(庭には置く必要がない場合)

 しかし「必要だ」という意味で使われる「いる」という語は、普通ひらがなで書く。
例 受け取る際には印鑑と保証書がいる。
 ではなぜ例1の文では漢字で書かなければならないのか?それは「いらない」の前に格助
詞「に」と係助詞「は」が連続しているために「〜に入らない」と誤読する恐れがあるからであ
る。したがって、「は」を取ってしまえば「いらない」はひらがなで良い。
例 こんな物置は庭にいらない。
 また、「〜にはいらない」という表現が誤解を招くのは、「物置」と「庭」だからであるとも言え
る。次の場合は平仮名で書いても誤読されることはない。
例 携帯電話は子どもにはいらない。
 したがって、同じ語でも前後の単語によっては漢字で書かなければまずい場合があること
を知っておきたい。
(ハ)原則として体言と用言は漢字で、付属語と接続詞・感動詞はひらがなとする。
 日本語における単語はその働きから11の品詞に分類できる。このうち、漢字で表記した
方が良いもの、平仮名で表記した方が良いもの、単語によって表記方法が異なるものの3
種類に分けられる。その原則は下記のとおり。
<漢字で表記した方がよい品詞>
名   詞・・・山、明日、欧米、二つ など
       (例・公園花びらが落ちている。)
 ※但し、「こと」「とき」といった形式名詞はひらがなで書く。
   (例・名前を思い出せないのは、誰でもよくあることだ。)
代 名 詞・・・私、彼女、君、皆様  など
       (例・が怒るのは無理もないとは思う。)
 ※但し、指示代名詞はひらがなで書く。
   (例・ここで待っていて下さい。)
   また人称代名詞でも「あなた」は漢字では書かない。
動   詞・・・・飲む、逃げる、愛する、待機する など
         (例・入学試験を受けるので今から準備する。)
形 容 詞・・・早い、悲しい、暑苦しい、仰々しい など
         (例・今までずっと厳しい練習の日々だったが、優勝できて嬉しい。)
形容動詞・・・・穏やかだ、元気だ、寂しげだ、陰湿だ など
         (例・あの人は職場でも物静かな人だ。)
<単語によって表記方法が異なる品詞>
副   詞・・・必ず、恐らく、もっと、のんびり など
       (例・とても努力したつもりなのに、成績が少しも上がらない。)
連 体 詞・・・来たる、去る、ある、どの など
       (例・我が社はあらゆる方法で販売実績を上げてきた。)
<漢字で表記しない方がよい品詞>
感動詞・・・あっ、もしもし、ええ、おはようございます など
      (例・ねえ、まだ帰らないの?)
接続詞・・・さらに、ところで、すると、だから など
      (例・日中は暑い日が多い。しかし、朝夕は涼しい。)
助動詞・・・れる、よう、たい、らしい など
      (例・客に買わせようと、店員は必死に勧誘してい。)
助  詞・・・は、も、を、まで など
      (例・駅からバス乗っ15分ほどで着いた。)

第3章・読点の正しい使い方
 よく「句読点」と言われるが、これは一文の末尾に打つ句点(「。」)と、文節の区切りに打
つ読点(「、」)とに分けられる。このうち句点に関しては、特に注意することはないだろう。
だが、読点は難しい。多くの人は正しい使い方があることを知らず、「文が長い」と感じた時
点で打っている。しかし読点は個々人の感覚で適当な場所に打つものではなく、文法的に
正しい使い方がある。まず、下記の3点を知っておきたい。
  1・必ず打たななければならない読点
     打たないと文意がわかりやすく伝わらなかったり、筆者の意図する意味とは別の
    文意に誤解される恐れがあるため、必要な読点である。
  2・書き手の裁量に任せてよい読点
      文法的には打っても打たなくても誤りにはならない読点である。
  3・絶対に打ってはならない読点
      打ってしまうと明らかに文法的に誤った文になったり、あるいは意味が取りにくくな
    るため、有害無益な読点である。

(1)必ず打たなければならない読点
  次の6つが該当する。このうち前4者はいわゆる「倒置」、つまり、本来あるべき語順を
 逆にした場合の例である。
<用言を含む文節を文末に置かない場合>
例1-1 もう壊れて使えないだろう、こんな堅い地面に落としたら。
 本来の語順は「こんな堅い地面に落したらもう壊れて使えないだろう。」である。「壊れて
使えないだろう」という推量表現を強調したいために倒置させたのだが、この場合は読点
が必要になる。日本語は述語が文末にくるという特徴がある。つまり、用言(動詞・形容詞
・形容動詞)が含まれた文節で一文が終わる。したがって、何らかの理由で用言を前に移
動させた場合は読点を打たなければならない。

例1-2 プレゼントはもう買っておいた、私が。
例1-3 彼も見ていたらしい、あの事故を。
例1-4 僕から事情を話しておくから、あいつに。
例1-5 ここから30分で行けるよ、車で。
 例1-2 は主語を倒置させたもの、例1-3 と例1-4 は目的語を倒置させたもの、例1-5
は補語を倒置させたものである。いずれも読点がないとまずい例である。
<短い修飾語句を長い修飾語句の前に置いた場合>
例2-1 私は、飯田君は何も事情を知らないのではないかと思った。
 本来の語順は「飯田君は何も事情を知らないのではないかと私は思った。」である。つま
り「思った」という述語に対し、「私は」「飯田君は何も事情を知らないのではないかと」とい
長さの異なる2つの修飾語がある場合は、長いほうを先に書かなければならない。それ
を逆にして「私は」という短い修飾語を先に提示したために、読点が必要になるのである。
例2-1 を読点なしで書くと「私は飯田君は・・・」となって、「〜は」という文節が連続するこ
とになり、わかりづらくなる。
例2-2 刑事は、拳銃を持って逃げる犯人を追いかけた。
 本来の語順は「拳銃を持って逃げる犯人を刑事は追いかけた。」である。つまり「追いか
けた」という述語に対し、「刑事は」「拳銃を持って逃げる犯人を」と、長さの異なる2つの修
飾語があるから、これも長いほうを先に書くべきである。それを逆にして「刑事は」と短い修
飾語を先に提示するのなら、読点が必要になる。例2-2 を読点なしで書くと「刑事は拳銃
を持って逃げる犯人を追いかけた。」となり、「拳銃を持っ」たのが犯人なのか刑事なのか
が全くわからなくなる。
<述語を含む修飾語句を他の修飾語句の後に置いた場合>
例3-1 黒い、首輪をした犬がいた。
 本来の語順は「首輪をした黒い犬がいた。」である。この文例は「いた」という述語に対し、
「黒い」「首輪をした」という2つの修飾語があるのだが、片方が述語を含む修飾語句である
場合、それを先に書くのが正しい語順になる。
ここでは「首輪をした」が述語を含む修飾語
句であるが、それを逆にして、「黒い」という述語の含まれない修飾語を先に提示したため
に、読点が必要になるのである。例3-1 を読点なしで書くと「黒い首輪をした犬がいた。」
となるが、これだと犬の体色が黒いのではなく、犬につけられている首輪が黒いことになっ
てしまう。
例3-2 火災の際は速やかに、姿勢を低くして避難してください。
 本来の語順は「火災の際は姿勢を低くして速やかに避難して下さい。」である。つまり「避
難し」という述語に対し、「速やかに」「姿勢を低くして」という2つの修飾語があるのだが、本
来は「姿勢を低くして」が述語を含む修飾語句であるため、それを先に書かなければならな
い。それを逆にして、「速やかに」という述語の含まれない修飾語を先に提示するのなら、読
点が必要になる。例3-2 を読点なしで書くと「火災の際は速やかに姿勢を低くして避難して
ください。」となるが、これだと「避難」を速やかにするのではなく、「姿勢を低くするという動作」
を速やかにすることになってしまう。
<修飾語句を被修飾語句の後に置いた場合>
例4-1 君が教えてくれた中華料理店に行ってみたよ、名古屋の。
 会話文でみられるので、文中に直接話法で会話文を挿入する場合は注意したい。本来の
語順は「君が教えてくれた名古屋の中華料理店に行ってみたよ。」である。この文例でいう
と「君が教えてくれた」「名古屋の」がいずれも「中華料理店」の修飾語句になっている。日本
語は修飾語句が被修飾語句の前にくるという特徴がある。したがって、何らかの理由で修飾
語句を後に移動させた場合は読点を打たなければならない。
これは体言を修飾する場合も
用言を修飾する場合も同じである。
例4-2 今から行っても送別会は終わっているだろうなぁ、とっくに。
 「とっくに」は用言「終わっ」を修飾している。したがって、本来の語順は「今から行っても送
別会はとっくに終わっているだろうなぁ。」でなければならない。
<長い修飾語が複数あるとき>
例5-1 クラスの誰ともしゃべることのできない眞田君のことを、昨年度からずっと生徒会役
    員をやっている長尾君に相談してみることにした。

 「眞田君のことを長尾君に相談してみることにした。」という文なら読点は必要ない。ところ
がこの文例では「相談してみることにした」という述語に対し、「クラスの誰ともしゃべることの
できない眞田君のことを」「昨年度からずっと生徒会役員をやっている長尾君に」という、
い修飾語が2つある。この場合、その両者の境界点に読点を打つ。
そうしないとわかりづら
い文になってしまうばかりか、読み手が息つぎできなくなる。
例5-2 来年でうちの中学校が廃校になることを知った僕らは、長い間チームを導いてくだ
    さった顧問の佐々木先生に、秋の県大会で優勝したときにもらった楯を、明日の練
    習後のミーティングでプレゼントすることにした。

 長い修飾語が4つある文例である。この場合、境界点は3つになるから読点も3つ必要に
なる。ということは、「一文に長い修飾語がn個ある場合は(n−1)個の読点を打つ」ことに
なる。
<重文の場合>
例6-1 摩周湖の湖面はどこまでも青く、湖を囲むように広がっている山並みは緑一色だ
    った。

 重文とは、主語と述語の関係が二組以上並立して存在する文をいう。この場合、たとえ
一文の字数が短くても、主述の関係が一組成立した時点で読点を打つ。
例6-2 父は怒り、母は悲しんだ。

(2)書き手の裁量に任せてよい読点
 次の6つが該当する。
<感動詞の直後>
例1-1 はい、そうです。
  文頭にある「はい」は文法的には感動詞で、相手への呼びかけ・応答や感嘆を表す語
である。一般に、感動詞の直後に読点を使う人が多い。そうすることで感嘆の心情など、
感動詞の有する働きを強調する効果があるからである。しかし、必ず読点を使用しなけれ
ばならないという文法上のきまりはなく、書き手の裁量に委ねられる範囲であるといえる。
例1-2 あら、さっきまであったのになぜなくなったんだろう。
例1-3 ああ、ここで3点も取られたらもうこの試合は勝てそうもないな。
例1-4 ねえ、明日一緒にコンサートに行ってみようよ。
例1-5 もしもし、君塚さんのお宅ですか?
 例1-2 と例1-3 は感嘆を、例1-4 と例1-5 はいずれも相手に対する呼びかけを表し
ている。
<文頭に語句を提示した場合>
例2-1 日本語の最大の特徴は、述語が文の最後に置かれるということである。
 係助詞「は」は語句を提示する働きがある。「は」の直後で読点を打つことで、その語句
を強調したり、含みや余韻を持たせたり、文章全体にあるリズムを持たせたりする効果が
ある。これは筆者の判断に応じて適宜利用できる読点である。
例2-2 下人の行方は、誰も知らない。
例2-3 山椒魚は悲しんだ。
 例2-2 は芥川龍之介の小説『羅生門』の末尾の一文、例2-3 は井伏鱒二の小説『山椒
魚』の冒頭の一文である。前者は読点が使われた例、後者は使われていない例である。
いずれも作家の意図する効果を狙った結果であって、文法上の理由ではない。
<接続詞の直後>
例3-1 今年の野球部は熱心に練習に取り組まなかった。だから、初戦で1点も取れずに
     負けた。

 後半の文頭にある「だから」は文法的には接続詞で、前の文との関係を意味上わかりや
すく表す語である。接続詞の直後に読点を使うと、その接続詞以後の文の内容を強調する
効果がある。したがって、書き手各自の判断で適宜使い分けるとよい。
例3-2 大地震は滅多に起こるものではない。しかし、非常時の備えだけはしておくべきだ。 
例3-3 先月に続いてまた長良川の堤防が決壊した。しかも、今度は死傷者まで出してし
     まった。

例3-4 彼は別の店に行ったのではないかと思う。あるいは、家に帰ったのかもしれない。
例3-5 ただし3日以内の治療入院、または、検査入院の場合は保険金支払いの対象外
     となります。

例3-6 彼らは何の罪も犯していなかったがナチスに捕らえられた。なぜなら、彼らはユダ
     ヤ人だからである。

例3-7 ところで、もう雨はやんだのか?
 接続詞はその文法上の働きにより7種類に分けられる。例3-1 は順接、例3-2 は逆接、
例3-3 は添加、例3-4 は選択、例3-5 は並立、例3-6 は説明、例3-7 は話題の転換を
表す。
<接続助詞の直後>
例4-1 地球の温暖化現象に対してこのまま何の対策も講じなけれ、夏季の気温も海面
     の水位もますます上昇するに違いない。

 読点の直前にある「が」は文法的には接続助詞で、前の文節や句との関係を意味上わか
りやすく表す語である。接続助詞の直後に読点を使うと、その助詞以後の文節の内容を強
調する効果がある。したがって、これも書き手各自の判断で適宜使い分けるとよい。
例4-2 所定の時刻より到着が3時間も遅れたので、窓口では乗客に特急券の払い戻しを
     していた。
 
例4-3 この地方では冬の間どんなに雪が降り積もっても、翌年の夏までにはすっかり解け
     てしまう。

例4-4 彼らが話をしているのを何度か聞いてみた、どこの国の言語なのかはついにわ
     からなかった。

例4-5 国境の長いトンネルを抜ける雪国であった。
 接続助詞は順接と逆接とに大別され、それぞれに仮定条件と確定条件を表すものとがあ
る。例4-1 は順接の仮定条件、例4-2 は順接の確定条件、例4-3 は逆接の仮定条件、
例4-4 は逆接の確定条件である。なお、例4-5 は読点を打たずに続けた例である。川端
康成の小説『雪国』の冒頭の一文で、使われた接続助詞は順接の確定条件であるが、特
に打たなくても文法上の問題は何もない。
<副詞、及び副詞的語句の直後>
例5-1 当然、このような悪天候の場合は欠航となる。
 文頭にある「当然」は文法的には副詞で、文末の「欠航となる」を修飾している。このよう
な副詞を文頭に置いた場合、その直後に読点を使う人が多い。その副詞の有する働きを
強調する効果があるからである。しかし、必ず読点を使用しなければならないという文法上
のきまりはなく、省いてもかまわない。
例5-2 直ちに、手術室へ運ばれた。
例5-3 生存の可能性はきわめて、厳しい。
例5-4 まさか、我が社に限ってそんな不祥事は起こらないだろう。
 副詞には状態を表すもの、程度を表すものと後に来る語とセットになって文意を決定する
陳述の副詞の3種類に大別できる。例5-2 は状態、例5-3 は程度を表し、例5-4 は陳述
の副詞の用例である。いずれも読点の使用・不使用は自由である。
例5-5 1945年8月6日の朝、広島に原子爆弾が投下された。
 例5-5 は一語の副詞ではない例である。文頭の「1945年8月6日の朝」は文法的には
副詞的語句にあたり、文末の「投下された」を修飾している。この場合も読点を使ってもか
まわない。
例5-6 私が進もうかよそうかと考えて、ともかくも翌日まで待とうと決心したのは土曜の晩
     でした。ところが
その晩に、Kは自殺して死んでしまったのです。
 これは夏目漱石の小説『こころ』の一文である。自殺したのが「その晩」、つまり土曜の晩
であることを強調する効果をもたせるための読点と言えよう。
<同格の関係にある語句と語句の間>
例6-1 日照時間の長い夏季だけ時計の針を進ませる、いわゆるサマータイムの導入を
     めぐってはまだ慎重論が大勢を占めている。
 「夏季だけ時計の針を進ませる」と「サマータイム」とは同格の関係にある。この場合、そ
の境界点に読点を使ってもよい。
例6-2 『智恵子抄』で有名な日本近代詩の巨星高村光太郎は詩人であると同時に近
    代を代表する彫刻家でもあった。


