菅ちゃんの呟き
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080「平成16年を振り返って」(12月12日)*******************************************
 今年最後の『言わせて頂戴』なので、昨年同様に今年1年を振り返り、所感を述べてみ
たい。
 一昨年、昨年に引き続き、総じて今年もあまり良いことはなかった。毎日報道されるニュ
ースを見ても、暗い内容のものばかりという印象であった。しいて明るいニュースを挙げる
なら、アテネで開催されたオリンピックで日本人選手が活躍したこと、北朝鮮による拉致被
害者であった曽我ひとみさんが、ご一家4人揃って故郷の佐渡へ帰ることができたことぐら
いであった。杜の都仙台に新球団「東北楽天ゴールデンイーグルス」が誕生したのも明る
い話題と言えなくもないが、それまでの経緯を振り返ると、球団削減を画策するオーナー
側と、ストライキを決行して12球団の維持を主張して譲らなかった選手会との間で、泥沼
の闘いが繰り広げられた末の新球団誕生であり、決して喜ばしいものとは言えないと思う。
 今年は、自然災害が例年以上に多かった。夏には新潟県三条市を中心に集中豪雨が
あった。以後、秋にかけて、台風が次々と日本列島に上陸しては縦断した。そのため山に
自生している植物の実が落ちてしまい、エサ不足に困った熊が山麓の集落にまで下りて来
て人間を襲う事件も、北陸地方を中心に頻発した。さらに、10月下旬には新潟県中越地方
が、今月に入ってからは北海道東部地方が、大地震に見舞われた。
 国外は、相変わらず北朝鮮の日本人拉致疑惑問題とイラクの自衛隊派遣の話題であっ
たが、国内は年金問題に振り回された一年でもあった。景気は依然として回復の兆しが見
えてこない。事業者も正社員を減らし、有期の派遣社員やパートでの雇用を増やすように
なった。正社員にすると、使用者も労働者と折半で厚生年金保険料や健康保険料を負担
しなければならず、苦しい経営状況ではとても支払いきれないのである。その影響で、厚生
年金を脱退して国民年金に加入しなければならない人も増えた。しかし、加入者の45%に
あたる1000万人が1ヶ月以上の未納があるという事実も、明らかになった。収入減などの
理由で支払えないという事情ならともかく、およそ生活資金に困るはずのない政治家にも未
納者が少なからずいたのだから、言語道断である。そして、未納の議員に長らく督促をして
こなかった社会保険庁に対する不信感も高まった。特に、国民から徴収した年金保険料金
を、豪華なレジャー施設や職員宿舎の建設資金に使っていた事実が発覚してからは、なお
さらである。「ユートピア」などはその最たるものだが、社会保険庁の不祥事はこれだけでは
なかった。年金加入記録の業務目的外の閲覧で多数の職員が処分され、中央社会保険医
療協議会を舞台にした汚職で元長官が逮捕され、年金保険料の徴収に使う携帯型金銭登
録機の採用をめぐる収賄事件で現職課長が逮捕された。これだけ不祥事が続発すれば不
信感を持たれるのが当然であり、未納者に支払いを督促する資格はないと思う。政府への
不信感も同様だ。未納議員もさることながら、年金改革法案の中身もお粗末なもので、およ
そ「改革」と豪語できる代物ではなかった。現行の制度を変えずに、国民の負担増を強いる
小手先の改革に終始し、与党の主張する「百年安心」とはほど遠い内容であった。しかも、
その年金改革法案を可決させておいてから、出生率の情報を後出ししたのだから、これで
は何が何でも法案だけを通そうとすることだけを考えたものであり、国民への裏切り行為以
外のなにものでもないと批判されても、弁解の余地はあるまい。
 しかし、今年を振り返ったとき、最も強調しなければならない話題は、治安が明らかに悪く
なったということである。
 夜間に住宅街を歩くと、突然、ぱっとライトが点灯する家がかなり見られるようになった。玄
関に防犯カメラを取り付けた家も多くなった。団地やマンションでは、玄関の扉に補助錠を取
り付けた家も増えた。これらはいずれもホームセキュリティーだが、こんな設備まで設けない
と自宅にも安心して住めないという危機感が出てきたのだから、それだけ治安が悪くなった
証拠である。現に青森県弘前市では、5月11日未明に強盗が起きた。犯人グループが会社
社長宅に侵入し、社長夫妻を縛りあげて現金・貴金属を奪って逃走したのである。犯人は大
都会に住んでいて、高速道路を使って地方に入り、田舎のインターチェンジに降りて、そこか
ら近い場所で犯行を働き、その後は直ちに高速道路で現場から立ち去るという、ヒット・アン
ド・アウェーという新手の犯行である。この手口は、警察に通報される頃には犯人が現場か
らかなり離れることができ、鉄道や航空機などの公共交通機関が動いていない時間帯でも
犯行が可能な点がポイントだ。このため、被害者は就寝中に襲撃されることが多い。
 強盗以外の犯罪の手口も、ますます巧妙になっている。典型的なのが「おれおれ詐欺」だ。
警察庁によると、今年1月〜10月までに未遂も含めて20830件、被害総額は222億円を
超えたとのことだ。毎月平均20億円以上の被害が出ていることになり、史上最悪のペース
だという。おれおれ詐欺の被害が出始めた頃の手口は、電話口で「おれだよ、おれ」と言っ
て、息子や孫を名乗り、借金や事故の話などを創作して現金を口座に振り込ませるものだ
ったが、それはもう過去のものとなっている。最近は警察官・弁護士・検事・保険会社社員
などを名乗る者が次々と電話口に出ては、事故や不祥事の話をよどみなく語り、さらには本
人の声と思われる泣き声まで聞かせるなど、ドラマ仕立てになっており、電話を受けた家族
が冷静に熟考する余裕を与えない手口になっている。しかも、その「もっともらしい事故や不
祥事の話」が、こちらの職業によって変わってくるのだ。たとえば、自分の息子や娘が医療
機関に従事していると、医療ミスを犯した話になり、教育職だと女生徒にセクハラした話か
体罰をした話になるのである。そして、いずれの話も、最後は示談金を振り込むよう要求し
てくるのだ。警察庁は最近、「おれおれ詐欺」では犯行の実態にそぐわないとして、犯罪名
称を「振り込め詐欺」と改めた。
  何の罪のない子どもが被害に遭う事件も、昨年に引き続き、依然として減っていない。
学校内の防犯システムやパトロール体制が徐々に整備されてきたためか、最近では教員
や保護者の目の届かない登下校中に、児童・生徒が襲われる犯罪が目立った。奈良県で
起きた奈良市立富雄北小学校の1年生女児が誘拐後殺害された事件は記憶に新しいが、
警察庁のまとめによると、今年の1〜10月で15歳以下の子どもを連れ去る事件は全国で
126件、被害者は未遂も含めて139人にものぼっている。このうち40件は犯人逮捕には
至らず、検挙率も65.5%しかないとのことだ。こうした実態を受けて、地方公共団体も当
該市町村区に在住する全児童・全生徒に防犯ベルやICタグなどを無料で配布し、登下校
時には児童・生徒に携帯させたり、ICタグの有無で不審者の学校侵入を防ぐ措置を講じる
ようになったが、そのような防犯用具まで持たせないと犯人から我が子を守れないとは、そ
れだけ、われわれ大人の良識が失われた証拠でもあり、全く情けないかぎりである。また、
連れ去られた被害者の77%が女児・女子生徒である。この事実は、犯人は男性であり、
性的犯罪目的があると考えざるを得ない。先月も国士舘大学のサッカー部員が集団で女
子高校生にわいせつ行為をしたり、その前には元早大大学院教授が「手鏡のぞき」で都迷
惑防止条例違反の罪に問われるなど、破廉恥な事件が相次いだが、理性のない男性の性
的犯罪の多さにも、ほとほと呆れ返るばかりである。
 不況も相変わらずで、いつ失職するかもわからぬ不安をかかえ、治安が悪くなって、自分
が犯罪に巻き込まれることへの不安もかかえ、そのうえ自然災害に遭うかもしれぬ不安も
かかえながら、生きていかなければならない。こういう状況では、当分の間、明るい社会は
戻りそうにない。来年は果たしてどんな一年になるのだろうか?

079「乱れる日本語」(11月28日)***************************************************
 今年も流行語大賞が発表される季節になった。これは、その年に新たに登場した様々の
言葉の中から、世相を軽妙に描写し、かつ、広く国民の言語使用に影響を与えた語を、『現
代用語の基礎知識』読者審査員を対象にしたアンケートによって選出し、さらに、その中か
ら審査委員会がトップテン語・年間大賞語を選び出し、その言葉を生み出した人物・団体を
表彰する企画である。ちなみに、昨年は「マニフェスト」「なんでだろう〜」「毒まんじゅう」が、
一昨年は「タマちゃん」「W杯」が、それぞれ年間大賞に選ばれた。
 こういう話題につきものなのは、「日本語が乱れている」という批判である。しかし、何をも
って「乱れている」と判断するのかは、意外と難しい。特に、「ドタキャン」「メル友」「うざい」
「タメ」など、主に若い世代が使い始めた流行語・新語が続々と出現する昨今の現象をもっ
て「言葉の乱れ」と評する人が少なくないのだが、私はそうは思わない。言葉というものは
生き物であるので、いつの時代にも流行語が登場し、その中の一部の語は新語として、そ
のまま当該国語の語彙として定着していくものである。そういう現象はどこの言語でも共通
であり、国家があり国民が社会生活を営めば、流行語や新語が登場するのは必然であり、
なにも昨今の日本語に限ったことではない。
 「日本語の乱れ」とは、もっと本質的なところにある。それは次の5点だ。
  @文法上の誤り
  Aその言葉が有する本来の意味を逸脱した用法
  B時制の不一致
  C表記方法の違反
  D外来語や和製英語への置換。
特に@Aは、使い方の正誤を判断できる人が少ない。したがって、それがたとえ誤った使
い方であっても、みんなが使い出すと、いつの間にかそれが正しい用法であるかのように
認識されてしまう点が恐ろしい。以下、例を挙げよう。
 【お伺いします】
 これは、文法上の誤りである。「お預かりします」「お持ちします」という語句と同様に、「お
〜します」という言い方にすれば、何でも謙譲表現になると思い込んだ結果であろう。「伺う」
という言葉自体が「訪ねる」の謙譲語なので、それに「お〜します」という表現を加える必要
はないのである。他にも、「お召し上がりになれます」「ご利用階をお申しつけください」など、
この類の誤りは特にサービス業の従業員に多い。客に対する敬意を高めたつもりなのだろ
うが、これでは正しく敬語を使ったことにはならない。また、「猫に餌をあげる」など、本来敬
語を使うべき対象ではないものに対しても敬語を使っている例もある。「あげる」は「やる」
「与える」の尊敬語である。したがって、目上の者でなければ使ってはならないのであるが、
このことは意外と知られていない。
 【絶対に勝つ】
 これも文法上の誤りである。具体的には、副詞の呼応の誤りである。「絶対」という副詞は
否定表現とセットで使われる規則になっている。「絶対に負けない」が、正しい表現だ。した
がって、「絶対に合格してみせる」「絶対に助かる」「絶対に死ぬだろう」などは、いずれも誤
りである。同様に、「そのほうが全然良いと思う」「明日はたぶん雨だ」も、副詞の呼応が正
しくない点で誤りである。
 【優勝できて嬉しいです】
 これも文法上の誤りである。「だ」・「です」という助動詞は、原則として体言・助詞「の」から
しか接続しない。動詞・形容詞・助動詞から接続する場合は、「だ」・「です」の未然形に限ら
れる。したがって、「嬉しいだろう」「嬉しいでしょう」という表現は正しくても終止形「嬉しいだ」
「嬉しいです」は誤りである。(なぜか「嬉しいだ」と言う人はいないが・・・)よく駅のホームで
耳にする「危ないですから白線の内側までお下がりください」も、同様の理由で誤りである。
 【まだ未定】
 「未定」の「未」とは「まだ」という意味である。したがって「未定」と言うのなら「まだ」という
語は不要である。この類の誤りは「後で後悔する」「今朝の朝刊」「打球は左中間の真ん中
へ転がった」などがある。中には「バースデーの日の夜」など、外来語と意味が重複した使
い方をしていることがある。
 【○○した矢先のできごと】
 よく、事故や不祥事を報じた新聞記事に「二度と不祥事のないように職員に注意した矢
先のできごとだった」という表現が見られる。しかし、「矢先」という言葉の本来の意味は、
ある物事が今まさに始まろうとする瞬間である。したがって、「注意をする」という行為を実
行しないうちに「問題のできごとが起きた」のでなければならない。正しい使い方は、「二度
と不祥事のないように職員に注意する矢先のできごとだった」 としなければならない。また、
「職員に注意する」という行為の後に「問題のできごとが起きた」のであれば、「二度と不祥
事のないように職員に注意をした直後のできごとだった」と表現すべきで、「矢先」ではない。
 【二次災害の可能性がある】
 これから起こることを予測する表現には2つある。その一つは「可能性」だが、これは当
選・合格・優勝・入賞など、その人にとって都合の良いことを期待する場合に使う言葉であ
る。逆に、良くないことを懸念する場合は「恐れ」という語を使うべきで、そこに「可能性」を
使うのは誤りである。先月、新潟県中越地方で発生した大地震の報道でも、「今後もしば
らくは震度5程度の余震が起こる可能性があります」という表現があったが、これでは強い
余震が発生することを望んでいることになり、被災民に対して失礼きわまりない表現である。
 【ご注文は○○でよろしかったでしょうか?】
 これは「よろしいでしょうか?」が正しい。上の例では述語が過去形になっているので、時
制の不一致である。同様に、客が食べ終わってから膳を下げる際に「お下げしてもよろしか
ったでしょうか?」と尋ねるのも誤りである。膳を下げる前に尋ねるのだから「よろしいでしょ
うか?」でなければならない。これからのことを話題にしているのに、「来週は、何か会議が
あったっけ?」と述語を過去形にしたり、逆に、過ぎた日の話題なのに「あの日は雨だろう」
と未来推量の表現にするのも、時制の不一致のため誤りである。
 【フツー】
 外来語でもないのに片仮名で表記することが不自然であるばかりか、それ以前に「普通」
という漢字の読み仮名として誤りである。「本当」をホント、「最高」を「サイコー」、「どういうこ
と」を「どーゆーこと」など、この類のものはテレビのバラエティー番組の字幕に出ることが多
い。このような字幕を出せば、番組の視聴者(特に子ども)に対して誤解を招くことになる。
特にひどいのは「携帯電話」を「ケータイ」と表記することだ。誰がそういう表記を思いついた
のかは知らないが、こういう表記を当たり前のように続けると正しい文字文化を継承できな
くなる恐れがある。
 【バブル経済】
 日本語には「泡」という言葉がある。現に、働かずに手に入れたお金や不正な手段で得た
お金のことを「泡銭」という。「泡」という単語で「バブル」を意味することができるのだから、そ
れをわざわざ外来語に置き換える必要はないはずだ。他にも、従業員を「スタッフ」、注文を
「オーダー」、婦人服売り場を「レディスフロア」、「台所」をキッチン、「合意」をコンセンサス、
「主義」をイデオロギーなど、この類のものは枚挙に暇がない。最近では、昨年の流行語大
賞にも選ばれた「マニフェスト」がある。外来語を使うのは、我が国には存在しない事物をさ
す場合に限るべきである。そうしないと、「写真機」が「カメラ」になったように、もとから存在
していた日本語の語彙がどんどん廃れてしまう。さて、みなさんの日本語はいかがだろうか?

