菅ちゃんの呟き
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140「日本文化を捨てるな」(2月12日)***********************************************
 今年もあと2日でバレンタインデーとなる。毎年のように商店は華やかに飾りたててチョコ
レート商戦に精を出す。少し前はハロウィンのお祭りでかぼちゃだらけだったし、12月はク
リスマス一色である。バレンタイン・ハロウィン・クリスマス――この3つに共通することは何
か。それはいずれも日本古来の文化ではないということである。外国、しかも欧米の文化で
ある。
 事はこの3つに限ったことではない。日本人はもはや日本の文化を捨ててしまったのでは
ないかとさえ思われてならない。その証拠に伝統芸能は斜陽化し凋落の一途を辿っている。
たとえば能だ。去年一年間に能楽堂に足を運んだ日本人は果たしてどれだけいたのだろう
か。今や能そのものを全く知らないという人も少なくない。だから「シテ」「ワキ」といっても何
のことか皆目わからないだろう。能楽堂自体も少なくなってしまったし、能の後継者も激減し
ている。浄瑠璃や狂言にいたっては能以上にひどい。国語科の同僚を別にすると、それら
を話題にする人に出会ったことすらないからだ。歌舞伎は一定のファン人口があってときど
き芸能ニュースのネタにもなっているから能よりはましだが、それでもかつてに比べれば愛
好者はかなり減っている。このぶんでは能・浄瑠璃・狂言は勿論、今に歌舞伎も落語も大
喜利も遠からぬうちに廃れてしまうに違いない。
 伝統芸能だけではない。現在使われている日本語の語彙をみても同様のことが言える。
ここ数年に登場した新語をみると、圧倒的にカタカナで表記する語彙が増加している。ピッ
キング・スキミング・ストーカー・ドメスティックバイオレンス・セクシュアルハラスメント・ニート
・アナリスト・マニフェスト・バリアフリー・フリーター・プレゼンテーションなど、挙げればきり
がない。しかしこれらの言葉は決して日本語の語彙で表現できないものではない。いくらで
も既存の語彙で表すことができる。だから日本語で表せないのではなく、表そうという姿勢
が最初からないのだ。かつて「さじ」を「スプーン」と言い換えたように、日本人は自ら日本語
での表現を放棄したと言えよう。だからこそ「選挙公約」と言えば理解できる言葉をわざわざ
「マニフェスト」という外国語で表現しているのである。
 だから街へ一歩出てもそうだ。この国は日本ではないのかと錯覚するほど、看板・広告・
案内の標識を見ると アルファベットがあふれている。たとえば「本屋」と掲げればわかるの
にわざわざ「BOOK」という英語を掲げる。「貸しビデオ」とはせず「RENTAL VIDEO」と掲
げる。百貨店などに入ってもそうだ。会計を「CASHIER」、業務用室は「STAFF ONLY」、
便所は「WC」か「TOILET」、とわざわざ文字数を増やしてまで英語にする。特に便所の「男
性用」は「男」と掲示すればそれでわかるはずだ。にもかかわらず「Gentleman」と掲出され
ている。有料道路の標識もそうだ。パーキングエリアは「PA」、サービスエリアは「SA」、料
金所には「ETC」と、ほとんどアルファベットだ。
 製品やメーカーの名称といった固有名詞でもそうだ。やはりカタカナやアルファベットの名
称が多い。SONYのVAIO(バイオ)・NECのVALUESTAR(バリュースター)といったIT関
連の部門だけならまだ許せるとしても、昔からある国産車でもたとえばNISSASN(日産)が
MARCH(マーチ)、TOYOTA(トヨタ)がCOROLLA(カローラ)などと、カタカナかアルファ
ベットで表記している名称ばかりではないか。このように身の回りの製品のロゴや宣伝文句
を見ればアルファベットのものはいくらでもある。あの第2次世界大戦中の我が国には戦艦
に「大和」があったが、そういう日本らしい名称を命名しようという姿勢は全く見られない。我
が国は基本的に単一民族国家である。在日外国人の数など決して多くはない国なのに、ど
うしてこのように何もかもカタカナやアルファベットで表現しなければならないのか。
 結局、「かっこ良い」と思うものだけを一途に追い求めるという日本人の軽薄さが、こうい
う結果を招いているのだと私は考えている。久しく鎖国していた我が国が黒船の来航以後
欧米諸国と出会った結果、当時の知識人の間に「西欧諸国は先進国だ。かっこ良い」とい
う固定観念が生じたのだが、これが約140年経過した今もなお根強く日本人の心に残存
しているのである。だから、先ほど「日本語で表せるのに外国語で表現した語彙ばかり増
えている。」と指摘したが、その「外国」とは基本的に「英米」であって、決して韓国・台湾・
モンゴルといったアジア諸国ではないし、ましてやイラク・アフガニスタンといった中東の国
々ではない。これらのアジア・中東諸国は後進的で「かっこ良」くはないという蔑視思想があ
るからである。だから英米を主とする西欧諸国の言葉ではないものは決して我が国の語彙
に取り入れられることはない。同様の愚ははるか昔、7〜8世紀の我が国にもあった。かつ
ての中国王朝であった隋や唐に知識人を派遣し大陸の文化を取り入れたからだ。その結
果いわゆる「やまとことば」が廃れ、漢語が大量に使われるようになったのである。だから
日本語の語彙にはこのように熟語が多く存在するのである。当時の中国は我が国よりはる
かに歴史も文明もある国家だったので、やはり「先進的でかっこ良い」という固定観念があ
ったのだろう。
 しかし、本当にこれで良いのだろうか。このままでは今に日本文化のすべてが消え失せ
てしまうような気がする。伝統芸能も廃れたり日常使う言葉が西欧諸国の語彙になるだけ
ではない。たとえば玄関に入っても下足を脱ぐことなく我が家の中を土足で歩いたり、箸で
食べずにナイフとフォークだけを使うようになったりと、何もかもが西欧の方式と化してしま
うのではなかろうか。通貨が円からユーロになるという変化のように、それが日本の将来
にとって有益なことであれば外国文化の採用も大いに結構だ。しかし、ただ単に「かっこ良
い」と思うものを追求し自己満足に浸っているだけだとしたら、これほどの民族的愚挙は他
にあるまい。

139「インフルエンザの予防法は」(2月 7日)*****************************************
 冬に大流行する病気といえばインフルエンザである。予防接種はあるものの100%の
予防は不可能なので、各自が発病しないように努めるしかない。戸外から帰ったら手を
洗うこと、うがいをすること、毎日3食しっかり食べること、そして睡眠を充分に取ること。
よく言われる予防法はこの4つだが、私はさらに次の2つを実践している。それは機会あ
るごとに鼻の粘膜と咽頭の粘膜を高温多湿にすることだ。具体的には何か熱いものを飲
むときに容器に顔をぴったり近づけて湯気を吸い込むのである。たとえば喫茶店に入っ
てコーヒーを飲むとき、熱いうちは中身を飲まない。カップに顔を近づけて飲んでいるふり
をして湯気を吸い込むのだ。このとき鼻から吸って口から吐くことと逆に口から吸い込ん
で鼻から吐くという2つをやることが大切で、これによって鼻粘膜と咽頭の粘膜の両方を
高温多湿にすることができる。私はミスタードーナツによく行くので、カフェオレを注文して
これを実践している。その他味噌汁や麺類を食べるときにも湯気を吸い込むようにしてい
る。本当はうがいができれば一番良いのだが、注文した料理を使ってうがいするのは周
囲の視線もあって憚られる。第一、行儀が悪い。だからせめて飲むふりをして湯気を吸い
込むのである。かぜにしろインフルエンザにしろ、粘膜が乾燥しているとウイルスの活力
が一気に高まるので外出先でもできるかぎり高温多湿にするように努める。自宅にいる
場合は魔法瓶からお湯を出してこれを実践する。さらに入浴するときに湯温を熱くして鼻
の穴すれすれまで湯に浸かり、水面から出る湯気を吸い込む。みなさんもぜひお試しあ
れ。

    (塾長コメント: NHKの番組「ためしてガッテン」によれば、新予防法として「歯磨きと口腔内
             のケア(清潔に保つ)」がとても有効らしいです!発症率が1/10に激減すると
             のことです。)

138「命題の思い出」(2月 6日)****************************************************
 先週のある日、自分の授業が終わったあと何気なく隣のクラスの黒板を覗いたら、次の
文が目に入った。
 A「その生き物が犬ならば動物である。」
  「その生き物が動物ならば犬である。」
さらに、この2つの文とは少し離れた場所に
 B「その図形が三角形であるならば内角の和は180°である。」
  「内角の和が180°であるならばその図形は三角形である。」
という2つの文が並んでいる。一瞬、『国語で、しかも現代語文でこのような文を並べて文
法的に説明することはないはずだが・・・』と思ったが、『そうだ。これは数学なのだ。』とい
うことをすぐ思い出した。かつて自分が習った当時の数学の教科書に確か「命題の真偽」
とかいう章があって、そのページの最初に書かれてある文だったような気がする。
 まずAについて。「犬ならば動物である」ことは確かだが、「動物ならば犬である」とは限
らない。だから逆は成り立たない。しかしBについては「三角形であるならば内角の和は
180°である」ということは全ての三角形について言えることだし、「内角の和が180°で
あるならば三角形である」ということは他に内角の和が180°になる多角形が存在しない
ため成立する。したがって逆も成り立つ――と、先生の講義はこのような感じだった。しか
し私が理解できたのはそこまでで、いわば「命題の真偽」の導入部分だけだった。授業が
進みいつのまにか先生の話はどんどん数式の方へ進んでいく。どんな例題だったかはも
うすっかり忘れてしまったが、たぶん「ある数式Aが成立するのならば数式Bも成り立つ」
ということについて、真偽の検証を講義していたのだろう。冒頭の文のように日本語の文
で書かれていれば「逆も真」か否かがすぐ読み取れるのだが、数式で書かれるとさっぱり
わからなかった。そのとき私は、自分は典型的な文系なのだなと思った。

137「釣銭の出る公衆電話を」(2月 5日)********************************************
 コインロッカーに引き続き、同じく公共の場で不特定多数が代価を支払って利用している
物として公衆電話がある。携帯電話の普及に伴い今となっては公衆電話を利用する機会
はすっかり減ってしまったが、それでも携帯電話の電池がなくなりそうなときなどもあり、公
衆電話を使うこともないわけでもない。そんなときいつも思うのは、なぜ100円玉を投入し
て通話すると釣銭が出ないのかということだ。実際には10円玉を投入して通話している人
のほうが圧倒的に多いのだから、釣銭の10円玉くらいは電話機内に入っているはずだ。
もし釣銭切れならその旨を表示すれば済むわけで、そうでないときは通話した価格に応じ
た釣銭を出すべきであろう。いくら「100円玉の場合は釣銭が出ません。」と明記してあっ
て利用者がそれを承知の上で通話しているとはいえ、実際には40円分の通話しかしてい
ないのに60円が返却されないというのは、違法ではないのだろうか?

    (塾長コメント: 公衆電話と言えば、最近テレフォンカード使ってないですね!以前結婚式や
             ら講演会などでいただいたテレフォンカードが使われずにそのまま机に眠って
             いる。その数多数!NTTの窓口に行けば電話代と相殺してくれるとはいうもの
             の何となく交換しにくいものもある。アイドルの水着写真がプリントしてあるもの
             などとても人前に恥ずかしくって出せない。使われないテレフォンカードがたく
             さん出た方がNTTにとっては得なわけで、最初からそういう魂胆だったのかと
             勘ぐってしまう。同じことが図書カードにも言える。図書券から図書カードに切り
             替わりつつあるが、図書カードもテレフォンカードと同じ魂胆なのだろう。出版社
             からいただく図書カードのプリントは悩殺的だ!矢田亜希子さんや仲根かすみ
             さんらの誘うような眼差しのものを使うには十分勇気がいる。そのまま机の中
             に!となってしまう。実にもったいない話だ!)

136「コインロッカーに対して一言」(2月 4日)*****************************************
 今回は駅などに設置されているコインロッカーに対する提言である。私も旅行が趣味な
ので旅先でコインロッカーには重宝している。特に温泉地で旅館に泊まらず日帰り入浴す
る場合、重いリュックを背負って行くのは疲れる。入浴後に再び駅へ戻るのならば、タオル
や着替えなど必要な物だけを取り出して他の物はコインロッカーに預けたほうが便利であ
る。だからたとえ2時間程度でも私はお世話になっているのだが、料金の徴収方法につい
ては納得できない。なぜならコインロッカーの料金徴収制度は基本的に1日単位となって
いるからだ。つまりその日の午前0時0分から起算され23時59分までが1回の利用料金
となる。しかし、現実には0時に荷物を預けて23時過ぎになって取り出す人など皆無であ
る。利用者の大部分は朝預けても昼下がりには取り出していたり、夕方預けても夜には取
り出している。それでも300円は300円だ。特に夜遅く預けた場合は注意しなければなら
ない。たとえば21時過ぎに荷物を預けて2時間程度でコインロッカーに戻る予定でいたと
しても、何らかの事情で0時を過ぎてしまうと2日分の利用料金が徴収されてしまうからだ。
これは理不尽だと私は思う。
 そこで提言だが、駐車場と同様に利用した時間単位にすべきである。日付に関係なく3
時間ごとに100円といった具合にすれば良い。6時間預けたら200円、9時間預けたら
300円となる。24時間預けたら800円になるから現状よりかなり割高になるが、利用者
の多くは9時間以内だから問題ないし、むしろ短時間ほど安くなるから歓迎されるに違い
ない。
 また、預けた直後に気づいたミスに対する配慮も必要だ。つまり、自分が持っていなけ
ればならないものをうっかりコインロッカーに入れてしまったことに気づいた場合、あるい
はその逆に「これもロッカーに入れておくべきだった」と気づいた場合に対するサービスで
ある。せめて施錠後10分以内に開錠した場合は徴収した利用料金を全額返還すべきだ
と思う。時間従量制にして最低利用料金を100円に値下げするのならその必要はないだ
ろう。しかし現状のように1日1回あたり300円を徴収するのならば、そのくらいの救済が
あってしかるべきだ。

    (塾長コメント: コインロッカーは、国鉄時代の1953年東京駅八重洲口に初めて設置されま
             した。その当時は、駅構内にある「手荷物一時預かり所」がコインロッカーの役
             割を果たしていました。電車に忘れ物をすると、「手荷物一時預かり所」に届い
             ていたりして、私自身よくお世話になりました。人間味があってよかったですね。
             コインロッカーは、その前に何が入っていたかよく分からないので、あまり積極
             的に使おうとは思わないです!いま1日300円なんですね。最近、携帯で開け
             閉めできるコインロッカーがあるそうです。何でも4時間までは100円でそれ以
             上は4時間毎に100円ということなので、菅ちゃんの要望に近いですね。全国
             にはやく普及するといいなあ〜!)

135「卒業試験について一言」(1月29日)********************************************
 最近は大学にならって前期・後期の2学期制を導入した高校も増えてきたが、従前どお
り3学期制の学校がまだまだ多い。いずれの制度も一長一短なので、どちらが好ましいか
は一概には明言できない。ただ3年生に関して言うと、3学期制では授業がほとんどでき
ずに卒業試験を迎えてしまうという問題が生じる。3年生は大学受験などの事情で2月か
ら自由登校となる関係で、1月末に卒業試験が行なわれるからである。そのため特に2単
位の科目だと始業式からわずか数回で試験になってしまう。そこで私は思うのだが、3年
生だけは2学期期末試験をなしにして、2学期中間試験以後の授業分を卒業試験の試験
範囲にしてはどうだろうか。つまり3年生だけは定期試験を年4回に減じるのである。そう
したところで卒業試験の範囲が広すぎて生徒の負担になることは決してないので、2学期
の期末試験と統合しても良いと思う。そうしないと国語のように何らかの作品を講読する
授業では問題が生じる。作品を最後まで鑑賞できずに試験になってしまい、非常に中途
半端になってしまうからだ。そのためよほど短い作品を扱うかそうでなければ文学史や干
支など作品以外のものを扱うことになるのだが、後者の授業だと何か試験までの時間稼
ぎをしている感が否めない。また、たった数回の授業で100点分の試験問題を作成する
のは国語の場合は困難である。2学期期末試験と統合すればこの問題も解消できるのだ
が、いかがなものだろうか?

    (塾長コメント: 卒業試験そのものを、無くせないのかな...?!)

