菅ちゃんの呟き
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380「補修か建替えかに悩む集合住宅」(9月13日)************************************
 前回につづき、被災者の抱える問題についてもう1点取り上げたい。今回は震災で傷んだ
集合住宅の復興である。97年の阪神淡路大震災では東側から順に尼崎市・西宮市・芦屋
市・神戸市・明石市・加古川市と被災地がいずれも大都市であったため、マンションや団地
といった集合住宅が数多く建っていた。そしてこれらの多くがあの震災で全壊ないし半壊し
てしまった。そのため、棟の再建をどうするかという問題が個々の居住者に重くのしかかっ
てきたのである。
 集合住宅を建て替えるのか、それとも補修で済ますのか。居住者はこの2者択一を迫ら
れた。建て替えてしまえば新築になるから不動産としての資産価値は高まる。しかし現在の
建物を取り壊して一度更地にしてからの建築になるから、どうしても長い時間と高い費用を
要する。特に震災直後は建築需要が異常に高まっている一方、まだ瓦礫が散乱する被災
地に建築資材を調達することは困難だ。第一、建築現場の人手も足りない。だから普通な
ら半年や1年で建て替えできる場合でも、発注してもすぐには施工してもらえないことが多
かった。阪神淡路大震災の場合でも通常の2倍〜3倍もの工期を要していたのである。ま
た費用に関しては当時の価格で最低でも数千万円もの金額が当該マンションに居住する
全世帯に課せられた。居住者の中には今まで住んでいた物件に対するローンすら完済して
いない人も少なくなかった。そのような人々にとってはまさに「二重ローン」であり、新たな負
担などできるはずもなかった。だからローンを組めない人はマンションの権利を安い金額で
売って転居を余儀なくされた。これに対して傷んだ箇所を補修して住み続けるのであれば、
一世帯あたり数百万円の修繕費用で済んだ。これでも決して軽い負担とは言えないが、建
替えに要する費用を考えたらずっと安上がりだ。だから多くの人がそのまま住み続けること
ができる。しかし建物は元のままだから不動産としての資産価値は大きく下落してしまう。だ
から将来何らかの理由で転居する必要が生じて権利を売っても二束三文にしかならない。
 建替えにしろ補修にしろ、会社の社宅のように居住者の事情が同一なら話もまとまりやす
いのだが、一般の集合住宅の場合は個々の居住者の事情がすべて異なるから再建問題を
より難しくしている。まして、ある程度の築年数が経過した棟の場合は居住者の入居開始時
期も違うから、購入金額にもばらつきがある。当然のことながらローンの未払い額も居住者
によってまちまちだ。しかも居住者が現在の物件にいつまで住み続ける予定でいるのかも
個々の世帯で異なる。死ぬまで住むという人もいる一方で、震災の有無にかかわらずあと
1〜2年で権利を売る予定の人もいたからだ。行政が「居住するのには危険」と断定した建
造物なら補修という選択肢は自動的に消えるのだが、そうではない場合は建替えか補修か
を当該建造物の居住者の合意で決めなければならない。だが、このように個々の居住者の
利害が異なるから意見はなかなかまとまらない。それどころかこの問題が原因で居住者ど
うしが対立し、彼らが加入していた自治会や管理組合が崩壊する事案もあった。解決が先
延ばしにされる中、問題の棟が被災したままの状態で長く残ったのである。兵庫県内には
被災した集合住宅が172棟にのぼり、9割にあたる153棟で建て替えか補修かの選択を
迫られた。そしてその多くが住民との間で亀裂を生んだ。震災後6年が経過して21世紀を
迎えても、なお全壊の集合住宅が放置されていたのである。誰も住まないことをいいことに
外壁はスプレーで落書きされ放題になってしまい、夜はお化け屋敷のようになっていたとこ
ろもあったという。
 阪神淡路大震災当時は村山内閣であったが、こうした個人の住宅については「私有財産
制の国家では公的な支援はしない」という理屈のもとで、被災者には1円たりとも支援がな
されなかった。これに対して多くの市民や政党の運動が実って現行の被災者生活再建支
援制度では全壊世帯に対して最高で300万円が支給されることになった。だが、これでも
満足できる金額にはほど遠く、「全くないよりはまし」という程度である。阪神淡路大震災の
愚を再び繰り返さないようにするためにも、少なくとも今まで居住していた物件に対する借
金くらいは債務免除できるよう国の支援を得られないものか。それだけの施策で利害の異
なる集合住宅の居住者の対立が解消されるわけではないが、少なくとも現状のまま推移す
るよりは建替えを選択しより安全な建築物に住むという方向に居住者を促すことができるの
ではないかと私は考える。それと今回取り上げた集合住宅に関して、もうあと2点ほど付言
したい。第1は、被災者生活再建支援制度の適用範囲についてである。この制度を利用で
きるのは半壊以上の建造物しか対象としていない点が問題である。実際には軽度に損壊し
た家の方が半壊したもの以上に多いであろう。だから半壊には至らなかった住宅でも一定
の支援が得られるようにすべきである。第2は、災害救助法で定められている住宅応急修
理制度の適用範囲についてである。これは文字通り住宅の修繕費用が現物支給されるも
のであるが、集合住宅の場合は専用部分にしか適用されない点が問題である。集合住宅
には個々の居住者の専用部分とは別に、廊下・階段・エレベータや外壁といった共有部分
がある。この共有部分も個々の居住者にとっては住居の一部であり、共有持ち分として資
産の一部にもなっている。しかしこれまで住宅応急修理制度では集合住宅の共有部分は
対象外となっていたのである。昨春の東日本大震災の被災地では宮城県仙台市が最も大
きな都市であるが、仙台市とその近郊はこのような集合住宅も数多く建てられている。仙台
市としてはこれだけの大震災が発生したからには当然住宅応急修理制度を共有部分にも
使えるだろうと判断して厚労省にこの旨を確認したのであるが、厚労省からは非情な答えし
か返ってこなかったというのである。これでは何のための住宅応急修理制度であるかわか
らない。被災者の生活再建のためにも法や制度をもっと柔軟に適用できるようにすべきで
ある。

379「被災者の孤独死を防げ」(9月9日)*********************************************
 東日本大震災からまもなく1年半が経過しようとしている。仮設住宅が建ち並び被災地の
復興がだいぶ進んできてはいるが、現時点から数年先にかけて新たに発生しうる問題を取
り上げておきたい。それは97年に発生した阪神淡路大震災の復興の際に起きた孤独死の
問題である。大震災が起こるとまず近傍の小中学校の体育館や公民館が避難場所になり、
被災民は劣悪な環境での避難生活を強いられる。その避難生活からようやく開放されるの
が仮設状宅への転居である。避難所では段ボールで間仕切りされただけの空間で、プライ
バシーもなく真夜中であっても消灯されることもない。そんな場所で1枚の毛布にくるまって
寝る生活から考えたら、仮設とはいえ自分の居住空間が確保されるのはありがたいと誰も
が思うだろう。しかし、決して避難所から仮設住宅へ移れることは決して良いことづくめでは
ないのである。その理由は次の3点である。
 第1に、仮設住宅への転居は最初のコミュニティーの分断となるからだ。仮設住宅が完成
しても一度に希望者の全てが入居できるはずがないので、役所の側では入居の優先順位
をつける。当然のことながら高齢者・障害者・乳幼児・妊婦のいる世帯や母子家庭など社会
的弱者が優先される。しかし今まで居住していた場所は瓦礫処理もまだ終わっていない状
態であるから、仮設住宅は元から居住していた場所から遠い場所に作られることが多い。
阪神淡路大震災の後に神戸市が建てた仮設住宅は48000戸であったが、このうち30%
余りは神戸の中心地である三宮へ行くのに片道2時間も要する場所に建てられた。交通費
も往復2000円もかかる場所である。そして入居者のうち12000世帯が独居の高齢者で
あった。神戸市の北側には六甲山があるのだが、仮設住宅はこの六甲山を越えたところに
ある有馬温泉からさらに北へ行った場所に建てられたのである。こうして仮設住宅入居の
抽選に当選した人は、今まで住み慣れた場所から引き離されただけではなく、近隣の人々
とも離ればなれになってしまったのである。
 第2に、仮設住宅で生活は非常に不便だからである。阪神淡路大震災の際に建てられた
仮設住宅街では自分の居住空間が確保されただけであって、それ以外の施設は何一つな
かった。生活するにはまずその日の食糧が買えなければ話にならないのだが、肝腎の商店
が一件もなかった。そのうえ郵便局もなければ銀行もない。だから年金や災害見舞金が預
金口座に入金されてもATMで引き出せなかったのである。また、高齢者や乳幼児が入居し
ているのなら病気にかかる率は高くなるのが当然なのに、医療機関もなければ薬局もなか
った。これら日常生活に必要な店舗や施設へ行くには既存の街まで行かなければならない
から、最低でも片道30分はかかってしまったのである。これでは仮設住宅の入居者にとっ
ては山小屋での生活をさせられているのと同じようなものである。健康な若者ばかりが入居
しているのならそれでも良いだろう。しかし行政はそんな場所に高齢者や障害者を封じ込め
てしまったのである。それも全く見知らぬ人ばかりが住む環境に入居させてしまったのだ。そ
れが高齢者にとってどれだけ精神的につらいことかは想像に難くない。食料品店や医療機
関など生活に必要な施設ができてある程度便利になったのは、仮設住宅の入居から数ヶ月
も経過してからであった。だから仮設住宅で震災関連死が続出したのも当然である。阪神淡
路大震災では仮設住宅が全面的に解消されるまで5年を要したが、その間に235人もの入
居者が孤独死した。
 第3に、生活費の問題が重くのしかかってくるからである。避難所で生活している間は炊き
出しもある。避難所の光熱費も行政が負担している。だから避難民がそこで生活する際に支
出を要するものは基本的にない。しかし仮設住宅に入居したとたんに光熱費も生活費も全額
自己負担になるのである。そんなことは当たり前ではないかと一蹴しないでいただきたい。阪
神淡路大震災では被災地では事業所の多くが全半壊しており、就労者も失業を余儀なくされ
たからだ。収入がないのだから光熱費も生活費も支払えるはずがないのである。唯一の収入
は災害弔慰金だけという人も少なくなかった。そのうえ冬はさらに問題が増えた。温暖な気候
と思われがちな関西とはいえ、冬の神戸は六甲山からの吹き下ろしもあってかなり厳しく冷え
こむ。しかし仮設住宅では石油ストーブの使用を禁じていた。仮設住宅は狭小な土地に密集
して建てられており、まだまだ余震が続いているなか一度火災が発生すると仮設住宅全域に
延焼するからである。そのため入居者は電気ストーブやこたつで暖をとるしかないのだが、電
気代を支払えない入居者は毛布にくるまるしかなかった。灯油ならなんとか買えるという程度
の経済力の人は、暖をとる術を奪われたのである。このため仮設住宅に入居したにもかかわ
らず凍死した人もいた。その多くは電気やガスも止められていたのである。
 そんな仮設住宅から復興住宅が建設されたのは阪神淡路大震災から3年後のことであった。
被災地の瓦礫処理がようやく済んで、その跡地に仮設ではない立派な集合住宅が建設された
のである。しかしこれが2度目のコミュニティーの分断となってしまった。復興住宅の入居も希
望者が殺到したので抽選となった。そしてここでも高齢者や障害者など社会的弱者を優先して
入居させた。神戸市は市の中心地である三宮に「HAT神戸」という名称の住宅を建設した。東
西2km南北600mもの広大な土地に10階建て前後の高層住宅が建ち並んだのである。そ
の外観を見ると『神戸も震災から立ち直って立派に復興したんやなぁ』と誰もが思うような素晴
らしい街並みである。しかし30棟3500戸に入居した7000人余りの人々の過半数は高齢者
と障害者で、まさに「都会の墓場」と化していた。そして、この「HAT神戸」での生活も決して便
利ではなかった。入口は国道43号線に面した1ヶ所しかない。そのため最も遠い棟までは入
口から1km以上も離れている。WHO神戸センターを中核とする業務・研究機能を謳っている
のに、敷地内に総合病院がなかった。だから「HAT神戸」の外へ出なければ医療機関にかか
ることもできない。そして敷地内には商店街も設けられなかった。郵便ポストはあったものの郵
便局はなかった。このため足の不自由な人や高齢者は「HAT神戸」の敷地外へ出なければ生
活物資すら満足に手に入らない状況に苦悩した。行政は仮設住宅に入居させたときと同じ愚
をここでも犯したのである。そのため復興住宅でも自殺や孤独死が後を絶たなかった。うじ虫
がわいているから管理人に解錠してもらったら中で死んでいるのが発見されたという悲惨な事
案まであった。それも死後数ヶ月は経過していると推断できる遺体であった。仮設住宅とは違
って復興住宅は鉄の扉とコンクリートの空間であるから、外から中が見えない。そのため遺体
の発見が大幅に遅れたのである。
 阪神淡路大震災が起きた後、行政はとにかく避難所を解消しようとして仮設住宅の建設を
急ぎ、完成次第入居させた。そして避難所が解消された後は仮設住宅を解消すべく復興住
宅を建てて入居させた。いずれも行政が当然すべき施策ではあるが、問題は被災前のコミュ
ニティーを分断させた上で入居させ、しかも入居後のケアを怠ってきたことである。地震と津
波は天災だからこれで亡くなるのは仕方がない。しかし仮設住宅や復興住宅に社会的弱者
を押し込めて、周囲から完全に疎外された環境に置いたまま死なせてしまったのは明白な人
災である。東日本大震災の被災地でも仮設住宅が建てられた。今後は元の場所に震災復興
住宅が建てられるとは思うが、阪神淡路大震災と同じ過ちを犯さないようにすべきである。住
宅だけでなく商店や金融機関・医療機関など生活に必要な諸施設を併設すること、そして何
よりも地域コミュニティーを分断しないことである。あの大津波で家族を失って悲しみにうちひ
しがれているのだから、せめて今まで仲良くしていた近隣の人々や友人とは一緒の街に住め
るようにし、被災者同士の心の絆を断ち切ることのないようにすべきである。

378「津波防災の教材も復活させよう」(9月6日)**************************************
 『稲むらの火』という作品がある。これは1854年に発生した安政南海地震の際に現在の
和歌山県有田郡広川町にあった話がモデルとなっている。広川町には濱口儀兵衛という人
物がいた。彼は名家の主人で日頃から村人の面倒をよく見ていたそうである。地震は夕方
に発生し、その日の夜に津波が襲った。暗くなった中を津波から避難しようとする村民が方
角を見失うことのないよう、彼は道端の稲むらに点火して避難路を明示するというじつに献
身的な活動をしたのである。物語『稲むらの火』では、この濱口儀兵衛氏が「五兵衛」という
老人になっている。以下がその原文である。歴史的仮名遣いのため多少読みにくいのだが、
意味が通じないほどではないのでそのままにしてある。
 「これはただ事ではない。」とつぶやきながら、五兵衛は家から出て来た。今の地震は、別
に烈しいといふ程のものではなかつた。しかし、長いゆつたりとしたゆれ方と、うなるような地
鳴りとは、老いた五兵衛に、今まで経験したことのない不気味なものであつた。五兵衛は、自
分の家の庭から、心配げに下の村を見下ろした。村では、豊年を祝ふよひ祭りの支度に心を
取られて、さつきの地震には一向に気がつかないもののやうである。村から海へ移した五兵
衛の目は、忽ちそこに吸附けられてしまつた。風とは反対に波が沖へ沖へと動いて、見る見
る海岸には、広い砂原や黒い岩底が現れて来た。「大変だ。津波がやつて来るに違ひない。」
と、五兵衛は思った。此のままにしておいたら、四百の命が、村もろ共一のみにやられてしま
ふ。もう一刻も猶予は出来ない。「よし。」と叫んで、家にかけ込んだ五兵衛は、大きな松明を
持つて飛出して来た。そこには、取入れるばかりになってゐるたくさんの稲束が積んである。
「もつたいないが、これで村人の命が救へるのだ。」と、五兵衛は、いきなり其の稲むらの一
つに火を移した。風にあふられて、火の手がぱっと、上つた。一つ又一つ、五兵衛は夢中で
走った。かうして、自分の田のすべての稲むらに火をつけてしまふと、松明を捨てた。まるで
失神したやうに、彼はそこに突立ったまま沖の方を眺めてゐた。日はすでに没して、あたりが
だんだん薄暗くなつて来た。稲むらの火は天をこがした。山寺では、此の火を見て早鐘をつき
出した。「火事だ。荘屋さんの家だ。」と、村の若い者は、急いで山手へかけ出した。続いて、
老人も、女も、子供も、若者の後を追うやうにかけ出した。高台から見下ろしてゐる五兵衛の
目には、それが蟻の歩みのやうに、もどかしく思われた。やっと二十人程の若者がかけ上つ
て来た。彼等は、すぐ火を消しにかからうとする。五兵衛は大声に言つた。「うちやつておけ。
――大変だ。村中の人に来てもらふんだ。」村中の人は、追々集つて来た。五兵衛は、後か
ら後から上つて来る老幼男女を一人一人数へた。集つてきた人々は、燃えてゐる稲むらと五
兵衛の顔とを、代る代る見くらべた。其のとき、五兵衛は力一ぱいの声で叫んだ。「見ろ。や
つて来たぞ。」たそがれの薄明かりをすかして、五兵衛の指さす方を一同は見た。遠く海の端
に、細い、暗い、一筋の線が見えた。其の線は見る見る太くなった。広くなった。非常な早さで
押し寄せて来た。「津波だ。」と、誰かが叫んだ。海水が、絶壁のやうに目の前に迫つたと思ふ
と、山がのしかかつてきたやうな重さと、百雷の一時に落ちたやうなとどろきとを以て、陸にぶ
つかつた。人々は、我を忘れて後へ飛びのいた。雲のやうに山手へ突進して来た水煙の外は、
一時何物も見えなかった。人々は、自分等の村の上を荒狂つて通る白い恐しい海を見た。二
度三度、村の上を海は進み又退いた。高台では、しばらく何の話し声もなかった。一同は、波
にゑぐり取られてあとかたもなくなった村を、ただあきれて見下してゐた。稲むらの火は、風に
あふられて又燃え上がり、夕やみに包まれたあたりを明るくした。始めて我にかへつた村人は、
此の火によつて救はれたのだと気がつくと、無言のままま五兵衛の前にひざまづいてしまつた。
 この作品は戦時中から戦後まもない時代にかけて国語の教材になっていた。尋常小学校の
5年生向けに「小学国語読本巻十」、同じく6年生向けに「初等科国語六」に掲載されていたの
である。1937年からの1947年までの10年間の国定教科書(当時の教科書は検定ではなく
国定であった)の教材となり、教科書が検定制の時代になった後も一部の教科書には掲載さ
れていた。しかし60年以降は姿を消してしまったから、現代の人の多くは学校の授業で読ん
だ記憶がないはずである。
 私は現代の教科書に再び載せても良いのではないかと考えている。国語の教科書には平
和教育の一環として必ず太平洋戦争や広島・長崎の原爆を扱った作品が収録されているが、
それと並んで津波を扱った教材も必要であると思うからだ。日本は島国である。47都道府県
のうち海に全く面していないのは栃木・群馬・埼玉・山梨・長野・岐阜・滋賀・奈良の8県しかな
い。このうち滋賀県は県央に琵琶湖があるから、湖底を震源とする大地震が発生したら津波
が湖岸に押し寄せる恐れがある。また、全く海に面していない県に在住する人々でもレジャー
で海に行く機会はあるのだから、やはり津波防災に対する知識は必要である。
 さて、この作品は次のことを教えてくれる。
1.地震の揺れが小さくても大きな津波が来ること。
2.津波が押し寄せる前に海の水が置きへ引き、そのために海底が露出すること。
3.津波を見つけてから陸上に到達するまでの時間は短いこと。
4.津波が上陸する瞬間はすさまじい勢いをもっていること。
5.津波が押し寄せたときは水煙があがるため一時的に視界が利かなくなること。
6.津波が引いた後は集落にあったものが全て沖へ運ばれてしまうため、何も残らなくなる
  こと。
このうち2に関しては問題点が残る。理由は、「引き波が起きたら津波が来る」は「真」だが、
逆すなわち「津波が来るときは引き波が起こる」は「真ならず」であるからだ。
海底の断層がどのような形で動いたかによって、引き波がなくいきなり押し波が襲来する場
合もある。だからこの点に関してのみ正しい科学的知見を指導する必要があるが、上記2以
外の点に関しては現代の防災教育の教材としても充分に活用できると思う。中学生以上なら
英文にしたものを英語科の教科書に掲載しても良いのではないだろうか。

377「国際的にも異常な我が国のマスメディア」(9月4日)*******************************
 前回、私は原発報道にみるマスメディアの異常さを指摘した。第1に発表報道一辺倒であ
ること、第2に記者クラブで既存の大手メディアを対象にした会見で情報が発信されているこ
と、第3に権力側べったりで反骨精神がまるでないことを問題にした。しかし、それだけでは
ない。日本のマスメディアには国際的にみて本質的に異常な点がさらに3点ある。今回はそ
れを指摘したい。
 第1は、新聞とテレビが同一の系列になっていることだ。朝日新聞はテレビ朝日、読売新
聞は日本テレビ、産経新聞はフジテレビ、毎日新聞はTBSテレビ、日経新聞はテレビ東京
となっていて、新聞社が資本の大半を有し株主としてテレビを支配しているのである。このよ
うな仕組みをクロスオーナーシップという。日本語で表現すると「異業種媒体の所有」である
が、わかりやすく言えば、新聞メディアと放送メディアという異なる2つのメディアを単一の企
業体が独占している構造である。日本に生まれ日本で育ってきた私たちにとってはこのこと
を何とも感じない人が多いと思う。だが、このようなことをやっている国は先進国でも日本だ
けなのである。クロスオーナーシップのどこが問題かというと、新聞とテレビとの間で相互監
視がなされない点にある。前回私は報道機関は権力の監視役に徹するべきだと主張したが、
権力の他にも異なるメディアについても監視する姿勢が必要である。たとえば新聞メディアが
暴走したら放送メディアがこれを牽制する。こうして一方が他方をチェックすることで価値観の
多様性を認めることができる。しかし日本は5つの大手全国紙と5つのテレビ局とが同一方向
の内容を相互批判もなく報じて国民の世論形成に圧倒的な影響力をもたらしている。
 第2に、メディア各社の横並び化が進んでいることだ。前回、私は記者クラブの記者が記者
会見後に取材内容のメモを見せ合っていることを指摘したが、それだけではない。ある事柄
に対する見解まで揃っているのである。それはたとえばかつて大阪府知事に就任した橋下
徹氏の扱いをみてもわかる。今でこそそうでもなくなったが、知事に当選して大阪府の改革
を手がけたときは、どのメディアも改革の英雄であるかのように彼を持ち上げた。独裁を公
言して憚らない人物に対して無批判に英雄扱いしたのである。その前のライブドア社の社長
であった堀江貴文氏に対してもそうであった。まるで時代の寵児であるかのように彼を扱っ
ていた。民主党が政権を奪取した3年前もそうであった。どのメディアも「歴史的な政権交代」
と報じて鳩山政権を歓迎し、日本に新しい未来が開かれたかのように論じていた。そしてイ
ギリス・アメリカにならって日本にも2大政党制の時代が到来したことを賛美している。だが、
これも考えてみればおかしなことである。朝日・読売・毎日・産経・日経と大手だけでも5紙も
あるのなら、ある事柄に対して5通りの見解が出てしかるべきだ。しかし日米安全保障条約
や消費税・憲法9条と自衛隊・選挙制度改革といった国の重要な政策に関する部分では大
手5社がいずれも同じ論調になっている。こうした国の針路を決める重要に政策に対して、
時の政権をも打倒する気概をもって論陣を張った新聞社はごくわずかでしかない。その理
由については、前回、政府の諮問機関や審議会のメンバーに大手メディアの幹部が参画し
ていることを指摘したが、政府とメディアの関係はそれだけではない。社屋を建てるのに政
府から土地を払い下げてもらっているのである。たとえば日経・産経・読売はもともと大蔵省
が所有していた土地である。毎日新聞の場合は皇宮警察の寮だった場所だから、これも国
有地である。そして朝日は築地の海上保安庁の跡地に社屋を建てようとしている。このよう
に大手メディアが自社の社屋を建てるための土地を政府から譲り受けている身だから、政
府にものが言えないのである。アメリカではニューヨークタイムズ紙がベトナムのトンキン湾
事件がアメリカ軍部の捏造だったことを示すアメリカ国防総省の秘密報告書を暴露した。イ
ギリスでも国営放送ともいえるBBCテレビがイラク戦争で自国の政府による情報の捏造を
暴き、ブレア首相と真っ向から対立した。これらは権力から相当な圧力がかかることを覚悟
の上で軍や政府の不正を報道したのである。そして政府から記事の削除や訂正を求められ
たが、メディアはそれを突っぱねた。これがジャーナリズムの気骨というべきものである。そ
れらから比べれば日本のメディアはあまりにも情けない。
 第3に、戦前の反省がなく今に至っていることだ。前身となる時代からの創刊を含めると、
朝日新聞社は1879年、読売新聞社は1870年、毎日新聞社は1872年、日経新聞は
1876年である。いずれも明治時代の初期に創業したことがわかる。そして戦時体制下で
はこれらの新聞は大本営の発表をそのまま垂れ流すとともに、戦争を賛美し国体護持と戦
争遂行に加担してきた。そして1945年に日本は連合国軍に無条件降伏し戦時体制も崩
壊した。このうち朝日新聞社は1945年11月7日付の朝刊で「宣言・国民とともに立たん」
という文章を書いて経営陣の辞職を発表した。しかし村山長挙社長をはじめとして重役は
1950年代には復帰しているのである。読売新聞では正力松太郎社長が1945年12月に
GHQ総司令部からA級戦犯とみなされて逮捕されたが、東京裁判で裁かれることもなく2年
後に釈放され、日本テレビの社長そして読売の社主として活動していたのである。同じく日
本の同盟国としてヨーロッパで侵略戦争をしたナチスドイツの場合、ナチスに協力した当時
のメディアはイギリス・フランス・アメリカ・ソ連の連合国軍によって、いっさい存続させない方
針がとられ会社が全て潰されたのと比較すると、日本のメディアは名前すら変えずに戦前の
まま残るという対照的な結果になっている。そのためだと思うが、日本がかつて大東亜共栄
圏の名のもとにアジアの国々を侵略し現地の民衆に多大な苦しみを与えたことを記述した書
籍が驚くほど少ない。日本の同盟国であったナチス=ドイツがヨーロッパ中のユダヤ人を抹
殺したことに関する書籍は日本でも数多く刊行されているのに、当の日本軍の加害者として
の記録がほとんどないのである。そのため戦後に生まれた日本人は勿論のこと、戦前に生
まれた日本人でさえも日韓併合や中国侵略とは具体的に何であったかも知らず、民衆が大
量に殺されたことも噂程度にしか聞いていない。現に戦時中に中国へ行った人でさえ、旧
「奉天」にあった巨大な日本人町に住んでいた人々は、一般の中国人が受けた被害がどん
なものであったかを知らずにいる。だから彼らが日本軍国主義によって自分の住む家を焼
かれ先祖代々の土地を奪われ肉親を殺されたこと、全財産を没収された挙げ句に労役に駆
り出されて酷使され治療もされずに死んだことを知らない。このような結果になっているのも
日本の全てのマスメディアの責任である。
 結論として、これらを是正する必要がある。その第1歩として、クロスオーナーシップをやめ
ることである。新聞・テレビ・週刊誌のそれぞれが完全に独立した存在になり相互にチェック
する機能をもつべきである。第2に、これは前回も提案たことではあるが、記者会見以外の
場では政府との接点をもたないことである。政府の諮問機関の委員に名を連ねたり、政府
の土地を払い下げてもらったりするようでは、権力の都合の良いようにマスメディアが利用
されるだけである。最後に、マスメディアは過去の侵略戦争に対して真摯に反省すべきであ
る。現在、尖閣諸島や竹島の領土問題で日中・日韓との関係は好ましくない。拉致問題をめ
ぐっても北朝鮮との間に進展はみられない。我が国の政府は尖閣諸島も竹島も歴史的事実
に照らして日本の領土だと主張して譲らない。その主張内容そのものに異論はないのだが、
そう主張する以前に日本政府としてやるべきことがあるのではなかろうか。拉致問題にして
もそうである。拉致した人々を全員日本に返せという主張の前にすべきことがあるのではな
かろうか。我が国が隣国である中国・韓国・北朝鮮の3国と真の平和友好の関係が今だに
築けないままである原因は、日清戦争の開戦から太平洋戦争の無条件降伏に至るまでの
51年間に日本がしたことに根があるのだ。そのうえ戦後になって今に至るまで、A級戦犯の
眠る靖国神社へ首相や閣僚が参拝しては、この3国の国民感情を逆撫でしている。こうした
ことに対して我が国のマスメディアはこれまで厳しい批判をしてこなかった。それだけではな
い。そして憲法9条を改正し、日本がアメリカとともに海外でも戦争のできる国家に変貌させ
ようとする昨今の政府に対しても無批判である。これではアジアの国々を侵略した過去を真
摯に反省しているとは言えない。政府のこうした態度に対してせめてマスコミぐらいは毅然た
る態度で臨むとともに、南京大虐殺や従軍慰安婦問題など過去の日本が犯した事実に対し
て真正面から向き合うべきである。