    (塾長コメント:「フツー」という言葉もフツーに使っていました...(^^;) 反省します! )

078「苦痛なく過ごせる避難場所を」(11月14日)**************************************
 10月23日夕刻、新潟県中越地方は震度6強の地震に見舞われた。以前、このコーナー
で阪神淡路大震災の際の報道のあり方(→014015)を論じたが、今回は被災民が生活
する避難所について論じたい。
 災害が発生すると、まず、最寄りの学校の体育館・グラウンドが避難所となる。今回の地
震でも被災民が続々と避難所に集まってきたが、被災民を最寄りの学校の体育館に収容
しておけば良しとする発想は根本的にまちがっている。その理由は次の3点だ。
 第一に、学校の体育館は避難生活の場所としては、きわめて不適当であるからだ。長所
は大勢の人を収容できる機能しかない。あとは短所ばかりだ。まず、空調設備がない。だ
から、今回の地震のように寒い季節に起これば暖房器具を持ち込むしかない。しかし、天
井がきわめて高いから、床に座っている被災者にとってはほとんど効果がない。寒いだけ
ではない。プライバシーも保てないし、夜中でも電気がつけっ放しだから、到底、安眠できる
環境ではない。風邪を引く人も当然出るし、ストレスで体調を悪化させる人が出るのも目に
見えている。 阪神・淡路大震災を体験した私に言わせれば、体育館は、とりあえずの一両
日を過ごすだけの空間に過ぎない。台風が接近して土砂災害の恐れがあるから、台風が
通過するまでの一晩を体育館で過ごす程度なら、我慢もできよう。しかし、いつになったら
自宅へ戻れるのかもわからないまま、1週間も2週間も過ごすような場所ではないのである。
 第二に、被災地では余震が断続的に起こるからである。被災者は既に、本震で強い精神
的苦痛を受けているのである。着の身着のまま、命だけでも助かった被災者の本心は、も
うこれ以上、地震のない場所で過ごしたいのである。被災地の避難所では、何度も余震が
起こるから、そのたびに恐怖感に怯えながら過ごすことになる。現に今回の地震でも本震
ではなく余震でショック死した被災者も出た。これでは何のための避難かわからない。
 第三に、被災地では被災民の生活自体に不自由が生じるからである。被災地に救援物
資を輸送しようにも、肝心の道路や鉄道が寸断されている。陸路がダメなら空輸するしか
ないが、ヘリコプターの輸送量には限界がある。阪神・淡路大震災の場合も全国からたく
さんの救援物資が届いたが、充分な量は行き渡らなかった避難所がずいぶんあった。ま
た、被災地では電気もガスも水道もない。大地震だとライフラインの復旧には1〜2週間を
要する。それまで風呂や洗面などは我慢するしかない。最も深刻なのは便所だ。私は阪神・
淡路大震災で実際に体験したので、現実を敢えて言わせてもらうが、被災地の避難所では
水道がないから、排泄物を流すことができない。だから、体育館に設置されている便所は
使えないのである。校庭の片隅に穴を掘って、簡素な囲いを設けて、そこで用を足すしか
ないのだが、被災民が大勢いるので、たちまちうんこの山になる。風の吹かない日は排泄
物から出るものすごい臭気が体育館内にも流れ、そのために嘔吐する被災民もいて、じつ
におぞましい光景であった。
 以上の理由で被災地の避難所は避難生活の場所として適切ではない。では、どうすれば
よいか?被災民を被災地ではない地域に移送すればよいのである。道路がつながってい
ればバスで運べばよいし、陸路が寸断された地域なら、学校の校庭にヘリコプターを着陸
させて、ピストン輸送すれば良い。大地震といっても、日本全国が壊滅状態になるわけでは
ない。今回の新潟県中越地震でも、住民に避難勧告が出された地域は小千谷市・川口町
などの一部の市町村に過ぎず、きわめて限局している。新潟市・新津市・上越市・村上市な
ど、被災していない地域は県内にいくらでもあるのだ。県内で足りなければ隣接の都道府
県でも良い。被災地ではない場所に被災民を移送すれば、食糧などの救援物資も容易に
運べるし、何よりも被災民を余震に怯えさせずに済む。移送した被災民は各地の旅館・国
民宿舎・ビジネスホテル・青少年の家などの宿泊施設に収容すれば良い。傷病等で治療
の必要がある被災民は、もちろん病院に収容する。非常事態なのだから、民間の宿泊施
設・医療施設もこうした被災民を当然受け入れるべきであるし、移送その他に伴う費用は
国家で賄うべきである。宿泊施設なら、プライバシーも風呂も安眠できる環境も整っている。
たとえ、ビジネスホテルのシングルルーム1室に家族4人を割り当てられて収容されたとし
ても、被災地の体育館で過ごすよりは、はるかにマシである。極論すれば、刑務所の独房
でも被災地の体育館よりはマシだ。夜寝る空間はあるし、暖房もある。刑務所なら風呂も
あるし、排泄物がちゃんと流れるトイレもついている。
 我が国は世界有数の地震国である。今後もこのような大震災が何年かに一度の割合で
発生する恐れがあることも、学識者によって既に予想されている。これからは、本震後に
最寄りの避難所に避難してきた住民を、速やかに被災地ではない場所に分散して移送し、
避難生活の不自由や精神的苦痛を少しでも軽減できる場を提供するべきである。そうい
う発想がどうして出てこないのか?私には理解できない。被災民を最寄りの学校の体育
館に収容しておけば良しとする発想は、もう願い下げである。大地震後、長期にわたって
避難生活を強いられる場所のあり方を、行政はもっと真摯に考えてもらいたいものだ。

077「のんびりと旅する方法(Part4)」(10月24日)************************************
<旅の楽しみ方>
 前回に引き続き、現地での行動のポイントを述べておこう。そのうち、今回は旅の楽しみ
方である。何時間も鈍行列車に乗ったまま、ひたすら目的地に着くのを待ち焦がれるので
は、「忍耐の旅」になってしまう。人によって趣味はさまざまだが、目的地までの道中も楽し
めるようにしたい。
 @景色
 在来線は新幹線とは違い、風光明媚な場所を走ることが多い。路線によっては、わざわ
ざ列車を減速させたり停車させたりして、乗客に車窓からの絶景を堪能してもらうように配
慮しているところもあるほどだ。夜になったら無理だが、明るいうちは車窓の風景を眺める
のも良いだろう。たとえば、都心から中央本線に乗れば、甲府盆地・甲斐駒ケ岳・八ヶ岳を
眺めることができる。うまくやれば走っている列車の中からでも、きれいな写真が撮れる。
その際、進行方向どちらの座席に座ればお目当ての絶景が見られるかを、地図を利用し
てあらかじめ調べておいてから乗るのが良い。たとえば、名古屋から中央本線を利用して
松本に向かうとき、途中の南木曽から奈良井までは木曽川の渓谷を眼下に見ることがで
きる。しかし、渓谷はずっと進行方向左手になるので、うっかり右側に座ってしまうと崖ばか
りになり、視界が全く奪われてしまう。せっかく旅に出るのだから、このようなことのないよう
にしたい。
 A途中下車
 ある乗り換え駅で次の列車まで1時間も2時間も待つような場合、ただホームのベンチに
じっとしているのでは芸がない。駅弁を買って広げるもよし、立ち食い蕎麦をすするのもよ
し、改札を出て駅前にある老舗を散策するのもよし、地酒を飲むのもよし、待ち時間も有効
に活用したい。駅によっては近くに日帰り温泉を楽しめるところもある。宿に落ち着いてから
ゆったり入る温泉も格別だが、旅の道中にちょっと浸かる温泉も、それはそれで良いものだ。
駅の立ち食い蕎麦は、地方の主要駅なら、たいていある。日頃から、通勤途中に駅の蕎麦
を食べている人にとっては、「旅に出てまで駅蕎麦なんか食べたくない」と思うかもしれない。
しかし、どこの駅でも同じ味だと思ったら大間違いだ。たかが駅蕎麦、されど、駅蕎麦。本州
だけでも東北・関東・中部・関西、みんな味が違う。一杯の天ぷら蕎麦でも、味比べするのは
楽しいものである。なお、最初からお目当ての店舗を訪れる場合は、あらかじめ旅のガイド
雑誌などで場所と営業日を調べてから行くようにしたい。
 Bコレクション
 途中下車した駅の入場券でもよし、駅舎の写真でもよし、スタンプでもよし、自分の乗った
車両をバックに撮影するもよし、何かにこだわって行く先々の駅でコレクションしてみるのも
良いだろう。私は車窓の風景と一緒に駅舎の写真を撮り、路線ごとに分類してアルバムに
収めている。旅を重ねていくと結構たまっていくし、増えれば増えるほど、蒐集する楽しみが
倍増するものだ。
 C会話
 普通列車だと地元の方も利用する。彼らは短距離の利用が多いが、隣り合わせの席に
なったら、話しかけてみるのも悪くはないだろう。お年寄りの方だと向こうから「どこから来
たの?」などと声をかけてくれることもある。地元の方と会話していると、いろいろな情報が
得られる。ここではこれが名産物だとか、何月になるとあの作物が収穫できるとか、あの
山ではこんな神話が言い伝えられているとか、耳学問にもなる。私は国語科の教員という
職業柄、方言に注意して聞いている。特に都道府県境付近に注目して、土地の方々の話
す言葉がどこからどのように変化しているかを聞くようにしている。また、偶然隣り合わせた
人と会話しているうちに仲良くなって、その後もずっとおつきあいが続いていることもけっこ
うあるものだ。新幹線の車内ではそんな出会いはないだろうが、ローカル線の鈍行列車で
は、ふとしたことがきっかけで知り合い、友達が増えるチャンスもある。
 <おわりに>
 以上、先月・今月と2ヶ月にわたって「のんびりと旅する方法」を述べてきた。航空機や新
幹線で移動するのも悪くはないが、鈍行列車に揺られる旅もまた、それなりに良いもので
ある。のんびりと旅をしなければ得られない楽しみを、みなさまにも見出していただければ
幸甚である。

076「のんびりと旅する方法(Part3)」(10月10日)************************************
<旅行中の注意点>
 今回と次回で現地での行動のポイントを述べておこう。そのうち今回は、乗車から降車後
までの注意点である。注意しなかったため、あるいは現地の事情に疎いために、思わぬ失
敗をすることはよくあるものだ。特に初心者にありがちなケースを想定し、以下の8点を挙
げてみた。これで予期せぬトラブルに遭遇することもないと思う。
@ホームで列車を待つ際は階段付近か改札口の前で
  列車に乗るためにホームへ移動したが、ホームのどこで待てばよいか?いくらホームが
 長く伸びているからといって、ホームの端へ行って待つのは好ましくない。ホームが長いの
 は、機関車が何両もの客車を牽引していた昔の時代の名残であって、現代の普通列車は
 短い編成であることが多い。東京や大阪から出る列車で2両編成という列車は1本も存在
 しないが、たとえば旭川・長野・松山といった地方都市だと、普通列車は1〜3両編成が常
 識である。そういう駅では列車は乗り換え用の階段や改札口付近に停車することが多い。
 また、過疎地では駅も無人で、列車も1両編成、しかもワンマン化されていることが多い。
 この場合は、乗車口が1箇所しかない。ホームのある場所が混んでいるからといって、人
 のいない場所へ移動して列車を待っていても乗れない。ホームに示されている案内板に
 注意しよう。
A乗車の際はドアと整理券に注意
  列車のドアは自動で開くとは限らない。扉の横にボタンがついていて、それを押してドア
 を開けるようになっている路線もある。また、季節によってそうなる場合もある。また、昨
 今は車掌が乗務していない、いわゆるワンマン列車も多いが、その場合は乗車したら整
 理券を忘れずに取らなければならない。整理券が乗車駅の証明書になるので、持ってい
 ないと始発駅からの運賃を請求されてしまう。
B乗車後は自分の乗っている車両を確認
  2両以上つないでいる場合、そのすべての車両が終着駅まで行くとは限らない。それぞ
 れの地域の輸送需要に見合った効率的な車両運用をしているので、終点まで行くのは先
 頭の1両か2両だけで、残りは途中駅止まりということはよくある。また、途中駅から分岐
 して別々の終着駅へ向かう列車もある。だから、自分の乗っている車両が目的地まで行
 くか否かをすぐに確認し、行かないことが分かった場合は、ただちに車両を移動しなけれ
 ばならない。
C乗車中は自分が乗り換える駅の一つ手前の停車駅名を確認
   これは、落ち着いて次の列車に乗り換えるためにも必要なことである。乗ったらすぐに
 時刻表で確認しておいたほうが良い。そうすれば、「○○駅まで来たら、もうすぐ降りるの
 だ」ということがわかる。乗換駅に到着してから慌てて降りたために、車内に大事な物を
 置き忘れてしまうアクシデントを防ぐことができる。
D夜行列車の場合は貴重品に注意
   盗難は特に夜行列車に多い。本人も周囲の乗客も寝るから、これほど無防備なものは
 ないからだ。狙われるのはまず現金。他はクレジットカード・乗車券・携帯電話だ。とにか
 く肌身離さず持っていることが鉄則である。冬はともかく、薄着になる夏は特に注意したい。
 現金は下着や靴下の中に隠し、上から防寒着などを使って覆い、簡単に手の届かない場
 所に管理することが大切だ。貴重品を鞄やリュックの中に入れて網棚の上にのせたまま
 眠るのは、非常に危険である。
E降車準備は乗り換え予定時刻の10分前
   人間だから、列車を降りる頃には@で確認した駅名を忘れることもあるだろう。 それで
 も到着時刻の10分前には降車の準備ができるように、携帯電話のアラーム機能を使っ
 て時刻をセットしておく。特に、夜行列車で仮眠して終着駅以外の駅で降りる場合は必ず
 セットしよう。うっかり寝過ごしたら、旅程全体の変更を余儀なくされることになるからだ。
F降車駅が近くなったら車内放送に注意
   特に、自分が乗り換える駅の一つ手前の停車駅を発車したら、必ず車内放送に耳を
 傾けるようにする。次に自分が乗る列車が何番線から出発するのかを知るためである。
 列車の発着番線が時刻表に明記されていることがあるが、当日に限って急に変更され
 ることも多々あるので、必ず車内放送で確認したほうがよい。また、乗り換え列車の座
 席を確保したい場合は、到着5分前にはドア口に移動しておく。
G遅延・運休の場合は、まず時刻表を!
  ある乗換駅に着いたが、列車が遅延したために予定の列車に乗れない場合もある。わ
 ずかな遅延なら接続を考慮して待っていてくれるが、大幅に遅れたらどうしようもない。後
 続の普通で行ったのではその日のうちに目的地まで着けない場合、まず特急などで追い
 つけるか否かを時刻表で調べる。次に、別のルートや別の交通機関を選択することで目
 的地まで行けるか否かを検討する。最悪の場合は、目的地への旅行を諦めて、旅程の
 全てを変更することになる。ある乗換駅に着いたが、自然災害などでその先へ行く列車
 がすべて運休という事態に遭遇したら、直ちに時刻表で代替ルートを調べる。代替ルー
 トでその日の目的地まで行ける場合は良いが、行けないことがわかったら、足止めされ
 た駅で早めに宿を探す方が良い。他の旅行者も同じ事を考えるので、速やかに行動しな
 いと宿も満室になる恐れがある。当初予定していた目的地で宿泊することになっていた場
 合は、その宿のキャンセルを連絡することも忘れずに。不測の事態に遭遇しても焦らない
 こと。駅の案内放送に注意し、落ち着いて時刻表を見ることが大切である。

075「のんびりと旅する方法(Part2)」(9月26日)*************************************
<準備>
 予約した指定席券などをすべて入手できて、あとは旅立つ日を待つばかりとなれば、旅支
度をしなければならない。現金や切符、携帯電話を忘れることは、まずないだろう。だが、一
見不要なようで意外と大切なものというのは、見落としがちである。それを挙げてみたい。
@時刻表
 列車の遅延・その他の事情で急遽、予定した旅程の変更を余儀なくされたときに、必要不
可欠である。また、予定通りに旅している場合でも、こまめに現在地と時刻を確認したり、地
図を見ながら乗換駅までの駅数を数えたりと、いろいろ役立つものである。時刻表には携帯
用の小判のものもあるが、情報量の観点で不利になるので、重くてかさばっても大判の方が
良い。
A防寒着
 特に、夏の旅行で、座席に座ったまま一夜を明かす夜行列車に乗る場合に必要だ。車内
の冷房が効きすぎていて、寒くて寝られないということもあり得るからである。また、北海道、
特に道東・道北は真夏でも意外と涼しい。朝夕は長袖がないと寒いくらいなので、やはり必
要である。
B郵便貯金のカード
 旅行に現金は必要だが、必要最低限にしておいたほうが良い。たとえ長期の旅行であっ
ても、最初から10万・20万も携行するのは危険である。現金だけに、もし奪われたらそれ
で終りだからだ。特に、乗客が一夜を明かす夜行列車では、現金の盗難が多い。夜行列
車を自分の職場にして、窃盗で生活している輩さえいるのである。だから、財布を膨らませ
るより、あらかじめ最寄りの郵便局の普通預金口座にまとまったお金を入れておいて、あ
とは必要に応じてこまめに現地の郵便局で引き出すほうが安全だ。なお、現金を振り込む
口座は銀行では役立たない。地方へ旅行すると、自分の口座を設けた銀行の支店がない
恐れがある。だが、郵便局なら全国にあるし、どんな過疎地に行っても必ずある。つまり、
日本のどこへ行っても現金を引き出せるわけだ。
C耳栓・アイマスク・空気枕
 座席に座ったまま一夜を明かす夜行列車を利用する場合は、必需品だ。座席車では真
夜中でも車内が暗くならない列車が多いので、アイマスクをして自分で目もとを暗くするし
かない。そうしないと、明るくて寝られないという結果になる。また、空気枕があれば首を固
定できるから、楽に寝られる。寝台車の場合は枕が備え付けられているし、車内も暗くなる。
だから、アイマスクも空気枕も不要である。しかし、耳栓だけは用意しておいたほうがよい。
他の乗客の会話・子どもの泣き声・車両から発生する音など、何らかの音がうるさくて寝ら
れないこともある。耳栓ひとつで外界の騒音を完全に遮断することはできないが、それでも
使わないよりはだいぶ違う。
D薬剤
 高血圧・糖尿病など、何らかの持病をかかえている人は当然だが、健康な人でも、かぜ
薬程度は持参した方が良いだろう。女性の場合は、頭痛や生理痛に対応できる鎮痛剤も
必要だ。体調が悪くなったときに現地の薬局で買う手もあるが、過疎地では薬局がすぐに
見つかるとは限らない。また、たとえ見つかっても、普段から服用している薬が手に入ると
は限らない。私は乗り物に酔いやすいので、酔い止めの薬を持参している。薬剤で大切な
のは、つねに新しいものを用意するということである。何年か前に旅行したときに買った薬
がまだ残っているからという理由で、古いものを持って行くのは危険だ。
E健康保険証
 現地で医療機関の世話になったときに役立つ。これがなくても医療機関にかかることは
可能だが、保険適用の治療でも無割引になるので、医療費を全額請求されてしまう。後日、
健康保険証を提示すれば差額分を返還してもらえるが、旅先までまた出かけるのも手間
である。また、不幸にして事故・事件に遭遇して死亡した場合でも、健康保険証があれば
警察の身元確認が速やかにできる。
F小さめの鞄
 全部の物品を入れる鞄は勿論必要だが、それとは別に小さめの鞄も必要である。たとえ
ば、ある日A駅からBまで観光して夕方までに再びA駅まで戻る場合、Bを観光するときだ
け必要なものを小さめの鞄に移し替えておき、残りはA駅のコインロッカーに大きな鞄ごと
預けておくのである。こうすれば、Bへは軽装で観光できる。また、現地で宿泊せずに銭湯
を利用する場合も、不要なものをコインロッカーに入れておけば、タオルや着替えなど必要
なものだけを持って行くことができる。この「小さめの鞄」は、ナップザックのようなもので良
いだろう。
Gビニールシート
 屋外の観光地で弁当を広げて食べるような場合に便利だが、それだけではない。混雑す
る時期の旅行などで、ホームで長時間並ばなければ座れないような列車に乗る場合にも必
要だ。疲れたらビニールシートを敷いてホームに座り込んでしまえば良い。台風その他の事
情で列車の運転再開を待つ事態にも遭遇しないとも限らないから、あれば何かと便利だ。

