菅ちゃんの呟き
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200「テストが終わっても仕事はまだある」(12月20日)*********************************
 ようやく試験も採点も終わり、最も忙しい日々からはとりあえず解放された。しかし、それ
で学校の仕事が暇になったわけではない。前期・後期の2期制なので、試験後も直ちに後
期期末試験に向けての授業が再開されている。しかし、その授業も今週末で今年の分が
終わるので、授業の合間には年明けに行う小倉百人一首大会の準備を進めながら、冬季
休業期間中の課題を用意している。また放課後には、後期中間試験の成績が芳しくなかっ
た生徒を一人ずつ呼んで個別指導している。国語の試験は分野ごとに得手不得手がかな
りはっきり現れる。たとえば漢字は高得点だが読解問題がダメだとか、古文ができても漢
文が得点できないとか、同じ古文でも古典文法だけが著しく悪いという具合だ。もともと試
験に備えて勉強していなかったというケースは別として、人並みに時間をかけて勉強してい
たのにもかかわらず思ったほどの成績が上げられなかったという場合は、たいていその生
徒の勉強の方法そのものに問題がある。そこで、何が原因だったのかを検討し今後の対
策を考えて助言する。そんなこんなで、試験が終わっても冬季休業に入るまではやはり忙
しい。全ての業務から解放されるのは22日の授業後からだ。私はその日の夜に出発する
大阪行きの寝台列車に乗って帰省する予定でいる。さて、おかげさまでこの『日記とお知ら
せ』も今回をもって200回に達することができた。来年も毎週1回ずつの更新で250回を
目標に進めていきたい。

199「ホテル泊りがけで仕事?」(12月14日)******************************************
 この1週間は成績処理でぎりぎりの時刻まで学校に居残る日々であった。それでも学校
から近い距離に自宅があればどうということもないのだが、私の場合は最速でも通勤時間
に片道2時間10分を要するのが難点だ。他の職員に比べ帰宅時刻も就寝時刻も必然的
に遅くなる。学校を19時30分に出ると、まっすぐ帰っても自宅に着くのは22時近くになる。
それでは夕食の時刻があまりにも遅くなるので退勤途中に外食してから帰らざるを得ない。
だから帰宅はいつも23時前後だ。しかしそれで直ちに寝られるわけではない。学校でやり
残した仕事を帰宅後にしていることも少なくないからだ。だから寝るのは午前2時前後にな
るのが常で、したがって翌朝まで4時間足らずしか寝られないことになる。このような日々が
恒常的に続くのでは身体がつらいので、学校至近のホテルに泊まることもしばしばだ。いつ
もお世話になっているホテルがあって昨夜もそこに泊まってしまった。2週連続で水曜日に
日記の原稿を更新できなかったのは、じつはそのためである。ホテルに泊まれば最低でも
7時間の睡眠時間を確保できる。自腹で一泊6800円の宿泊費は決して安くはない額だが、
それでも学校近くのアパートに転居して一人暮らしをすることを考えれば安上がりだろう。

    (塾長コメント: 菅ちゃん、まさに激務ですね!私だったら耐えられないです。22時といえば、
             ほとんど寝ている時間。お身体、大丈夫でしょうか?)

198「本年最後の試験問題も悪戦苦闘」(12月 7日)***********************************
 今、『言わせて頂戴』では「テストを行う負担は国語科が最大」という話題を掲載し、塾長
からのコメントもいただき大いに議論が盛り上がっているが、その国語のテストの作成を
一昨日から始めて昨夜ようやく終えた。作成したのは第1学年の「国語総合」という一科目
だけだが、中身は80点満点の現代文と120点満点の古典とに分かれているから、実質
的には異なる2科目の試験問題を作成したのと同然である。
 私の勤務先の高校は試験時間が1時間20分と非常に長い。数学の場合は難易度を上
げて1問を解くのに長考を要する問題を増やすことで全体の分量を抑えることが可能だが、
国語の場合はそれが不可能なのでどうしても問題数を増やさざるを得ず、結果としてほと
んどの問題が1つ1点になってしまった。だから、200点満点にもかかわらず解答欄の数
は優に170は超えている。それも複数の箇所を正解してはじめて完答1点となる設問も少
なくない。『言わせて頂戴』でも書いたとおり、今回もまた「できる限り問題文の分量を多く
掲載し問題数を増やしたい」という欲望と「問題用紙を上限の3枚以内に収めなければな
らない」という条件との葛藤に悩まされた。
 そしてこれも毎度のことだが、たかだか1科目の試験問題を作るだけなのになんと時間
のかかることか。一昨日は19時過ぎから自宅で問題の原案を作成して完成したのが23
時30分、昨日は14時に作業を再開し印刷した用紙を試験問題保管用のロッカーに入れ
たのが職員退勤時刻ぎりぎりの19時25分。(19時30分以後は翌朝7時まで機械警備が
作動し職員といえども校舎内に残ると通報されてしまう。)もし間に合わなかったら今朝7時
に出勤し職員打ち合わせ時刻となる8時30分までの90分間で印刷を済ませなければなら
ないところだった。
 作成に要した時間は一昨日と昨日の合計で9時間55分にも及んでいる。私が授業に行
く前に「さて、じゃあ今から試験問題でも作ってみるか〜。」と言っておもむろにパソコンの
前に腰を下ろしたのに、私が授業を終えて職員室に戻ってくるともう印刷用の問題原稿が
できあがっていて、「今度のテストはこれでいいかな?」などと他の同僚に確認を求めてい
る数学科の先生を見ると、『言わせて頂戴』でぼやきたくもなるというものだ。さて、試験は
本日の朝である。昼飯前には試験が終わるから今度はその170箇所以上にも及ぶ解答
欄を一字一句見て採点する作業が待っている。まさに国語科は「トホホ・・・・・・」の世界だ。