376「マスメディアの原発報道を考える」(9月2日)*************************************
 我々はその日に起きたすべての出来事を直接目撃することはできないから、身の回りで
起きていない出来事はすべて報道機関による報道で知らされることになる。その意味で報
道機関が社会に果たす役割は大きい。特に権力側は自分にとって都合の悪い事実を隠そ
うとするから、報道機関がそれを暴いて権力の監視役を果たさなければならない。しかし我
が国の報道機関が権力の監視役を全うしているとは評価できない。そして、このことは世界
東京電力福島第一原子力発電所の事故後の報道を例に考えてみよう。
 大地震と津波があった翌日の3月12日に福島県双葉郡浪江町の住人は町長の指示で
北へ避難した。放射性物質の被害から身を守るためである。しかし、政府のコンピュータシ
ステムSPEEDIは放射性物質が福島県浪江町から北へ向かって拡散すると予測していた。
ところが政府はそのデータを浪江町に知らせなかったため、浪江町の住民はわざわざ放射
性物質が拡散する方向へ避難させられることになった。我が国の政府は国民の生命を大切
にしないことは373「国民の命を大切にする国になれ」でも述べたとおりだが、政府は東日
本大震災の直後から「不十分なデータを公表すると誤解を招く」という理由で、ここでもSP-
EEDIのデータを直ちに公表することを拒否していたのである。この政府の態度に最大の問
題があることは改めて言うまでもない。しかし、報道機関が政府の対応に無策だったことも
問題にしなければならない。政府が公表を拒むのは都合の悪い事実があるからだと考え、
独自の調査を始めて政府が公表を拒んだ情報を引き出すべきであった。そして報道機関の
スクープによって政府が「もうこれ以上は情報隠しができない」という事態にまで追い込むべ
きであった。実際に政府がSPEEDIのデータを公表したのは5月に入ってからである。それ
も報道機関側の特報で政府が追い込まれたわけではなかった。ただ政府から公表されたか
らそれを報じただけである。これでは報道機関が権力の監視役を果たしているとは評価でき
ない。福島第一原子力発電所では全電源喪失の後まもなく炉心溶融に至ったのであるが、
このことも国民に知らされたのは遅かった。しかし津波の直後から専門家によって炉心溶融
の恐れがあることは指摘されていた。そして実際には震災発生の夜半に炉心溶融が始まっ
ていたのだが、政府も東京電力もその事実を否認していたから、報道機関も「炉心溶融」と
いう言葉を使わなかった。新聞紙上にこの言葉が頻繁に出るようになったのは、東京電力
が炉心溶融を起こしたことを正式に認めた後からであり、これも5月以降である。一連の事
故とその後の経過についても、報道機関は原子力安全保安院と東京電力の記者会見をそ
のまま流すことに終始していた。これでは権力側から出された情報の垂れ流しに過ぎず、戦
時中の大本営の発表と何ら変わりがない。
 なぜ我が国の報道姿勢はこうなるのか。理由は3点ある。第1は、記者が発表報道に明け
暮れているからだ。逆に言えば日本の報道機関には調査報道の精神が根付いていないか
らである。権力側が何かを発表してもそれを鵜呑みにしてはならない。まずは発表された情
報の真偽を独自の調査で検証し、「偽」とわかったら「真」を突き止めて報道する姿勢が大切
だ。ところが担当記者の側に発表内容の真偽を見極めるだけの見識がない。原発事故の取
材をする以上は原発に対して高い専門性をもった記者が務めるべきであるが、日本の場合
はそうはなっていない。甚だしきは社会部で事件報道を担当している記者が原発報道の担
当に回されている。だから、政府が放射性物質の汚染に対して「直ちに健康に影響するレベ
ルではない」と発表すると、そのままオウム返しに報道している。本当に「直ちに健康に影響
するレベルで」あるかどうかを調べもしない。仮に「直ちに」は「健康に影響」しないとしても、
後になって「健康に影響する」するかもしれないのである。だが、そのことすら疑いもしない。
もともと原発に対する高度な専門知識がないから、政府や東京電力が都合の悪い事実を隠
蔽しているか否かを見破ることもできず、発表報道一辺倒になってしまうのである。
 第2は、記者クラブの存在である。官邸や省庁にはそれぞれ記者クラブがあり、そこには記
者クラブに加盟している報道機関の記者が当該公的機関が提供した記者室に常時詰めてい
る。そして彼らは官邸や省庁の動向を漏れなく報道している。首相や閣僚など取材相手によ
っては番記者が本人に張り付いており、取材相手が移動中であっても「ぶら下がり」といわれ
る非公式な会見で情報を仕入れている。こうすることで公的機関から安定した発表がいち早
く伝わる利点はあるが、それだけである。そして記者クラブに加盟できのはほぼ大手メディア
に限られている。加盟している会社の記者なら記者会見に参加し質問できるばかりか、記者
懇談会やぶら下がりも独占できる。しかし、加盟していないとこれらには参加できない。政府
などの公的機関の記者会見は記者クラブの主催で行われ、記者クラブ以外の場では発表し
ない。だから記者クラブに加盟していないと取材そのものが困難になる。しかも取材後はメモ
合わせまで行われている。これはクラブに加盟している会社の記者同士で取材メモを見せ合
うことである。たとえば朝日の記者がライバルであるべき読売の記者にメモを見せる一方、読
売の記者のメモも見るのである。このように取材メモを見せ合う理由は、取材漏れが生じて自
社だけが記事に掲載されない事態になることを恐れる文化があるからだ。これぞまさに「めだ
か型の日本社会」の典型といえよう。その結果メディアの「横並び」化が進み、どの報道機関
の記事を見ても同一内容になる。これでは自社だけが独自の情報を発信することなど望むべ
くもない。
 第3は、報道機関とりわけ大手メディアが権力の監視役どころか権力ベッタリの関係に堕し
ているからだ。具体的に言うと、政府の諮問機関や審議会に主要メディアの幹部が名前を
連ねているのである。たとえば21世紀臨調というものがある。「新しい日本を作る国民会議」
といわれる審議会で99年に発足している。前身は92年に発足した民間政治臨調(政治改
革推進協議会)である。21世紀臨調の趣意書には「国のあり方の改革と未完の政治改革と
を『車の両輪』と位置づけて活動を進める」とある。この審議会は155人の運営委員から構
成されているのだが、問題はそのうちの約半数にあたる73人が大手メディアの関係者だと
いう事実である。権力は自分にとって都合の良い国策を実現するためにマスメディアを利用
し日常的に世論を形成させているのである。これはマスコミの側からみれば権力に買収され
てしまったようなものである。だから、今回野田政権が「社会保障と税の一体改革」と銘打っ
て消費税を10%に増税する方針を打ち出した際、大手メディアのとった態度にもそれが端
的に表れている。衆議院で法案が採決されるまでの1ヶ月間だけをみても朝日新聞は14回、
読売新聞は16回も増税に賛同する内容の社説を掲げたのである。こうして消費税の増税が
この国にとって必要不可欠であるかのような世論を形成させようとし、増税しようとする政府
を強力に後押しした。このように権力の監視役とは逆方向の、悪政の推進役になってきたの
が日本の大手メディアである。世界有数の地震国である我が国にもかかわらずこのような原
発列島に至ったのも、原発利益共同体なるものが形成されたのも、大手メディアが加担して
いる。70年代に我が国が原発推進へと動き始めたとき、報道機関も国や電力業界に買収さ
れて原発推進キャンペーンに連座したからである。政府が原発推進へと動き出すと、新聞も
これを支持する論調の社説を掲げた。その結果電力会社側が宣伝した安全神話が無批判
に報道され広まってしまったのである。
 以上の事情を考えると報道機関にも大幅な体質改善が必要だ。上述の第1の点に関して
は、個々の記者の専門性を高めることに尽きる。そして発表報道一辺倒から調査報道を基
本とした態勢に改めなければならない。第2の点に関しては、記者クラブを廃止することだ。
大手であるか否かを問わず、フリーのジャーナリストも含めて自由に参加できる記者会見に
すべきである。もちろん取材メモを見せ合うなど論外だ。メディアはそれぞれが独自に取材し
独自の切り口で報じるぺきで、横並びになってはならない。第3の点に関しては、報道機関
は記者会見以外の場で政府と接点を作らないことである。権力の監視役になる立場である
べき機関が政府の諮問機関や審議会のメンバーになるなど言語道断である。放送法では
「政治的に公平であること」「意見の対立している問題に関しては、できるだけ多くの角度か
ら論点を明らかにしていくこと」を放送事業者に義務づけている。新聞倫理要綱では「正確と
公正」「独立と寛容」を謳っている。だから原発推進の社説を載せてももちろん良いのだが、
賛成意見を載せる以上は反対の社説も同数載せるべきである。権力が喜ぶ見解だけを載
せて世論を誘導することほど危険なものはない。それは戦前の新聞が日本のアジア侵略を
賛美し戦争への国民総動員を推進した愚行をみればわかるはずである。

375「原発で儲かる構造を是正せよ」(8月30日)**************************************
 前回は我が国の原発行政が国際的に異常であることを主に行政組織のあり方を中心に
指摘した。しかし異常なのは国の機関だけの問題ではない。我が国には巨大な原発利益共
同体なるものが存在しているからだ。これは原発を建設し運転することで莫大な利益をあげ
ている業界団体である。以下、その巨大な組織の中身を紹介したい。
 まず原発利益共同体の筆頭にある電力会社であるが、これは地域独占企業である。だか
ら例えば東京に住んでいて私の家だけ関西電力と契約し送電を依頼することはできない。そ
して電気代であるが、これは原発の運転コストのみならず、建設から廃炉、そして高レベル廃
棄物処理にかかるコストまで、すべて原価の中に組み込まれている。さらにこの原価の中に
は電源開発促進税という、いわば「原発促進税」も含まれている。これらに法律で定めた利潤
率を乗じて総括原価としている。これが私たちが毎月支払う電気料金となっている。だから電
力会社は原発がどうなろうと困らない仕組みになっている。次に原発の建設についてである
が、原発本体についてみると沸騰型軽水炉といわれる炉型を採用した東日本の原発は東芝
・日立が、加圧水型軽水炉といわれる炉型を採用した西日本の原発は三菱重工が主要メー
カーとなっている。このように個々の原発ごとにどこの原発はどの企業が請け負うかまで最初
から決まっている。そしてその付帯工事は鹿島建設や清水建設など大手ゼネコンが共同企
業体を組成して行うことになっている。公共事業を請け負う企業をあらかじめ決めたら談合罪
に問われるが、原発は民間企業だから談合をしても法律には抵触しない。そのために「スー
パー談合」とも言うべき談合が常態化し、競争入札せず担当業者が振り分けられている。さ
て、原発はもともと鉄とコンクリートの塊のようなものだから、建設の際には大量の鉄とコンク
リートを調達しなければならない。そのため、製鉄会社やセメント会社といった素材供給会社
が潤うことになる。しかも建設を開始してから竣工までは10年もの工期を要する。その間の
資金調達はメガバンクが請け負うことになっているわけだが、メガバンクにとってもこれは非
常に好都合である。理由はどんなに巨額を融資しても不良債権になる恐れは絶対になく、し
たがって金利収入も確実に入るからである。このように原発メーカー・製鉄会社・セメント会
社・建設会社・メガバンクとさまざまな業界が一体となって原発に関与し原発のおかげで潤っ
ている。これが原発利益共同体の実態だ。
 原発利益共同体は自らの仕事を推進するために、政党や政治家に政治資金と称して献金
している。それを受け取った政党や政治家は原発利益共同体を厚遇するよう官僚に働きか
ける。すなわち原発のために予算を特別に計上させたり、原発推進に好都合な制度を新た
に創設させたりする。自民党時代も含めて歴代の内閣は再生可能エネルギーなど原発に依
存しない新しいエネルギー政策へと転換しなかったが、それは我が国の科学技術が未発達
だからではない。我が国は世界有数の先進国であるから、国をあげて技術の総力を結集す
ればもっと早い段階から再生可能エネルギーを研究開発し実用化することもできたはずであ
る。真剣に取り組まなかった理由は一言で言えばやる気がなかったのである。原発利益共
同体から献金を受けていたから、原発から撤退することなどなど考えもしなかったはずであ
る。さて、政党や政治家から要請を受けた官僚は原発利益共同体に有益となるような仕事
をする。このときに企業からお金を受け取ると賄賂になってしまうが、ここでも官僚は法律の
網をかいくぐっている。それが天下りである。天下ってしまえば一民間人である。国家公務員
の身分でお金を受け取るわけではないから罪にならない。つまり天下りは汚職の先物取引と
なっているのである。
 こういう形で原発利益共同体は「政」と「官」を動かしている。しかもそれだけではない。さら
に次の3者が原発利益共同体に巻き込まれている。第1は「学」、つまり研究者だ。原発に関
しては研究すべきテーマがたくさん存在する。そこで電力会社は大学の研究室に研究費と称
して金を出している。こうして企業と大学との利害が一致すると原発推進の御用学者が誕生
する。それが原発に関する各種の審議会や諮問機関のメンバーとなり、原発推進側に都合
の良い意見陳述をする。第2はマスメディアである。たとえば電気事業連合会の巨大な新聞
広告やテレビコマーシャルによって、マスメディアも原発利益共同体から儲けさせてもらって
いるからだ。もちろん現場で取材にあたる個々の記者の中には原発への問題意識をもって
いる者もいるのだが、社の方針からして原発批判の記事は書けない雰囲気が醸成されてし
まっている。このことは次回に述べるが、我が国の報道は記者クラブに加盟する資格を持つ
大手メディアの寡占状態にあり、その大手メディアは70年代に電力会社に買収されて原発
推進政策に加担し、安全神話を無批判に宣伝してきた過去があるからだ。それだけではな
い。エネルギー記者クラブなどが非常に電力業界と仲良くして接待を受けている。このように
原発利益共同体と報道機関とがなれ合いの環境になっているから、原発に関する本当の情
報がひた隠しにされるのは当然といえよう。福島原発の爆発事故の後になってから、報道各
社から原発に関する情報が出されるようになったが、それ以前の平時にはほとんど原発に
関する記事も出ず原発推進体制を批判する論説もなかった。だから浜岡原発のように活断
層が下にあることがわかっているにもかかわらず、原発が建設され運転され続けてきた。そ
うなったのはマスコミも原発利益共同体に巻き込まれ情報隠蔽に加担したからである。第3
は、地元である。原発が立地する自治体も立地交付金というエサによって巻き込まれている
からだ。交付金の額は莫大だから、原発が立地しない他の自治体とは比べものにならない
ほど潤う仕組みになっている。たとえば東京電力福島原発が立地する双葉・大熊・富岡・楢
葉(いずれも福島県双葉郡)の4町合計で、第一原発の3〜6号機の分が88年度までに62
億600万、第2原発の分が同じく88年度までに322億4700万円である。逆に言えばこれ
だけのエサを撒かなければ地元の理解を得られないということだ。しかも地域住民が原発の
危険性について本当の情報を知ったら大変なことになる。だから、原発の安全性が高いこと
をここでもアピールし欺き続けてきた。
 これらのことが「異常なこと」との認識もなく当然のように行われてきたのが我が国の実態
である。だから当事者にそれを認識させ是正を促すのは容易ではない。特に既得権益を守
ろうとする業界団体は必死に抵抗するであろう。しかしできるところからでも手をつけるべき
である。第1に、業界団体と政治家との関わりを断つことである。それには天下りと政治献金
を全面的に禁止しなければならない。これは民主党が自民党政権時代から厳しく指摘し主張
してきたことだが、政権を奪取してから3年が経過した今になっても天下りも政治献金も全面
禁止には至っていない。政治献金を受け取ってしまうとその企業にたいしてものが言えなくな
る。福島の事故後、当時の菅首相が原発からの撤退を公言したもののすぐに撤回したことが
あった。理由は原発利益共同体が強く政府に圧力をかけてきたからであろう。たとえ企業に
何と言われようとも、政治家は自らの政治判断で国民の利害を第一に働くべきなのに、これ
では何にもならないのだ。第2に、報道機関が権力(ここでは政府だけでなく原発利益共同
体全体を含める)の監視役となることである。このことは次回に述べるが、現在のメディアは
記者クラブ主催の記者会見で発表された事柄をオウム返しに報じるいわゆる発表報道一辺
倒に堕し、権力の監視役としての機能を果たしていない。記者の専門性を高め調査報道を
主体にし、権力にとって不都合な事実こそ報じるべきである。そのためにも閉鎖的で横並び
意識の温床となっている記者クラブは廃止すべきであろう。ましてや電事連など業界団体の
広告収入によって買収されるようでは話にならない。第3に、業界団体と大学との関わりを断
つことである。抗がん剤の分野でも製薬会社が大学病院に対して新薬の効果を調べるため
に治験を依頼し、その見返りに教授が研究費という名目でお金を受け取っているが、このよ
うに持ちつ持たれつの関係を作ってはならない。第4に、審議会の人選である。政府がある
事柄を進めるにあたって諮問機関が作られ座長以下有識者による審議がなされるのである
が、その際に政府の意向に合わない人の意見こそ大切である。政府や座長の意向に合う人
選では諮問機関が仲良しクラブ同然になってしまう。最後に、原発という産業で莫大な富を作
り出せる仕組みを是正することだ。現状では原発は作ればつくるほど運転すればするほど儲
かる仕組みになっている。たとえば税法上の減価償却は耐用年数16年となっている。だが、
16年で廃炉にした原発はどこにもない。福島第一原発の場合は6基すべてが70年から運
転開始したものであるから、建設から40年も経過している。福島だけではない。我が国には
54基もの原発があるが、そのうち20基は運転開始から30年以上も経過している。そんな老
朽化した原発がなぜあるのかというと、減価償却の期間が過ぎてしまえば運転すればするほ
ど儲かるわけで、古くなるほど「打ち出の小槌」となるからだ。そして電力会社は莫大な利益を
あげて内部留保を貯めこむことができるようになっている。これでは原発利益共同体が原発に
しがみつくのは当たり前だ。国民の安全を考えるなら地震国の我が国から原発をなくすべきだ
が、たとえ運転するにしても減価償却が16年なら17年目に廃炉にするよう法で規定し、原発
では決して儲けることができない仕組みにしなければならない。

374「異常な原発行政を是正せよ」(8月28日)****************************************
 戦後のエネルギー政策として原発が日本国民の意思ではない形で一方的にアメリカから
押しつけられ拡充させられたことは、370「原発政策の問題点」でも述べた。しかし、何もか
もアメリカの体制に倣ったわけではない。むしろアメリカに倣うべき事柄を我が国は採り入
れなかった。それだけではない。国際条約にも批准しながら堂々と違反している。今回はそ
んな我が国の原子力行政の異常さを列挙したい。
 第1は、原発の安全を厳しく指導監督する機関がない点である。どういうわけか原発の安
全対策を実行する機構だけはアメリカに追従しなかった。アメリカの場合は原子力の規制機
関としてNRCが75年から発足した。「アメリカ合衆国原子力規制委員会」という組織で、原
発の設置や運転に対する許認可から使用済み核燃料の貯蔵・廃棄・再処理までを指導監
督する。そして事故の発生時は強大な権限を発動して事故対応に当たることになっている。
アメリカは原子爆弾の開発・製造を手がけただけに、早くから原子力の危険性を理解してい
た。だから原発の規制委員会を作り、そこに70年代から専任の技術スタッフを1900人も
集めたのである。彼らは原発の設計から立地・運転まで、すべて現地に入って調査・点検を
し許認可をしている。それでも79年にスリーマイル島で事故が起きた。福島の事故から比
べたら程度の軽いものであったが、それでもアメリカでは大問題になった。当時の大統領は
カーターであったが、彼は技術畑を歩いてきただけにこの事故を重く見て徹底的な検証をし
た。そして「この事故の根源は原発の安全神話にあった。」と素直に認め、安全神話に浸か
っていたためにしかるべき手を打たなかったことを指摘し猛省した。そして1900人の技術
スタッフを3000人の体制に拡充し権限も強化した。しかし日本の場合はこのような規制ス
タッフはアルバイトでしかない。大学の先生が本来の業務の合間に駆り出されて監修する
程度なのである。
 第2は、過酷事故が発生したときの対策が何もなされていないという点だ。アメリカととも
に原発大国として知られるフランスには事故後指揮委員会という組織まである。これは放
射性物質の漏出など深刻な事故が発生したら直ちに電力会社に代わって対応にあたる機
関である。事故を起こした電力会社とその当該地域住民はもちろんのこと各省庁や軍隊ま
でもこの委員会の指揮下に置かれることになっている。そして住民の避難から放射性物質
の廃棄処理まで一元化して行なっている。それだけ強大な権限をもった機関が対応にあた
る仕組みがきちっと作られているのである。しかし、日本では過酷事故が起こることはあり
得ないという前提に立っているから、事故が発生した後の態勢は何もない。原発が立地し
ている自治体でさえ何の対策も講じていない。理由は事故が起きたらどういうことになるの
かを政府・電力会社のいずれからも知らされておらず対策の立てようもないからである。80
年の大平内閣の国会質疑では「原発災害に対する緊急助言組織を作った。いざというとき
は緊急助言組織の人たちが指導にあたります。」と答弁していた。しかし、これも有名無実
の組織である。緊急助言組織は主に大学の教授がメンバーになっているのだが、年に1度
顔を合わせるだけで実践的な活動は何もしていない。原発が立地している地域の状況など
一度も見ていないから、事故があっても指導するに足る知見など持ち合わせていないので
ある。だから福島の事故の際に地域住民に役立つ活動は何もできなかったのである。そも
そも過酷事故は起こりえないという前提で動いているのだから、こういう結果になるのは自
明である。これも372「国民の命を大切に扱う国になれ」で述べたとおり、戦後67年を経た
今もなお日本には国民の生命を他の何よりも重んじる節操がない証拠である。
 第3に、我が国の原子力行政は国際法上も完全に違反している点である。79年のスリー
マイル島に続いて86年にソ連のチェルノブイリで事故が起き、広範囲に放射性物質が漏出
した。このとき地球環境保護の観点から原発の規制や審査のあり方が国際的に問題になっ
た。88年に「原子力発電所の基本安全原則」が決定され、94年に「原子力の安全に関する
条約」が成立した。そこには「原子力の推進機関と規制機関とを分離・独立させること、事故
の際は規制機関が積極的な役割を担うこと」が各国に義務づけられているのである。しかし
我が国の場合はいまだにそうはなっていない。我が国には「原子力安全保安院」と「原子力
安全委員会」という2つの機関があるが前者は経済産業省の下部組織である。経済産業省
は前身が通商産業省であり、原発推進の立場で業務を遂行する組織である。「推進」である
から「安全」とは逆方向に作用することは言うまでもない。福島第一原発の事故後に記者会
見で概要や経過を発表していたのは東京電力とこの原子力安全保安院であった。記者会見
では要領の得ない説明と情報隠しがずいぶん批判されたが、原発を推進する側からの情報
しか出てこないのだから、都合の悪い事実が国民に隠蔽されるのは必然の結果であった。
組織の名称は「原子力安全保安院」だが、中身は国民にとって「原子力危険不安院」なので
ある。一方、原子力安全委員会は経済産業省からは独立している。しかし、肝腎の権限が
ないのが問題だ。条約では「規制機関とは原子力施設の立地・建設・設計・試運転・運転
又は廃止措置を規制する法的権限を持つ機関」と定義されているが、原子力安全委員会
にはこれらのどの権限も法的に有していないのである。しかも内部の職員に原発を規制す
る意識がないからどうしようもない。原子力安全委員会の長は斑目春樹委員長であるが、
彼は浜岡原発の安全性に関して訴訟が起こった際になんと電力会社側の証人として出廷
し、「原発は安全です。あなた方の言うようにそこまでやったら原発は作れません。」と原告
団に豪語して原発の安全神話をアピールした人物である。組織の長がこんな発言をする有
様だから、原子力安全委員会も原発推進の機関かと疑われても弁解できまい。これでは
「安全」どころか「原子力危険委員会」である。
 東京電力福島第一原子力発電所の事故後に、九州電力の玄海原発をはじめとする全国
の原発は運転を停止した。政府は当初、欧米でなされているストレステストを行なって安全
性を確認しない限りは再稼働をしないという方針を出した。しかしそのストレステストを実施
するのは原子力安全保安院と原子力安全委員会である。発電所の安全性を審査・認定す
るストレステストを実施するからには、原子力推進機関から独立した規制機関が強大な権
限を持って専門的見地から安全性の確保に対する責務を果たさなければならないのだが、
我が国の場合は逆に原発推進機関がストレステストを実施するのである。原発を規制する
資格もなければ能力もないのだから、テストがおざなりのものになるのは明白だ。これでは
「安全」だと宣言されても信頼できない。海外のメディアの記者もさすがにこの発表にはあき
れ返ったそうだが、それも当然だ。こんな非常識が堂々とまかり通るのは日本くらいだから
である。
 以上述べたように我が国の原発行政はあらゆる面で異常かつ非常識である。これらの問
題を解決するにはまず原子力安全保安院を解体することだ。政府は原子力安全保安院を
経済産業省から分離して原子力安全庁という機関として環境省に設置する方向を打ち出し
た。しかし現在存在している原子力安全保安院を名称だけ変えて環境省に移管するだけで
は何の意味もない。現在の原子力安全保安院はやらせメールにまで関与するなど、電力会
社と共謀して安全神話をたれ流し故意に国民を騙してきた、いわば詐欺の確信犯である。だ
から原発の規制機関として機能していないだけでなく、そもそも原発行政に携わる資格もな
い組織に腐敗・堕落してしまっている。したがって現在の原子力安全保安院は解体しそこの
職員は現職・離退職者を含めて一人も採用せず、原子力の安全神話に毒されていない科学
者を結集させ、そのメンバーのみで新たな機関を設けるべきである。そして安全神話と決別
した組織にし、そこにこそ強大な権限を与えなければならない。ましてや官庁や電力業界か
らの人的交流があってはならない。経済産業省から電力業界に天下りしそこから原子力の
規制機関に異動した職員は過去に数多くいたが、そのような者はたとえ一人たりとも出して
はならない。もう一つ提起したいのは、この新しい組織は原子力発電所の規制機関として機
能させるのみならず、廃炉の推進機関になるべきだということである。原発は運転停止をし
ても廃炉まで最低20年は要する。その全行程を指導監督し、廃炉の過程でも放射性物質
が漏出するような事故を起こさないようにすべきである。そして使用済み核燃料の廃棄にも
責任をもってあたる。こうして今後は原発から撤退する方向へ進むべきである。そうしないと
原発業界の利害を守る機関に堕してしまう愚を再び犯すことになるからだ。

373「九州電力のやらせメール問題を考える」(8月26日)*******************************
 東京電力福島第一原子力発電所の事故後に、九州電力の玄海原発をはじめとする全国
の原発は運転を停止した。政府は当初、欧米でなされているストレステストを行なって安全
性を確認しない限りは再稼働をしないという方針を出した。しかしその再稼働をめぐり由々し
き事実が発覚した。それは原発の安全よりも電力会社ら原子力業界の利潤優先で再稼働
を進めようとしていることである。これは資本主義国家が有する根本的な欠陥に関わる問題
として捉えておかなければならない事態である。
 原発の再稼働にあたっては、それが立地している当該自治体でも大きな問題になっている。
最大の理由は日本は有数の地震国であるからだ。現に活断層の上に建造されている原発が
あることも調査で判明し指摘されている。当該自治体の首長や地域住民の方々が「うちの原
発は本当に安全なのか。大震災があったときに福島のような事態にはならないのか」と不安
を抱くのは当然である。したがって政府はまず福島の東京電力第一原子力発電所での事故
を徹底的に検証すること。そしてそこからどのような教訓があるのかを導き出し各地の原発
はしかるべき対策を講じること。最低でもこの2点を果たさない限り再稼働はあり得ないと私
は考えている。しかしその事故の検証もなされない段階で早々と終息宣言が出され、それと
ともに各地の原発も再稼働への動きが地域住民の意向を無視して進められていたのである。
その最たるものが、昨年6月に発覚したやらせメール事件である。これは九州電力の玄海原
子力発電所の再稼働にたいする地元住民への説明会で、九州電力自身が組織的にやらせ
メールを行なっていたものだ。原発の再稼働にあたっては立地する地域住民の方々への説
明責任と理解を得ることが不可欠であることは言うまでもない。そのためには推進派も反対
派も公平に扱うべきものでなければならないのだが、そのような場で推進の意見を出すよう
指示が出されていたというのである。以下事実経過を詳しく述べておきたい。
 福島の原発事故から3ヶ月余りが経過した昨年6月26日、玄海原発の2号機と3号機の運
転再開に向けて佐賀県民への説明番組「しっかり聞きたい玄海原発」が地元のケーブルテレ
ビやインターネットで生中継された。これは経済産業省の主催で行われたもので、90分の番
組であった。しかし「しっかり聞きたい」という番組名とは裏腹に、会場は非公開で一般の傍聴
も認められないという奇怪な性質であった。番組の中身は、原子力安全保安員と資源エネル
ギー庁の職員があらかじめ国側が選定した7名の地域住民に対して安全性の説明や質疑応
答を行うというものである。しかし90分という番組の時間的制約もあって、質問は1回1分、回
答も2分以内に制限されていた。これだけでも充分な質疑応答ができないことは明白だが、そ
の番組で九州電力が関連会社の社員らに原発の再稼働を推進するような趣旨の電子メール
を投稿するよう指示していた事実が明るみに出たのである。あろうことか九州電力は事前に関
連会社へ文書で「やらせ」を依頼していた。その文書とは「各位」と「文書作成日付」の後、「原
子力発電に係わる佐賀県民向けの説明会へのインターネットへの参加についてのお願い」と
いう標題が付されていた。本文は「標記については下記要領で開催されますが九州電力殿か
らも参加要請が参っておりますので皆様方のご協力をよろしくくお願いします。」という一文で始
まり、実施日時などを明記した「下記要領」に続いて「説明会はインターネットで生中継、LIVE
配信される予定。自宅からアクセスしていただき、説明会の進行に応じて発電再開容認の一
国民の立場から真摯にかつ県民の共感を得ることができるよう、意見や質問を電子メールで
発信して下さい。」と参加方法が書かれていた。実際には放送中に視聴者からのメールが数
多く寄せられ、そのうち11通がその場で読み上げられた。本来なら圧倒的に反対意見が多く
寄せられるはずなのに、運転再開を要請するメールも目立ったというのである。
 これが国主催の説明会のていたらくである。九州電力が自社の利益を優先するがために、
公正になされるべき説明会で妨害行為をし世論を誘導する工作をしていたことになる。これ
は国民に対して事実を歪曲し原発の安全性を欺くものであり、許し難い犯罪行為である。同
時に、これは原発が安全であることを説得力をもって地元の住民に対して説明できないとい
うことを露呈したとも言えよう。「やらせ」をしなければ安全性を説明できないのだから、換言
すれば原発の再稼働は危険だということを当事者も承知していることになる。政府は原因究
明と再発防止を九州電力に指示したが、九州電力はその反社会的行為を行った当事者であ
るからまともな対応をするとは考えられない。現に、九州電力はやらせメールの問題を当初
はひた隠しにしていた。後日になって真鍋社長が記者会見に臨み「やらせ」の事実は認めた
ものの、肝腎の「誰の指示によるものか」という記者からの発問に対してはノーコメントであっ
た。そして記者会見の最中に真鍋社長のもとにメモ用紙が届けられ「私の指示ではありませ
ん」と読み上げて記者会見を打ち切ったのである。これではおよそまともな釈明とは評価でき
ない。
 前回の『言わせて頂戴』において、私は「日本は国民の生命を大切にしない国だ」と述べた。
それは政府が国民の生命を粗末にしているだけではない。企業もこれに加担しているのであ
る。その理由は日本が資本主義国家であるからだ。そもそも資本主義とは利潤至上主義の
もとに動く社会である。だから率直に言えば自社の利益を国民の生命よりも優先することが
当然の文化なのである。メチル水銀が含まれた汚染水を垂れ流し、その結果周辺海域に生
息する魚を食べた地域住民が奇病にかかって犠牲者がどれだけ出ても、チッソ水俣工場と
いう会社が儲かり繁栄さえすればそれで良いという考え方である。たとえ将来東日本大震災
に匹敵する大地震で原発事故が再発し放射性物質が日本中に拡散しても、一日でも早く原
発を再稼働して目先の利潤を増やすことのほうが大事だという考え方である。だから地域住
民を欺くために「やらせ」までして原発の再稼働を推進して恥じないのである。私たち日本国
民は資本主義社会に生まれ育っているから資本主義も利潤至上主義も当然のごとく認識し
ているが、その害悪はこのようなところにも現れているということだけは決して忘れてはなら
ない。