134「悪くなる初詣のマナー」(1月24日)**********************************************
 毎年、正月のニュース番組で初詣の模様が報道されるが、参拝客のマナーは年々悪く
なっているようだ。昨年は寺社の境内で偽札が使われたことがあったが、今年も賽銭箱
の背後に隠れて参拝客が投げ込んだお金を盗む事件があったという。しかし参拝客のマ
ナーは報道された神社だけでなくどこでも悪くなっているようだ。私の家の近くにある神社
でもそうなので、今回はそこでのできごとを述べてみたい。
 この神社は地元の人しか知られていない山にある。山麓に鳥居がありそこから長い階
段が参道となっていて本殿は山の上だ。参道も境内も狭く決して大きい神社とはいえない
のだが、それでもかなりの初詣客が訪れている。最も混雑する正月3ヶ日は参道に行列
ができるため、お賽銭箱の前にたどり着くまで20分はかかるほどだ。さて、その神社を
訪れる初詣客だが、まず大半はクルマで来る。最寄のバス停から歩ける距離にあるにも
かかわらずである。神社の駐車場はあるにはあるが、何しろ山麓の限られた用地に設け
られているので20台程度しか収容できない。だから入庫できないクルマは幅員3m程度
の狭い道に縦列駐車となってしまう。入庫待ちをするならまだわかるが、その場に駐めて
しまう。もちろん違法駐車だ。混雑している時間帯になると何十台もの車の列ができるの
で、非常時はどうなるのだろうかと心配になるほどだ。本殿の右奥には昨年の破魔矢な
ど古くなった縁起物を回収する場所が設けられているのだが、なんとそこには「家庭のゴ
ミを捨てないで下さい」と大書してある。昔はそんな掲示を見なかったから、最近になって
家庭のゴミを持ち込んで捨てた初詣客が増えているのだろう。他にも「犬の糞は持ち帰っ
て下さい」とか「吸殻を捨てないで下さい」とか神社の中でそういう行為をする人がいるの
だろうかと疑いたくなるような貼り紙がしてある。しかし、神社側でそのような貼り紙をする
ということは、そういう行為をする参拝者がいるということだ。もはや日本人の心には神仏
に対する畏敬の念もなくなってしまったのだろう。本当になさけないことである。

133「お正月の音楽」(1月22日)****************************************************
 百貨店をはじめとする大型店舗では営業時間中に館内に音楽を流している。流行歌も
流れるが、季節にふさわしい曲を流すことも多く、たとえば12月になるとクリスマスソング
が流れる。それが済むと「♪〜もーいくつ寝るとーお正月〜」という歌になる。しかし、年が
明けると、どこへ行っても館内に流れる音楽は決まって宮城道雄作曲の箏曲「春の海」だ。
あの琴と笛の音ばかり延々と続く単調な曲で、初売りの日から10日くらいまではずっと流
れている。クリスマスソングは何曲かあるから聴いていても飽きないが、正月に百貨店や
スーパーに入るたびに「春の海」ばかり聴かされるといい加減うんざりする。何か他に正月
にふさわしい曲はないのだろうかといつも思ってしまう。店舗側も工夫して「うちだけは違う
曲を」という発想がないのだろうか。私が店主なら何か考えるが・・・・・・。

    (塾長コメント: BGMは聞き慣れた曲の方が聞き流せていいような気も...!)

132「災害に強い住居に住もう」(1月17日)*******************************************
 きょうは1月17日。あの阪神・淡路大震災が起きた日である。11年前の1995年、私も
木造2階建ての友人宅に泊っていて被災した。私はその2階で寝ていたが、地震で1階部
分が完全に崩壊し2階部分がそのまま地面に落ちたという状況で一命をとりとめた。あの
悪夢はたぶん死ぬまで忘れることができないだろう。ということで今回は災害にちなんだ話
題にしたいと思う。
 日本列島は災害列島と表現しても過言ではないほど災害の多い国である。毎年、梅雨か
ら夏にかけては集中豪雨、その後秋口までは台風、そして冬になると雪、さらに忘れた頃
になって大地震や火山の噴火などが襲いかかり、そのたびにわれわれ市民の日常生活を
奪ってきた。四季を通じてみると冬は比較的災害の少ない季節といえるが、今冬の積雪は
各地で記録更新するほどの大雪で、自衛隊の除雪だけではとても追いつかない状態であ
る。
 このような災害のたびに被災した家屋がテレビで映し出されるが、見るとそれらの大部分
は木造の一戸建てである。しかしこれは安普請でなくても結構脆いものだ。まず、大雨が降
ればすぐに床下浸水・床上浸水になる。竜巻のような強風だと屋根瓦が飛んだりテレビの
アンテナが倒れる。大地震だと冒頭に述べた友人宅の例のように家屋そのものが倒壊す
る。そして今冬のような大雪だと雪の重みで屋根が潰される。つまり、あらゆる面で一戸建
ての方が災害に弱いのである。それにもかかわらず、日本の家屋の大部分は木造の一戸
建てだ。特に地価の安いローカルな地方では全戸がそうである。今冬の大雪のような被害
の報に接すると、集落ごとにマンションにまとまって居住していれば安全なのにと私は思っ
てしまう。しかし、どうやらそういう発想はないようである。新潟中越地震の被災地がそうだ
からだ。倒壊した家屋を建て替える際に、やはり木造の一戸建てにしているのである。
 鉄骨コンクリート製のマンションならあらゆる面で一戸建てより安全性が高い。もっとも昨
年世間を騒がせた耐震偽装建築では危険だが、ちゃんとした普請なら安全なことは確かで
ある。その証拠に、地震で一棟がそのまま倒れたという例はあの阪神・淡路大震災でもな
かった。1階に住宅を設けなければ床上浸水の心配もない。豪雪地帯なら2階や3階にも
出入口を設けておけば良い。もちろん積雪があっても雪で家屋が潰される心配もない。火
災が発生すればその発生元の区画だけが燃えるだけで、隣戸に延焼したり一棟まるごと
全焼することは基本的に有り得ない。屋根瓦もないから地震だろうが竜巻だろうが関係な
い。上の階から漏水するとか停電するとエレベータが使えなくなるといった問題は生じるが、
それらは生命に直結することではない。庭つき一戸建てのマイホームを欲しいという心情
は理解できないわけではないが、いざというときに災害から生命・家財を守ってくれるのは
やはり鉄骨コンクリート建築のマンションだと思う。

131「混雑を避ける帰省方法は」(2006年1月15日)***********************************
 毎年のことだが帰省ラッシュのシーズンになると、必ず混雑した東京駅のホームや満員
で発車する新幹線、渋滞した高速道路などが映し出される。過去に混雑に巻き込まれた
経験がなくても、あれを見ると行きたくなくなるという人も少なくない。しかし、シーズン中で
も混雑を避けて帰省できる方法もあるのだ。クルマに関してはどうにもならないだろうが、
列車で帰省するのなら裏技がある。意外と知られていないことなので紹介してみよう。以
下に述べることは大都市から当日の自由席に乗って帰郷する場合を想定したものだが、
事前に指定席を確保する場合についても言えることなので、ぜひ試みていただきたい。
1・同じ料金なら遅い列車を選ぶ
 たとえば東京から西に向かう東海道・山陽新幹線だが、混雑するのはのぞみ号とひか
り号である。各駅に停車するこだま号ならいつでもどこから乗っても座れる。東京から博
多をこだま号だけで行くには新大阪で乗り換えなければならないし、のぞみ号を利用する
よりも4時間以上遅くなる。それで自由席特急料金がのぞみ号と同額なのだから、誰だっ
て速い方を選ぶ。ということは、逆に言えばこだま号なら空いているわけである。
2・臨時列車を選ぶ
 通年運転される列車よりも繁忙期だけに運転される臨時列車の方が空いている。それ
は時刻表に年中掲載されていないからだ。臨時列車はその時季の時刻表にしか載らな
いから、古い時刻表で見るとその存在に気づかないのである。だからどうしても知名度が
低くなる。また同じ臨時列車でも、特に通年運転される列車の数分後を続行するような臨
時列車が空いている傾向にあることも知っておきたい。
3・近場の人は遠くまで行く列車を避ける
 帰省先が近距離の人は遠くまで走る列車を選ばないことだ。たとえば東海道新幹線を
利用して東京から米原へ帰省するのなら、博多行きの新幹線に乗る必要はない。新大阪
止まりの列車で充分である。在来線の特急列車でもそうだ。新宿から甲府へ帰省するの
なら甲府止まりの特急で良い。わさわざスキー客に混じって南小谷まで走る特急に乗るこ
とはない。大阪から福井なら金沢止まりの特急で良い。和倉温泉や富山まで走る特急に
乗る必要はないのである。
4・遠くの人は起点付近だけ普通を利用する
 在来線の特急で帰省する場合に使える裏技である。たとえば東京の八王子から信濃大
町へ帰省する場合を考えてみよう。帰省シーズンに八王子から特急の自由席に乗って座
れることはまずありえない。既に始発駅の新宿で満席になっているからだ。こういう場合い
ったん新宿まで戻って並ぶ手もあるが、それよりも途中の甲府まで普通列車に乗り、甲府
から特急にする方が良い。その方が速く着けるし、座って行くこともできる。理由は松本行
きの特急でも甲府で下車する人が少なからずいるからだ。一般に下り列車の場合は起点
から遠くなるほど車内は空く。したがって、大勢の下車客がある途中駅から乗り込むと、思
ったほどの混雑にはならないものである。

    (塾長コメント: 帰省も旅行も菅ちゃんと違い車オンリーですが、TVに映し出されるような渋滞
             による悲壮感というのは車に乗っている方としては、あまり感じませんネ!それ
             はマイカーは普段の家庭のリビングルームが単に移動しているだけで止まって
             いようが動いていようが関係ないということなのかな?途中のSAやPAで適当
             に遊んだりと割と渋滞を楽しんでいるほうです。そういえば、最近、長距離列車
             には乗っていないな!菅ちゃんの旅行記を読んでいると、無性に乗りたくなって
             きた!!)

130「平成17年を振り返って」(12月25日)*******************************************
 今年もこのテーマで執筆するときが来た。ゴルフの宮里藍さんやスケートの浅田真央さ
ん、年6場所全てを制覇した大相撲の朝青龍関など、スポーツ界では今年もめざましい活
躍をみせた選手が続出した。しかし、それを除くと185日の会期で行なわれたイベント「愛
・地球博」が成功したことと紀宮さま(現:黒田清子さん)の結婚ぐらいだろうか。あとはこれ
といって明るい話題は今年もなかったような印象だ。
 今年の世相を象徴する漢字は「愛」だそうだ。私はなるほどと思った。「愛」がないために
起きた事件があまりにも多すぎたからである。
 まずなんといっても、子どもが無差別に狙われる事件が際立ったことだ。先月22日には
広島県広島市安芸区で、今月2日には栃木県今市市で、いずれも小学1年生の女児が下
校途中に連れ去られた末に惨殺された。大きく報じられたのはこの2件だけだったが、実
際には「連れ去られそうになった」「変質者に声をかけられた」といった未遂も含めれば何
万件も起きているし、不審者を見たという情報もかなり寄せられている。登下校中の児童
を守るための取り組みは全国各地でなされてはいるが、まだまだ安全な通学路とはほど
遠いのが実情だ。特に地方は住民が顔見知りのため防犯意識も希薄な上、往来の乏し
い通学路を長距離にわたって歩くという地理的な事情が加わって、都市部以上に危険を
孕んでいる。不審者の発見のために巡回を強化するにも限度があるから、登下校中の安
全性をより高めるには欧米諸国のように学校まで車やスクールバスで送迎するようなシス
テムを構築するか、さもなければ各家庭でボディーガードを雇うしかないだろう。ピッキング
対策として家屋の防犯用具が販売されたのと同様に、子どもの生命の安全もカネを出して
買う時代になってしまうのではなかろうか。
 しかし、狙われたのは他所の子だけではない。我が子に対しても「愛」のない行為が多か
った。だから、家庭内における乳幼児の虐待も依然として減っていない。しつけのためと称
して全身に殴る蹴るといった暴行を加えていた父親もいたし、何日も食べ物を与えず飢餓
状態にさせた母親もいた。さらには、なかなか泣き止まないことを理由にマンションのベラ
ンダから突き落とした母親もいた。愛情があればそのような残酷なことはできないはずだ
が、まるでごきぶりを叩き潰す感覚で子どもを扱っているとしか思えない。我が子を虐待し
ている親を調べると、自身も過去に虐待を受けていたケースが多いという。もしその当時の
復讐として親になった現在虐待しているのだとすると、今後も被害に遭う乳幼児は後を絶た
ないだろう。登下校中の誘拐・殺害のように公道で起きる犯行ならば警備の強化である程
度は防げるものの、我が子への虐待は家庭という密室の中で起こるだけに、防犯そのもの
が困難である。
 「愛」がない行為は企業にもみられた。最も記憶に新しいのはマンションの耐震偽装建築
問題であろう。元一級建築士の姉歯秀次が関与した22都道府県209の物件中、偽装物
件は現時点で85棟にものぼっており、姉歯以外の建築士による偽装物件もあるのではな
いかと言われている。偽装の裏には工期の短縮や建築費の削減で少しでもコストを下げた
かったという事情があったというが、コストのことしか頭にないということは、私に言わせれ
ば住む側に対する「愛」がないのである。建築士にしても建設会社にしても販売する不動
産会社にしても「どうせ自分が住むわけではないから建築物が倒壊して被害者が出てもか
まわない。それよりも会社(自分)の儲けが大事だ」という意識しかなかったのだろう。もし
自分が住み続ける家ならば、鉄筋の本数を減らして強度を脆弱にしようなどとは考えない
はずだからだ。耐震性に問題があると判明したマンションでは解体が検討され、そのため
の移住や補償交渉が始まっているし、ホテルは宿泊予約をキャンセルし営業停止に追い
込まれている。国はこの件に関し「被害者救済のための公的資金は出さない」と公言して
いるが、偽造された構造計画書を承認し最終的に建築を許可してしまった以上は、国にも
責任はあるはずだ。国土交通省は国が指定する民間の確認検査機関が偽造を見抜けな
かったとして、今後は検査体制の見直しをすると発表したが、問題の建築物が建ってしま
った今となってはもう後の祭りである。
 高度情報化社会の進展に伴い、今年は特に個人情報に絡む事件も増えた。インターネ
ットのフィッシング詐欺がそうである。本物とそっくりのサイトを予め用意し、クレジットカード
番号などの個人情報を入力させるという手口である。また、銀行の自動支払機の付近に
盗撮機器を設置しておいて暗証番号を入力する瞬間を盗撮するという事件もあった。さら
に、3年前から騒がれるようになった振り込め詐欺も依然として減っていない。どこで被害
者の個人情報を入手しているのかはわからないが、最近は手口がますます巧妙化し被害
者の職業に応じたドラマ仕立てになっている。たとえば息子や娘が病院勤務なら医療ミス、
教師なら生徒への体罰といった架空の事件をでっちあげて、示談金という名目で金を振り
込ませる手口である。振り込め詐欺は他のニュースの陰に隠れてあまり報道されなかった
だけの話で、実際には平成17年首から10月末までの10ヶ月間の認知件数で17849件、
被害総額は195億2000万円にも達している。昨年の被害総額は283億円であったから
それと比べれば30%の減ではあるが、それでも平均すれば毎日48件発生して5347万
円余りが振り込みをさせられている計算になる。
 踊り場を脱したとはいえ我が国の経済も依然として低迷したままである。それが原因の全
てとは言わないが、今年も自殺者が3万人を越えたことも看過できまい。1977年〜1997
年の20年間では自殺者が毎年3000人程度しか出なかったことを考えると、8年連続で年
間3万人超という数字はきわめて異常と言わざるを得ない。一家で無理心中というケースも
あれば、インターネットの自殺サイトで知り合った人が集まり車の中で練炭自殺を図ったと
いうケースもあった。現状の不況のままでは経済苦の自殺を中心に今後も当分は減らない
だろう。自殺とまではいかなくても若者を中心に引きこもりやニートも年々増えている。現在
ニートは全国で64万人と推計され、今や社会問題にまでなっている。だが、これも一概に
彼らだけの責に帰することはできまい。働く意欲を持ちはじめたところで、雇用情勢が依然
として厳しいままだからである。どこの企業も正社員を減らしアルバイトやパートタイム勤務
・契約社員に頼っている。そのため、いわゆるフリーターが全国で217万人もいる。彼らは
いつでも解雇され得る状況の下で働かされているのである。これでは国民の勤労意欲も湧
くまい。一刻も早くみんなが明るい希望をもって生きられる世の中になってほしいものである。

129「何のためのCD試聴か」(12月 4日)********************************************
 今回はCDの販売店に対する注文を一言述べたい。どこのCDショップでもそうだが、新
たにリリースされたCDに関しては試聴ができるようにCDプレーヤーとヘッドホンが設置さ
れており、お客さんが自由に中身を確認できるようになっている。私も新譜の楽曲を楽しみ
に試聴することはままあるのだが、いざ試聴しようとするととても落ち着いて聴けるものでは
ない。理由はどこのCD店舗でも絶え間なく大音量で音楽が流されているからだ。試聴する
側にとって、あの店内の音楽は騒音でしかない。画廊で例えるならじっくり絵画を鑑賞しよう
というときに額縁の周囲でスポンサーの宣伝文句がネオンサインでちらついているようなも
のである。試聴コーナーを無響室にしろとまでは言わないが、少なくとも家庭で聴くときと同
じ音量に設定したヘッドホンで普通に試聴できる環境にはすべきだろう。そうでないと必要
以上に音量を上げて聴かざるを得ず、耳にとって悪影響であるからだ。実際、試聴機のヘ
ッドホンを装着し再生ボタンを押すといきなり大音量が出て驚かされることが多い。これは
CD販売店にはぜひ考えていただきたい問題である。憶測で恐縮だが、店舗側が店内にや
かましく音楽を流す理由は、もしかしたらCDの売り上げが下がるのを懸念しているからな
のかもしれない。すなわち、落ち着いて試聴できる環境にすると長時間試聴機を占領して
肝心の商品を買わずに帰る客が増えるということだ。しかし、そういう理屈なら利用した時
間に応じた従量制にして試聴機使用料金を別途徴収すれば済むことである。「試聴できま
す」と銘打っておいてガンガン音楽を流すのでは、せっかくの試聴機コーナーも有名無実と
化してしまう。

    (塾長コメント: 私は、専ら音楽配信サイトの「mora」を利用しています。曲の触りしか視聴で
             きませんが、好きな時間に、いろいろな曲が聴けるので重宝しています。アーテ
             ィスト、アルバム名、楽曲名、キーワードで検索できるので聴きたい曲を歩いて
             探し回ることもなく、とても便利です。また、1曲買いから全曲買いまで自由自在
             で、とてもお財布に優しいです!)