074「のんびりと旅する方法(Part1)」(9月12日)*************************************
 プロフィール欄にも記したが、私は在来線の鈍行列車に乗ってのんびり時を過ごし、行っ
たことのない街や観光地を散策することが好きだ。だから、年に2、3回は旅行している。今
年の夏も日記のコーナーに記したように、日本最北端の宗谷岬をめざして旅をした。それも
東京から青森まで18時間余り、青森から稚内まででも13時間以上かけての旅である。東
京から航空機に乗れば、3時間で最北端の岬に立つことができる。しかし、それではつまら
ない。仕事や雑事に追われ、あくせくした日常生活であるから、せめて旅をするときぐらいは
時間を贅沢に使いたい。そう私は思うのだ。第一、3時間で宗谷岬に着いてしまっては、は
るばる北海道まで来たという感慨がないではないか。というわけで、今月・来月は在来線の
普通列車でのんびり旅を楽しむ術を紹介しようと思う。これから紅葉の季節、秋の行楽シー
ズンを迎える。のんびりどこかへ旅を、とお考えの読者の方はぜひご参考に・・・。
<計画>
 どこへ行く場合でも、計画だけはしっかり立てた方がよい。在来線の普通列車は、場所に
よっては本数が非常に少ないことがある。だから、行き当たりばったりで出発すると、どこか
で必ず痛い目に遭う。出発前に計画を立てて、乗る列車を決めておけば安心だ。立案する
のに必要なものは、まず時刻表である。長距離を走る普通列車は一本もないので、目的地
まで一度も乗換えがないということは滅多にないだろう。たとえば、東京と大阪を昼に移動
する場合、新幹線なら乗り換えなしで行けるが、普通列車で行く場合は、最低でも3回の乗
り換えが必要になる。したがって、あらかじめ時刻表で調べておくことが必要だ。目的地に
到着したい時刻から遡って、出発する時刻を定めるのである。
 その際、乗換駅の接続時間を短くするのは感心しない。具体的に言うと、乗り換えられる
列車が3分後にあって、それを見送ると30分後の列車まで待たされるという場合、最初か
ら後者の列車に乗る予定にしておくほうが良い。万が一、列車が遅延することもある。仮に
定刻に到着した場合でも、見知らぬ駅で自分の乗り換えたい列車がすぐに見つかるとは限
らない。同じような色をした列車が何本か停まっていて、自分の乗るべき列車が何番線か
ら出発するのかわからず、右往左往するうちに予定していた列車が発車して、乗れなくなっ
てしまう恐れがある。さらには、たとえうまく乗り換えられたとしても、座れない恐れもある。
毎日の通勤で電車やバスに座れないのは仕方ないが、せめて旅をしているときぐらいは、
のんびり座って行きたいだろう。そのためにも、乗り換え時間は最低でも10分は必要だ。
理想を言うなら30分くらい欲しい。駅の改札口を出て駅舎を眺めたり、記念のスタンプを押
したり、立ち食い蕎麦をすするくらいの時間があるのがちょうど良い。もし、駅の付近に見る
べきものが何もなくて退屈したら、文庫本でも読んで過ごせばよいだろう。付言すると、昨
今の普通列車は連結両数が減っているため、車内にトイレが設置されていない列車も少な
くない。その場合、トイレは乗り換え駅で済ますしかない。そのためにも、乗り換え時間はた
っぷり確保しておいたほうがよい。
<指定席の確保>
 大部分の普通列車は全席自由席だが、なかには全席指定席の列車もある。この場合、あ
らかじめ購入した指定席券がないと乗車できない。指定席券はJRのみどりの窓口や主な旅
行代理店で、1ヶ月前の午前10時から一斉に発売される。お盆や暮れの帰省シーズンや、
人気のある列車だと、指定席券が発売当日に完売する恐れもある。したがって、もし全席指
定席の列車を旅程のどこかで利用するのなら、計画は1ヶ月以上前に立てておいて、指定
席券も予約しておくことが必要だ。「先んずれば人を制す」という諺の通り、旅の計画も早め
に立てて、必要な指定席券は事前に入手しておく。そうしないと座席が取れないばかりか、そ
の列車に乗ることすらできなくなるからだ。
 では、この続きは次回ということで・・・。

073「あまりにも鈍い地球温暖化対策」(8月 8日)*************************************
 本コーナーが始まって間もない2002年の夏、「市民一人一人ができる地球温暖化対策
」というテーマで、さらにその年の暮れに「平成14年を振り返って」というテーマで、私は
地球温暖化に関する話題を取り上げた。( → 詳細はバックナンバー011035を参照)
あれから2年が経過した今年の7月は、東京都心で39.5度、千葉県市原市で40.2度を
記録をするなど、観測史上最高の猛暑になってしまっている。
 昔の夏も暑い日は確かにあったが、外気温が人間の平熱を上回るほど暑くはなかった。
私が小学生だった当時は、親や学校の先生から「炎天下で長時間身体を動かし続けると
日射病になる恐れがあるから、戸外に出る時は帽子をかぶるように」と言われたものたが、
今は「日射病」ではなく「熱中症」という言葉が毎日のように新聞やテレビで報道されるよう
になった。しかも、熱中症は炎天下で過激な運動や作業をしなくても発症する。もっといえ
ば、家の中でじっとしていても発症することがあるのだ。新聞報道によると、先月の31日間
に熱中症により救急搬送された患者は611人。このうち意識不明の重症者は70人であっ
たが、そのうち39人はなんと屋内で熱中症になっていたということである。特に、一人暮ら
しの高齢者が冷房のない家の中にいたまま熱中症になるという例が多いということだ。まさ
に「人間が地球に殺されつつある」という形容がぴったりである。
 専門家は「熱中症は日差しとは関係ない。冷房で室温を下げたり、水で濡らしたタオルで
拭いたりして体温を下げるように」と呼びかけている。しかし、そんなことを言ったら昔の日
本はどうだったのか?1980年代に入るまでの一般家庭の冷房の普及率は低く、たいてい
の家は扇風機を回して夏を乗り切っていたはずである。それでも熱中症患者は出なかった。
否、いたことはいたのだろうが、テレビや新聞で報道されるほどひどくはなかった。それが
今や、冷房がないと夏を乗り切れないほど、深刻な状況になってしまっている。これは、そ
れだけ二酸化炭素の排出量が増加して、地球温暖化が加速したからにほかならない。
 このまま温暖化が続くと100年後、つまり22世紀初頭の関東地方は南九州地方の暑さ
に匹敵すると気象庁が予測している。平均気温が現在よりもさらに1.5度上昇し、夜にな
っても熱気がこもるため、熱帯夜の地域も関東平野のほぼ全域に広がってしまう。コメの
生育にも影響が現れ、収穫量が減少する。熱中症だけでなく病原性大腸菌O−157によ
る出血性腸炎の患者も増えると予測されている。蚊の生息可能地域の北限もどんどん伸
びるし、今まで南国でしか生息しなかった生物も日本で繁殖できるようになってしまう。これ
は今まで南アジアの諸国で発生していた媒介動物感染症の危険に晒されていることを意味
する。
 問題はこれだけ地球の温暖化を危惧する情報がもたらされているのに、対策を考えて実
行しようという動きがあまりにも鈍いことである。まず、クルマは一向に減らない。マイカー
を規制して公共交通機関を利用するようにする動きもない。物流輸送もトラックから鉄道へ
転化していない。排気ガスの出ない電気自動車も全然普及していない。「東京都心ではヒ
ートアイランド現象が起きている」と騒いでいるが、だからといって、舗装道路を壊して昔な
がらの土の道路に戻そうという動きはないし、ガラスからの反射熱が出るビルの建築を禁
じる法律ができたわけでもない。建造物に対する夜間のライトアップや、クリスマスシーズ
ンのイルミネーションも相変わらずである。100年後に地球環境がどうなっていようが、今
さえ良ければいいのだろうか?

072「経済的理由の自殺者を減らすには」(7月26日)***********************************
 警察庁は今月22日、2003年度の自殺者数が過去最悪の34427人に達したと発表し
た。これで1998年度以来、6年連続で3万人を超えたことになる。今年度の人数は、全国
で毎日平均して約95人が自殺していることになる。これはどうみても尋常ではない数字だ。
 自殺する原因のトップは病苦などの健康上の理由で、15416人だ。しかし、これは主と
して高齢者の自殺である。最も問題にしなければならないのは、負債や生活苦などの経済
的理由による自殺が急増していることだろう。2003年度のそれは8897人にものぼり、40
代・50代ではこれが原因の第1位を占めている。2002年度は7940人なので、率にして
12.1%の増加である。
 次に看過できないのは、リストラされなかった就業者の自殺だ。これに関しては30代の人
が急増しており、4603人にものぼっている。2001年度が3935人だったので、率にして
17%も増えたことになる。社員が減らされれば、当然のことながら一人にかかる仕事の負
担が増えるから、サービス残業を強いられ、過労に陥りやすい。過労を苦にしての自殺者も
出るし、過労からうつ病になり、死を選ぶ人も少なくない。その証拠に、過労を理由とする労
災申請件数は2001年度は92件、2002年度112件、2003年度は121件と、年々増加
している。
 こうなる理由ははっきりしている。ひとつは給与水準を落とさずに雇用しようとするから、リ
ストラという発想になるのである。たとえば100人社員がいて10人分の給与を削減したい
場合、どうするか?社員10人を解雇する。これが現在行われている方式だ。残った90人
が100人分の業務をこなさなければならなくなるから、リストラを免れた社員には残業など
の負担が増える。しかし、社員全員の給与を10%落とせば誰も解雇せずに済むはずだ。
もっといえば20%落としても良いだろう。そうすれば10人解雇して90人の給与を据え置く
よりも得するはずだ。これを社員の立場で考えてみよう。月給30万円もらっていたのが20
%カットで24万に落とされたら、それは確かに痛いだろう。しかし、解雇されたら0円である。
たとえ24万円でも、一銭ももらえないよりははるかに良いはずだ。残された社員にしてもそ
うである。30万円のまま据え置かれたところで、リストラされた人の分まで働かされて過労
に陥り、うつ病や自殺に追い込まれるよりはましなはずだ。
 もうひとつは、年齢が上がれば上がるほど給与が高くなるというシステムに原因がある。
どこの会社でも学校を卒業したての新入社員の給与が最も安く、30代・40代と年齢が上
がるに従って高くなる。求人広告を見ると、どこの事業所でも年齢制限を設けているが、事
業所が若年者しか雇用しようとしないのは、これが理由の一つになっているからではない
のか。だから40代・50代の人が職探ししてもなかなか見つからないのである。したがって、
中年の自殺者が増えるのである。年齢に関係なく、全員一律の給与で雇用すればよいで
はないか。力仕事でなければ、20代と40代とでさほど仕事の成績に差が出るとは思えな
いし、たとえ安月給でも全く雇用されないよりは収入が得られる分、ましなはずである。
 このように書くと「そんな安月給では生活できない」と反論する人もいるだろう。しかし、私
に言わせれば日本人の生活水準が高すぎるのである。その証拠に、たいていの家には自
家用車がある。自動車保険や車検・税金・ガソリン代まで支払ってでも、なお自家用車を手
放さずに生活できる状況なのだから、まだまだ日本人は裕福なのである。公共交通機関の
ない過疎地は別として、少なくとも都市部なら自家用車は別になくても困らないはずだ。住
居も然り。マイホームを買うから月々の支払いが苦しくなるのである。不動産なんかに手を
出さず、賃貸のアパートや団地にでも住めばよい。携帯電話にしてもそうだ。ほとんどの人
は自宅に固定電話がありながら、なお携帯電話代に年間何万円か支払っている。しかも家
族の一人一人が所持している。これとて、なければ死ぬというようなものではないのだから、
解約してもよいだろう。BSテレビやケーブルテレビの加入者も多いが、視聴料を支払って
でも見なければ生きていけないというものではないはずだ。給与をカットされ、安月給での
雇用を余儀なくされても、このように生活水準を落とせば、別にどうということはないのであ
る。国民全員が少しずつ貧しくなれば、自殺者が年間3万人を超えるという事態にはならな
いと思う。病苦など他の理由での自殺はともかくとして、少なくともリストラを理由とする自殺
者だけは、政府が早急に策を講じて減らすようにするべきであろう。

071「揺れる球界再編問題」(7月11日)**********************************************
 6月、関西の老舗球団ともいえる近鉄バッファローズと、オリックスブルーウェーブス両球
団の合併が公式に発表された。それ以来、プロ野球界は1リーグ制に戻すことをも視野に
入れた再編問題に揺れている。しかし、当該球団の選手もファンも、合併することを歓迎し
てはいない。特に近鉄のファンの間では、球団買収に名乗りを上げたライブドア社の堀江
社長に対して、近鉄を買収してバッファローズを存続させるよう訴えているくらいである。
しかし、各球団のオーナーはこのような選手やファンの心情などを一切無視して、合併の
話だけを急速に進めてしまっている。しかし、それで果たして球界のさらなる発展に結びつ
くのだろうか。合併や1リーグ制を持ち出す以前に、やるべきことはいろいろあったのでは
ないのか。今回はこの問題に対して私見を述べたい。
 現在、我が国のプロ野球はセ・リーグ6球団、パ・リーグ6球団、合計12球団ある。それ
ぞれのリーグで優勝を争い、両リーグの覇者が日本シリーズにおいて対戦し、その年の日
本一を決める。しかし、久しくパ・リーグ各球団の観客動員数は伸び悩み、今回の合併問
題の当事者である近鉄にいたっては、年間50億円もの赤字という状況である。パ・リーグ
がこれまで無為無策だったわけではない。セ・リーグの試合がない月曜日にも試合日程を
組んだり、明日の試合の先発投手を前もって公表する予告先発、投手が打席に入らない
指名打者制度、ペナント終了時点における勝率の上位3球団でリーグ優勝を決定するプレ
ーオフ制度など、セ・リーグにはない数々の新制度を導入して、パ・リーグの特色を出そう
とした。しかし、どれも観客を増やす決め手にはならなかったのである。
 パ・リーグの人気が低迷した理由の一つとして、人気球団といえる巨人戦や阪神戦がな
いことを指摘できる。巨人も阪神もセ・リーグの球団であるから、現状ではオープン戦か日
本シリーズでしか対戦する機会がない。それならば、リーグ間でチーム移籍を毎年行えば、
公平になるではないか。たとえば、ある年のセ・リーグがA・B・C・D・E・Fの6球団で、パ・
リーグがG・H・I・J・K・Lの6球団だとする。翌年はAがパ・リーグに異動し、代わりにGが
セ・リーグに異動する。翌々年はBがパ・リーグに異動し、Hがセ・リーグに異動する。こう
して毎年1球団ずつ入れ替えていけば、各球団とも12年のうち半分の6年間は巨人戦も
阪神戦も組むことができるのである。2リーグ制にした当初からそうしていれば、パ・リー
グ各球団の観客動員数も現状とはずいぶん違った数字になっていたに違いない。
 地上波テレビのプロ野球実況中継の方式も現状では問題がある。アメリカではテレビ放
映権はコミッショナーが一括して握っているが、我が国では各球団に任せられている。だ
から人気球団だけが放映権収入を得られる結果になる。現在、巨人戦だけは全国どこで
も放映されているが、これ自体、非常に異常な事態なのである。巨人戦を毎試合見られる
地域は、巨人が本拠を置く東京都に限るべきである。神奈川県には横浜ベイスターズ、埼
玉県には西武ライオンズ、千葉県には千葉ロッテマリーンズがある。地元の球団があるの
に、なぜこれらの各県ではその球団の試合が放映されないのか?それが理解できない。
地元の球団を愛する姿勢を打ち出さないから、神奈川・千葉・埼玉県民なのに巨人ファン
が大勢生まれてしまうのである。地元の球団がある都道府県内ではその地元球団の試合
を放映すべきだし、地元に球団のない県では、コミッショナーが放映権を握り、各球団の試
合が完全に等しく放映されるようにすべきである。どうしても自分の応援する特定の球団の
試合だけを全試合見たい人は、ケーブルテレビなどに契約して見られるようにすれば良い
だろう。そうすれば、パ・リーグ各球団のテレビ放映権による収入が、セ・リーグの何十分
の一しか得られないという理不尽な現状も解消されるはずである。
 FA制度も問題だ。平成5年にこの制度が発足してから、プロ野球選手の年俸は非常に
跳ね上がってしまった。FA制定当初、「1億円プレーヤー」という言葉が新聞紙上を賑わせ
たが、今や数億円プレーヤーも少なくない。選手の立場にしてみれば、自分の選手生命に
も限りがあるし、現役引退後の生活もかかっているから、より年俸の高い球団への入団を
希望するのは当然だろう。したがって、資金力のない球団は、いくら優秀な選手を育てても、
いずれは他球団に移籍されてしまう。つまり、金の切れ目が縁の切れ目になるのだ。結果
として、各球団の4番打者が資金力の豊富な巨人に入団しやすい環境を醸成してしまった。
これでは集金力の劣るパ・リーグ各球団の人気がなくなるのは自明である。
 私に言わせれば、近鉄がオリックスと合併する必要もないし、ましてや1リーグ制に戻す
必要など全くないと思う。第一、ファンも現場も、そんなことは毛頭望んでいないのである。
近鉄が経営難でこれ以上球団を維持できないというのなら、ライブドア社に買収してもらえ
ば良いだろう。プロ野球よりもはるかに後から発足したサッカーJリーグでさえ、16チーム
もあるのだ。現在の12球団からさらに増やしてプロ野球人口を拡充するのならともかく、
減らすのではプロ野球の斜陽化を自ら推進するようなものだ。本当はセパ両リーグとも8
球団ずつに増やしてペナントを戦い、現在と同じ方式で日本シリーズをやる方が良いと思
う。また、本拠を置く地域に偏りがあるのも問題だ。現状では関東地方に5球団(巨人・ヤ
クルト・横浜・ロッテ・西武)も集中している。今年から北海道に日本ハムが移転したが、そ
れまでは東京以北に本拠地を置く球団は一つもなかった。北陸・東北・四国地方に本拠
地を置く球団がなぜないのか?サッカーJリーグでも、雪の降る新潟にすらチームがある
くらいなのだから、プロ野球の球団があっても当然だと思う。各地に球団の本拠地を分散
させ、当該地方の市民に対して地元の球団を愛する精神を育てていけば、プロ野球ファン
人口の大半が巨人ファンという馬鹿げたことにはならないはずである。
 合併が公式に発表された近鉄・オリックスはもちろん、西武やロッテなど合併が噂されて
いるパ・リーグの各球場に行ってみれば、ファンが「合併反対!」「1リーグ制反対!」と大
書した横断幕やプラカードを掲げてスタンドに立っている姿が、いたるところに見られる。
現場もそうだ。街頭に出て合併反対の署名活動を始めている選手もいる。こういう声を無
視して、なぜオーナーの意向だけで事を運ぼうとするのか。それが理解できないし、腹立
たしい。プロ野球が始まって70年。ここまでプロ野球が愛されてきたのは、いったい誰の
おかげなのか?1球1球に白熱するプレーをファンに見せて感動を与えてくれた一人一人
の選手ではないのか。暑い日も寒い日も球場に足を運び、試合途中で雨が降っても帰ら
ずに、スタンドで声を嗄らして応援しつづけてきたファンがいたからではないのか。
このことを忘れてはならない。