(3)絶対に打ってはならない読点
 一般的に打ってしまいがちな例として挙げられるものは次の5つである。
<単語や事柄を並列する場合>
例1-1 頭痛、鼻水、咳、痰、発熱は、風邪の典型的な症状だ。
 「頭痛」から「発熱」までは風邪の症状を列挙しているので、これらの語の関係は並立であ
る。こういう場合は中点「・」を用いるべきである。
 改善例→頭痛・鼻水・咳・痰・発熱は、風邪の典型的な症状だ。
例1-2 2つの三角形が合同となる条件は、3つの辺の長さがすべて等しい場合、2つの辺
    の長さと1つの角の大きさが等しい場合、1つの辺の長さと2つの角の大きさが等しい
    場合
のどれかを満たすことである。
 単語ではなく句の場合でも同様である。これも合同の条件として挙げた3項目は並立の関
係にある。したがって、やはりこれも中点を使うべきである。
 改善例→2つの三角形が合同となる条件は、3つの辺の長さがすべて等しい場合・2つの
       辺の長さと1つの角の大きさが等しい場合・1つの辺の長さと2つの角の大きさが
       等しい場合のどれかを満たすことである。

例1-3 父も、母も、姉も、みんな血液型はA型なのに、自分だけはO型だ。
 単語ではなく助詞「も」を伴った文節の場合は、「も」が中点の役割を兼ねるので、読点も
中点も不要となる。
 改善例→父も母も姉もみんな血液型はA型なのに、自分だけはO型だ。
<会話文・心内表現文・引用文の直後>
例2-1 個人情報の取り扱いにはくれぐれも慎重にするように、と注意された。
 例2-1 は読点の直前までが会話文である。しかし、会話文の直後に読点を使うべきでは
ない。どうしても会話文であることを区別したいのならば、「  」(カギカッコ)を使うべきであ
る。それを読点で代用するのは本来の読点の使い方ではない。
 改善例→個人情報の取り扱いにはくれぐれも慎重にするようにと注意された。
       「個人情報の取り扱いにはくれぐれも慎重にするように。」と注意された。

例2-2 こんなに混雑するのなら2度と行きたくない、と思った。
 例2-2 は読点の直前までが心内表現文(心の中で考えたことを表す文)である。これも
例2-1 と同様の理由で読点を使うべきではない。どうしても心内表現文であることを区別
したいのならば、『  』(二重カギカッコ)を使うべきである。
 改善例→こんなに混雑するのなら2度と行きたくないと思った。
       『こんなに混雑するのなら2度と行きたくない』と思った。
例2-3 光陰矢のごとし、という孔子の言葉があるが、卒業した今になってみると高校の3
    年間はあっという間に過ぎた感じがする。

 これも例2−1と同様の理由で読点は不要である。どうしても引用部分であることを区別
するのなら、ここもカギカッコにすべきである。
 改善例→「光陰矢のごとし」という孔子の言葉があるが、卒業した今になってみると高校
      の3年間はあっという間に過ぎた感じがする。

 なお、カギカッコは必ずつけなければならないというものでもないので、省いてもかまわな
い。
 改善例→光陰矢のごとしという孔子の言葉があるが、卒業した今になってみると高校の
       3年間はあっという間に過ぎた感じがする。

<挿入句の前後>
例3-1 北海道は、といっても道北の稚内と道南の函館ではだいぶ異なるが、梅雨がない
    ので5月から8月にかけては晴天の日が多い。

 これは「といっても道北の稚内と道南の函館ではだいぶ異なるが」の部分が挿入句であ
る。この部分に読点を使うのは本来の読点の使い方ではないので好ましくない。挿入句の
前後は中線を使うべきである。
 改善例→北海道は――といっても道北の稚内と道南の函館ではだいぶ異なるが――梅
       雨がないので5月から8月にかけては晴天の日が多い。

<躊躇する心情を表す場合>
例4-1 じつはあの、前から医者に診てもらおうとは思っていたのですが、半年前から咳が
    続いています。

 この例文にある「じつはあの」は医者の診察を受けることを躊躇していた気持ちが現れて
いる。この場合はリーダーを使うほうが良い。
 改善例→じつはあの・・・・・・前から医者に診てもらおうとは思っていたのですが、半年前
       から咳が続いています。

例4-2 行ったほうがいいかな、それとも行かなくてもいいかな、本音を言うとあまり気が乗
     らないのだが。

 これも「行く」「行かない」のいずれかに迷っている心情を表しているから、やはりリーダー
の方が適切である。しかも、1つの心情ごとに文を切ったほうが良い。
 改善例→行ったほうがいいかな・・・・・・。それとも行かなくてもいいかな・・・・・・。本音を
       言うとあまり気が乗らないのだが。

<テーマとなる語を文頭に提示した場合>
例5-1 卒業式、それは巣立っていく生徒にとっても送り出す職員にとっても感動的な時空
    である。

 この文では「卒業式は」とせず、「卒業式」として一呼吸置いてから「それは」以下の文節に
続いている。したがって「卒業式」がテーマとなる語になるわけだが、こういう場合は読点で
はなく中線を使うべきである。
 改善例→卒業式――それは巣立っていく生徒にとっても送り出す職員にとっても感動的
       な時空である。

<読み誤りを防ぐ目的だけの場合>
例6-1 しばらく様子を見たが、その建物には誰もいないように感じられた。だから一時的
    に身を隠すには好都合だと我々は思ったのだが、
5月14日の夜、中に人がいるこ
    とを私は確認した。
 これは読点がないと「5月14日の夜中に・・・」と読み誤る恐れがある。しかし、それを理
由に読点を使うのは好ましくない。文の内容を変えずに他の語句に代えるえるべきである。
 改善例→しばらく様子を見たが、その建物には誰もいないように感じられた。だから一時
       的に身を隠すには好都合だと我々は思ったのだが、中に人がいることを私は5
       月14日の夜に確認した。


第4章・注意すべき語句の用法
 よく「日本語が乱れている」と言われるが、それは個々の語句が正しく使われていないこと
が少なくないからだ。わかりやすい文であっても語句の使い方が必ずしも適切とは限らない。
特に次の4点は注意したい。

(1)陳述の副詞とその呼応
 後にくる語と呼応して表現内容を特定する働きを有する副詞を「陳述の副詞」という。これ
を正しく理解して使いこなさなければ日本語を正確に使ったことにはならない。
<打消・打消推量>
 該当する副詞→決して絶対に少しもまだいまだに全く全然
 呼応する表現→ないまいないだろう
例1 個人情報の漏洩は決してあってはならない
例2 試合では最後まで絶対に負けまいという闘志が必要だ。
例3 今月は雨が少しも降らなかった。
例4 まだ誰も来ないだろう
例5 この期に及んでもいまだに反省の態度が見られない
例6 あまりにも暑くて食欲が全くない
例7 今度の数学のテストは問題が難しくて点が全然取れなかった。
 この用例でわかるように、これらの副詞を使ったら打消・打消推量の表現にしなければな
らない。したがって、「明日の試合は全然だいじょうぶだ」「第1志望校に絶対に合格してみ
せる」といった表現は誤りである。
<疑問・反語>
 該当する副詞→なぜどうして
 呼応する表現→
例1 なぜ官僚の天下りはなくならないの
例2 どうして日中間の歴史認識の溝は埋まらないのだろう
例3 医師の免許取ったばかりの君になぜ肝炎の診断が正確にできるの。できるわけな
   いだろう。
例4 昨日着任したばかりの彼にどうして責任を問えるの
<推量>
 該当する副詞→さぞたぶんおそらく
 呼応する表現→だろう
例1 たぶん明日は晴れるだろう
例2 被害者の方々はさぞつらい思いをされたことだろう
例3 病気の進行を遅らせるのが精一杯でおそらく完治することはないだろう
 これらのうち、推量する内容が好ましくないこと・不都合なことがらの場合は「おそらく」を
使う。 
<打消推量>
 該当する副詞→まさかよもや
 呼応する表現→ないだろうまい
例1 最近は個人情報の漏洩が相次いでいるが、まさか我が社に限ってそのようなことは
   ないだろう
例2 停電したからといってよもや全ての機械が使えなくなるということはあるまい
<勧誘・依頼>
 該当する副詞→どうかどうぞぜひ
 呼応する表現→ください
例1 どうか無理をなさらないでください
例2 ここからは道が狭いのでどうぞ先にお進みください
例3 新商品です。ぜひお試しください。 
<希望>
 該当する副詞→ぜひどうか
 呼応する表現→たいください
例1 ぜひ行ってみたい
例2 どうか私にもう一度チャンスをください
<順接の仮定>
 該当する副詞→もし
 呼応する表現→ならたら
例1 もし明日が雨なら明後日に24日に延期いたします。
例2 もしあのとき1点でも取れていたら試合の展開はずいぶん変わっていたと思う。
<逆接の仮定>
 該当する副詞→たとえ万一仮に
 呼応する表現→てもでも
例1 たとえ推薦入試で合格できなくても一般でチャレンジすれば良い。
例2 この選挙で万一落選でもがっかりすることはない。
例3 仮に食材を調達できたとしても、すぐには開店できない。
<比況>
 該当する副詞→まるであたかもちょうど
 呼応する表現→ようだ
例1 すぐに折れそうなくらい細い枝でまるで鳥の足のようだ
例2 あたかもそこには誰もいないかのようにひっそりと静まり返っている。
例3 床面から天井までぎっしり詰まっていてちょうどハチの巣のようだ

(2)話し言葉と書き言葉
 現在使われている日本語の中には会話の際には普通に使われていても、文章として表
記する際には不適切な語彙がある。したがって、文を書く上では「話し言葉」と「書き言葉」
とを使い分けなければならない。論作文は勿論のこと、入学願書・履歴書・自己推薦書に
記入する志願理由などの記述に際してもうっかり話し言葉を使うことがないよう留意すべ
きである。文章中に話し言葉を使えるのは、会話文を直接話法で挿入する場合に限ると
考えていただきたい。
 話し言葉は大きく次の7種類に分けられる。
<音韻の省略>
例1 私がテレビ局を志願したのは、日頃からテレビを見てるうちに番組の制作に興味を
   持ったからである。
例2 試合には勝ったけど、予選を通過しただけだったのであまり喜びは感じなかった。
例3 夜勤や残業はつらいからやだ
 例1は動詞「見る」の連用形+接続助詞「て」+補助動詞「いる」で構成されたものである
から、「見ている」と書かなければならない。同様に「来てた」は「来ていた」、「買ってない
は「買っていない」と書くのが正しい。例2は「けれど」(接続助詞)、例3は「いやだ」(形容
動詞)が正しい語彙である。
<音韻の変化>
例1 ろくに練習しなかったからやっぱり負けてしまった。
例2 本といっても漫画ばっかり読んでいた。
例3 やっと取れた休暇だからどっかに行きたい。
例4 あともう一歩のところまで攻めているのに、なぜ点が取れないだろう。
例5 早めにやっとけば後で慌てずに済む。
例6 テストではあまりいい点が取れなかった。
 いずれも発音しやすいように音韻が変化したものに過ぎない。文章に表記するには不適
切なので下記のように書かなければならない。
例1 ろくに練習しなかったからやはり負けてしまった。
例2 本といっても漫画ばかり読んでいた。
例3 やっと取れた休暇だからどこかに行きたい。
例4 あともう一歩のところまで攻めているのに、なぜ点が取れないだろう。
例5 早めにやっておけば後で慌てずに済む。
例6 テストではあまり良い点が取れなかった。
<方言>
例1 また電車に傘を忘れちゃった。 /また電車に傘忘れてしもた
例2 彼は必ず行くって言ってた。   /彼は必ず行く言うてた
例3 勝たなきゃならない試合だった。/勝たなあかん試合やった。
例4 授業を受けてもわかんない。   /授業受けてもわからへん
 「/]の左側が首都圏、関西圏の方言である。これ以外の地域では使わないので標準語
でもない。正しい表記は次の通り。
例1 また電車に傘を忘れてしまった。 
例2 彼は必ず行くと言っていた
例3 勝たなくてはならない試合だった。
例4 授業を受けてもわからない。 
<助詞の省略>
例1 今からごはん食べるにしても時間ない
 正しくは「今からごはんを食べるにしても時間がない。」である。したがって助詞「を」と
「が」が抜けている。こういう表現は話し言葉ではごく普通にみられる(特に関西弁に多
い)現象だが、文章を表記する際には好ましくない。
<文法上の誤り>
例1 学校のプールにしてはすごい深い。
 最後の単語「深い」は形容詞、つまり用言である。したがってその直前の「すごい」は連
用形「すごく」でなけれはならない。「すごい」では終止形・連体形であるのでその直後に
「深い」という用言を続けるのは文法上の誤りである。
例2 この柿はとても固くて食べれない
 いわゆる「ラ抜き言葉」の問題である。受身・尊敬・自発・可能の4種類の意味を有する
助動詞「れる」「られる」は、古語「」「らる」が使用されていた時代から厳然たる使い分け
がある。(詳しくは拙著ホームページ「菅ちやんの呟き」内の「こてんこてん」を参照)現代
語では五段活用とサ行変格活用動詞には「れる」を、上下の一段活用とカ行変格活用の
動詞には「られる」を使う。
現在ではまだ「ラ抜き言葉」は公認されていない日本語なので、
文章を書く際に使うのは好ましくない。したがって、「食べられない」と書くべきである。
<単語の短縮形>
例1 ファミレスでのバイトで接客のあり方を学ぶことができた。
例2 高校生活で最もつらかったことは部活朝練と合宿だった。
例3 最近イタ電が多くなったので、番号もメルアドも変えた。
 これらも会話では使われているが文章の表記には好ましくない。次のように省略せずに
書くべきである。
例1 ファミリーレストランでのアルバイトで接客のあり方を学ぶことができた。
例2 高校生活で最もつらかったことは部活動早朝練習と合宿だった。
例3 最近いたずら電話が多くなったので、番号もメールアドレスも変えた。
 但し、短縮形であっても既に日本語の語彙として公認されたものは使用すべきである。公
認の有無は最新版の国語辞書に掲載されているか、または新聞の「社説」などの論説文中
に使われている語彙であるかを確認すればわかる。これらの条件のいずれかを満たしてい
れば既に公認された日本語の語彙と判断してよい。
例4 私はパソコンを使うのは苦手だ。
例5 ここ数年間にフリーターが非常に増えている。
例6 住専の破綻と政府による損失補填は大きな社会問題になった。
 これらの語も短縮形であるが、既に公認された語彙である。したがって、例4をわざわざ
「パーソナルコンピュータ」、例5を「フリーアルバイター」、例6を「住宅金融専門会社」と書
く必要はない。それは原稿用紙のムダ使いであり、むしろ冗長な印象を与えて逆効果とな
る。
<流行語>
例1 試合に敗れて主将はとてもへこんでいた。
例2 あいつが教室にいるだけでうざい
例3 自宅から学校まではちゃりんこで15分だ。
 将来、日本語の語彙として公認されれば「流行語」ではなくなるかもしれないが、それま
ではやはり使用すべきではない。現状では下記のように書くべきである。 
例1 試合に敗れて主将はとても落胆していた。
例2 あいつが教室にいるだけでうっとおしい
例3 自宅から学校までは自転車で15分だ。