128「追求すべきは便利さより安全性」(11月27日)************************************
 今の世の中は科学技術が進歩して何でもかんでも便利さを追求している。そういうことに
対して警鐘を鳴らす人もいないわけではないが、企業は競って便利なものを次々と商品化
しているから歯止めが利かない。それで快適性・安全性が向上するのなら結構なことだが、
中には快適にはなっても安全が損なわれるものもある。
 たとえばクルマに装備されている「便利なもの」を考えてみよう。好きな曲を聴きながら運
転したい。走行中でも電話を取れるようにしたい。地図を見なくても目的地に迷わず行ける
ようにしたい。そういったドライバーのニーズに応えて、カーオーディオ・自動車電話・カーナ
ビゲーションが登場した。そしていつかは開発されるであろうと思ってはいたが今ではカー
ナビゲーションのディスプレーでテレビ番組・FM文字放送の受信やDVDの再生が可能な
クルマが販売されている。そうした「便利さ」を追求したため、どういうことが起こったか?カ
ーオーディオを大音量で鳴らして騒音を撒き散らすドライバーが出てきた。自動車電話や携
帯電話で走行中に通話するドライバーも出てきた。カーナビゲーションの画面に注意力を奪
われるドライバーも出てきた。その結果、共通しているのはいずれも交通事故を増やしたこ
とである。今後、テレビが視聴できるクルマが普及すれば運転中にテレビ番組を見るドライ
バーが必ず現れるだろうから、交通事故は現状以上に増えるに違いない。そうした事故に
備えて、テレビでは盛んに自動車保険のコマーシャルを流して金集めに精を出したり、街頭
では事故に遭った人の命を救うべく献血を呼びかけたりしている。(まあ献血の目的はそれ
だけではないが)だが、それはタバコを販売して肺がんを増やしておきながら胸部X線撮影
を義務付けている集団検診システムと同じで、やっていることは本末転倒であるとしか思え
ない。
 私に言わせれば、そもそも便利さを追求する方向性が間違っているのである。交通事故
を撲滅することが最善なのだから、進歩した科学技術をその方面に生かさなければ意味が
ない。たとえば次のような装置を開発して導入を義務づけるべきだろう。
1・当該道路の制限速度情報を読み取り、それ以上の速度は絶対に出せないようにする。
 これは鉄道で言うところのATCに相当するシステムである。すべての車両に導入されれ
 ば、スピード違反は有り得なくなる。これだけでも交通事故は激減することは確実である
 から、早急に導入してもらいたい。何しろ大部分は制限速度の超過が招いた事故である
 からだ。
2・あらかじめすべての道路上に閉塞区間を設定し、当該閉塞区間に進入できる車両は一
 台だけとし、決して一定以下の車間距離には縮まらないようにする。これは鉄道で言うと
 ころのATSに相当するシステムである。これが導入されれば追突事故をなくすことができ
 る。自分の運転に全く過失がなくても後方から追突されて鞭打ち症で苦しんでいる患者が
 後を絶たない現状を考えると、このシステムも必要である。
3・ドライバーの呼気からアルコールを感知したら、エンジンがかかっても発進できないよう
 にする。車内は非常に狭い空間なので同乗者の呼気から排出されたアルコールと判別す
 る技術を開発するのは困難を極めるだろう。しかし、これが実現できれば飲酒運転がなく
 なる。さらには脳波などを測定することで睡眠不足や過度の興奮状態などドライバーの心
 身の状態をチェックし、一定の条件に満たないデータが出た場合は発進できないシステム
 が実現できれば理想的である。
4・ 3と同じシステムを乗車定員や積載重量の超過の場合にも適用する。乗車定員超過は
 ともかく、過積載の車両は実際にかなり走行しており、ハンドル操作やブレーキが思うよう
 に利かないことによる事故は少なくない。
5・車両の故障箇所・不具合箇所をカーナビのディスプレーに映しだしてドライバーに善処を
 促す。たとえば前照灯が切れたら、交換しない限り夜間の発進はできないようにする。
6・走行中は携帯電話や自動車電話の電波を送受信できないようにする。ハンズフリー機
 能なら問題なさそうだが、やはり着信時に運転への集中力が殺がれることは否めない。
 携帯電話に絡んだ事故の大部分は着信時によるものだから、ハンズフリーだろうが何だ
 ろうが送受信そのものをブロックする機能が必要である。
 このようにまずは安全性を追求すべきであろう。その上で快適性や便利さを享受すること
こそ、高度に進化した科学技術を生かす本来のあり方ではなかろうか。

127「文庫本の疑問」(11月20日)***************************************************
 プロフィールにも書いたが、私は西村京太郎氏の推理小説が好きだ。だから氏の作品
も文庫本で160冊余り買って持っている。私の部屋には本屋さんの書棚のように氏の作
品を文庫会社別で刊行した順に並べてある。こうして蒐集して最近疑問に思うのは、A社
の文庫で何年か前に刊行された作品がB社の文庫から新たに刊行されている現象であ
る。たとえば氏の作品に『特急あずさ殺人事件』がある。M銀行田園調布支店の現金輸
送車を襲った犯人グループがなぜか全然見当もつかない別の犯人グループによって一
人ずつ殺害されていくという奇想天外なストーリーだ。これが初めて世に出たのは1986
年5月、光文社のカッパ・ノベルスから刊行されている。それが1989年10月に文庫版に
なって出版された。このときは同じ光文社文庫から刊行されたのだが、今年になって講談
社文庫からも刊行されている。そうかと思うと久しい以前に講談社文庫から刊行された作
品が光文社文庫からも新たに刊行されていたりする。自分が書店の「今月の新刊文庫本」
のコーナーにいるのにもかかわらず目の前に平積みになっている本が見覚えのあるタイト
ルだということが、ここ数年来しばしばあった。変だなと思い手にとって奥付を見ると「この
作品は19××年に○○社から出版されました。」と断り書きが書いてある。つまり、以前
に他社から刊行された作品なのである。リバイバルだか何だか知らないが、それをその
まま「今月の新刊」と銘打って出版する行為に法律上の問題はないのだろうか?それとも
初版から一定の年月が経過すれば良いのだろうか?

    (塾長コメント: なるほど!もっともな疑問ですね。音楽の世界でも、昔はやった楽曲を違う
             歌手が歌うという、いわゆる「カバー」が盛んに行われていますが、それの小
             説版なのでしょうか?ある程度の販売が見込めるので、手堅い商売といえる
             でしょう。最近本が売れないので、出版社の苦肉の策かもしれません。講談
             社や光文社の方とお会いする機会があるので、今度そこら辺の事情を聞いて
             みたいと思います。ところで、西村作品は、2005年現在388あるそうです。
             菅ちゃん、完全読破まで、あと228冊ですね!西村作品は今後も出続けると
             思うので、ちょっと大変かな?)

126「読んで誰もがわかる文章を」(11月13日)****************************************
 いきなりで恐縮だが、まず次の文章を一読していただきたい。

  本件列車事故は、運行管理権を有するSKR(信楽高原鉄道・・・筆者注)とSKRから、
 一部信号保安装置の変更工事に委託を受けたJRとの間で、双方が実施した同工事の
 内容に関する連絡・協議不十分が基本的原因となって、事故当日、SKR職員にとって
 原因不明の信号障害が突然発生し、そのためになされた信号保安装置の修理の過程
 で、列車運行部門と信号修理部門の各担当者である被告人らがそれぞれ果たすべき
 義務を怠った過失の競合に基づく事故である。


 これは1991年5月14日に起きた信楽高原鉄道事故の刑事裁判で、一審の大津地裁
が言い渡した判決の要旨として新聞に掲載された文章の冒頭である。じっくり時間をかけ
て読めばともかく、さっと目を通しただけではほとんどの方が内容を把握できないであろう。
こういう文章を改善すべきだという声は以前からあったのだが、ようやくそれが実現するよ
うである。

 今月6日の朝日新聞朝刊1面記事のトップに「判決文わかりやすく」という見出しで、「裁
判で出される判決文が一般の人にもわかるような文章や用語に改めるべく最高裁で検討
を始めた」という記事が掲載されたからである。具体的には次のような法律用語を例に示
している。

 「未必の故意による殺意」   →「死んでもかまわないとの思い」
 「被告人にとって酌むべき事情」→「被告人にとって刑を軽くする方向で考慮すべき事情」
 「実況見分調書」        →犯行現場の見取り図と写真○枚」


 また判決文の文章に関しても、長い説明の最後に結論に至る従来の論述形式をやめて、
結論を先に簡潔に示してからその理由や説明を個条書きに近い形で記述する形式に改善
して読みやすくするという。裁判はまず起訴状・冒頭陳述に始まり、続いて証人尋問・被告
人訊問、そして検察側の論告求刑・弁護側の最終弁論を経て判決が下される。これらがい
ずれも「要旨」という形で新聞に掲載されることがよくあるが、どれも長文かつ難解でおよそ
読む意欲がわくような文章ではなかった。それを一般の人にもわかるように改めようという
動きは、遅きに逸したとはいえ大いに評価すべきことである。
 しかし、これだけで終わらせて欲しくない。世の中には法曹界の文章以外にもわかりにく
いものが山のようにあるからである。それも我々にとって文章の解釈を誤ると何らかの不
利益が生じる恐れがある場面でわかりにくい文章がたくさん使われている。たとえば次の
ような文章だ。

  被保険者が責任開始期以後の傷害または疾病を原因として保険料払込期間中に高
 度障害状態(別表3)に該当したとき。この場合、責任開始前にすでに生じていた障害
 状態に責任開始期以後の傷害または疾病(責任開始期前にすでに生じていた障害状
 態の原因となった傷害または疾病と因果関係のない傷害または疾病に限ります。)を原
 因とする障害状態が新たに加わって高度障害状態(別表3)に該当したときを含みます。

 これはある生命保険会社の約款の一部で「保険料払込の免除」に関する規約文である。
まず一行目にある「責任開始期」の意味がわからないだろう。それがわからなければこの
規約がどう適用されているのかも理解できない。幸い「責任開始期」の定義については約
款が印刷された冊子の別頁にて「当社がご契約上の保障を開始する時期」であることが
記載されてはいるが、契約者のすべてがそれを理解した上でこの条文に同意していると
はとても思えない。また(  )内の但し書きも曲者である。既にある障害Aに新たに障害B
が加わって高度障害状態に陥った場合も保険料払込の免除対象にしますと言っておきな
がら、障害Bは障害Aの原因となった傷害や疾病とは無関係のものに限ると断っているの
である。この類の文章は自動車保険など各種の保険やクレジット・携帯電話・インターネッ
トのプロバイダーなどから契約時に渡される約款や規約にいくらでも見られる。そして後日
何らかの問題が生じたときに「あなたの場合は約款の第×条にある条件に該当しません
からこの条文に規定された○○は適用できません。」などと言われて、自分の認識とは違
う結果に憤りを感じたり場合によっては不利益を受けたりすることになるのである。
 しかし経済的な損失で済めばまだましかもしれない。場合によってはわかりにくい文章の
せいで人の命さえ犠牲になることもあるからだ。医療の現場でインフォームド・コンセントと
いう言葉がある。医師が患者に対して傷病の現状と今後の容態の予測を正確に告知した
うえで治療方針を提案(インフォームド)しそれに患者が同意(コンセント)するという意味で
ある。ところがその内実はまともなものとは限らない。たとえば、抗がん剤として現在開発
中である薬剤の効果及び副作用の有無やその程度を、目の前にいるがんの患者、とりわ
けそれまでの治療で成果が得られなかった末期の患者を被験者にして調べることは、全
国どこの病院でも日常的に行なわれている。これを治験といい、被験者として参加してもら
う場合は患者本人から同意を取ることが義務付けられている。だが、その際正直に「これ
から未知の薬を投与します。その毒性を調べたいのであなたは人間モルモットになってく
ださい。」と言って患者の同意を求める医師など一人もいない。それでは誰も被験者になっ
てくれないからである。そこで難解な医学用語を使ったり患者に誤解を招くような言葉遣い
で作成した説明文書を手渡し、あくまでも患者には「あなたが患っているがんの治療のた
めに必要な薬剤だ」と思わせるように仕向けるのが実情なのである。そうして治験の実施
中に想定外の重篤な毒性が現れて被験者が死亡したという例は枚挙にいとまがない。そ
れが真のインフォームド・コンセントと言えるのだろうか。
 その業界内の人間にだけわかれば良い文書なら別だが、一般の人々に読んでいただく
以上は、我々が普通に理解できるように作成すべきである。裁判の判決文にしても法曹界
の人間にしか理解できないのでは新聞に報じる意味が失われるし、国民の「知る権利」を
妨害していることになる。保険の約款にしてもそうだ。契約するのは一般人なのだから素人
が読んで理解できるように作成するのが当然である。そうでなければ内容に合意して契約
が正しくなされたことにはならない。医療の現場でもそうだ。人間いつかは死期が訪れる。
病気が末期でもう何をやっても治ることはない患者を騙して、治療への期待を持たせ新薬
の実験台になってもらうための同意を取るなど言語道断である。

    (塾長コメント: ここで述べられていることは、数学の世界にも当てはまる。いつも経験してい
             ることだが、不特定多数の受験者に対して、数学の問題を提示するような場合、
             どうしても問題文が通常よりは長めになってしまう。定期試験等では簡単に済
             ませているのにいろいろ説明を補足しがちで結果としてあまり分かりやすい問
             題文にはなっていない場合が多い。これは、問題の意味全てが文章のみによ
             って判断されるので誤解等のないように正確を期すために起こることである。い
             つもだったら図を書いておしまいというような問題にも、事細かく説明文をつける
             ことになる。相手が人間である以上、不明確な文章では違った解釈をするおそ
             れがあり、それを避けるためのやむを得ない対処であると理解している。)

125「生体認証システムを導入せよ」(11月 6日)**************************************
 先月18日、首都圏にあるUFJ銀行の無人店舗内に設置された自動現金支払機に隠し
カメラが置かれているのが発見された。自動支払機を操作する客の手元を撮影できるよう
にしたもので、暗証番号やカードに記載された口座番号の盗撮が目的であることはほぼ間
違いない。現金自動支払機には隠しカメラだけではなく、撮影した映像を無線で送信できる
装置もついていた。今のところ預貯金が引き出されたという被害は出ていないようだが、U
FJ銀行では盗撮された恐れのある数十人の顧客に対して急遽暗証番号の変更を依頼し
たという。
 「やっぱり」というのが、第一報を聞いた私の感想である。本人確認を暗証番号だけに依
存している現状の方式を改善しない限り、このような事態に至るのは初めからわかりきって
いるわけで、私に言わせればまさしく「起こるべくして起きた事故」である。一年半前のこの
コーナーで私は063本人確認は指紋で」と題してこの問題を取り上げた。当時はスキミン
グによって本人の知らぬ間に預貯金の全額が引き出されるという被害が相次いだ。そこで
私は「暗証番号ではなく指紋による本人確認をせよ」と提唱したのだが、現在もなお依然と
して導入されていない。当時の金融機関側が講じた方策は、1日に引き出せる限度額を預
金者に任意に設定できるようにしたことと、暗証番号を簡単に推測されないような数字に改
めるよう預金者に呼びかけたことぐらいであった。だが、それでも暗証番号を盗み見てから
尾行してキャッシュカードをすり取られる被害が発生した。そこで金融機関側は自動支払機
に後方確認用の鏡を設置して、預金者に不審者の有無がわかるようにした。これで背後か
らの覗き見は防げるようになったものの、隠しカメラで盗撮されてしまえば結果は同じであ
る。今や盗撮カメラや盗聴器の類は非常に小型化しており、素人が探しても容易には見つ
からないように作られている。だから犯人グループにとって暗証番号を押す瞬間を盗撮す
ることぐらいは朝飯前であろう。こうした犯罪から守るため現在は預金者保護法が施行さ
れ、預金者に過失が認められない限りは金融機関側で被害を全額補償するようにした。と
はいうものの、被害に遭う恐れがあることには変わりはない。いざ自分が被害者になった
らと思うと決して気持ちの良いものではなかろう。
 やはり前にも述べたとおり、諸悪の根源は本人確認の手段に尽きる。金融機関側も預金
者を保護する対策を講じたつもりなのだが、現状の方法を継続する限り、はっきり言ってい
たちごっこである。暗証番号はどうやっても漏洩の恐れがあるので、早急に生体認証シス
テムを構築すべきであろう。手のひらの静脈を使う方式も考案されているが、一番手っ取り
早いのは指紋である。指紋は一人ひとりが全て異なり複数の人間の指紋が同一であるこ
とは絶対に有り得ないので、確実な本人確認が行なえる。しかも迅速かつ容易にできる。
我々が銀行で機械を操作する際にはタッチパネルを指で押しているのだから、
その際に指紋確認をすれば済む。カードには予め預金者本人の指紋を登録しておけば良
い。銀行だけでなく各種のクレジットカードや会員カードも同様にすればセキュリティーも高
まる。さらには、この方法はマンションや団地など中層・高層の集合住宅の玄関にも利用で
きる。どこのマンション・団地でも玄関のドアは鍵で開閉する方式になっているが、これも居
住者の指紋を予め登録しておいてそれを開錠・施錠時に認証する方式にすれば良い。そう
すれば鍵も鍵穴も必要ないわけで、ピッキングも撲滅できるのである。

    (塾長コメント: 最近世の人々は個人情報に敏感になってきている。その一方で個人情報の
             収集も巧妙化してきている。懸賞はがきなどからも情報が流出していると聞く。
             最近学校では、生徒のみならず職員の住所録等も公開しないようになってきて
             おり、生徒や職員への年賀はがきなどもままならない。以前だと、正月に生徒
             から多数年賀はがきが届いたものだが、住所を生徒宛に公開していないので、
             くることもなくなった。年賀はがきを通して教室の顔とは違った一面を感じたも
             のだが、それを感じることを許さない社会になってしまったのが寂しい。
              さて、個人の認証システムとして、菅ちゃんは「生体認証システム」を早急に
             構築すべきだとしている。しかし、それで本当に完璧!なのだろうか?電子デ
             ータになった以上、常に漏洩の危険はあるだろうし、指紋や目の虹彩等の情
             報は簡単に採取できそうだし...また電子データを暗号化しても見破られそう
             だし...とても安心できない。さらに問題は、暗証番号だったら簡単に別な番
             号に変更することもできるが、生体認証システムの個人データが流出した場合
             その人を別な人に変更することはできないので、一生危険を背負って生きてい
             かなければならなくなるのではないかという点である。世の中に完全なシステ
             ムなど存在し得ない。ましてや、そのシステムを人間が操っている以上なおさ
             らだ。世の人々が完璧だ!と認識している数学でさえ、証明不可能な命題が
             存在する。例えば、「私はうそつきだ!」と自分のことを言っても、それが正し
             いのかどうか絶対に証明することはできない。すべてのことは不完全と悟りつ
             つアバウトな感覚で生きていく方が健全だろう。暗証番号も単なる気安めと認
             識すべきである。)