070「ネチケットの指導は難しい」(6月27日)******************************************
 今月1日、長崎県佐世保市立大久保小学校で、6年生の女児が校内で 同級生の女児か
らカッターナイフで首を切られて殺害される事件が発生した。加害女児は警察の事情聴取
に対して「殺害の動機は、自分のホームページに不愉快な書き込みをされたため」と述べた
ので、マスコミ各社は「インターネットを利用したコミュニケーションをする上でのマナーを学
校側はきちっと指導していたのか」という点を取り上げた。いわゆる「ネチケット」の問題だ。
全国ほぼすべての小学校にパソコンが置かれ、家庭でもインターネットに常時接続している
環境が広がりつつあり、今や、小学生でも身近にネット社会に接することができるようになっ
た。しかし、果たして、ネット社会のマナーや危険性をどれだけ学校教育で指導できるのだ
ろうか。
否、指導はしているのだろうが、一人一人の児童にきちっと伝わり、本当に理解させること
ができているのだろうか?そこが問題だ。
 「ネチケット」で児童・生徒に指導しなければならないことは、次の3点であろう。

 @相手を誹謗中傷する内容の書き込みは禁止されていること。
 A個人情報を漏洩してはならないこと。
 B表現が不適切・稚拙だと、思わぬ誤解を招く恐れがあること。

 @の指導はそう難しいことではない。「バカ」とか「死ね」とか、人を不愉快にさせる言葉が
どういうものかは、小学生でも想像できるからだ。
 Aも、決して容易ではないが、なんとか理解させることはできるだろう。固有名詞を出さな
いこと、個人を特定できる情報を書かなければ、大きな問題にはならない。
 問題はBである。これはある一定以上の国語力がない限り、相手に誤解されるのは不可
避であるからだ。しかも、前2者とは違い、書いた側に全く悪意がなくても生じてしまう。だか
ら厄介である。具体的な例をあげて考えてみよう。

 たとえば、Aさんが所属しているクラブ活動で試合があって、そこに友人のBさんが観戦に
来たとする。そして試合後、AさんはBさんに感想を求めた。そのときBさんが「いい試合じゃ
ない。」と書いて送信したとする。これは2通りの解釈ができる言葉なのだ。
 
(A)「好ましくない、または、はっきり言って悪い試合内容だ」という解釈。
(B)「好ましい試合展開、すばらしい試合内容だ」という解釈。

眼前に相手がいて、表情や身振りでも伝えることができる普通の会話なら、どちらの意味で
言っているのかが容易に判別できる。眼前に相手がいなくても、たとえば電話なら、音声に
伴うアクセントの違い、さらには前後の会話の文脈から容易に推測できる。それは次の文章
でおわかりいただけると思う。

 ※「勝ったことは勝ったけど、相手のミスでもらった点ばかりで、自分から攻撃して取った点
   は全くなかった。だからいい試合じゃない。 もっと努力してほしい」

という発言なら、これは(A)の意味に解釈するしかない。

 ※「あと一歩及ばなかったけど、あそこまで攻め立てて相手を苦しめたんだから、がっかり
   することはないさ。いい試合じゃない。次は勝てるよ。」

という発言なら、これは(B)の意味だ。
しかし、ネット上で、つまりメールや掲示板の書き込みで「いい試合じゃない。」と一言だけ書
かれた場合は、(A)(B)どちらにも解釈できるのである。したがって、Bさんは健闘を褒めた
つもりで書いたのに、Aさんは「自分たちの努力を認めてもらえず、けなされた」と思い込み、
その後の友人関係が壊れる恐れも大きいのである。
 こういう例は他にもある。「C君は泣きながら逃げるD君を追いかけていた。」という一文も
そうだ。泣いているのは果たしてC君なのかD君なのか?じつはこの一文は読点の位置で
次のように解釈が変化する。

 ※C君は泣きながら、逃げるD君を追いかけていた。→泣いたのはC君になる。
 ※C君は、泣きながら逃げるD君を追いかけていた。→泣いたのはD君になる。

このように適切な位置に読点が打たれていれば誤解は招かないが、国語力が完成されて
いない小学生・中学生にそこまで理解させて、誤解を招かないような文章を書けるように指
導することは非常に困難であろう。
 EさんがFさんに「あなたは私のことをどう思っているの?」と聞いて、Fさんが「Gさんのよう
に嫌いなわけではない」と書いた場合も、次の3通りに解釈できるため、やはり誤解を招く。

 ※FさんはGさんを嫌っているが、Eさんを嫌ってはいない。
 ※FさんはGさん・Eさんとも嫌ってはいない。
 ※FさんはEさんを嫌ってはいないが、GさんはEさんを嫌っている。

まず、「嫌いなわけではない」という言葉が、「好きだ」という意味にも、「好きでも嫌いでもな
い」という意味にも解釈できる。さらに、Eさんの解釈次第ではGさんとの人間関係も変化す
る恐れがある。Eさんが「Gさんは、じつは私のことを嫌っていた」と知らされて、EさんがGさ
んに対して態度を変えるかもしれない。しかし、GさんにしてみたらEさんと何もトラブルもな
いのに、なぜEさんが態度を変えたのかがわからず、悩むことにもなりかねない。しかし、こ
のような微妙な表現の与える意味まで、すべての児童・生徒に指導し、理解させることが果
たしてできるのだろうか?
 以上述べた事情を考えると、子どもがインターネットを使用したり、掲示板やチャットに書
き込みをしているときは、教師・保護者がそばにつくべきだと思う。しかし、長崎の事件後に
日本PTA全国協議会が保護者を対象に「子どもがインターネットを使用しているときにどう
しているか?」という質問でアンケート調査したところ、ほぼ半数の47%が「何もせず子ども
に自由に使わせている」と回答していたとのことである。「一緒にいる」という回答は35%、
「子どもが閲覧したサイトをチェックしている」と回答したのは8%に過ぎない。やはり家庭に
おかれているパソコンについては、保護者が我が子のインターネットの利用履歴をきちっと
把握すべきである。子どもに掲示板などへの書き込みをさせても結構だが、その際は保護
者も同席して、不適切な内容や表現はその都度指摘し、送信させる前に然るべき指導をす
べきであろう。また、危険なサイトに対する教育もしなければならない。最近は、アクセスし
た子どもが詐欺などのトラブルに巻き込まれるケースまで発生している。「うちの子に限って
絶対にあり得ない」と対岸の火事のように考えてはいないだろうか?小学生でも自分専用
の携帯電話を所有する時代である。今後はますますネット社会に対する保護者の管理・指
導が必要になると思う。

069「低年齢化する凶行への対策」(6月13日)****************************************
 今月1日、長崎県佐世保市立大久保小学校で、6年生の女児が校内で同級生の女児か
らカッターナイフで首を切られて殺害される事件が発生した。これまでの報道によると、事
件については次のことが確認されている。
 @加害女児は非行歴がなく、学校でもこれまでに特に問題を起したこともない。
   積極的な性格で、頭の回転も速く、学業成績もよい、ごく普通の児童であった。
 A加害女児・被害女児とも(以下、本稿では「2人」と記す)仲の良い友人であった。
 B2人ともそれぞれ自分のホームページを持っており、もう一人の友人を加えた3人で、
   ホームページへの書き込みで会話をする「チャット」でよく遊んでいた。
 C殺害の動機は、自分のホームページに不愉快なことを書き込まれたためだと警察の
  事情聴取で語っていた。
 D凶器のカッターナイフは以前から筆箱に忍ばせていたことから、殺害は衝動的なもの
  ではなく、数日前から計画していたものと思われる。警察の事情聴取に対しても、「殺
  すつもりだった」と供述しており、殺意があったことを認めている。
 E殺害の方法は映画「バトル・ロワイアル」の一場面と酷似しており、加害女児は同映
  画のDVDを佐世保市内のレンタルビデオ店から借りて見ており、これと酷似した物語
  まで自分のホームページに書いていた。

 問題は小学生が起こした殺人事件及び殺人未遂事件が、平成に入ってから昨年までの
15年間に8件も発生している(警察庁の発表)という事実である。今回の殺人事件も決し
て特殊なものではない。むしろ、きわめて普遍的なものであり、今後も発生する恐れが大
きいものと判断するのが的確であろう。
 事件の原因・誘因となったものは何か?私はいくつもあると思う。ひとつは、インターネッ
トを利用したコミュニケーションをする上でのマナーを、児童に充分に指導してこなかった
のではないかという点である。いわゆる「ネチケット」の問題だ。これについては、次回の
『言わせて頂戴』で、国語の観点から詳述するので、ここでは触れないでおく。今回の事件
で、報道各社はこの問題だけをクローズアップしていた。しかし、殺人事件にまで発展した
のは、ネチケットの問題が根本原因となったのではない。最大の原因は、現代の子どもた
ちが、幼少の頃から映像文化にどっぷりと浸かって育ってしまった点である。報道各社は
さほど取り上げなかったが、最悪の結果を招いた根源はじつはここにあるのであって、そ
れが「今回の殺人事件も決して特殊なものではない」と述べた理由でもある。
  あまりにも当然過ぎる話だが、人間を殺害する方法を指導している学校など、全国の
どこにもない。家庭でもそんな教育はしていないだろう。それなのに、首をロープで絞めた
り拳銃で頭部を撃ったり、あるいは刃物で心臓を突き刺せば、人を殺すことができるとい
う事実を、小学生でさえもきわめて具体的に知っているのはなぜか?それは殺害の場面
をドラマ・漫画・ゲーム機などの映像で、彼らは日常的に見せつけられているからである。
加害女児は被害女児を椅子に座らせて、後ろからカッターナイフで頚動脈を切ったのだ
が、この殺害手段は上述Eに紹介した映画「バトル・ロワイアル」がヒントになっていたの
である。この映画には、普段は仲の悪い女生徒が笑顔で別のある女生徒に近づき、相手
が安心したところを背後から抱きついて左手で頭を押さえ、カマを持った右手で頚動脈を
切って殺す場面がある。私はこれが最大の問題だと強調したい。「全ての芸は模倣に始
まる」という言葉があることからもわかるように、モデルが存在し、それを映像でいつでも
見ることができるという状況は、非常に恐ろしいことなのである。
 今回の事件で、テレビ各局はサスペンスドラマの放映を一定期間延期する措置をとった。
しかし、本当に少年少女に及ぼす悪影響を考えるならば、今後永遠に放映すべきではな
いと私は思う。無論、ホラー映画や過激なゲーム機も言語道断だ。目の前に現れる敵を
追いかけて、見つけたら直ちに銃や刃物で殺し、ゲームセットになるまで得点を稼ぐ。こん
なゲームで毎日のように遊んでいれば、仮想と現実との区別がつかなくなって、少年少女
が凶行に及ぶのを助長するだけである。「表現の自由」の名の下に野放しにして良いとい
うものではないし、ましてや、「何でも売れればかまわない」という資本主義的発想など論
外である。
 これに関連してもう1点、レンタルビデオ店の応対について言及したい。上述Eの映画
は、同級生の中学生が最後の一人になるまで殺し合う残忍な場面が社会問題化し、映画
倫理管理委員会から15歳未満の入場が規制された作品である。いわゆる「R15指定」で
あり、レンタルビデオ店でも「15歳未満の客は貸し出し禁止」ということになっている。では、
なぜ小学生である加害女児がレンタルできたのか。理由は姉の会員カードを使って借りて
いたためであったのだが、このことから店舗側は客が提示した会員カードだけで貸し出し
を許可し、本人確認を全くしていなかった実態が伺える。15歳なら高校1年生か中学3年
生であるから、写真が貼付された学校長発行の生徒証明書があるはずである。レンタル
の際に客から身分証明書の提示を求めるなど、店舗側が本人確認を徹底しなければ「R
15指定」が有名無実化してしまう。これも「売り上げ至上主義」なのだろうか。同様のこと
は未成年の購入が禁じられている酒類・たばこ・アダルト書籍についても言える。
 繰り返し指摘しておくが、今回の事件の原因は一つではない。もし原因が一つならば、そ
れさえ解決できれば再発はしないだろう。しかし、そんな生易しい状況ではないということを
知るべきであると思う。上述した他にも、欲求不満に耐えることができずにすぐにキレるの
は食生活に原因があること、生命に対する畏敬の念を含めて道徳教育が不十分であるこ
と、さらには地域社会の教育力が弱体化したことなど、今回の事件の原因・誘因・社会的
背景はまだまだ挙げることができる。このような凶行の続発を防止するために我々大人が
取り組まなければならないことは、山のようにあるのである。

068「理系の人が羨ましい・・・」(5月30日)*******************************************
 今年4月より、消費税の表示制度が内税方式、いわゆる総額表示制度に改められた。
電車の運賃など、4月以前から既に内税方式になっているものはあったが、4月からはそ
れまで外税だった品物もすべて内税方式になった。この件に関して、本HPの「投稿」に 5
月24日付で「何とかならぬか!消費税」というタイトルの投稿があり、私は興味深く読ませ
ていただいた。投稿されたS・H氏は文中で次のように指摘されている。

  たとえば、定価1974円の品物を買った場合、そのままレジで定価通りの代金を支
 払えば、何も頭を使うことなく事が済んでしまう。「1974÷21=94」と暗算で計算し
 て、消費税は94円払っていると思う人は多分皆無だろう。おそらく多くの人は4月以
 降、消費税をいくら払っているかを意識しないで生活を送っているに違いない。

 確かにその通りである。私も4月以降買い物をしたときに、総額表示された数字を見て、
このうち消費税がいくらだろうかなどと考えたことはなかった。そして氏のご指摘どおり、外
税の時代は定価に掛け算をして消費税額を意識していた。
 ただ、私が興味を惹いたのは、消費税額を意識していたか否かではない。総額を21で
割れば税額が出ることに驚いたのである。なぜ21という数字が出てくるのだろう?
これが理系の方と文系の方の頭の差なのだろうか?数学の先生いわく「簡単な比の計算
です。」とのことで、「定価:消費税額=105:5」というご教示をいただいたのだが、典型的
な文系人間の私には、そういう比の式自体が思いつかないのだ。
中学生の頃だっただろうか。こんな問題があった。

  現在兄が2650円、弟が3800円の貯金がある。今後、毎月兄が400円ずつ、弟
 が350円ずつ貯金した場合、兄が弟の貯金額を上回るのは何年何ヵ月後になるか?