(3)助詞・助動詞
<列挙した事物の片方に修飾語がかかる場合>
 複数の事物を列挙するときに助詞「と」を使うが、事物に修飾語がついている場合は注
意したい。たとえば「大盛り」という語をつけた場合、誤解を招く恐れがある。
例1-1 私は大盛りのラーメンとチャーハンを注文した。
 これでは「大盛り」という修飾語がラーメンだけにかかるのか、それともラーメンとチャー
ハン両方にかかるのかが不明確である。修飾語のさす内容がABいずれか一方だけの場
合は、修飾語を伴う事物を「と」の後ろに置くことがポイントだ
例1-2 私はチャーハン大盛りのラーメンを注文した。・・・・ラーメンだけが大盛りの場合
例1-3 私はラーメン大盛りのチャーハンを注文した。・・・・チャーハンだけが大盛りの場合
 なお、両方とも大盛りである場合でも例1-1 の書き方では好ましくない。次のように明確
に表現すべきである。
例1-4 私はラーメンとチャーハンの2品を大盛りで注文した。
例1-5 私はラーメンとチャーハンをいずれも大盛りで注文した。
 また、事物に助詞「の」を伴って修飾語を後にする場合も注意が必要である。
例1-6 私はラーメンとチャーハンの大盛りを注文した。
 これも「大盛り」がチャーハンだけなのか、それともラーメンとチャーハン両方なのかが不
明確である。修飾語のさす内容がABいずれか一方だけの場合は、修飾語を伴う事物を「と」
の前に置くことがポイントだ

例1-7 私はラーメンの大盛りチャーハンを注文した。・・・・ラーメンだけが大盛りの場合
例1-8 私はチャーハンの大盛りラーメンを注文した。・・・・チャーハンだけが大盛りの場合
<3者の関係を書く場合>
例2-1この島の領有権をめぐってドイツとイギリスとフランスが戦争をした。
 この文では3者の関係が全くわからない。つまり3国がそれぞれの立場を主張して戦争に
臨んだのか1国が他の2国に対して戦争をしていたのか、2国が他の1国に対して戦争をし
たのかが不明確である。
例2-2 この島の領有権をめぐってドイツがイギリス・フランスと戦争をした。
                                ・・・ドイツが他の2国と戦争をした場合
例2-3 この島の領有権をめぐってドイツ・イギリスがフランスと戦争をした。
                            ・・・ドイツとイギリスが同盟を結んでいる場合
例2-4 この島の領有権をめぐってドイツ・イギリス・フランスの3国が戦争をした。
                            ・・・3国それぞれの利害が対立している場合
 例2-4 は「この島の領有権をめぐってドイツとイギリスとフランスとが戦争をした。」でも良
い。しかし、列挙すべき項目が多い場合は「と」ではなく「・」にすべきである。
<比喩>
例3-1 中国は日本のように島国でないので、古代から異民族の侵入に悩まされた。
 これは我々の一般常識として中国がアジア大陸内にある一大国であることが認識されて
いるから誤解を招かないだけであって、文法的には正しくないので注意したい。
例3-2 田沢湖は十和田湖のように深くない。
 こう書くと田沢湖が深くないことは伝わるが、十和田湖が深いのか否かが判然としない。
次のように書くべきである。
例3-3 田沢湖は十和田湖のようには深くない。
例3-4 田沢湖は十和田湖とは異なり深くはない。
                         ・・・田沢湖が浅く十和田湖が深い湖である場合
例3-5 田沢湖も十和田湖と同様に深くない。
例3-6 田沢湖も十和田湖も深い湖ではない。
                     ・・・・・田沢湖も十和田湖もともに深くない湖である場合
<限定>
例4-1 私は接客業には向いていると思ったので旅行代理店を志願しました。
 「接客業には」と書くと「は」が限定の意味になるので、接客業以外の業種は向いていな
いという意味になってしまう。こう書くと「それではこの受験生は接客以外の部署には使え
ないなぁ」と人事課に思われてしまう。「私は接客業に向いていると思ったので旅行代理店
を志願しました。」と表現すべきである。なお、限定の意味を有する助詞「は」は一文中1つ
までが理想だ。増やせば増やすほどわかりにくい日本語になる。
例5-1 私は釣りしません。
例5-2 私は休日に釣りしません。
例5-3 私は休日に磯で釣りしません。
例5-4 私は病気で倒れる去年まで休日に磯で釣りしていません。
 このように増やせば増やすほど文字に書かれていない部分の中身がわかりにくくなる。
「休日にはしなくても平日には釣りをするのか」とか「磯ではしなくても川では釣りをするの
か」などいくらでも言外の内容を推理する余地が出てきてしまうからである。例5-2 以下は
次のように改めるべきである。
例5-2’ 私は休日に釣りしません。
例5-3’ 私は休日の磯釣りしません。
例5-4’ 病気で倒れる去年まで、私は休日の磯釣りをしていません。
<全面否定と部分否定>
 限定の意味を有する助詞「は」+否定の「ない」をセットにして部分否定を表すことができる。
但し、「は」の位置によって否定する意味内容が変わるので注意したい。
例6-1 大谷先輩は朝のランニングをいつも速く走らない。
例6-2 大谷先輩は朝のランニングをいつも速く走らない。
例6-3 大谷先輩は朝のランニングをいつも速く走らない。
例6-4 大谷先輩はいつも朝のランニングを速く走らない。
 例6-1 は例外なく常に遅いことを意味する。したがって全面否定である。例6-2 は通常は
遅いが速く走ることもあるという意味になる。これは部分否定になる。例6-3 だと通常は速
いが遅く走ることもあるという意味になる。つまり例6−2とは逆の部分否定である。例6-4
だと速くはないことだけが強調され、普通か遅いスピードで走ることを意味する。
 よくあるのは例6-1 を書いておいて書いた本人は例6-2 や例6-3 のつもりでいる場合
(あるいはその逆)だ。正しく相手に者を伝えるためにも注意して書くようにしたい。

(4)敬語
 敬語に関しては主に面接試験や口頭試問において使用頻度が高いものであるが、本稿
では論作文試験に臨む場合や自己推薦書類に記入する際に往々にして誤りがちなものを
取り上げる。
<敬語を用いてはならない場合>
例1 ハムスターに餌をあげる時刻は午後5時に決めている。
 「あげる」は「与える」「遣る」の尊敬語である。敬語を使う対象は語り手からみて目上の人
間に限られるので、ペットに過ぎないハムスターに対して尊敬語を用いるのは誤りである。
例2 私の学校の校長先生はとてもユーモアがあります。
 これは「校長」と書くのが正解。生徒からみて尊敬語を使う対象ではあっても、志望校に
提出する書類など外部の者に対して身内の人間を話題に出す際はたとえ校長先生といえ
ども敬語を使ってならない。「先生」は敬称であるので注意しよう。
<敬語の重複>
例1 お早めにお召し上がり下さい
 「お〜ください」とは、相手に対してある動作を求める表現である。しかし、それは何の敬
意も有さない動詞にしか使えない。「召し上がる」はそれ自体が「食べる」の尊敬語である。
したがって「お〜になる」「お〜下さい」という構文に用いると敬語の重複になってしまうので、
正しい用法ではない。次のいずれかに改めるべきである。
→お早めに召し上がって下さい。・・・・・・尊敬の意味を有する動詞を使う場合
  お早めにお食べ(お飲み)下さい。・・・「お〜下さい」の構文で表現する場合
例2 明日お伺いします
 「お〜します」「お〜する」とは、自分の動作をへりくだって言う表現である。しかし、これも
例1と同様に何の敬意も有さない動詞にしか使えない。「伺う」はそれ自体が「訪ねる」「行く」
の謙譲語である。したがって「お〜します」「お〜する」という構文に用いると敬語の重複にな
ってしまう。これも次のいずれかに改めるべきである。
→明日伺います。・・・・・・謙譲の意味を有する動詞を使う場合
  明日お訪ねします。・・・「お〜します」の構文で表現する場合

(5)文体
<常態と敬体>
 まずは次の2つの文章を音読していただきたい。できれば2人一組になって一方が音読す
るのを他方が聞くという形で比べていただきたい。
例1 小学校から高校に至るまで、児童・生徒の学力低下は近年最も憂うべき教育問題で
   ある。その原因は多々あるのだろうが、私は学校五日制度を導入し土曜日の授業を
   なくしたことが最も大きいと考えている。かつては毎週土曜日にも午前中の4時間は
   授業が行われていた。年間で35週の授業が組まれていると仮定すると、土曜日の授
   業だけでも280時間にもなる。これがあるのとないのとでは大きな違いになるのでは
   ないだろうか。

例2 小学校から高校に至るまで、児童・生徒の学力低下は近年最も憂うべき教育問題で
   す。その原因は多々あるのでしょうが、私は学校五日制度を導入し土曜日の授業をな
   くしたことが最も大きいと考えています。かつては毎週土曜日にも午前中の4時間は授
   業が行われていました。年間で35週の授業が組まれていると仮定しますと、土曜日の
   授業だけでも280時間にもなります。これがあるのとないのとでは大きな違いになるの
   ではないでしょうか。

 主張している内容はどちらも同じである。しかし音読の結果耳に入ってきた印象としてはだ
いぶ変わる。なぜか。それは文体が異なっているからである。どちらも5つの文で構成されて
いるが、それぞれ文末の語句に注目しよう。
【例1の文章】 
@小学校から――中略――教育問題である。
Aその原因は――中略――考えている。
Bかつては  ――中略――行われていた。
C年間で   ――中略――280時間にもなる。
Dこれが   ――中略――ないだろうか。
【例2の文章】
@小学校から――中略――教育問題です。
Aその原因は――中略――考えています。
Bかつては  ――中略――行われていました。
C年間で   ――中略――280時間にもなります。
Dこれが   ――中略――ないでしょうか。
上記の他、文末ではない部分で2箇所異なっている部分がある。
【例1の文章】
 Aその原因は多々あるのだろうが、
 C年間で35週の授業が組まれていると仮定すると、
【例2の文章】
 Aその原因は多々あるのでしょうが、
 C年間で35週の授業が組まれていると仮定しますと、
 例1の文章は基本的に「〜だ」「〜である」という表現になっている。これを文法用語で「常
態」という。それに対して例2の文章は「〜です」「〜ます」という表現になっている。これを文
法用語で「敬体」という。あるテーマに対して自分の見解を述べる場合は次のように使い分
ける。
 常態……「書く」という方法で相手に伝える場合
       (論作文や出願書類など)
 敬体……「話す」という方法で相手に伝える場合
       (面接試験・口頭試問・スピーチ・プレゼンテーションなど)
 注意しなければならないのは常態と敬体とを混用してはならないということである。大学受
験をする生徒の場合、採点担当は大学の先生になるので『失礼があってはならない』と考え
てつい敬体で書きたい衝動に駆られる。また、特に女子は『常態では乱暴な言葉遣いに思
われやしないか』という気遣いも働いて敬体を使いたがる傾向がある。しかし、これは純粋
に自分の見解を論理的に述べるという文章なので、目上・目下といった人間関係や男女も
問わず常態で書くように心がけるべきである。
<同一表現の多用>
 まずは次の3つの文章を音読していただきたい。できれば2人一組になって一方が音読す
るのを他方が聞くという形で比べていただきたい。
例1  駅や図書館・商業施設など公共の場所におけるトイレは改修されて非常にきれいに
   なった。しかし、旧態依然として汚いままのトイレがある。それは学校のトイレだ。汚い
   だけではない。臭いも相当なものだ。トイレの前にある教室へも悪臭が漂っている。そ
   んな教室で授業を受けたり昼食をとる児童・生徒は気の毒だ。学校は子どもたちが一
   日のうちかなり長い時間を過ごさなければならない場所である。一刻も早くトイレを改
   修してもらいたい。少なくとも悪臭が廊下にまで漂うのは論外である。

例2  駅や図書館・商業施設など公共の場所におけるトイレは改修されて非常にきれいに
   なった。しかし、旧態依然として汚いままのトイレがある。それは学校のトイレである。汚
   いだけではないのである。臭いも相当なものである。トイレの前にある教室へも悪臭が
   漂っているのである。そんな教室で授業を受けたり昼食をとる児童・生徒は気の毒であ
   る。学校は子どもたちが一日のうちかなり長い時間を過ごさなければならない場所であ
   る。一刻も早くトイレを改修してもらいたいものである。少なくとも悪臭が廊下にまで漂う
   のは論外である。

例3  駅や図書館・商業施設など公共の場所におけるトイレは改修されて非常にきれいに
   なった。しかし、旧態依然として汚いままのトイレがある。それは学校のトイレだ。汚いだ
   けではないのだ。臭いも相当なものだ。トイレの前にある教室へも悪臭が漂っているの
   だ。そんな教室で授業を受けたり昼食をとる児童・生徒は気の毒だ。学校は子どもたち
   が一日のうちかなり長い時間を過ごさなければならない場所だ。一刻も早くトイレを改
   修してもらいたいものだ。少なくとも悪臭が廊下にまで漂うのは論外だ。