    (塾長コメント: 菅ちゃん、600分に及ぶ作問作業そして170箇所以上の採点作業、ご苦労
             様です!でも、自らそういう状況に追い込んでいるような...予感。もっと労少
             なく益多し方法はないものなのでしょうか?)

197「冬休みの旅行計画を一部変更」(11月29日)*************************************
 毎年恒例のことだが、先々週から先週にかけて冬休み中に行く旅行の計画を練っていた。
九州・四国の鉄道線は既に全線乗ったので山口県下で、まだ乗っていない岩徳線(岩国〜
櫛ヶ浜)と錦側鉄道(川西〜錦町)、そして兵庫・岡山・鳥取県内を走る智頭鉄道(上郡〜智
頭)、そして姫新線(姫路〜新見)、津山線(岡山〜津山)を乗りに行くことに決めていた。そ
のための旅程も考え必要な切符の予約も済ませていたのだが、津山線の玉柏〜牧山で今
月19日に落石による列車事故が発生してしまい、この区間が不通になってしまった。それ
以外の区間は折り返し運転をしているので乗れはするのだが、どうせ乗るのなら岡山から
一気に全線を走破したいので、津山線を除いた残りの各線を訪ねる旅程に変更することに
した。出発は12月22日の勤務後の夜行列車である。

    (塾長コメント: 当方は未だ年末の計画までたどりついていません。時間がもう2倍くらい欲し
             い感じです。)

196「フグ料理を堪能しました」(11月22日)*******************************************
 先週の水曜日のことであった。まだ忘年会にはいささか早いシーズンだが、勤務先の高
校の国語科の教員でフグ料理を出す店に行って宴会をした。フグの刺身に始まり、フグの
カラアゲ、フグカツ(見た目はとんかつと変わらない)、そしてフグ鍋、最後にフグ鍋を使っ
て雑炊という、まさにフグ尽くしであった。料理はどれもおいしかった。フグといえば本州の
西端の山口県下関市が本場だが、そこで水揚げされたばかりのフグを食べているような
新鮮な味であった。料理を堪能しながら折からの履修漏れ問題や本校の教育課程の話、
教職員の人事の話などが飛び交ったが、さすがは国語科だけにいつのまにか言葉や文
学の話題で盛り上がる。そんな中、ふと気づいたのは私の勤めている高校の国語科の男
性職員は私以外の全員が喫煙し飲酒もするということだ。5人で集まり3時間程度の宴会
を催しただけなのに、最後は灰皿が30本近くの吸殻で山のようになっていた。ちなみに喫
煙も飲酒もする男性は全くしない人に比べて食道がんの発生率が10倍以上も高いという
恐ろしいデータがある。思わず、みなさんだいじょうぶなのだろうかと心配になった。