124「盛り上がる日本シリーズにするには」(10月30日)*********************************
 いったいこんな結末を誰が予想しただろうか?大方の野球評論家は両チームの性質が
酷似している点を挙げて1点を争う激しい試合展開が連日繰り広げられるであろうと予想
していたが、今月22日から始まった今年の日本シリーズはじつにあっけなく終わってしま
った。セ・リーグからは阪神タイガースが、パ・リーグからは千葉ロッテマリーンズがそれぞ
れ各リーグの覇者として臨んだのであるが、結果はロッテの4勝0敗であっさりと決着がつ
いてしまった。阪神は1つも勝てなかっただけではない。4試合とも一度もリードする展開
にすることさえできなかった。4試合あわせても得点はわずかに4点、本塁打はなし、チー
ム打率は1割9分、失点は33、しかも初戦から3戦連続で二桁失点となってしまった。セ・
リーグでは随一を誇っていたチーム防御率も8.6に跳ね上がってしまった。これらの数値
はいずれも過去の日本シリーズにはないワースト記録である。なぜこのような結末になっ
たのだろうか。
 私が思うに、最大の要因は試合日程の差にある。パ・リーグでは9月28日にペナントの
全試合が終了しているが、その後にプレーオフが組まれている。まずプレーオフ第1ステ
ージとしてペナントの勝利数2位のチームと3位のチームとで2試合先勝方式で、次に第
2ステージとして第1ステージの勝利チームが1位のチームと3試合先勝方式で行なう。今
季のペナント成績は勝率・勝利数の1位はソフトバンクであり、2位がロッテ、3位が西武で
あった。ロッテはまず今月8日・9日と西武と戦った。これはロッテの2戦2勝で決着がつい
たが、その後中2日おいた第2ステージでは最後までもつれてソフトバンクと5試合とも戦っ
ている。そして22日から日本シリーズに臨んでいる。ということは選手・首脳陣とも試合感
を失うことなく、あくまでもペナントやプレーオフの延長として普段どおりのプレーができたわ
けである。では一方の阪神はどうだったのか?リーグ優勝を果たして岡田監督が宙に舞っ
たのが9月29日、ペナントの終了が10月5日である。セ・リーグにはプレーオフ制度がな
いので、阪神は中16日間公式戦が全くないまま日本シリーズに臨んだことになる。もちろ
ん、その間、練習は怠りなくやっていたであろう。何人かの選手は宮崎での教育リーグに
も参加している。しかし、リーグの制覇をかけての真剣勝負を挑んでいるロッテとは比べ物
にならないはずだ。急に明日から公式戦だと言われても体が今までのように敏捷に動くは
ずがない。これは我々の日常生活でもそうだろう。ましてや1点を争う厳しい試合で要求さ
れる微妙な投球のコントロールや打席でのタイミングなどは、公式戦からしばし離れてしま
うと急には甦るものではない。
 今季の阪神が弱いチームではなかったことはペナントを御覧になった読者なら言わずも
がなであろう。146試合を戦って87勝54敗5引き分け、2位の中日に10ゲーム差をつけ
ての優勝であった。しかし、あまりにも違いすぎる試合日程が大差での敗戦という結果を招
いてしまった。両雄がともに等しいコンディションで日本シリーズを迎えられるよう、来季から
プレーオフも含めて日程の再考を望みたい。

    (塾長コメント: 最近見ていなかった野球も、日本シリーズは興味があったので4戦とも見まし
             た。日本シリーズには、普段の野球中継にはない、見るものをゾクゾクさせるよ
             うな期待感が感じられました。特に、ロッテの選手にはアメリカの大リーガーの
             ような勝負に対する気迫が鬼気として感じられました。菅ちゃんが指摘している
             ような日程云々以前の、セ・リーグとパ・リーグの野球に対する情熱の違いとで
             もいうのか、根本的な差があるように思いました。)

123「石綿以外は安全か?」(10月23日)*********************************************
 環境省は今月21日、石綿(アスベスト)が原因で発症した中皮腫による死者が1970年
以後で最大9993人に上るという推計結果を発表した。これを受けて労災補償が適用され
なかった死者を救済する法律を国会に提出することになった。遺族への一時金は240万
円、一時金の対象者は9500人程度となるという。全員分で228億円を拠出する計算にな
る。しかし、なぜこれほどまでに犠牲者を出してしまったのか。もっと早い段階で手を打つこ
とはできなかったのだろうか。政府の対応を検討してみよう。
 アスベストが人体に有害であることは最近になって解明されたことではない。1970年代
には既にアメリカでアスベストの被害による訴訟が相次いで起こされており、国際機関もそ
の有害性を指摘したのである。我が国では1950年代からアスベストが輸入され、吸音材
や耐火被覆材など各種の建材に使われていたが、本来なら有害性が指摘された時点で政
府は直ちに規制に乗り出し輸入を中止すべきであった。しかし、我が国ではその後もどん
どん輸入され使われ続けていた。最も大量に輸入された1974年は35万トンを越えていた
のである。石綿の含有率が30%を越えるアスベスト吹きつけ材が原則として禁止されたの
は1975年であったが、含有率30%未満の吹きつけ材はその後も規制対象とはならなか
った。1980年代に入ってようやく石綿の含有率が5%を越えるアスベスト吹きつけ材が原
則として禁止になった。さらに、アスベストの被害に伴う損害賠償保険金支払いの免責を国
が認めたのは1986年になってからであった。毒性の強い青石綿・茶石綿を含有した製品
の製造・使用が全面的に禁止されたのは1995年からで、石綿含有率1%の白石綿を使
用した建材が禁止対象となったのは昨年のことである。それで今になって学校の体育館や
駅舎の天井部分などに使われたアスベストの撤去が始まったというわけである。
 以上がアスベストの規制に関する我が国の歴史である。有害であることが30年以上前
にわかっていたのであるから、規制があまりにも遅きに逸した感は免れまい。薬害エイズ
訴訟で問題となった非加熱の輸入血液製剤のときも、最近の例ではBSEのときもそうで
あったが、つねに政府の対応は後手後手に回っており甚大な被害が出てからようやく重い
腰を上げるというパターンが繰り返されている。そうなってしまうのは縦割り行政の弊害で
あったり、官僚と産業界との癒着による結果であったりと理由はさまざまだが、はっきり言
えることは国は国民の健康を真剣に考えてこなかったということである。これでは今後もあ
る有害物質が出たとき、あるいは有害であることが解明された際にも政府が同じ愚を犯す
ように思われてならない。
 私が懸念しているのは、石綿のほかにも人体に有害なものがあるのではないかというこ
とだ。現在、我々の身近で大量に使われている物質は多々あるが、それらは全て本当に
安全なのかを再考すべきであろう。たとえば農作物に大量に散布されている農薬はどうだ
ろう。毎日、我々は農家から出荷された作物を口に入れているわけだが、有害な物質が
体内に蓄積されてかつての水俣病のように一定以上の年月が経過した時点で重大な被
害が出ることは本当にないのだろうか。携帯電話やパソコンから出ている電磁波はどうな
のか。脳に悪影響があると言われているが、本当に規制しなくてもだいじょうぶなのか。も
っといえば、専門家が何も指摘していないものであっても安全が保証されているとは断言
できまい。たとえば、電子レンジで加熱・調理された料理は安全なのか。食器や衣料品に
使われる洗剤、さらには沐浴剤に含まれた化学物質は問題ないのか。寝具に使われた綿
や羽毛はどうなのか。30年以上前から被害が出ていたアスベストを今になって撤去してい
るという新聞記事を読んで、石綿以外の物質は本当に安全なのかと疑いを禁じえなかった。

    (塾長コメント: 子供たちが一日の大半を過ごす学校でもアスベストは使用されている。最近
             私の周りでも、その調査があり、使用箇所が特定された。古くはPCBなど、有
             害物質が例外なく我々の身近なところで使われていると思って間違いない。私
             の小さい頃、理科の実験で使った網の白い部分は石綿ではなかったか、石油
             ストーブの中の断熱材として石綿が使われていなかったか、など過去を振り返
             ると疑念に思うことが多い。国の遅すぎた施策のために無為に原因も分からず
             亡くなっていった方のことを思うとやるせない。)

122「限界がみえた国勢調査」(10月17日)*******************************************
 今年は総務省の実施する国勢調査の実施年に当った。5年に一度全世帯を対象に行な
われる調査だが、現在では国民からの協力が得られがたい状況になっている。個人情報
保護法を盾にして調査員と会おうとしない人も増えたし、調査の内容や方法に対する住民
の苦情も相次いでいる。また調査員になったものの途中で辞退する人もかなり増えた。5
年後に行なわれる次回は調査員を引き受けてくれる人もいなくなるのではないかと危惧さ
れている。今まで久しく行なわれてきた調査がなぜそのような困難に見舞われてしまったの
か。現状を分析して改善策を提案したい。
 まず、なんといっても個人情報を調査員に提出することに対する抵抗だろう。国勢調査で
問われるすべての項目は個人情報に該当する。車内を覗かれたくないからという理由でク
ルマでさえ黒い接着フィルム貼付済みの窓ガラスが標準装備になっている時代なのだ。ま
してや氏名・住所・生年月日・勤務先とその内容・住居の種類といった情報を調査員に提
出することに対する抵抗は言うまでもない。昨今、パソコンに入力した企業の顧客情報が
盗まれるといった事件が相次いでいるから、多くの国民が個人情報を外部に出すことに対
して神経質になるのも当然である。また、調査員そのものに対する信頼ももはや失墜して
いる。偽者の調査員が回収したり、そうかと思えば本物の調査員が思うように仕事ができ
ないことに腹を立てて回収した調査用紙を捨てたりするといった事件も起こっているからだ。
いずれにしてもこのような事件は個人情報の漏洩に直結する。だから頻発すればするほど
調査に非協力的になる人が増えるのも当然だ。
  第2に、調査される内容に対する不満である。「なぜそんな質問にまで答えなければな
らないのか」と感じざるを得ない質問項目があまりにも多すぎるからだ。具体的には、住居
の種類・勤務先の名称・業務の内容・配偶者の有無といった項目だろう。さらに、今年の調
査項目にはなかったが、10年ごとの調査には学歴や家計の収入まで問われる。どんな住
居に住もうが、どこへ勤めていようが、配偶者がいようがいまいが、そんなことは勝手だろ
うと感じる人も少なくない。ましてや学歴や家計収入ともなるとなおさらだ。だから調査され
ても正直に回答している人は非常に少ないのではなかろうか。たとえば他人に年齢を言う
とき、人間の心理として実際よりも若く答えることはよくあると思う。それと同じことで、600
万円の年収を800万円と答えたり、床面積55m2の賃貸集合住宅を70m2の分譲マンシ
ョンと回答する人もいると思う。このように虚偽の回答をされているとしたら、結局は総務省
にしても正確なデータを得られないわけで、莫大な手間と人件費まで投じて全世帯に調査
をする意義も薄れてしまうのではなかろうか。
 ではどうすれば良いか。現状の問題点は対面式と記名式という2点にあると私は思う。
前者に関しては、調査員が各戸を回って調査用紙を配布・回収するという方式を改めるべ
きである。過疎地では調査員が顔見知りの人になってしまうのは不可避であるから、個人
情報を調査員に知られる恐れが生じることに対する抵抗が大きくなるのも必然だ。あらか
じめ各戸に調査用紙を郵送しておいて、記入後は個々人が郵便ポストに投函するようにす
れば良い。この方式にすれば調査員を雇用する人件費も削減できるという利点も生じる。
調査員の身分は有期の雇用契約を結んだ非常勤の国家公務員である。つまりは我々が
支払っている税金から賄われているわけで、雇用しなければ他へ転用することができるわ
けだ。私の提案する郵送方式の問題点は、調査用紙を全世帯から回収することができな
いことである。だが、調査員が戸別訪問する現状の方式でさえも67%の回収率でしかな
い。アンケートというものは所詮どのような調査方式を採用しても対象者全てから回答を得
ることは不可能なものであるから、これは致し方あるまい。しかし虚偽の回答が含まれた調
査用紙が67%回収されるよりは、たとえ50%であっても正確な回答が得られるほうが総
務省にとっては都合が良いはずである。
 後者については記名式を廃止することだ。それと同時に質問項目から勤務先の名称も外
すべきである。理由は、たとえ氏名を記入しなくても勤務先を書けば個人が特定されてしま
う恐れが生じるからだ。勤務先の従業員が数人程度しかいないという職場もあることを政府
は考慮すべきであろう。国勢調査の事後アンケートでも、今回最も抵抗があった質問項目
は勤務先の名称だという。さらに住所は都道府県名までとし、出生年月日は年代だけを選
択する方式(たとえば53歳なら50代の項目にマークする)にする。そうすれば個人が特定
される恐れはなくなるから現状よりは協力的になるし、虚偽の回答をする人も少なくなり総
務省が求める正確なデータを得られる確率もずっと高くなるはずだ。

    (塾長コメント: 統計法で定められた調査なので国勢調査にはいつも協力しているが、調査員
             がご近所というのは、やはり気になりますね!しかも定められた調査方法を遵守
             しない方が担当で、何かやっつけ仕事でございっという感じで不信感を持ちまし
             た。菅ちゃんが提案しているように、郵送方式にすれば、互いに気苦労がなくな
             っていいかもしれませんね。)

121「食べ物の話」(10月 9日)*****************************************************
 10月に入り、さすがに真夏の暑さはすっかりなくなってきた。これからは食欲の秋という
ことで、きょうは食べ物、とりわけ外食産業について日頃から私が感じていることを述べて
みようと思う。結論から先に言うと、出されるメニューのすべてに満足できるお店というのは
滅多にないということである。どういうことか。いくつか例を挙げることにする。
 たとえばカツカレーという食べ物で考えてみよう。これはとんかつ屋さんでもカレー屋さん
でもファミリーレストランでも食べることができる。だが、とんかつ屋さんで食べるとカツは一
級品でもカレーは平凡な味になっていることが多い。逆にカレー屋さんで注文すると、カレ
ーはおいしいのだがカツがそこそこの味になってしまう。ファミリーレストランで食べるとカツ
もカレーも二級品になってしまう。これはとんかつ屋さんはカツの専門店であるし、カレー屋
さんはカレーの専門店である以上仕方がないのかもしれない。しかし、食べる側から言わ
せてもらうとカツもカレーも美味であるのが理想的だ。
 このような例は他の組み合わせでもたくさんある。たとえば、ハンバーガーをパンに挟ん
だものはハンバーガーショップでもパン屋さんでも買うことができる。しかし、パンもハンバ
ーカーもおいしかったという経験はいまだにない。ハンバーガーショップで出されたものを
食べるとハンバーカーは旨くてもパンがまずい。パン屋さんで買うとパンはおいしいのだが、
ハンバーカーはそこそこの味でしかない。また、定食でもそうだ。とんかつ屋ならたいてい
ロースカツ定食とかヒレカツ定食といったメニューがある。カツとキャベツが盛ってある大皿
にご飯・味噌汁・お新香がついている。一般の食堂でも日替わり定食などと銘打ってランチ
タイムに出している店舗が多い。これもその日のおかずにご飯・味噌汁・お新香がついたも
のだ。こういう定食の場合、たいていの店はおかずだけにしか力を入れていない。つまり、
ご飯や味噌汁までおいしいものを出す店ははっきり言って少ない。牛丼屋で牛丼を食べた
場合もそうだ。牛肉や汁だくはうまくてもご飯はたいしたことがない。
 このことは食べ物に限らない。コーヒーやオレンジジュースといった飲み物についても言
える。たとえば、パン屋さんのなかにはその店で買った商品をその場ですぐ食べられるよ
うに座席とテーブルを設置してある店舗もある。その場合、コーヒーや紅茶などと一緒に注
文できるのだが、それらの飲み物までおいしい店というのは滅多にない。つまり喫茶店で
出してくれるような、一級品の豆をその場で挽いたコーヒーは決して出てこないということだ。
入店時や食後にお茶を出すところもあるが、これもそこそこの味でしかない。やはりせっか
く食べに行くのだから、おかずだけでなくご飯も味噌汁も食後のお茶もすべて満足できるよ
うなものを味わいたいと思うのだが、それは無理な注文なのだろうか?