 主張している内容はどちらも同じである。しかし音読の結果耳に入ってきた印象としてはだ
いぶ変わる。なぜか。それは同じ常態でも文末表現が異なっているからである。どちらも10
個の文で構成されているが、それぞれ文末の語句に注目しよう。
【例1の文章】 
@駅や   ――中略――きれいになった。
Aしかし  ――中略――トイレがある。
Bそれは  ――中略――トイレだ。
C汚い   ――中略――ではない。
D臭い   ――中略――相当なものだ。
Eトイレ   ――中略――漂っている。
Fそんな  ――中略――気の毒だ。
G学校は  ――中略――場所である。
H一刻も  ――中略――改修してもらいたい。
I少なくとも――中略――論外である。
【例2の文章】
@駅や   ――中略――きれいになった。
Aしかし  ――中略――トイレがあるのである。
Bそれは  ――中略――トイレである。
C汚い   ――中略――ではないのである。
D臭い   ――中略――相当なものである。
Eトイレ   ――中略――漂っているのである。
Fそんな  ――中略――気の毒である。
G学校は  ――中略――場所である。
H一刻も   ――中略――改修してもらいたいものである。
I少なくとも――中略――論外である。
【例3の文章】
@駅や   ――中略――きれいになった。
Aしかし  ――中略――トイレがあるのだ。
Bそれは  ――中略――トイレだ。
C汚い   ――中略――ではないのだ。
D臭い   ――中略――相当なものだ。
Eトイレ   ――中略――漂っているのだ。
Fそんな  ――中略――気の毒だ。
G学校は  ――中略――場所だ。
H一刻も   ――中略――改修してもらいたいものだ。
I少なくとも――中略――論外だ。
 例2・例3の文章は読んでいてかなり違和感を受けるはずである。理由は文末の語句に
ある。最初を除くと例2の文章はすべて「〜である」という文末表現になっている。例3の文
章も最初を除くとすべて「〜だ」という文末表現になっている。これだけ同一の文末表現が
多用されると、しつこい印象を受ける。それに対して例1の方は連続して同一の表現が使
われている箇所がない。だから違和感を感じないのである。論作文を書く場合はこうした
文末の表現にも神経を遣うようにしたい。特に「〜だ」が連続するとぶっきらぼうな印象を
受ける。また「〜のである」が連続すると押し付けがましい印象を受ける。

第5章・文と文のつなぎ方
 個々の文が正しく書けるようになったら、次はそれぞれの文を上手につなぐ方法を学ぶ
ことが大切だ。つながりがないと文章全体がわかりにくくなってしまうからである。たとえば
次の文を読んでいただきたい。

  カゼで発熱したらどうするか。まずは解熱剤を飲むことを考える人が多いと思う。熱が
 出るのはカゼのウイルスが大暴れしていると考えるからだ。大暴れされたら困る。薬で
 熱を下げる。ウイルスは暴れなくなる。今まで熱が出ていた人間のからだはラクになる。
 そのように考えられていた。それは一見正しいようで実はとんでもない誤りなのである。

 個々の文自体は問題ない。言おうとしている内容はわかる。しかし、いまひとつしっくりし
ない。それは接続詞がないからである。次のようにすれば、内容は同じでも文章を読んだ
感じとしてはかなり違うはずだ。

  カゼで発熱したらどうするか。まずは解熱剤を飲むことを考える人が多いと思う。なぜ
 なら
、熱が出るのはカゼのウイルスが大暴れしていると考えるからだ。大暴れされたら
 困る。だから薬で熱を下げる。するとウイルスは暴れなくなる。そして今まで熱が出てい
 た人間のからだはラクになる。そのように考えられていた。しかし、それは一見正しいよ
 うで実はとんでもない誤りなのである。
 
 このように文と文とをうまくつないで意味上スムーズにさせる、いわば潤滑油の働きをす
るのが接続詞である。それを正しく使うことで、よい文章を作ることができるのである。接
続詞はその働きから大きく8つに大別できる。
<順接>
 前の文で述べた事柄に相応する結果を後の文で述べる場合に使う。順接とは「順態接
続」の略称である。順接の接続詞は「したがって」「だから」「それゆえ」「すると」などがある。
例・朝から台風で海上は大荒れだ。だから島への船便は始発から欠航している。
 この場合「台風で海上が大荒れ」という状況の結果として「船便が欠航する」というのは
当然の帰結として理屈にあう内容である。したがって順接の接続詞を用いる。
<逆接>
 前の文で述べた事柄に対して不相応な結果を後の文で述べる場合に使う。逆接とは
「逆態接続」の略称である。順接の接続詞は「だが」「しかし」「ところが」「でも」などがある。
例・台風一過で全国的に好天となった。だが島への船便は始発から欠航している。
 この場合「全国的に好天」という状況の結果として「船便が欠航する」というのは理屈に
合わない。したがって逆接の接続詞を用いる。
<並列>
 前の文で述べた事柄と同種のものを後の文で挙げる場合に使う。並列の接続詞は「
」「ならびに」などがある。
例・京都・奈良は古都だけに文化遺産が多い。また、鎌倉もそうである。
<添加>
 前の文で述べた事柄に別の事柄を後の文で付け加える場合に使う。添加の接続詞は
さらに」「しかも」「そのうえ」「おまけに」「及び」「ちなみに」などがある。
例・入場者数は主催者の予想以上に増え続け、この日ついに100万人に達した。しかも
 
会期をまだ2週間も残して達成された快挙である。
<選択>
 前の文で述べた内容と後の文で述べる内容のいずれか一方を選択する状況を示す場合
に使う。選択の接続詞は「あるいは」「それとも」「もしくは」「または」などがある。
例・もう一度土俵に上がるか。それとも体力の限界を認めて引退会見をするか。彼は苦渋
 の決断に迫られた。
<条件>
 前の文で述べた内容に対してある条件をつける場合に使う。条件の接続詞は「ただし
なお」などがある。
例・卒業に必要な単位数は140単位である。但し3年次までに88単位を取得しないと4年
 で卒業できない。
<例示>
 前の文で述べた内容に対して具体的な事例を紹介する場合に使う。例示の接続詞は
たとえば」がある。
例・家電製品は軽量化が進んでいる。たとえばテレビがそうだ。ブラウン管から液晶になり
 薄型化されたこともあって、持ち運びも非常に容易になった。
<転換>
 前の文・段落で述べた内容とは全く関係のない話題に切り替えるときに使う。転換の接
続詞は「さて」「ところで」などがある。
例・さて、今月に入ってから涼しい日が増えた。

第6章・段落の作り方
 論作文において段落とは、ある一つのまとまった思想の単位である。一つの段落は通
常いくつかの文から成るのが普通だが、たった一文だけで構成されることもある。段落を
改めるときは改行し、次の行頭の1字分を空けて書き出すのが原稿用紙の使い方にお
けるきまりである。その視覚的効果を狙ったためか、ある程度以上の長さになったから
という理由で改行して段落を改めようとする人がいる。しかし、それは誤りである。あくま
でも内容上で区切るべきである。まず、次の文章で検討してみよう。
  音楽を自宅で聴く方法といえば、昔はレコードを買って来てプレーヤーで演奏するしか
 なかった。FM放送を聴くという手もあったことはあったが、これは放送局側から一方的
 に流されるものを聴くしかなかったので、いつでも好きなときに聴きたい楽曲を聴くとい
 うわけにはいかなかった。仮に聴けたとしても、放送局側の都合で曲が最後まで終わら
 ないうちにDJが入ったりCMが挿入されたりで、落ち着いて音楽を楽しむことはできなか
 った。というわけで好きなときにじっくり聴くためにはレコードしかなかった。
→(第1段落)
  ところが、時代とともに音楽を楽しむ形態も恐ろしいほど変わった。まず「買う」のでは
 なく「レンタル」することができるようになった。レンタル業界はどこもだいたいそのレコー
 ドの小売価格の10%でレンタルしていた。2000円のレコードなら当日返却で200円と
 いうわけだ。借りるのだから当然返さなければならないが、カセットテープに録音してしま
 えばいつでも聴きたい時に楽しむことができた。テープ代が別途200円程度かかるもの
 の、それでも合計400円程度で済んだからレコードを買うことを考えれば経済的な負担
 はかなり軽減された。著作権が問題になったのはこの「レンタル」業界が繁盛して、レコ
 ードそのものの売り上げが下がり始めたからである。
→(第2段落)
  80年代の後半からはレコードがCDに取って代わった。針を音溝にトレースするレコー
 ドに対し、CDは非接触方式だったので再生回数を重ねることによる音質の劣化がなか
 った。だからCDをカセットテープに録音して何度も再生すると音質の差がかなり出た。や
 はり良い音質で楽しむのなら「借りる」のではなく「買わ」なければダメだと言われたが、
 そのカセットテープも同じく非接触方式のMDに取って代わりこの問題も解消されると、や
 はりレンタル店からCDを借りてMDに録音する人が圧倒的に増えた。また、再生回数を
 重ねても音質の劣化がないという特長はCDに「中古」という新たな市場が参入できる要
 素を生み出した。中古のCDを購入しても新品と同様に良質な音質で聴くことができるか
 らである。さすがにリリースされたばかりの新譜を手に入れることはできないが、何ヶ月か
 すれば小売価格の半額程度で買えるようになる。CDを購入したもののすぐに聞き飽きて
 中古店に売りに出す人もいるからだ。こうなると1枚のCDが複数の人の手に渡ることに
 なり、やはりCDの売り上げが下がってしまった。
→(第3段落)
  パソコンや携帯電話が普及した現代は、レンタル市場や中古市場に加えてネット市場
 も参入してきた。ネット上で配信される楽曲をパソコンや携帯電話にダウンロードできる
 ようになったからである。だからCDを取り巻く状況はそれまでとは比較にならないほどま
 すます厳しいものになった。もはや音楽はお店に足を運んで買う時代ではなくなってしま
 ったのである。それもポップスなら1曲200円程度でダウンロードできる。携帯電話への
 着メロをダウンロードするなら何十円もしない。ダウンロードにかかる通信費用は別途負
 担になるが、ほとんどの人は携帯電話かパソコンのいずれかを所有しダウンロードの有
 無に関わらずプロバイダーや携帯電話会社に料金を支払っているので、これを利用しな
 い手はないとばかりにダウンロードして楽しんでいる。「デジタルコンテンツ白書2005」
 によると2004年度のCDの売り上げは5078億円とまだまだ不動の地位を確保してい
 るものの、前年度比の成長率は98.2%で下降したとの調査結果を公表した。それに対
 しインターネットによる音楽配信サービスはまだ36億円にとどまるものの前年度比では
 211.8%、「着うた」などの携帯電話向けのサービスは1099億円だがこちらも前年度
 比122.5%で、成長の勢いはすさまじいものがある。
→(第4段落)
  今後は安価に気軽にダウンロードできるネット市場が繁盛するだろうから、このままで
 はますますCDの売れ行きが下がってしまう。したがってCDが音楽市場で生き延びるた
 めには、まず価格そのものを見直さなければならないだろう。現在の日本のポップスでみ
 ると、シングルで税込み1050円、アルバムで同じく3090円が相場だが、1曲200円で
 ダウンロードできる時代になったことを考えるとシングルは500円、アルバムでも2000
 円程度に下げて、ネットで購入する際の価格との格差を縮めるべきだ。また、ジャケット
 の中身など楽曲以外の付加価値も高めなければならないだろう。CDにはCDの良さが
 ある。アーティストの写真や歌詞カード、初回限定盤につく特典などをさらに充実させて、
 ネット市場では得られないものを提供してほしい。そうしないと、かつてのLDがDVDに
 敗れて消え去ったのと同様に、CDそのものが音楽市場に生き残れなくなってしまう。

                                              →(第5段落)
 上記の文章は拙著『言わせて頂戴』の114「音楽CDは生き残れるか」というタイトル
で書いたものである。全体が5段落から構成されているが、個々の段落の要旨は次の通
りだ。
 第1段落→音楽を聴く方法について。昔はレコードを買ってプレーヤーで演奏するしか
        なかった。
 第2段落→時代とともに音楽を楽しむ形態が恐ろしいほど変化した。レコードは買うだ
        けでなく低廉な価格でレンタルできるようになった。このためレコードその
        ものの売り上げが下がり始めた。
 第3段落→レコードはCDにとって代わる。再生回数を重ねても音質の劣化がないとい
        うCDの特長はレンタル市場に加えて中古市場を生み出す結果となった。
 第4段落→パソコンや携帯電話の普及に伴い、ネット市場も参入した。消費者はお店
        に足を運んで買わなくても安価にダウンロードして入手できるようになった。
        インターネットによる音楽配信サービス産業の売上高はものすごい勢いで
        上昇している。
 第5段落→このままではCDは音楽市場に生き残れなくなる恐れがある。そうならない
        ためには楽曲以外の付加価値を高めてネットでは得られないものを提供す
        べきである。
 個々の段落とは人体に例えるならば、「大腿骨」「肩甲骨」といった各部位の骨である。
そして段落と段落の境が、骨と骨とを結ぶ関節である。大腿骨には大腿骨の役割が、肩
甲骨には肩甲骨の役割があるのと同様に、個々の段落ではある一つのまとまった思想
を述べなければならない。それには、レンタル市場ならレンタル市場の話、ネット市場なら
ネット市場の話という具合に、一つの話題を一つの段落で論述するのがコツである。

第7章・構成
 論作文とはあるテーマについて自分の見解を論理的に述べる文章である。したがって、
当然、全体の構成をしっかり考える必要がある。書き出しから最後まで漫然と書くのでは
ただの「感想文」に堕してしまう。

(1)全体の配分
 論理的な文章を書く上で大切なことは、話の導入の部分・本題の部分・結びの部分とい
う3本柱を立てることである。これらを専門用語で「序論」「本論」「結論」という。この3本柱
は建築でいうと骨組みの部分にあたる。当然のことながら、この3者の境界では段落を改
めることになる。どこまでが序論でどこからが本論かがわからない文章では、もはや合格
答案とはなりえない。また、この3者の量的な配分も考えなければならない。原稿の半分
以上を話の導入に費やして、本題に入るのが後半からという構成では不合格だ。基本的
には3本柱の量的な配分は次の通りである。
 序論→10%前後・・・全体が600字なら60字、800字なら80字を目安とする。
 本論→80%前後・・・全体が600字なら480字、800字なら640字を目安とする。
 結論→10%前後・・・全体が600字なら60字、800字なら80字を目安とする。
 したがって、書き始める前に原稿用紙(試験では解答用紙)にチェックを入れてその範
囲内で記述する癖をつけておくのがコツだ。また、論作文の試験では字数を指定される
が、その際は最低でも指定された字数の80%は記述しなければならない。たとえば、指
定字数が「800字以内」ならば、最低640字は書かなければ原稿量不足で不合格となる。