195「電気ストーブとライターの季節が来た」(11月15日)********************************
 今月に入り次第に寒くなってきた。特に朝夕の冷え込みは厳しくなってきた。学校の職員
室にはまだ暖房は入らないので、今年も自分の机の下に電気ストーブを入れて、自分だけ
暖まることにした。そして暖気が逃げないようにひざ掛けも併用している。朝夕の通勤時は
コートとマフラーを着用している。他の同僚からは「かなり寒がりですねぇ」と言われるが、こ
ればかりは仕方がない。(その代わり私は真夏でも長袖のワイシャツにベストを着て平気で
いられるから、夏の暑さには強いのだろう。)それと、これから寒くなる時期に欠かせないの
がライターとデスクライトである。普通、ライターはタバコに火をつけるとき、デスクライトは事
務机で書類を作成するときに手元を明るくするために使うものだが、私の場合は違う。どち
らも冷えた手指を暖めるために使うのだ。というのは冬場は指先が異常に冷えて指の感覚
が失われることがあるからだ。そこで学校にいるときは自席のデスクライトの電球に手のひ
らを当てて暖め、出先ではライターをつけて手のひらを火で炙るようにして暖める。そうしな
いとチョーク1本つかむことすらできないから、私にとってライターとデスクライトは特に朝の
授業前には欠かせないアイテムになっている。タバコなど1本も吸ったことがないのにライタ
ーを買うのは私ぐらいだけかもしれない。だいたい一冬に20本前後は空にしている。

    (塾長コメント: 私は菅ちゃんとは正反対ですね!世間体から冬場は長袖を着ていますが、半
             袖でも全然平気です。厚着をすると風邪を引くという体質なので、極力薄着を心
             がけています。そういえば、私の高校時代、雪の降り積もる中、短パンでサッカ
             ーに興じている人がたくさんいましたね。
              菅ちゃんに身体を暖める秘策を伝授!
             (その1) お辞儀をする動作を繰り返す。・・・・これだけでバッチリ。
             (その2) 腕を円運動させる。・・・・これだけでバッチリ。
             ライターなどで暖めるよりも身体の芯から暖まるので長持ちすると思います。)

194「久しぶりに東京へ買い物」(11月 8日)******************************************
 先週の金曜日から3連休だったので、それを利用して連休初日の3日に東京へ買い物に
出かけた。東京へは前から行く機会をうかがっていたのだが、学校行事や教材の準備その
他で夏休みが終わってからは全く行く機会がなかった。まず明るい時間に神保町の書店街
と、渋谷の「ハロプロショップ」に行き、モーニング娘。などのグッズを買った。書店街は閉店
時間が比較的早い。時間のあるうちにじっくり本を探すには、早い時刻に行ったほうが良い。
「ハロプロショップ」も午後からは混んでくるし、買う予定の品物が売り切れになる恐れがあ
る。
 その後、新宿の高島屋の催事場で北海道の物産展をやっていたので、大好物の「白い恋
人」を買った。「白い恋人」は北海道を代表する土産物の一つではあるが、百貨店の全国銘
菓のコーナーでは売っておらず、今回のような期間限定の北海道物産展以外では、現地に
行かなければ決して手に入れることができない銘菓である。北海道へは来夏にならないと行
けそうもないので、この日に買わなければ「白い恋人」はあと8ヶ月は我慢しなければならな
い。だからものすごい人ごみをものともせず買いに行った。
 最後に、新宿に私の行きつけの紳士服専門店があるので、そこでワイシャツとベストを購
入した。私が着用するベスト・ネクタイは曜日ごとにすべて色が決まっている。(詳細は11月
6日掲載分の『言わせて頂戴』
を参照)したがって各々のベスト・ネクタイは1週間に1日だけ
着用しているのだが、古くなってきたらほぼ同じ色の新品を買わなければならないので、今
回はそれを買いに行ったのである。店からは5000円分のお誕生日割引券をいただいてい
るので、普通なら6着で合計25000円になるところを半額で済ませてきた。朝から効率よく
回ったつもりだが、家に帰ったら午前0時に近い時刻になっていた。一応行く予定の店はす
べて行き、買う予定でいた品物はすべて買うことができたのだが、買い物というのは結構時
間のかかるものだと改めて思った。

193「列車ダイヤが乱れる事件ばかり」(11月 1日)************************************
 この1週間も学校と自宅とを往復する日々だったが、事故その他の理由で、私が通勤に
利用している路線の列車ダイヤが乱れる日が多かった。10月25日は小田原市内の小田
急線蛍田駅で人身事故、翌26日は神奈川県茅ヶ崎市内のJR東海道本線の踏切で列車
支障事故。これはトラックの荷台からショベルカーが線路上に落ちる事故だったので現場
からショベルカーが撤収されるまで東海道本線の東京〜熱海が4時間以上にわたって不
通になった。さらに翌27日は東京都渋谷区の小田急線参宮橋〜代々木八幡で、線路上
を歩いた一般人がいたため付近を走行する全ての列車に非常ブレーキがかかって止まる
という事件が発生した。この3件とも夕刻ラッシュ時の列車ダイヤが乱れたため、私自身も
所定の時間に帰宅できなかった。それ以外にも車内で出た急病人の対応で特定の列車
が数分遅れたりするのは日常的だ。なんとかならないものだろうか。