    (塾長コメント: 私個人的には、お蕎麦屋さんのカツ丼はおいしいと思うのだが、...。まあ〜、
             値段相応にお店の方は努力されているようですよ。菅ちゃんの望みを叶えるため
             には相当な出費を覚悟しなければいけないような予感...。)

120「阪神タイガース優勝」(10月 2日)**********************************************
 2005年9月29日、阪神タイガースのリーグ優勝が決まった。一昨年の2003年、星野
仙一監督のもとで18年ぶりの優勝を果たした。今季はそれ以来2年ぶりの優勝である。
阪神タイガースの監督は昨季から岡田彰布氏に代わった。その1年目は残念ながら4位
に終わったが、今季はリーグ開幕当初から安定した成績で栄冠を勝ち取った。一昨年の
「ぶっちぎり優勝」ほど目立った成績ではなかったが、それでも優勝できたのは次の4点の
要因に集約されると思う。
 第1に、投手陣が非常に安定していたことである。これは一昨年にも書いたことだが、野
球はやはり投手陣の出来不出来で決まるといっても過言ではない。今季、先発は井川・
福原・下柳・杉山・安藤の各投手がしっかりしていた。だから序盤から大量失点して試合が
壊れたことは数えるほどしかなかった。味方打線の援護が乏しい試合が多かったにもかか
わらず、各自の持ち味を発揮した粘り強い投球ができたことは高く評価したい。そして勝ち
試合を逃げ切るための中継ぎと抑え投手も「JFK」と呼称される3人(ウィリアムス・藤川・
久保田の3投手)が誰一人脱落することなくシーズンを通してきっちり投げきった。3人とも
じつに146試合の過半数に登板しながらも防御率1〜2点台を維持したのは立派である。
さらに、試合が劣勢なときにも失点を重ねずに粘った桟原・江草・橋本投手も見事であっ
た。いわゆる「抑えの方程式」と言われるJFKの陰に隠れて、この3投手は目立たない存
在ではあったが、彼らの活躍もあったからこそ優勝できたのである。
 第2に、打順も固定できたことだ。その中でも俊足の赤星選手を1番に起用し、彼が出塁
したら3番〜5番でホームに生還させるという攻撃パターンができあがった。4番打者の金
本選手の活躍もさることながら、それ以上に選手会長でもあった今岡選手の功績は大きい。
打率2割8分前後で138もの打点はなかなか叩き出せるものではない。チャンスをものに
する強靭な精神力と技術がいかに非凡なものであるかという一言に尽きる。
 第3に、今季から初めて導入されたセ・パ交流戦をものにしたのも大きかった。相手チー
ムのデータがない状態でも阪神は平常心を忘れずに戦い続けることができた。昨季の覇
者であった中日は、セ・リーグのチームとの対戦成績では阪神のそれと五十歩百歩である
にもかかわらず、交流戦で大きく後退してしまった。それがシーズン最後まで響く結果とな
ったことを考えると、いかに36試合の交流戦が鍵を握っていたかがわかる。
 最後に、夏場になっても今季の阪神は戦力が衰えなかったことだ。阪神は真夏に甲子園
球場を高校球児に明け渡すため長期のロードに出る。例年このロードで阪神は負け越して
しまった。そのため夏の長期ロードは「死のロード」と言われるようになってしまった。しかし
今季は勝ち越した。じつに11年ぶりの快挙である。ぶっちぎりの優勝を果たした一昨年で
さえロードは4勝11敗と惨敗していたのである。それを考えても、今夏の勝ち越しは大きか
ったと言える。もし今季も一昨年と同じ成績に終わっていたら、今頃は中日ドラゴンズの落
合監督が宙に舞っていたのではなかろうか。そういう意味で、今季の優勝は2003年の課
題を克服した優勝でもあった。
 来季以降の阪神も大いに期待できると思う。それは投手陣に若い人材が多いからであ
る。ベテランの域に達しているのはウィリアムス・下柳の両投手しかいない。エースの井川
をはじめ、今季活躍した杉山・能見・桟原・江草・橋本・安藤・藤川・久保田ら各投手はいず
れも20代前半だ。ということは、あと10年は活躍が期待される逸材なのである。阪神はこ
こ数年、投手王国と言われるようになったが、それは今後も当分続くのではなかろうか。問
題はやはり打撃陣であろう。今季、ウィリアムス・藤川・久保田のいわゆる「JFK」が抑えの
方程式として僅差の勝ち試合をものにしたが、70試合以上も登板させられている。これで
は近いうちに肩や肘の故障となってもおかしくない。抑え投手が登板しなくても勝てる試合
をもっと増やしたい。序盤から大量にリードして、終盤になって5、6点ぐらい失点しても安
心して見ていられるような展開に持ち込むのである。それには破壊力のある打撃陣の構
築が急務である。現在の4番は金本選手であるが、36歳という年齢を考えるとそう遠から
ぬうちに引退となるのは目に見えている。となると、今岡・濱中選手クラスの大砲を少なくと
も3人は育てる必要がある。

    (塾長コメント: 例年は何試合かTV観戦する程度なのですが今年は全く観なかったですね!
             ですから、「阪神、優勝!」が決まっても遠い異国の出来事のようにしか感じら
             れません。日本全体のプロ野球に対するイメージが変化した年だったように思
             います。)

119「職業の名称は『士』か『師』か?」( 9月25日)*************************************
 先日、職員室でこんな話があった。
  A:「『ほいくし』は『保育士」でいいんだよねぇ。それとも『保育師』になるの?」
  B:「え?『保育士』でいいんじゃないの?」
  C:「へぇ〜。国語の先生でも知らないことがあるんだ。」
  A:「そりゃあ、あるよ。最近になって勝手に変えられたから俺だってわかんないよ。」
 そのとき私は自分の仕事をしながら黙って聞いていたが、確かに悩む問題である。2年
前から「看護士」が「看護師」と表記されるようになったが、その事情は「士」という漢字に
問題があるからだとされている。国語辞典を引けば「士」という漢字には次の意味がある。

 1・独立した成年男子―――名士・紳士・国士・多士・義士・居士など
 2・官位に就いた男子―――進士・士君子・士大夫・逸士など
 3・軍事における指導的階級―――武士・兵士・騎士・勇士・戦士など
 4・ある資格を有する者―――博士・学士・棋士・代議士・税理士など

 1・2に示したとおり、「士」には「男性」という意味がある。また、確かに昔は男性しか勤
めていなかった職業があった。たとえば鉄道の運転手がそうだ。かつては男子だけが就
く職業だと当然のように考えられていた。
 しかし今では女性の運転手もいる。このように女性の職場進出とともに、ジェンダー(性
別による文化的・社会的役割の分担)の意識の高揚もあって、その職に従事する人に対
して「士」という漢字を充てて呼称するのは好ましくないということになった。
 一方、「師」の意味は次の通りだ。

 1・子弟を教える者―――師匠・師表・教師・先師・旧師・恩師
 2・宗教の指導者―――牧師・法師・禅師など
 3・技術者や専門家―――医師・薬剤師・仏師・絵師・詐欺師など
 4・法師や講談師の敬称
 5・軍隊の単位―――師団・水師・出師など
 6・大勢の人―――京師など

 つまり「師」には3の「技術者や専門家」という字義がある。だから「かんごし」を「看護師」
と表記するようにしたのである。しかし、その理屈でいくと冒頭の「保育士」はもちろんのこ
と「弁護士」「運転士」「航海士」「消防士」「栄養士」「税理士」「代議士」「計理士」「公認会
計士」など、技術者や専門家すなわち何らかの資格や免許を取得してから勤めることが
できる職業はすべて「○○師」と表記しなければならなくなる。今や男性にしかなれない職
業は限られている。神社の宮司と相撲で土俵に上がれる者ぐらいだろう。しかし「看護士」
は「看護師」となったものの「運転師」「税理師」「代議師」という言葉はまだ公認されていな
い。だから冒頭のような会話をして個々の職業ごとに確認するようになってしまうのである。
「保育士」は果たして「保育師」になったのか?国語の教師ですら悩むのももっともである。
 この問題について私に言わせれば、そもそも「士」を「男性」と解釈してジェンダーを問題
にする方こそおかしいのである。確かに「士」には「男性」という字義もあるが、4にあるよ
うに「ある資格を有する者」という意味もあるのである。だからここは4の意味に解して従来
どおりの表記で問題はないと思う。そんなにジェンダーを問題にするのならば、現在「士」
が用いられている職業は全部「師」に代えるべきだろう。看護師は「師」なのに弁護士や栄
養士が「士」なのは実態にそぐわない。どちらも女性も勤めているし、どちらも専門家(資
格・免許がないと勤めることができない)だからだ。ということで結論は従来どおり「士」の
ままとするか、そうでなければすべて「師」に統一するか、はっきりさせてほしい。「師」と改
めた職業もある一方で「士」のままの職業もあるというのでは混乱の元である。

118「2005年衆議院選挙について思うこと」( 9月18日)*******************************
 蓋を開けてみれば、予想以上の自民党の圧勝であった。自民党は296議席、議席占有
率は61.7%にも達した。これは戦後2位の記録である。公明党とあわせた与党勢力でみ
ると327議席、全議席の2/3を占めることになった。 これで郵政改革法案はたとえ参議
院で否決されてももう関係なくなった。衆議院で再可決されればそのまま成立となるし、再
可決されるのも間違いないからだ。
 今回の選挙結果について私は次のように思う。一言で言えば、小泉政権に匹敵する魅
力的な政治家がいないということを如実に物語った選挙だということだ。自民党は郵政改
革法案の是非を選挙戦の争点にした。しかし大部分の有権者にとって、郵政の民営化は
それほど大きな関心事ではなかったはずである。郵政事業が現状の公社のままだろうが
民営化されようが、それが国民生活に大きな変化をもたらすわけではないからだ。だから、
郵政民営化という方針そのものに高い支持が得られたわけではないと思う。また自民党が
圧勝したことは事実だが、別に自民党に対する信望が過去とは比較にならないほど厚くな
ったとも思われない。では、「小泉純一郎」一政治家個人に対する魅力なのか?そのよう
に評価する識者もいたが、私はそうとも思えない。小泉政権になって3年が経過したが、こ
の間に国民生活に明るい展望が見えてきたわけではないからである。景気が良くなったわ
けでもないし、雇用が改善されたわけでもない。年間3万人を越えていた自殺者が減った
わけでもない。対外に目を向けても、歴史教科書や靖国神社問題で中国をはじめとするア
ジア各国との溝は未だに埋まらないままである。そう考えると小泉内閣に及第点はつけら
れないだろう。それにもかかわらず自民党が圧勝できたのは、現政権に代わって日本の
未来を信託できるに足る政党や政治家が存在しないからである。「今度の選挙はこの党
に託したい」と期待できる政党もないし、「この人に任せてみたい」と期待できる政治家もい
ないのだ。だから「他の党に比べれば自民党にするしかないかな」ということになる。
 しかし、特定の党が圧勝することは私は歓迎できない。ともすれば独裁政治になってしま
うからである。おまけに小泉政権が続いて、良くも悪くもそれまで久しく自民党内に根強く
存在した派閥が崩壊した。今回も郵政改革法案に造反した議員は党を追い出されてしまっ
ている。つまり小泉政権に異を唱える「反主流派閥」の存在は許されなくなったわけだ。そ
うなると消費税率のアップにしても年金の切り捨てにしても、さらには憲法改正にしても法
案を提出しさえすれば何でもかんでも可決できる状況が作り出されるわけで、考えてみれ
ばこれほど恐ろしいことはないと思う。さらに、衆議院選挙の圧勝で参議院の存在価値が
失われることも看過できない。我が国は二院制ではあるが、法案や予算案には衆議院の
可決が優先することになっている。たとえ参議院で否決されても衆議院で再可決すれば成
立となるからだ。そうなると小泉政権が万一暴走するようなことがあったとき、それをチェッ
クしたり歯止めをかける機能は全く失われてしまうということだ。かつてのドイツでナチスが
全権委任法を可決させて一党独裁体制を築いて第2次世界大戦を起こしたことは有名だ
が、最初からアドルフ=ヒトラーが独裁政治をしていたわけではない。まずは選挙でナチス
が第一党の座を確保し、彼も選挙で首相に選ばれたのである。そのことを忘れてはならな
い。
 世論調査によると「我が国の政治にも2大政党制が必要だ」という声は70%近くにも達し
ている。これは野党の支持層だけでなく自民党の支持層からも切望されている。しかし現
実は2大政党のもう一つの核となるべき民主党が大きく後退してしまった。社民党・共産党
など他の野党にいたっては一桁の議席でしかない。民主党は岡田代表が引責辞任をした。
昨日行われた代表選挙では、わずか2票差で菅 直人氏を破った前原誠司氏が後継者に
選ばれた。しかし、現状では誰が就任しても小泉政権に対抗しえる勢力には及ばないよう
に思われる。これは非常に情けないことである。もっと求心力を高め支持層を増やして、現
政権と激しいデッドヒートを演じてもらいたいものだ。

117「ウイルス添付メールはなくなったが・・・」( 9月11日)******************************
 各種のウイルス対策ソフトが充実したおかげで、ここ数ヶ月はウイルス添付ファイルのあ
るメールが来なくなった。その代わりにといったら変だが、女性との交際を誘うメールが毎
日のように届く。具体的にはこんなものだ。「当社の会員から貴方様に特別待遇指名が入
りました。」という書き出しで始まり、続いて相手の女性の氏名やプロフィールが紹介され、
本人のコメントと称して交際を希望する旨の文章が書かれている。その下には「交際を希
望する場合はこちらから登録して下さい」とあって登録先のアドレスが載っている。ときには
「登録するだけであなたは100万円もらえます」などという誘い文句も書かれている。また、
「配信拒否はこちらから」との文言でそのアドレスも書かれている。
 いずれにしてもそれらのアドレスにクリックさせて悪徳サイトにつながるように仕組まれて
いるのだろう。もちろん私は相手にしないが、ここ数ヶ月はこのようなメールばかりが毎日
10通程度は届く。送信者のアドレス表示は必ず「info@××××.com」だ。この「××××」
の部分がアルファベッド3〜9文字なのでいくらでも組み合わせができる。だから、メールの
文章は全く同じなのにアドレスだけが異なっていたりする。勤務を終わって帰宅すると必ず
このアドレスからのメールが来るので、その都度「メッセージ」から「送信者を禁止する」をク
リックし、2度と受信トレイに表示されないようにするのだが、次々とアドレスが変わるので
際限がない。ウイルス添付ファイルがないとはいうものの、これはこれで非常に迷惑だ。本
当に何とかならないものだろうか。

116「代議士の魅力とは」( 9月 4日)************************************************
 第44回総選挙が先月30日に告示され、候補者の届け出も締め切られた。選挙区には
定数300議席に対して989人が、比例代表では定数180議席に対して779人(単独では
143人)がそれぞれ立候補した。立候補者の総数は1132人だから、652人が落選する
計算になる。激戦を勝ち抜くべく声を嗄らして遊説し、車から手を振ったり、街頭で握手した
り、情けないくらいまでに頭を下げて支持を訴えたりと、候補者はみんな一生懸命だ。しか
し、そんな思いまでして代議士になりたいものだろうか?そんなに「政治家」という職業は魅
力あるものなのだろうか?それが私の率直な感想である。理由は次の4点だ。
 第1に、代議士になるにはまず激しい選挙戦に勝たなければならないからだ。芸能人や
スポーツ選手などもとから知名度の高い人々は別として、現職が活躍しているところへ新
人として参入するのはじつに大変だ。地道に名前を売り顔を覚えてもらい自分の主張に理
解を求めていかなければならないからだ。それでも何度目かの選挙戦で当選できればまだ
良いほうだという。実際には何度も挑戦したものの落選しっぱなしという候補者の方がずっ
と多いのである。
 第2に、晴れて当選して議員バッジをつけることができたとしても、それで直ちに自分の理
想とする政治を実現できるわけではないからだ。代議士は独裁者ではないのである。無所
属なら480人のうちのたった1人の力でしかない。政党に所属していれば、たとえ自分の意
に反することでも党執行部の決定に従わなければならない。そうしないと今回の郵政民営化
法案のときのように「造反者」とみなされ党公認を得られなくなる。党執行部の方針と自分の
意見が合致していても、他党から反対されてしまえばそれまでである。ナポレオンやルイ14
世のように自分で国家や人民を操れるのならおもしろいだろうが、現代の議院内閣制のもと
ではたとえ総理大臣といえどもそんなことはできない。つまり「自分の理想とする政治」はほ
とんど絵に描いた餅でしかないのである。
 第3に、代議士になれたといっても衆議院では最長4年、参議院でも6年しかないことだ。
しかも、その間に衆議院が解散されればさらに短くなる。任期満了にしろ中途にしろ、解散
があれば当然次の総選挙に臨まなければならない。一般的には現職が有利と言われるが、
だからといって当選が保障されているわけではない。やはり声を嗄らして遊説し、車から手
を振ったり、街頭で握手したり、情けないくらいまでに頭を下げて支持を訴えたりと、たいへ
んな思いをしなければならない。そして多額のお金が選挙で失われることになる。
 第4に、現在のわが国のあらゆる懸案事項に対して勉強しなければならないことだ。外交
問題・経済問題・社会問題など、代議士にとっては知らなければならないことが山のように
ある。一年生議員はそれだけでも大変だと聞く。大学教授のように勉強したことが一生役立
つのなら勉強する甲斐もあるだろうが、代議士の場合はわずか4年か6年の任期内でしか
役立たない。
 そんなことを考えると代議士はそんなに魅力のある職業?とは思えないのだが、やはり
なれるものならなりたいものなのだろうか?立候補している方々には失礼だが、選挙運動
を見るたびにそう思わずにはいられない昨今である。

115「不祥事への対応は相変わらず」( 8月28日)**************************************
 第87回全国高校野球選手権大会が先週終わった。優勝は57年ぶりの2連覇を果たし
た駒大苫小牧高校であったが、その学校で教鞭もとっている野球部長(27歳)が部員に
2度暴力をふるっていたことが発覚した。報道によると暴力事件の概要は次のとおりであ
る。最初の事件は6月2日の朝に起きた。練習態度の不真面さを理由に、野球部長はあ
る一人の3年生部員の顔を殴った。2度目の事件は甲子園大会期間中の8月7日であっ
た。宿舎で6月2日に殴った同じ部員を呼び出して、決められた量の食事を摂らなかった
ことを理由にスリッパで殴っている。この2度目の暴力事件の翌8日、学校に匿名の電話
が入った。教頭が事情聴取したところ、この野球部長は暴力の事実を認めた。翌9日に
は同校の篠原勝昌校長も事件の内容を把握していたが、日本高校野球連盟への報告や
野球部長の処分は大会後にすることに決め、そのまま甲子園大会の決勝戦まで勝ち残り、
表彰式に臨んだとのことだ。
 この種の事件に必ずといってよいほど見られる残念な現象が2つある。ひとつは、加害
者側と被害者側とでは事実認識に大きな隔たりがあるということだ。今回の事件に関して
もそうである。8月24日の朝日新聞朝刊に掲載された両者の主張についてみてみよう。
原文のまま以下に紹介する。まず、校長の記者会見の要旨である。
(6月の暴力行為)
 朝練のノック中、やる気のない守備をし、練習後に口頭で注意したら反抗的な態度をと
 ったので、行為があったようだ。部長に確認すると、3〜4発平手で殴ったそうだ。