372「国民の命を大切に扱う国になれ」(8月23日)************************************
 高校の国語の教科書には必ず戦時中の事柄が書かれた作品が掲載されている。井伏鱒
二『黒い雨』、原民喜『夏の花』、梅崎春生『桜島』などが定番だが、今年度私が担当した現
代文の教科書には大岡昇平『俘虜記』が収録されていた。これは太平洋戦争のさなかフィリ
ピンのミンドロ島で連合国軍の捕虜になった著者ご自身の経験をもとに書いた作品で、最初
に書いた『捉まるまで』を含めて12編からなる短編連作集である。教科書には、そのうちの
「靴の話」が掲載されており、これを私が授業で扱ったのである。小説では主人公の「私」が
太平洋戦争の最前線に送られて連合国軍と戦うのだが、支給された靴は底がゴムで作られ
上が鮫皮という非常にお粗末なものであったために、満足に戦える代物ではなかったことが
書かれている。粗末な靴しか支給されなかった理由はもちろん物資不足のためであるが、こ
れで連合国軍と互角に戦えることを期待するのは無理な話だ。
 太平洋戦争で日本が中国・韓国・台湾、さらにはフィリピン・マレーシア・ビルマなど南アジ
アに派兵し約200万人が戦死したことはどの社会科の教科書にも書かれているが、2点だ
け書かれていない重要な事柄がある。第1は、戦死者の過半数は戦って死んだのではなか
ったという事実である。換言すれば連合国軍の攻撃によって命を絶たれたわけではないとい
うことである。最も多かったのは餓死者であった。原因は、前線に送られた兵士に対して食
糧を充分に支給していなかったからである。大岡昇平の「靴の話」にも通じる事柄だが、戦
争の末期には靴に限らず兵器も燃油も食糧もありとあらゆる物資が不足していた。それに
もかかわらず何十万人という兵士を前線に送り込んで戦わせたのである。第2は日本が和
平交渉を拒んだために民間人の犠牲者を増やしたことである。フィリピンでは44年に日本
軍は壊滅的になり敗走したのであるが、この段階でもう日本に勝ち目がないことは明白であ
った。連合国軍との和平工作を画策する政治家も一部にはいたのだが、軍は強硬にこれを
拒否したのであった。理由は和平交渉に踏み切ってしまったら天皇制国家を残してもらう保
証がないと判断したからである。あの時点で交渉に臨んでいれば45年の惨劇、すなわち3
月の東京大空襲、4月〜6月の沖縄地上戦、8月の原爆とシベリア抑留はすべて回避する
ことができたはずである。しかし軍部は「一億玉砕」を唱え、民間人である一般国民に本土
決戦を敢行させた。国民の生命よりも国体護持を優先したのである。古代から世界の国々
は数々の戦争を行なってきたが、これほどまでに自国の国民の生命を粗末に扱った戦争は
過去にもなかった。
 こうして日本は連合国軍に無条件降伏し形の上では民主国家に生まれ変わったものの、
国民の生命を粗末に扱う思想は戦後になっても改まらなかった。その証拠に国の無策によ
って数々の犠牲者を出している。たとえば水俣病がそうである。50年代から熊本県の水俣
湾の漁村に生息する猫やカラスの不審死が相次ぎ、住民にも健康被害が出始めていた。
この時点で速やかな調査と発生源の特定をしていればあれほどの大公害には至らなかっ
たはずである。だが、政府がチッソ水俣工場の排水を水俣病の原因と認定したのは68年
である。そして民主党政権になった今もなお水俣病患者の認定問題をめぐって決着がつい
ていない。認定したら多額の補償金を支払うことになるから、国としては払いたくないのであ
ろう。しかし、そんな理由で患者と認定されずに犬死にさせている国は先進国で日本ぐらい
である。抗がん剤の治験もそうである。新薬の承認を得るには治験を行なって一定以上の
治療効果をあげる必要がある。しかも日本は新薬の承認件数が世界でトップである。当然
のことながら治験の症例数は膨大である。それにもかかわらず、90年代前半までは患者
に対して治験の被験者になることへの同意を書面でとっているケースは皆無に等しく、大部
分は患者には無断で治験が断行されていたのである。治験においては薬剤による想定外
の副作用で死亡することも少なくなかった。しかし、もともと治験であることを本人にも家族
にも知らせていないので、それをよいことに遺族にはがん細胞による死と説明して済ませて
きた。まさに医療現場では患者が新薬の人体実験の対象にされモルモット同然に扱われて
きたのであるが、そうした実態に対して国による是正指導は長い間なされなかった。原因は
厚生省と製薬会社との間に癒着があったためである。今回の原発もそうである。事故を起
こした東京電力福島第一原子力発電所は建造から40年が経過し老朽化しており、過酷事
故の危険性はかねてから福島県議や市民団体から指摘されていた。しかし東京電力はそ
れらの声を無視し政府も東京電力に対して何の指導もしなかった。そして政府も東京電力
も大津波は「想定外だった」と言って恥じない。さらに活断層の上に原発があることを承知
の上で原発の再稼働を推進している。結局国民の生命よりも原発で利益を得る業界団体
の利害を優先しているのである。
 このように我が国では国民の生命を今も軽視したままである。しかし、これからもずっと日
本がこんな国であって良いはずがない。企業・団体献金も天下りも即刻禁止し国民の生命
を守ることを他の何よりも大切にする姿勢に転換すべきである。それには有権者の意識改
革も大切だ。数多くの候補者や政党の中から国民の利害を代弁するのはどれかを見極め
る眼力をつける必要があろう。

371「二大政党制は有害無益」(8月19日)*******************************************
 思えば3年前の夏、自公連立内閣であった麻生政権の末期、無為無策な自民党に辟易し
ていた。そして「もういい加減に自民党の政治を変えて欲しい」と多くの有権者は願っていた。
その願いが見事に叶って自民党は歴史的敗北を喫した。長らく続いた自公政権に代わって、
民主党が国民新党・社民党とともに政権与党となり鳩山内閣が発足した。そして今に至って
いる。政権発足当時は「国民の生活が第一」というキャッチコピーで、後期高齢者医療制度
の即時廃止・普天間基地の国外移設・子ども手当・高速道路料金の無償化など華々しい選
挙公約を掲げていた。徹底した事業仕分けを実施し無駄な公共事業を廃止し「コンクリート
から人へ」とも謳っていた。だが、今、野田内閣の取り組んでいることは何か。
 (1)税と社会保障の一体改革
 (2)垂直理離着陸機M22オスプレイの普天間基地配備
 (3)TPPへの参加
 (4)各地の原発再稼働
 (5)八ッ場ダムや整備新幹線など大型公共事業の再開
の5点である。しかし、それらの政策は誰が実施を希望したのだろうか。少なくとも有権者で
はないことは明白だ。まず消費税増税法案が今月可決し、まず第1段階として14年度から
の税率が8%になる予定である。だが、増税を喜ぶ市民に私はお目にかかったことがない。
沖縄県はもとより今回新たに配備が決定した山口県岩国でも、オスプレイの配備を歓迎し
ている市民はいない。TPPもそうだ。私は旅行が趣味なので北海道の稚内から鹿児島県の
桜島まで沖縄県以外の46都道府県には全て足を踏み入れたのだが、どこの地方のJAへ
行っても建物の外壁には「TPP反対」の垂れ幕ばかりで「TPP賛成」の垂れ幕は見たことが
ない。毎週金曜日の夜に総理官邸で行われているデモ行進も「原発再稼働反対」の声ばか
りである。これらの政策について野田政権になってからこの間にさまざまなメディアや団体が
世論調査を行なったが、諸手を挙げて圧倒的に賛成多数になった案件は一つとしてない。
後期高齢者医療制度や普天間基地の国外移設など有権者の多くが待ち望んでいた選挙公
約は今もなお何一つ実行されておらず、ことごとく裏切られたままである。逆に望んでいない
ことばかりが着実に実行されている。「国民の生活が第一」というキャッチコピーは、選挙に
勝つために有権者に撒いたエサとしか思えない。
 しかし、私は鳩山政権発足当時から民主党には何の期待もしていなかった。さらに言えば
菅政権になっても野田政権になっても変わることはないとみていた。その理由は戦後の我
が国の政党史にある。ここでその歴史をふりかえって解説しておきたい。明治時代から我が
国には政友会・民政党などいくつかの政党が誕生し活動したが、戦時体制下ではすべての
政党が解散させられた。1940年に近衛内閣のもとで日本共産党以外の各政党によって大
政翼賛会が結成されたのである。つまり軍部とともに戦争推進勢力に加担したのである。そ
して45年の8月に日本は無条件降伏した。そこから対日講和条約が発効する52年までの
7年間はアメリカの占領下におかれた。GHQ総司令部はポツダム宣言の趣旨に則り、軍国
主義の永久除去と日本の民主化に着手した。その骨子は財閥解体・農地改革・女性参政権
の付与・労働組合結成の奨励といったものだが、軍国主義者の逮捕・裁判・公職追放も行わ
れた。東京裁判では28名ものA級戦犯が有罪判決を受けている。戦後、大政翼賛会に所属
していた政党は党名だけを変えて再登場した。だが、それらの党はGHQによって戦争推進
勢力とみなされ、党の幹部や党員の多くが公職から追放された。こうした社会情勢の中で労
働組合をはじめとする社会主義・共産主義勢力が国民的な運動となって強まった。戦後初の
メーデーには50万人が参加し「吉田内閣打倒」の大合唱となり保守反動政権反対を訴えた。
しかしGHQ総司令部はこうした革新勢力を歓迎しなかった。日本の共産主義化を恐れたか
らである。だからGHQは47年1月に二・一ゼネストの中止命令を下した。これ以後、アメリ
カはポツダム宣言に基づく日本の民主国家改革とは逆の方向に転化した。戦争推進勢力と
みなし公職追放処分にした人々に対してもこれを解除したのである。51年のことである。岸
信介らA級戦犯容疑者も拘留はしたものの東京裁判で裁くこともせずに釈放した。そして釈
放された彼らは55年に保守政党を結成した。これが自由民主党であり、その後長きに亘っ
て日本の政権与党となったのである。岸信介ら釈放された側からすればアメリカに恩を売ら
れた形になる。だから日米安保を基軸とする対米従属、つまりアメリカの植民地化へ進まざ
るを得ないのである。戦後67年が経過しても普天間基地を1mmたりとも動かすことができ
ない現状は、こうした歴史的経過があるからだと私は考えている。
 国会では保守勢力として自由民主党、革新勢力として日本社会党と日本共産党、残りは
両勢力の「中道」といわれる政党が存在するようになった。これが「55年体制」である。さて、
そんな保守の支配者勢力にとって、革新勢力の台頭は最も恐るべき事態である。しかし70
年代になってからは地方政治で革新勢力が強まった。50年代から革新政権だった京都に
続いて大阪府・川崎市・岡山県・埼玉県・沖縄県・神戸市・名古屋市・香川県・滋賀県などが
保守から革新政権に相次いで代わった。75年の統一地方選挙ではその数は205もの自治
体に及んだ。率にして地方の43%が革新政権になったことになる。国会でも過半数にはなら
なかったものの革新勢力が台頭した。そこで支配者側は日本共産党の政治生命を抹殺する
ために、当時「中道」といわれた公明党を利用して野党第1党である社会党を革新勢力から
引きずり下ろす作戦に出た。これが80年に成立した「社公合意」である。こうして与党・野党
という構図は形式的なものになり、日米安保のような大枠では意見を一致させ、自民党と社
会党、さらには公明党などの中道勢力も協調して何もかも決めていく「なれあい政治」に堕落
した。こうして「55年体制」が瓦解し「オール与党体制」となった。90年代になるとこの「オー
ル与党」を自民と非自民とに二分し、選挙を戦うようになった。その最初の非自民政権が93
年の選挙で誕生した細川政権だったのである。しかしこれは8党もの寄り合い所帯であり短
命に終わってしまった。そこでもっと長期的に自民とともに政権を争える政党を作ろうという
動きが財界の主導で始まった。そうして誕生したのが民主党である。同時に一つの選挙区
から一人の代表しか送ることができない小選挙区制度も導入された。そして、これからの選
挙はマニフェストで政党を選ぶことだと定義し、自民か民主かの二者択一を国民に迫り、そ
の他の政党は蚊帳の外に置くことになった。これが我が国の「二大政党制」である。
 ここで重要なことは「二大政党制」といっても保守と革新による構図ではないということだ。
非自民である民主党にしてももとをただせば自民党からの離党者である。だから本質的に
は自民党と何ら変わらない。つまり、大政翼賛会に加わって公職追放処分を受け、アメリカ
の方針転換によって免訴された連中ということになる。だから、民主党に政権が代わっても
アメリカの意に反することは何もできないのである。そしてもう一つ、看過できない点がある。
それは財界・大企業との癒着関係である。自民党が過去数十年の長きに亘って財界や大
企業から献金を受けてきたことは改めて論じるまでもないが、自民党から分離して誕生した
民主党もその体質は何ら変わっていない。だから野田政権が発足した当時、首相が真っ先
に総理就任の挨拶に行った相手は日本経団連会長だったのである。原発再稼働問題にし
ても消費税の増税にしても公共事業にしても、すべては財界の圧力であり恩恵を受けるの
は大企業である。だから、今後も自民党と民主党が政権を担いあう限り、国民の願いとはほ
ど遠い政治が続くであろう。つまりは麻生政権の末期と五十歩百歩だということだ。英米に
倣って我が国も二大政党制の時代に突入したというと聞こえは良い。だが、もともとこれを主
導したのが財界であって有権者ではない。その経緯をみれば、国民にとっては「百害あって
一利なし」と評価しても過言ではないほど有害無益なものである。

370「原発政策の問題点」(8月16日)***********************************************
 タイトルは異なるが、今回は前回の話の続きである。戦後まもなく、アメリカは潜水艦の動
力として核エネルギーを利用しようと考えた。原子力潜水艦が実用化されれば従来の潜水
艦よりもはるかに長い距離を航行できるからである。そして広島・長崎の原爆投下から9年
後の54年にノーチェラス号という原子力潜水艦が完成し進水した。一方、その前年の53年
12月にはアメリカのアイゼンハワー大統領が”Atoms for peace”と演説し、原子力の平和
的利用を訴えた。開発された核エネルギーを戦争以外の目的に活用しようというのである。
その一つが原子力発電であった。しかし、核を使ったエネルギーの開発はもともと原子爆弾
という戦争目的にあったため、放射能漏れ事故といった核エネルギーの利用に伴う危険性
への対策はろくに施されないままであった。
 現在の我が国には狭い国土に54基もの原発があるが、その全ての原発は次の2点で危
険性が残っている。第一は原子炉で使った核燃料の後始末ができないことである。原子力
発電所では原子炉の中でウランやプルトニウムといった核燃料を燃やしているのだが、燃
焼後の残留物にも放射性物質は大量に含まれている。問題はこれを適切な形で処理する
技術をいまだに人類は開発できずにいることである。そこで原発で発生した使用済み核燃
料を青森県上北郡六ヶ所村に建設した再処理工場へ運び、まだ再利用できるプルトニウム
と残骸物とを分離することになった。現在は全国の原発から運ばれた使用済み核燃料の受
け入れをしている段階にある。しかし再処理施設で分離された残骸物には、より高濃度の放
射性物質が含まれている。もちろんそれを始末する場所も技術もない。しかもこの施設がフ
ル稼働しても処理能力は年間800tにとどまり、1000tを越える使用済み核燃料の全量を処
理することはできない。現状では再処理工場そのものがまだ稼働していないから、全国各地
の原発の施設内に設置したプールに保管するしかないのである。だから各地の原発の施設
内には運転中の核燃料とともに使用済み核燃料という2つの危険物があることになる。この
ように自分で作業した後始末すらできないのが原発なのである。よく原発は「トイレなきマン
ション」と言われるが、その所以はここにある。要するに排泄物を処理できないのである。
 第二は原発では軽水炉を使用している点である。原発の運転を止める場合は燃料棒を抜
くわけだが、抜いても熱を出すのでそれを冷やす必要がある。そのために大量の水が必要
になってくるのだが、何らかの理由で水の供給ができなくなるともう現時点の科学技術をも
ってしても対処しようもないのである。昨年の東日本大震災がまさにそれであった。東京電
力福島第一原子力発電所では、まず地震の揺れによって建屋の近傍にあった鉄塔が倒壊
し外部電源が途絶した。次に津波の引き波によって取水することができなくなってしまった。
そして押し波によって内部電源の施設そのものが浸水し使い物にならなくなってしまったの
である。アメリカのスリーマイル島で発生した原発事故も誤操作で水を止めてしまったため
に起きたものだが、とにかく、水の供給が途絶えると核燃料は秒単位で溶け出して原子炉
が破壊されてしまうシステムになっているのである。それは、軽水炉を使用している限り構
造上の本質的な欠点であり、解決することのできない問題である。これを専門用語では熱
水力学的な不安定性という。
 それでは、こんな危険かつ未完成の技術である原発をなぜ日本が導入したのか。そして
なぜ狭い国土に54基もの原発を有する原発列島になってしまったのか。理由はアメリカの
原子力戦略に日本は植民地のごとく従属した国策をとったからである。換言すれば、日本
の原発政策は日本国民の総意によるものではなかったのである。53年12月にアメリカの
アイゼンハワー大統領が原子力の平和利用を訴えたことは先に述べたが、その翌年にア
メリカは保有する濃縮ウランを各国に提供し、原子力をアメリカの支配下におく政策を展開
した。その提供先の標的となったのが日本であった。敗戦から10年後の55年に日米で原
子力研究協定が結ばれたが、この年にアメリカから6kgの濃縮ウランが送られたのである。
この時点ではまだ日本には原発が1基も建造されていなかった。それにもかかわらず、原
発で燃やす核燃料である濃縮ウランの方が先に送られたのである。濃縮ウランを受け取っ
た以上は燃やさなければならないので、これを燃やすためにアメリカ製の研究炉を輸入した
のである。つまり原子炉も核燃料も日本の自主的な開発によるものではなく、世界に類例
のない逆点的な形態であった。そして58年の原子力協定では2.7tの濃縮ウランが送られ、
それとともにアメリカ製の実験炉を輸入した。さらに68年の原子力協定では154tもの濃縮
ウランが送られ、ここで我が国の3ヶ所に初めて原子力発電所を新設することになったので
ある。それが福井県の美浜と敦賀、そして昨年の東日本大震災で爆発事故を起こした福島
の原発である。つまり、日米間で結ばれた原子力協定で核燃料の提供も原発の建設も決め
られたのである。そして現在に至っているのだが、核燃料の73%は今もなおアメリカ製であ
る。
 このように原発政策に関してはアメリカの植民地のような有様なので、長らく続いた歴代の
自民党政権も再生可能エネルギーなど原発以外の発電方式の研究開発など熱心に進めて
こなかった。この間にたとえば茨城県東海村のJCO核燃料加工施設での臨界事故など、我
が国でも原発事故は過去に何度も発生したが、それでもエネルギー政策の転換はなされな
かった。だから、世界有数の地震国にもかかわらず54基もの原発が稼働するという状況が
放置され、東日本大震災による全電源喪失であの爆発事故を招いてしまったのである。この
事故を契機に東京永田町の総理官邸前で毎週金曜日の夜に原発反対の市民デモが始まっ
た。デモの参加者は今夏に大飯原発の再稼働をする頃には数万人にも膨れあがり、60年
安保改訂以来の空前の規模に増えたのだが、それでも野田内閣はその声にも耳を傾けよう
とせず再稼働を断行し原発推進政策にしがみつこうとしている。しかし、政権交代を果たした
鳩山内閣発足当時の民主党のポスターには「国民の生活が第一」と謳っていた。あのキャッ
チコピーはいったい何だったのだろうか。

369「原爆は何のため」(8月15日)*************************************************
 今日であの第2次世界大戦を戦った日本の無条件降伏から67年が経過した。そして先週
の6日と9日には広島・長崎で原爆死没者慰霊式ならびに平和記念式典が挙行された。広
島・長崎の両市から「核のない平和な国際社会を」と切実に訴える一方、首都永田町の首相
官邸周辺では毎週金曜日に原発反対の市民デモが何万人もの規模で行われている。一見
すると原爆と原発は無関係のようだが、そうではない。核エネルギーを使っている点で共通
しており、歴史上にも重大な接点がある。そこで今回は原爆や原発で使われている核エネル
ギーについて、その歴史を振り返りながら述べてみたい。
 今から46億年前に地球が誕生し、そこで人類が生活するようになってから、人類が何より
も恐れていたものは「火」と「雷」であった。山火事が発生すれば火勢はとどまることを知らず
風にまかせてたちどころに延焼したし、雷が落ちれば一瞬で自分たちの生活の場が奪われ
命も落としていたからである。その「火」を発見できたこと――すなわち自分で火を起こして
使いこなし、生活を豊かにするための道具として活用することができたこと――は人類史上
の画期的な発見であった。それは国家といえるような組織が成立するよりもはるか以前の、
古代の出来事であった。それから時代が下って1930年代に「核」が発見されたが、これは
「第2の火の発見だ」とまで言われたほど人類史上の大事件であった。火とは比較もできな
いほど大きなエネルギーを人類が操ることができたからである。しかし放射性物質という強
烈な有害物質が存在することも同時に発見され、これを制御し処理しないととんでもないこ
とになることが指摘された。そこでこれを人類に役立つ形で利用すべく研究が始まったので
ある。だが、発見された時代があまりにも悪かった。当時は第1次世界大戦後に国際平和
を目的に発足した国際連盟が機能せず、特に欧州の世界情勢は不穏だったからである。
そして最初にこの核エネルギーが戦争のために開発・研究されてしまった。具体的には第2
次世界大戦である。ナチスドイツのヒトラーが核エネルギーを使った兵器の製造を企画した
のである。このことを知った科学者がドイツに対抗しようと考え、アメリカのルーズベルト大
統領に進言し、アメリカでも核エネルギーを使った兵器の研究が始められた。科学史上の
人物として著名なかのアインシュタインも、その研究に携わった一人である。しかしドイツは、
その核エネルギーを使った兵器を完成させることができずに連合国軍に無条件降伏した。
1945年5月8日のことである。もともと核を使った兵器はドイツに対抗すべく研究開発を進
めてきたのだから、ドイツが降伏した時点でもうアメリカは研究を続行する必要がなくなった
ことになる。だが、それでも研究開発が進められた。そして同年の夏に2種類の核兵器が完
成した。一つはウランで、もう一つがプルトニウムで作られた爆弾である。
 この時点でドイツ・イタリアとともに枢軸国として戦争を続けていた日本はどうだったか。当
時の日本は東京大空襲で既に多大な戦禍を被っていた。沖縄にも連合国軍が上陸した。住
民は収容所に監禁され、沖縄は連合国軍に占拠されていた。残るは本土決戦だが、一億玉
砕も時間の問題と言われていた。だから戦争の勝利のためにわざわざ広島・長崎に原爆を
投下する必要はなかったのである。では、なぜ原爆が投下されたのか。理由は日本の側に
あったのではない。せっかく研究開発して製造した爆弾がどれだけの威力を発揮するかを試
さないうちに戦争が終わってまったのでは、戦後のアメリカのプライドにかかわる。こういう政
治的な打算が働いたのである。そこで降伏目前の日本に対してこの2種類の爆弾を投下し
その効力を実験することにした。そしてウランで作った爆弾は広島に、プルトニウムで作った
爆弾は小倉に投下する計画が立てられた。(実際には当日の小倉の天候が不良で上空では
視界が利かず、投下先は長崎に変更された。その意味では長崎の被爆者はまことに不運で
あった。)だから、原爆はアメリカにとって必要だったのである。もっといえば戦後の国際社会
でアメリカが主導的な立場を確保するために必要だったのだ。その生贄となったのが広島と
長崎の住民であったのである。このことは今を生きる日本国民は知るべきであるし、後世に
も伝えなければならないことだと思う。だから、よく原爆は「戦争を早く終結させるため」とか
「ソ連参戦によって日本を社会主義国家にさせないため」に必要だった言われているが、そ
うではなかったのである。

368「『がんばれ』は励ましにはならない」(8月12日)***********************************
 東日本大震災の直後から特に被災された方々へ「がんばれ」「がんばろう」という言葉が発
せられた。後には「がんばろう日本」が、あたかもこの国の合い言葉であるかのように日本中
で使われだした。今はロンドン五輪が開催中だが、五輪やW杯といった国際試合でも「がん
ばれ日本」が合い言葉のようになっている。ここで言いたいのは「がんばれ」や「がんばろう」
が果たして当事者の励ましの言葉になっているのかということだ。結論から言えば私は励ま
しの言葉にはならないと考えている。その理由は2点ある。第一は彼らは充分すぎるほど「が
んば」っていると評価できるからだ。第二は、「がんば」っていない者に対して「がんばれ」と言
うのはともかく、「がんば」っている者に対して言うのは酷だからである。
 被災者の多くは肉親や知人・友人の何人かをあの大津波で失ってしまっている。それだけ
でも悲しみにうちひしがれているのに、自分の住居も津波によって流失させられてしまった。
それだけではない。街そのものが壊滅状態になっているのだから、農場や工場といった職場
も同時に失ってしまったのである。つまり被災者は生活手段も生産手段も奪われているのだ。
このことはすなわち働くこともできないことを意味するから、収入は1円も得られない。しかし被
災前に家屋や事業に投資した金額は借金として重くのしかかり、契約時の返済規約にしたが
って毎月口座から容赦なく引き落とされる状態にある。これでは「がんばれ」と言われても私た
ちには「がんば」りようがないのだ。津波から命からがら逃げて生き残っただけでも充分に「が
んば」ったのだ。そして劣悪な避難所生活を強いられ今もなお「がんば」っているのだ。これ以
上何をどう「がんばれ」というのか。それが被災者の率直な反論であろう。そういう人に対して
「がんばれ」と言うのは、死にそうなほど喘いでいる人に対してさらに鞭打つようなものだと思う。
 同じことは五輪をはじめとする各種のスポーツについても言える。たとえばマラソン大会で考
えてみよう。ホノルルマラソンなど外国のマラソン大会の様子を見ればすぐに分かるが、欧米
の観客が自国の選手にかける応援のメッセージは例外なく褒め言葉なのだ。日本語に直訳
すれば「あなたは良い仕事をしている!」「あなたはすごい偉業をしている!」「あなたにはき
っとそれをやり遂げることができるぞ!」「あなたは最善を尽くしている」といった言葉になる。
それが日本ではどうか。42.195kmのどの地点でも選手へのかけ声は「がんばれ」ばかり
である。スタート前の陸上競技場の中とかスタート地点から間もない距離で見物しているのな
らそれでも良いだろう。しかし折り返し点を過ぎ30km・35kmと走ってきた選手に言うべき言
葉だろうか。これまで充分すぎるほど「がんば」って走っている選手に向かって「がんばれ」と
言うのは励ましにはならない。私自身陸上部で長距離を走っていたからわかるのだが、「俺
はじゅうぶんがんばってきた。おまえはそこで立って見ているだけやないかい」というのが、か
け声をかけられた選手の本音だ。
 「がんばれ」はあくまでも「がんば」っていない人に対して発すべき言葉である。現に頑張っ
ている人に対してなおも「がんばれ」というのは酷だ。私は教員だが、全く何一つ取り組もうと
はしない生徒は別としても、その他の生徒にはどんなに成績が悪くても「がんばれ」とは言わ
ないようにしている。 生徒はみんな「がんば」っているのだ。たとえ試験が0点であっても、登
校して授業を受けているだけでも「がんば」っていると評価できる。テストをすれば誰かが1位
に輝く一方で誰かが最下位になるのは当然の現象で、上位の生徒だけを「よくがんばった」と
褒め讃え、それ以外の生徒を努力が足りないと断罪して「がんばれ」と言うのは間違っている。
だから私は成績の優劣にかかわらず「悔いのないように取り組もう」「最善を尽くそう」と言って
いる。最善を尽くしたのならテストや部活動の公式戦に臨んでたとえ最下位に終わったとして
も良いではないか。
 そういう意味で私は「がんばれ」とか「がんばろう」という言葉は使うべきではないと考える。
ましてや「がんばれ」は動詞の命令形である。この言葉自体「上から目線」であるし、現に懸
命に取り組んでいる方々に対して非常に失礼だと思う。東日本大震災で被災された方が「こ
れからがんばろう」と決意を固めて前向きに生きようとするのは思想・良心の自由だ。しかし、
少なくとも被災していない人が被災者に対して「がんばれ」と言うべきではない。五輪でもそ
うである。個々の選手が金メダルを目標に「がんば」るのは選手の自由だ。しかし、マスコミ
など選手ではない人が軽々しくかける言葉ではない。昨今の日本語はわけのわからぬ新語
が次々と登場してはそれが流行語となるくせに、人を温かく見守り応援する気持ちを伝える
ための語彙はきわめて貧弱である。声をかけられて心から励まされる語彙をもっと作り出す
べきである。