192「やはり異常値が出た」(10月25日)**********************************************
 以前に、このコーナーで書いた職員健康診断の結果が返ってきた。案の定、異常値が出
ている。血圧も高めだが、特に心電図はここ数年以上にわたって毎年異常だ。不整脈では
ないが洞性頻脈である。総合判定欄の所見には「要精密検査」となっていた。だが、正直な
ところ私はあまり気にはしていない。というのは、以前からずっと「異常」と判定されているに
もかかわらず何事もなく日常生活を送ることができているからだ。頻脈なのは当日緊張した
状態で検査に臨んだ結果そうなっただけなのだろう。そう私は判断している。血圧が高めに
出るのも同じ理由だろう。だからどうということはないのだと信じているが、一つ気になるの
は検査を受けたのが学期中ではなく夏休みの終わりだということである。つまり、のんびりと
1ヶ月以上過ごした直後の検査なのだ。それで心電図が「異常」なのだから、学期中だった
らもっと悪い検査結果になっているのではと思わずにいられない。学期が佳境に入る頃は
ずっと多忙だ。家で確保できる睡眠時間が4時間程度、足りない分は往復の通勤電車の中
という日々が恒常的に続いているからだ。ひょっとしたら、しまいには急性心不全で倒れる
かもしれない。だから本当は心電図を24時間計測する精密検査を受け、安静時にも洞性
頻脈が現れるか否かを調べるべきなのだろうが、それで万が一重大な病気を宣告されて
「直ちに入院してください」などと言われる恐怖を考えると、とても怖くて病院に行けたもので
はないというのが本音だ。

191「もう少しゆとりが欲しい」(10月18日)********************************************
 この1週間は、というよりも夏休みがあけてからの数週間は、ずっと学校と自宅とを往復
するだけの日々が続いている。帰宅途中にどこかに立ち寄る時間もないほど忙しい。関東
地方もすっかり涼しくなり折りしも読書の秋。国語科の教員として学校で生徒に朝の読書
(登校して1時間目の授業をするまでの間の時間に生徒各自が読書をする)を勧めている
立場でもあり、私も帰りに公立の図書館に寄って本を手に取る時間が欲しいとは思うのだ
が、学校を退勤するのが午後7時なのだからどこの図書館も閉館している。だからそんな
余裕は夢のまた夢というのが実情だ。こんな有様なので買い物もなかなか行けない。先々
週が誕生日だったので、私が会員登録をしている店舗からは「お誕生日割引はがき」なる
ものが届いている。それを持って行けば店頭表示価格よりも私だけが割り引かれる特典
だから、有効期間中に買い物に行かないと損をしてしまう。だから行く機会をうかがってい
るのだが、次から次へと押し寄せる仕事でいつになったら行けるのやら・・・。もう少しゆと
りを持った毎日を送りたいと思う今日この頃だ。

    (塾長コメント: 菅ちゃんも忙しそうで大変ですね!成果がすぐ目に見えるんだったらやりが
             いもあるのでしょうが、そうもいかず辛いところです。どうぞご自愛下さい。)

190「秋のバラを楽しんでいます」(10月11日)*****************************************
 先週に入ってから関東地方もさすがに涼しい日が増えて、ベランダで鉢植えにしている
バラがこれまで以上に元気になった。その勢いは、まるで春と勘違いしているのではない
かと思われるほどだ。茎のあちこちから新芽が出てあっという間に枝が伸び葉を増やして
蕾を作りだしたからである。そしてその蕾が今週になってから続々と開花している。今のと
ころその数は5つだ。これで今春最初に開花した蕾から合計して12個咲いたことになる。
四季咲きの品種だからきちんと管理していれば春・夏・秋と当然花が咲くのだが、前にも
書いたとおり一時は根頭癌腫病に侵されその後の生育も諦めかけていたバラである。そ
れを乗り越え、さらにバラにとって最もつらい夏の暑さをも乗り越えて、今こうして元気に
咲いただけに、感激もひとしおだ。