(8月の暴力行為)
 宿舎で夕食中、暑さ対策と体力増強のためにどんぶり3杯のご飯を食べるよう指導して
 いたが、この選手は2杯で量をごまかした。自分のスリッパで頭を1回はたいた。

これに対し、被害者の父親の話は次のとおりである。
(6月の暴力行為)
 朝の練習のノックでエラーをした際に白い歯を見せたところ、「たるんでいる」として、ノッ
 クをしていた部長がバッドのヘッドで胸をこづき、顔・みぞおち・腰を40回くらい殴るける
 などした。

(8月の暴力行為)
 部長から「何杯、めしを食べたのか」と聞かれて「3杯です」というと、「うそをつくな。おれ
 はちゃんと見てたんだ。2杯しか食べてないべ」と言われて、正座させられた上、スリッパ
 で頭を殴られた。ほかの部員が出たミーティングに、ただ1人参加させてもらえなかった。

また、事件の公表が大会後に遅れた事情についても、校長の会見要旨は次のとおりであ
る。
 隠す意思は全くなかった。(被害者の)保護者が大会期間中には対応しなくていいとおっ
 しゃり、今日まできた。学校として親が言っている意見と部長の話が違っていたので、発
 表できる段階ではなかったと判断した。

被害者の父親の主張はここでも大きく異なっている。「学校から再三にわたって『大会後ま
で騒ぎ立てないで欲しい』と言われた
」と反論しているからだ。このように両者の言い分が
大きく異なる場合、この被害者が日頃から針小棒大にものを言う性格でない限り、被害者
側の発表の方がより事実に近いものだと推断できる。こういう不祥事では加害者側は過小
報告するのが常だからである。学校に対する悪い印象を少しでも世間に与えないようにし
ようという心情からなのだろうが、後から真相が発覚し隠蔽や歪曲が明るみに出る方がま
すます心証が悪くなるということを知らないのだろうか。
 残念な現象のもうひとつは、不祥事が起きたとき、それを直ちに世間に公表して謝罪す
る潔さが全く見られないことだ。明徳義塾高校にしてもそうであった。甲子園大会の組み合
わせ抽選会の後になって事件が明るみに出て出場辞退に追い込まれたのである。そして
駒大苫小牧高校でも先述の事情で大会後の8月23日に我々は事件を知らされることにな
った。それも最初の暴力行為は、甲子園はおろか道大会の始まるはるか以前の6月2日
の朝である。教師による暴力事件を2ヶ月以上も内密にしておいて、今になって「隠す意思
は全くなかった」などとよくもぬけぬけと会見できるものだ。もっとも、こういう風潮は学校だ
けに限ったことではない。ひょっとしたら日本人全体に共通してみられる気質なのかもしれ
ない。考えてみれば過去に世間を騒がせた事件――古くはロッキードやリクルート、最近
ではゼネコン・三菱ふそうトラックの欠陥・橋梁談合でも同じだからだ。発覚しない限りは悪
事を繰り返し、発覚しても小出しに過小報告をしながらなんとか余罪を隠蔽しようと努め、ど
うにも弁明ができなくなる段階まで追い詰められてからようやく世間に公表して謝罪する。
このしたたかな神経は一朝一夕にはなくならないであろう。じつに情けない話だ。
 今回の暴力事件について、今後に向けての課題は2つあると思う。一つは不祥事そのも
のをなくすことだ。これに関しては日本高校野球連盟も各学校に指導しており、不祥事に
対しては公式戦の出場停止処分などの制裁をもって厳しく臨んでいる。しかしそれ以上に
重要なのは、不祥事への対応を潔くするように改めることである。それには不祥事そのも
のへの制裁もさることながら、それ以上に事実の公表を遅らせたり公表すべき内容を隠
蔽・歪曲したことに対する制裁を厳しくすべきであろう。そうしないと「たとえ不祥事を起こ
しても大会後に先延ばしにして公表すれば、とりあえず公式戦には出場できる」という悪し
き前例を作るだけで、今後も不祥事を起こしては隠蔽工作に走る学校が後を絶たないで
あろう。
 ただ、日本高校野球連盟にしても今回の事件の処分が難しいことは事実だ。優勝旗を
返還せよという声もあるが、優勝を勝ち取ったのは一人ひとりの選手であり、暴力事件に
関わりのない彼らには何の罪もないからである。事件を起こしたのは野球部を指導監督
すべき立場の人間であることを考えると、甲子園大会への出場を辞退した明徳義塾高校
とは事情が異なる。それを考えての処分となるのだろうが、報告書を受け取った日本高
校野球連盟がどのような対応をするか私も注目している。

    (塾長コメント: 8月27日に日本高野連の判断が示されましたね!野球部長は謹慎処分、
              野球部は警告処分、優勝は認める、秋季大会・国体も参加OK...。)

114「音楽CDは生き残れるか」( 8月21日)******************************************
 音楽を自宅で聴く方法といえば、昔はレコードを買って来てプレーヤーで演奏するしかな
かった。FM放送を聴くという手もあったことはあったが、これは放送局側から一方的に流
されるものを聴くしかなかったので、いつでも好きなときに聴きたい楽曲を聴くというわけに
はいかなかった。仮に聴けたとしても、放送局側の都合で曲が最後まで終わらないうちに
DJが入ったりCMが挿入されたりで、落ち着いて音楽を楽しむことはできなかった。という
わけで好きなときにじっくり聴くためにはレコードしかなかった。
 ところが、時代とともに音楽を楽しむ形態も恐ろしいほど変わった。まず「買う」のではな
く「レンタル」することができるようになった。レンタル業界はどこもだいたいそのレコードの
小売価格の10%でレンタルしていた。2000円のレコードなら当日返却で200円というわ
けだ。借りるのだから当然返さなければならないが、カセットテープに録音してしまえばい
つでも聴きたい時に楽しむことができた。テープ代が別途200円程度かかるものの、それ
でも合計400円程度で済んだからレコードを買うことを考えれば経済的な負担はかなり軽
減された。著作権が問題になったのはこの「レンタル」業界が繁盛して、レコードそのもの
の売り上げが下がり始めたからである。
 80年代の後半からはレコードがCDに取って代わった。針を音溝にトレースするレコード
に対し、CDは非接触方式だったので再生回数を重ねることによる音質の劣化がなかった。
だからCDをカセットテープに録音して何度も再生すると音質の差がかなり出た。やはり良
い音質で楽しむのなら「借りる」のではなく「買わ」なければダメだと言われたが、そのカセ
ットテープも同じく非接触方式のMDに取って代わりこの問題も解消されると、やはりレンタ
ル店からCDを借りてMDに録音する人が圧倒的に増えた。また、再生回数を重ねても音
質の劣化がないという特長はCDに「中古」という新たな市場が参入できる要素を生み出し
た。中古のCDを購入しても新品と同様に良質な音質で聴くことができるからである。さすが
にリリースされたばかりの新譜を手に入れることはできないが、何ヶ月かすれば小売価格
の半額程度で買えるようになる。CDを購入したもののすぐに聞き飽きて中古店に売りに出
す人もいるからだ。こうなると1枚のCDが複数の人の手に渡ることになり、やはりCDの売
り上げが下がってしまった。
 パソコンや携帯電話が普及した現代は、レンタル市場や中古市場に加えてネット市場も
参入してきた。ネット上で配信される楽曲をパソコンや携帯電話にダウンロードできるよう
になったからである。だからCDを取り巻く状況はそれまでとは比較にならないほどますます
厳しいものになった。もはや音楽はお店に足を運んで買う時代ではなくなってしまったので
ある。それもポップスなら1曲200円程度でダウンロードできる。携帯電話への着メロをダ
ウンロードするなら何十円もしない。ダウンロードにかかる通信費用は別途負担になるが、
ほとんどの人は携帯電話かパソコンのいずれかを所有しダウンロードの有無に関わらず
プロバイダーや携帯電話会社に料金を支払っているので、これを利用しない手はないとば
かりにダウンロードして楽しんでいる。「デジタルコンテンツ白書2005」によると2004年度
のCDの売り上げは5078億円とまだまだ不動の地位を確保しているものの、前年度比の
成長率は98.2%で下降したとの調査結果を公表した。それに対しインターネットによる音
楽配信サービスはまだ36億円にとどまるものの前年度比では211.8%、「着うた」などの
携帯電話向けのサービスは1099億円だがこちらも前年度比122.5%で、成長の勢いは
すさまじいものがある。
 今後は安価に気軽にダウンロードできるネット市場が繁盛するだろうから、このままでは
ますますCDの売れ行きが下がってしまう。したがってCDが音楽市場で生き延びるために
は、まず価格そのものを見直さなければならないだろう。現在の日本のポップスでみると、
シングルで税込み1050円、アルバムで同じく3090円が相場だが、1曲200円でダウン
ロードできる時代になったことを考えると、シングルは500円、アルバムでも2000円程度
に下げて、ネットで購入する際の価格との格差を縮めるべきだ。また、ジャケットの中身な
ど楽曲以外の付加価値も高めなければならないだろう。CDにはCDの良さがある。アーテ
ィストの写真や歌詞カード、初回限定盤につく特典などをさらに充実させて、ネット市場では
得られないものを提供してほしい。そうしないと、かつてのLDがDVDに敗れて消え去った
のと同様に、CDそのものが音楽市場に生き残れなくなってしまう。

    (塾長コメント: 通勤時、車の中で聴いている曲は福田沙紀の「アタックNo.1 2005」。これを
              聴いていると、その日の働く意欲が湧いてきます...。このCDは、久しぶり
              に購入しました!普段は、図書館で気に入ったものをかりて聴いています。
              CDをレンタルするとか、ダウンロードするという発想は今までなかったです。
              やはり気に入ったCDは購入する派ですね、私は。一時かけられていたコピ
              ーコントロールも最近は外される方向に動いていて、音質も少し回復したのか
              な?)

113「総選挙をしてまで法案優先か」( 8月14日)**************************************
 小泉政権が改革の本丸と位置づけている郵政民営化法案が8日の参議院本会議で採
決された。結果は賛成108票に対し反対が17票上回る125票で、自民党からは22人
の反対と8人の欠席・棄権が出た。これを受けて小泉首相は直ちに衆議院の解散を決め
た。だが、その臨時閣議でも紛糾し3人の閣僚が異議を唱えた。解散詔書への署名を拒
否した大臣1人が罷免されるという異例の事態になった。
 この解散に対する識者の見解は否定的なもののほうが多いように思われる。総選挙を
歓迎する声もないわけではないが、「自爆テロ解散」「腹立ちまぎれ解散」などと評する人
もいる。また解散によって政治的空白を作ることに対する批判の声もあがっている。私も
今回の解散に関しては賛成できない。それに法案の是非はともかくとして解散に関して言
わせてもらうとわからない点がいくつかある。
 第1に、なぜ解散に踏み切らなければならないのかがわからない。法律案の採決にあた
って衆議院と参議院とで異なる決議が出された場合、衆議院で出席議員の2/3以上の
多数で再び可決すればそのまま法律となることが憲法59条第2項で規定されている。ま
た同条第3項では衆議院が両議院の協議会を開くことについて規定されている。しかし首
相はそういう選択肢を吟味せずに直ちに解散に踏み切った。衆議院で出席議員の2/3
以上の多数で再度可決させることはできそうにないという判断があったからなのだろうが、
それならばさらに審議を継続して小泉首相の言う「抵抗勢力」を説得して法案に対する理
解を求める努力をすべきではないのか。
 第2に、総選挙に臨んで現与党で過半数を獲得できる勝算があるのかということだ。
「造反した議員は自民党として公認しない」「すべての選挙区で自民党公認の候補者を擁
立する」と首相はいうが、さきの衆議院の採決で造反した議員も無所属で出馬するだろう
から、公明党や野党各党の候補者も含めて票がどう流れるかはわからない。そのうえ、
造反した議員を抱える都道府県連の中には党本部の公認が得られなくても県連推薦など
の形で前議員を支援する方針を固めたところもある。それでも勝てると確信しているのだ
ろうか?もし勝てなかったら造反した前議員に対して、そういつまでも強硬な態度を貫き
通せないだろう。もし首相のめざす「新しい自民党」の勢力が少なければ連立政権になら
ざるを得ないからだ。第一、小泉首相が総理に再選されるとは限らない。仮に再選されて
郵政民営化法案も再提出するにしても、そのときに臨んで無所属で出馬して当選した前
「抵抗勢力」の議員を自民党に復党させて数合わせに走るのでは、何のために解散させ
たのかがわからない。だが、そんな悲観的な事態は考えていないようだ。あくまでも自民・
公明の両党で過半数を勝ち取れると読んでいるのだろう。しかし、何を根拠にそう確信し
ているのだろうか。
 第3に、今度の総選挙で仮に首相の満足する議席を獲得できたとしても郵政民営化法
案がすんなりと通るとは限らないことだ。むしろ、衆議院で可決しても参議院で否決という
今回と同じ結果になる可能性が高い。理由は参議院議員は現在のメンバーと変わらない
からだ。今回造反・棄権した参議院議員が次も同じ行動に出れば結果は同じである。ま
たしても衆参で異なる議決が出たとき首相はどうするのだろうか?これも私にはわからな
い。
 結局のところ、今回の衆議院解散はわからないところだらけという感を免れない。そして
最大の問題は国民不在の解散劇だということだ。108「郵政民営化の意義とは」でも述
べたが、小泉政権に対して国民が最も望んでいることは景気の回復や雇用の安定といっ
た自分の生活設計に関わる切実な問題であって、郵政の民営化ではないし、ましてや自
民党内に根強く残る「抵抗勢力」の一掃でもないのである。それを「郵政民営化の是非を
国民の審判で問いたい」と言われても我々には何とも判断のしようがないというのが本音
だ。そんなことで国民の審判を仰ぐヒマがあるのなら景気の回復や雇用の安定に全力で
取り組んでもらいたい。年間で3万人を越える自殺者が出ている状況はあと何年経てば
解消されるのか?国民にも「痛み」を伴う政治にあと何年我慢すれば良いのか?このよう
な状況をよそに、自民党内での抗争になぜ国民もつきあわなければならないのか?私に
とって今回の解散劇はそんな印象でしかない。

112「広島・長崎よりも大切なこと」( 8月 7日)****************************************
 今年は戦後60年。節目の年である。広島では今年も原爆死没者の慰霊と世界の恒久
平和を唱えて平和記念式典が執り行われ、天皇・皇后両陛下と首相が出席され挨拶を述
べた。60年を経過してもあの原爆ドームはそのままの姿で残されている。今後何十年か
経過して当時の被爆者が全員逝去しても、広島では平和記念式典を続けるであろうし、原
爆ドームも維持していくに違いない。唯一の被爆国として日本が世界に平和の尊さを発信
し続けなければならないからだ。
 しかし、私はそれよりも重要なことがあると思う。それは加害者としての日本の過去を忘
れないことである。東京大空襲の日・広島と長崎に原爆が投下された日・終戦となった日。
これらはほとんどの日本人が知っている。では、南満州鉄道を爆破した日・南京で大虐殺
をした日・真珠湾を奇襲した日はどうか?本当ならそれらの日こそ知っていなければなら
ないはずだ。答えはそれぞれ9月18日・12月12日・12月8日だが、知っている人は意外
と少ない。授業や受験勉強で日本史を勉強している生徒・学生はともかく、大部分の社会
人は知らない。それはなぜか?理由は一つしかない。過去に犯した我が国の過ちを政府
がきちっと調査しその結果を国民に公表してこなかったからである。マスコミ各社もこのテ
ーマを真剣に取り上げて国民に報道したことはなかった。日本の同盟国であったナチス=
ドイツが犯したホロコーストについての出版物はたくさん出ているが、肝心の日本軍の加
害記録に関する著書がない。だから南京大虐殺や従軍慰安婦の実態がどうだったのかも
説明できないのである。
 被害者が受けた傷は簡単には癒えないが、加害者の犯した罪は忘れやすいとよく言わ
れる。しかし私に言わせれば、加害者自身が過去を美化して真摯に反省しないからそうな
るのである。絶対に忘れまいとする努力が足りないのだ。東京大空襲の日・広島と長崎に
原爆が投下された日・終戦となった日を知っているのに南満州鉄道を爆破した日・南京で
大虐殺をした日・真珠湾を奇襲した日を知らずにいるのは、まさしくそれを証明していると
思う。広島・長崎も大切なことには違いないが、それ以上に日本の加害行為に対する反省
――それこそ真っ先にすべきことではないのか? 広島の記念式典に天皇・首相が出席
して挨拶を述べるのならば、満州事変の日にも何らかの式典を開いて天皇・首相が謝罪
の意を述べるような誠意ある場も必要だと思う。もし日本がそういう式典を毎年開催して犠
牲者の冥福を祈り不戦の誓いを表明し続けていたら、かつて大東亜共栄圏の名の下に日
本に侵略されていたアジア各国の日本に対する心証もずっと良くなっていたに違いない。