367「東日本大震災の対応と原発事故(終)」(8月12日)*******************************
10.原発事故の責任と賠償のあり方
 今回は東日本大震災の直後に東京電力福島第一原子力発電所で発生した爆発事故に
よって被害を受けた方々の救済について一言したい。結論から言うと事故によって被害を
受けたすべての方々に対して東京電力が全面的に賠償すべきだと考える。その理由は次
の2点だ。
 第一に、原子力発電所の事故は天災ではなく人災だと言えるからである。今回福島第一
原子力発電所に押し寄せた津波の高さは14m〜15mと推定されている。この高さをもっ
て東京電力は事故直後から「想定外」という言葉がさかんに使っていた。だから東京電力も
自然災害の被害者なのだ、原発事故は免責されるべきだとでも言いたげな態度であった。
しかし、その想定そのものが誤りであったことを認めるべきだ。東京電力が「想定」していた
津波の高さは、小名浜湾の平均潮位よりも3.122mを加えた値である。この数字は昭和
41年の設置許可時における安全審査によるものである。もっと具体的に言えば60年に起
きたチリ津波の地震をもとにした基準である。しかし、その後04年にはスマトラ沖地震が起
きた。日本でも北海道のにある奥尻島の地震で島が津波に襲われた。こうしたことから福島
の第一原子力発電所にチリ津波以上の津波が押し寄せたら危険であるということは過去に
も指摘されていたのである。地元の市民団体も福島県議会も危険性を指摘してきた。そして
そのたびに速やかに安全対策を講じるよう東京電力に要請していた。国会でも自民党政権
の時代から野党の議員によって危険性の指摘がなされていた。東日本大震災の前年には
原子力安全基盤機構が「全電源喪失が発生したら16.5時間後には格納容器が破損して
放射性物質が外部に漏れる」と警告していた。このように多方面から数々の指摘がなされて
いたにもかかわらず、東京電力は一切耳を傾けることなく何の安全対策も講じなかった。ま
た歴代の内閣も「我が国の原子力発電所は多重防護がなされ、安全性が極めて高い。した
がって、全電源喪失や炉心溶融といった過酷事故は起こり得ない」と強気な答弁を繰り返し、
危険性の指摘を一蹴してきた。しかし地震によって受電設備や受電鉄塔が破壊すれば外部
電源は喪失する。原子炉を冷却をするためには大量の水が必要なのだが、津波の際の引
き波によって取水もできなくなる。そして押し波によって設備が浸水すれば内部電源も喪失
する。そうなってしまったらもう原子炉の爆発と放射性物質の外部漏出はも不可避である。
じつは福島第一よりもさらに震源地に近い宮城県牡鹿郡女川町にも東北電力が管理する原
子力発電所がある。ここにも福島と同様に高い津波が押し寄せたのであるが、それでも事故
には至らなかった。それは東北電力がそれなりの津波対策を講じていたからである。その意
味では福島の事故も未然に防ぐことができたといえよう。だから人災なのである。
 第二は東京電力の全電源喪失が起きた後の対応もお粗末だったからである。原子炉に海
水が注入されたのは3月12日15時36分で水素爆発が起きた後になってからである。正確
に言えば、20時5分になって海江田大臣が東京電力に海水の注入を命じ、20時20分にな
ってから海水の注入が開始された。3月11日14時46分の本震の発生から30時間近くも経
過してからである。政府が海水注入を命じたのも遅きに逸しているが、政府の命令が出る前
に東京電力が自ら判断し海水の注入をすべきであった。そうすれば水素爆発を阻止できた
かもしれなかったし、放射能汚染を広げて福島県民をはじめとする国民にこれだけ多大な被
害を出すことにはならなかった可能性があったのである。しかし東京電力は海水の注入を渋
っていた。理由は原子炉を廃炉にするのを惜しんでいたからである。あれだけの大事故を起
こしながらなお原子炉を使おうとしていたのだから呆れかえるばかりだ。つまり、国民の命よ
りも自社の利潤を第一に考えていたのである。
 事故から1ヶ月後の4月13日に清水正孝東京電力社長は記者会見をした。その席で「津
波対策はしかるべき基準(日本土木学会が出した甘い基準)にしたがって講じてきた。しかし
今回の事故が起こったので津波対策の基準は今後見直されるべきであろう」と、まるで自分
には何ら責任はないかのような第三者的な態度で発言していた。事故に対しても「福島県民
に多大な迷惑をかけた」というお詫びはしたものの、事故を起こしたことに対する責任につい
ては全く明言せず、補償や賠償に対しても触れなかった。その後も「紛争審査会の指針にし
たがって公正かつ迅速に行う」と言うのみで、被害を受けた全ての方々に全面的な賠償を履
行するとは一度も言わなかった。しかしこれでは企業が社会的責任を果たしたとはおよそ評
価できない。被害を受けたすべての方々に対し、会社の全財産をつぎこんででも賠償に専念
すべきである。ここでいう「被害を受けたすてべての方々」とは放射能汚染によって避難生活
を強いられた方々だけではない。自主避難された方々に対しても、さらには風評被害によっ
て生産物が売れず例年並みの所得を得ることができなかった方々をも含める。それらの方
々に対し、全面的に賠償をするべきである。「全面的に」とは、原発事故がなかった場合に
得られたであろう収入から事故後に実際に得た収入の差額を賠償することである。その金
額を個別に算定するのは困難であるというのならば、「原発事故がなかった場合に得られた
であろう収入」は2009年分の収入と同額で良いだろう。これなら既に確定申告がなされて
いるから金額ははっきりしている。(2010年分の申告は2011年3月なので申告できない
方が多い)そのように全面的な賠償をしようともせず、社長以下役員が報酬を受け取ったり
株主配当をしたりしているというのは言語道断である。ましてや賠償すべき金額を東京電力
が支払わず、国民からしぼり取った税金で賄おうとするなど論外である。ちなみに清水正孝
東京電力社長は国会の参考人質疑において「東京電力の総資産は13兆円」と答弁した。
それならば、その13兆円は全額被害者の賠償に充てるべきであろう。国が賠償するのは
東京電力が無一文になってなお所定の賠償がなされていない段階になってからにすべきで
ある。

366「東日本大震災の対応と原発事故(9)」(5月 7日)**********************************
9.被災地の復興支援
 今回は津波で壊滅的被害を受けた街の復興、ならびに、その街に居住していた被災者の
方々の生活再建に際し、そのあり方と財源を3点論じたい。
 第1に、街の復興計画の作成にあたっては地域住民の合意でなされるようにすべきである。
阪神淡路大震災の復興では地域住民が避難所や仮設住宅で生活をしている間に国から復
興計画が次々と策定されてしまった。その結果、個人の家屋の復興は遅々として進まぬ中、
神戸空港をはじめとして立派な港湾や道路・さらには公共施設がいち早く整備され超高層ビ
ルも相次いで建設された。震災後2〜3年の間に被災地を訪れてその復興の早さに驚かれ
た方も多かったはずである。しかし、それらはいずれも住民の希望によるものではなかった。
国が上から目線で復興計画を立て一方的に住民に押しつけたものであった。このような方法
ではいくら早期に復興しても地域住民の理解は得られない。まずは今後も被災地に居住する
ことになる地域住民が話し合って自分の街の復興計画を立てることである。そして住民合意
のもとで立てた復興計画を当該地方公共団体が実施すべきである。さらに、その実施にあた
って必要な財政は全額を国で賄う。特に今回は地震によって地盤沈下したために元の地域
に居住することができず、集落そのものを高台に移転せざるを得ないケースもある。その場
合は未開の山野を切り開いて新たな宅地造成もしなければならない。そのための費用など
当該地方公共団体の財政では到底賄える金額ではない。したがって国の「援助」や「支援」
ではなく、「全額負担」が必要なのである。
 第2に、個々の被災者の生業に必要な物品を震災以前の状態に戻すことが必要だ。被災
地は農業・漁業・そしてこれらの産業に関連する加工工場、さらには部品メーカーなどの中
小企業が点在し、地域経済を支えてきた。それを一刻も早く復活させることは被災者のみな
らず我が国の経済にとっても必要不可欠である。被災者は、津波によって住宅やクルマとい
った個人の所有物はもとより、農地・農機具・漁船・漁具・工場・機械・店舗・事務所など生業
に必要な物もすべて奪われているのである。それだけなら0からのスタートを切ることができ
るが、そのうえに借金が残されているという状況である。借金は、個人が組んだ住宅やクル
マのローンだけではなく、事業主が自らの事業に必要な土地や物品に投資するために金融
機関からの融資を受けたものもある。これらの債務は、個人や事業所の所有するすべての
物品が震災以前の状況になる日まで凍結すべきであろう。そして個人や事業所が失った物
品はすべて国が無償で弁償することである。たとえば農地であれば除塩も施し再び作付けが
できる状態に戻す。そして震災以前に所有していた同型(ないしはそれに相当する型)の農機
具を農家に与える。漁業であれば震災当日まで使用していた同型(ないしはそれに相当する
型)の漁船と、網をはじめとする漁具を与え再び漁に出ることができる状況にする。こうして震
災当日以前の、つまり平時の生産活動が再開できる状況まで国が「復旧」させる。そしてその
日までは金融機関への債務の償還を凍結する。このような措置を講じなければ、被災者はこ
れまでの借金を抱えたまま新たな資金を借り入れなければならない。これでは、たとえ金融機
関の融資を受けられたとしても今後はますます重くなる二重ローンに苦しむばかりである。そ
んな借金地獄を強いるのでは、被災者の生活再建に明るい展望が開けない。
 第3に、これらの復興に必要な財源について言及したい。震災復興税と称して消費税の増税
に向けた動きが震災直後から出されたが、これはもう論外である。低所得者ほど負担率が高
まる消費税の逆進性を考えれば、被災者の生活再建を妨げ被災地域の産業復興の足枷とな
ることは明白であるからだ。増税するのであれば消費税ではなく法人税を先にすべきである。
震災当時から現在までの間は不況を理由に年間1兆2000億円もの法人税減税を行なって
いるが、これは結果的には大企業しか恩恵を受けない。理由は中小・零細企業の大部分は赤
字経営であって、法人税を納めることができる状況ではないからである。しかし我が国の99%
を占めているのは中小・零細企業でありこれが雇用の70%を占めている。津波による被災を
した地域ではさらに中小・零細企業や個人事業主の比率が高いので、法人税を減税したとこ
ろで被災地の企業にとって何の利益もない。次に証券優遇税制の延期であるが、これも即刻
中止すべきである。これは株の取引によって得た利益に対して優遇措置を講じたものである。
本則税率は20%だが、これも震災当時から現在までの間は金融市場の活性化を理由にして
税率を10%に減じている。その結果、国は年間で5000億円の税収減となっている。しかし株
を購入することができる人は、生活費の他にもなお可処分所得がそれなりにある人である。し
たがって株取引で儲かった人に対する税率を軽減しても、低所得者とりわけ債務に苦しむ被
災者に恩恵をもたらすものではない。アメリカでは高額の株取引に対しては30%も課税して
いるというのに、我が国のそれは逆になっている。さらには年間5兆円にものぼる軍事費、と
りわけ在日米軍駐留経費の日本側負担金、いわゆる「思いやり予算」も被災地が復興するま
での間ぐらいは中止すべきである。そもそも「思いやり予算」は日米安全保障条約にも規定さ
れていない予算である。国難とも言うべき戦後最悪の災害から立ち直るために、今は国家の
総力を挙げて復興に専念しなければならない時である。そんな時に在日米軍への思いやり予
算や、海兵隊が沖縄の普天間基地からグアムに移設する費用を我が国が負担しなければな
らない理屈は成り立たない。過年度長きに亘って在日米軍を「思いや」って膨大な金額を献上
してきたのだから、せめて今年度くらいは被災民を「思いや」って充当すべきではないのか。
そのほか、話題になっている八ツ場ダムをはじめ整備新幹線や東京外環状道路など被災地
の復興に寄与しない不要不急の大型公共事業も中止すべきであろう。ましてや年間320億
円も各政党に支払われている政党助成金も、全額を震災復興に充てるべきである。

365「東日本大震災の対応と原発事故(8)」(4月30日)**********************************
8.被災地での避難所生活
 東日本大震災では、幸いにも本震とその後に襲った津波から逃れて助かったにもかかわ
らず、避難所に着いてから命を落とすという事例が相次いだ。原因は避難所の環境があま
りにも劣悪であったからである。食糧も不十分であるばかりか、停電と石油の不足で暖房が
なされなかったために避難民は非常に寒冷な部屋に置かれてしまった。そのうえ悪臭が加
わっている。津波そのものにも悪臭があるが、そこに漁船から漏出した油や瓦礫から放た
れた悪臭も加わっている。健康な方でもこうした環境の悪化で体調を崩されたのだから、病
気がちな方は言うに及ばずである。慢性疾患を患っていらっしゃる方は常備薬を切らしてし
まったために、症状を悪化させてしまった事例が多かった。被災地では医療機関も医師・看
護師とともに被災したため、病気になっても自然治癒を望むしかないという状況に置かれた
のである。病院そのものが被災しなかった場合でも、電力や石油の不足で深刻な状況に置
かれていた。震災からまもなく約2週間という頃に、岩手県釜石市にある病院では9人の入
院患者が肺炎などで死亡した。理由はボイラーの故障と停電のために入院患者が寒冷な
環境に晒されたためである。このように事例は介護施設でも同様であった。まず、介護士と
ともに介護施設の建屋が被災した。建屋は被災から免れても、ライフラインが途絶している
ために介護業務を遂行することができず機能しなかったところも多い。こうした事情で地震・
津波から避難できたものの、その後の避難所生活で亡くなった人が後を絶たなかったので
ある。政府はこれらを「震災関連死」という言葉で片付け、やむを得ない犠牲だと考えている
ようだが、私はそうは思わない。地震と津波で亡くなるのは天災であるから致し方ないとして
も、避難所に着いて何日かが経過してから犠牲者が出るのは明らかに人災であると考える。
 私は阪神淡路大震災で被災し、避難所での生活も体験した。そこでの経験から言わせて
もらうと、被災地での避難所生活は普通なら3日、長くてもせいぜい1週間が限度である。台
風の襲来に伴う一時的な避難なら2〜3日程度で帰宅できるからそれでも問題はないだろう。
しかし、学校の体育館というもともと暖房施設のない広大な空間に、段ボールの間仕切りと
毛布1枚で雑魚寝をする生活を何週間も何ヶ月も強いるようなことがあってはならないので
ある。今回の震災のように復旧に何ヶ月も何年も要するような大災害である場合は、まず災
害弱者から順に被災地の外に全員搬送すべきである。じつは震災直後から現地では要介
護の高齢者や病人を被災地の外へ搬送して欲しいという要望が出されていた。しかしそれ
がほとんど叶えられることがなく、被災地の避難所に閉じ込めたままであった。だから介護
施設が建物ごと被災しそこの利用者は近隣の学校の体育館に移されたものの、そこでは雑
魚寝で車いすの方々は身動きもできないほど狭いスペースに座らされたままという状態であ
った。我が国では、被災したら被災地の体育館で避難生活というのがなかば「常識」である
かのように受け止められているが、今回の震災で被災地に点在する避難所の有様を見た海
外の報道機関であるBBCの取材陣が「クレイジーだ」と評していた。つまり海外の人の目に
は非常識だと映ったのである。
 避難民を被災地の外へ搬送する際には道路とバスが必要だ。三陸地方を南北に貫く主要
幹線道路は国道45号線である。本震後の津波によって国道45号線は至る所で瓦礫で寸断
されてしまった。しかし、内陸側を南北に貫く国道4号線から国道45号線を結ぶ道路は櫛の
ようにいくつもあるのだ。具体的には北から順に、国道281号(沼宮内〜久慈。内陸側〜三
陸側と表示。以下同じ。)・国道455号(盛岡〜小本)・国道106号(盛岡〜宮古)・国道283
号(花巻〜釜石)・国道107号(鱒沢〜盛)・国道343号(水沢〜陸前高田)・国道284号(一
関〜気仙沼)といったところである。これらの道路でも三陸側に近づくにつれ津波が運んだ瓦
礫が散乱していたが、現場では物資輸送のためにと懸命の除去作業を行なったため、早い
ところでは本震の翌日、遅いところでも5日後には45号線とつながっていたのである。だから
早い段階で救援物資の輸送にこれらの道路が役立ったわけだが、それならば被災地の避難
所に集まった方々を被災地の外、すなわち内陸側に搬送することもできたはずである。被災
地といっても岩手・宮城・福島の全県が壊滅状態になったわけではない。たとえば、岩手県で
いえば盛岡・花巻・北上・一ノ関といった内陸側では鉄道こそ不通ではあったが、ライフライン
には問題はなく震災の翌日以降は日常生活をほぼ不自由なく営める状況であった。たとえ同
じ学校の体育館で避難所生活をしていただくにしても被災していない地域の体育館なら物資
の輸送も迅速かつ容易にできる。だから食糧・衣料・おむつや生理用品など日用品はもちろ
ん、広い体育館を暖房する問題も解決できる。何よりも津波による悪臭から逃れることがで
きるだけでもありがたい。たとえ体育館で病気になっても被災地の外ならすぐに医療機関に
かかることもできる。そして、もともと入退院を繰り返すような方には直ちに空きベッドに入院
していただくこともできる。こんなことはわかりきった話であるのに、政府は避難民を被災地
の避難所に閉じ込めたまま長期の避難所生活を強いている。そのため、被災地で発生した
問題は被災地で解決するしかないという状況をわざわざ作り出している。これほどの愚策は
あるまい。
 阪神淡路大震災では、本震後に着の身着のまま(発生が午前5時46分だったため大部分
が寝間着姿)避難所に集まったものの、寒冷かつ食糧不足という劣悪な環境に置かれたた
め、高齢の方々や病人が少なからず避難所で亡くなった。このことから避難所の環境がその
後の死亡率を変えるという教訓が出た。しかし今回の東日本大震災においても、避難民を被
災地に閉じ込めておくという愚を繰り返したためその教訓が全く生かされなかった。地震国で
ある我が国において被災民を被災地の外へ移送するという発想がなぜ出てこないのか。私
は不思議でならない。

364「東日本大震災の対応と原発事故(7)」(4月22日)**********************************
7.統一地方選挙の強行
 春の訪れもまだ遠い被災地では酷寒の避難所生活を、首都圏では計画停電やガソリンの
販売制限を強いられる中、この時期に民主党を中心とする与党の政治判断で、ある事柄が
敢行された。それは表題に示した統一地方選挙である。これは4年に1度全国一斉に実施
されるものである。偶然2011年がその年に当たっており、3月24日告示で4月10日投開
票という日程で予定されていた。被災地では投票所となる学校の体育館に大勢の被災民が
避難生活をし、街はまだまだ瓦礫の山であった。物理的に選挙そのものが実施できる状況
ではないので、当然のことながら被災地の選挙は延期が閣議決定された。しかし、それ以外
の地域では全ての都道府県で予定通り実施されたのである。それが果たして妥当だったの
か。私は被災地のみならず全国的に延期すべきであったと考える。理由は以下の4点であ
る。
 第1に、時期的に選挙をやっている場合ではないからである。告示日であった24日は本
震発生の3月11日からわずか13日しか経過していない。被災地ではまだまだ津波被害に
よる行方不明者が数多く残されていて、全国から大量の人員を動員して捜索活動を展開し
なければならない時期であった。また、辛うじて津波被害を免れて避難所での生活を始めた
ものの、避難所の劣悪な環境のために亡くなる被災者も毎日のように出ていた時期であっ
た。全国からボランティアが駆けつけたものの交通機関が途絶しているため、広範な被災地
の隅々に支援の手がさしのべられているとは言えない時期であった。まさに党派・会派を超
え国も全地方公共団体も被災地の復興支援に全力を傾倒しなければならない時期であった
ことは言うまでもない。そんな時期に選挙をやっている場合なのかと私は言いたい。選挙を
実施するとなれば当然のことながらボランティアなど選挙運動をする要員も必要である。そん
な人材を集めて選挙活動をするくらいなら被災地へ派遣して復興支援活動に手を貸すべき
ではなかったのか。
 第2に、選挙を行うとなればそのために電力もガソリンも消費するからである。街中に選挙
カーを走らせて候補者の名前を連呼しなければ選挙には勝てない。候補者は駅前など人が
集まる場所へ車で乗りつけて有権者に演説をして回らなければならない。選挙事務所も設け
て関係者や支持者の応対もしなければならない。それだけでも大量のガソリンや電力を消費
するものである。それだけではない。選挙管理委員会は投票所や開票所の設営もしなけれ
ばならない。マスコミも選挙報道をするために特別番組を組むなど臨時の態勢で臨まなけれ
ばならない。何をするにしても平時よりも電力やガソリンを消費するわけである。当時は電力
不足で東日本では計画停電が実施されていたが、東日本では電力のみならずガソリン不足
も深刻な状況になっていた。被災地では津波にのまれて使い物にならなくなったクルマととも
に、ガス欠で乗り捨てられたクルマも少なくなかった。首都圏では朝早くからガソリンスタンド
に開店待ちの車列ができ、そのために普段は全く渋滞しない箇所まで大渋滞になっていた。
国民には節電を呼びかけておきながら、震災復興には何ら寄与しない選挙活動のために電
力やガソリンを消費することが果たして許されるのだろうか。
 第3に、選挙そのものをきちんとした形で実施すべきだからである。統一地方選挙というも
のは、今後4年間の県政のあり方を落ち着いた環境の中でじっくり考え、有権者が候補者を
選択すべきものである。そのためにも各候補者はじっくりと政策議論をすべきであり、それを
報道するメディア各社も選挙報道をきちんとしなければならない。しかし告示の3月24日から
投開票がなされる4月10日にかけては、有権者が落ち着いた環境で選挙に集中できる状況
とは到底言えない日々であった。北海道から静岡県にかけての東日本ではなお震度5前後
の余震も断続的に発生していた。また、福島第一原発の爆発事故による放射能の拡散はと
どまるところを知らないという状況であった。想定もしていない地域で高濃度の放射性物質が
検出され農作物が急遽出荷停止になっていたからである。だから報道機関も選挙報道より
震災報道や原発報道を優先せざるを得ない状況であった。そんな状況の中で今後の県政の
あり方を冷静に考え有権者が候補者を選ぶことができるだろうか。
 第4に、上述の状況で選挙を敢行すれば、国際社会からも批判されかねないからである。
当時、60ヶ国を越える世界の国々が復興支援に駆けつけて下さっていた。ましてや当事国
である日本が官民問わず被災地の復興支援をしなければならないことは言うまでもない。
そんなときに日本では選挙が始まったともなれば、支援に駆けつけた世界各国の国民や政
府はどのように感じるだろうか。
 このように未曾有の震災で国を挙げて復興にあたるべき状況を鑑み、統一地方選挙を全
国的に延期すべきだと主張した政党もあった。みんなの党・たちあがれ日本・日本共産党と
いった野党はもちろんのこと、与党である国民新党さえも選挙の延期を主張していた。しか
し、民主党はそれでも強行したのである。これは妥当な政治判断とは評価できない。少なく
とも首都圏で企業に対する電力制限が実施されていた夏場いっぱいは延期すべきであった。

363「東日本大震災の対応と原発事故(6)」(4月15日)**********************************
6.計画停電
 本震から約25時間後の15時36分に福島第一原発の1号機で爆発があったことは前回
書いた。しかしそれだけではとどまらず、その後3号機でも爆発が起こり、4号機では火災が
発生し、2号機では原子力格納庫にある格納機が破損した。そのため、高濃度の放射性物
質が広範囲に拡散するという事態になった。同原発では原子炉が1号機から6号機まで6機
あった。このうち5号機・6号機の2機が定期点検中で運転停止していたので、震災当時運
転していた1〜4号機のすべてが使用不能になったことになる。そのため、電力供給量が逼
迫し週明けの月曜日となった3月14日から計画停電なるものが開始されたのである。これ
が各方面にわたって多大な影響を及ぼした。今回は計画停電によって生じた問題点を取り
上げる。
 第1に、首都圏に路線網を持つ鉄道各社に対しても東電が電力供給を制限したことであ
る。そのため、首都圏では列車の運休や本数削減を余儀なくされた。特に初日の3月14日
はひどかった。運転していたのは都心部の路線のみで、郊外では終日運休となった区間の
方が多かった。しかも東電は、鉄道への電力供給を制限するために列車の運休が生じるこ
とを事前に国民に告知しなかった。そのため通常通りのダイヤで運転されるものと信じて疑
わなかった多くの通勤客を足止めさせ、各駅で大混乱を招いてしまったのである。また、14
日からしばらくは「計画停電」とは名ばかりで、停電する時間帯や区域が二転三転した。まさ
に「無計画停電」だったわけである。そのため鉄道会社としても停電の区間と時間帯を確定
することができず、結局全線にわたって終日運休という措置をとらざるを得ない事態となった。
このことは特に都心と郊外とを直結していない路線ほどひどかった。たとえば神奈川県の県
央を南北に貫くJR相模線(茅ヶ崎〜橋本)は、計画停電が中止された4月以降になっても終
日運休の日が続き、本震発生から3週間後まで運転再開されなかった。また、運転していた
路線にしても、多くは本数の削減や連結する車両数の削減を強いられた。この削減はJRの
案内では「運転率」という言葉で表現された。すなわち運転率が50%なら本数が通常の半
数に減らされているか、連結する車両数が半分になっているかのいずれかであることを意
味した。このためどの列車も軒並み混雑していた。運転率を落とすにあたっては普通列車を
なるべく削減しない方針にしたため、途中駅を通過する列車が犠牲となった。つまり、特急・
快速(私鉄の場合は快速特急・快速急行・急行・準急も含む)といった列車が走らなくなった
のである。そのため、乗客は多くの区間で所要時間の増加を強いられた。車内の蛍光灯や
駅構内の照明も間引かれたため、場所によっては相当暗くなった。健常者の視力であれば
問題はないが、視覚に障害のある方にとっては危険な状態であった。このような状態が9月
半ばまで続いたのである。しかし、そもそも鉄道は公共交通機関である。鉄道への電力を制
限してしまったら、公共の使命を果たすことさえできなくなってしまう。鉄道への電力供給を制
限することに関しては国にも責任がある。特に、3月14日のように大部分の鉄道を運休にさ
せるような電力供給制限を承認するのならば、首都圏にあるすべての企業を休業にさせ官
公庁も含めて全都県民を休日にする措置を国家で講じるべきであった。すなわち、夏のフラ
ンスで行われているようなバカンスにするのである。フランスではバカンスが始まるとパリ市
民はみんな行楽地に行くのだが、首都圏でも同様にすべきであった。そうすればあのような
大混乱にはならなかったはずである。
 第2に、事前に東電からの詳細な説明が全くなされないまま計画停電が実施されたことで
ある。どこの地域がどのような形で停電するのかも当初は不明瞭であった。東電側では一
応、第1グループから第5グループまで停電する区域を大きく5つの郡に分け、各グループ
の停電スケジュールを告知した。しかし周知が不徹底だったため、当初は自分の居住する
地域がどのグループに属するのかがわからないという人が続出した。また、停電予定時刻
になっても停電しなかったり、逆に停電しない時刻に停電したりした。上述のとおり停電する
区域と時間帯が二転三転したためである。さらに、停電にあたっては個々の事業者や家庭
の実情については全く顧慮されなかった。たとえば自家発電装置をもたない医療機関や介
護施設もある。もっといえば自宅で酸素吸入機を装着している患者さんもいる。このように
病気の治療や介護などで電気を必要としている方々がいるにもかかわらず、事前に何の説
明も相談もなく停電が始まったのである。これはまさしく文字通り死活問題に直結する。計
画停電によって自分の命を絶たれる恐れもあるわけで、そのような方法で計画停電を認可
した政府にも重大な責任があると言わざるを得ない。今回の震災では「想定外」という言葉
がずいぶん聞かれたが、大災害が発生すると電力不足に陥るということは十分に想定でき
る事柄である。したがってそうなった場合の対応も平素から国民にわかる形で周知徹底させ
るべきであった。そして停電を実施する場合は、特に医療・介護など人命にかかわる各機関
や患者・利用者の自宅を停電から回避するために万全の手段を講じなければならない。具
体的には、自家発電装置のない医療機関や介護施設がどこにあるのかを把握すべきであ
る。しかしどこの誰が自宅で医療器具を使用しているのかまでは現実問題として把握できな
いから、各家庭への電力供給を止めることはできない。そこで、まず経済・産業界に協力を
仰ぎ、計画停電実施期間中は操業停止(営業停止)にしてもらうしかない。
 第3に、夜間にも停電が実施されたことである。実際には、たとえば次のような形で計画停
電のスケジュールが公表された。
★第1グループ……6時20分から7時00分の間に開始、終了はその3時間後
★第2グループ……9時20分〜10時00分の間に開始、終了はその3時間後
★第3グループ……12時20分〜13時00分の間に開始、終了はその3時間後
★第4グループ……15時20分〜16時00分の間に開始、終了はその3時間後
★第5グループ……18時20分〜19時00分の間に開始、終了はその3時間後
しかもこれだけでも供給が追いつかない場合は、第1グループは第4グループの時間帯が、
第2グループは第5グループの時間帯がそれぞれ追加されたのである。つまり午前中の時
間帯に停電した地域ではその日の夕方から夜間にかけても停電することになったのである。
昼間に停電するのも不便ではあるが、夜間の停電は陽光の恩恵に与れないぶん昼間以上
に深刻な影響を与える。照明器具が使えないため市民は懐中電灯やろうそくに頼らざるを
得ないからである。特に懐中電灯に必要な乾電池があっという間に売り切れて不足してしま
った。しかも18時20分〜22時といえば夕食から就寝にかけての時間帯である。その時間
帯に家庭への電力を止めることは非常識である。また、街路灯や信号機への電力供給を断
ったことも問題である。夜道は文字通り夜の登山道と同様に月明かりだけが唯一の照明と
なった。これでは交通安全上も防犯上も問題である。さらに、まだ暖房を必要とする季節で
あることを考慮せずに停電を敢行した点も問題である。3月半ばの首都圏は日中でも肌寒
い日が多く、夜間は相当に冷えた。その夜間に停電したため、電気で稼働する暖房器具は
使えなくなってしまった。暖房そのものは石油ストーブで解決するのだが、震度4前後の余
震も続くなか真っ暗な部屋で石油ストーブをつけることは火災予防上も問題である。停電が
解除される時刻になってから、東電はクルマで当該地域にやってきて「ご不便をおかけして
申し訳ございません。」と連呼していたが、謝罪して済む問題ではない。その日の供給量が
75で電気需要が100だった場合、不足分の25は昼間の時間帯で解決すべきである。