 こういう問題が出た場合、わかる人はすぐに方程式なり不等式なりを作って解き始める
のだが、私は式が思いつかなかったから、兄の貯金が上回るまで2650に400ずつ足し
た数と、3800に350ずつ足した数をひたすら書き続け、弟を上回ったところで何ヶ月か
かったかを数えて答えを書いていた。恐らく途中の計算式を書かせるためなのだろう、解
答欄はスペースを広く取っているのだが、私には何も書きようがないので、答えだけを書
くしかなかった。だから正解しても途中の式がないことを理由に、いつも減点されていた。
 図形の問題でも、私がなかなか解けずにうんうん唸っている時に、横から「ここに一本線
を引いて考えれば、これとこれが平行でこことここの角が等しいでしょ」などと、いとも簡単
に指摘されたことがあった。そういう補助線や数式を、問題を見た瞬間に思いつけるのは、
やはり素質・才能・天性ともいうべきものなのだろうか?
数学の世界に身をおいていらっしゃる方にとっては、総額÷21=消費税というのは何の
変哲もない事実なのだろう。現に、さきに投稿されたS・H氏は「いかにも定価÷21=消
費税額では芸がなさ過ぎる」と書かれているくらいである。しかし文系人間の私には、総額
から消費税額を算出する式を思いつくだけでも、ただただ恐れ入るばかりである。

067「年金未納は政治家ばかり」(5月23日)******************************************
 女優の江角マキコさんの年金未納問題が明らかになってから、政治家の年金未納が続
々と発覚している。
 まず政権与党である自民党であるが、橋本元首相も2年余り未納であった。厚生族の長
とも言える人物が、この始末である。また、衆議院で年金改革法案の修正案を提示した長
勢甚遠議員も、厚生政務次官当時未納だったことを公表した。柳沢伯夫前金融相も、丹波
雄哉元厚相も、厚生省出身の熊代明彦議員も、それぞれ未納期間があった。1986年以
前の任意加入制度の時代であったとはいえ、小泉首相にも未納の期間があった。自民党
だけではない。福祉を看板にしている公明党もそうである。未納・未加入だった議員は14
人にものぼっている。民主党も、菅前代表や横路孝弘副代表ら未納議員がいた。社民党
も、土井前党首に未納があったことがわかった。不正のイメージが最もない共産党にも未
納議員がいる。
 しかも最もあきれることは、「未納者を批判していた人間にも、未納の事実が後から発覚
する」という繰り返しであることだ。最初に発覚したのは、麻生総務大臣・中川経産大臣・石
破防衛庁長官だった。当時の民主党の菅代表は、これら3人を「未納3兄弟」と厳しく非難
していた。しかし、その菅代表も未納であることがわかり、ついに民主党代表を辞任せざる
を得なくなった。このとき公明党の神崎代表は「他人のことを言う前に自ら襟を正す必要が
ある」と語っていた。しかし、神崎代表以下、冬柴幹事長・北側政調会長が、これまた未納
である事実が判明した。自分だけは未納の事実がばれないとでも思っていたのだろうか。
自身が潔白でないのに、よくもまあ他人のことを非難できるものだと思う。また、未納の事
実が明るみに出たときの釈明が言い訳がましいのもあきれる。小泉首相は「未納ではなく
未加入だった」と述べた。まるで「未納は許されないことだが、未加入なら問題ない」と言わ
んばかりである。民主党の菅前代表は、未納の責を当時の年金行政に転嫁した。しかし、
当時厚生大臣だった人物は、とりもなおさず菅本人だったのである。
 若者を中心に現代の国民に年金未納者が増えている。経済的に支払う金があるのにも
かかわらず支払わない人もいるが、未納者の中には経済的な余裕がないから支払えない
という人も、少なくないのである。長引く不況で失業者も多い現状ではなおさらであろう。し
かし、国会議員なら、年間にしてたかだか15万程度の国民年金ぐらいはラクに支払える
給与をもらっているはずである。自分が議員年金その他の収入・財産で、「老後のカネに
は困らないから、国民年金などもらわんでもかまわない」という思想なのだろうか?だとし
たら、国民全体で助け合うという公共的精神に基づく年金の制度・趣旨を全く理解しない、
きわめて自己本位な行動であると言わざるを得ない。そんな人に議員や閣僚や党首にな
る資格があるのだろうか?民主党の菅は代表を辞任し、福田官房長官も引責辞任したが、
代表や長官の座から下りるだけではなく、同時に議員も辞めるべきであろう。国会議員は
もちろんのこと、都道府県議も市町村区議に関しても、被選挙権も選挙権も剥奪するくらい
の制裁を受けて当然だと思う。
 とにかく国民の範でなければならない政治家がこの有様である。これでは国民が年金に
不信感を抱いて支払わなくなるのは当然であろう。年金改革法案を通そうとしている当の
国会議員が未納なのだ。そして例によって発覚するまで未納の事実をひたすら隠している。
今回の年金改革法案にしても、「保険料を上げて給付額を減らすのはこれで最後」とは言
っているが、未納の事実を隠して国民の期待を裏切っていた政治家の発言である。国民
が信じないのも当然だと思う。そうでなくても、今後、少子高齢化社会がますます加速し、
「保険料を納めても自分の老後には年金を受給できそうにない」という制度上の不信感が
あるのだ。不払い者が民間の貯蓄型個人年金保険や預貯金に走るのも、当然の帰結で
あろう。年金への信頼が回復するのは、いったい何年先になるのだろうか。

066「モラルのない企業」(4月28日)*************************************************
 またしても企業のモラルが問われる事件が発覚した。三菱自動車が製造した大型車の
車輪が相次いで脱落した事故である。
 同社が製造した大型車のハブ破損事故は、92年以降の12年間に57件発生し、この
うち51件は車輪が脱落していた。この間、99年6月には広島県内の高速道路で路線バ
スの車輪が脱落した。当時の運輸省は、トラックやトレーラーに比べて過積載や整備不良
が起こりにくいバスでもハブが破損したことを重視し、三菱自動車に事故の原因究明と対
策を求めた。しかし、会社は応じることもなく、ユーザーへの説明など何の安全対策も講じ
なかった。そして02年1月、今度は神奈川県横浜市でトレーラーの車輪が脱落して母子
が死傷する事故が起きた。この事故後に、社内に「フロントハブ強度検証ワーキンググル
ープ」という名称の調査班が設置された。サンプル調査の分析結果により、ハブの強度不
足が事故の原因と判明したにもかかわらず、国土交通省には「ユーザーの整備不良によ
る磨耗が事故の原因」と虚偽の報告をし、調査班の議事録も提出しなかった。そして虚偽
の報告をした証拠隠滅まで会社ぐるみで行われたのではないかという疑いがもたれ、三
菱自動車当時の大型車部門の最高責任者ら本社幹部が警察の事情聴取を受けることに
なった。こうして最初の事故から10年以上にわたって、ハブの破損はユーザーの責任とし、
自社の製造責任を認めなかったのである。問題のハブについて製造上の欠陥を認めて国
土交通省にリコールを届け出たのは、今年の3月になってからであった。以上が事件の概
要である。
 この件でも改めて企業のモラルのなさが浮かび上がる。それは次の5点である。
 @利潤追求を第一とする発想。
 A不都合なことが生じても発覚しない限りは徹底的に否認し続けるしたたかな態度。
 Bどうせ自分の身に関わるわけではないから、何が起きても関係ないという自己中心性。
 C内部告発ができない社内の体質。
 D言い逃れできなくなった段階で謝罪し、人事刷新で罪を償ったことにして済ませる態度。
 トラックやバスは、三菱ふそうだけが製造しているのではない。いすゞや日産ディーゼルな
ど、他社も製造しており、企業は絶えず競争している。三菱がハブの欠陥を認めて回収す
れば、当然、三菱に対する信用も失墜するし、他社との競争には勝てない。また、回収によ
って払わなければならない支出もバカにはならないだろう。利潤を上げて会社を今まで以
上に繁栄させるためには、事故が起ころうが何人の死者が出ようが、とにかく自社の欠陥
を無視するしかない。だから、徹底的に否認し続けるわけだ。それに、会社の幹部が日頃
から自社製のトラックやトレーラー乗っているとは思えない。自分が乗る車両がハブの破損
する恐れのある欠陥車両と知っていたら、怖くて乗れないはずである。どうせ自分が乗るわ
けではないから、事故が起きても自分が痛い思いをするわけではない。だから、ユーザー
の立場で物を考える姿勢もない。そして、日本の企業に特に言えることだが、内部告発が
できない。会社のトップが隠蔽工作を指示したとき、下の者は誰も逆らえないし、不正の事
実を外部へ訴える社員もいない。こうして月日が経過し、会社に捜査のメスが入り、どうに
も言い逃れることができない局面に至って、ようやく幹部が記者会見場に現れ、「申し訳あ
りませんでした」と頭を下げる。BSE騒ぎの時も、雪印乳業の時も、薬害エイズ事件のミド
リ十字のときもそうであった。われわれ一般市民は、そういう状況に追い込まれてようやく
謝罪する光景を何度も見させられてきた。どこの企業も性懲りもなく繰り返すものだ。そし
て幹部が謝罪して辞任すれば、それで罪は償ったと言わんばかりに何事もなかったかの
ように営業活動が再開する。だから根本的な思想は何一つ改まらない。

 全く企業のモラルのなさにはあきれかえるばかりである。ハブの破損、それも自社製の
ものばかりが破損する事故が続発すれば、その時点で原因究明に乗り出すべきだし、問
題があれば直ちに回収・交換すべきである。そうして事故を未然に防ぎ、ユーザーにもき
ちっと事情を説明すべきである。それが製造した側の常識であろう。死者が出るほどの事
故まで起きているのに、何とも思わないのだろうか?しかも、原因を究明した結果、自社
の責任と判明していながら隠蔽するのだから、悪質極まりない。隠蔽に直接関わった人は
一人残らず厳罰に処し、直ちに国家権力で会社を解散させ、全財産を没収するくらいの対
応で臨まない限り、今回と同種の事件が今後も続発するだろう。

065「誘拐されてもイラクに自衛隊?」(4月10日)********************************************
 バクダッドに向かっていた日本人3人が誘拐され、その映像が 8日夜アラビア語衛星テ
レビ局アルジャジーラで放映された。 「サラヤ・アル・ムジャヒディン」と名乗る犯人グルー
プは、テレビ放送から 3日以内に我が国の自衛隊の撤退を要求しており、実行しない場
合は3人の人質を殺害すると通告してきた。
 私は、以前にもこのコーナーで述べたように (詳細は、057「イラクへの自衛隊派遣」
照)、 もともと自衛隊の派遣には反対していた。 派遣すれば武装勢力側からは「日本は
敵」とみなされ、 自衛隊はもちろんのこと、現地で人道支援している民間人にも、さらには
日本国内で生活している我々にも危害が加えられるだろうことは必至だからである。今回
の誘拐も、そういう意味では特別驚くほどのことではない。 むしろ、起こるべくして起きた
事件である。現在のイラク情勢は、日本政府が自衛隊派遣を決めた当時よりも明らかに
悪化している。イスラムシーア派の穏健勢力は、かつてアメリカがフセイン政権を倒したこ
とを歓迎していたが、その穏健勢力でさえ、今ではアメリカ主導の暫定政府づくりを 「占領」
「侵略」とみなして激しく憎んでいる。シーア派強硬派やスンニ派の武装勢力もアメリカの占
領に対する抵抗を強めている。だからイラク各地で戦闘が広がっている。 しかも、それら
の抵抗する勢力を米軍は力でねじ伏せようとするから、ますます反米感情が高まっている。
さらには、反米勢力への攻撃は軍隊だけでなく、復興支援をする各国の有志団体にも向
けられている。今回誘拐された3人の邦人はいずれも民間人であった。武装勢力は アメリ
カを支持する国家の国民なら、軍隊であろうが人道的支援のボランティアであろうが、誰
かれかまわず標的にしている。 これが現在のイラク情勢である。到底、我が国の自衛隊
が復興支援に専念できる状況ではないのだ。
 今回の犯行グループの通告に対して、福田官房長官は8日夜に記者会見し、 「そもそも
自衛隊はイラクの人たちのための人道復興支援を行っているのであって、自衛隊が撤退
する理由はない」と述べ、犯人グループの要求には応じない考えを表明した。しかし、ここ
であらためて問いたいのは、我が国の自衛隊や民間の復興支援団体が現地でどれだけ
歓迎されているのかということだ。政府は「イラクの人たちのための人道復興支援」と言う
が、その「イラクの人たち」が果たして日本人の復興支援活動を歓迎し、ありがたく思って
いるのだろうか。この問いに対する我々国民への答えは、いまだになされないままである。
 今回の邦人誘拐事件に話を戻そう。政府は「人質の救出に全力を挙げる」と発表した。
しかし、救出できないまま期限として与えられた3日間が過ぎてしまった場合、どうするの
か? 犯人グループの要求通り自衛隊を撤退しなければ、犯人の脅迫通り 3人とも殺害
されるという最悪の結果になるかもしれない。そして、同種の事件が続発するのは必至
である。現に、韓国人宣教師7人がイラク中部で拉致されたり、スペイン人のグループや
イギリスの民間人も誘拐されたという報道もあるのだ。現地で邦人が拉致されるだけで
はない。スペインで鉄道テロがあったように、我が国の新幹線も標的にされかねない。
東海道新幹線の最高速度は270km/hにもなる。16両編成で満席なら1300名を超え
る乗客が乗っているのである。走っている最中に爆破されたら、どう低く見積もっても 数
百名の死傷者は出るだろう。そんな危険と背中合わせにしてまで、自衛隊をイラクに派
遣し続ける意義があるのだろうか?

064「使わずに終る機能をどう思う?」(3月28日)**************************************
 ポケットベルに代わり外でも通話ができるということで商品化された携帯電話だが、年々
機能が充実している。話せるだけではなく、メール・アドレス帳・電卓・ゲーム・インターネッ
ト・画像や着信メロディーのダウンロード、カメラ機能とあれこれ加わり、ついにはテレビも
見られる携帯電話も登場しようという勢いである。このようにあの小型の機械にはさまざま
な機能がついているのだが、問題はユーザーが果たしてどこまで利用しているかである。
 あるアンケート調査で「あなたが携帯電話で使う機能は何ですか?」という質問をしたと
ころ、通話とメールはかなりの人が挙げていたが、その他の機能については率で言うと30
%にも満たないものばかりであった。つまり、その機能を必要とする一部のユーザーだけ
が「便利」と感じて駆使しているのだが、残りの70%以上の人は「操作すらしたことがない」
というわけである。ということは後者の人々にとっては、いくら機能が充実していても「無用
の長物」でしかなく、支払わずに済む代金まで取られていることになるわけだ。
 着信メロディーを例に考えてみよう。何曲もダウンロードして、誰からかかってきた電話か
が曲によって判別できるようにしている人もいるが、そこまでするのは一部のユーザーだけ
である。最近ではJRなどの鉄道各社が「車内ではマナーモードに設定してください」と乗客
に呼びかけている。つまり着信音を鳴らせないわけだ。では、車内以外の場なら問題はな
いかというと、人によってはそうもいかないだろう。取引先との商談や会議が多い人だと、
派手に着信音を鳴らすわけにはいかない。そういう人にとっては、携帯電話が常時マナー
モードに設定されているわけで、たとえ着信音を高音質でダウンロードする機能があっても、
その意義は全くなくなってしまうのである。
 カメラ付き携帯も登場当初はずいぶん話題になった。しかし、撮影するのなら普通のカメ
ラもあるし、デジタルカメラもある。しかも、そのほうが携帯電話以上に高画質で撮れる。だ
から、カメラなど要らないと言うユーザーも少なくない。メールにしてもそうだ。一日に100
回はメールを打つという人もいる一方、携帯電話ではメールをやりとりしないという人も、意
外と多いのである。理由は、文字数が制限されたりバケット代がかさむ携帯電話よりも、定
額制のパソコンで文字数を気にせずできるからだ。インターネット機能もそうだ。パソコンが
ある人にとっては利用価値は半減する。パソコンなら携帯電話よりもはるかに大きな画面
で見ることができる。どうせプロバイダーに料金を払っているのだから、わざわざバケット代
をかけてまで見る必要はないというわけだ。
 このように、いかに便利な機能が付いていても使わない人にとっては無用の長物でしか
ない。しかし、今はどのメーカーのどの機種でもさまざまな機能がついていて、結局は、一
度も使わずに廃棄処分になったという機能がいくつもあるのが現実だ。同様のことはパソ
コンでも言える。購入すると20も30もアプリケーションがプリインストールされているが、大
半のユーザーがそれらのアプリケーションの半分以上を一度も使わずに終るという結果に
なっている。
 要するに、ユーザーは自分が必要とするものしか使わないのである。したがって、メーカ
ーは何でもかんでも備えれば良いというものではないことを知るべきである。多機能化す
れば当然コストが上がる。使うのならそのコストを支払う価値があるが、使わない人にとっ
ては浪費を強いられているだけである。それよりも用途別・目的別に必要な機能だけを盛
り込んで、コストを下げてユーザーの経済的負担を少しでも減らす方向にメーカーは努力
すべきであろう。極端な話だが、着信専用でしか使っていないユーザーに対して、着信は
できても発信ができない携帯電話を販売しても良いと思う。そして本体価格も基本料金も
通常のものより大幅に下げれば、その人にとってはムダな支出がなくなって良いはずだ。
 「話せりゃええやん、電話やし」。これはダウンタウンの松本さんがCMで言われていた
言葉だが、各人の要求する機能だけをつけた携帯電話を販売して、余計な機能やサービ
スにまでカネを浪費させることのないようにしてもらいたいものである。そして、パソコンや
乗用車など、すべての物品にもこういう思想を広げていってほしいと思う。

063「本人確認は指紋で」(3月14日)************************************************
 最近、偽造カードによる犯罪が非常に増えている。国民生活センターに寄せられる被害
届けだけでも、年間7万件にものぼるという。それも、自分の預金通帳やカードが盗難に
遭ったというのならともかく、本人が肌身離さず所持していても、知らぬ間に偽造カードが
作られてしまうのだ。その結果、クレジットカード会社から買ってもいない商品の代金請求
が来たり、自分の取引先の金融機関にあるはずの預貯金が全額引き落とされてしまうな
ど、我々にとって防ぎようがない犯罪が起こっている。
 暗証番号すら誰にも知られていないのに、なぜそんなことが起こりうるのか?一般の人
々には想像もつかないが、通信関係の専門知識があれば、さほど驚くほどのことでもない
という。まず、自動支払機と金融機関との間をつなぐ通信回線上に細工をして、通信内容
を傍受できるように発信器を取り付ける。そして犯人は受信器とパソコンを設置しておく。
これで預金者が自動支払機にカードを挿入した瞬間に、犯人が設置した発信機から口座
番号や暗証番号・現在の預貯金額などの必要なデータを受信され、それをもとに偽造カー
ドを作られてしまうのである。以前、このコーナーで盗聴器のことを論じたが、(054「我が家
は果たして安全か?」を参照)金融機関の通信回線にこの手の発信機を取り付けることも、
その道のプロには容易にできるのである。クレジットカードの場合も同様だ。店員がお客様
から預かったカードを機械に通した瞬間に、カード会社と契約店舗間でデータ通信が行わ
れるわけだが、その通信回線上に発信機を取り付けておけば、これもカードの偽造ができ
てしまうわけだ。
 さらに問題なのは、実際に我々が被害に遭った場合、何の過失もないはずの被害者が
泣き寝入りを余儀なくされるということだ。理由は、そのような発信機が取り付けられたた
めにデータを傍受されてカードが偽造されたという事実を、被害者の側で立証するのが困
難だからである。回線上に発信機が取り付けられることは、どう考えても回線を管理する
金融機関や店舗側の責任になってしかるべきだが、現実は責を問えないとのことだ。カー
ドが盗難されたり、暗証番号を他人に教えたりしたら、被害者の落ち度だが、そのような
事実が全くないのにもかかわらず泣き寝入りとは、到底納得できるものではないはずだ。
とにかく、現状ではこの手の犯罪から被害者を救済できないわけだ。金融機関側に問い
合わせると、対策は、頻繁に(最低でも毎週3回)暗証番号を変更することと、自動支払
機を使わないことだという。しかし、どちらも無理な注文だろう。第一、たかだか数千円引
き出すだけでも、いちいち窓口に行けとでもいうのだろうか?
 諸悪の根源は、暗証番号さえ正しければ、たとえ偽造されたものであっても、誰でも自
由にカードを使えるという一点に尽きる。それには暗証番号だけで本人確認ができると
いう現在のシステムを改めなければならない。本人確認の手段は多々あるが、健康保
険証だと他人のものを盗むことができるし、運転免許証は持っていない人もいるので、
確実な手段は指紋に限ると思う。まず口座開設時に本人とその家族の指紋を登録して
おく。(家族まで登録する理由は、傷病等で本人が金融機関に行けない場合が想定され
るから)自動支払機の操作は指でタッチする方式だから、その際に指紋を読み取るよう
にし、登録したものと異なる指紋で操作した場合は、取引きを受け付けないシステムにす
るのである。クレジットカードの場合は、暗証番号も求められずに利用できる店舗がほと
んどなので、なおさら危険である。やはり、レジカウンターのところにタッチパネル式の機
械を置き、購入者とカード所持者の指紋を照合するようにすべきである。そうすれば買っ
てもいない商品の代金請求が来ることはなくなる。さらに、指紋で本人確認をする方式な
ら、苦労して他人のカードを盗んでも無意味になる。したがって、ひったくりや空き巣の減
少にも貢献するはずだ。