(2)序論
 序論とは論作文全体における導入部分である。しかし導入だからといっておろそかにし
て良いというものではない。論作文の場合は単なる前置きに堕してはならないのだ。むし
ろ、導入部分こそ大切だと考えるべきであろう。なぜかというと、序論では読者―入社・入
学試験の場合は採点担当者―に興味・関心を惹起させるような書き方を要求されるから
だ。書き出しに失敗すると「この答案は最後まで読む価値はなさそうだな」という先入観を
採点担当者に与えてしまう。それではいかに後で建設的な見解を披露しても合格答案と
はなり得ない。では、どう書けばよいか。具体的な方法は次の3点だ。
<読者に問いかける>
 テーマに対してある問題提起をすることで読者に「ん?」と考えさせることができる。それ
が興味・関心を惹起する手だ。この方法は、一般的に常識とされている事柄と逆の結論を
導きたいときに効力を発揮する。
例・ かぜをひいて急に発熱したらどうするか。たいていの人は解熱剤を飲んで熱を下げ
  ることを考えるに違いない。熱が出ているのはかぜのウイルスが大暴れしているから
  で、薬の力で熱を下げないとますます熱が上がって症状が重くなってしまう。だから解
  熱剤を飲む。同様に下痢をしたら下痢止め、咳が出たら咳止めという具合に症状が出
  たらとにかく薬で抑えることを考える。しかし、そのような対処法は果たして正しいのだ
  ろうか。
 上の例では「発熱したら解熱剤を飲む」という世間の常識があるので、それを取り上げて
「それは果たして正しいのか」と問いかける。そうすると、読者は「薬剤に頼るのは誤りなの
か?」と考えさせられる。こうして読者に興味・関心を抱かせ、先を読みたくなる心境にさせ
るのである。
<いきなり結論を提示する>
例・ 自家用車とは全く縁のない私だが、車にも流行があることは何となくわかる。最近は
  角ばったデザインの車が目立って増えている。降雨時に使うワイパーが普段はフロント
  ガラスの下側に隠れている車も多くなった。カーナビも標準装備になったのだろう、今
  ではほとんどの車に取りつけられている。そんななかで、迷惑な流行が一つだけある。
  それはフロント以外の窓ガラスが全て黒くなったことだ。これは交通事故防止上、非常
  に危険なことだと思う。
 上記は拙著『言わせて頂戴087クルマの窓ガラスについて一言」の序論である。青字
になっている部分がこの話全体の結論になっている。もちろん、結論の段落ではより詳細
に述べているのだが、序論に自分の言いたいことを提示することで読者に関心をもたせる
ことができる。また、この方法の特長は最後まで読まなくても書き手の見解がわかることに
ある。これは論作文試験の場合は有利である。受験生の意見が最後までなかなか出てこ
ない作文では、採点担当者の評価も低くなりがちだからだ。特に、次に示す例のように「×
×について賛成か反対か」という二者択一式のテーマでは、序論の部分で賛否を明らかに
するように書くべきである。
例・ 脳死を人間の死とみなすか?この問題は医学界はもちろんのこと、各国の社会全体
  でも長い間議論がなされてきた問題である。我が国では脳死を認めない人も多いようだ
  が、私は「死」とみなすべきだと思う。理由は次の3点にある。
<身近にあった出来事を具体例として提示する>
例・ 東京の小学生で犬と豚との区別がつかない子がいる、という話を新聞で読んだ。この
  話を多くの人に話すとみんな「まさか」という顔をする。私もはじめはそう思った。いくらな
  んでも犬と豚では間違いようがないではないか、と。しかし、どうしてそういうことがある
  だろう、ありうるのだとしたらなぜだろうと、あれこれ考えていくうちに、だんだん私もその
  話を「なるほど」と思うようになった。

 上の文章は評論家でもあり哲学者でもある中村雄二郎『考える愉しみ』所収「コモン・セン
スとは何か」からの一節である。序論において自分が読んだ新聞記事の話を具体例として
提示している。このように具体例から入って読者に興味・関心を持たせるのも序論の書き
方の一つである。その際、提示する具体例は新鮮で意外性のあるものが好ましい。当たり
前な内容や平凡な出来事では読む側の興味・関心を惹起させることはできないからである。

(3)本論
 本論は論作文における中心部分である。与えられたテーマに対する自分の見解をじっくり
と述べる部分である。序論では読者に興味・関心を惹起させることが鍵であったが、本論で
は説得力の有無が決め手になる。それには論理的であること、そして机上の空論にならぬ
よう自分の見解を支持する具体例を挙げることが必要である。そして最後に求められるの
は前向きな、建設的な見解であるかであろう。ではどう書けば良いか。次の点にある。
<問題点や原因を指摘し改善案を提示する>
 現在採用している方法に対する問題点を指摘し改善案を述べる場合、またはある結果に
対する原因を指摘し、そのような結果を2度と出さないようにするための改善案を提示する
場合の書き方がある。下記の文は拙著『言わせて頂戴』の078苦痛なく過ごせる避難場
所を
』という題で書いたものである。やや長いのだが全文をここに掲載する。
  10月23日夕刻、新潟県中越地方は震度6強の地震に見舞われた。以前、このコーナ
 ーで阪神淡路大震災の際には報道のあり方を論じたが、今回は被災民が生活する避難
 所について論じたい。災害が発生すると、まず、最寄りの学校の体育館・グラウンドが避
 難所となる。今回の地震でも被災民が続々と避難所に集まってきたが、被災民を最寄り
 の学校の体育館に収容しておけば良しとする発想は根本的にまちがっている。その理由
 は次の3点だ。

 ここまでが序論である。最寄の学校の体育館を被災民の生活の場とする現状の方式に
対して異を唱えることで読者の関心を惹こうとしている。
  第一に、学校の体育館は避難生活の場所としては、きわめて不適当であるからだ。長
 所は大勢の人を収容できる機能しかない。あとは短所ばかりだ。まず、空調設備がない。
 だから、今回の地震のように寒い季節に起これば暖房器具を持ち込むしかない。しかし、
 天井がきわめて高いから、床に座っている被災者にとってはほとんど効果がない。寒い
 だけではない。プライバシーも保てないし、夜中でも電気がつけっ放しだから、到底、安
 眠できる環境ではない。風邪を引く人も当然出るし、ストレスで体調を悪化させる人が出
 るのも目に見えている。 阪神・淡路大震災を体験した私に言わせれば、体育館は、とり
 あえずの一両日を過ごすだけの空間に過ぎない。台風が接近して土砂災害の恐れがあ
 るから、台風が通過するまでの一晩を体育館で過ごす程度なら、我慢もできよう。しかし、
 いつになったら自宅へ戻れるのかもわからないまま、1週間も2週間も過ごすような場所
 ではないのである。
  第二に、被災地では余震が断続的に起こるからである。被災者は既に、本震で強い精
 神的苦痛を受けているのである。着の身着のまま、命だけでも助かった被災者の本心は、
 もうこれ以上、地震のない場所で過ごしたいのである。被災地の避難所では、何度も余
 震が起こるから、そのたびに恐怖感に怯えながら過ごすことになる。現に今回の地震で
 も本震ではなく余震でショック死した被災者も出た。これでは何のための避難かわから
 ない。
  第三に、被災地では被災民の生活自体に不自由が生じるからである。被災地に救援
 物資を輸送しようにも、肝心の道路や鉄道が寸断されている。陸路がダメなら空輸する
 しかないが、ヘリコプターの輸送量には限界がある。阪神・淡路大震災の場合も全国か
 らたくさんの救援物資が届いたが、充分な量は行き渡らなかった避難所がずいぶんあっ
 た。また、被災地では電気もガスも水道もない。大地震だとライフラインの復旧には1〜
 2週間を要する。それまで風呂や洗面などは我慢するしかない。最も深刻なのは便所だ。
 私は阪神・淡路大震災で実際に体験したので、現実を敢えて言わせてもらうが、被災地
 の避難所では水道がないから、排泄物を流すことができない。だから、体育館に設置さ
 れている便所は使えないのである。校庭の片隅に穴を掘って、簡素な囲いを設けて、そ
 こで用を足すしかないのだが、被災民が大勢いるので、たちまちうんこの山になる。風の
 吹かない日は排泄物から出るものすごい臭気が体育館内にも流れ、そのために嘔吐す
 る被災民もいて、じつにおぞましい光景であった。

 ここまでが本論の前半部分である。被災民を最寄の学校の体育館に収容する現状の方
法に対する問題点を3点挙げている。この場合、箇条書き形式にして一つの問題点に対し
て一つの形式段落を設定する。そして各段落の冒頭にその段落の結論を書く。上記の文
章では次の3つの文がそれに該当する。
 第一に、学校の体育館は避難生活の場所としては、きわめて不適当であるからだ。
 第二に、被災地では余震が断続的に起こるからである。
 第三に、被災地では被災民の生活自体に不自由が生じるからである。

 このようにそれぞれの形式段落の冒頭に「第○に・・・である」という書き方でその段落の
結論を先に提示する。その後その結論に対する詳細な説明や理由・具体例などを展開す
るのがコツである。では原因や問題点の指摘した後の文章を見てみよう。
  以上の理由で被災地の避難所は避難生活の場所として適切ではない。では、どうすれ
 ばよいか?被災民を被災地ではない地域に移送すればよいのである。道路がつながっ
 ていればバスで運べばよいし、陸路が寸断された地域なら、学校の校庭にヘリコプター
 を着陸させて、ピストン輸送すれば良い。大地震といっても、日本全国が壊滅状態にな
 るわけではない。今回の新潟県中越地震でも、住民に避難勧告が出された地域は小千
 谷市・川口町などの一部の市町村に過ぎず、きわめて限局している。新潟市・新津市・
 上越市・村上市など、被災していない地域は県内にいくらでもあるのだ。県内で足りな
 ければ隣接の都道府県でも良い。被災地ではない場所に被災民を移送すれば、食糧
 などの救援物資も容易に運べるし、何よりも被災民を余震に怯えさせずに済む。移送し
 た被災民は各地の旅館・国民宿舎・ビジネスホテル・青少年の家などの宿泊施設に収
 容すれば良い。傷病等で治療の必要がある被災民は、もちろん病院に収容する。非常
 事態なのだから、民間の宿泊施設・医療施設もこうした被災民を当然受け入れるべき
 であるし、移送その他に伴う費用は国家で賄うべきである。宿泊施設なら、プライバシー
 も風呂も安眠できる環境も整っている。たとえ、ビジネスホテルのシングルルーム1室に
 家族4人を割り当てられて収容されたとしても、被災地の体育館で過ごすよりは、はるか
 にマシである。極論すれば、刑務所の独房でも被災地の体育館よりはマシだ。夜寝る空
 間はあるし、暖房もある。刑務所なら風呂もあるし、排泄物がちゃんと流れるトイレもつい
 ている。

 ここまでが本論の後半部分である。長引く避難生活をどこで過ごしてもらうようにすべきか
という改善案を提示している。ここでは改善案が一つだけしか提示されていないが、もし複
数ある場合は上記の本論前半部分で示したとおり、「第一に・・・」「第二に・・・」と箇条書き
形式にして形式段落を設定して述べれば良い。以下の一段落が結論である。
  我が国は世界有数の地震国である。今後もこのような大震災が何年かに一度の割合
 で発生する恐れがあることも、学識者によって既に予想されている。これからは、本震後
 に最寄りの避難所に避難してきた住民を、速やかに被災地ではない場所に分散して移
 送し、避難生活の不自由や精神的苦痛を少しでも軽減できる場を提供するべきである。
 そういう発想がどうして出てこないのか?私には理解できない。被災民を最寄りの学校
 の体育館に収容しておけば良しとする発想は、もう願い下げである。大地震後、長期に
 わたって避難生活を強いられる場所のあり方を、行政はもっと真摯に考えてもらいたい
 ものだ。

<自分の体験を具体的に述べる>
 これは自己の長所や素晴らしさをアピールする課題に適した書き方である。さっそく下記
の文章を見ていただきたい。これは「クラブ活動からあなたが得たものは何か」というテー
マで書かれたものである。
  私は3年間、バレーボール部で頑張ってきた。他の部員に比べて技量がずば抜けて優
 れていたわけでもなく、またチームの主将として仲間を引っ張る存在でもなかったが、そ
 れでも日々の授業からでは教わることができないものをたくさん学ぶことができた。特に、
 自分を犠牲にしてでもチームに尽くし仲間を生かす」という姿勢が、私がクラブ活動から
 最も得たことである。これが私のバレーボール部員としてのありかたを大きく変えさせてく
 れたからだ。

 ここまでが序論である。「自分を犠牲にしてでもチームに尽くし仲間を生かす姿勢」が私の
得たものだと述べているが、このように序論でまず出題に対する答えをずばり書いてしまう
のが良い。そして本論で具体的にどうやってそれを得ることができたのかをじっくり書くので
ある。
  バレーボールの試合でコートの中に入れる選手はわずかに6人だ。控えの選手を含め
 ても試合に出ることのできる人数は限られている。私の学校では約40人の部員がいたか
 ら、試合には半分どころか3人に1人も出られない。自分が出場選手登録から外されてし
 まうと公式戦の当日は観客席から仲間がプレーをする姿をじっと見ているしかない。私は
 部員の中ではあまり技量が上達しなかったから、観客席でふてくされて試合を見ていたこ
 とが多かった。自分を選手に登録してくれなかったことに対する悔しさもあったし、他の部
 員が出場しても『どうせ誰が出てもうちの高校は勝てないのだから』という投げやりな気持
 ちもあったからである。
  しかしそれでは勝てる試合にも勝てなくなってしまうことをある先輩から教えられたのだ。
 その先輩も私と同じくあまり技量が上達しなかった。だから出場選手登録から外されて観
 客席から試合を見守ることが多かったのだが、それでも先輩は試合中ずっと声を嗄らして
 懸命に応援していた。そして私にこう諭してくれた。「バレーボールは雰囲気に左右されや
 すいスポーツだ。試合に出られない部員が出場している選手の闘志を奮い立たせるよう、
 チームのムードを盛り上げていかなければ勝てる試合も勝てなくなる。だからお前も声を
 出してしっかり応援しなければダメだ。」と。今まで自分が出場の有無に関係なくチームが
 負けることも多かったが、最初はそれを「もともとうちの学校が弱いから負けるのだ。」と
 頭から決めつけていた。しかし、みんなで試合に勝とうとする雰囲気を作って私も精一杯
 応援するようにしたところ、不思議なほど試合に勝つことが増えたのである。そして勝ち
 試合が増えるにつれて、部員間の人間関係も和やかになり部内のムードも明るくなって
 きたのである。こうして私は自分を犠牲にしてでもチームのために全力を尽くすことの素
 晴らしさを実感した。

 ここまでが本論である。大部分が自分の体験談であるが、自己をアピールする場合は抽
象的な理論をふりかざすよりも生の体験を語りいかに自分が素晴らしいものを学んできた
かを訴える方が良い。そうすれば説得力が高まるのである。

(4)結論
 結論は論作文における締めくくりの部分である。本論で述べたことをふまえて最も言いた
いことを一言でまとめるようにしたい。本論の稿でも取り上げたが、拙著『言わせて頂戴
078苦痛なく過ごせる避難場所を』の結論部分が下記である。長すぎないようにする
こと、そして、序論・本論を読まずに結論部分だけを読んでも何を言おうとしているのかが
明確に伝わるように書くのがコツである。
  我が国は世界有数の地震国である。今後もこのような大震災が何年かに一度の割合
 で発生する恐れがあることも、学識者によって既に予想されている。これからは、本震
 後に最寄りの避難所に避難してきた住民を、速やかに被災地ではない場所に分散して
 移送し、避難生活の不自由や精神的苦痛を少しでも軽減できる場を提供するべきであ
 る。そういう発想がどうして出てこないのか?私には理解できない。被災民を最寄りの学
 校の体育館に収容しておけば良しとする発想は、もう願い下げである。大地震後、長期
 にわたって避難生活を強いられる場所のあり方を、行政はもっと真摯に考えてもらいた
 いものだ。