111「集合住宅におけるモラル」( 7月31日)******************************************
 私事で恐縮だが、私は賃貸の団地住まいである。当時の日本住宅公団(現在の都市
再生機構)が70年代に造成したもので、賃貸だけでも820戸ある中規模な団地だ。私
は関西からここに転居して来年で20年になるのだが、居住者のモラルが低下している
ことを感じざるを得ない光景をたびたび目にする。具体的には次の6点だ。
 第1に、玄関に表札を出さない家が多くなってきたことである。団地の表札は、自分の
名字を紙に書いて玄関のドア横に備え付けられている表札入れに差し込む方式である。
大して手間もカネもかからないのに、表札を出さないのは理解に苦しむ。以前に住んで
いた場所から夜逃げして転居したとか、あるいは何らかの理由で誰かから恨まれていて
自分の身が危ないといった事情で、表札を出せないというのならわからなくもない。しか
し、それにしても表札を出していない居住者があまりにも多い。このことは1階の入口に
並んでいる郵便受けに掲示する名札についても言える。
 第2に、団地内の違法駐車が目立つことだ。居住者のために団地内にもある程度の駐
車場はあるのだが、大規模な集合住宅では1世帯に1台分を確保できていないのが実
情だ。しかし、その場合は団地から多少離れていても民間の月極め駐車場を契約すべき
であろう。団地内の駐車禁止区域に常時停めているとゴミの収集車や路線バスが思うよ
うに通れないばかりか、火災などの非常時に消防車や救急車が現場に急行できず被害
を大きくしてしまう恐れがある。災害で尊い人命が失われてからでは取り返しがつかない
ことはわかりきっているはずなのに、そういう意識をもって違法駐車をやめる人はあまり
いないようだ。
 第3に、ゴミの捨て方がひどいことだ。特に、テレビやパソコンといった大型ゴミをゴミ捨
て場ではない場所に放置している。また、壊れて乗れなくなった自転車やバイクなどもそ
のまま駐輪場に置いている。ひどい例では、自分が他所へ転居するときにこれらのゴミを
不法投棄している。自分で出したゴミは自分で責任を持って始末する。そんな当然のこと
ができていない。団地内には階段・廊下・エレベータの踊り場など居住者がみんなで使う
公共のスペースがたくさんあるが、それをいいことにそこへかまわず捨ててしまう。煙草の
吸殻もそうだ。朝、エレベータで1階に下りるために自分の居住する階の踊り場からボタン
を押してエレベータを呼ぶわけだが、そのたかだか1分か2分の待ち時間を我慢できずに
煙草に火をつける。そしてエレベータが到着すると、火のついた煙草を持ったまま乗りこん
でしまう。もちろん「エレベータ内は禁煙」と明記されているのだが、おかまいなく吸ってい
る。そして1階に降りるとエレベータホールで煙草を足で踏み潰して出勤してしまう。こうし
て毎朝1階のエレベータホールに吸殻が何本か捨てられるわけだが、当人は「自分だけ
が吸殻を捨てているわけではない」とか「どうせ誰かが始末してくれているのだからかまわ
ないだろう」といった意識しかないのだろう。
 第4に、禁令を犯してペットを飼育している居住者が多いことである。最近はマンションや
アパートでもペットを飼育できる物件が結構増えたが、当時の日本住宅公団が60年代か
ら80年代にかけて建設した団地ではペットの飼育を禁止している。しかし、都市再生機構
の職員が居住者宅を巡回してペットの有無をチェックすることはないので、飼っていても発
覚しない。仮に何らかの理由で発覚したところで、それだけを理由に賃貸借契約を解除さ
れて強制退去させられた例はない。だから、結局は賃貸借契約を違反したまま飼い続け
ている。これも煙草と同様で「自分だけが違反してペットを飼っているわけではない」という
意識なのだろう。規則を守れない人がいかに増えたことか。
 第5に、建物内の通路・階段など公共の場の管理を居住者自身でしようとする意識がな
くなったことである。昔はどこの団地でも階段当番があった。みんなが利用する階段の清
掃は居住者どうしが話し合って分担していたものである。また、そのための箒や塵取りも
階段や通路の所定の場所に置かれていた。しかし、今はそんな当番もなくなってしまった。
だから、春になれば土埃が、秋になれば虫の死骸や落ち葉が溜まって、あまり往来のな
い場所は汚くなる一方である。そうなるとそこへ痰を吐いたり吸殻や空き缶を捨てたりす
るようになる。しまいには家庭の粗大ゴミまで捨てられて3ヶ月も経たないうちに目も当て
られない状態になる。それでも関心を払う人はいない。
 以上の現象は私の住む団地だけではなく全国的にそういう傾向が現れているようだ。一
概には断定できないものの、マナーの悪い居住者ほど自治会にも加入していない傾向が
大きい。だから彼らは自分の居住する棟の住人の名前や顔も知らずに生活している。ひ
ょっとしたら隣の住人の顔すらよくわかっていないのではなかろうか。しかしそれでも何不
自由なく日常生活はできるので、これでかまわないと思っているのだろう。だが、地域住
民の連帯感は育たない。だから大震災などの非常時には恐らく秩序なき避難生活になる
だろう。それでも良いのか?いま一度考えてほしいと思う。

    (塾長コメント: 菅ちゃんが住んでいるようなマンモス団地に住んだことは、これまで経験が
              ないのだが、実は、ずっと憧れていました!TVドラマの風景にあるような夜
              景が満喫できて、優雅な生活が堪能できると思っていました。でも、そのよ
              うな生活環境を維持するのもやはり住んでいる人々の協力があってのもの
              ですよね。)

110「郵便番号の効力は」( 7月24日)***********************************************
 ここのところ堅苦しい話題ばかりが続いたので、今回は肩の力を抜いた文章にしてみ
た。今年も各地で梅雨明けし、いよいよ暑中見舞いを出す季節がきた。当たり前の話だ
が、はがきの表に先方の郵便番号・住所を書く。問題は住所の書き方だ。1998年2月
10日から郵便番号は5桁から7桁の表記になったため、番地や丁目の手前までは郵便
番号だけでわかるようになった。たとえば「兵庫県神戸市兵庫区湊町3丁目1番地8号」
という所在地なら、652−0812の郵便番号で「兵庫県神戸市兵庫区湊町」まではもう
表記したことになっているのである。したがって、はがきの住所欄には残りの「3−1−8」
だけ書けば良いはずだ。しかし、そのような郵便物はいまだに見たことがない。さすがに
「兵庫県神戸市」は省く人が多いが、「兵庫区湊町」はちゃんと書いている。書かなくても
届くことを知らないからそうしているのか、それともいくら郵便番号欄に明記したとはいっ
ても住所にも書かなければ先方に失礼だという常識があるからなのか、本当のところは
どうなのだろう。

    (塾長コメント: 私の場合は、バランスを考えて、やっぱり住所までしっかり書きますね!
              数字だけだと、何となく落ち着かないような... そんな気がします。地
              方の有名人、例えば、「孫」という歌で有名な大泉逸郎さんの場合だと、
              「山形県 孫 様」で、本人宛に届くとか、この前TVでやってましたね!
              これは、スゴイ!郵便番号なんていらないですね。)

109「テロを防ぐ妙手はない」( 7月18日)*********************************************
 イギリスの首都ロンドンの中心部で今月7日現地時間の午前8時50分ごろ、地下鉄や
路線バスを狙った同時多発テロが発生した。現地ではちょうど朝の通勤・通学時間帯で
あったため、1000人以上の負傷者と約60名の死者が出てしまった。幸い、我が国では
このような同時多発テロはまだ発生していない。しかし、だからといって今後も安全だとは
断言できまい。現に、スペインのテロ直後に国際テロ組織「アル・カイーダ」は日本も名指
ししてテロを予告してきたからである。ロンドンのテロは決して対岸の火事ではないのであ
る。
 どうすればテロを事前に防ぐことができるか?私に言わせれば根本的な答えはない。テ
ロ組織が存在し、その組織と和解していない状況下では、テロを阻止することはできない
と思う。現実的に実行できることはといえば、せいぜい監視体制を強化する程度である。
だから、今回のテロを重く受け止めて我が国でも警備員が増員され、駅のホームなど不
特定多数の人々が絶えず出入りする公共施設で頻繁に巡回するようになった。アメリカ
の世界貿易センターを襲撃したテロからしばらく経過して我が国でも公共の場のゴミ箱の
使用を再開したが、それも再び撤去したり置いてあっても使用できないように蓋をしてい
る。鉄道各社も不審な荷物や持ち主のわからない物品を職員に通報するよう車内放送
で乗客の協力を求めている。東京の地下を網の目のように張り巡らしている東京メトロ
(旧称帝都高速度交通営団)では、95年3月に発生した地下鉄サリン事件以後186の
全駅で約2000台の防犯カメラを設置した。警察庁でも8都道府県警にあわせて200人
のテロ対応専門部隊を設置して、化学兵器によるテロに対する訓練などを実施してきた。
しかし、それで我が国が安全になったとは言い切れない。
 どんな対策を講じても、今回のロンドンと同様に大都市の朝ラッシュ時を狙われたら、ま
ず防ぐことはできないだろう。自動改札機に切符や定期券を投入する乗客の一人一人を
全員チェックすることなどまず不可能だからだ。どうしてもチェックするのなら、航空各社が
搭乗前に行なっている手荷物検査・身体検査と同様なものを駅の改札口で実施するしか
ないだろう。だが、1分1秒を争う朝の通勤・通学時間帯に乗客全員の協力が得られると
はとても思えない。仮に協力が得られて列車内やホームへの凶器・爆発物の持ち込みを
阻止できたとしても、それでテロ行為が不可能になるわけではない。列車が通過するトン
ネルや橋梁などに時限装置つきの爆発物を仕掛けられたら、やはり大勢の死傷者が出て
しまうからである。すべての鉄道路線の線路沿いに警備員を1メートル間隔で立たせれば
話は別だろうが、そんなことは現実問題として不可能である。
 このように考えてみると、テロを100%防ぎきる方法はないことがわかる。そして、ひとた
び発生したら現場は阿鼻叫喚の地獄絵図と化すことも不可避であろう。いくら鉄道会社が
日頃から非常時の訓練を積み重ねていても、テロの現場に臨んで乗務員や駅係員による
整然とした誘導・避難などはまず考えられないし、市民も冷静に行動できるとは思えない。
それは地下鉄サリン事件で既に証明されている。というわけで、我々市民はいつどこで起
こるかも知れないテロに怯えながら不安な日々を過ごさざるを得ないのが現実だ。国際テ
ロ組織アル・カイーダは以前に「日本がイラクへの自衛隊派遣を中止すれば、日本をテロ
の標的から外す」ことを表明していた。「触らぬ神に祟りなし」という諺があるが、結局のと
ころ、それが市民をテロから守る次善の策ではなかろうか。

108「郵政民営化の意義とは」( 7月12日)*******************************************
 日本郵政公社を2007年4月から民営会社に移行させる、いわゆる郵政民営化法案が
今月5日の衆院本会議で可決された。政権与党である自民党からも37人の議員が反対
し、14人が欠席・棄権した。このため賛成が反対をわずか5票上回っての可決であった。
それだけの造反者を出しながら採決された法案ならば、国会は勿論のこと、我々市民も
大いに盛り上がるのが普通だ。しかし、今回の法案に関してはそうではなかった。採決を
終えた各党の議員も街頭の声も、むしろしらけたムードである。自民党内ですら、「そんな
にやりたければ勝手にやれば」といった雰囲気であったし、国民も、「今すぐ審議するほど
の問題でもないだろう」という意見が目立った。では、なぜしらけムードなのか。その理由
は郵政民営化の意義が見えてこないからだ。なぜ郵政公社の民営化を急がなければな
らないのか?それによって国民に対してどのような恩恵がもたらされるのか?逆に、現状
の郵政事業のままでは国民にどのような不利益が生じるのか?これらの疑問に対して理
路整然と答えられる人は非常に少ないのではないかと私は思う。その理由は2つある。
 一つは国民を理解させるに足る充分な説明を政府がしなかったからである。小泉首相
は就任当初の施政方針演説から、この郵政民営化を公約として掲げてきた。しかし、肝
心の理由や意義については説明らしい説明がなかった。これでは国民に納得を得られま
い。むしろ過疎地では不安が高まっている。かつて国鉄が分割民営化されて多くの赤字
路線が廃止されたのと同様に、自分の街から郵便局が消えてしまうのではないかという
心配だ。郵便局に代わる他の金融機関や宅配業者が存在しない過疎地ではどうしても
郵便局に依存せざるを得ないから、郵便局の存廃は地域住民にとって切実な問題となる
はずだ。しかし、こうした問題に対する説明もなされないままである。
 もう一つは、多くの国民が求めている緊急の課題は郵政民営化ではないからである。
世論調査をみると「政府に対して最も早急に取り組んでもらいたい課題」として挙げられ
ている項目は圧倒的に「景気の回復」である。相変わらず厳しい雇用情勢、すべてが生
活苦ではないとはいえ、ここ数年以上年間の自殺者が3万人を越えている状況をみれ
ば、いかに国民が景気の回復を求めているかがわかる。だが、政府はそんな声に耳を
貸す気はないようだ。その証拠に、各種の控除の廃止・縮小などで実質的には所得税
の増税となる施策ばかりで、明るい展望が全く見えてこない。
 ここまでの小泉内閣をずっと見てきて思うのは、とにかく幼児的な強引さしかないとい
うことだ。国民や野党に対して充分な説明もなく理解や賛同を得る努力もせずに、誰が
何と言おうとかまわず自分のやりたいことだけを敢行する――そんな政治姿勢しか見え
てこない。たとえば不良債権処理がそうだった。小泉内閣発足以来、郵政民営化ととも
に緊急の政治課題として掲げ、「国民に痛みを伴うが、それでも推進しなければならな
い。」と言い続けて実行してきた。その結果、不良債権の処理は確かに進捗したが、で
は国民にはっきり実感できる利益があったかというと何もない。あったのは「痛み」だけ
である。靖国神社の参拝問題でも同じであった。アジア各国の首脳からも遺憾の意を表
明され、与党内からも反対の声が上がっていたにもかかわらず、公の立場で参拝してい
る。参拝することでどのような外交上の利益がもたらされるのかという説明も全くなされ
ないままだ。「とにかく自分が参拝したいから行くんだ」という幼児的な姿勢しか見えてこ
ない。今回の郵政民営化もそれらと同じ延長線上にあるような気がする。国民の多くは
景気の回復を切望しているが、それよりも民営化を急ぎたいのだろう。だから「解散」と
いう脅し文句まで使って衆院本会議で可決させたのである。こんな政治が続くようでは、
国民の期待する施策はいつになったら実行されるのかわからない。昔から「泣く子と地
頭には勝てぬ」という言葉があるが、さしずめ「泣く子と小泉首相には勝てぬ」と揶揄した
くなるこの頃だ。

107「クールビズとは言うけれど」( 7月 3日)*****************************************
 温室効果ガスの削減の一環として、軽装して仕事に臨む、いわゆる「クールビズ」が国
民プロジェクトとして今夏からスタートした。冷房の設定温度を28℃とし、上着とネクタイ
を着用せずに業務に従事せよというわけだ。「クールビズ」という言葉は先月1日の朝刊
に初めて登場した新語である。同日の夕刊にはクールビズの模範例だとでも言いたげに、
小泉首相のノーネクタイ・上着なしの姿を撮影したものが掲載されていた。それから1ヶ月
が経過したわけだが、朝夕の通勤電車に乗っている男性の服装を見る限り、たいして軽
装化が進んだようには見えない。
 最大の理由は、正装でないと相手から失礼に思われてしまうという日本の服装文化が
あるからだ。上着はともかくとしてネクタイまで取ると、ネクタイを締めた場合と比較して
非常にだらなく見えてしまう。そのうえワイシャツの第一ボタンまで外してしまうと、よほど
襟元のしっかりしたシャツでない限りくたびれた感じになり、ますます見栄えがしなくなる。
そんな服装で得意先の接待などにはとても回れないだろう。あまりにも失礼で、営業成績
にも悪影響を及ぼすという弁をある営業マンから聞いた。私の勤務する学校にも業者の
方が営業目的で来校されることがある。学校は事務室や校長室など一部の場所を除くと
冷房がない。業者の方が訪れる職員室もそうだ。それでもネクタイをきちんと締めて上着
を着用している。だから迎える私も「この暑い中、ご苦労様です」と言いたくなる。もし、ク
ールビズの営業マンが来られたら、あまり良い印象は持たないと思う。いくら夏が暑かろ
うと、上着を着てネクタイを締める。それが相手に対して失礼にならない正装であり、我が
国のビジネスにおいて長年築かれてきた服装文化でもある。それが1年やそこらで変貌
するとは思えない。
 だいぶ前のことになるが、昭和49年のオイルショックのときにもエネルギーの節約が叫
ばれて、ノーネクタイに半袖の開襟シャツを当時の首相が着用してみせたことがあった。
しかしそんな姿はその年の夏だけに終わり、翌年からは元に戻ってしまった。これも日本
の服装に対する価値観がそうさせたものと思われる。今回のクールビズも今年限りになる
のではなかろうか。試算された以上の温室効果ガス削減効果やよほどの経済効果が現れ
ない限り、クールビズが今後定着していくとは思えない。同じく環境に対する効果が大きい
と試算されているサマータイム制度がなかなか導入されないのも、以前に実施して失敗し
た経緯があるからだと私は思う。
 私も今回のクールビズに対しては、趣旨は理解できるが賛成はできない。だから、私は
真夏でもネクタイだけは締めている。少なくとも授業があったり何らかの形で生徒と接する
日はそうしている。クールビズを大義名分に涼しそうな格好をしている同僚もいるが、その
姿を見た生徒から「だらしない服装だ」と思われたらどういうことになるのか。生徒指導に
も悪影響を及ぼすし、何よりも彼らの制服の着こなし方が現状以上にだらしなくなることは
間違いない。私はそれを危惧する。私個人の経験から言わせてもらうと、ノーネクタイにし
なくても涼しい格好はできるものである。私は半袖のワイシャツを着用し、第1ボタンを開
けたままの状態でネクタイを締めている。それで充分に「クールビズ」になる。
 それにしても・・・・。日本人はカタカナの造語が好きな民族だ。昔の例では「ナイター」「ア
メフト」、最近では「バリアフリー」「デイケア」・・・。じつに造語が好きである。それも、きまっ
て英単語から探し出し、英語圏の人々には決して通じることのない、いわゆる「和製英語」
を作り出す。今回の「クールビズ」もそうだ。「クール」+「ビジネス」の合成で、しかも後者は
短縮されている。どうして日本語で造語できないのだろうか。新聞の見出しに掲載される
「クールビズ」というカタカナを見て、改めて呆れ返ってしまった。