    (塾長コメント:本人確認は指紋で!というのは、また、過激な発言ですね。指紋というのは、
             個人的には抵抗感がありますね!何か悪いことをしたような〜...。クレジ
             ットの本人確認は、サインと電話番号等でなされるのが一般的でしたが、や
             はり、なりすましが多いということで、店と本人との本人確認から、クレジット
             会社と本人との本人確認に移行されつつあります。システムに万全はありま
             せんから、絶対安全とはいえないと思いますが、それでも心配な方は、銀行
             の貸金庫に預けて、物品購入は全て現金決済するしかないでしょう。)


062「労せずに作成できる確定申告を」(2月22日)*************************************
 このごろ繁華街や市庁舎の建物外壁を見ると、「確定申告はお早めに」といった横断幕
や垂れ幕が目立つ。毎年、1月末〜3月は所得税の確定申告の季節なのだ。今年は、3
月15日が提出期限になっている。いわゆるサラリーマンで勤務先が1箇所しかなく、そこ
で年末調整が済んでいる場合には必要ないのだが、複数の勤務先から収入がある場合
は年末調整がなされないから、この確定申告で書類を作成して税務署に提出しなければ
ならない。また、事業所得や不動産所得のある人、退職所得のある人、公的年金等に係
る雑所得がある人も申告しなければならない。そうしないと、過剰に納税した場合は還付
金がもらえずに損をするし、支払うべき税金がある人は滞納した者とみなされてしまう。し
かし、この申告書類の作成は大変な労力である。税務署や会計事務所に勤める人間な
ら毎日の仕事だから何でもないだろうが、そうでない一般の人々にとっては年に1度しか
作成しないだけに、いざ書くとなると大変である。この確定申告に関する問題点は次の4
点であろう。
 第1に、書類に記載されている各項目がわかりにくい。たとえば給与所得だ。ここには
「給与」という欄が2箇所ある。最初は「収入金額等」という欄に、2度目は「所得金額」と
いう欄にある。それぞれに「給与」という項目があるが、両者とも「給与」だからといって、
同じ数字を書き込んだらとんでもないことになってしまう。事業所から発行された源泉徴
収票の数字、つまり、支払われた給与の金額を転記するのは前者「給与」の欄だけであ
る。後者は、前者の数値によってあらかじめ租税法で定められた計算式に従って算出し
た数値を記入しなければならない。これは収入金額によって異なる。例えば、年収500
万なら、まず4で除して、1000円未満の端数を切り捨ててから、2.8 を乗じ、そこから
18万を引いた値が「所得金額」になる。これを後者の「給与」の欄に記入しなければなら
ない。このように異なる数値を記入するのだから、申告書もわかりやすく欄を設けるべき
である。それを2箇所に同じ「給与」という欄を設けるのは混乱を招くだけである。申告書
類は高齢者や何らかの障害をかかえている方も作成するのである。誰にでもすぐにわか
るようなものにすべきである。
 第2に、書類に使われる用語がわかりにくい。たとえば「雑所得」とはどういうものが該
当するのか。日常的に使う言葉ではないから、一般市民がすぐにわかると思えない。
「一時所得」もそうだ。生命保険の一時金だけと思っていたら大間違いである。各種懸賞
の当選金や賞金、競馬の払戻金、さらには遺失物拾得の報労金も「一時所得」に該当す
るのだ。他にも「配当控除」「雑損控除」「寡婦・寡夫控除」「定率減税額」など、申告書類
には専門用語ばかりである。それらが出てくるたびに、いちいち手引書を参照して、自分
に該当するものがあるか否かを考えなければならない。それだけでも大変な時間と労力
を要する。
 第3に、官公庁が「申告書は自分で作成しましょう」と呼びかけている点だ。しかし、こん
な煩雑なものを作成するのは大変である。先ほどの「給与所得」で、「収入金額等」の欄
にある「給与」から「所得金額」の欄にある「給与」を求める際に計算式があったが、次の
「雑所得」も同様で、やはり「収入金額等」という欄と「所得金額」という欄に「雑」という欄
があり、後者は収入金額の他、出生年月日によっても計算式が異なる。
以下、書類は「収入に関する欄」が10箇所、各種の控除など「所得から差し引かれる金
額」の欄が14箇所、「税金の計算」に関する欄が12箇所あり、一つ一つ自分の該当す
る項目に記入し、必要な箇所には計算式に従った算出をしなければならない。その際、
計算ミスをしたり、読み誤って自分の該当しない計算式で数値を算出してしまう恐れは
充分にある。その結果、実際よりも過剰に税金を支払ってしまう人もいるだろうし、逆に
悪意はないのにもかかわらず不正申告とみなされる人もいるのではなかろうか。書類を
各自に作成をさせたいのなら、少なくともあらかじめ租税法で定められた計算式による
算出くらいは、われわれ市民にさせないようにすべきである。具体的には、申告に必要
な数値はマークシート方式にして、あとは鉛筆で塗られた箇所をコンピュータが読み取り、
自動的に計算して必要な値を算出できるようなシステムにすればよい。これなら市民に
も官公庁にも労力がかからない。
 第4に、申告は年度単位ではなく、年単位で作成しなければならない点だ。しかし、我
が国では就学・就職・人事異動が通常4月だから、4月1日を境に勤務先が変わったり、
新たな収入を得る(あるいは退職等の理由で収入を失う)のが普通である。したがって、
「平成○年分の申告と納税」にすると、3月31日までの分と4月1日以後の分をまとめな
ければならない。転職等の事由で4月から勤務先が変わると2枚の源泉徴収票が生じ
るから、その翌年の3月に市民が確定申告に行かなければならなくなる。これははっき
り言ってムダな労力だ。事業所でも同じである。決算は年度単位(さらに上期・下期で分
ける)で行われているのが普通である。やはり確定申告も年度単位にして、当該年度分
の申告は翌年度の6月30日までに済ませるようにすべきである。
 理想的なのは、市民が全く申告しなくても自動的に正しい納税が行われるようなシステ
ムを築くべきである。それには一人に一つずつ付与した住民コード番号を使えばよいだ
ろう。以前、国民背番号制度の導入の是非をめぐって議論になったことがあるが、住基
ネットを構築したのだから、この番号を利用して一人一人の市民について誰がどこから
いくらの所得があり、どこの金融機関に口座があって、これまでにいくらの収入と納税が
あったかを、すべてこの番号で国・地方公共団体が正確に把握し、それをもとに徴収す
ればよい。当然、控除対象となる各種保険・医療・寄付金等の実態も把握し、控除金額
の総計も自動的に算出するシステムにする。
そうすれば面倒な申告書類も不要になるばかりか、脱税・申告漏れなどの課税にからむ
意図的な犯罪もなくすことができる。さらには口座の新設はすべて住民コード番号を照合
して行うから、架空の口座を設けて不正な取引をするといった犯罪もなくすことができる
のである。

    (塾長コメント:確定申告は、3月15日締切ですが、ほとんどのサラリーマンが関係すると
             思われる医療費控除等の還付申告は随時郵送でも受け付けています。ま
             た最近の税務署(私の行き付けの税務署だけかもしれないが)は、とても
             親切で書類に不備があったら早急に連絡してくれるし、必要な書類を持参
             すれば窓口でいろいろ助言をもらいながら記入することもできます。
              ところで、菅ちゃんの後半の提案は、私的には賛成できませんね!何事
             も「面倒だから...」という理由で、住基ネットが始まったわけですが、はた
             して国民の何人が、遠隔地で住民票を申請する必要があるのでしょうか?
             おそらく大多数の国民にとっては必要性が全く感じられないシステムだと思
             います。それよりも、国民の個人情報が国に一元管理され、その取扱いが
             不透明であることに危惧を覚えます。国は定められた目的以外は使わない
             と明言していますが、電子データとして存在する以上、不測の事態が起こる
             とも限りません。給与等の情報も大切な個人情報ですので、その取扱いに
             は慎重な対応が必要だろうと思います。確かに、「国に全部おまかせ!」が
             一番楽な方法かもしれませんが、それに伴って我々を取り巻く環境で失うも
             のが非常に多いのではないでしょうか。多少の「便利さ」を犠牲にしても、大
             いなる「不便さ」を大切にしていきたいと思います。納税意識を高めるために
             も、苦労することは必要だと考えます。)


061「学ぶ側が興味をもつ数学の授業を」(2月7日)************************************
 最近、子どもたちの学力低下が問題になっている。なかでも特に理数系の低下が著しい。
学力もさることながら、理科や数学に興味を持つ児童・生徒の数も少なくなっているという。
 HPサイト「私的数学塾」は、数学教育に携わる方々が、かなりご覧になっていると思われ
るので、私の受けた数学の授業の印象も交えて、「児童・生徒が数学をおもしろく感じ、数
学に興味をもつようになるには」という観点で数学(算数も含む)の教科指導における問題
点を述べてみたいと思う。
 第1に、理由もなく計算のルールだけを一方的に詰め込まれることへの抵抗感を指摘し
たい。たとえば、次の問題で考えてみよう。:   (−5)+9×6−10
 正解はもちろん39だが、先月の朝日新聞でもこのような四則の計算で正答できない中
学生がかなりいると報じていた。上の問題の誤答としては次の5通りが想定される。
  @ (−5)+9=4に6を乗じて、最後に24−10を計算して14と解く。
  A (−5)+9=4と6−10=−4を別々に求め、最後に4×(−4)を計算して−16と
    解く。
  B (−5)+9−10=−6に6を乗じて−36と解く。
  C −10+6=−4に9を乗じてから、−36−5を計算して−41と解く。
  D 先に9×6=54とするも、(−5)+54−10の計算を誤り、49と解く。
 (−5)、9、6、10・・・登場する数はたったの4つしかない。それでも、これだけの計算の
仕方があることに改めて驚いてしまう。
  @は、先に出てきた数から順番に計算したもの
  Aは、前2者と後2者を分離して計算したもの
  Bは、乗除より加減を優先して計算したもの
  Cは、@と逆に最後に出てきた数から順に計算したもの
  Dは、計算の順序は合っているが、加減のミスによるもの
 D以外はいずれも「四則計算では加減より乗除を優先する」という計算のルールを理解
できていないために生じるミスであるが、現場の授業での指導の大半は、「9×6を先に計
算しないからダメなんだ」と教えるだけである。これでは誤答した生徒にとっては、苦労して
せっかく解いた自分の答えが教員に一蹴されたショックと、計算のルールを無理やり押し
付けられた印象しか残らないだろう。そんな彼らが数学に興味・関心を抱くとはとても思え
ないのである。
 問題は「なぜ加減より乗除を優先しなければ正答が得られないのか」という根本的なテー
マである。これを納得のいくまで説明しない限り、数学のおもしろさや興味を生徒に伝える
ことはできまい。それに、同じ誤答するにしても@〜Dもあるのだ。(計算ミスまで加えたら
さらに多くの誤答が現れる)それぞれについて得られる結果とその理由まで説明して、数の
不思議さを探求するような授業をしている中学校はどこにもないのではなかろうか。
 こういうことは挙げればきりがない。たとえば、私が当HPの『教えて頂戴』で指摘した疑
問がそうであろう。
 ☆方程式・不等式において、移項したら符号が変わる理由
  (もし符号を変えなかったら、どういう結果になるのか?)
 ☆不等式において、負の数で除したら不等号の向きが変わる理由
  (もし向きを変えなかったら、どういういう結果になるのか?)
 ☆分数Aを分数Bで除する場合、分数Bの分母と分子を逆にする理由
  (もし分数Aの分子と分母を逆にしたら、どういう結果になるのか?)
 ☆0を何かで除することができても、ある数を0で除することができない理由
  (逆になぜ0を何かで除することができるのか?)
上記のテーマについても、私自身、高校卒業までの授業では説明されたことはなく、ただそ
ういうルールなのだと一方的に教えられただけであった。
 第2に、ある計算行為をする際、その概念や意味の説明が全くなされないまま授業が進
むことである。たとえば「3に4を掛ける」の意味なら「3を4回加えること」で、どういう行為を
しているのかがすぐわかるし、小学生にも説明することができる。しかし「(−3)に(−4)を
掛ける」とは、どういう行為なのか?「−3を−4回加えること」だとしても、その意味を教わ
る側にわかるように伝えているのだろうか。この類のものは他にも「0乗」「-2乗」「1/2乗」
の意味、「2乗して−1になる数という概念」など、具体的にどういう計算行為をしているのか
が、私の受けた授業でも言葉で説明されたことがなく、当時の私にはさっぱりわからなかっ
た。(もちろん今でもわからない) これでは、自分の解いている計算行為の意味がわから
ず、指示された問題の解を、ただ機械的に求めているだけで、たとえ正答できたとしても、
数学をおもしろく感じるはずもあるまい。
 最後に数学の成績が悪いと頭が悪いと見なされがちな悪しき価値観を指摘したい。これ
は数学科の教員だけの責任ではないが、他教科以上に数学、特に計算の問題で誤答する
と言われがちな言葉である。これは数学の苦手な生徒に劣等感を植えつけるだけでしかな
い。そもそも数学ができないと頭が悪いと断定する根拠が何もない。数学教育に携わる先
生方は、こういう価値観の払拭にも力を注いでもらいたいものである。

060「迷惑行為を撲滅するには」(1月25日)*******************************************
 航空機内での迷惑行為を取り締まる目的で、改正航空法が今月15日から施行された。
その骨子は、次の行為が禁止命令の対象として規定され、客室乗務員が口頭で注意し、
さらに、機長名の禁止命令書を手渡しても従わずに、これらの行為を繰り返した場合、 到
着地の警察に無線で連絡して、着陸後、身柄を引き渡したり、最高50万円の罰金を科す
というものである。
 @平常時に非常用機器の勝手な操作
 A機内のトイレにおける喫煙
 B乗務員への暴言・暴力・セクハラ行為
 Cシートベルト装着指示への不履行
 D携帯電話などの電子機器の使用
 E乗降口の勝手な操作
 F通路への手荷物の放置
 G離着陸時にシートのリクライニングやテーブルを元に戻さない場合
 私は職業柄、航空機を利用する機会はないので全く知らなかったのだが、航空会社で組
織された「定期航空協会」によると、機内の迷惑行為が2002年に278件もあり、このうち、
到着地を変更したり、着陸先の空港に警察官を待機させるほどの悪質なケースが40件も
あったと報告している。特に、シートベルト着用や携帯電話禁止の指示に対して、乗客が従
わず、注意した客室乗務員に暴力を振るったり暴言を吐く行為は、日常茶飯事といっても
過言ではないほど頻繁に起こっているとのことだ。JRでも、駅員や車掌への暴力・暴言が
数年前から問題化していたが、年々悪化していく乗客のモラルには情けないかぎりである。
 なぜこのような法律を制定しなければならないほど事態が悪化したのか?最大の理由は、
教育環境の変化であろう。具体的に言えば、幼少期から人から命令されたり叱責される体
験もないまま大人になってしまった者が年々増えてしまったことである。これは、今後の我
が国において非常に大きな問題である。昔はどこの家庭でも父親が厳しかった。そして、近
所にも悪いことをしたときに雷を落とすおじさんや、他所の子どもに対しても毅然たる態度
で注意するおばさんがいた。学校でも「体罰教師」という形容がぴったりするような怖い先生
が一人や二人はいて、生徒指導の最前線に当っていた。私も含めて当時の子どもは、そう
した環境に育った。だから何が悪い行為かも学んだし、悪いことをすれば厳しく怒られて当
然という意識を持つことができた。だが、今は違う。眼前に悪い行為をしている子どもがい
ても、親以外の他人は見てみぬふりをするようになった。学校も生徒の人権ばかりが強調
されたため、強硬な指導がしづらくなった。親がまっとうな育児をしていれば別だが、そうで
なければ、悪いことをしても悪いと注意されずに子どもは育ってしまうのだ。だから、本人は
「何をしても文句を言われる筋合いはない」と思い込んでしまう。そのため、乗務員などの係
員から軽く注意されただけで、すぐにキレるようになってしまったのである。
 この傾向を助長させてしまったのが、客をあまりにも大切に扱いすぎた会社側の営業方針
であると思う。今はどこでも従業員の接客態度が低姿勢になった。そのため、「オレは客だ。
客に対してでかい態度を取るのか!」と従業員に怒鳴るなど、客の権利意識ばかりが膨れ
上がり、客として果たすべき義務がないがしろにされてしまった。「お客様は神様」という思
想がそうさせてしまったのである。これは何も航空会社に限ったことではない。鉄道・百貨店
・ファーストフード・銀行など、すべての客商売に当てはまる現象だ。数十年前のように、従
業員が客に対してもっと高飛車に出ていれば、客はもっと卑屈な思いをさせられたはずだ
が、一人でも多くの客を獲得して自社の利潤を得ようという営業姿勢が裏目に出たのであ
る。「お客様本位の商い」と言えば聞こえが良いが、現実は客を甘やかす方向にも作用して
いたと言えよう。
 今回の改正航空法では、そうした客の悪態に対して法律で対抗しようというものである。
しかし、罰金刑というのはあまり意味がない。個々人の所有する財産はまちまちだから、あ
る金額を「痛い」と感じるか「端金」と感じるかで刑罰の価値が変わってしまうからである。や
はり刑罰を科すなら自由刑に限る。たとえ1ヶ月でも収監されれば、本人も精神的にこたえ
るはずである。
 それから、悪質な客に対しては乗務員も強硬な態度で応じるべきである。乗客にも乗務
員の指示に従って行動する義務があるのである。乗務員の指示に従うことも運賃を支払う
ことと同様に、運送上の契約条項に含まれているからだ。従って、乗務員の指示に従わな
い場合は、乗客を殴ったり刃物で威嚇しても良いと思う。1997年のヒット作となった映画
『TITANIC』の中でも、三等船客が沈みつつある本船から救命ボートに乗ろうと殺到したた
め、ピストルを携行した乗組員が船客に威嚇発砲する場面があったが、あの程度のことは
現実にしてもかまわないと思う。乗客に対していつも明るく笑顔でサービスすることだけが
接客ではないはずだ。
 また、迷惑行為の原因となる物品については、客室内の持ち込みも禁止すべきである。
機内での携帯電話の使用が問題になっているのならば、「携帯電話は客室内には持ち込
むことのできない荷物」と掲示し、電源を切らせて大型の荷物などと一緒に航空会社が責
任を持って預かればよい。そして、守らずに携帯したまま搭乗ゲートを通ろうとした場合は、
凶器や爆発物と同様に機械が直ちに感知して、その場で強制的に預かればよいと思う。
機内で全面的に禁煙となっている路線に対しては、タバコも持ち込み禁止にすればよい。
そうすればトイレで喫煙しために煙感知器が作動することもないはずだ。機内で泥酔する
客がいるのなら、アルコール飲料の販売も中止すべきである。とにかく乗客にマナーを訴
えても守られることがない昨今の風潮に対抗するには、問題となる物品を機内に持ち込
ませないようにすることが一番である。
 さらには、乗客の状況によっては搭乗を拒否しても良かろう。搭乗前から既に酔っ払って
いる疑いのある乗客に対しては、搭乗時に呼気のチェックをすべきである。もちろん、アル
コールが検出されたら搭乗を拒否する。その程度のことをしなければ、迷惑行為は撲滅で
きまい。