189「性格が正反対でも相性は抜群?」(10月 4日)***********************************
 一昨日の午後の授業中のことであった。私と長年親しくしている同僚が教室の出入り口
のドアを廊下から叩いて手招きしている。『何かいな』と思って出てみると、彼は小声で「あ
のさー、次の授業俺のクラスでしょ?終わったらさー、帰りのホームルームやっといてくれ
る?」と頼んでいる。早退か出張かはわからないが、何か事情があって彼は帰りのホーム
ルームの時間までは学校内で勤務しないのだろう。そういうときは副担任が代わりにホー
ムルームに行くことになっているのだが、彼は「副担任の××さんはさー、体育の授業が
終わってからだからクラスに来るの遅くなるんだよね。だからさー、代わりにやっちゃって
よ。」と言う。私は「うん、ええよ。」と了承して次の時間に彼のクラスへ行って授業をし頼ま
れたとおりホームルームをした。その後の教室の掃除のときのこと。「今日は担任の先生
はもう帰ったみたいやなぁ。」と生徒の一人に話を向けると、生徒は「うん。だから帰りのホ
ームルームは先生(注・私のこと)が来るからって朝から言っていたよ。」とのこと。何?私
に頼む前から朝のうちに生徒に話していたとは、彼もちゃっかりしたものだ。その後日直が
学級日誌を書いて持ってきたので、とりあえず読んでクラス担任欄にコメントを書いてから
職員室内の彼の机上に戻しておいた。そして翌朝。その担任の彼が言うには「ねぇ、これ
からさぁー学級日誌のコメントを先生書いてよ。俺、ああいうの書くの苦手なんだよ。昼飯
おごるからさぁ。頼むよ菅ちゃん。」だって。私は「何でわてが書かなあかんのや?」と突っ
込みの返答をしたが、あの様子では本当に学級日誌を書かされそうだ。
 さて、私が言いたいのはここからだ。彼を知らない読者の方はここまでの文章を読んで
恐らく「なんと勝手でやる気のない担任教師だろう。」という印象を彼に対して抱いたので
はなかろうか。だが、現実は憎めない性格で多くの同僚や生徒から慕われている。性格
も、几帳面で神経質な私とは全く似ても似つかないほど正反対で、豪放磊落そのもので
ある。それにもかかわらずこの10年来意見が対立して険悪なムードになることもなく、私
とはずっと相性の良い状態が続いている。私は彼の性格を羨ましいと思うし、逆に彼は私
の性格を羨ましがっている。人間の相性というものは、じつに摩訶不思議なものだ。

188「今度は自校の文化祭」(9月27日)**********************************************
 先週はじつに忙しかった。先々週に書いたとおり、週の前半は前期期末の成績処理の業
務に明け暮れていた。週の後半からは文化祭の準備に入り、先週の土曜日から2日間で
文化祭を、月曜日は午前中にその後片付けを、午後は創立40周年記念の演奏会と、行
事が立て続けにあったため、ホームページどころではなかったというのが実情であった。
 文化祭当日は台風の接近が心配されたものの、2日とも好天に恵まれて来場者も大勢
訪れた。私も縁日・迷路・お化け屋敷のコーナーで遊んだり、吹奏楽部や合唱部の発表を
鑑賞したりと、たっぷり楽しませてもらった。縁日や迷路やお化け屋敷は定番だが、風変わ
りな出し物としては「滑り台」があった。教室に手作りの滑り台が作られ来場者はそれを滑
るだけなのだが、ほぼ教室の天井に近い高さから7メートル先の床面に向かって滑るだけ
に、かなりの角度がついいたため迫力があった。これは過去の文化祭では体験できなか
った「遊び」だった。飲食物にしても普段学校では食べることができないものを味わえるの
が文化祭の魅力だ。茶道部の部員が立てたお茶をいただいたり、模擬店で生徒の作った
たこ焼きやポップコーンを買って食べたりした。文化祭といえども文化部関係のものばかり
ではない。グラウンドではサッカー部やラクビー部の招待試合が催され、本校の部員が全
力でプレーする姿を見せてくれた。そんなわけで、とても2日間では全てを見きれないほど
だった。後夜祭では有志のバンド演奏の後に花火で締めくくった。かなりの予算を花火に
つぎこんだらしいが、大音響とともに夜空に輝く花火を学校で間近に見られるのも文化祭
ならではである。