第8章・出題形式とその対策
 試験科目に「小論文」と掲げている学校や会社は数多くあるが、その出題形式はさまざ
まである。受験する生徒はどのような出題形式なのかを過去の出題内容を参考にして事
前に調べておくほうが良い。試験における出題形式は次の3通りで、そのいずれかで課せ
られる。

(1)自由論述形式
 何らかの課題が出されて、制限字数の範囲内で自由に論述する、昔からあった小論文
試験の出題形式である。課題に関しては具体的なものと抽象的なものとに分かれる。
<具体的な課題>
例・高度情報化社会についてあなたの所感を述べなさい。
 ここでは受験生が世の中のさまざまな出来事に対して日頃からどれだけ知識を仕入れ、
具体例をいかに豊富に持っているかが問われる。上記の課題に対しては次の3点を押さ
えなければならない。
1・序論において、高度情報化社会とはどういう社会かを自分なりにとらえる。そのうえで、
 どのような特長があるかを挙げる。
  (例・最新の情報を随時入手できる。場所を選ばず情報の送受信ができることなど)
2・本論の前半部分で高度情報化社会の問題点を挙げる。
  (例・個人情報の漏洩。過度の情報に振り回されてしまうことなど)
3・2で挙げた短所について我々はどのように克服すべきかを述べる。
  (例・情報管理の方法の改善・情報を取捨選択する能力の育成など)
 1や2については新聞や時事キーワード集などによってあらかじめ知識を仕入れておか
なければならない。そして机上の空論に終わらぬよう、身近な具体例も豊富に盛り込む必
要がある。そのためには高度情報化社会がもたらした事件としてどういうことが過去に起
こったかも新聞などでチェックする必要がある。たとえばフィッシング詐欺や迷惑メールな
どだ。3に関しては自分なりの解決策を述べるわけだが、前向きな建設的な内容にするこ
とが鍵である。
<抽象的な課題>
例・人は何のために生きるのか。
 ここでは受験生の思索の力量が問われる。こういう抽象的な課題の場合、受験者がど
んな人生を生きてきたか、今後どんな人生を歩もうとしているのかを出題者は問うている。
したがって自分をアピールするように書くのが鍵である。上記の課題に対しては次の3点
を押さえなければならない。
1・まず主題を限定する作業を先にする。人生をどうとらえているか。 どういう人生に意義
 を認めているのか。 あらかじめ自分の考えを頭の中でまとめておきたい。
2・哲学めいた抽象的な論をふりかざすのは好ましくない。自分自身の体験を語り、いか
 に自分が有意義な人生を歩んでいるかをアピールする。それができなければ自分が出
 会った尊敬できる人を例にあげて、その人の生き方のどんな点に共感しているのか、ど
 ういう生き方を自分の目標としているのかを述べる。
3・論述に際しては序論で人生についてどう考えているかをまとめて具体例に進む方法と
 いきなり具体例から入って一般論を導く方法がある。時事問題を論述するわけではない
 ので新聞などによって情報を仕入れる必要はないと考えがちだが、じつはそうではない。
 新聞では各方面で活躍されている方をかなり紹介しているからだ。日頃からそういう記
 事には目を通し、自分なりの人生観・社会観を築き上げておきたい。これは面接試験に
 おいても言えることである。この手の課題で付け焼刃的な対応は決して通用しないので
 早めの準備が必要だ。

(2)課題文提示形式
 何らかの文章が出されて、それをもとに論述する出題形式である。課題文を要約をした
うえでそれに対する見解を述べる場合と課題文の要約をなしに受験生の見解を述べる場
合とに分けられる。いずれの場合も提示された課題文を正しく読解する力が求められる。
その文章が何を言おうとしているのかがわからないと、テーマとは的外れな論作文を書い
てしまう恐れがあるからである。課題文の種類も出題する学校や会社によって多種多様
である。下記の例でもわかるように、必ず評論文が出されるとは限らないので注意したい。
例・次の文章を読み、あなたの考えを述べなさい。
  真夜中に電話が鳴った。市立の大病院で婦人科の研修医をしている私は、
 大変な電話嫌いになっていた。電話一本で数時間は起こされることになり、
 翌日は気分がすぐれないからだ。とはいえ仕事である。
 受話器を取ると看護婦が言った。患者さんが眠れないそうです。
 診ていただけませんか。
  患者の病室は北病院3階。婦人科の癌病棟だ。
 私のいつもの担当ではなかった。
  病室へ向かう途中で、廊下の壁にぶつかる始末。
 まだ、目が覚めていないな、そう思った。
 休ませることはできる。
  一体どんな患者だろうか、と私は考えた。不安で寝つけない
 年配の女性だろうか、それとも容態が急変した患者だろうか。
  ナース・ステーションでカルテを受け取った。看護婦が、
 かいつまんで教えてくれたところでは、患者は二十歳の女性で、名はデビー。
 卵巣癌で絶望的だという。ひどい嘔吐に襲われているらしい。
 多分、痛み止めと点滴のせいだ。やれやれ、かわいそうに。
  病室に近づくと、大きなあえぎ声が聞えてきた。
 中に入ると黒い髪のデビーがいた。やつれ切っていて、二十歳とは思えないほど老けて見えた。
  デビーは酸素吸入と点滴を受けていた。ベッドの上で体を起こしており、
 ひどい呼吸困難に陥っていた。カルテによれば、体重は36kgだった。
  やはり髪の黒い中年の女性がデビーの右肩のそばに立って、彼女の手を握りしめていた。
 生きようとするデビーの絶望的な努力が病室にあふれていた。
  デビーの目はうつろだった。この二日間何も食べず、一睡もしていないのだ。
 化学療法も効果がなく、今はただ彼女の生命を引き延ばす
 措置がとられているだけ。むごい光景だった。
 こんなにも若くして、人生の可能性の全てが断ち切られようとしている。
  彼女は私に言った。「もう終わりにして。」その一言だけを。
  考えをめぐらせながら、私はナース・ステーションに戻った。
 患者は疲れており、休息が必要だった。
 私には彼女の健康を取り戻すことはできない。
 だが休ませることならできる。
  硫酸モルヒネ20mgを注射器に用意するよう、看護婦に頼んだ。これで十分だ。
  ようやく安息が訪れた。
  病室に戻り、二人の女性に言った。これでデビーは休めます。
 もう、苦しまずにすみます。デビーは注射器に目をやった。
 そして目を開いたまま枕を頭につけ、世界の見納めをするかのように病室の中を眺めた。
  私は彼女の静脈にモルヒネを打った。そして計算通りにその効果が表れるかどうか、
 じっと見守った。
  数秒後、彼女の呼吸数は平常値に落ちた。目が閉じ、顔つきも穏やかに・・・・・・。
 やっと安息が訪れたのだ。眠ったデビーの髪を、中年の女性がなでていた。
  続いて呼吸機能が低下するはずだった。
 まさに時計のような正確さで、呼吸数は4分もたたぬうちにさらに減り、
 そして不規則になり、ついには停止した。黒い髪の中年女性にも、
 ほっとしたような表情が浮かんだ。
  終わったよ、デビー。

 上記の文章はあるアメリカの研修医が勤務先の病院で安楽死に手を染めた手記『終わ
ったよ、デビー』の翻訳物である。原文の手記は『全米医学協会ジャーナル』1988年1月
8日号に初めて掲載された。日本語版は『ニューズ・ウィーク』同年4月7日号に掲載され、
サブ・タイトルには「末期癌の患者を死に導いたある研修医の手記」となっていた。
 さて、このような課題文を読んでどう書くか。「二十歳で末期の癌にかかるなんてデビー
は本当にかわいそうだと思った。」などと書いても始まらない。それでは小学生の感想文
に堕してしまう。あくまでも論作文である以上はテーマに即して理路整然と述べなければ
合格できない。したがって次の3点を実践することだ。
1・課題文を最後まで丁寧に読む。
 「時間がないから結論部分だけを読もう」などと横着なことを考えてはいけない。最初か
ら最後まで神経を集中させてしっかり読む姿勢が大切だ。もちろん、一度読んだだけでは
わからなかったら二度三度と繰り返し読む必要がある。
2・この文章の主題をつかむ。
 つまり、出題者側が受験生に何を問うているのか、何をテーマに書かせようとしているの
かを読み取る作業を始める。上記の例なら、「たとえ患者本人による懇願があったにして
も、医師によって故意に患者の生命を縮める行為の是非」が主題になる。それがわかるか
否かで合否が決まってしまう。そのためにも課題文の読み込みが大切なのである。
3・主題に沿って執筆する。
 主題がわかったら(1)の<具体的な課題>と同様に書き進めればよい。なお上記の例
で書く場合、結論として医師による安楽死を医療行為として是認できるか否かを論じるこ
とになるが、その意見そのもので合否が決まることはない。きちんと根拠や理由を挙げて
説得力のある文章を書けば、結論はどちらでも問題はない。むしろ採点担当者のご機嫌
を取ろうとして先方に迎合するような意見を無理に述べることこそ問題である。しっかり自
分の意見を披露しよう。

(3)データ提示形式
 ある事象についてのグラフや図表・統計などが出されて、それをもとに論述する出題形
式である。この手の問題は、まが提示されたデータを性格に読み取る力が求められる。
たとえば、ゴミの排出量のグラフが出たら環境問題に対する取り組みについての見解を、
我が国の世代別の人口の表が出たら少子高齢化社会についての見解を求められてい
るのだと即断しなければならない。やや古いデータで恐縮だが、具体的には次のような出
題がなされる。
例・次のデータは1985年に総理府の実施した世論調査である。質問Aは「あなたがプラ
イバシーを侵害されたと感じるものは何か」、質問Bは「あなたが他人に知られたくない個
人情報だと思うものは何か」であり、いずれも得られた回答を上位から順に10位まで並
べてある。これを見てあなたの考えを述べなさい。なお、回答は複数回答で行なわれたこ
と、(  )内は4年前に実施した前回調査の値である。
 <質問Aの回答>
  1位・ダイレクトメール(宛名広告)が頻繁に舞い込む。      33.2% (16.3%)
  2位・自分や家族のことについて嘘を言いふらされた。      30.8% (34.9%) 
  3位・自分に関する情報が知らぬ間に集められ利用された。   30.4% (28.3%)
  4位・自分の過去の経歴を言いふらされた。             24.5% (22.8%)
  5位・嫌がらせの電話がたびたびかかってくる。           22.9% (16.8%)
  6位・他人に家の中を覗かれた。                    21.3% (19.3%)
  7位・保険などの強引な勧誘を受けた。                20.0% (14.8%)
  8位・知人を通じて興信所が自分に関する情報を収集した。   18.8% (18.3%)
  9位・勝手に写真を撮られた。                       17.3% (12.7%)
 10位・役所が届け出用紙に直接関係ないことを書かせた。     12.2% (12.0%)
 <質問Bの回答>
  1位・年収・財産状態・納税額などの記録。             48.4% (34.8%)
  2位・家族・親族等家庭生活の状況。                 21.0% (12.9%) 
  3位・支持政党・宗教などの主義信条の記録。           16.3% (11.6%)
  4位・病歴・身体の障害などの記録。                 14.6% ( 8.2%)
  5位・年金・生活保護などの公的扶助の受給の有無。       13.9% ( 7.6%)
  6位・学歴・職歴など過去の記録。                   13.1% ( 8.1%)
  7位・職種・地位・団体加入の有無。                  10.4% ( 6.7%)
  8位・結婚暦・離婚暦。                            9.8% ( 5.9%)
  9位・現住所・電話番号。                          8.1% ( 3.2%)
 10位・交通違反の記録。                             7.4% ( 3.7%)
この手の対策は次の3点である。基本的には(2)課題文提示形式と同様に考えれば良い。
1・データを丁寧に読む。
 前項の「課題文提示形式」でも述べたことだが、データは隅から隅まで丁寧に読むことで
ある。「第1位のデータだけ見よう」とか「最新のデータだけ見よう」などと考えてはいけない。
上記の例題のように10位まで掲載されているのならば、少数回答も含めて全体を見る必
要がある。また新旧2つのデータが出ているのならば、当然両者を比較しその相違も読み
取らなければならない。
2・データから主題をつかむ。
 つまり、出題者側が受験生に何を問うているのか、何をテーマに書かせようとしているの
かを提示されたデータから読み取る作業を始める。上記の例なら、「高度情報化社会にお
けるプライバシーの保護」が主題になる。そして具体的には個人情報漏洩の問題を取り上
げたり、マスコミによる過度の取材活動を表現の自由とのかねあいで論じることになる。主
題を正確につかまないと論文そのものが的外れな内容になるので、いくら優れた内容の文
章を書きあげたところで合格答案にはならない。
3・主題に沿って執筆する。
 主題がわかったら(1)の<具体的な課題>と同様に書き進めればよい。

第9章・論作文に対する日頃の取り組み
 論作文に一夜漬けといった付け焼刃的な対策は決して通用しない。たとえ自分の考えを
しっかり持っていたとしても、たとえ口頭では理路整然と語ることができたとしてもである。
それをいざ原稿用紙に書こうとすると、自分が思っていた以上になかなかうまく書けないも
のなのだ。そこで試験会場ですらすらと書けるようにするために、本章では日頃から取り組
んでおきたいことを取り上げる。

(1)新聞を読む
 世の中で今起きているできごと、それぞれの分野のニュースをいち早く知るのならテレビ
を見るだけで良い。しかし、新聞はそれらのニュースに対して専門家や新聞社の論説担当
の人が論評するコーナーがある。これを読むことで読解力と文章力が身につく。さらには、
物事の受け取り方・考え方にもいろいろあることがわかる。
<社説>
 読解力と文章力を鍛えるためには社説を読むのが良い。社説は新聞社の論説担当の人
が作成しているだけに文章に関しては最も優れている。主張している内容に賛成できるか
否かは別として、論の進め方や適切な言葉遣い、わかりやすい文の作り方は大いに参考
になる。そういった優れた文章を数多く読み、自分にないものを盗めば良い。社説を使った
トレーニングは以下の通りだ。
1・内容を要約する。
 まず全体を一読する。そして結論とその根拠となる部分を本文からさがす訓練をする。場
所がわかったらそっくり抜き出してみる。次に抜き出した文章を要約する。要約は200字程
度にできれば理想的だ。入試などで課される場合、全体の制限字数が800字〜1200字
が多いが、その際、問題文の要約が25%、自分の見解が75%という比率になるからであ
る。この要約を毎日でも隔日でもよいから継続する。自分の書いた要約は人に見てもらった
ほうが良い。自分が取り上げた社説を切り抜いて要約した文章と一緒に身近な先生に提出
してみよう。
2・自分の意見を書いてみる。
 要約した内容について自分はどう思うのかを考える癖をつける。全面的に賛成できるのか、
それとも反対なのか。あるいは、賛同できる部分とできない部分があるのか。とりあえず自
分の見解を書く。それが書けたらなぜ賛成(あるいは反対)なのか、その理由を考えてみる。
理由が複数あるならば箇条書きにして列挙してみる。特に反対の場合は自分はどういう対
案を持っているのかも考えて書いてみよう。
3・文章表現を書き抜いてみる。
 社説に使われる文章表現は筆者の心情や主張が読者に的確に伝わるようじつに巧妙に
できている。たとえば何かの事故が起きて責任者が記者会見を開き謝罪したとしよう。しか
し、今後に向けての改善案が具体的に表明されなかった場合、書き方としては次の2通り
ある。
  A・・・今後に向けて改善する案は出されなかったが、謝罪の言葉はあった。
  B・・・謝罪の言葉はあったものの、今後に向けて改善する姿勢があるとは思えない。