362「東日本大震災の対応と原発事故(5)」(4月 8日)**********************************
5.原発事故発生直後の政府の対応
 今回は震災に伴って発生した東京電力株式会社(以下「東電」とする)福島第一原子力発
電所(以下「福島第一原発」とする)の事故、及び事故発生直後の政府の対応について取り
上げる。
 最初に福島第一原発の現場で、本震発生から最初の爆発までに起きた事柄を時系列で
振り返っておきたい。本震の発生時刻は14時46分であった。福島第一原発には1〜6号
機まで6機の原子炉があるのだが、本震の発生と同時刻にまず1号機が、その1分後には
2号機と3号機が自動停止した。施設の近傍にある夜の森線の鉄塔が地震で倒壊したため
に、まず外部電源を喪失してしまった。この時点で「内部電源」と言われる非常用の発電機
に切り替えられ送電が再開された。しかし、15時27分に第1波の津波が到来し、非常用発
電機も水没したため、全交流電源喪失という事態になった。本震発生から2時間14分後の
17時には1号機で炉心が露出しはじめた。発電所所長は消防車による注水を指示したが、
20時には炉心溶融が始まった。核燃料が溶けて原子炉の底に溜まりだしたのである。翌
12日の1時近くになると、1号機の格納容器の内圧が設計耐久圧力を超過していることが
確認された。このままでは壊れた燃料から生じた水素ガスや水蒸気で格納容器内の圧力
が高くなり、最後には爆発してしまう。そこで外部にこれらの気体を排出させる作業が必要
になる。これが「ベント」といわれる作業である。震災翌日未明の福島第一原発では、発電
所所長の指示でベント操作にむけて準備することになった。明け方の5時46分、消防車に
よる1号機への注水作業が始まった。そして朝の9時、ベント操作のための作業員が福島
第一原発に到着した。しかし、全電源が喪失した原子炉建屋の中は当然真っ暗である。作
業員は懐中電灯だけを頼りにこの弁を探すことになったのだが、この作業が難航した。放
射線量が高まり危険だったからである。そのため、弁のある場所まで到達できずに引き返
せざるを得なかった作業員もいた。100ミリシーベルトが放射線被曝の限度だからである。
そのためベント弁を操作できたものの、25%の開度にとどまった。そこで東電は手動での
ベント操作を断念し、1号機の圧力抑制室ベント小弁の遠隔操作を試みた。これが10時
17分とされている。この作業によるベント効果がなかなか確認できなかったが、14時30
分に格納容器の圧力が下がった。そこでベントによって放射性物質が外部に排出されたも
のと判断したが、その1時間後の15時36分に1号機で水素爆発が起こったのであった。
 次に、この間の政府の対応をみてみよう。国民に向けて枝野官房長官が記者会見に臨
んで緊急事態宣言をしたのが19時45分である。21時23分、福島第一原発から半径
3km圏内の住民に避難指示、3〜10km圏内の住民には屋内退避を指示した。翌12日
の0時過ぎには双葉郡大熊町と同郡双葉町で安定ヨウ素剤の準備が完了した。1時30分
に菅首相はベントの実施を了解、3時過ぎに記者会見でベントの実施を発表している。6時
50分に経済産業大臣が法令によるベント実施命令を出した。7時11分に首相は福島第一
原発に到着、現地の状況を視察し必要な指示を出し8時4分に出発した。18時25分、半径
20km圏内の住民にも避難指示を出した。21時、1号機の水素爆発を公式に国民に発表
した。
 問題点は山のようにある。第1に、官房長官の緊急事態宣言がなされるまで全電源喪失
から4時間余り、1号機の炉心の露出から2時間45分も経過していることである。第2に、最
悪の事態に備えて安定ヨウ素剤を速やかに住民に配布しなかったことである。第3に、1号
機の爆発が15時36分なのに事態をきちんとした形で発表したのが5時間以上も遅れたこ
とである。正確には爆発から2時間30分ほど経過した18時に原子力安全保安員が記者会
見したのだが、その時点では事態について何も掌握していないという有様であった。したが
って、爆発の原因もわからず、放射能汚染がどの地域にどの程度なのかも数値をつかんで
いなかったのである。これでは正確な情報を国民に対して的確に知らせたとは評価できない。
第4に、近隣住民への避難指示も場当たり的であったことである。最初は福島第一原発から
半径3km圏内の住民に対する避難指示だった。この時点ではまだ爆発していなかったが、
10km圏内の住民への避難指示が出されたのは1号機の爆発から3時間近くが経過してか
らである。その後、2号機〜4号機も相次いで爆発したため、避難区域や屋内退避区域がど
んどん拡大された。しかも同心円で避難区域を決めていたことが問題である。当日の気象条
件で放射性物質の拡散する範囲とその濃度には、地域間で偏りが出るのが当然である。ど
の地域にどの程度の濃度で拡散するかは技術的に把握することは可能であった。それにも
かわらず、機械的に何km圏内と線引きをして避難指示や屋内退避指示を出していたので
ある。現実には放射性物質が北西方向に拡散した。そのため当初は避難の必要なしとされ
ていた福島県相馬郡飯舘村にも後刻になってから避難指示が出された。これではすべてが
後手後手に回っていると言わざるを得ない。
 このようなお粗末な対応しかとれなかった原因ははっきりしている。それは日本が有数の
地震国であるにもかかわらず、原発事故は絶対に起こらないと政府が信じ込んでいたから
である。1号機の爆発が起きた12日の15時36分の時点では、菅首相は国会内で党首会
談に臨んでいた。日本共産党の志位委員長は記者会見で、「党首会談の席で私が『福島第
一原発はだいじょうぶなのか?』と尋ねたのだが、菅首相は『だいじょうぶです』と返答してい
たが、そのさなかに爆発が起こっていた」とその当時の様子を述べていた。これでは、原発
は安全と宗教のように信じ込み、あの大震災の後も東電に対応を丸投げし、東電からの報
告を待っていたから国民への情報開示も遅れたという3重の罪を犯したと評価されても弁解
できない。ことは原発という国民の生命に関わる問題である。電力会社任せにするのではな
く、事態を政府自らが状況を把握し直接に現場の指揮にあたるべきではなかったのか。現
場では1000ミリシーベルトもの放射線量を東電が測定していたのだから、政府が直ちに情
報を収集し万が一に備えて近隣住民にヨウ素を配布すべきであった。発電の道具に核燃料
という危険な物質を使うことを政府が認可して原発を建設・運転させた以上、最悪の事故が
起きた場合も想定して国民の生命と安全を確保することが政府の責務であることは論を待
たない。まったくもって今回の政府の対応は無責任きわまるものであった。

361「東日本大震災の対応と原発事故(4)」(4月 1日)**********************************
4.公共施設のトイレと道路事情
 本震直後から首都圏で発生した諸問題のうち、今回は鉄道以外に2点取り上げたい。
 第1にトイレ難民を発生させたことである。震災当日の特番では大津波で街が破壊される
映像ばかりが流れたため、このことはほとんど報道されなかったが、首都圏の繁華街では
本震直後からトイレを利用できないことが問題となった。地価が高い大都市では建物が密
集しており、もともと公園が少ない。しかもトイレが設置されている公園は非常に少ない。特
に渋谷や池袋といった都内の繁華街ではなおさらである。買い物や食事を目的に繁華街
へ出かけた場合、最低でも2〜3回はトイレを利用することになるだろうが、多くの人は商業
施設や駅のトイレを利用している。もちろん平時はそれで充分な供給量であるから問題は
ない。だが、震災でどの施設も営業停止となって客が屋外へ追い出されると、今度トイレに
も行けないという事態になったのである。実際には企業の社屋も都市部には数多くあり、そ
の中にはトイレも設置されている。しかし部外者は建物への立ち入り自体を禁じていること
が多いから、社屋内のトイレを勝手に利用したら不法侵入にもなりかねない。そうなるとあ
とは公園ぐらいであるが、トイレの設置された公園は微々たるものでしかないのである。繁
華街でトイレを利用できないことは、特に日中の買い物客の大半を占める女性にとって非常
に深刻な問題となる。男性と違って立小便で済ます(とはいえ、これも軽犯罪に該当する行
為である)わけにはいかないので、わずかしか利用できない女性用トイレには長蛇の列がで
きてしまった。排泄は食欲・性欲・睡眠欲とともに人間の第一次欲求である。大津波で街その
ものが壊滅した被災地ならともかく、首都圏のトイレは少なくとも利用可能な状態だったので
ある。そうであれば特定の公衆便所に長蛇の列ができることのないよう、駅や商業施設のト
イレくらいは開放しておくべきであろう。
 第2に道路の問題である。今回の震災では道路にも設備上の問題点が浮き彫りになった。
それは、車道が何車線もあるような都内の幹線道路でも歩道の幅員が非常に狭いことであ
る。震災当夜になっても多くの鉄道が運休したままなので、勤務時間を終えた従業員がその
まま帰宅難民となり、郊外へ向かう幹線道路を徒歩で帰宅せざるを得ない事態になった。こ
こで、歩車分離式ではない通常の十字路における交差点において、震災当夜の流動実態が
どうであったかを述べておこう。通常の十字路の交差点ではX軸方向とY軸方向とが交互に
青信号となって、それぞれに一定の時間は歩行者や車両が通行できるようになっている。そ
して、最初に歩行者信号が赤になる。次に、直進車両と左折車両の通行可能時間が終わる。
そして右折車両だけが通行できる青信号に切り替わる。しかし歩道の幅員が狭いので、震災
当夜は歩行者が歩道上で数珠つなぎとなり、どこの交差点でも信号が青を現示している間、
(以下、「通行可能時間」と表記する)に歩行者が横断しきれなくなった。そのため、まず交差
点を左折する車両は通行可能時間に一台も左折できなくなってしまった。多くの交差点では
右折専用レーンはあっても左折専用レーンはなく、直進レーンと共用になっている。だから、
左折車両が交差点で立ち往生したことによって後続の直進車両も進めないという結果を招い
てしまった。その後、直進方向が赤現示に変わった後で右折専用の青信号が現示されるが、
それでもなお渡りきれない歩行者が横断歩道を占拠していたため、右折車両の通過もままな
らなくなった。そのため最終的には直進・右左折すべての車両が動けないという事態になった
のである。歩道が狭すぎるあまり、震災当夜は歩道から車道にはみ出して歩く歩行者も大勢
いた。そのため、二輪車も四輪車の左側をすり抜けることもできなくなり、車両渋滞に拍車を
かけてしまったのである。
 こうして路線バスやタクシーも全く機能しなくなってしまった。鉄道が運休したため送迎の自
家用車も含めて本震後に大量のクルマが溢れ出たことも渋滞発生の一因ではあったが、通
常なら20分という至近距離なのに2時間以上もかかったという異常な渋滞は、歩道の幅員に
原因があったといえる。我が国の道路は通過する車両のための設備にしか投資されておらず、
それ以外の設備はじつにお粗末である。まず歩道が狭い。多くの歩道では3人が横並びで歩
く程度の幅員でしかない。また、二輪車専用の走行スペースもなきに等しい道路が多い。たと
え設けられている道路であってもその幅員は非常に狭い。二輪車といっても自転車もあれば
原動機付き自転車もある。さらには排気量750ccのオートバイもある。このように速度の異
なる車両が通行するのであるから、少なくともオートバイが自転車を追い越す空間くらいは確
保すべきであろう。しかし、現実は縦列になって走るのがやっとの空間しかない、ましてや、走
行車線と歩道との間に車両が一時駐車するためのスペース(最低でも幅員2m程度の空間)
にいたっては、ほとんど設置されていない。今回の帰宅難民は鉄道の運休によって生じたこと
は事実だが、道路が機能しなくなったために路線バスやタクシーなどの代替交通機関も麻痺
し、そのひどさを倍加させてしまった。震災時には平時以上に道路が重要な役割を果たす。車
道を充実させ緊急車両が速やかに走行できるようにする設備が必要なのは言うまでもないが、
それだけでは片手落ちである。歩行者や二輪車が安全に通行するための幅員や、一時駐車
するだけのスペース、さらには交差点での歩道橋も充実すべきである。

360「東日本大震災の対応と原発事故(3)」(3月25日)**********************************
3.首都圏の鉄道各社の対応
 今回は、首都圏の鉄道各社の対応を取り上げる。あの日、14時46分の本震とともに首
都圏の鉄道(路面電車・モノレール・新交通システムも含む)各線はすべて運転を中止した。
首都圏を走る鉄道は事業者数で33社、路線数で120を数えるが、そのすべてが一斉に
運転を取りやめたのである。その後、最も早く運転を再開したのは多摩都市モノレール、続
いて都電の荒川線であった。それぞれ16時、17時過ぎから運転を再開した。しかし、その
他の鉄道では駅舎や線路など施設の点検に時間がかかり、運転再開には最低でも数時間
を要した。施設に損傷があったまま運転を再開したら大惨事になる恐れがあるから、点検が
済むまで列車を運休するのは安全上当然の措置であり致し方ない。問題はその後である。
本震から3時間30分余りが経過した18時20分にJR東日本は「当日中の運転再開はしな
い」と発表し、全ての駅でシャッターを下ろして列車のみならず駅構内からも利用者を閉め
出してしまった。被災地から比較的近い茨城県内のみならず、静岡県下を走る伊東線や山
梨県内を貫く中央線も運休にしてしまったのである。私鉄各線や地下鉄では21時過ぎから
翌日未明にかけて運転を再開したものの、駅構内からも閉め出されたJR東日本各線の利
用者までもが殺到して一時は危険な状態になった。そのため、たとえば東京メトロ銀座線で
は夜になってから運転を再開したものの、殺到した乗客数の多さのあまり再度の運転中止
を余儀なくされた。大都市の交通網というのはネットワークである。特定の路線だけが運転
を再開しても全体が動かなければ公共交通機関として機能しないことも、今回の震災で改
めて浮き彫りにされた。
 私鉄各社は可能な限り早い時間に運転再開をすべく全社を挙げて奮闘していた。その理
由のひとつは、過去に行なった沿線での不動産販売が絡んでいたからである。東急電鉄の
田園都市線がその最たるものだが、鉄道会社は開業時に自社の不動産を販売するなどし
て宅地開発を行なったところが多い。 その経緯から「沿線住民を帰宅難民にするわけには
いかない」という思いが強く、それが当日中の運転再開や終夜運転という成果として出たの
である。一方、JR東日本は早々に当日中の運転再開の中止を決定し駅も閉鎖という対照
的な対応をとった。その理由は、次の4点であったといわれる。
 1.仮に施設の点検が済んで輸送に支障はないとわかっても、通常どおりのラッシュ対応
  のダイヤは組めず大混雑が予想される。
 2.車内や駅に長時間待たせた挙げ句に「やはり本日中の運転再開はできない」となった
  ら殺気立った乗客がパニックになる。
 3.運転再開の目処が立たない以上、全列車運休という結論を早々に伝えて他の選択肢
  を選ばせるほうが親切である。
 4.当日中の運転再開をしないのなら、乗客を駅構内で待機させる意味もない。
 この措置に対してJR東日本は社会的非難を浴びた。後日に社長が謝罪する事態になっ
たのだが、私もこれはやはり不適切な措置だったと言わざるを得ない。どの理由も一理あ
るとはいえ、大量の帰宅難民を生み出す原因を作ってしまったからである。岩手・宮城・福
島県の被災地とは異なり、駅舎が倒壊したわけでも車両が脱線したわけでもないのだから、
とりあえず運転再開までの間は最寄り駅で運転中止した列車を留置し車内を乗客に開放し
ておくべきではなかったか。ましてや当日中の運転再開はしないと決めたのならなおさらで
ある。駅に留置した車両がそのまま宿泊所代わりになるからだ。電車には暖房設備もある。
震災当日の首都圏では、昼間は薄曇りだったこともあってそれほど寒くはなかったが、夜に
なってからかなり冷え込んだ。寒空のなか何十kmも幹線道路を歩かせるよりも、暖房設備
のある車内で一夜を明かせたらどれほど負担が軽減されたことだろう。今後は各駅におい
て帰宅難民の一時避難場所となることを想定した準備を進めるという方針を表明したが、列
車を運休させるのであればなおのこと駅や列車など収容力のある施設を総動員して帰宅難
民への対応にあたるべきであった。
 またこれと関連するが、JR東日本とともに多くの商業施設が本震直後から当日中の営業
を打ち切ったことも、買い物客などを帰宅難民に暗転させる結果となってしまった。本震の直
後からしばらくの間は、施設の点検や売り場の整備のために客に一時的に退店していただ
くのはやむを得ない。しかしその後安全上問題がない状況になったら営業再開すべきであっ
た。大規模小売店では売り場面積が何千坪とあるのだから人員の収容力もある。むしろ閉
店時間を通常よりも延長し従業員に残業代を支払ってでも、鉄道の運転再開までの間はお
客様に店内で買い物を楽しんでいただくという営業施策があってもよかった。早々と閉店し
て従業員を早退させたところで、所詮鉄道が運休したままでは従業員も帰宅難民と化すば
かりだからである。

359「東日本大震災の対応と原発事故(2)」(3月18日)**********************************
2.高台への避難手段
 次に、津波を逃れるための避難方法について考察しよう。まず陸上における押し波に対
する基礎知識として次の4点を挙げたい。
1.津波は秒速8mの速さで進む。
2.津波に追いつかれて足下から浸水してもなお避難できる水嵩は身長の5%程度の高さ
 が限度である。
3.津波が地面を浸し始めた時点から10cmの水嵩になるまでの所要時間は15秒程度で
 ある。
4.表面積1平方メートル当たりにかかる水圧は40トンである。
 まず、1であるが、秒速8mは陸上競技の種目である100m走で世界を代表する選手が
出すスピードに匹敵する。したがって、そのスピードを保って100m以上もの距離を逃げ続
けることは100%不可能である。
 次に2であるが、これはプールの中で鬼ごっこをした場合のことを想定するとよい。身長
150cmの人が水深1m程度のプールに入ったら走るどころか早歩きも難しいはずだ。津
波に追いつかれた場合、踝から脛へ、脛から膝へ、膝から腿へと水嵩が増す中を逃げるこ
とになるが、まともに走れるのは身長150cmの人で7〜8cmまでの水嵩が限度となる。
 3は津波の水量があっという間に増えることがよくわかる数値である。津波が到達したば
かりの時点では地面をひたひたと濡らしたような感じでも、1分で40cm、5分で2mの水嵩
に達するということである。
 4は津波の破壊力を示す数字である。生後まもない赤ちゃんでも身長で50cm程度はあ
るので、体表の面積は1平方メートルをゆうに超えている。そこへ40トンもの水圧で押され
たら波に乗って泳ぐことなど到底不可能である。
 あの日、高い津波が観測された市町村では住民に防災無線で「直ちに高い場所へ歩い
て避難して下さい」と呼びかけていた。「クルマ」ではなく徒歩での避難を勧めていた。これ
が適切であったのだろうか。そこでまず、徒歩・クルマのそれぞれで避難する際のメリットを
考えてみよう。
【徒歩で避難する利点】
A.小回りが利く。階段や山の斜面などクルマが進入できない場所へも通行可能だ
B.梯子など適切なものがあれば垂直に登って一気に高度を稼ぐことができる。
C.視界が広い。
D.周囲の音を聞きとりやすい。
E.声で他者とコミュニケーションをとることができる。
【クルマで避難する利点】
a.徒歩よりも迅速に移動できる。
b.夜間、雨・雪・強風などの荒天時でも安全に移動できる。
c.家族一緒に移動できる。
d.避難先でもクルマが自宅代わりになり宿泊できる。
e.非常食や衣類など避難先で必要となる物品を積み込むことができる。
 当日は穏やかな天候でしかも昼間だったから、上記に挙げた利点のうちbは関係ない。ク
ルマでの避難を選択した人が最も重視した理由はaとcだったと言われている。過疎地で渋
滞など考えられないから、クルマなら10分も要さずに高台へ行けるであろう。家族みんなで
乗りこんだらもう安心だと考えたのも無理はない。しかし、あの日は違っていた。途中で大渋
滞にはまって動けなくなったのである。平野部なら何本も道路があるが、高台へ行ける道路
は限られている。その限られた道路にすべての車両が殺到したのだから、冷静に考えれば
渋滞するのは自明である。それでも、『渋滞は一時的なものでそのうちすいすい走れるだろ
う』と考え、クルマから離れなかった人が少なくなかった。そこへ津波が襲来したのである。し
かしクルマの中にいるから津波が接近しても音を聞き取ることが難しい。それと気づいたころ
にはもう手遅れなのである。タイヤの半分の高さまで水嵩が上がると車両そのものが水に浮
き上がってしまう。だから一切の運転操作ができなくなるのである。ドライバーがパニックに陥
ると同時に、今度は車内にも浸水し始める。そのころには車体にも相当な水圧がかかってい
るからドアを開けて車外へ脱出することも困難である。東日本大震災では犠牲者の90%が
水死という検死結果であったのだが、その中には避難途中の車内に閉じ込められたまま亡く
なった方もいた。そしてその多くは同乗した家族もろとも亡くなっている。
 このような結果をみるとクルマを選択したことを非難する人もいるだろう。しかし上記のA〜E
の利点、中でも特にAとBに関しては「健康でかつ十分な身体能力の備わった人」という条件
があって初めて生かせる事柄である。しかし現実はどうか。五体満足であっても体力のない方
がいる。視聴覚の不自由な方もいる。車椅子の方もいる。そして高齢者も乳幼児もいる。いわ
ゆる「交通弱者」「移動困難者」と言われる人々が相当数いるのだ。ましてや過疎化が進んだ
地方では集落に居住する全住民に占めるこれらの人々の割合は高い。自力で迅速な避難が
できない以上、クルマに頼るしかないのである。
 津波が来ても安全な高台に集落ごと移転すれば根本的な解決になる。しかし地形や産業の
事情で不可能なことが多いうえ、我が国では北海道から沖縄県まで至る所で沿岸部に集落が
ある。そこで次善の策としてバスを利用した高台避難を提案したい。まず、各市町村は自力で
迅速な避難ができない人の氏名とその人の居住地を把握する。そして事前に小型のバスを購
入しこれを沿岸の地域に待機させておく。避難を要する津波が襲来する恐れがある場合は、そ
の人の家に横付けして乗せていくのだ。海に最も近くに居住する人から順に内陸側に向けて
運行するのが良いだろう。しかし健常な人がマイカーで避難すれば、やはり渋滞を招いて肝心
のバスも動けなくなる。だから条例でマイカーでの避難を禁止せざるを得ない。その代わりに
バス停まで歩くことのできる健常者向けにも非常時のバス路線網を整備しておくのが良い。市
町村はそのためのバス停も設置し、非常時は民間からも遊んでいるバスを借り上げて走らせ
る。住民には避難用のバスが来ることを周知徹底させ、年に1度はこのバスを使って高台への
避難訓練も実施する。私がバスを提案した理由は一度に数十人を運べるからである。そのぶ
ん道路を通過する車両を減らせることができ、渋滞を未然に防止できる利点がある。震災から
1年が経過した今は、行ける場所までマイカーで移動し渋滞に遭遇して進めなくなったらクルマ
を乗り捨てて徒歩に切り替える案が出されている。しかし、それでは徒歩での避難が困難な人
が犠牲になる。尊い生命を一人たりとも失わないようにするには、全員を確実に高台へ移送で
きるようなシステムを制度化して非常時の態勢をつくることだ。

358「東日本大震災の対応と原発事故(1)」(2012年3月11日)**************************
 1年前の今日、午後2時46分に宮城県沖を震源とする東日本大震災が発生した。改めて
犠牲となられた方々に心から哀悼の意を表するとともに、ボランティアや自衛隊員など被災
地で尽力されている方々に敬意を表したい。しかし現場で奮闘されている方々とは裏腹に、
特に政府・東京電力・マスコミの対応は問題だらけであった。震災から1年が経過した今、当
時の関係各機関の対応をふりかえるとともに、地震国である我が国の原発に対する施策に
対して問題点を洗いざらい語っておきたい。
1.津波情報と避難指示
 「大震災」というと、まず建造物の大半が全壊するような街並みを想像するのではないだろ
うか。現に97年1月17日未明に発生した阪神淡路大震災では、大部分の建造物が半壊以
上の損傷を受けていた。あのときは私自身が被災し被災地の惨状をまざまざと見せつけら
れたので強く印象に残っているのだが、およそまともな姿で残っている建造物をさがすのが
苦労するほどであった。そのせいで、あの震災では犠牲者の90%が圧死という検死結果で
あった。都市型直下型地震であったために地震とともに建屋が倒壊し、その下敷きになった
まま救助されずに亡くなったのである。しかし、今回の東日本大震災では地震の揺れそのも
のによる被害は大したことはなかった。震度6〜7もあったのだから激しく揺れたことは間違
いないのだが、地震発生直後から津波が到来するまでに映し出された市街地を見る限り、阪
神淡路大震災に匹敵するほどの惨状は全く見受けられなかった。もちろん倒壊した家屋がな
かったわけではないのだが、その数はわずかだった。そのおかげで圧死した人も非常に少な
かったのである。ここが阪神淡路大震災とは決定的に異なる点である。つまり地震による揺
れがおさまった時点では大部分の人が無事だったのである。
 その街が見る影もないほど一変したのは津波が襲来したからである。宮古・釜石・大船渡・
気仙沼などでは、防波堤を越えた津波が一気に街の中に流れ込んだ。このときの津波によ
る威力は人間が想像できないほどすさまじい。計測結果によると押し波の場合は1平方メー
トル当たり40トンもの水圧がかかると言われている。そのために人はもちろんのこと、車両・
船舶・木造の建造物はなす術もなく流されてしまった。大地震にもかかわらず犠牲者の90%
が水死という検死結果となったのは、津波による被害を受けたからである。では地震の揺れ
では助かった命なのになぜ津波が襲来する前に高台に避難できなかったのか。これが第1
の問題点だ。ほとんどの場所では地震発生から30分程度が経過してから津波が襲来して
いる。最も早いところでも15分が経過してからであった。逆に言えばそれだけの猶予があっ
たことになる。しかも発生した時刻は平日の昼下がりだったから、大部分の人は起きていた。
もちろん戸外は十分に明るい。夜間の就寝中に発生した地震とは比べものにならないほど
安全に避難できる条件が揃っていた。だから揺れがおさまった直後から避難を開始していれ
ば、あれほどの犠牲者にはならなかったはずである。しかし、現実には発生直後から避難を
始めた人は少なかった。その理由は3つある。
 第一は、全ての地域で地震発生直後から防災無線によって津波情報が流されて避難指示
が出されたわけではなかったからである。防災無線の放送が流された時点ではもう津波が
湾口の防波堤を越えていた地域もあった。つまり情報の発信が遅れたために住民の避難を
遅らせる結果となったのである。第二は、防災無線で避難指示が出されているにもかかわら
ず避難しなかった人もいたからである。このことを「それは避難しない人が悪い」と一蹴しては
ならない。被災地の中には津波の波高について誤った情報が流されていた地域もあったから
である。無事に避難できた方からのインタビューを聞いて浮かび上がったことは、実際に襲来
した津波は防災無線で発表された波高よりはるかに高かったという事実である。現実には6
mを越えていたのに防災無線では2〜3mという発表だったというのである。そのため「津波
が来てもたいしたことはない」「うちは海から遠いからここまで来ることはない」という誤った認
識を生じさせてしまったことは否めない。第三に、頑丈な防潮堤や防波堤をあてにしていた面
があったことである。たとえば08年に完成した岩手県釜石市の防波堤は最大水深63mの海
底から築造したものである。10年には世界最大水深の防波堤として認定されギネスブックに
載っていた。この防波堤は北堤・南堤の2本から構成され、5.6mの津波にも対応できる能
力を有していた。しかし今回はそれ以上の高さとなったために北堤・南堤とも決壊してしまった。
これと似たような防波堤・防潮堤・水門が被災地の各地にあるのだが、それがあることを理由
に「うちの街は安全だ」という意識が住民の間に形成されていた点は否めない。そのためにあ
れだけの揺れにもかかわらず、その後に襲来するであろう津波に対して危機意識をもたなか
った人がいたのである。
 そこで今後の教訓として次の3点を挙げたい。第一の点に関しては、震源が海底であると
わかった時点で津波観測の有無にかかわらず、市町村はただちに防災無線で避難指示を
出すことである。被災地では震度6〜7という非常に強い揺れを観測したのだから、海底が
震源地なら津波が来るのは必然である。そして津波が来てから避難したのでは到底間に合
わないことも過去の津波の例でわかりきっている。だから、正確な波高を観測できなくても避
難指示だけは出すべきであった。その結果として避難を要するほどの津波が来なかったとい
う場合もあるかもしれない。しかし避難指示が遅れたために尊い命が奪われることほど悔や
まれるものはない。第二の点に関しては、沖合で観測された津波の波高をそのまま発表して
はならないということである。岩手県・宮城県の沿岸はリアス式海岸となっているところが多い。
海岸線が複雑に入り組んでいて湾口から奥へ行くほど海はV字型になり狭くなっている。その
ため、沖合ではたいしたことのない波高であっても、湾内に入ると一気に高さを増し甚大な被
害をもたらしたのであった。今回の津波では遡上高で38mにも達した地域があったが、それ
はこうした地形がもたらしたものであった。このことからも、各沿岸部では沖合での波高が湾
内・湾奥ではどうなるかを日頃からシミュレーションしておくべきである。そして津波を観測した
場合はそのシミュレーションで出された値を防災無線で発表するのである。そうしないと危機
感も広がらないし迅速に避難しようという空気も生まれない。第三の点に関しては、防波堤や
水門を築造することは大切だが、それがあるからといって安全だという意識を醸成しないこと
である。特に原発と同様な安全神話を行政がアピールしてはならない。むしろ、どんな立派な
建造物があっても自然の持つ破壊力は人知を越えたものであるという認識に立ち、地域住民
に防災教育をする必要があろう。

357「数学の神奈川県公立高校入試問題を見て」(2月20日)*****************************
 今年も神奈川県では公立高校の入学試験が行われた。面接と調査書を主たる合否判定
資料とする前期選抜が1月24日に、学力検査を課す後期選抜が2月17日に、それぞれ行
われた。下記の問題は、その後期選抜で出題された数学の問題の一部である。

問6 右の図は円すいの展開図であり、側面となるおうぎ形
   OABは半径がOA=6cmで、中心角が∠AOB=120°
   である。
    また、点Cは上の点で、であり、点Dは線
   分OCの中点である。
    このとき、この展開図を組み立ててできる円すいについ
   て、次の問いに答えなさい。ただし、円周率はπとする。
  (ア)この円すいの表面積を求めなさい。
  (イ)この円すいにおいて、2点A,D間の距離を求めなさい。

 まず(ア)について、私は次のように考えてみた。
1.OA=6(cm)であるから、扇の面積は、6×6×π×120/360 で、12π(cm2
2.OA=6(cm)であるから、弧ABの長さは、2×6×π×120/360 で、4π(cm)
3.したがって、円錐の底面となる円の円周は、4π(cm)になる。
4.円周4π(cm)の円の直径は、2(cm)だから、円の面積は、2×2×π で、4π(cm2
5.これで、表面積は、12π+4π=16π(cm2) となる。

 たぶん受検した中学生も同様に考えて表面積を求めたものと思われる。展開図から円錐
の表面積を求める設問だから比較的難易度の低い問題であるが、1点だけこの設問にお
ける難しさがある。
 上記の4の計算により、円錐の底面となる円の面積と円周とが同じ値になるからだ。これ
は自然数において和も積も同じ値になる唯一の数が2であるという事実を巧妙に利用して
いる。この問6ではOA=6cm、中心角∠AOB=120°という条件にして、わざわざ底面
となる円の半径が2cmになるように作られているのである。だから円周も円の面積も数字
の部分は4になってしまう。私は上記3と上記4で一瞬「?」と思った。たぶん受検した生徒
も計算の過程でそう感じたのではないだろうか。ましてや設問の(イ)に関しては考え方の
糸口すら見いだせず、私には全くわからなかった。