187「地球環境を考える文化祭に行きました」(9月21日)********************************
 先週の日曜日、私はパシフィコ横浜で開催されている「モーニング娘。”熱っちい地球を
冷ますんだっ”文化祭2006」を見学した。学校のほうは前期期末試験が終わったばかり
で本当は成績処理の真っ只中である。だからそんな催しに行く暇などとてもないほど忙し
いのだが、こういうときこそ思い切って息抜きして気分を変えることが必要と思い、昔の教
え子4名と昔の同僚教諭1名の計6人で桜木町駅で待ち合わせして行ってみた。さすがに
3連休とあって、会場は大勢の来場者で賑わっていた。私たちも会場内のあちこちを見て
回った。見たこともないバスが展示されていたり、木の工芸品が展示されていたりでとても
おもしろかった。しかし、最も笑えたのは皮肉にも来場者のほとんどがこの文化祭のテー
マである地球環境問題について全くといってよいほど関心を持っていないように見えたこ
とであった。確かに会場内には地球環境に関するパネル展示やさまざまなデモンストレー
ションがなされていたが、そういうコーナーはいつもがらがらで真剣に展示物を見ている者
は非常に少なかったからである。来場者のほとんどはモーニング娘。をはじめハロープロ
ジェクトに所属するアーティストが続々と生出演するLIVEやトークのコーナーに群がり、上
演中はそこから動こうとしない者ばかりであった。その生出演のコーナーは一日3回行わ
れていた。上演していない時間はというと、会場でしか買うことのできないモーニング娘。の
グッズ販売コーナーに殺到していた。だから、彼らはコンサートの1/5の値段でモーニン
グ娘。本人に会えることをあてにして来ただけであろう。あれではモーニング娘。がいくら
「地球環境を考えて私たちにできることをしよう。」と来場者に呼びかけても果たしてどれだ
けの効果があるのだろうか。思わず考えてしまった。

186「天橋立の旅(Part1)」(9月13日)**********************************************
 私の勤務する学校は先週後半から前期期末試験。幸い自分の試験は今週に入ってから
だったので、この週末を利用して京都の丹後半島にある天橋立に旅行することにした。8日
の金曜日の勤務後に慌しく今夜京都に向かう寝台列車の席を確保し、直ちに自宅に帰り旅
支度を済ませてから列車に乗った。朝からの勤務で疲れていたのであっという間に眠りに落
ちた。翌朝京都から山陰本線を進み、天橋立には午前中に着くことができた。駅から数分歩
いて観光船乗り場へ行く。船に乗り右手に松林が延々と続く橋立を見ながら対岸の一宮に
行き、ここからケーブルカーに乗って笠松公園に上がった。この日は快晴だったので眼下の
橋立と阿蘇の海はもちろんのこと、遠くに広がる若狭湾、さらには日本海の青い海を心行く
まで眺めることができた。公園には股覗きができるように「股のぞき台」が6箇所設けられて
いる。訪れた観光客は足を大の字に広げて上体を屈めて「股覗き」を試みている。もちろん
私も股覗きをしてみた。なるほど、目に映る光景は橋立が天にかかって伸びているように見
える。ただ単に人間の目の錯覚を利用しただけだが、これは現地に行って股覗きをしないと
絶対にわからない。「百聞は一見に如かず」とはよく言ったものだが、まさにこの言葉を実感
することができた旅になった。

185「不健康になるだけの健康診断」(9月 6日)***************************************
 先週分の1回が更新できなかったが、これには理由がある。職員の健康診断があったか
らである。学校の年間行事の中で何がつらいかというと、私は健康診断を挙げる。勤務に
支障をきたすから、これほどつらいものはない。まず、検査そのものの恐怖や検査結果が
不安だから前夜から眠れない。当日も睡眠不足のまま、出勤することになる。出勤途中の
乗り物で酔うことも少なくない。そして各種の検査に臨む。特に勤務に支障が出るのは血
液検査だ。静脈に針を刺して採血するのだが、終わった後は採血した側の腕が全く使えな
くなる。健康診断の当日は採血した部位が痛く、紙切れ数枚を持つのがやっとという状態
だから到底仕事にならない。翌日になれば物を持つことはできるものの、やはり力は入ら
ず、クルマのハンドルを握るようなことはできない。その後1週間程度は腕から指先にかけ
て痺れが走るなどの違和感が残る。血液を抜かれたことによる貧血症状もバカにはできな
い。採血後しばらくは横にならざるを得ない。その後も体がふらふらする。地震でもないの
に震度1や2の揺れがいつまでも続いているような感じに襲われる。そんな有様なので、私
にとっては恐怖の年間行事になっている。健康診断は雇用主にとっては義務だろうが、従
業員にとっては権利であって義務ではないと私は解釈している。伝染病である結核の検査
(胸部X線撮影)は別格だが、他の項目に関しては受診希望の人だけ任意の項目を受診さ
せるシステムにすれば良いのではなかろうか。毎年検査してもらえないと不安という人も多
いだろうが、私のように検査そのものをストレスと感じる人も皆無ではあるまい。何も検査し
てもらえない方がよっぽど平穏な日々を送れる――これが私の本音だ。

    (塾長コメント: 菅ちゃんの健康診断に対するプレッシャーはスゴい!ですね。逆に私は健康
             診断が大好きです。特に胃カメラをのんだ後の爽快感はたまりませんね!何か
             身体の芯から洗浄されたような気分になります。今年も共済組合から3万円の
             補助をいただいて人間ドックに行ってきました。ただ、最近はこの検査をやった
             らこういう結果が出るだろう...ということが先読みされてしまって、以前ほどの
             新鮮さが欠けてきているように思います。これはこれで、菅ちゃんとは逆の悩み
             ですね?)