106「安心して出産できる社会を」( 6月26日)*****************************************
 少子高齢化で出生率の低下が問題になっている。女性一人が出産する子どもの数の
平均も下がる一方で、2004年は1.29人にまで落ち込んだ。国は1971年〜1974年
生まれの団塊ジュニア世代に出生率の回復を期待しているという。この世代は780万人
で、他の世代よりも多いのがその理由である。しかし、だからといって出生率はそう簡単
には上昇しないと思う。
 最大の原因は、長引く不況の影響で雇用が非常に不安定な状況にあるということだ。
正社員として採用され、しかも「リストラ」や「肩たたき」の不安に怯えることなく、定年退
職まで安定した収入が保障されているのであれば、その世帯の年収に応じた家族計画
も立てられるだろう。しかし、そのような恵まれた人は今の時代では少なくなってしまった。
特に、国が期待している団塊ジュニアの世代はそうだ。現在がたとえ正社員であっても、
将来いつリストラの対象にされるかわからない。また、会社勤めといっても派遣社員・契
約社員・非常勤職員である人も少なくない。さらには、いわゆる「フリーター」に該当する
人もこの団塊の世代だけで30万人を越えている。フリーターも含めて、正社員ではない
人はいずれも有期の雇用契約であるから、雇用期限を迎えた時点で収入が絶たれてし
まう。たとえ在職中いかに勤務態度が良くても、いかに会社の営業成績に貢献しても、派
遣社員あるいは契約社員から昇格し正社員として採用されることは稀である。所詮は臨
時任用の職員に過ぎず、将来に亘って長く収入が保障されているわけではない。だから、
雇用期間中にいくら稼いだところで、そうやすやすとはお金も使えないだろう。いずれは
無職になる時期が来るかもしれないことを想定してある程度の預貯金をしなければなら
ないからだ。ましてや、結婚してカネのかかる育児などとんでもない。彼らがそう考えて結
婚や出産を先送りするのは、むしろ当然であろう。
 また、正社員でない身分だと福利厚生が充実していないことが多い。このことも安心し
て出産や育児ができない状況に拍車をかけている。たとえば、正社員の女子職員なら当
然認められているはずの産児休暇や育児休暇が全くない。つまり、派遣社員や契約社員
では雇用期間中に妊娠するわけにはいかないのである。そうなると、出産してから働くし
かないだろう。しかし、子どもが病気になっても会社を早退して看病することもできない。
看病休暇とか介護休暇というものは正社員にしか認められていないと言われればそれま
でである。無理に休めば「欠勤」扱いになるから、報酬そのものが減らされてしまう。それ
どころか、次年度の契約更改を拒否されることも覚悟しなければならない。保育所の待機
児童も一向に解消されていない現状では、子どもの命をも犠牲にしてまで働くしかないの
が現実だ。
 こういう状況では、団塊世代が何百万人いても出生率の上昇は期待できない。諸悪の
根源は、依然として不況で正社員の求人が非常に少ないことにあるのだから、政府は団
塊の世代に出生率をあてにすることを考えるよりも、雇用と福利厚生を改善し、安心して
結婚や出産ができる社会を回復させることを考えるべきであろう。それには景気回復しか
妙手はあるまい。

105「プロ野球交流戦を終わって」( 6月19日)****************************************
 球界改革元年とも言われた今季、史上初の試みとしてセ・パ交流戦が行なわれた。5月
6日から6月16日までの約1ヶ月半、1チームにつき3連戦を2つずつ、交流戦全体で36
試合を戦ったのだが、思っていたより好評だったといえる。毎年ペナント戦の開幕前に1ヶ
月ほどオープン戦が組まれているが、それとは比べ物にならないほど盛り上がった。その
理由は次の3点にある。
 第1に、公式戦としてすべて記録に残ることである。これがオープン戦とは決定的に違う
点だ。個々の投手の防御率・打者の打率はもちろんのこと、同一リーグ内の成績・順位も
ペナントと同様に上下する。特筆すべきは、交流戦に突入する前に首位を独走していたチ
ームが必ずしも交流戦も制さなかったことだろう。交流戦直前にパ・リーグの首位であった
千葉ロッテマリーンズは交流戦でも無類の強さを発揮して12球団中でもトップの戦績を収
めたが、同じく交流戦前にセ・リーグの首位を走っていた中日ドラゴンズのそれは、大方の
予想に反して芳しくなかった。やはり野球というものは、戦ってみないことにはどういう結果
が出るかわからないというおもしろさがある。
 第2に、交流戦を行なったことで今まで知られていなかったパ・リーグの選手も知ることが
できたことである。プロ野球のファン人口の大半が巨人・阪神のいずれかに偏っている現
状では、パ・リーグで活躍する選手はオールスターに選出されるような人気選手や一流選
手を別にすれば、これまでほとんど知られていなかった。パ・リーグのペナント戦は地上波
のテレビ放送どころかラジオ放送でさえ流されていなかったのだから、そうなってしまうのも
当然の結果であろう。それがセ・リーグの人気球団と対決することでテレビにもパ・リーグ
の選手が全国に放映され、知名度のアップに貢献した。
 第3に、パ・リーグ主催試合での観客動員数が増えたことだ。私は阪神タイガースのファ
ンなので、交流戦の期間中も阪神戦を毎試合観戦したが、甲子園からは遥かに遠い札幌
ドームや宮城フルキャストスタジアムにも大勢の阪神ファンが詰めかけていた。これだけで
も赤字経営に悩むパ・リーグ各球団の営業成績をかなり上げたのではなかろうか。
 いずれにしてもセ・パ交流戦という球界史上初の試みは成功したと言えよう。問題は来季
から交流戦をどの程度の試合数で続けていくべきかである。今季は1チーム当たり36試
合、そのうちホーム球場の主催ゲームが半分の18試合であったが、それでもパ・リーグ各
球団の経営がまだまだ苦しいということであれば、今後は試合数をさらに増やす方向で検
討すべきだろう。そのぶんペナント戦を減らすことになるが、12球団による2リーグ制を維
持していく以上は致し方あるまい。もっと言えば、春季キャンプ後から始まるオープン戦を
全廃しても良いだろう。確かに選手は開幕スタメンに選ばれるために必死でオープン戦に
臨んでいるのだが、見ている我々が「どうせ公式記録に残らないのだから」と思ってしまう
から、どうしてもペナントほどには応援に熱が入らない。だから、ペナントの開幕を1ヶ月前
倒しして3月1日として、交流戦は球宴を挟んで5月と8月の2回に分けて36試合ずつ行な
うというのはいかがだろうか。

104「夏服はラクなのだが・・・」( 6月12日)*******************************************
 6月に入り、生徒も教職員も夏服になった。上半身はノーネクタイでワイシャツだけにな
る。確かに冬服に比べてラクな服装ではあるが、毎年夏服になると私は不自由を感じる。
それは、上着がなくなるから携帯電話と財布を入れる場所に困ることだ。肌身離さずに管
理するには、ズボンのポケットに入れるしかないだろう。しかし、最近の財布はお金以外の
モノで非常に膨らんでいるので、重くて仕方がない。その原因は、さまざまな商店から発行
された会員カードやポイントカード・サービス券にある。その他、各種クレジットカードやJR
をはじめとする電鉄会社のカード類もある。これらのカード類で財布は厚みを増す一途だ。
この状態でもう一方のポケットに携帯電話を入れておいたら、歩くにも座るにもうっとうしく
てかなわない。冬服ならジャケットや背広の内ポケットに財布や携帯電話を入れておくこと
ができるのだが、夏だとそれができない。何か妙案はないものだろうか?

    (塾長コメント: 菅ちゃんへ!ウエストポーチという手がありますよ...。)

103「未解決のままの日中問題」( 6月 5日)******************************************
 今年の4月からずっと日中関係の悪化がたびたび報じられている。北京では大規模な
デモが頻発し、日本人の経営する店舗が破壊された。我が国が国連安保理の常任理事
国に加入する件に関しても、中国は先月19日の記者会見で外務省の孔泉報道局長が
「現状では日本の常任理事国入りを支持しない」と表明した。先月23日には訪日中であ
った中国の呉儀副首相が小泉首相との会談を急遽キャンセルして帰国した。さらに、そ
の2日後の先月25日には、中国の有力紙『中国青年報』が「靖国神社のA級戦犯」と題
する連載を開始し、14人のA級戦犯を一人ずつ紹介している。第二次世界大戦に無条
件降伏してから今年でもう60年、戦後日中間の国交が回復してから30余年が経過した
ことになるが、依然として日中間のしこりが消えていない。これは極めて憂慮すべきこと
である。
 中国で起こったこれら一連の反日運動の根源は、我が国の歴史認識と首相の靖国神
社参拝問題に尽きると言ってよい。現に、中国の呉儀副首相が小泉首相との会談をキャ
ンセルした理由も、当初は「中国国内で急な公務が発生したため」と発表されたが、本当
は、小泉首相の靖国神社参拝に関する発言にあったのである。なぜ、小泉首相は靖国
神社への参拝をやめようとしないのか?それが全く理解できない。現状のように参拝を
敢行すれば、中国のみならずアジア各国の神経を逆撫ですることになるのは自明である。
国益の損失を招いても、なお参拝する意義があるのか?それほど、靖国は政治家が参
拝し続けなければならない神社なのか?それを私は問いたい。
 私は3年前の5月8日、本稿で002「日の丸・君が代・靖国神社参拝問題」を掲載した。
そこで次の3点を述べた。
(1)私は戦犯が合祀された靖国神社への参拝は直ちに中止する。
(2)国旗・国歌が問題になのは、戦前と同じ「日の丸」・「君が代」だからである。
(3)本来なら第2次世界大戦の敗戦直後に国歌・国旗・天皇制を廃止すべきであった。
 しかし現状は、(3)は昭和天皇崩御の時点でも変わらず、(1)(2)も依然としてそのまま
である。それどころか、平成天皇が「学校現場で児童・生徒に君が代の斉唱を強制するの
は好ましくない」と表明されているにもかかわらず、入学式・卒業式等で君が代を斉唱させ、
これに従わない教職員が処分されている。そんな中、森岡正宏厚生労働政務官が、先月
26日の自民党代議士会で「極東国際軍事裁判は平和や人道に関する罪を勝手に作った
占領軍による一方的な裁判である。日本国内ではA級戦犯はもう罪人ではない」という発
言をしている。以前にも「南京大虐殺はなかった」という発言が物議をかもしたことがあっ
たが、今回の発言も歴史の歯車を逆転させる暴言と言わざるを得ない。こういう発言を政
府の要職にある国会議員がするのだから、あきれ返るばかりである。これではアジア各国
から「反省しているとは思えない」と批判されるのは当然だ。
 歴史教科書をめぐる議論でも、そうである。我が国はもっとあらゆる機会に過去を洗いざ
らい公表すべきであるし、真摯に反省すべきである。どんな事件でもそうであるが、犯罪の
加害者はすぐに罪を忘れるものであり、たとえ忘れないにしても過去を美化する傾向にあ
る。したがって基本的に事実認識は被害者の方が正しいことが多いのである。「日露戦争
以後、日本軍が大陸へ進出」と記述した教科書を見たことがあるが、あれは「侵略」以外の
何物でもない。そして中国をはじめとするアジア各国の国民の生命と財産、そして、当該地
域から産出される資源を奪ってきたのである。そういう事実をきちっと児童・生徒に伝える
べきであるし、南京大虐殺も七三一部隊による人体実験も従軍慰安婦に関しても、すべて
被害者国の事実認識に基づいて記述して過去に犯した罪を風化させないように努めるべ
きである。そうしないかぎり、将来において再び「極東国際軍事裁判は平和や人道に関す
る罪を勝手に作った占領軍による一方的な裁判である」などと公言する政治家が現れるで
あろうし、せっかく築き上げてきたアジア各国との友好関係が壊れることになるであろう。

102「回転寿司は衛生的か?」( 5月29日)*******************************************
 寿司が嫌いな私には縁のない場所なのだが、気温も高くなって食中毒が多発するシーズ
ンを迎えたので、かねがね思っていた回転寿司に対する私見を述べてみたい。「一皿100
円より!」と銘打って手ごろな値段で食べられるためか、どこの町でも回転寿司はけっこう
繁盛しているようだ。しかし、あれは衛生面では決して評価できないと思う。それは次の2点
の理由からだ。
 ひとつは、店内を回転している間に商品がどんどん汚染されていくことだ。寿司職人の握
ったネタが不特定多数の客の眼前を次々と通過しているのだから、客や店員から発せられ
た咳・くしゃみ・会話によって飛散した唾液などがネタにかかるのは不可避である。それを
何とも思わずに食べていられるのは、かぜのウイルスや人間の唾液が肉眼では見えない
からだ。もし目に見えていたら、ネタには目も当てられないだろう。ましてや口に入れる気に
はとてもなれないはずである。唾液だけではない。店内の塵・埃もある。客の出入りによっ
て店外から入るゴミもある。店内にハエが飛んでいたら当然、ハエの手足からも汚物が付
着する。寿司のネタは加熱されていないだけに、考えてみたら非常に恐ろしい。しかし、客
も店員もネタが汚染されている恐れがあることに対して非常に無頓着である。それが私に
は信じられない。
 もうひとつは、客に食べてもらえないネタはいつまでも回り続けていることだ。つまり、そ
の日に開店してから出されたネタはJR山手線の電車のように、ぐるぐると店内を何周もし
ているわけで、その間にネタの鮮度はどんどん落ちていく。しかし、後から入った客は眼前
のネタがいつ握られたものかを知らされずに食べている。次から次へと客が食べていてネ
タが捌けている店なら、鮮度が落ちる前にネタがなくなっているだろう。また、もし残されっ
ぱなしのネタがあったとしても、良心的な店舗なら鮮度が落ちる前に処分しているであろう。
しかし、経営が危うい店舗は信用できまい。客が取ってくれるまで回転させっぱなしにして
いるのではなかろうか。ということは、ひょっとしたら1時間以上前に握られていたネタを食
べさせられているのかも知れないのである。
 いずれにしても、通常のレストランのように注文を受けてから調理して配膳する方式に比
べて衛生的でないことは明白だ。回転寿司の店舗によく行かれる読者のみなさんのご感想
はいかがだろうか?

101「リビングルームで楽しめるパソコンを」( 5月22日)*********************************
 最近のパソコンはハードディスクにテレビ番組を録画できるのが標準装備になり、今やテ
レビやDVDを買わなくても映像を楽しめるようになった。ところが、パソコンのディスプレー
はなかなか大型化されないのが残念である。私は家電量販店のデスクトップ型パソコン売
り場をときどき見に行くのだが、「大型液晶ディスプレー」と銘打っていてもせいぜい19イン
チどまりである。この間にテレビは薄型化・大型化が進み、ブラウン管から液晶、プラズマ
へと進化した。また、家庭のリビングルームでも30インチ以上の大画面で迫力ある映像を
楽しめることを売り物にした商品が数多く出回っている。せっかくパソコンでテレビやDVD
が見られるのだから、もっともっと大型のディスプレーになっても良いのではないか。
 そういう製品が考案されないのは、パソコンを操作する際のスタイルに問題があるからだ
と私は思う。パソコンというと、机に座って30cm程度の至近距離でディスプレーを見つめ
ながらマウスやキーボードを操作するのが当たり前になっている。会社や出先への移動中
にも使うノートパソコンならばそうならざるを得ない。しかし家庭でしか使わないデスクトップ
パソコンなら、もうそういうスタイルから脱却しても良いのではなかろうか。8畳や12畳のリ
ビングルームにソファを置いて、数メートル離れた場所からテレビを見るのだから、マウス
やキーボードなど操作に必要なものは手元に置き、ディスプレーだけは30インチ前後の大
きさにして離れた場所に据えつける。そうして文書の作成も、メールの送受信も、インター
ネットに接続してサイトを閲覧する際も、ソファに座ってゆったりと操作する。そういうパソコ
ンなら長時間操作しても疲れないだろう。もちろん、大型ディスプレーつきだからテレビや
DVDも迫力ある映像で楽しめる。付言すると音質の改善も必要だ。画面だけではなく、音
響も迫力あるものを味わえないと片手落ちだからだ。概して、パソコンに内蔵されたスピー
カーからの音質は悪い。したがって、スピーカーケーブルで専用のAV対応スピーカーに接
続できるよう端子を設置し、ホームシアターを味わえるようにする。
 我が国は地価が高いために、家屋の床面積も諸外国に比べて狭い。また、近年は廃棄
処分された家電製品が急増していることも環境問題の一つになっている。せっかくハード
ディスクにテレビ番組を録画できるパソコンがありながらテレビやDVDデッキを購入する
のは、お金と場所の無駄であるし、いたずらにゴミを増やしているだけである。リビングル
ームのソファーに座ってテレビを見るのと同じスタイルで楽しめるパソコンが商品化されれ
ば、一石二鳥ならぬ一石三鳥だと思うのだが、いかがだろうか?