(塾長補足: 円錐を鉛直方向に切断したものが左図となります。

  左図において、三平方の定理より、OO’=4なので、DH=2

 よって、三平方の定理より、 AD2=(2+1)2+(22=17 なので、

  AD= となります。)



 私は毎年全ての教科の設問に目を通している。他教科の学力検査問題は例年難易度が
不変に感じられるが、数学の問題だけはなぜか年々難しくなっているような印象がある。今
年の出題をみると、上記の他にも次のような問題があった。

問2(オ) 右の図のような四角形ABCDがあり、
      対角線ACとBDの交点をEとする。
      ∠ABD=32°、∠ACB=43°、
      ∠BDC=68°、∠BEC=100°のとき、
      ∠CADの大きさを求めなさい。

 交点Eについて∠BEC=100°であるから、当然∠AEDも100°になる。したがって、
∠AEB=∠CED=80°になる。
 そこから∠BAE=68°、∠DCE=32°、∠EBC=37°と、かなりの部分の角度を求
めることができる。それだけに一見簡単に見えそうだが、肝心の三角形ADEに関しては、
∠AED=100°としかわからず、他の2つの角度はわからない。四角形ABCDでみても
∠B=69°、∠C=75°とわかるだけで、∠Aと∠Dに関してはわからない。配点を見る
と、問6は(ア)(イ)とも各3点であるのに対し、この設問は2点である。ということは、問6よ
りも難易度が低いということなのだろう。しかし私にはそうは感じられなかった。将棋の棋士
のように長い時間を費やしてじっくり考えればわかるのだろうが、少なくとも50分という限ら
れた試験時間内で他の設問にも解答する時間を考慮すると、短時間で正解するには厳し
いものがある。

    (塾長補足: この設問では、∠CBE=37°から∠BAC=68°を求める手順が肝要です。
            このとき、∠BDCも68°であることに気がつくと、円周角の定理の逆により、
            4点A、B、C、Dは同一円周上にあることが分かります。よって、円周角の定理
            により、∠CAD=∠CBD=37°になります。図形問題の練習をやっていれば
            必ず目にする問題だと思います。)

 設問が難しく感じられる一方で、問題文の表記に関しては一言したいことがある。それは
問6の問題文を見ると「円錐」が「円すい」、「扇」が「おうぎ」とひらがなで表記されていること
だ。「錐」はともかく、「扇」は中学で学習する常用漢字939字に含まれている。学習指導要
領における学年配当は特に指定されていないとはいえ、後期選抜試験がなされた2月17
日の時点では学習済みのはすで、ひらがなで表記しなければならない特段の事由は見当
たらない。問5でもそうだ。問題文の一部を抜粋すると次のようになっている。

1辺が1cmの白い立方体がたくさんある。これらの立方体をすき間なく2段に積み上げて
並べ、縦 n cm、横 (n+1) cm、高さ2cmの直方体をつくり、その側面を黒くぬる。

 ここでは「作る」「塗る」がひらがなで表記されている。「塗」は中学で学習する939字の一
つだ。「作」に至っては小学校2年に配当されている教育漢字である。現に他教科の設問文
や国語で引用された問題文中には、「扇」以外の中学で学習すべき漢字(小学校とは異な
り、学年配当は特に明記されていない)が、ひらがな表記に直されることもなく普通に使わ
れている。今年の問題でも、社会では「劾」「罷」が「弾劾」「罷免」といった熟語で登場してい
る。それどころか理科では「堆」が「堆積」という熟語で表記されている。もちろんルビが付さ
れていたが、「堆」は中学で学習する939字には含まれていない漢字である。それならば、
「円錐」もルビを付して漢字表記としたところで差し支えあるまい。ましてや「扇」や「塗る」な
どをひらがなで表記するのは釈然としない。生徒の語彙力や漢字の読み書き能力を考えた
とき、義務教育期間中に学習する1945の漢字はすべて漢字で出すべきであろう。そうでな
い漢字でも「堆積」のように教科書に登場する学習事項については、ルビを付すことを条件
に漢字表記として良いと思う。そうすることで間接的ながらも語彙力や漢字を読む力を高め
ることができる。各教科とも問題文に使う漢字についてはこういう点にもご配慮をいただきた
いものである。

    (塾長コメント: 入試問題なので、万人が読み間違いや意味の取り違いがないように平易な文
             体を使うように配慮しているのだと思います。漢字で表せるところは必ず漢字を
             使うという発想は、私の経験から作問者にはないと思います。)

     菅ちゃんからの返信です.....
       ひらがなでの表記に関して「読み間違いや意味の取り違いがないように平易な
     文体を使う」を理由に挙げられています。確かに漢字で表記すると読み間違いが
     起こる場合があります。たとえば「開く」がその典型です。これだと「あく」とも「ひら
     く」とも読めます。その理由はどちらもカ行五段活用動詞で活用語尾が「く」になる
     ためです。同様に「行って」と書くと「いって」とも「おこなって」とも読めます。その結
     果意味の取り違いが生じるわけですが、こういう例はごく一部の語に限られます。
     なぜなら、そもそも漢字は表音文字ではなく表意文字であるからです。一字一字に
     意味が表されていますから、漢字で表記すれば意味の取り違いが起こりにくくなり
     ます。むしろひらがなで書く方が危険です。ですから、数学の問題文において義務
     教育期間中に学習する漢字をひらがなで書く理由にはなりませんし、今回私が取り
     上げた「おうぎ」「つくる」「ぬる」は漢字で表記したところで読み間違いや意味の取り
     違いはないと思われます。したがって、もしひらがなで表記する理由があるとすれば、
     それは別の理由ではないでしょうか。

356「訪れてみたい駅」(2月13日)***************************************************
 ホームから望める風景の素晴しさを誇る駅は全国にいくつかある。ただ、その多くは海に
面しているものが多い。日本は島国なので海岸沿いに線路が敷かれ、わずかな平地に集
落があって、駅が設けられるというパターンが多いからだ。中には波しぶきもかぶるほど波
打ち際にホームのある駅もある。ホームから大海原を一望できる景色もまた格別であるが、
それとは別にこの時期にぜひ訪れてみたいお勧めの駅がある。それはJR篠ノ井線の姨捨
(「おばすて」と読む)である。所在地は長野県千曲市(03年の市町村合併前は長野県更埴
市)にあり、列車で行く場合は長野あるいは松本から篠ノ井線の普通列車を利用する。関西・
中京圏なら名古屋から中央本線の特急で松本へ出るのが良い。首都圏からなら、長野新幹
線で1時間40分程度で長野へ出られるが、八王子からなら中央本線の特急で松本へ出る
方が早い。姨捨は松本から40分、長野から30分程度で着く。
 ここは標高551mと鉄道の駅にしては比較的高い場所にある。眼下には千曲川の流れる
善光寺平が北東方向にひらけており、その向こうには菅平や志賀高原の山々を見渡すこと
ができる。ホームには他の駅と同様にベンチが設置されているのだが、列車の進入する線
路の方とは反対側に向いて座るようになっている。つまりこの雄大な景色を見て列車の到着
を待って下さいというわけだ。さらに、ホームには投句箱が設置されている。ここから望む景
色に対する感動を歌に詠んで箱に入れるようになっているのだ。そんな投句箱まで置かれて
いるのは、つまりそれだけ感動的な風景が展開しているからこそだ。善光寺平の景色は四季
を通じて楽しむことができるが、姨捨を訪れるのに最も良いのはこの時期である。なんといっ
ても空気が澄んでいるので遠くの山々まで見渡せること、冠雪して真っ白になった山々を望め
るからである。ただし、ここは長野県なので冬は雪の降る日もそれなりにある。せっかく訪れ
たのに吹雪で視界が全く利かないということもないわけではない。首都圏からも関西・中京圏
からでも日帰りができる駅なので、現地の気象情報に注意して雪晴れの日を狙って訪れるの
が良いと思う。

    (塾長コメント: 旅行というと専ら車利用である。家族の荷物もたくさんあるので電車利用は辛い
             し、自由自在に行きたいところに行けるから。今まで北は岩手、南は山口、徳島ま
             で車で出かけた。お昼に越前海岸で越前蟹を食べて700kmノンストップで自宅
             に帰ったこともある。そういう旅行スタイルなので、「訪れてみたい駅」と問われる
             と非常に難しい。)

355「八百長相撲は角界の体質的問題だ」(2月 7日)***********************************
 昨年の角界は賭博行為による不祥事で名古屋場所の開催が危ぶまれた。現役の大関で
あった琴光喜が解雇処分されるなど、角界を揺るがす事態となった。その重大さを受けて問
題の名古屋場所は開催されたもののNHKの放映が中止された。警視庁がこの野球賭博事
件を捜査する過程で、力士らが交わした携帯電話のメールに八百長相撲が行われていたこ
とを疑わせる文言が発覚した。いわば野球賭博事件の捜査の副産物として偶発的に露顕し
たものであったが、その八百長に関与していたと疑われ実名が挙げられた力士は13人にも
及んでいる。問題のメールには立ちあいから勝負の決まり手に至るまで、両力士の動きがす
べて事前に打ち合わせていたというもので、実際にはその打ち合わせ通りに両者が動いて
勝負が決まったものが多いという。さらにメールでは単に八百長の打ち合わせのみならず、
勝ち星をいくらで売買するかという内容まで含まれていた。金額は1つの取組に対して十万
単位である。このように取組の勝敗が金銭の授受にまで発展しているのは、個々の力士に
も生活がかかっており、番付の昇降が収入の増減に直結している現実がその背景にあるか
らだ。八百長行為そのものは現行の法律では犯罪とは規定されていない。しかしスポーツの
精神とは何かという根源的な在り方をも揺るがす大問題である。土俵の中での背信行為とい
う点では犯罪である賭博以上に重大だ。何よりも高い金を支払って真剣勝負を見に来ている
客に対して失礼きわまりないことは言うまでもない。福祉大相撲や春場所も含めてその後の
興業の中止は当然であろう。
 ただ、八百長相撲は今回が初めてではないことを指摘したい。むしろ過去からずっと連綿と
なされてきたのではないかと私は考える。現に「昔から星の売買はあった。相撲なんてそんな
ものだ」と冷めた見方をする向きもあるくらいだ。そして、過去にも八百長疑惑がたびたび浮
上してきた。週刊誌が疑惑を報じたり裁判で争われたりもした。中でも板井という力士が現役
引退後に八百長が行われていることをマスコミに公表した。他にも八百長を認める証言をし
た者もいて世間に大きな衝撃を与えた。それ以外にも昨今では朝青龍に至るまで八百長疑
惑は後を絶たなかった。しかし決定的な物的証拠がないこともあって協会はひたすら八百長
を否定し続けてきた。疑わしきは罰せずというわけである。しかし今回は電子メールという動
かぬ証拠が明るみに出てしまった。さすがの協会もついに八百長を認めざるを得なくなった
わけである。八百長が過去にも行われていたことは、これまでに行われてきた取組の勝敗
を分析することで、ある一定の傾向が出てくることからも明らかであろう。その膨大な取組を
分析したのが、アメリカのシカゴ大学スティーヴン・D・レヴィット教授である。氏はジャーナリ
ストのスティーヴン・J・タブナー氏との共著で06年に『ヤバい経済学』を東洋経済新報社か
ら出版した。その著書の第1章では大相撲の八百長問題が取り上げられている。氏は89年
の初場所から01年の初場所までにおける上位力士281人による本場所の取り組み3万2
千番から、14日目終了時点で7勝7敗の力士(以下力士Aとする)と同じく8勝6敗の力士(以
下力士Bとする)とが、千秋楽に対戦した場合とそれ以外の日に対戦した場合との勝率をは
じき出したのである。千秋楽での取組が行われる以前における対戦成績では力士Aが48.6
%の勝率であり、力士Bのそれと比較してわずかに下回っている。ところが、千秋楽での対戦
となると力士Aの勝率は79.6%と大幅に跳ね上がるのである。しかし翌場所において(どち
らも7勝7敗ではない場合)は力士Aの勝率は40%と大きく落ち込み、翌々場所では50%に
なるというのである。これだけなら千秋楽に勝ち越しをかける力士Aの高いモチベーションの
現れだとも解釈できる。しかし、そうとは即断できないことが次のデータで明かされている。あ
る場所中ないし場所前において、日本のマスコミで八百長報道がなされた直後の千秋楽に限
ってみると、力士Aの勝率は通常の79.6%から50%に落ち込むという点である。これらの数
字から氏は「相撲に八百長なんかないとはとても言い張れない」と結論付けている。真剣勝負
で50%程度の勝率にしかならないものが千秋楽に勝ち越しをかける一番に限って約80%に
も跳ね上がるということこそ、当該力士間で何らかの取引きが行われてきた証拠であるという
わけである。
 今回の疑惑を受けて、協会は実名の挙がった13人の力士に対する事情聴取を始めた。預
金通帳や携帯電話の提出も求めている。さらには13人の力士のみならず全協会員に対して
八百長の関与の有無を調査している。しかしそれで本人があっさり認めるとは思えない。認め
なければ角界に残ることができるが認めると解雇されるという状況では、たとえ八百長をやっ
ていたとしても真実を語らないだろうことは明白だからだ。今回はたまたま携帯電話の電子メ
ールという物的な証拠が出た。しかし同じ携帯電話でも八百長の打ち合わせが通話でなされ
ていたら証拠にはできない。なぜなら通話記録というものは誰が誰と何分通話したというデー
タが記録されたものに過ぎず、会話の一言一句まで記録されるわけではないからだ。金銭の
授受にしてもそうである。八百長の謝礼が現金で支払われていたら、預金通帳をいくら調べ
ても無意味である。仮に何らかの物証が今後明るみに出て13人の何人かが処罰されたとし
ても、それで角界は潔白になったと豪語できる問題ではないだろう。なぜなら上述のスティー
ヴン・D・レヴィット教授が分析対象としたのが89年から01年にかけての12年間に上位に番
付があった281人であるからだ。これらの力士の多くは引退ないしは廃業しているし、上位力
士ゆえに今も協会役員として残っている人が少なくない。中には親方として力士の身柄を預か
り指導・保護監督責任を負う立場の人もいる。もっといえば協会の理事に就任している人もい
る。協会は今度の事件で「八百長に対しては厳正に対応する」との声明を出した。だが現在の
協会役員が現役時代に八百長をしていたことが明るみに出たら、今回名前の挙がった13人
を指導・処分する資格はないのではあるまいか。八百長問題は角界の体質的な問題であり、
土俵の外で一部の人が関与した野球賭博とは比べ物にならない、根の深いものである。

354「空間は公共物という意識を育てよう」(1月31日)***********************************
 九州地方に住んでいらっしゃる方なら見覚えがあるかと思うが、JR九州の通勤形車両の
客用扉の部分にはこの地方でしか見られないシールが貼られている。他社はドアの開閉時
に指を挟まないようにとの注意を促す小型のシールが窓ガラスの部分に貼られているだけ
である。しかし、JR九州の車両にはそれとは別に窓ガラスの下部に、この部分での座り込
みを禁止することを喚起したシールが貼られているのだ。貼られるようになったのは数年前
からだ。その当時に私は九州のローカル線を旅行したのだが、「他社にはないシールだな」
と感じた記憶がある。それから年を追うごとに客用扉にこのシールが貼られた車両はどんど
ん増え、今や九州各地に広まった。それも小倉や博多といった大都市を走る車両だけでな
い。およそ通勤通学ラッシュといえるほどの混雑もなさそうなローカル線を走る車両にも貼ら
れているのである。あまりにもそのシールが気になったので、私は旅行中に利用した列車の
乗務員に尋ねてみたことがある。するとこんな答えが返ってきた。「最近の中学生や高校生
は自分の近くに他人が腰を下ろすのをひどく嫌がる風潮がある。そのため空いている座席
があっても、既に誰かが座っているともうそこへは座ろうともしない。そしてドア部分の床面
にそのまましゃがんだりあぐらをかいたりする。列車が駅に着いてドアが開いても、彼らはそ
こから立ち退こうともしない。そのため他の乗客の乗り降りにも支障をきたすようになって、
利用者から改善を促すようクレームが出た」と。
 じつに困った現象である。私はこれを聞いたとき、個室が当たり前になった日本の家屋構
造とクルマ社会の弊害ではないか推察した。夫婦共働きが当たり前になって家族団欒の時
間が少なくなったと言われて久しい。しかし、それは親が勤務する職場の就業時間や曜日が
不規則になったり遅くなったりしたため、子どもと夕食や休日を共にすることができなくなった
という理由だけではない。子どもには子ども部屋が与えられているため、家族のみんなが帰
宅していてもそれぞれの部屋に閉じこもってしまうことこそ最大の原因である。特に子ども部
屋については、昔なら同性の兄弟姉妹なら同じ部屋を与えられ、夜は二段ベッドで寝るのが
普通だった。しかし今は違う。少子化のみならず所得の上昇に伴う住宅水準の向上もあい
まって、同性でも個別に部屋を設ける家庭が少なくない。最近では夫婦間でも部屋を別々に
している家庭があるくらいだから、ますます個室化の傾向が進んでいる。家族という最小の
共同単位で生活を共にすることさえなくなった現状では、「パパは臭いから一緒に居たくない」
と言いだす娘が増えても不思議ではあるまい。
 家族ですらそういう有様であるから、ましてや血もつながっていない見ず知らずの他人に対
して一定の距離を置くようになるのは必至である。しかも地方ほど公共交通機関が不充分で
あるからどこへ行くにもマイカーとなる。このマイカーというのはいわば「動く自室」と私は考え
ている。家の自分の部屋に4つのタイヤがついてどこへでも移動できる空間という意味だ。自
分の部屋であるからマイカーの車内も当然プライベートが保たれた空間となる。それを目的
地である施設の駐車場まで走らせるわけだから、車内では誰にも邪魔されずに過ごすことが
できる。ところが電車通学となるとそうはいかない。仲の良い友人も乗っているだろうが、同じ
学校の他の生徒も乗っている。さらには他校の生徒も乗っているし、その他不特定多数の老
若男女も利用している。車内でもホームでも公共の場であるからには、みんなが譲り合って
利用しなければならない。しかし幼少期から親のマイカーで移動してきた彼らはそういう空間
に身を置くことには慣れていない。だから自分のすぐ隣に他人が座ることを嫌うのである。そ
こで座席に座っても隣に鞄を置いて他人に座らせないようにする。逆に先客が座っている場
合は自分は座らず離れた場所を求めようとする。それがドア部分の床面なのである。さきほ
どの乗務員の話では、あのシールの貼付でドア部分の床面に座る光景はかなり減ったそう
だ。しかし彼らはドア部分に立つようになっただけで、当局の期待する「車内の奥へ入り座席
を詰め合わせて座る」という行動には至らないという。
 問題はやはり他人との空間的距離を確保しようとする行動にある。座席に座っても隣に鞄
を置いて他人に座らせないようにするのも、車両の連結部分やドア付近など他人が近寄らな
い場所に座りたがるのも、背景には自分の空間を狭められたくない心理があるからだ。この
心理は本能的欲求に等しいものがある。例えると「座席は詰め合わせて座れ」というのは彼
らにとっては「呼吸をするな」と言われているようなものだ。だから単に乗車マナーを良くする
よう啓発しても効果がないのである。そこで、まずは家族と共同生活をする習慣をつけること
から始めるしかあるまい。極端な話だが、4人家族で6畳間を4部屋設けるくらいなら、いっそ
のこと24畳の部屋1間にして4人が共有したほうが良いだろう。次に家族で電車やバスを利
用することだが、その際にわざと離れた場所に座る(ないしは立つ)。当然自分の周囲に見ず
知らずの他人が座ったり立ったりする。そうすることで自分だけの乗り物ではなくみんなが利
用するものであること、他人と相席になるのが当たり前だという事実を教える。そのようにし
て空間というものはみんなが共有する、いわば「公共の物」であるという意識を持たせる。そ
こから手をつけないとこの悪習はなくすことができない。

353「東北新幹線の全線開業に思う」(1月24日)***************************************
 先月、東北新幹線の八戸〜新青森が開業した。これをもって、東北新幹線は82年6月の
部分開業から28年の歳月をかけて、東京〜新青森の全線が開通したことになる。開業した
12月4日の一番列車の指定席券は上下とも発売開始後40秒前後で売り切れたほか、そ
の後の利用者数も順調であることが、JR東日本から発表されている。いわゆる開業フィー
バーという側面もあって、新幹線のみならずこれに接続する東北の在来線も利用者数が伸
びている。今春3月からは新型車両の導入とともに運転最高速度も300km/hに引き上げ
られ、所要時間も短縮されることになっている。JRとしては首都圏〜青森でも航空機との競
争に勝つことを目論んでいる。今回新幹線の終着駅となった新青森駅は奥羽本線の津軽新
城〜青森にある。昔からあった駅ではあるが、今までは一日15本程度の普通列車しか停ま
らない、一ローカル線の小駅に過ぎなかった。指定席券や定期券などを発行するみどりの窓
口は言うに及ばず、駅前に降り立ったところでコンビニエンスストアも喫茶店もなかった。それ
が立派な駅舎とともに駅前も整備され青森の新しい玄関口となった。今後はここから北海道
新幹線となる線路が青函トンネルに直結し、北の大地の函館へ向けて延伸されることになっ
ている。だから、将来の新青森は現在の青森以上にますます発展していくかもしれない。しか
し、その華々しい開業の裏には残酷な現実もある。新幹線の恩恵に浴さなくなる地域が衰退
の一途をたどることだ。
 たとえば、鹿児島県阿久根市がその典型である。つい最近市長選が行われ、現職と新人
の一騎打ちを新人が僅差で制したニュースが全国に報道されたから、地名だけは記憶に新
しいところだろう。阿久根は県都の鹿児島からみて北北西で、熊本県の県境にも近い出水の
手前に位置する。九州新幹線の開業前までは、阿久根はJR九州の営業する鹿児島本線に
あって博多〜西鹿児島(現在の鹿児島中央)を結ぶ特急列車も停車する主要駅であった。と
ころが新幹線の開業とともに博多からの特急列車は新八代で折り返すようになった。そこか
らは九州新幹線が接続するようになったのだが、新八代〜鹿児島中央に設けられた途中駅
は新水俣・出水・川内の3駅のみである。阿久根はそのルート上からも外されたので、将来ど
んなに発展しても新駅が開設される可能性も失われた。阿久根がルート上から外された理由
は、出水〜川内をトンネルで貫くことで所要時間を短縮したためである。そして、旧鹿児島本
線となった八代〜川内は熊本・鹿児島両県と沿線の市町村などが出資する第3セクター肥薩
オレンジ鉄道に生まれ変わったのである。だから阿久根も普通列車、それも大部分は単行(1
両編成という意味)のディーゼルカーが停車するだけの駅となった。その結果、どういうことが
起こったか。博多・熊本から鹿児島への直通客はすべて新幹線利用に転じたから、阿久根に
寄る観光客は激減した。残るのは土地の人の利用のみだが、実際に鉄道を利用しているの
は沿線の高校などに通学する生徒と運転免許を持たないお年寄りが大部分である。もともと
人口の絶対数が少ないので道路はいつでも渋滞なく車はすいすい走れる。だから、運転免
許を所有する人々にとっては日常の移動がマイカーになるのは当然だ。博多からの特急が
停車していた頃と比べて、駅へ向かう地元の人の流れも、駅から観光地へ向かう旅行客の
流れもなくなった。そのため駅前の商店街は閑古鳥になり、挙句の果てにはどの店舗も閉
店・撤退しシャッター通りになってしまったのである。温泉などの観光資源でもあればそんな
こともないのだろうが、首都圏から比較的近い群馬県の水上でさえ、上越新幹線の開業後
は温泉客が減ったくらいである。ましてや、これといった観光資源のない地域ではなおさらで
あろう。
 東北新幹線と並行する在来線でも状況は同じである。82年に大宮〜盛岡が部分開業し
た当時、盛岡以北では新幹線に接続する特急列車が走っていた。盛岡を出ると一戸・二戸
・三戸・八戸・三沢・野辺地・浅虫温泉といった主要駅に停まり、青森まで結んでいたのであ
る。その後、八戸までの開業によってこの特急列車は八戸〜青森に短縮された。そして先
月の東北新幹線全線開業によって盛岡〜青森の全区間が第3セクターが経営する鉄道と
なり、首都圏や仙台から通客が訪れることのない駅となってしまった。今後これらの駅勢圏
で何の方策も講じなければ、阿久根と同様に街の活気が失われていくであろう。それが過
疎化を進行させ小中学校の廃校や無医村を招く結果になるのは必至である。ダム湖の湖
底となる地域のように土地の居住者の全員が転居するのなら問題はないだろう。しかし転
居するわけにもいかずこれからも今まで過ごした土地で暮らしていくしかない人々は、どう
いう思いでこの事態を受け止めていられるかは想像するに余りある。こうして考えてみると、
新幹線の開業は歓迎すべきことばかりではない。開業に伴って新たに生じる負の側面をし
っかり見つめ、行政が支援の手を差し伸べることが何よりも大切である。

352「今なお残る被災民の後遺症」(1月17日)*****************************************
 今日は阪神淡路大震災が発生した日である。あの地震は1995年1月17日の午前5時
46分に起きた。私は前夜から兵庫県西宮市内の友人宅に泊まっており、寝ている最中に
被災した。夢か現実かも定かでなかったが、突然背中から落とされたような感じとともに何
かわけのわからない大きな重い物体が私の身体ごと押し潰すかのように覆い被さってきた。
そして「ゴー!」という低い不気味な音が聞こえていた。あの響きは今でも忘れられない。こ
のままでは「何かわけのわからない物体」に殺されそうな予感がした。わずかな隙間を頼り
に辛うじて這い出てみたら、そこには地割れしたアスファルト舗装の路面があった。前夜間
違いなく木造2階建ての2階部分に寝たのだから、普通なら階段を1階へ下りない限り路上
に立つことはできないはずだ。しかし、建物の1階部分が完全に潰されてしまったため、階
段を下りることもなく戸外に出る形になったのである。被災した時刻はまだ夜明け前だから
外は夜同然に暗かった。いや、それ以上に暗かった。街路灯も消えていたからである。明
るくなってから周りの建物を見渡すと、大部分は半壊であった。およそまともな姿で残って
いる建造物は、ないといっても過言ではなかった。私が寝ていた家屋は全壊に等しかった。
震災発生時に私の身体に覆い被さってきた「わけのわからない物体」の正体は、家屋の柱
と梁、そして屋根瓦だとわかった。それからしばらくは友人のご家族とともに体育館での避
難所生活である。余震もすっかりおさまってから、西宮の街も復興が本格的に始まった。比
較的軽い損壊で済んだ家屋には、青いビニールシートが屋根の部分にかけられるようにな
った。しかし復興は遅々として進まず、震災から3ヶ月が経ってすっかり葉桜になる頃になっ
ても、青いビニールシートはそのままで長く痛々しい姿を晒していた。
 2011年の正月を迎えたから、あの震災からもう16年が経つ。車や電車で被災地を通っ
ても、仮設住宅はとうになくなり、震災の傷跡は全く見られない。神戸にしろ西宮にしろ、ま
るであの大震災などなかったかのように立派な街並みとなっている。しかしそれはあくまで
も外見上のことに過ぎない。外見では解らない部分では震災の傷跡は依然として残存して
いるのだ。今となってはマスコミも取り上げなくなったから、被災地ではない人にはほとんど
知られていない事柄がある。その一つが住居だ。80年代から90年代にかけて、神戸・芦
屋・西宮市内にマイホームを購入した人は少なくなかった。震災後は土地・家屋に対する住
宅ローンの上に被災した住宅の再建費用が重くのしかかった。職場となった建物も損壊し
たため出勤しても仕事がなく、失職した従業員も少なくなかった。当然、収入が断たれるか
ら住宅ローンの返済など望むべくもない。こうして再建できなかった被災者は住み慣れない
土地にある復興住宅への移住を余儀なくされた。そして誰にも看取られることなくひっそりと
亡くなる、いわゆる「孤独死」が今もなお後を絶たないのである。一方、今も生活されている
方々でも生活再建がなかなか果たせず、被災直後の援護資金の返済が負担となっている
例も少なくない。彼らは長い間にわたって資金の返済が生活再建の足枷になっている。阪
神淡路大震災を教訓に、2000年10月の鳥取県で発生した震災では、県がいち早く住宅
再建に支援金を支給して被災者の生活再建を援助した。被災者生活再建支援法という法
律も制定され、能登半島沖地震や新潟中越地震でも適用された。しかし、阪神淡路大震災
の当時にはそういった公的な支援制度自体がなかった。そのため、住宅ローンを抱えた被
災者は経済的苦境に追い込まれたのである。
 もう一つはPTSD(心的外傷後ストレス障害)といわれる後遺症である。これは被災という
決して取り消すことのできない体験による結果生じたものであるから、最悪の場合は不可逆
的なものとなって終生残る恐れがある。私の場合も当時の惨状が執拗に脳裏のスクリーン
に映像として映し出され、そのために身体が硬直したり夜中に目がさめたりした。また、実際
には揺れてもいないのに揺れを感じる症状にも悩まされた。エレベータのロープが切れて下
まで突き落とされる夢にうなされたり、現在自分がいる階の床が抜けて下の階に落ちてしま
いやしないかといった不安にも襲われた。いずれも被災前にはなかった症状であった。同じ
く被災した私の友人・知人も妙な症状に悩まされていたが、その程度と内容はまちまちであ
った。PTSDは被災した時の状況や被災時の年齢などによって個人差が著しいといわれて
いる。だから被災して5年10年と時が経過するとともに症状が軽くなり治った人もいる一方
で、16年が経った今もまだ不眠や吐き気などの症状に苦しめられている人もいる。しかも
震災から時が経つにつれてPTSDを患う被災者に対する社会の理解は失われていく。だか
ら患者本人の精神的な苦痛、具体的には症状を周囲の人に理解してもらえないことに対す
る苦しみは、被災直後よりもむしろ増大することになる。
 起きてしまった事柄を後からどうにかすることはできないが、その事柄を風化させないよう
にする責務はマスコミにあると思う。マスコミはとかく今起きたばかりの事柄だけをクローズ
アップして報道しがちだ。しかし、阪神大震災や雲仙普賢岳の噴火といった天災や日航機
墜落事故をはじめとする各種の事故、そして水俣病やイタイイタイ病といった公害など、決
して風化してはならないものもたくさんある。正直に言うと阪神淡路大震災の一被災者であ
る私としては、阪神高速道路の橋脚がひん曲がり横に傾いたあの被災直後の映像は2度
と見たくないという気持ちは強い。見れば否応なく当時を思い出してしまうし、現実に体調も
悪くなるからだ。しかし、被災民の抱える苦しみだけは今もしっかり伝えて、彼らに対する社
会の理解を得られるようにしてほしい。そうしないと、彼らは社会の中で孤立無援となってし
まうからだ。

    (塾長コメント: 今から16年前の「1995年1月17日」は多分日本人の多くの人の記憶に留ま
             る日だと思う。被災者の支援ということで多くの同僚がボランティアとして神戸に
             足を運んだ。今神戸は完全復旧し震災のことは忘れ去られたかのようである。た
             だ地元の方にとっては一生忘れることのできない出来事だ。私自身の1月17日
             は、その日がちょうど大学入試センター試験の自己採点日で、予備校等のやり
             取りで大変混乱した覚えがある。被災者の苦労にはかなわぬが、これまで勉強
             してきた受験生の苦労も実らしてあげたいという思いが交錯し非常に複雑な気分
             だった。阪神高速道路の橋脚が倒れている様子が今でも鮮明に目に浮かぶ。時
             々利用する阪神高速道路であるが、通るとき、実は今でも少し怖い!)