184「バラの花がまた咲いた」(8月23日)*********************************************
 北海道の旅行から帰ってきてまず驚かされたのは、鉢に植えてあるバラであった。株元
に近い場所から2本、新しい茎がすーっと20cmほど伸びているではないか。出発前は新
しい茎など出る様子もなかっただけに、これには驚かされた。そしてバラにとって最も苦手
な季節である真夏にもかかわらず蕾をつけて先週の金曜日からきれいに花がひらいた。
春に咲いたものよりはかなり小ぶりだが、それでも咲いてくれたので私は感激した。6月
14日付けでこのコーナーに「バラの花は咲いたけど・・・」で以前に書いたが、それ以後の
バラの経過は芳しくなかった。花が終わってから急に勢いがなくなり葉も黄色く枯れて地
面に落ちはじめたからである。原因は株の根元に発生した腫瘍であった。これは根頭癌
腫病といい、つまりは我々日本人の死因のトップになっている癌である。私は「バラも癌に
かかるのか?」と思ったが、考えてみると癌は細胞分裂の過程で発生するのだから、人間
に限らず全ての生物に発生するのであろう。私は問題の癌種を直ちに摘出し、弱った株
に栄養を与えるべく追肥を施した。しかし、正直なところその後の成長はあまり期待してい
なかった。癌ならいずれ再発するだろうし、遅かれ早かれ助からないだろうと思ったからで
ある。バラの栽培に関するホームページにもそのような旨が書かれている。それが8月の
中旬に入ってから蕾をつけて開花したので感激した。今では2ヶ月前に癌にかかったこと
が信じられないほど茎が高く伸びて葉が茂っている。

    (塾長コメント: 私の自宅の玄関横に金魚草が根付いて花を咲かせていますが、一時危ない
             ときがありました。突然茂み全体が茶色く枯れ果てた状態になったのです。でも
             植物の復元力はすごいですね!見事復活しました。人間にも復元する力が秘め
             られているという話を聞きます。やはり何事も諦めてはいけないですね!)

183「北海道の旅(Part7)」(8月15日)**********************************************
 今朝は早く起きた。朝のうちに電車に乗らないと午前中に学校へ出勤できないからだ。行
くときは学校の勤務後に出て夜行列車に乗り、帰りは旅先から直接学校へ勤務してそれか
ら家に着く。これがここ10数年、私の旅のスタイルになっている。これにはそれなりのメリッ
トがある。まず旅立ちの日だが、朝から学校で仕事をすれば肉体的にも相当に疲れるから
その足で夜行列車に乗ってもすぐに眠れる。したがって翌朝、寝不足で辛い思いをしないで
済む。ところが朝自宅を出てすぐに旅先に向かう行程にすると、前夜から興奮して眠れなか
ったりする。恐らく「明日から非日常の空間に飛び出るのだ」という思いが神経を高ぶらせる
のであろう。そうすると出だしから体調が悪いまま、場合によっては出発の日の朝食も食べ
られずに行くということにもなりかねない。帰りもそうだ。旅先から夜遅い時間に帰宅すると
翌朝はどうしても寝坊するし、仮に目が覚めていても朝から出勤しようという気にはならない。
そこで東京に朝着くようにしてその足で出勤してしまうのだ。つまり強引に「旅」という非日常
の空間から日常生活に戻してしまう。するとその夜学校から帰っても、気持ちはもう日常生
活に戻っているから翌朝もいつもどおり出勤できるというわけだ。今回もその手を使ったわ
けで、考えてみれば8月1日に学校を出発して夜行列車に乗ってから6日ぶりに学校へ出
勤することになる。
 さて、今日は水戸から常磐線で上野を目指す。上野では朝の通勤ラッシュにかかる時間
帯の列車になるのだが、水戸からなら座れるのでどうということはない。しかし座席は水戸
を出てすぐ友部の先で埋まってしまう。土浦を過ぎる頃から立客が増えて車内はどんどん
込んでくる。取手を過ぎるとすぐに利根川を渡り茨城県から千葉県に入るが、その頃には
立錐の余地もないほど混んでいる。こんな通勤ラッシュを体験せずに出勤できる我が身を
改めてありがたいと思った。水戸から2時間と少しで上野に着いた。ここから東京までの8
分は山手線だ。オフィスのある方向なので車内はすし詰めだ。大きな旅行鞄を持っている
ので自然と場所をとってしまう。周囲の客も迷惑そうな顔をしているが、こればかりは仕方
ない。東京からは東海道本線に乗り換える。下りなのでここからはがらがらだ。10時30分、
学校に着いた。夏休みの課題の正解を作ったり、前期期末試験の問題を考えたりして夕方
まで勤務し、その日は20時過ぎに帰宅した。今回の旅は青い海からは見放されてしまった
が、旭川の花火大会や仙台の七夕祭りなど、車窓からの風景を見ながらまったりと過ごす
こと以外にもいろいろな楽しみが加わって、とても良い思い出になった。今回で北海道に張
りめぐらしている鉄道線はすべて乗ったので、来年からはまだ見たこともない東北の風景を
求めて旅をしようと思った。