059「歩道は誰のため?」(2004年 1月11日)****************************************
 2、3年前からだろうか、「バリアフリー」という言葉が公共的な施設を中心に叫ばれるよう
になった。車椅子など移動に制約を受ける方に対しても、安全かつスムーズに通行できる
ようにし、障害の有無に関わらず、みんなが施設を利用できるようにするというものである。
その方針のもと、たとえば、鉄道各社では、改札口からホームを結ぶエレベーターを設置し
たり、スロープと車椅子利用者専用の改札口を設けるなど、バリアフリー化を推進した。し
かし、まだまだ交通弱者に利用しやすい環境にしなければならないものがある。それは道
路である。
 高速道路は自動車専用なのでともかく、それ以外の道路では自動車の他にも自転車・歩
行者・さらには車椅子の方など、さまざまな人に利用されている。このうち、車道と歩道が分
離されている道路では自動車(四輪・二輪とも)以外は歩道を利用することになるのだが、
本当に歩行者のために作られたと豪語できるような歩道はほとんど見当たらない。車道と
歩道との分離をした道路は多いが、大半の歩道は車道より15cmほど高くしただけで、ガ
ードレールを設けない方式になっている。この結果、歩道の利用者が通行するのには非常
に不便になってしまった。問題点は次の2点である。
 まず、横から別の道が合流・分離するときは、15cmもある段差のままでは車が通行でき
ないので、歩道が車道と同じ高さに下がることになる点である。市街地で十字路やT字路が
多いと、そのたびに歩道はアップダウンし、横断歩道の前後で必ず段差がつくことになる。
これは普通の歩行者ならともかく、松葉杖や車椅子利用の方々にとっては非常に通行しづ
らい。自転車でもガタンガタンと不快な振動がくるからお分かりだろう。この段差を嫌って初
めから車道の端を通行する車椅子の方もいるのである。ドライバーの立場で見ると、車道
を低速で動く車椅子が危険きわまりないので、「何で歩道があるのにわざわざ車道を使うの
か?」と感じるわけだが、あまりにも段差が多くて、車椅子そのものが故障する原因にもな
りかねないので、段差のない車道の利用を余儀なくされているのである。最近はコンビニな
どの店舗でも駐車場があるから、その店舗に接する歩道にも同様の段差があったりする。
車が入りやすいようにした結果そうなったのだが、歩道の利用者にとっては迷惑でしかない。
 もうひとつの問題は、ガードレールがないから、簡単に歩道に路上駐車されてしまう点で
ある。段差があるとはいえ高さはわずか15cmしかないから、左側の車輪を歩道に乗り上
げければ路上駐車は苦もなくできる。そのために歩道が狭くなり、自転車や車椅子が通れ
なくなるのである。自転車ならばその部分だけいったん車道に出れば通れるだろうが、車
椅子では15cmの段差が障害となるから簡単に車道に出られない。歩道の見通しも悪くな
り、駐車した車の陰から歩行者や自転車が車道に出て接触する事故が増えている点も看
過できない。
 「車道と歩道を分離した」といえば聞こえは良いが、結局のところ自動車が通行しやすい
ようにしたというだけで、歩道は車道の付属物のような存在でしかないのである。歩道は元
気な歩行者と自転車のみならず、お年寄りの方・車椅子の方・視覚の不自由な方など、い
わゆる「交通弱者」と言われる方々が安心かつ快適に利用できるものでなければならない。
段差を設けて車道と分離するという安直な方法ではなく、しっかりしたガードレールを設置
し、緩衝材としてつつじなどの植物を植えて、両者間に一定の空間を取ることで、歩道の利
用者を車から守らなければならない。そうすれば車が運転を誤って歩道に入ることもなくな
るし、それを防ぐための段差を設ける必要もないのである。

058「平成15年を振り返って」(12月30日)*******************************************
 平成15年も残り1日というところまできたので、昨年同様に今年を振り返って所感を述べ
てみたい。
 総じて今年もあまり良いことはなかった。毎日報道されるニュースを見ても、暗い内容の
ものばかりという印象であった。しいて明るいニュースを挙げるなら、阪神タイガースが18
年ぶりに優勝を果たし、大阪を中心とする関西が活気づいたという話題ぐらいであった。
 対外的には北朝鮮や国際的テロ組織に脅かされた1年だった。大量破壊兵器や弾道ミ
サイルが拡散しつつある現状に備えて、我が国も弾道ミサイル防衛システムの導入を決
めるなど、明らかに「もはや日本も平和ではなくなってきた」と言わざるを得ない印象を受
けた。また、北朝鮮による過去の拉致事件も依然として全容解明されていない。公表され
てはいないが、拉致されたと思われる行方不明者は、まだまだ大勢いるのである。一方、
イラクでもサダム・フセイン元大統領の身柄拘束は実現したものの、アルカイダをはじめと
する国際的テロ組織は今もなお活動しており、平和な復興にはまだまだ年月がかかる状
況である。
 国内でも、国民にとって明るい希望の持てるニュースはほとんどなかった。年金制度で
は、年収に対する厚生年金の保険料率を現行の13.58%から毎年0.354%ずつ引き
上げ、最終的には18.35%にする方針が決まった。今後、年金の財源に困窮すれば消
費税率のさらなる引き上げも予想され、国民の負担はますます増大する一途であろう。
基本的に、自民党の経済政策は相変わらず「大企業への負担は軽く、中小企業や国民
への負担を重く」という方針だが、今回ますますその傾向が強まったとしか思われない。
 雇用問題も非常に厳しい数字となった。特に、来春卒業する大学生の就職内定率は60
%、高校生にいたっては34.5%で、いずれも過去最低を更新してしまった。中でも高校
新卒者の女子にいたっては30%にも満たない。定職を持たない、いわゆる「フリーター」
が400万人を超えて社会問題となってから久しいが、アルバイトすらしない、つまり全く働
く意欲を持たない無業者が増えていることは、さらに憂慮すべき問題である。内閣府が最
近まとめた構造改革報告書によると、15〜24歳の無業者が全国に53万人もいるとのこ
とだ。高校中退者や不登校・引きこもりなど、社会への参加意欲を失い、就業活動もしな
い人が年々増えているのが我が国の現状である。
 凶悪な犯罪も依然として減っていない。特に、今年は未成年者が被害に遭う事件が非
常に多かったように思う。小学6年生の女子4人が東京の渋谷へ遊びに行ったまま行方
不明となり、麻布のマンションの一室に監禁されていた事件を筆頭に、登下校途中の児
童・生徒を車に無理やり乗せて連れ回したり、歩いている児童・生徒の後ろから自転車や
バイクで近づいて、刃物で切りつけて去るといった、無差別かつ衝動的な犯罪が目立った。
今月に入ってからは京都府宇治市内の小学校で不審者が教室に入り、児童にも被害が
出た。親による我が子への虐待も依然として減っていない。それも、「なかなか泣き止まな
いから首を絞めて殺した」といった動機で、親としての見識を疑わざるを得ない非常に自己
中心的なものばかりである。いずれにしても、社会の鬱憤を罪のない弱者である子どもた
ちに向けているとしか思えない犯罪であり、子どもの範となるべき大人として社会人として
非常に情けない。
 来年は果たしてどうなるのだろうか?せめて、自衛隊のイラク派遣とともに日本が国際的
テロ組織の攻撃を受けたり、北朝鮮の不穏な行動が再開しないことを祈るばかりである。
そして願わくは景気が上向きとなり、雇用問題が改善され、犯罪のない社会に少しでも近づ
いてほしいものである。

    (塾長コメント:菅ちゃんからは、12月28日付けでのメール配信がありましたが、内容的に
             本日付で掲載させていただきました。)


057「イラクへの自衛隊派遣」(12月14日)*******************************************
 今月9日の臨時閣議で、政府はイラクへの自衛隊派遣を決定した。閣議後の記者会見で、
小泉首相は「戦闘行為には参加しない。他国の武器の輸送もしない」と発表したが、今なお
戦闘状態が続くイラクに武装部隊を派遣することが、今の日本にとって果たして正しい選択
なのだろうか?私が思うに、問題点は次の5点に集約されると思う。
 第1に、派遣されたイラク側の心証だ。いくら我が国が「戦争はしません。武器輸送はしま
せん」と明言しても、武装部隊であることに変わりがない。しかも、フセイン政権の残党や国
際的テロ組織「アルカイダ」などの所謂「抵抗勢力」にとっては、自衛隊も英米の軍隊と同等
の「敵」と見做されることは間違いない。少なくとも絶対に味方とは映らないのだ。イギリス・
アメリカと同盟軍ということは、英米の軍隊と同様に、わが国の自衛隊も抵抗勢力の攻撃の
対象にされることは必至である。つまり、事実上の戦争に突入するわけだ。また、イラクの
一般国民が英米の軍隊が来て武力行使をしていることや、さらに、日本からも武装部隊が
来ることを果たしてどれだけ歓迎しているかも疑問だ。歓迎されていないのなら「人道的支
援」は「余計なお節介」でしかない。英米と共にテロ組織の掃討が目的なのか、それともイ
ラクの国民が日本からの救助を切に求めたからそれに応じるのか?国民に対する政府か
らの充分な説明は、いまだになされていないままである。
 第2に、危険に晒される人が派遣される自衛隊隊員だけでは済まないということだ。派遣
される隊員も気の毒だが、彼らは危険と背中合わせの職業ということで、たとえ被害が出て
も致し方ないだろう。それ以上に問題なのは、我が国の一般市民の安全である。我が国の
自衛隊派遣を抵抗勢力が「英米の同盟軍の参戦」と見做せば、当然、日本本土も戦争の舞
台になり得るわけである。否、「戦争」とまでは言わないにしても、少なくともテロの対象には
なるだろう。世界貿易センターと同様の被害が東京や大阪などの大都市で起こらない保障
はどこにもないと思う。そうなったとき、罪もない一般市民に多大な被害が出るのである。今
回の自衛隊派遣にはそういう危険もはらんでいるのだ。そこまで政府は承知の上で派遣を
決断したのだろうか?そして、そんな危険を冒してまで、現在のイラクに自衛隊を派遣しな
ければならないのだろうか?それが非常に疑問である。
 第3に指摘したい点は、イラクに派遣する時期である。閣議後の記者会見で、首相は「イ
ラクの復興と人道的支援が目的である」と述べたが、現在のイラク国内は非常に危険であ
る。国連や赤十字も現地から撤退しているほどなのだ。そんな時期に、派遣を決定する必
要もなかろう。現在の時期に派遣を決めるのも、私にはとても理解できない。
 第4に、今回の武装部隊の派遣が憲法9条に抵触することだ。抵抗勢力から何らかの襲
撃を受けたとき、自衛隊は一体どうするのだろうか?全くの無抵抗なら、さきの外交官殺害
と同様に隊員全員が現地で死亡することになるだろう。それでは「人道的支援」もできない
し、派遣した意味もないだろう。かといって反撃すれば、外国で日本の自衛隊が武力を行使
したことになり、これは立派な「戦争」行為になりかねない。そして、このことが中国や韓国な
どかつて日本の軍隊が侵略・占領したアジア諸国の国民に対して、どういう心証を与えるだ
ろうか?今後の日中間など、アジア諸国との良好な関係に傷を作ることになりはしないだろ
うか?
 最後に、そもそも「自衛隊」とは何か?ということを問題にしたい。字句どおり解釈するなら
ば、我が国が他国から攻撃を受けたときに出動して、自国の安全を確保するためのもので
あるはずだ。日本が攻撃されたり侵略されたときに、日本の国民と国土を自衛するための
組織でなければならない。アメリカで世界貿易センターなどが襲撃されたように、日本国内
でも同様なテロが起こったり、イラクの軍隊やテロ組織が日本に上陸して日本国民に危害
を加えたりしたというのなら、確かに自衛隊の出動も必要だろう。しかし、現時点で抵抗勢
力は日本国内ではまだ何もやっていないのだ。イラクでは確かに2人の日本人外交官が殺
害されたが、日本国内では誰も危害を加えられていないのである。まだ抵抗勢力が何もや
っていない段階にもかかわらず、なぜ遠い国家にまで自衛隊を派遣しなければならないの
か?そして、派遣してわが国が自ら進んで戦闘状態に近づく危険を冒す意義がどれだけあ
るのだろうか?
 以上の理由で自衛隊のイラク派遣には反対である。あるのはテロの危険ばかりで、意義
がほとんど感じられないからだ。ましてや、当のイラク国民にさえ歓迎されていないのなら、
首相の言う「人道的支援」もなおさら無意味である。 

056「2003年衆議院議員選挙に思うこと(Part2)」(11月23日)************************
 先週に引き続き、今回は選挙区制度の点に焦点を当てて考察したい。現行の制度は一
選挙区あたり代表1名を選出する小選挙区制と、拘束名簿式比例代表制とで選出する制
度になっているが、これが果たしてそれまでの中選挙区制度に比較して良くなったのか?
 まず小選挙区制度を検討してみると、選挙結果を見るかぎり、最大勢力を有する党に最
も有利になるだけの制度でしかない。それは、得票率と議席の占有率を比較すれば一目
瞭然である。今回、自民党は44%の得票しかなかったが、168議席を獲得できた。小選
挙区の定数が300議席なので、168議席ということは率にして56%を占めたことになる。
一方の民主党は37%の得票率であったが、獲得した議席は105で、率にして35%しか
ない。さらに言うと、全ての選挙区に候補者を擁立した共産党は8%の得票にもかかわら
ず、一人も当選できなかった。つまり、得票率がそのまま獲得議席に反映されていないと
いうことだ。このことは死票の数で分析してもわかる。ある候補者に投票したものの、その
選挙区ではその人が当選できなかった場合その票は死票になるが、自民党は得票全体
の37%にとどまったのに対し、民主党のそれは51%、共産党にいたっては、獲得議席が
なかったので100%が死票になってしまっている。ちなみに票数で表すと、共産党は484
万票が死票となった。結果として、小選挙区では自民・民主・共産の3党から候補者が1人
ずつ出ても、自民党の候補者だけが当選というパターンにしかならない。つまり、選挙をす
る前から結果が見えているのだ。自民党以外の候補者を支持する有権者は投票しても無
駄だと判断するから、わざわざ投票所には行かないだろう。これでは投票率が低下するの
も自明である。
 こうした小選挙区制度の欠点を補うために比例代表制度があるはずだが、これとて大政
党に有利に働きこそすれ、決して小政党にとって有利にはなっていない。その証拠に、得
票率より議席の占有率が上回ったのは自民・民主の両党だけで、公明・社民・共産の各党
はいずれも下回ってしまった。特に共産党は459万票を集めたが、獲得したのは9議席、
自民党は2065万の得票で69議席を獲得している。共産党と比べると、自民党は得票数
では4.5倍なのに対し、獲得した議席はなんと7.7倍なのだ。このように差が出る原因は
現行の比例代表制度がブロック制を採っていることと、ドント式なので大政党ほど有利に議
席が配分されるためだが、これでは小政党支持者の民意も反映されているとは到底言えな
い。
 現行の選挙区制度になる以前は一選挙区から4名前後の候補者を選ぶ中選挙区制度だ
ったので、自民・社会・公明・民社・共産の各党の候補者が立っても、少なくとも3党から一
人ずつの代表を選出することができた。もちろん、最大多数は自民党であったものの、自民
・社会の両党の影に他の小党が埋もれる現象は起きなかった。それが、「選挙区が広いと
カネばかり要して、賄賂などカネに絡んだ不祥事が後を絶たない」という理由だけで、現行
の小選挙区・比例代表並立制度に改悪してしまった。しかし不祥事が起きるか否かは、選
挙区の大小が原因ではないはずだ。諸悪の根源は議員、特に自民党の議員個人個人の良
識がなかった点に尽きるわけで、きちんと良識をもった行動をとっていたら、選挙区制度が
中選挙区制であっても不祥事は起きなかったはずである。それに、現行の制度に「改悪」し
たのは当時の政権与党で第1党であった自民党であって、共産党などの小政党ではなかっ
た。そもそも大政党が提案して可決させた選挙区制度改革なのだから、小政党に有利にな
るような内容に改まる可能性は初めからなかったのである。
 現行の制度になって今回で3度目の総選挙になった。しかしこの制度を続ける限り、結果
として死票を増やし、それが投票率の低下を招くという悪循環にしかなっていない。やる前
から結果が予見できるような選挙では、有権者に投票の意義を訴えても伝わるはずがない。
投票行為が一人でも多くの有権者の民意を反映させることができるように、直ちに選挙区
制度をかつての中選挙区制度に戻すべきである。