351「その土地の名産はその土地でのみ販売しよう」(2011年 1月12日)*****************
 東京土産の一つに「ひよこ」がある。吉野堂ひよこ本舗が生産・販売している饅頭で、「ひ
よこ」そのものは老舗の銘菓である。ひよこの形をした愛らしいもので、頭部にはつぶらな
瞳まであって食べてしまうのが可哀想に思えるほどだ。ところが昨年末に私が九州を旅行
したところ、これと全く同じ商品がJR博多駅構内に陳列してあった。一瞬、東京土産を並べ
ている特設コーナーかと思ったが、そうではない。そこには明太子とともに福岡土産が並べ
られていたからである。外箱を見るとなんとメーカーも「吉野堂ひよこ本舗」とある。そして見
本として提示した中身も東京のそれと全く同じである。東京との唯一の違いは包装紙に「博
多」という2文字が印刷されているだけであった。どういうことか納得できなかったので、私
は売り場にいたご年配の店員に尋ねてみた。その話によると、同じ「吉野堂ひよこ本舗」が
東京と博多で同じ銘菓「ひよこ」を生産・販売しているとのことだ。製法も同一なので味も食
感も同じである。饅頭とともに「ひよこサブレ」もあり、こちらも東京と同じ物だという。さらに
驚いたことには、ひよこは福岡の銘菓だとのお話であった。もともとは炭鉱の町である福岡
県飯塚で生まれ、1964年の東京五輪を期に東京へ進出したのだそうだ。そして埼玉県草
加市内の工場で生産し東京にも販売拠点を作ったという。ということは、ひよこは正確には
東京銘菓ではないということになる。
 しかしこういう販売方法はいかがなものか。たとえば東京在住の人が東京土産を買って
博多在住の知人に贈った場合のことを考えてみよう。後日になって同一の商品が博多で
売られていることを贈った側が知らされたら、『あのとき贈った土産は先様には喜ばれなか
ったのではないか』と要らざる気を遣うことになる。一方、受け取った側もがっかりするであ
ろう。同じ物が地元で売られているから、東京土産をもらった感慨も生じない。やはり土産
品と銘打って販売する以上は、その土地でしか手に入れることができないよう一地区に限
って販売するべきである。そうでないと全国チェーンを展開するコンビニや大規模小売店で
取り扱う商品と同じになってしまい、ご当地銘菓の価値もなくなってしまう。その点でいうと、
インターネットを利用した通信販売も考え物だ。メーカーのホームページにアクセスしてクリ
ックするだけで、全国どこにいても各地の土産を購入できるようになったからである。また、
東京駅や上野駅では全国の名産品を常時販売している。しかしこれでは名産品のありがた
みは半減する。函館で水揚げされるイカはやはり函館まで旅をして朝市で買ってこそ「はる
ばる函館まで来たなぁ」と感じられるし、旅の思い出とともにイカの味を堪能できるものだと
思う。ひよこが福岡発祥の名産と銘打つのなら、博多まで訪れて初めて手に入るようにする
べきであろう。その土地へ訪れないと手に入らないからこそご当地名産品の箔が付くという
ものである。

350「平成22年を振り返って」(12月31日)********************************************
 今年も今日で最後である。1年前の本欄で私は「来年は鳩山政権の真価が問われる年に
なるだろう」と書いた。そして景気の回復と雇用の安定が実現しないために消費が冷え込ん
だままになっている現状を指摘し、「日本の政治は自民党がやっても民主党がやっても五十
歩百歩だと有権者から冷評を浴びないように、誰もが安心して暮らせる社会を」と訴えた。そ
して民主党政権のもとで一年が経過した。しかし、結果はどうだっただろう。予算委員会や本
会議における代表質問に対する答弁は、官僚の書いた原稿を読み上げるばかり。日本経団
連の会長を頂点とする財界の言いなりによる大企業優遇の政策も自民党時代と何ら変わる
ことがなかった。そして対米従属路線もそのままであった。だから、政権担当以前に掲げて
いた数々の政権公約、それも有権者に恩恵をもたらす内容はことごとく裏切られる結果とな
った。主なものは次の8点である。
1.後期高齢者医療保険制度
 これは前政権与党の「負の遺産」とでも言うべき制度である。詳しくは266「姨捨山と揶揄
される後期高齢者医療保険制度」で述べたとおりである。本来なら後期高齢者になった時点
で「長寿おめでとうございます。今後はいかなる傷病であれ無料で最高水準の医療を受ける
ことができます」とするべきところだ。それが多年に亘って日本社会の発展に貢献した高齢
者へのご褒美であり、「敬老の精神」とも言うべき施策である。しかし、この制度の導入によ
り75歳以上の国民は高額の負担を強いられる結果となった。それまでの健保や国保から
切り離され別立ての医療保険制度に移行させられたからである。だから「年寄りは国家のお
荷物だからさっさと死ねと言わんばかりの施策だ」と厳しい批判を受けたのである。民主党も
野党時代は真っ先にこれを槍玉に挙げて論戦を展開していた。しかし、政権与党となるやい
なや早々に4年間の存続を主張し始めた。その理由として当時の長妻厚生労働大臣は「元
の老人健康保険制度に戻すだけでも2年要すると官僚に言われたからだ」と答弁した。だが、
その答弁の最中に当の民主党議員から「2年もかかるわけがない」という私語があったのは、
なんとも皮肉である。
2.雇用問題
 労働者派遣法に象徴される雇用の問題も深刻である。この法律も前政権与党の残した負
の遺産で、大企業優遇の最たる施策であった。詳細は343「労働者派遣法はこのままで良
いのか」で述べたとおりである。いつでも安価に短期の労働力を調達できる制度であるから、
企業にとってこれほど好都合な人材はない。まさに人間である労働者を「モノ」のように酷使
することを許した悪法であり、『蟹工船』『野麦峠』『女工哀史』が書かれた時代と等しい労働
者環境を作ってしまった前近代的な施策である。当然野党時代の民主党はこれについても
厳しい姿勢で論陣を張っていた。しかし、政権与党になっても抜本的な改正はなされなかっ
た。そのため派遣労働者の直接雇用、つまり正社員化は一向に進んでいない。したがって3
人に1人の割合で存在するワーキングプアの問題も解消されないままである。その一方で企
業の内部留保はバブル期のそれをはるかに上回る金額に達し、空前のカネ余り現象をもた
らした。しかしその余剰金は有価証券(具体的には海外への子会社への投資)・株主への配
当・役員報酬に消え決して労働者の賃金に回されることはなかった。これらに関しては325
「非常識な役員報酬を是正せよ」・335「最低賃金は800円を目標にして良いのか」で詳述
した通りである。これに関連するが、新卒者の就職難も深刻である。詳しくは341「大学は
出たけれど」で述べたが、大学や高校を卒業して晴れて社会人になるはずの第1歩が失業
者というのでは話にならない。そしてこれだけ大勢の人が内定を取れずメディアにも取り上
げられる状況ともなれば、「生まれた年が悪かった」では済まされない問題である。また、若
者よりも人件費のかかる年配の正社員に対しては執拗な勧奨退職を迫り、ひどい場合は整
理解雇を敢行している。そしてわずかに残った正社員に対しては長時間労働を強いている。
とにかく昨今の企業は人件費を減らすことに血道を上げているのが実態だ。そうでもしない
と経営が成り立たないほど逼迫しているのなら、それも仕方なかろう。代表取締役以下役員
も身銭を切って食うや食わずの生活を強いられているのなら、それも許せる。しかし現実は
逆である。高額な役員報酬を得ているのだから言語道断である。これでは企業の社会的責
務を全うしているはとても評価できない。
3.米軍基地再編問題
 具体的には沖縄県宜野湾市にある普天間基地の移設問題である。詳しくは333「基地の
ない沖縄は実現しないのか」で述べた通りである。普天間基地については前政権与党のも
とで同県名護市辺野古への移設を骨子とする日米合意が取り交わされた。民主党は「国外、
最低でも県外への移設」を選挙公約にして政権与党の座を射止めたのであるが、その後は
日米合意に従った辺野古への移設を県に強く求めている。アメリカ海兵隊の抑止力を理由
にした自民党時代の施策と変わらず、基地の騒音に苦しむ沖縄県民の意思は今もなお踏
みにじられたままである。
4.事業仕分け
 税金の無駄遣いを根絶しようとの掛け声のもとで民主党の目玉ともいえる政策であった。
しかし、前政権時代に聖域とされた4領域にはやはり手をつけていない。具体的には米軍
への思いやり予算・防衛費・法人税率・政党助成金である。このうち前二者について334
「防衛費を減らせないのか」で詳述した。後二者のうち法人税率については321「増税に対
して怒りの声を」で述べたとおりである。この20年余りの長きにわたって我々国民は消費税
を徴収され続けてきた。その徴収目的は「高齢化社会に向けた医療・福祉のため」と説明さ
れた。だが、それらは医療・介護・教育など国民生活の向上に資する分野に使われたので
はなく、大部分は減税した法人税の補填に充当という許し難い歴史であった。最後の政党
助成金についても感心しない。理由は国民の血税が政党の活動費に充てられているからで
ある。政党の活動資金は個々の党員が支払う党費で賄うのが本来のあり方である。それは
宗教法人の運営資金を信者のお布施で賄うのと同じ理屈である。そこへ税金を充てるとい
うことは、支持していない政党に対しても強制的に活動費を支払わされていることと同じであ
り、憲法の保障する「思想・良心の自由」にも抵触し得るものである。しかしこれも聖域にな
っており、撤廃どころか減額しようという提案すらなされない。だから企業献金・団体献金と
ともに相変わらず存続している。
5.障害者自立支援法
 これも前政権与党が残した負の遺産である。我が国の障害者に対する国家予算はヨーロ
ッパに比べてあまりにも低額である。対GDP比でみるとドイツの1/3、スウェーデンの1/7で
しかない。それなのに前政権与党は2005年にこの法案を採決させ、個々の障害者に応益
負担を強いる施策を打ち出した。障害者団体は「私たちのことを私たち抜きでは決めないで」
とのスローガンのもと、この法律に反対の姿勢を貫いていた。そして民主党も野党時代はこ
れに反対していた。だから政権獲得と同時に即時廃止するものと期待していたのだが、逆に
同法の延命法案まで出している。もちろん障害者団体への事前の協議もなく勝手に決めた
ものである。彼らは自ら望んで障害者になったわけではないのにもかかわらず、なんと冷た
いことか。後期高齢者と同様に「障害者も国家のお荷物だから……」と言わんばかりの施策
である。
6.B型肝炎訴訟
 ようやく国は和解のテーブルについたが、これも原告団を満足させる内容のものではなか
った。今年9月1日に発表された政府の方針で、未発症の感染者を救済対象から外したた
め511名の原告のうち20%が切り捨てられる結果となったからである。政府は「発症したら
一時金を支払うので切り捨てたわけではない」と主張している。しかしそういう問題ではない。
未発症であってもB型肝炎ウイルス保持者であることを理由に患者はさまざまな差別を受け
ているからだ。しかも肝硬変や肝臓癌になって死ぬことも覚悟しなければならない身である
ことも発症者と変わりがない。その精神的苦痛に対する償いは全く無視されており、今年3
月に出された札幌地裁での判決にも矛盾する方針である。また一時金をはじめとする補償
金額もC型肝炎のそれと比べて低額であることも問題だ。B型であれC型であれ患者に何の
落ち度もないことは共通しており、補償金額に差をつける正当な事由は見当たらない。
7.保育所の待機児童
 どう少なく見積もっても数十万人は存在すると言われている待機児童の問題も前政権与党
の時代から依然として改善されていない。本来なら保育所の増設を進めて待機児童を解消
すべきだが、民主党政府は保育所の最低基準を引き下げる方針を打ち出した。つまり子ど
もを詰め込むことによって問題解決を図ろうというわけである。しかし現状でも子どもたちは
詰め込まれた環境の中に置かれているのである。2歳児の場合でみると、わずか7畳間に
6人の子どもと保育士1人が最低基準になっている。その狭小な空間で保育士と子どもたち
が寝食を共にするのだ。部屋には絵本や玩具などもあるから、中は足の踏み場もないとい
う状況である。この基準そのものも60年前に定められた前近代的なものである。それが全
く変わらぬまま今日に至っているのに、これをさらに引き下げようというのだから子どもの環
境が悪くなるのは明かである。
8.教員免許状更新制度
 教育基本法の改正とともに安倍内閣のもとで強行採決された制度である。詳しくは221
「免許の更新で教員の質は高まるのか」で述べた。これも野党時代の民主党は強く反対し
ていたので、政権を獲得した後は直ちに撤廃されるものと多くの教育関係者が期待した。
そして、この動きにあわせて素早い行動をとった大学も少なくなかった。すなわち新規講座
の開設申請を見合わせたり、既に開講していた講座を今年度限りで打ち切るなどの措置を
講じたりしたのである。いくら在学生の授業がない夏休み中とはいえ、更新講習を受ける教
員に対して授業をし評価を下す大学側の負担も相当なものだからである。しかし、今では国
会論戦の中でも話題にすら上がっていない。その一方で、このままでは免許状の更新がで
きない現職教員が全国で何万人にも膨れ上がると危惧されている。そして、何よりも問題な
のは、更新教育を受講した教職員から「受講して自分のためになった。ぜひ制度を残すべ
きだ」と評価する声が全く聞かれないことである。そんな制度で教員の資質向上と教育問題
の改善が実現するとは思えない。
 結局、時が経てば経つほど民主党の政策は自民党のそれにどんどん近づいてしまった。
そして今ではほとんど変わらぬ状態になっている。それだけではない。政治とカネの問題に
ついても自民党時代の実態とほとんど変わらない。民主党は汚職のない 「クリーンな政党」
を旗印にしていたのにもかかわらず、政権担当直後に鳩山前首相・小沢前幹事長の政治
資金疑惑などが浮上した。その引責もあって鳩山首相・小沢幹事長はわずか8ヶ月で退陣
し、菅首相・岡田幹事長に代わった。しかし、その菅首相はもはや一兵卒となった小沢前幹
事長に対してはいまだに政治倫理審査会への出席すら実現させていないていたらくである。
こういう有様なので当然のことながら民主党への支持率は下降した。だから、有権者の審
判が参議院議員選挙での敗北となって現れた。しかしその影響で衆参の最多勢力が異な
る「ねじれ国会」となってしまった。そのため来年は法案の審議や可決が遅滞し、現状以上
に実行力のない政権に堕すであろう。このことはとりもなおさず、低所得者・老人・障害者な
ど現在虐げられている人々が速やかに救済される可能性がますます遠のくことを意味する。
一年間に3万人が自殺する状況は来年も変わらないのではなかろうか。

349「年賀状は元日に届ける是非」(12月26日)****************************************
 今年も年賀状を出す季節になった。毎年11月になると発売が開始され、12月に入ると
作成した年賀状を投函できるようになる。全国各地の郵便局では「年賀状は12月25日ま
でにお出し下さい」と掲示し早めの投函を促している。もちろん郵便局でも12月から1月に
かけては短期間のアルバイトを大量に採用し人海戦術で集配・配送に臨んでいる。しかし
一時期に大量の年賀状が殺到するので、みんなが大晦日ぎりぎりに投函するとどうしても
捌ききれなくなる。だから先方に元日に届くようにするには12月25日までにと呼びかけて
いるのだが、そもそも年賀状というものは元日に届けるべきものであろうか。今回はこの何
気ない世間の習慣の是非を論じたい。
 結論から言うと、私はこれに反対の立場である。世間の習慣に従って私も毎年11月から
年賀状を作成し12月上旬には投函しているが、本来なら元日を迎えてから書き始め、松の
内に投函するべきものである。その理由は、年賀状を出すことは年始回りの代替行為であ
るからである。昔は旧年中にお世話になった方々のお住まいを一軒一軒訪問して回り、ご
本人と直接対面して賀詞を交わしていた。それが年始回りである。それを諸般の事情で戸
別訪問することを取りやめ、書面に代えて失礼させていただくという趣旨で登場したものが
年賀状である。したがってかつての年始回りと同じく、年賀状を書くのも年が明けてからでな
いと意味がないのである。ところが、いつの頃からか「年賀状は元日に届けないと失礼であ
る」という価値観が広まった。だから年の瀬の慌ただしい時期に年賀状を買いに行き、「新
春明けまして……」と書く。そしてまだ今年の業務も終わっていないのに「旧年中は格別の
お引き立てを……」と書く。実際にはパソコンで作成し印刷する人が多いから肉筆で書いて
いるわけではないのだが、それにしてもこれほど空虚な行為はないだろう。年賀状は元日
にという価値観のために誰もが急かされるように年内に投函しているのだが、それでは真
に心のこもった年賀状にならないからだ。
 その最たるものが、「皆様方揃って健やかに新年を迎えられたことと心よりお慶び申し上
げます」という文言の年賀状が元日に届くことである。私もそういう年賀状を目にする。元日
に届くからには12月25日までには作成していることになるのだが、果たして「健やか」な新
年になるか否かもわからない段階からこのように書くのはおかしい。もし先方の住む地域が
大晦日や元日にアルカイダなどのテロ組織による攻撃を受けたらどうなるのか。もし某国か
らミサイルが飛んだきたらどうなるのか。もし阪神淡路大震災クラスの大地震に見舞われた
らどうなるのか。先方の身にそんなことでも起きたら、とても「健やか」な新年どころではない
ことは容易に推察されるであろう。まず自分自身が「健やか」に元日を迎え、全国のニュース
で各地の平和な新年の映像を確かめる。それからでないと先方に「健やかに新年を……」と
は書けないはずである。そう考えると年賀状は新年が明けてから書くのが理に適っているの
ではなかろうか。「年賀状は元日に」という価値観には根拠がない。まずはこれを改めるべき
であり、郵便局も「12月25日までに投函を」との呼びかけは中止すべきである。

    (塾長コメント: 「年賀状を作成し12月上旬には投函している」とは菅ちゃん、エライ!最近私は
             年賀状サボり気味!来た年賀状には丁重に返信しているが、年内に投函する習
             慣は無くなってしまった。何年か前に年賀状のやり取りだけで細々と交友関係が
             続いていた方が12月下旬に亡くなられ、その方の奥様から1月中旬頃、亡くなっ
             た旨の連絡ハガキが来たときは大変失礼なことをしたと我が身を恥じ入った。それ
             以来年越ししないと年賀状が書けなくなった。幸い今はメールがあるので親しい方
             にはメールで年賀状を配信している。知り合いの女の子たちからは何故か元日の
             朝3時頃とかみんなが寝ている時間にメールが届く。また、そのメールで勇気づけ
             られて新しい1年が始まるのかな?)

348「農家の保護・育成こそ政府のすべき農業施策」(12月19日)*************************
 今、日本の農業が危機的な状況に追い込まれている。原因は相次ぐ輸入自由化で価格も
流通も市場任せにしてきたためだ。そのため農家の所得が減り、次々と廃業に追い込まれ
ているのである。つまり今の日本ではもう農業で生計を立てていくことは困難な状況になって
いるのである。このように現状でさえ農家は苦境に置かれているのに、政府はTPPへの参
加を打ち出した。そのため11月10日東京では全国的規模で、12日には札幌市でTPP参
加反対の北海道民総決起集会が開かれた。農林水産団体はもとより経済団体や消費者団
体などいろいろな立場の方々がこの集会に参加した。私も次の4点の理由で我が国のTPP
への参加に反対である。
 第1に、TPPへの参加による経済的損失が甚大なものになると予想されているからである。
TPPへの参加が北海道の経済にどのような影響を及ぼすのか。これについては既に道によ
る試算が出されている。それによると、道内農業生産や関連産業への影響は2兆1000億
程度、雇用は17万3000人程度、農家戸数は33000戸程度、いずれも減少するであろう
との予想だ。つまり農業生産額は半分以下に落ち、農家戸数は70%以上も減ることになる。
北海道だけではない。我が国全体に対する影響も相当なものだ。これについても農産物と
水産物をあわせて4兆5000億の減少、食糧自給率は40%から13%に低下、農業の多面
的機能は3兆7000億程度の喪失、関連産業は国内総生産で8兆4000億程度の減少、就
業機会は350万人程度の減少という試算が出されている。なぜそういう結果になってしまう
のか。それはTPPに参加することになれば例外なき関税撤廃が求められるからである。すな
わち、アメリカ・オーストラリアから安価な農産物が大量に輸入されることによって日本の農業
は壊滅的打撃を被り、農山村地帯は見る影もなくなってしまうと危惧されているのである。
 第2に、これ以上関税率を0%にしてまで輸入する必然性がないからである。政府は「日本
の貿易は農林水産物を中心にまるで鎖国しているかのようだ」と評し、第3の開国をと提唱し
ている。しかし、これは政府の基本認識に誤りがある。なぜなら日本は「鎖国」とはほど遠い
状況だからだ。主要国の農産物の平均関税率を見ると、韓国は62.2%、メキシコは42.9
%、EUが19.5%、日本は11.7%、アメリカは5.5%である。現状でもアメリカに次いで世
界で2番目に低い関税率なのだ。そしてこの関税率の低さが日本の農業の疲弊を招いた主
因でもあるのだ。「鎖国」どころかもはや充分すぎるほど「開国」している状況なのに、この期
に及んで関税率を0%にしたらどういうことになるかは火を見るよりも明らかであろう。
 第3に消費者も外国産の農産物を欲していないからである。たとえ日本の農業が壊滅して
も消費者が外国産の安価な農産物を歓迎しているのなら、一応TPP参加の意義も認められ
るだろう。しかし現状は逆なのだ。今年の10月に内閣府が実施した特別世論調査によると、
今後の我が国の食糧自給率を高めるべきだと考えている国民の割合は90.7%にも達した
からである。一方、外国産の方が安い場合は輸入農産物の方が良いと考えている国民の割
合はわずか5.4%であった。つまり、農産物は価格ではないのだ。国民の圧倒的多数は、
国産の農産物を他のどこの国の農産物よりも安全で安心できると考え、たとえ価格がいくら
か高くても日本の大地から収穫された作物を食することを望んでいるのである。
 第4にTPPへの参加は国際的な潮流にもなっていないからである。政府は「バスに乗り遅
れるな」とばかりにTPPへの参加を急いでいるが、現在TPPに参加している国はシンガポー
ル・チリ・ブルネイ・ニュージーランドの4ヶ国しかない。交渉中の国にしてもアメリカ・オースト
ラリア・ペルー・マレーシア・ベトナムの5ヶ国だから、合わせても世界のうちでわずか9ヶ国
でしかないのである。つまり、世界の大部分の国家が参加しているものに我が国も加入しよ
うという理屈ではないということだ。結論として言えることは、TPPの意義は2国間のFTAの
進捗率が悪いアメリカとオーストラリアに対して門戸を開くためのものでしかなく、日本の農
業のさらなる発展に資するものではないということである。2004年のことだが、第60回国
連人権委員会において、各国に対し食糧に対する権利を尊重し保護し履行するよう勧告す
るという趣旨で、食糧に対する権利に関する特別報告書が出された。この報告に関する決
議に対して加盟国53ヶ国のうち日本を含む51ヶ国が賛成している。反対したのはアメリカ、
棄権票を投じたのはオーストラリアだけである。このことからも、TPPへの参加は国際社会
のルールにも逆行する愚挙であると評価せざるを得ない。
 日本でTPPへの参加を最も切望しているのは日本経団連、中でも自動車や電機といった
輸出産業を担う大企業である。結局のところTPPへの参加は、これまでの政治と同様に財
界とアメリカを喜ばせる施策である。先月10日、JAの主催により東京日比谷にある野外音
楽堂で「TPP参加への交渉に反対し日本の食を守る緊急全国集会」が開催された。ここで
「地域環境を破壊し、目先の経済的利益を追求し、格差を拡大させ、世界中から食糧を買
い漁ってきたこれまでの政府のやり方を反省しなければならない」という決議が出された。
自国の食糧は自国で賄おうとすべく、まずは国内の農家を保護・育成する。これこそ政府
が緊急に取り組むべき課題である。そのためには現在の農家やその後継者に対して「農
業には夢があり魅力的な職業である」という希望や意識を持たせるよう具体的かつ実効性
のある施策が必要だ。そうしないと地方の若者はことごとく大都市へ流入し、農業離れが加
速するのみならずさらなる過疎化を招くばかりである。

    (塾長コメント: 民主党政権の目玉政策の一つである「戸別補償制度」。今これが農家を苦しめ
             ている。補償金が出るからと買取業者からその分の値引きを迫られるのだという。
             また、生産費が補償されるから、農薬なども使いたい放題だという。これでは何の
             ための補償か分からない。農協や業者を利するための制度になっているようだ。
             これにTPP加入となれば、確実に日本の農業は終焉を迎えることになる。このま
             ま民主党政権が続くと日本は崩壊する。今誰もが思っていることではないだろう
             か?)

347「使い勝手を良くしてもごみを増やすな」(12月13日)********************************
 つい先日のことである。私の自宅で使っているデスクトップパソコンのマウスとキーボード
が急に全く反応しなくなった。既に電源は入っておりWindowsも正常に立ち上がっていた。
そしてアプリケーションも稼働状態になっているのに、文字入力もできなければクリックもで
きなくなったのである。調べてみると何のことはない。原因は電池切れであった。私の使っ
ているパソコンはマウスもキーボードもワイヤレスになっており、裏面の蓋をあけたところに
単3のアルカリ乾電池が2本挿入されている。購入以来一度も交換していなかったのだが、
ついに電池がなくなったのである。
 新しい乾電池と交換しながら考えたのであるが、昔のパソコンはワイヤレスではなく本体
にある所定のジャックに差し込んでいた。プリンターをはじめとする他の周辺機器もすべて
ケーブルで本体に接続していたから、パソコンの周りには何本ものケーブルが錯綜してい
た状態であった。それが時代とともにワイヤレス化が進んだ。個人的にはデスクトップパソ
コンならワイヤレスにする必要はないと思うのだが、今や電源のコンセント以外のケーブル
はなくすことができるようになった。しかし、冒頭に述べた事例が示すように昔は必要のな
かった乾電池が要るようになった。乾電池は消耗品であるから、なくなったらごみになるの
は言うまでもない。世界中に何億台あるとも知れぬパソコンのすべてがワイヤレスのマウス
とキーボードになったら、どれだけの乾電池が廃棄処分されることになるのか、その量は計
り知れないものがあろう。煩雑なケーブルから解放されて使い勝手が良くなるのは結構なこ
とだが、そのためにごみをいたずらに増やしてしまうのはいかがなものか。マウスやキーボ
ードをワイヤレスにするならその稼働源は乾電池にせず、電卓のように太陽電池するべき
であろう。もしそれが技術的にまだ実現できないのなら、ケーブルで接続した昔の方式に戻
すべきで、そうすることこそエコである。買い物袋を持参して入店しスーパーのレジでもらうビ
ニール袋を断ろうというほど市民にエコに対する意識を持たせようとしているご時世である。
それなのにワイヤレス化とともにごみとなる乾電池を増やすのは感心しない。

    (塾長コメント: 私の普段使っているデスクトップパソコンもワイヤレスのキーボードとマウスで乾
             電池の消耗の激しいのに驚いています。乾電池は充電して使っていますが、それ
             も面倒...。USBのキーボードとマウスにしようと思います。)

346「文字を書かせる指導を」(12月 7日)********************************************
 さっそくだが、次の問題を見ていただきたい。

 次の説明文に該当する人物として最も適したものを次から選び、記号で答えなさい。
 1.『恩讐の彼方に』や戯曲『父帰る』の作者として作家としての地位を確立し、後に文壇の
  大御所と呼ばれるようになる。雑誌『文芸春秋』を創刊し、後進の育成のために「芥川賞」
  「直木賞」を設定した。
   ア.川端康成  イ.菊池寛  ウ.芥川龍之介  エ.太宰治  オ.志賀直哉


該当する人物は菊池寛だから正解は「イ」である。何の変哲もない文学史の出題だが、標記
のテーマに関して論じるならば、最も拙劣な出題形式と評価せざるを得ない。なぜなら「菊池
寛」を意味する記号である「イ」を記入すれば正解となってしまうからである。つまり「菊池寛」
という人物の知識と片仮名の「イ」を正しく書ける能力が備わっていれば良いことになる。そ
のうち後者の能力に欠けている生徒はまずいないから、前者の知識の有無だけを問うてい
ることになる。
 同じ問題にするにしても次のようにすると良い。

 次の説明文に該当する人物として最も適したものを【選択肢】から選び、そのまま記入しな
さい。
 1.『恩讐の彼方に』や戯曲『父帰る』の作者として作家としての地位を確立し、後に文壇の
  大御所と呼ばれるようになる。雑誌『文芸春秋』を創刊し、後進の育成のために「芥川賞」
  「直木賞」を設定した。
   【選択肢】 川端康成  菊池寛  芥川龍之介  太宰治  志賀直哉