客観的には同じ事実を述べているが読み手の印象はだいぶ異なるはずだ。Aは謝罪があ
ったことを一応評価した内容になる。しかしBは改善する姿勢がないことを強く非難する表
現だ。このように書き手が読み手に何かを伝えるとき、事実のどの部分にスポットを当てる
かによって読み手に与える事柄はがらりと異なるのである。社説を読む際には文章の表現
にも注目し、自分が今まで書いたことのない言い方だと思った場合はすかさずその一文ご
とメモしておこう。
<専門家の論評・論説>
 あるテーマに対してそれぞれの分野における専門家の論評が掲載されているコーナーが
ある。社説と違って毎日は掲載されていないと思うが、一週間分の朝夕刊を調べてみれば
必ず決まった曜日の決まった場所に掲載されているのでぜひ見つけてほしい。新聞社によ
っては一つのテーマに対し相反する二氏の論評を掲げて読者の判断を問いかけている形
式にしたものもある。この場合は両方の意見を読むようにしたい。自分が考えていない視
点が得られるからである。読み終えたら<社説>の項で述べたとおり、内容を要約し自分
の意見を書いてみよう。
例・下記の文章は2006年2月4日から朝日新聞朝刊に掲載された「私の視点」という論説
 コーナーで、ジャーナリストの田原総一朗氏が一連のホリエモン騒動に対して評したもの
 である。
  堀江貴文ライブドア前社長が東京地検特捜部に逮捕されたことは、誤解を恐れずに記
 せば、まことに残念である。いま、新聞、テレビ、雑誌などのメディアは、まるで道学者の
 ようにホリエモンの言動をひたすら叩いている。こうした事態になれば、道学者ぶるのが
 無難なので、そのことをとやかく言うつもりはない。
  だが、この2年間、今は叩く側のメディアのほとんどが彼を持ち上げ、まるで時代の寵
 児だった。実は私自身、彼の言動をおもしろいと感じていた。
  ホリエモンがメディアに登場したのは、プロ野球近鉄球団の買収に名乗りを上げたとき
 だった。プロ野球の運営は極めて不透明で、密室の根回しで球団数が減らされようとし
 ていた。1リーグ制構想も取りざたされ、選手たちもファンも怒っていた。そのときホリエ
 モンが、いわば旧弊の壁に風穴を開けたわけだ。その風穴から三木谷・楽天と孫・ソフ
 トバンクがプロ野球の世界になだれ込んだのである。そして風穴を開けた当人だけがは
 じき出されて、悲運のヒーローとなった。
  ニッポン放送株の大量取得の場合でも、免許の壁で閉ざされ、「最後の護送船団」とい
 われている放送業界に体当たりして風穴を開けようとしたととらえて、少なからぬ世論、
 マスメディアがホリエモンを支持したのであった。親の社会的地位によって子どもたちの
 「希望」にさえ「格差」が生じ、多くの若者たちが夢を持てない閉塞の時代に、彼の異端
 を絵に描いたような乱暴な言動が、希望の星と映ったのであろう。
  いま、ホリエモンを衆議院議員候補として実質的に支援した自民党や、ライブドアを会
 員にした日本経団連の責任が厳しく問われている。責任者たちはあいまいな言動を繰り
 返しているが、自民党は密室の談合的体質から脱皮するために、あえて行儀の悪い異
 端者を取り込もうと図ったのであり、日本でもっとも保守的な団体のひとつである経団連
 も閉鎖的な体質から脱皮するためにリスクを冒して取り込んだのだろう。それが裏目に
 出たのだが。
  ホリエモンを叩くのに、時間外取引で大量の株を取得した、株式分割を繰り返した、法
 のすき間をついた、あるいはマネーゲームだ、といった言動が切り札のように使われる
 が、これらは彼の異端さの指摘以上の意味はなさない。もちろん、ホリエモンが違法行
 為を、しかも連続的に行なっていたとすれば、いかに旧体制のぶっこわしに挑んでいて
 も、許容されるべきではない。罪は厳格に裁かれなければならない。私も含めて、彼を
 支持した人間たちの責任も問われるべきである。
  そして、ホリエモンへの糾弾と同時に、「90年代後半からの聖域なき規制緩和政策こ
 そが、あのような額に汗して働かずに巨額の金を得る不埒な連中を輩出させた」「事前
 規制を事後規制に変える誤った変革をただちに改めるべきだ」といった意見が急激に高
 まっている。小泉首相の構造改革こそが元凶だと決めつける意見も少なくない。
  だが、ホリエモンのような不埒なものを一切出させないという狭隘な発想は、経済の成
 長を妨げ、多くの若者たちの起業の志に冷や水をぶっかけることになる。ITベンチャーや
 それ以外のベンチャーでも、法を犯さずに業績を伸ばしている起業家が数多くいるのをど
 う見ているのか。

 全体で1200字余り、8つの段落からなるこの長文をいかにまとめるかであるが、まず結
論が書かれている場所をさがすのがコツである。
結論はたいてい文章の冒頭か最後のい
ずれかに書かれているので、そこを読めばわかる。これは<社説>の場合も同じである。
冒頭の2段落
*ホリエモンの逮捕は残念。
*私自身彼の言動をおもしろいと感じていた。
最後の段落
*ホリエモンのような不埒なものを一切出させないという発想は経済の成長を妨げ、若者
 の起業の志に冷や水をぶっかけることになる。
と述べていることから、「犯した罪は厳格に裁かれるべき」(第6段落)としながらも、筆者は
ホリエモンを高く評価していることがわかる。こうして結論がわかったら次に結論に至るま
での内容をまとめる。
この文章でいうと第3段落〜第7段落を読めば良い。
ホリエモンの評価できる点
*旧弊な体質に風穴を開けたこと。
   プロ野球界→近鉄球団の買収      (第3段落)
   放送業界 →ニッポン放送株の大量取得 (第4段落)
ホリエモンの評価できる行為の結果、周囲に与えた影響
*彼の異端ぶりが現代の世の中に対する希望の星と映った。  (第4段落)
*自民党・経団連も古い体質からの脱皮を図るべく彼を支持した。(第5段落)
裁かれるべきもの・問われるべきもの
*彼の違法行為
*自分も含めマスメディア・自民党・経団連など彼を支持した人間の責任
今後
*この事件を契機に若手起業家の志を潰すことのないようにすべき(第8段落)
 理由→日本の経済成長を妨げないため
 以上のようにアウトラインを箇条書きにまとめる。だんだんできるようになったらいちいち
箇条書きにせずに該当する部分を見つけたらすぐに傍線を引き、それを元に要約文を原
稿用紙に書けば良い。本番の試験ではそうやって時間を節約しないと制限時間内に答案
を作成できない。実際に200字程度でまとめるとこのような要約文ができるだろう。
解答例
 堀江貴文ライブドア前社長の逮捕は残念だ。彼は近鉄の買収を試みたりニッポン放送株
の大量取得を画策し、旧弊な体質が根強く残る球界や放送業界に風穴を開けたからだ。そ
ういう彼の異端さが現代の閉塞した世の中に対する希望の星と映った。自民党や経団連が
彼を支持したのも古い体質から脱皮するためだった。彼の違法行為は厳しく裁かれるべき
だが、若い起業家の志を潰さないためにも今後彼のような不埒な人間を排除することはす
べきではない。

 論作文の制限字数が1200字の場合は300字程度が要約文になる。その場合は上記よ
りも多少加筆しなければならない。
解答例
 堀江貴文ライブドア前社長の逮捕は残念だ。彼は近鉄の買収を試みたりニッポン放送株
の大量取得を画策し、旧弊な体質が根強く残る球界や放送業界に風穴を開けたからだ。そ
ういう彼の異端さが、現代の閉塞した世の中に対する希望の星と映り、私も含め多くの世論
やマスメディアが彼を評価した。自民党や経団連が彼を支持しのたのも、古い体質から脱皮
するためだった。彼の違法行為は厳しく裁かれるべきだが、それだけでなく彼を支持した人
間の責任も問われるべきだ。ただ、今後彼のような不埒な人間を市場から排除することはす
べきではない。それは若い起業家の志を潰すことになり日本の経済成長を妨げるだけだ。
法を犯さず業績を伸ばしている起業家も多くいるのである。
 
 このあとは自分の意見表明である。なお、問題文を参考にして事実(この場合で言うと堀江
前社長の功罪)に対する見解を求められる場合と、問題用紙に印刷された文章(この場合で
言うと田原総一郎氏の見解)に対する見解を求められる場合とがあるので注意する。
<座談会・インタビュー>
 これは、あるテーマに対して記者が専門家にインタビューする形式で掲載されるか、複数
の専門家が集まり討論する形式になっているコーナーである。新聞社から司会進行や質問
をする役を担う人が口火を切り、識者がそれに答えるパターンが多い。座談会や討論の現
場で録音したものをそのまま活字にしてあるので、文も口語(いわゆる話し言葉)になってい
る。だから社説に比べれば読みやすい。また、一つのテーマに対して異なるものの見方や
意見を比較できることも長所だ。
例・下記の文章は2006年2月4日から朝日新聞朝刊に連載されていた「こう見る ライブ
  ドアショック」と題された識者の意見である。
 オプト社長・鉢嶺登氏の意見
 インターネット業界にライブドア事件を引き起こす素地はあったのですか?
  今はネット系ベンチャー企業というだけで株価が高くなる傾向がある。将来大きく成長
 するという前提で、証券アナリストが勝手に2〜3年後の業績見通しを高めに作るからだ。
 それを達成できないと株価が下がるので、経営者には精神的な圧力となる。そこに粉飾
 などの不正に走る落とし穴があったのかもしれない。
 そんなに焦らなくてもじっくりと成長させればいいではないですか。
  ネット業界ではナンバーワン企業が圧勝しやすい。しかもこの5年で勝負が決まる、と
 いうのが業界共通の見方なので、競争がますます激しくなっている。新しいネット企業も
 次々と誕生して追い上げてくるから、先に上場した企業は少しでも差をつけておきたいと
 焦るのだ。
 激しいM&A(企業合併・買収)合戦をあおっているのも、成長を急ごうとする経営者心理
なんですね。

  そうだ。自社株が高くなれば株式交換によるM&Aや資金調達がしやすくなる。だから、
 どうしても株価を高く保つ経営手法を取らざるを得ない。ライブドアは市場からの資金調
 達やM&Aを通じて時価総額を高め、ただのウェブサイト制作会社から脱皮した。法令違
 反がなかったなら、その成長戦略は評価されて良かっただろう。
 ライブドアのような過ちを犯さないためにはどうしたら?
  まず正直に企業情報を開示する。業績が悪いときは悪いといい、投資家に対して過大
 なことを言わない。業績予想はなるべく堅めに発表する。そして株価を必要以上に圧力
 と感じないようにすることだ。私は創業以来、トイレに『株価は神ではない』と書いた紙を
 はって自らを戒めた。その意味で、時価総額を会社の目標にすることには反対だ。
 事件で新興企業への市場の目は厳しくなりそうですね。
  資金調達には市場の支持が不可欠なので、ほとんどの新興企業は資本市場に正面か
 ら向き合っている。企業情報の開示や成長のビジョンを投資家に説明することに熱心だ。
 その点、既存の大企業よりはるかに真剣だと思う。
 日本証券クリアリング機構監査役・中島茂氏の意見
 ライブドア事件は企業のコンプライアンス(法令遵守)に対する不信感を広げてしまいまし
た。

  90年代後半の4大証券による利益供与事件、00年以降の雪印乳業や三菱自動車に
 よる製品問題がきっかけとなって、企業のコンプライアンス意識は高まったはずだった。
 ところが最近の株価高騰で『時価総額経営』がもてはやされ、本業のビジネスの実態と遊
 離したバブル企業が増えている。『危ない橋を渡る会社が伸びる』という風潮もある。こう
 いう事件が起きるのではないかと恐れていた。
 堀江貴文前社長は「違法行為はしていない」と強調し続けていました。
  疑惑の舞台となった投資事業組合には法令上の開示義務がなかった。だから開示しな
 くてもかまわない、というのは貧困な発想だ。常識で考え、投資家が知りたい情報は開示
 すべきだった。『一般投資家や株主などの期待に誠実に応える』というコンプライアンスの
 意味を考えて欲しい。
 ライブドア経営陣の不正を止める手立てはなかったのでしょうか。
  斬新なアイデアをもった30代の掘江前社長ら経営陣に、『ぎりぎり合法だけど、社会的
 には問題があるからやめたほうがいい』と助言できるような年長の社外取締役や社外監
 査役がいなかったことが問題だ。私は社外取締役を『偉大な素人』と呼んでいる。業界に
 染まっていない素人なら、ライブドアが実施した株式の100分割に対して驚き、異論を唱
 えることができたはずだ。何事も業界の常識で済ませてしまうのが不祥事の出発点だと
 思う。
 新興企業が利益に直結しないことにおカネをかけたり熱心になったりはしにくいかもしれ
ません。