055「2003年衆議院議員選挙に思うこと(Part1)」(11月16日)************************
 去る11月9日、衆議院議員選挙が実施され即日開票された。今回の選挙についての所
感を本日と来週の2回に分けて論じたいと思う。
 総選挙の結果は既に新聞・テレビなどで報じられているように、自民・民主の両党で圧倒
的多数を占めた。これをマスメディアや政治評論家は、「アメリカ・イギリスにみられる二大
政党制がわが国にも到来した」と評し、その流れを歓迎するような論調であったが、果たし
て喜ぶべきことなのだろうか?
 二大政党制における最大の問題は、本来の野党の意義が消滅する恐れがあることだと
思う。A、Bの両党のうちAが政権与党となれば当然Bが野党となるわけだが、両党の政策
が大同小異だった場合、本当の意味での「野党」が機能しなくなってしまうのである。つまり
政権与党の打ち出す政策の是々非々を厳しくチェックし、少しでも異議があれば直ちに委
員会で追及して、与党の独走を牽制する働きが失われてしまうということである。かつての
55年体制のように、自由民主党とその対極に日本社会党が位置し、政策も綱領も全く異
なる二大政党制になるのであれば、この問題点は解決されるのであるが、現在の自民党
と民主党とでは政策や選挙公約に共通点や類似点が多く、およそ民主党が自民党の対極
に位置する政党とは言えない。そうなると、政権与党のチェックは共産・社民の両党に頼ら
ざるを得なくなるわけだが、選挙後の新勢力ではあまりにも弱小過ぎて、チェック機能もど
こまで期待できるのか非常に疑問である。
 いわゆる「番犬」的存在が失われると、A、Bの二大政党が共に賛成する原案は、ほとん
ど野党との審議に日数をかけずに可決されることになりがちだ。たとえば消費税で考えて
みよう。将来的に7%、さらには10%に増税する原案を自民党が出しても、民主党が反対
すれば、たとえ最後には可決されるにしても、それまでに相当な期間審議を要することにな
るだろう。しかし、民主党も「増税やむなし」と判断すれば、反対勢力は物の数にもならない
から、すぐに原案が可決されてしまう。現在のわが国は年金などの社会保障、長引く不況
に伴う景気対策や雇用の問題、対外的には自衛隊のイラク派遣や北朝鮮問題など、慎重
に審議しなければならない議題が山積している。それらを自民・民主両党が賛成したから
といって即決して良いものなのか疑問である。「多数決が必ずしも正しい選択とは限らない」
・・・これはれっきとした事実なので、そういう意味で政権与党の対極に位置する、本当の意
味での「野党」の存在は不可欠なのである。そうでないと被告に弁護人もつけずに裁判を進
めて判決を出すような結果にもなりかねない。
 「わが国にもいよいよ二大政党の時代が来た」などと礼賛している人々は、何でもかんで
も英米のシステムを是としている舶来主義のような気がしてならない。今回の選挙戦から
「マニフェスト」という妙な言葉が登場したが、何もそんな外来語を使わなくても、もともと日
本語にある「選挙公約」で充分有権者に伝わるはずである。それを英米の言葉である「マ
ニフェスト」をわが国でも使おうとしているのと同じ理屈で、「英米が二大政党だからわが国
もそれに倣うべきだ」と思い込んでいるだけなのではないのか?二大政党制でなければ正
しい政治ができないという科学的根拠もないはずだし、現在の英米の二大政党制度に全く
問題点がないとも断言できないはずである。今回の総選挙の結果で自民・民主両党に収
斂する動きを批判したメディアは、敗戦した政党の機関紙を除くとほとんどなかった。評論
家はもっと客観的な目で事態を受け止めて物を言うべきであり、マスメディアも一面的な見
方で報じないようにすべきである。

054「我が家は果たして安全か?」(11月 9日)***************************************
 外出のため留守にするとき、あるいは夜寝るとき、どこの家でも戸締りと消灯、ガスの元
栓を締めるだろう。それさえ忘れずにやっておけば自分が帰宅するまで、あるいは翌朝起
きるまで、大地震などの天変地異でも起こらないかぎり、家の中の安全は保たれるはずで
ある。ところが、今は違う。鍵をかけていても狙われてしまう。
 ここ数年で登場した新語「ピッキング」があるからだ。これほど不安なものはない。普通の
家に取り付けられている鍵なら、施錠されていても空き巣のプロの手にかかれば、短時間
で容易に開けることができるのが現状だ。そこで防犯対策を施した特殊な鍵が各メーカー
から販売されだしたが、今度は鍵のシリンダーそのものを取り壊して侵入される被害が出
ている。また、侵入されるのは玄関だけではない。窓ガラスの一部をライターで焼いて穴を
開け、そこから指をねじ入れて鍵を開ける手口も増えている。玄関の鍵に比べれば、窓ガ
ラスの鍵は何の防犯対策も施されていない。鍵に指が届きさえすれば、あとは簡単に侵入
できるのだ。ピッキングは特に女性・お年寄り、それも一人暮らしの人が狙われている。居
住者の行動を戸外からじっと観察し、居住者が風呂に入ったのを確認してから侵入するの
である。
 それでも留守中に忍び込んで盗むべき物品を盗み出してすぐに家を立ち去る、いわゆる
昔ながらの空き巣ならまだマシと思わなければいけない。最近は留守中に忍び込んで居
住者の帰宅を押入れなどでじっと待つ犯人も増えているという。居住者が帰宅してすっか
りくつろいだ状態になったのを確認してから、隠れていた犯人が出てきて居住者を縛りあ
げ、銀行の貸し金庫の鍵・預金通帳・印鑑・クレジットカードの場所や暗証番号などを聞き
出すのである。この場合、居住者に犯人の顔を見られるわけだから、暗証番号などを聞き
出した後、犯人が居住者を無事に解放することはないだろう。マンションなど近所付き合い
の希薄な集合住宅では、目撃者が出にくいからさらに危険である。居住者を殺害し、その
後も犯人がその家の居住者になりきって生活していたという例すらあるのだ。
 こういう現状なので、外出先から帰宅しても安心しないほうが良い。あらかじめ玄関に包
丁でも隠しておいて、帰宅したらその包丁を手に取り、押入れや浴槽など自宅の中で人が
隠れることができそうな場所をすべて見回り、誰もいないことを確認してから部屋着に着替
えるくらいの用心は必要だろう。それでも安心してはならない。ピッキングの目的が必ずし
も窃盗とは限らないからだ。留守中に盗聴・盗撮の器具が取り付けられていないかも調べ
なければならない。この種の器具は年々小型化しており、どこにでも容易に取り付けること
ができるのである。しかも一目でそれとわかるようには作られていない。家の中の物品や
ある部品に似せて、じつに巧妙に作られているものである。自分の家には絶対に仕掛けら
れていない確証などどこにもないと思ったほうがよい。ピッキングで侵入して盗撮器を取り
付けておき、盗撮した画像をホームページに公開して儲けている人もいるのである。
 「とかくこの世は住みにくい」・・・これは漱石の小説にある有名な一文だが、本当に物騒
な世の中になったものだ。

053「選挙運動のあり方」(10月26日)***********************************************
 衆議院解散に伴う総選挙がいよいよ来月上旬に迫り、各党とも選挙へ向けての活動が盛
んだが、こういう選挙運動はどうかと首を傾げたくなる行為がある。選挙のたびに、票集めの
見返りに金品の授受が行われるなど、選挙違反で何人もの人が警察に検挙されるが、私は
そうした違法行為だけが問題ではないと思う。次の4点は現行法では違法ではないようだが、
やはりやめてもらいたいものである。
 第1に、知人や友人に特定の候補者ないし政党の投票を依頼する行為だ。私の体験する
限り、特に、創価学会の信者に多い。選挙になると決まって、「公明党にぜひ」とお願いに来
る。なぜ私がその人の指示に従って公明党に投票しなければならないのだろうか。こういう
依頼は非常に不愉快だ。そもそも選挙権は個人の人権のひとつである。たとえ知人だろう
が友人だろうが、個人の投票の自由を束縛する権利はないはずだ。
 第2に、テレビやラジオで政党のコマーシャルを流すことだ。たかだか15秒か20秒程度の
コマーシャルで、いったい有権者に何が語れるというだろうのか?有権者が個々の政党の
政策や公約の是非を判断する上で、コマーシャルなど何の役にも立たない。どうしてもテレ
ビやラジオを使うのなら、1時間でも2時間でも特別番組を組んで、そこでじっくり政策なり公
約を訴えるべきである。政党の選挙活動にコマーシャルを利用するのはもうやめてもらいた
い。商品の宣伝のようなインパクトはないし、あまりにも時間が短すぎて、内容のある訴えな
どできるものではないからだ。
 第3に、無差別に投票依頼の電話をかけてくるのも問題である。ここ1,2年は以前より減
少したが、いまだにかかってくるときがある。さすがに昔のような戸別訪問はなくなったが、
電話にしても迷惑である。こちらの状況を無視して一方的に呼び出し音で割り込んでくるわ
けだから、失礼な行為であることには変わりがない。
 第4に選挙カーによる宣伝だが、これも非常にうるさいものである。特に、市町村区議で
は地域が狭いから、ある地点に同時に別々の選挙カーが行き交い、それぞれが拡声器で
候補者の名前を連呼することがよく起こる。これでは街道沿いの住民にとっては騒音でし
かない。候補者間でどこを何時に回るかを調整し、複数の車が同時に走ることのないよう
にできないものだろうか?

052「消費者金融はいらない」(10月12日)*******************************************
 「すまん。今、お金に困っとるさかい、5万でもええから貸してくれへんか?頼むわ。あんた
しか頼れる人おらんのや。」
 何らかの理由でお金を借りなければならないとき、昔はこうして相手に頭を下げて丁重に
お願いしたものだ。しかも、お願いする時に嫌な思いをしなければならない。第一、相手が貸
してくれるとは限らない。もし断られたら他の人にまた頭を下げなければならない。また、たと
え相手が快く貸してくれたにしても、借金するのは後味が悪いものである。 その後の人間関
係に影を落とすかもしれないからだ。だから昔の人は、嫌な思いまでして他人から借金する
ようなことがないよう、それぞれの財力に応じた生活を営んでいた。
 ところが、今はどうだろうか。どこの町でも繁華街に、それも最も目立つところに消費者金
融の店舗がある。否、正確に言えば機械だけが置かれた、一人も店員のいない店舗だ。し
かも24時間365日いつでも機械が稼動しているから、職場の人間にも、近所の住人にも、
もっといえば家族にも、つまり誰にも知られることなくお金を借りることができる。無人の店舗
だからもちろん、借りるときに気まずい思いをすることもない。銀行の自動支払機を操作して
自分の預貯金から引き出すのと全く同じ感覚で、無人の店舗内で機械を操作して必要な金
額を借りることができるのだ。さらには無人でいつでも借りられることを宣伝文句にして、テレ
ビのコマーシャルにも四六時中放映して気軽な利用を促している。そのため、いまではかな
りの人が無人の消費者金融を利用しているようだ。
 この結果、消費者にどんな影響を及ぼしたか?
 第1に、消費者から経済生活の計画性を奪ってしまった。商品の購入もクレジットカードや
分割払いができることもあいまって、欲しいものはいつでもその場で衝動的に買うようになっ
てしまった。万が一、手元に現金がなくなってしまっても、消費者金融から借りればよいのだ
から、自分の収入や経済力に応じた買い物をしなくなった人が増えた。
 第2に、「借金」という行為そのものに罪悪感を感じさせなくなってしまった。昔のように知り
合いに頭を下げて借りるのではなく、無人の機械から誰にも知られずに借りられるわけだか
ら、「借金するのは悪いことだ。みっともないことだ」という意識が消失するのも必然である。
そして、何といっても個人破産が非常に増えた。借金で首が回らなくなって自殺した人も少
なくない。最悪なのは、A金融で借金したお金の返済にB金融から借りたお金で充当し、B
金融の返済期日が迫ると今度はC金融から借りてB金融に返済し・・・という図式だ。この繰
り返しで利息だけが少しずつだが着実に膨れ上がり、結果的に借金の総額が高くなり、しま
いにはどうにもならないところまでいってしまう・・・ということになる。
 お金というものは、そんなに気軽に貸し借りするものではないと思う。気まずい思いをし、恥
ずかしい思いにも耐えて、貸してくれそうな知人一人一人に平身低頭して、「しょうもない奴や」
と怒られながらも、やっとの思いで借りるべきものである。それを無人の機械で簡単に借りら
れるような環境を作ってしまったため、消費者から経済生活の計画性や借金することへの罪
悪感も奪ってしまったのは、明らかに政府の失策である。ましてや、テレビのCMなどで宣伝
して気軽な利用を促進するのは、もってのほかである。無人の機械でいつでも借りられること
はもちろんのこと、もっといえば、消費者金融業という商売そのものを違法にするくらいの政策
で取り組むべきだ。

051「阪神タイガース優勝」(9月28日)***********************************************
 2003年9月15日夜、ついに18年ぶりに阪神タイガースの優勝が決まった。星野阪神2年
目となった今季は、大量24人を解雇したうえで、「勝ちたいんや!」を合言葉に戦力補強をし
て臨んだシーズンであった。
 私の印象では、特に金本選手・伊良部投手・野口捕手の加入が非常に大きかった。今シー
ズンは前半戦終了時点で2位とのゲーム差は15以上、貯金も35を超えて、まさしく「ぶっち
ぎり」の展開であったが、その要因は次の5点に集約できるだろう。
 第1に、何といっても先発投手陣が安定していたことだ。開幕から井川・伊良部・藪・ムーア・
下柳・藤田各投手がしっかりローテーションを守り、中6日で余裕をもって登板できた。このう
ち藤田投手が故障で早いうちに戦線離脱してしまったが、残りの5投手は前半戦をきっちり投
げぬき、先発投手陣で勝ち星を積み重ねる野球ができた。後半にはルーキーの久保田投手
がローテーションに加わった。そして、中継ぎの投手陣もじつにしっかりしていた。特に、入団
2年目の安藤投手がしっかりとセットアップの役割を果たし、守護神のウィリアムス投手に託
すことができた。ポート投手が誤算であったが、代わりにシーズン途中から来日したリガン投
手が非常に良い働きをした。
 第2に打順を固定できたことだ。1番今岡・2番赤星・3番金本の3選手は不動であった。特
に赤星選手が出塁したときは相手投手も盗塁に神経をすり減らしたため、打者の金本選手
への投球に集中できず、その結果、阪神打線にとっては非常に有利な展開に持ち込むこと
ができた。また、下位打線でも7番矢野・8番藤本両選手が下位とは思えぬ打撃で上位打線
に回してくれた。田淵コーチが指導してきた「つなぐ打線」がきっちりできたことがチーム打率
を向上させた。浜中選手の故障で4番を固定できなかったが、片岡・檜山・広沢・八木選手ら
日替わりの4番打者がしっかりと期待にこたえてくれた。
 第3にアリアス・片岡両選手が見事に甦ってくれたことだった。2人とも昨年パリーグから移
籍したが、昨シーズンは成績不振で首脳陣にアピールできなかった。特に片岡選手は見てい
てかわいそうなくらい三振の山を築いていた。アリアス選手も30本以上のホームランは打っ
たものの、ランナーのいる大事な場面でのタイムリーはなかなか打てなかった。それが今年
はコーチ陣の指導にこたえて、昨年とは見違える打撃を披露してくれた。
 第4に野口捕手の活躍が大きかった。正捕手はもちろん矢野選手だが、昨シーズンは矢
野捕手の戦線離脱後とともに勝率が下降線をたどってしまった。それが今年は経験豊富な
野口捕手が活躍したため、矢野捕手も日によってはベンチスタートになるなど、適度な休養
をもらうことができて、矢野捕手のけが防止にも貢献した。それはまた、同時にポジション争
いにもつながった。どのポジションも少しでも成績が悪くなるとスタメンから外されるという緊
張感を一人一人の選手が持ってプレーできた。6人もの候補者で争った遊撃手などはその
最たるものだった。
 第5に他球団の主力選手に故障者が出ていたことも大きかった。特に昨シーズンまで阪神
打線にとって苦手にしていた投手、具体的には広島の長谷川投手・ヤクルトの藤井投手・横
浜の三浦投手・中日の川上投手らがフルシーズン活躍できなかったことが阪神打線にとって
有利になった。また巨人もペタジーニ・清原両選手が故障し、首脳陣が期待するほどの打撃
ができなかった。
 まあ、そんなこんなで優勝できたわけだが、問題は来季以降だ。日本シリーズを制するこ
とが次なる課題ではあるが、それ以上に来季、再びBクラスに転落し、18年後まで優勝しな
いのでは困る。今季は前半でぶっちぎってしまったが、そうそう毎シーズンぶっちぎれるもの
でもない。非常に競った展開で9月を迎えることもあるはずだ。そこで常勝球団になるために
は、やはりビジターの試合でも勝率を上げることが第一だと思う。今シーズン、甲子園では非
常に高い勝率をあげたが、ビジターだけを見ると大したことはない。大きく勝ち越したのは横
浜だけで、「鬼門」の名古屋・神宮では相変わらず負け越している。特に神宮ではひどかった。
期待された今夏の長期ロードも終わってみると4勝11敗で、やはり「死のロード」となってしま
った。阪神は毎年8月・9月にビジター試合が多くなるので、ここでどれだけ勝てるかが今後
の課題であろう。
 今の阪神タイガースならぜひこの課題を乗り越えてくれると信じている。来季もぜひ期待し
たい。