私は記号を書かせるのではなく、最低でもこういう出題形式にするように心がけている。この
ようにすれば生徒は「菊池寛」を丸写しすることになる。記号の「イ」を書かせるのと大同小異
ではないか思ったら大間違いだ。なぜなら、たとえ3字とはいえ漢字を書く機会を与えることが
できるからである。しかも、たかが3字を書き写すだけでも間違える生徒が出てくるという厳然
たる事実がある。これを見過ごしてはならない。よくあるのは「菊池」を「菊地」とする誤りであ
る。昨今の生徒は自ら筆を手にとって文字を書く機会が著しく減っている。恐らく学校と塾を除
けばほとんど文字を書く機会はないだろう。携帯電話やゲーム機など画面に出てくる文字ばか
り見ている影響で、「池」「地」など微妙な違いに対する識別能力も低下している者が多い。まし
てや同一の文字ならなおさらである。「拝啓」の「拝」のつくりが横棒3本だったり、「芥川龍之
介」の「龍」のつくりが横棒2本だったり、とにかく一つひとつの文字を正確に認識していない。
一事が万事そうだから、たとえば傍線1「このようなこと」が指している具体的な内容を問題文
からさがし、句読点を含めて20字以内で抜き出しなさい。
という具合にある程度まとまった分
量の文字を書かせる出題をしようものなら、抜き出した場所は正解しているのに文字を正しく
書き写すことができていない者が続出する。
 冒頭に示した文学史の問題に話を戻すが、次のようにする手もある。
  
 次の説明文に該当する人物として最も適したものを【選択肢】から選び、漢字に直して記入
しなさい。

 1.『恩讐の彼方に』や戯曲『父帰る』の作者として作家としての地位を確立し、後に文壇の
  大御所と呼ばれるようになる。雑誌『文芸春秋』を創刊し、後進の育成のために「芥川賞」
  「直木賞」を設定した。
   【選択肢】 かわばたやすなり   きくちかん   あくたがわりゅうのすけ
          だざいおさむ  しがなおや


このようにすると正解の選択肢「きくちかん」を漢字に直す過程で「寛」を「完」と書く生徒も出
てくる。「菊池」はあまり間違いようがない名字だが、「かん」と読む漢字は数多くあるから、さ
ぞかし多種多様な「かん」が出てくることだろう。
 ゆとり教育の世代から学力低下が叫ばれて久しいが、その一因は彼らの置かれた文字環
境にある。携帯電話やパソコンといった機械が仮名を漢字に変換してくれて、自身は画面に
出てくる文字を読めさえすれば事足りる環境にどっぷり浸かって育ったからだ。だから「菊池
寛」を書き写すだけなのに「菊地寛」になってしまうのである。こういう現象は記号を選ばせる
出題をしている限り決して「学力」には反映されないし、したがって彼らの文字認識能力の向
上にも寄与しない。そこで各教科の先生方への提案だが、選択肢から選ぶ問題を作成され
る際は記号ではなく、語句なり事物なり人物なりをそのまま書き写す形式で出題していただ
きたい。試験であれその他の教育現場であれ、とにかく、生徒が文字を正確に書く機会を意
図的に増やさないと、将来社会に出る日本人は母国語の文字すら満足に書けない者が増え
る恐れがある。国際社会がますます進展する今後の我が国において、これほど恥ずべき事
態はあるまい。

345「使える限り使うことこそエコだ」(11月29日)***************************************
 来月から家電エコポイント制度で付与されるポイントが半減される。その影響で、ヨドバシ
カメラ・ヤマダデンキ・ビックカメラなど大手の家電量販店ではエコポイント制度の恩恵に与
ろうとする駆け込み購入客が殺到したと報じられた。商品によっては既に在庫が切れてしま
っているものもある。メーカーの工場でフル稼働しているにもかかわらず生産が受注に追い
つかず、いつになったら入荷されるのか見通しが立たないものもある。それでも購入手続き
だけは先に済ませようとする客も少なくないという。特にテレビに関しては、来年の7月24日
から地上デジタル放送へ全面的に移行するため、従来のアナログ放送受像機を買い替えな
いと視聴そのものが不可能になる。だから他の家電製品以上に買い替え客が殺到したよう
だ。
 しかし、その裏では目も当てられないことが起こっている。このことは、ほとんど報道もなさ
れていないため国民にも知られていない。買い換えた結果それまで使用していた非エコ家
電製品が産業廃棄物となっているのである。そのゴミ処理場を私は映像で見たのだが、唖
然とした。エコポイント制度の変更期限が迫ったためにみんなが一斉に家電製品を廃棄処
分にする。だからゴミが膨大な量になって処理が追いつかなくなるのは致し方ない。しかし
問題はそれだけではない。くっきり映るテレビ・すぐに暖まるエアコン・きれいに洗える洗濯
機・よく冷える冷蔵庫……。こういったまだまだ十分に使える家電製品が廃棄処分とされて
いるのである。なんともったいないことをしているのだろうか。今の人は捨てるという行為に
対して何も言わなくなったが、昔の人ならきっとそう嘆いていたであろう。振り返れば、エコカ
ー減税のときもそうだった。当初は本年3月末とされていたエコカー減税制度が9月末まで
延期されたのだが、3月のときも9月のときも減税制度の廃止期限が近づくにつれて廃車台
数は爆発的に増えた。それも廃車された車両の大部分は「エコカーに該当しない車両」とい
うだけの話である。車両性能としてはまだまだ安全に走行できる車なのだ。それなのに産業
廃棄物になってしまったのである。このように使えるものを産業廃棄物にしているのだが、こ
れのいったいどこがエコなのだろうか。
 本当のエコとは使える限り使うことではないのだろうか。もはや製品としての機能が失われ
てしまい、ゴミとして処分せざるを得ない状況になるまで使いきってから廃棄すべきであろう。
そういう意味では一定の期限を定めてエコポイントを付与したり廃止したりする制度は改める
べきだ。ポイント制度そのものは永続させ、長く使ったものを買い換えた場合に限りエコポイ
ントを付与する制度に改めるべきである。そうしないとポイント制度の廃止期日が迫るたびに
駆け込み客が買い替えに殺到し、まだまだ使えるものをも廃棄処分にして、いたずらにゴミを
増やすだけである。ヨーロッパのある国では愛車を何十年も大切にするという。ダメになった
らまず修理に出す。それでもダメになって修理もできなくなったら初めて買い換える。日本人
も昔は一度買った物を修理しながら長く使おうとする良き節操があったのだが、いつの頃か
らかそれがなくなってしまった。機能の一部がダメになっただけなのに、修理を依頼すること
すら考えずに廃棄処分にする人が多くなった。それでころか、携帯電話などは全く故障もし
ていないのにもかかわらず、新しい機能のついた製品が発売されたという理由だけで機種
交換を敢行している。ゴミをできるだけ出さないようにすることがエコだという教育を今こそす
べきであろう。

344「個別の事案に対しても答弁せよ」(11月22日)*************************************
 今月14日広島県広島市で行われた大臣就任祝いの会において、柳田稔法務大臣が次
の発言をしたことが報じられた。
 「法務大臣はいいですよね。二つ覚えておけばいいんですから。『個別の事案については
お答えを差し控えます』。これはいい文句ですよ。分らなかったらこれを言う。これでだいぶ
切り抜けてきました。あとは『法と証拠に基づいて適切にやっている』と。この二つです。何
回使ったことか」(朝日新聞11月19日朝刊)

 自民党の谷垣総裁は18日の記者会見において、「あまりにも国会を侮辱した発言だ」と
コメントし、柳田法相に対する問責決議案を提出する方針を固めた。確かに大臣の資質も
見識も疑われる軽率な発言だという主張には私も同感だ。しかし、「個別の事案については
お答えを差し控えます」という答弁も、「法と証拠に基づいて適切にやっている」という答弁も、
戦後久しく続いた自民党内閣において、歴代の総理や閣僚らがずっと言い続けてきた言葉
である。このことを自民党は忘れてはならない。つまり、柳田法務大臣だけが発言してきた
文句ではないのである。したがって、菅首相が柳田法相を更迭しさえすれば済むという単純
な問題にはならない。予算委員会という場で「個別の事案についてはお答えを差し控えます」
「法と証拠に基づいて適切にやっている」という答弁が今までまかり通ってきたことを問題に
しなければならない。そして今後の質疑応答ではそういう発言をなくすように改めなければ
何の意味もないのである。
 たとえばA企業が下請け企業に買い叩きをし単価を半額に下げた。B企業は従業員30%
の削減を目指して整理解雇した。C企業は不当な表示をして消費者を欺いて販売した。この
ようにある問題が生じると、被害者となった個人ないしは団体の声が国会議員に届けられる。
それをもとに各党の委員が必要な実態調査をしたうえで予算委員会の場で質問しているわ
けである。だから質問者は荒唐無稽な実態報告をしているわけではない。そして「こういう現
状をどう思いますか?ひどいとは思わないのですか?」と答弁者にコメントを求めるわけだが、
その際の答弁が「個別の事案についてはお答えを差し控えます」というのでは答弁していな
いも同然である。事業者の不正に対し国政調査権を発動し必要な調査をしたうえで当該事
業主に対して是正すべく指導するのは国の責務であるのだから、首相以下関係する各大臣
が施政者の立場として責任ある答弁をするのは当然であろう。しかも予算委員会では質問
者が事前に質問事項を通告することになっている。したがって、回答を用意しようと思えば
できるわけだ。たとえ問題となっている事業主の実態を調べる時間的余裕がない場合であ
っても、少なくとも「これが事実であれば」と仮定したうえで「誠にけしからんことだと思います」
ぐらいは言えないのか。そして「○○するよう勧告する所存でございます」ぐらいは言えない
のか。それを「個別の事案についてはお答えを差し控えます」という文句で切り抜けようとす
るのは、国会を侮辱していること以上に、被害者となった方々や団体に対して失礼きわまり
ないことだと思う。
 「法と証拠に基づいて適切にやっている」という発言もそうである。一見何の問題もなさそ
うな発言だが、具体性がまるでない。「法」とは何法の第何条なのか。「証拠」とは何をもっ
て証拠としているのか。「適切に」とはどういう方法や内容を指しているのか。そういったこ
とを具体的に明示しなければ質問した委員に対して答弁したことにはならない。このように
答弁とは言えないような発言を禁止し、もっと内容のある質疑応答をしていただきたい。そ
うしないと予算委員会そのものが時間の無駄であり税金の浪費になってしまう。

343「労働者派遣法はこのままで良いのか」(11月15日)********************************
 今年もまもなく終わりである。一昨年のリーマンショック以降、年末になると必ず出てくる話
題に「年越し派遣村」がある。労働者本人に何の落ち度もなく会社の経常収支の悪化を理由
に雇い止めされ、社宅をも追い出された結果住居まで失ってしまった。そんな派遣労働者ら
が東京の日比谷に集まり新年を迎えた。それが一昨年の冬であった。そして、昨年末もこの
ような派遣村が登場した。恐らく今年も同様のものができるのであろう。そこで今回は労働者
派遣法の問題について論じたい。
 労働者派遣法が成立したのは1985年のことであった。職業安定法第44条ではいわゆる
「人貸し事業」、正式には労働者供給事業の禁止を定めている。それにもかかわらず、労働
者派遣事業を例外として認めた。それがそもそもの始まりである。当初、派遣対象業務とな
ったものは通訳や速記など13の専門業務に限定されていた。しかし小泉政権下の構造改
革以後は規制緩和を求める財界の要求で、13の専門業務は26業務に拡大された。そして、
99年には派遣対象とする業務そのものが原則として自由化された。そのため04年からは
製造業にも解禁されて今日に至っている。そのため、この20年間で非正規雇用者ばかりが
増え続けた。今では労働者の3人に1人、若年者と女性にいたっては2人に1人が非正規労
働者という実態である。対象業務が原則自由化されたこの10年間で派遣労働者は107万
人から399万人へと急増し、年収200万円未満の給与所得者は全体の17.9%から23.2
%へと増えた。使用者側からみれば、労働者を安価にかつ短期間の契約で調達できるのだ
から、これほど好都合な人材はないだろう。しかし、この結果大量のワーキングプアを生み出
してしまった。そこへもってきて08年にリーマンショックが起きた。これにより、大企業全体で
25万人もの非正規雇用者を雇い止めにした。政権が民主党に交代して鳩山内閣のもとで労
働者派遣法の改正法案が出された。当時の長妻厚生労働大臣は公労使3者の間でなされ
たぎりぎりの妥協案と主張したが、労働者側にとっては次の6点において大きな問題点を残
した。
 第1に、製造業派遣の原則禁止を謳いながらも、常時雇用する派遣労働を認めたことであ
る。しかし常時雇用とは言うもののその中身は「1年以上の雇用見込みがあるもの」と定めた
に過ぎない。しかも日雇いや月単位の短期の雇用契約を繰り返している人であっても、1年
以上の雇用見込みがある場合は常時雇用になってしまう。高校や大学を卒業した人間が就
職し定年まで勤労する年数からすれば、1年というのは1/40にも満たない期間である。予
算委員会において長妻厚生労働大臣は「日雇いや2〜3か月といった短期の派遣雇用を認
めないことだけでも前進である」と答弁していた。だが、そもそも日雇いや週単位・月単位で
の派遣を野放図にしてきたことが政府の責任として重大なのである。したがって、日雇いが
1年に延びたからといって評価に値するものではないと私は考える。もともと製造業に従事
する派遣労働者55万人のうち64%にあたる35万人余りは常時雇用型派遣である。だか
ら、08年のリーマンショックの際に派遣契約の中途で解雇された労働者の8割は常時雇用
の派遣労働者であった。つまり、常時雇用というものの、その内実はいともあっさりと雇い止
めされる立場に置かれていたわけで、およそ安定した生活を労働者に保障するものとは言
えないのが実態だ。
 第2に、派遣労働者や登録型派遣の原則禁止を謳いながらも、専門業務を例外としている
ことである。専門業務が雇用の安定の観点でなぜ問題が少ないといえるのか。まずその点
が理解できない。そして最大の問題点は専門業務と言えない業務までこれに含まれている
ことだ。専門業務の従事者というと、ごく一部の人しか存在しないプロフェッショナルな人々を
想像するだろう。しかし、現在この「専門業務」に100万人もの派遣労働者が雇われている。
そんなに専門家がいるはずはなく、その半数近い45万人は事務用機器の操作に従事して
いるのが実態である。事務用機器とは25年前にワープロ・タイプライター・電子計算機と定
められ、後にコピー機やファックスが加わり、現在では25年前に定められた3者がオフィス
用コンピュータに取って代わった。つまり、パソコンである。しかしパソコンといっても高度な
技能が要求されるアプリケーションではなく、文字入力など中学校の授業で指導しているレ
ベルのものである。こんなものは専門業務とは到底言えない。しかし派遣の現場ではパソ
コンを使う業務が少しあることを理由に専門業務扱いされ、執務時間の大半は来客・電話
の応対と書類のコピーをさせられているのが実態だ。まさに有名無実の「専門業務」である。
本当の意味での専門業務というのはそれこそ大学院を卒業したレベルの学識や、それに
匹敵する国家試験に合格することで得られる免許を所持していないと就業できない業務を
指すべきである。コピー機での複写やパソコンでの文字入力などは、それができない人の
方が圧倒的に少ないのであるから、こんなものまで専門業務に含めるのは論外だ。このよ
うに、専門業派遣に関しては違法状態がまかりとおっている。事前面接も行われているし、
専門業の名のもとに専門ではない業務をさせられ、しかも期間の制限なく働かされている。
つまり永遠に身分は派遣労働者のままということになる。
 第3に、みなし雇用制度を盛り込んだが、著しく不十分な内容であるという点だ。これは違
法な派遣があった場合の救済策として盛り込まれたものである。しかし、派遣先が違法であ
ったことを知らず、かつ知らなかったことについて過失がないと認められる場合はみなし雇
用制度の適用外としたのである。これでは派遣先の企業が「違法であることを知らなかった」
と言えば済まされてしまい、労働者は泣き寝入りを余儀なくされることになる。人を雇用する
以上は知っているのが当然であり使用者側に課せられた義務であろう。いかなる理由であ
っても故意・過失を問わず「知らなかった」という言い訳を認めてはならない。
 第4に派遣先の企業で直接雇用になっても労働条件は以前と同じままになることも問題で
ある。派遣元と短期の雇用契約を繰り返し更新して、当初から違法状態のままで何年も働い
てきた場合、違法状態が告発されてみなし雇用となってもすぐに雇い止めになっているケー
スも多い。これでは違法派遣で偽装された派遣労働者を守ることはできまい。雇用は正社員
が当たり前という社会にしなければならないのだから、直ちに終身雇用される制度にすへき
である。
 第5にグループ企業内への派遣を8割まで認めることも盛り込まれた点である。これは、本
来なら親会社が直接雇用すべき労働者を子会社である派遣会社へ転籍させ、派遣労働者
として雇用するというきわめて悪質なものである。たとえば次のような例があった。2009年
12月、NTT東日本北海道に直接雇用された契約社員700名全員を契約途中の年末で解
雇し、グループ子会社であるNTT北海道テレマート社への登録型派遣社員に雇用替えしよ
うとしていることが明らかになった。700名の契約社員のうち680名が既に雇用替えの同意
書を提出している。派遣社員という不安定な身分になるのにもかかわらず、なぜ彼らは雇用
替えの同意書に署名したのか。それはNTT北海道テレマート社へ行けば正社員化への道も
展望できるという謳い文句があったこと、雇用替えに同意しなかった場合は雇用契約期間で
ある翌年3月末で雇い止めにすると明記されていたからであった。つまり、700名の社員は
来月から派遣社員になるか3ヶ月後に失業するかを迫られたのである。派遣か失業かの2者
択一を迫られたら、派遣社員への道を選ばざるを得ないだろう。しかし、テレマート社へ行け
ば正社員化への道もあるとはいうものの、実際には数%の人しか昇格しないという低率なも
のに過ぎなかった。切り替え後の待遇も月給制の契約社員と謳っているものの、実態は専門
業務を担う登録型派遣である。仕事がなければ原則として解雇、使用者側には3年後の雇用
義務がないという不安定な雇用形態であった。専門業務は登録型派遣の原則禁止の対象外
という抜け穴を巧妙に駆使したもので、彼らは虚偽の説明を受け恫喝までされた末に雇用替
え同意書に署名させられたことになる。グループ内派遣を許せばどういう結末になるかを絵
に描いたように現したのが、このような転籍事例であろう。
 最後に、政府のやる気のなさも厳しく非難せざるを得ない。登録型派遣の原則禁止も製造
業派遣の原則禁止も法律の施行期日は3年後であるからだ。直ちに労働者を救わなければ
ならないのだから、労働者派遣法の抜本的な改正は待ったなしの課題である。それを3年も
先送りするとは一体どういうことなのか。年間3万人もの人が自殺を遂げる状態がここ15年
連続で続いており、その過半数が経済苦による自殺である。今働いている人でさえいつ雇い
止めされるかもわからず、まさに明日の暮らしさえ成り立つかもわからぬ不安定な状況に置
かれている派遣労働者を、一刻も早く救おうとする気が今の政府にはないのだろうか。3年
も先送りするのでは、そう非難されても弁解できまい。
 首都圏のJRの駅やJR線の主な踏切に夜になってから行くとすぐにわかるのだが、白色の
蛍光灯による通常の照明の他に青く光る照明が設置されている。そんな場所で電車を待とう
ものなら後ろから幽霊でも出てきそうで、私には不気味に感じられる。この青色の照明はホ
ームや線路からの飛び込み自殺を企てようとする者に対して自殺を思いとどまらせる心理学
上の効果があるとされ、特に自殺者の多い中央本線(東京〜高尾)を皮切りに首都圏のJR
各線で電車の進入速度が最も高いホームの先端部分に導入された。しかし、青い照明を設
置した場所で自殺を撲滅できたとしても、他にいくらでも自殺をする場所はあるし、電車への
投身以外にも自殺の方法はいくらでもある。だから、そんなものでは根本的な解決にはなら
ないのである。それよりも大企業の横暴こそ撲滅し、誰もが安心して長く働ける社会にすべ
きではないのか。菅首相は「一に雇用、二に雇用、三に雇用」と所信表明演説で「雇用」を連
呼した。それならばいつまでも財界の言いなりになって労働者を犠牲にするのではなく、経済
苦による自殺者を出さない施策を講じるべきだ。

342「政治献金のありかた」(11月 8日)**********************************************
 2003年の7月、民主党は当時の自由党・日本共産党・社会民主党との4会派共同で政
治資金規正法の一部を改正する法律案を提出した。その改正の骨子は、公共事業を受注
する企業による政治献金の全面禁止である。改正法案を提案した際に民主党の議員は予
算委員会の場で「大きな話題となっている公共事業受注企業からの政治献金は言わば税
金の還流であり、政・官・業の癒着の温床となっているものであります」と趣旨説明をしてい
る。こうして少なくとも公共事業を受注する企業からの政治献金を民主党は否定したのであ
る。あの歴史的審判が下された衆議院議員選挙の際も、民主党は「企業や団体による献
金及びパーティー券の購入を全面的に禁止する」と主張し国民の支持を訴えていた。その
後行われた直近の参議院議員選挙でも、「個人献金促進の税制改正に併せて政治資金
規正法を改正し、企業・団体による献金やパーティー券購入を禁止する」と主張し選挙戦
に臨んでいた。ところが先月27日になって、民主党の岡田克也幹事長は企業・団体献金
を解禁する方針を打ち出した。上述の経緯を考えると、この発表は重大な公約違反であり、
政治浄化を後退させるものと言わざるを得ない。
 企業・団体献金を認める方針に転換した理由は、過度な国費依存の是非を考えたためと
言っていた。ここでいう「国費」とは政党助成金のことを指す。しかし、そもそも政党助成金と
いう制度にしたのは、公共事業をめぐって公正な入札がなされず、献金をした特定の企業
だけが利益を得るという不祥事が繰り返されてきたからである。政党助成金を減額しその
分を企業・団体献金で補填することを認めたら、「天の声」なるものが復活することは目に
見えている。ましてや今は自らの政党に属する小沢一郎前幹事長が政治資金疑惑の渦中
の人物となっている。検察審査会が政治資金規正法違反の罪で起訴すべきだと2度にわた
って判断を下した。そのため現在、小沢前幹事長は強制起訴されている。収支報告書の虚
偽記載だけでなくゼネコンによる闇献金疑惑を含めた真相究明を図るべく、野党から要求
されている証人喚問にも応じて政治家として政治的・道義的責任を果たすべきである。そし
て事件の再発防止のためにも企業・団体献金の全面禁止を実行に移すのが民主党として
やるべき仕事であろう。小沢前幹事長の政治団体「陸山会」の土地購入資金に充てられた
4億円の原資が問われているという今、献金を解禁するというのはどういう見識なのか。私
には理解できない。
 そしてこの岡田幹事長の発言に対して日本経団連の会長が歓迎の意を表していることも
看過できない。逆に言えば企業・団体献金に関する今回の民主党の方針転換は日本経団
連の意向によるものではなかったのかという疑念さえわいてくる。経団連の会長は「社会的
責任とルールに基づいた献金」と言っていたが、企業の社会的責任を全うしようと思うのな
ら労働者の雇い止め問題や下請け企業に対する下請け代金の買い叩きなど、横暴極まり
ない弱者いじめを繰り返していることこそ即刻やめるべきである。そのために過度な内部留
保をやめ、内需の喚起につなげるのが当面の企業が果たすべき社会的責任であり、政治
献金に対して社会的責任を持ち出すのは論外である。どうしても企業や団体の献金をとい
うのであれば、次のようにしてはどうだろうか。
 今年もあと2ヶ月足らずで終わり、2011年を迎えようとしている。毎年正月には寺社に初
詣をするのが日本の文化になっている。好景気で迎えることができた新年はもちろんのこと、
たとえどんなに不景気であっても、否、不景気であるからこそ、「今年こそは」と願いをかけ
て人々は賽銭箱にお金を投げ入れる。政治献金もこれと同じ方式にするのである。すなわ
ち各政党の本部と全国の支部に賽銭箱を用意しておく。その政党に献金したいと思った人
はそこに現金を投入する。寺社の賽銭箱と同様に誰がいくら投入したのかわからないよう
になるから、仮に企業や団体が現金を投入しても献金した企業に対してその政党から恩恵
を受けるという事態にはならない。私は企業や団体が献金することそれ自体は決して悪い
とは思わない。当該企業に勤務する社員全員、あるいは当該団体の構成員の全員が賛成
しているという条件が満たされている限りは、特定の政党に献金しても良いだろう。しかし、
献金した企業や団体に対して何らかの利益をもたらすような政治家の行動があるから問題
となるのである。どこの企業がいくら献金したのか全くわからない状況にすれば、利益誘導
をしたくてもできないから天の声も発しようがない。現に我々は寺社に初詣した際に賽銭を
投げ入れているが、それは参拝者が「今年1年の無事を」といった個々人の心で投げ入れ
ているわけであり、寺社から自分に対して何らかの見返りを期待して投げ入れているわけ
ではない。だから企業や団体もそうした「心」で献金するぶんには何の問題もない。それで
は政党に一銭もお金が集まらないと言われそうだが、それはその政党がその程度の価値
しか認められていないと評価されている証左であり、賽銭箱にお金を入れる価値があると
評価されるよう全党挙げて努力すれば良いだけのことである。
 その昔、横浜ベイスターズに佐々木一浩投手が在籍していた。彼は「大魔神」と言われて
いた。そして彼の多大なる貢献で横浜ベイスターズは98年に権藤監督の下で38年ぶりの
優勝を果たした。その年は、シーズンの後半に入り横浜の優勝が予想される頃から、JR横
浜駅東口から徒歩5分のところにある、そごう横浜店の前に「大魔神社」と名付けられた神
社?が建立され、優勝が確信される終盤には莫大な金額が集まった。それはとりもなおさ
ず佐々木一浩投手が当時の球界を代表する抑え投手であったからである。つまりそれだけ
の活躍をすれば市民は高く評価して賽銭を払うという行動となって現れるわけだ。政党もそ
れに匹敵する活躍をして有権者から高い評価を得られるように努めるのが、主権在民たる
国家において目指すべき政党の姿ではないだろうか。

341「大学は出たけれど……」(10月31日)********************************************
 大学生の就職難が深刻な状況になっている。「超氷河期」といわれた02年度以上に就職
難となっており、それとともにさまざまな弊害が生じている。また、出願した学生に対する企
業の態度も悪質化している。以前に「彼(彼女)はいますか?」といったような採用とは明ら
かに関係のない質問をしたり、面接時に学生の誰もが不愉快になるような質問を意図的に
する、いわゆる圧迫面接が問題視されたが、今はそれだけではない。今回はこうした問題
を取り上げ世に訴えておきたい。
 昔は企業と大学との間には就職協定が取り交わされていた。この協定は1952年から施
行され、大学卒の就職に関しては4年生の10月から会社訪問が解禁となっていた。だから
学生は年度首から取り組んできた卒業論文の目途がほぼついた段階から就職活動を始め
ることができた。ところが好況時には10月よりも早く人材を確保しようとするようになった。
これがいわゆる青田刈りである。その原因は就職協定の違反に対する罰則規定がなかっ
たためである。こうしてほとんどんの企業が早期に採用活動を始める方向に走り、就職協
定そのものが有名無実化してしまった。バブルがはじけて「就職超氷河期」と言われた02
年からは、学生の就職活動がますます早期化するようになった。04年度の場合でみると、
3年生の後期試験が終わる2月から企業との接触が始まっている。そして現在は3年生の
前期からインターンシップから企業との接触が始まり、秋口にオープンセミナーが開催され
るとともに社員交流がもたれ、年明け早々には会社説明会、続いて選考がなされる。つま
り、4年生にならないうちからもう採否を前提とした選考試験が行われていることになる。し
かし不況のため内定を得ることができなかったり、あるいは選考試験が数次にわたって繰
り返されるため、就職活動が4年生の後期に入ってもなお延々と続くというのが常態化して
いる。
 このように就職活動が早期化かつ長期化しているため、学生の本分である学業に専念
できないという事態を招いている。大学3年生で専門分野の研究をすべくゼミに所属しても、
早々に就職活動で欠席を余儀なくされる。そして就職活動が4年生になっても続くため、卒
業論文の執筆に向けた研究もなかなか始めることができない状況になっている。大学院の
修士課程では1年生の夏場から就職活動をせざるを得ず、進学当初から満足な研究がで
きなくなってしまっている。大学にしろ大学院にしろ学問を研究する場であることは言うまで
もない。特に3年生は一般教養が修了し、各自が専攻する分野の教育を受けることが可能
になる学年である。専門知識を身につけたり必要な資格を取得するための貴重な時期が就
職活動のために阻害されているのである。これでは本末転倒であろう。
 企業の採用活動も悪質化していることも看過できない。たとえば1次試験に合格した者に
は学生の携帯電話に2次試験の通知がなされるのだが、このときに学生がすぐに電話に出
ないとそこでもう本人との縁を切ってしまうのである。 通学その他の事情で電車やバスに乗
っていて通話が許されない場合もあるだろう。大学での授業中で電話に出られない場合もあ
るだろう。電話が夜にかかっても入浴中ということもあるだろうし、アルバイト先での業務中と
いう場合もある。これらの場合、学生としては着信記録から折り返して電話をかけるしかない。
しかし企業側は非通知設定や発信専用ダイヤルが使って連絡をしているから、学生の側か
らは連絡できないようになっているのだ。だから四六時中電話に出られる状況でないと採用
への道を断たれることになる。そしてこれが1次試験のみならず5次6次といった最終の試験
まで繰り返される。企業側はエントリーシートの提出期限を告知するだけで、その後採用決定
に至るまでの日程も明らかにしないことが多い。そのため一旦その会社にエントリーシートを
提出すると、いつ会社から呼び出されるかわからないという状況が続いている。これでは、学
生側からすると何一つ予定が立てられないことになる。地方の学生の場合はさらに事情は深
刻である。地方では企業そのものの数も少なく採用の絶対数がない。したがって首都圏や関
西圏といった大都市の企業を受験することになるが、このように何度も呼び出されるとなると
往復の交通費や宿泊費がバカにならない。学生の中には就職活動が長期化することを想定
して月極めのウィークリーマンションを契約して仮住まいで臨む人もいるが、経済的な負担は
相当なものである。しかし、企業も行政も大学も地方から受験している学生に対する経済的
支援は何もしていない。そのため文字通り「金の切れ目が縁の切れ目」となってしまっている。
 今年度からは卒業後3年以内の既卒者は新卒扱いにするということになったが、それは昨
今の就職難がいかに深刻であるかを如実に物語っている。「不況だから就職難は仕方がな
い」と企業側は言うが、それは言い訳である。正社員の人数を大幅に削減する一方で、派遣
社員・契約社員・請負社員といった形で非正規雇用を拡大したからだ。これら非正規雇用に
よる労働者は短期の契約で安価な労働力を容易に調達できるので、企業にとってはこのうえ
なく好都合な人材である。だが、こういったことをいつまでも許していては学生の就職活動の
問題は永遠に解決されない。労働者派遣法の法律を抜本的に改正し、大部分が有価証券と
して海外に投資されている大企業の内部留保を国内の雇用や設備投資に回すよう政府が企
業に働きかけ、内需の拡大に向けた施策をすべきである。