  社外取締役や社外監査役に、大企業の会長など高報酬でないと来てもらえない人ばか
 り想定する必要はない。元会社員や店長経験者などの普通の人でいい。株主代表のよう
 な気持ちで取締役会に参加してもらえばいい。会社は外部の意見を仕方なく受け入れる
 のではなく、それが得だと気づくべきだ。IT(情報技術)企業が外部の人が意見交換する
 経営諮問委員会を作ったり、食品メーカーで消費者代表を取締役会のオブザーバーに迎
 えたりするなど、新しい動きもでてきている。
 投資家も投資先を選別する目を養う必要がありますね。
  いい商品を作り、いいサービスを提供できる企業が評価され、株価が上がるような健全
 な証券市場にしなければならない。投資家が、国民が納得できないことをやっている会社
 を投資対象から外して見捨てるようになれば、会社も見捨てられないような会社を必死に
 作る努力をするだろう。
 2つのインタビューとも、ライブドアが行なった粉飾や株価の操作などの不正に対して、そ
れぞれ原因と再発防止策が述べられている。内容を理解できたら箇条書きにしてまとめて
みれば良い。具体的には次のようになる。
 鉢嶺氏の見解
  原因
  *証券アナリストによる過大な業績見通しが経営者への圧力となる。
  *M&Aや資金調達が容易にできるよう、自社株を高く保つ経営を迫られる。
  対策
  *正直な企業情報を開示をする。
  *堅めの業績予想を公表する。
  *株価を圧力と感じないようにする。→時価総額を会社の目標にしない。
 中島氏の見解
  原因
  *最近の株価高騰で『時価総額経営』がもてはやされた
  *投資事業組合には法令上の開示義務がなかった。
  *ライブドアには年長の社外取締役や社外監査役がいなかった
  対策
  *普通の人を社外取締役や社外監査役に迎えて取締役会参加してもらう
  *会社は外部の意見を取り入れることを得と考えるべき
  *不健全な会社を投資対象から外す厳しい選別眼が投資家に必要
 両氏に共通している点
  *時価総額経営に反対
  *正直な企業情報の開示
 このようなまとめ方ができるまでトレーニングしてみる。あとは<社説>の項で述べた方法
で原稿用紙に論述してみよう。
<コラム>
 「コラム」とは時事問題や社会風俗についての短評を掲載する囲みの欄をさす。社説や専
門家の論評に比べて文章が短いこと、また文中に使われている言葉が堅苦しくないという
2点で比較的読みやすい。(朝日新聞の朝刊に毎日掲載される『天声人語』の字数は640
字前後で社説のほぼ半分)社説や専門家の論評で要約するのが難しいという人は、まずコ
ラムを要約することをお薦めする。代表的なコラムは朝刊の1面下欄にある(朝日新聞なら
『天声人語』)が、他にも毎週掲載されるものなどいろいろあるのでさがしてみよう。
例・下記の文章は2006年2月3日の朝日新聞朝刊に掲載された「特派員メモ」である。
  海外旅行では、日本で経験できないような乗り物に出会う。どれも土地の人たちの愛着
 が感じられ、楽しい。フィリピン南部のミンダナオ島の山腹の村を訪れたときは「馬」だった。
 「帰りは馬を使ってください」。遠来の客をもてなしたいとの心遣いが伝わる。汗だくで登っ
 た岩山の道が浮かび、思わず「ありがたい」。だが、甘かった。
  くらをつけない裸馬。背中が意外に骨張っていて、おしりが痛い。下り坂なので体が前の
 めりにずれ、手綱を持つ青年にしがみつかずにいられない。こちらもつらいが、しがみつか
 れる青年と馬はどんな思いか。「降りる」と言うと、遠慮していると思ったらしく、「大丈夫、
 大丈夫」。その優しさについ断りきれず、最後まで乗ってしまった。
  マニラでは国鉄の線路を勝手に使った人力トロッコが走っている。押し手が手作りのトロ
 ッコをこぎ、客は箱のような台座に座る。乗り降り自由で、「運賃」は7ペソ(約14円)。高さ
 が5メートルある鉄橋だってこれで渡る。枕木が所々欠けていてスリル満点だ。
  顔に風を受けながら乗っていると、線路ぎわにぎっしり並ぶ家々の生活が丸見えだ。親
 子の笑い声、子どもたちのけんか。開けっ広げの長屋暮らしは、子供の頃の懐かしいにお
 いがする。

簡単にまとめると次のようになるだろう。
 海外の乗り物に対する筆者の評価
  *日本では経験できない
  *土地の人の愛着が感じられて楽しい
 具体例
  *フィリピンのミンダナオ島で裸の馬を体験
   →尻が痛くなってつらくなったが、手綱を持つ青年の優しさに断りきれなかった。
  *マニラで人力トロッコに乗車
   →スリル満点。線路際に並ぶ家々の生活が丸見えで、子どもの頃の懐かしさを感じた。
 このように箇条書き形式にまとめられれば、あとはそれを文章にすれば良い。
いきなり<社説>からチャレンジせず、まずはこういった平易な文章から要約してみよう。
<読者の投稿欄>
 新聞には読者からも広く意見を募集しているのでそれらを掲載する欄が必ずある。各社
とも投稿規程があり字数を400字詰め原稿用紙1枚〜1枚半に制限しているので、一つや
二つはすぐに読める分量だ。ちなみに社説は1200字前後であるから、いかに短いかがわ
かる。ただ、書き手は小学生からお年よりまで年齢もまちまちなうえ文筆に関しては全くの
素人なので文章や言葉遣いに関しては新聞社の校正がある程度入っているとはいえ、必
ずしも的確ではない。だから、文章表現上の参考資料にはできない。一読して内容を要約
し自分の意見を書くための練習材料として利用すれば良い。

(2)テレビ番組
 映像による情報源として不可欠な存在である。情報量だけなら新聞の方が勝るのだが、
新聞は活字が主であるため映像による情報が得られない。映像があれば現場の情況をリ
アルに認識できるので、テレビも番組を選んで視聴したほうが良い。ただテレビは功罪両
面ある。そこで「罪」の面を心得た上で視聴するようにしたい。
<ニュース番組>
 NHKの午後12時のニュースなどのように淡々と出来事だけを報じる番組。最新の情報
を最も手軽に入手できる。また、コメンテーターが出てきて私見を述べることもないので、事
実だけを知ることができるのが長所だ。一日のうち時間を決めて見るようにしたい。
<ニュース解説>
 その日の出来事を淡々と列挙する通常のニュースではなく、年金問題や介護問題など比
較的関心の高い話題や、目下世間を震撼させている事件など緊急性のあるニュースを一つ
取り上げて、それに関して詳細な解説がなされている番組。解説者は主に取材した記者・特
派員やそれぞれの専門分野で活躍されていて当該事情に詳しい方である。番組はあるテー
マに対して
 1・現状の問題点
 2・1が生じた原因
 3・当局が考えている対策
 4・3に関する利点と欠点
 5・望ましい今後のあり方

について深く掘り下げてくれるので、時事問題にも詳しくなり、自分の考えをまとめるうえで
大いに参考になる。
<ワイドショー>
 目下の事件に対してニュース以上に詳細な解説や評論家の見解などを紹介しているが、
これはお薦めできない。理由は特定の考え方に偏向した番組作りをしていることが多いか
らである。すなわち、本来強調すべき点が強調されなかったり、逆に枝葉末節な部分が強
調されて報道されるため、視聴者は番組制作側の意図する方向に導かれ、事件の本質を
見失う恐れがある。このことはどの番組、どのメディアについても否定できない事実ではあ
るが、ワイドショーに関しては特にこの傾向が他の番組やメディア以上に著しいのでお薦め
できない。
<党首討論番組>
 各政党から党首あるいは党三役が一人ずつ出席し、ある問題に対して丁々発止の議論
を展開する番組。普段は日曜日、また総選挙・統一地方選挙などが行なわれる際に特番
を組んで放映されている。さまざまな見解を知って比較できるという長所はあるが、テレビ
番組という特質上きわめて短い時間内で議論を進めざるを得ず、各党の見解をじっくり聞く
ことできないのが難点である。

(3)言語感覚の鍛錬
 「あなたは日本語を正しく使っていますか?」といったクイズ番組がたびたびあるが、論作
文が受験科目に含まれている志願校をチャレンジする諸君は日頃から日本語に関心をも
ち言葉を正しく使おうとする心構えがないと、とんでもない作文を書いてしまうことにもなりか
ねない。第4章・注意すべき語句の用法でもいくつかは触れたが、他にもまだまだある。
「彼とは幼なじみで気がおける間柄だ。」「今度の大会では絶対優勝したい。」などと書いて
平然としていることのないようにしたい。
<語句を知る>
 高校の入学時に国語の教科書とともに購入した国語便覧は手元に置いていつでも参照
する癖をつけておこう。国語便覧には次の項目がある。
 四字熟語・・・「一期一会」「泰然自若」など基本的に漢字4字で一語となる語句。
 故事成語・・・「矛盾」「推敲」など中国の故事からできた語。
 ことわざ・・・・・「急がば回れ」など日本のことわざ。
 慣用句・・・・・「猫の額」「耳が痛い」など字面からとれる意味以外の語義を有する語句。
 同音異義語・・・「移動」「異動」「異同」のように音読みが同じ語句の判別。
 同訓異字・・・「代える」「変える」「替える」「換える」のように訓読みが同じ語句の判別。
 対義語・・・・・・・「生産」⇔「消費」のように語義が対立する関係にある語句。
 難読漢字・・・・・「乖離」(かいり)「稀有」(けう)など、読み方の難しい語句。
 そこに載っている程度の語句ぐらいは使えるようにしてほしい。ただし、漢字が正しく書け
て意味を知っているというだけでは不十分である。論作文を書く際に適切な箇所に使える
ようにならなければ、「実力として身につけた」ことにはならない。そのためには読書をした
り新聞を読むなりして、どのような文脈でその語句を使うのかを知ることである。
<現代語文法を理解する>
 文法というと高校では古典文法が中心となるが、現代語の文法は既に中学校で学習した
はずだ。古典文法では「四段活用」「已然形」という言葉を覚えるが、「五段活用」とか「仮定
形」という言葉はそれ以前に聞いたことがあるだろう。忘れている人もいると思うので、これ
も国語便覧を見て復習してほしい。便覧だけではよく理解できない場合は中学生を対象とし
た学習参考書のコーナーに行き、適切なものを購入して勉強しよう。
<メールを作成する>
 携帯電話やパソコンを使って友人にメールを送っている人も多いと思うが、どうせ送るのだ
から受け取った相手に対してわかりやすい文を書くように心がけてみよう。友人に送るのだ
から絵文字や顔文字だけでも自分の気持ちは通じるかもしれない。だがそういうメールばか
り作成していると、きちんとした文をいざ書こうとしても書けなくなってしまう。
<人の書いた文を見る>
 自分が書くだけでなく、人が書いた文を見るのも言語感覚を磨く上では欠かせない。ある
程度自分の文章力がついたら、他人の書いた文を厳しく見つめて添削してみよう。「こういう
言い方って正しいのかな」という疑問を持ちながら文章を読み、少しでも不自然に感じたらす
ぐに調べて問題を解決する姿勢が大切だ。

(4)自分の意見を表明する訓練
 新聞やテレビ・インターネットなどからさまざまな情報を仕入れたら、それに対する自分の
意見を持つことが大切だ。論作文にしろ面接にしろ自分の意見を求められるからである。
「○○についてあなたはどう思いますか?」という問についてきちっと表明できるように、今
すぐにでもできることから始めよう。
<感じたことを書く>
 身近なところで学校生活を考えてみよう。たとえば
 ※朝は8時30分に登校しないと遅刻になる。
 ※一回の授業やテストは50分で行なわれる。
 ※授業を30分遅れるとその授業は欠席扱いになる。
 ※授業中に携帯電話を鳴らすと先生に取り上げられる。
 ※毎月頭髪検査とか服装検査がある。
 ※テストの前後にノート提出がある。
 ※部活動はテスト一週間前になると活動中止になる。
 ※テストの得点が30点未満だと赤点になる。
 ※昼の食堂はいつも込んでいて食べる時間がない。
 ※掃除当番をさぼると翌日一人でやらされる。
 ※タバコを吸わなくても所持していただけで停学3日という処分になる。
などなど、学校生活にはさまざまな決まりごとがある。こういった一つ一つの決まりごとに対
して自分はどう思うのかを考えてみる。賛成なのか反対なのか。そしてその理由は何か。
もし反対ならどういう決まりごとに改まれば賛成できるのか。今さら「どう思うのか考えてみ
よう」などと言われるまでもなく、たぶん誰もが心の中ではいろいろ感じているはずだ。だが、
自分で意見をどこかに書いている人はたぶんいないだろう。そこで、ノートを一冊用意して
自分の思いを書いてみよう。たとえ2行か3行しか書けなくてもかまわないから、とにかく書
く。学校生活だけでなく、登校中・アルバイト先・家でのできごとなども取り上げて書いてみ
る。さらに今日見たニュース、今日読んだ雑誌や漫画についても取り上げてみる。このよう
にして何でもかんでも取り上げて自分の意見を書いてみる。
<意見をぶつける>
 書くだけでなく自分が感じたことを友人や先輩など身の回りの人に言ってみるのも大切だ。
とりあえずは前項で紹介した学校生活の決まりごとから始めてみれば良いだろう。自分の
意見をうまく伝える訓練にもなる。また相手の意見を聞きながら、自分の考えをまとめる訓
練にもなる。自分とは異なる意見も成立することを知る絶好の機会にもなる。その結果、当
初持っていた自分の考え方が変わることもあるだろう。それはそれで良い。どう変わったの
かを書いてみよう。

終章・究極の上達法は
 「人前でもあがることなく上手に話せるようになりたい。」「人並みに文章を書けるようにし
たい。」こういった悩みは面接試験・論作文試験に臨む受験生のみならず、大人でも持っ
ている人がかなりいます。それも中年を過ぎた、管理職のような社会的地位のある大人で
もこういう悩みをもっている人が少なくありません。このように書くと、それでは「スピーチも
文章も一生解決できない悩みなのか」と思うかもしれません。しかしそんなことは決してあ
りません。下手なのは場数を踏んでいないだけの話です。いい年をした大人でも結婚式の
スピーチがうまくできない人がいます。しかし、それはやり慣れていないからです。式場で
高いところから大勢の人に話すことなど一生のうちに数えるほどしかないでしょう。だから
なかなか上達できないのであって、毎日のようにあちこちの結婚式に呼ばれてスピーチを
する機会に恵まれていれば誰でもうまく話せるようになります。
 私が【私的数学塾】というホームページに『菅ちゃんの呟き』というコーナーを開設した理
由も、じつはそこにあります。自分が高校の教員として生徒を指導するために、『こてんこ
てん』『さくぶん上手』を通して彼らに少しでも役立てたいという思ったのはずっと後のこと
で、開設当初は『教えて頂戴』『言わせて頂戴』しかありませんでした。それはこの両コー
ナーで自分の考えをいかにわかりやすく読者に伝えることができるのか、その訓練をした
いと思ったのです。それぞれ週一回更新するということは、強制的に毎週2つは何らかの
テーマで文章を書かなければなりません。それだけ自分にとって書く機会が増えるわけで、
これを1年・2年と継続すれば、何もやらずに過ごすより自分のスキルアップを図れるので
はないか。そう考えたからです。つまり人のためではなく自分の修練のためでした。
 みなさんがチャレンジする論作文にしても同じことが言えます。とにかく書く。原稿用紙が
埋まらなくてもできる限り書く。たとえ一行、否、一言しか思いつかなくてもいいから書く。
書いたら人に見てもらって批評を聞く。この繰り返しで書き慣れるまで書き続ける。これが
究極の上達法ではないかと私は思います。どうすればわかりやすい文が作れるのか、ど
うすれば論理的な文章になるのかという技術に関しては、ここまでで充分に説明を尽くし
ました。ですから、あとはみなさんが実践するしかありません。泳ぎ方の本を読んだだけで
は上手に泳げるようにはなりません。プールや海に入って体を動かしてみて初めて体得で
きるのと同じで、原稿用紙を買ってきて明日からと言わず今から書いてみてください。みな
さんが『さくぶん上手』を御覧になって少しでも参考になれば、少しでも希望する進路に向
けて貢献できたのなら、私としてはこれ以上の喜びはありません。これから受験される方
も、受験はしないが文章の上達をめざそうという方も、ぜひ頑張って下さい。みなさんのご
健闘をお祈りします。
      2006年3月27日
                                           著者識す