182「北海道の旅(Part6)」(8月14日)**********************************************
 ホテルをチェックアウトしてから七夕を見に行った。昨日は到着が夜だったことと花火大
会の雑踏で周囲を見る余裕など全くなかったのだが、ホテルは仙台の繁華街の目抜き通
りに建っていて七夕の会場もすぐ近くにあることがわかった。駅から地下鉄で2駅だったの
で、少し仙台の中心地から離れた閑静な場所に建っているのかと最初は思っていたのだ
が、じつはここが仙台の繁華街だったのである。京都でいえば四条通のような場所であっ
た。午前9時にチェックアウトしてまだすいているうちに七夕の会場をゆっくり歩いてみた。
竹の先端に色とりどりの飾りつけが吊るされていてじつにきれいだ。飾りつけをそっと手で
触れたら材質は和紙だった。ほとんどの飾りつけは完全に屋根が設けられたアーケード内
にあるから外が雨でも濡れる心配はない。アーケードは京都の新京極ぐらいの広さだろう。
アーケード内に入っている店舗も新京極とよく似ていた。飾りにはさまざまなスポンサーが
名を連ねていたが、そんな中でも「頑張れ!東北楽天ゴールデンイーグルス」と大書したも
のがいくつもあって目立っていた。昨夜入った飲食店でもそうだったが、地元の球団に対す
る熱い思いがよく伝わってくる。そういえば昨夜から七夕の飾りつけをやっていたから、夜
明け前までに全て済ませていたのかと思ったが、そうではなかった。飾りつけ本体がまだ
準備中で竹の先端に吊るされていないものもあったからである。私はきれいに吊るされた
飾りつけとともに、そんな準備風景もカメラにおさめながらアーケード内を歩いた。一通り見
るべき場所を見終わったら昼になっていた。神奈川県の平塚は自宅から近いので以前七
夕を見に行ったことがあるのだが、それとは比べ物にならないほど規模の大きさを感じた。
 さて、午後になり、杜の都仙台を出る。ここから新幹線で帰れば1時間40分で東京に着
くことができるが、私は敢えてゴトゴトと各駅停車の旅を続ける。今日の福島県の浜通りの
天気は終日晴れとの予報だったので、今度こそ青い海を車窓から眺められることを期待し
て常磐線経由を選んだ。しばらくは仙台の郊外を進むから車窓は住宅地だ。4つ目の岩沼
から東北本線と別れて阿武隈川を渡り、相馬の先から福島県に入る。予報どおり福島県の
浜通りも晴れていたが、海はまだ見えずしばらくは田園風景が続く。原ノ町を過ぎ、いわき
の手前、富岡あたりからぐっと海に近づく。しかし、海は霧に覆われて水平線どころか海面
すら見えなかった。以前北海道で「霧の摩周湖」を見たくてわざわざ霧の出やすい季節に
行ったことがあったのだが、今日の太平洋もまさしく「霧の海」であった。以前、北海道の釧
路で海を見たときもそうだったのだが、どうも北国の夏の太平洋は海霧が発生しやすいよ
うだ。海流の関係だろうか?これで江差・八雲から登別にかけて・小樽・三陸・福島県浜通
りと5箇所の海を見て青く澄んでいたのは小樽の1箇所だけだったことになる。「今夏の旅
は青い海にすっかりフラれてしもたなぁ」。これが素直な感想だった。白河とともにかつて東
北と関東とを分断する関所があった勿来を過ぎて列車は茨城県に入った。これで関東地方
だが、上野までは行かずに今夜は水戸に住む友人の家に泊った。

181「北海道の旅(Part5)」(8月13日)**********************************************
 8月1日に出発して5日目の8月5日の朝、前夜札幌を出た夜行列車は青森に定刻に到
着した。直ちに八戸行きの特急に乗り換える。天気は快晴だ。八戸から八戸線で久慈へ
出て三陸沿いに宮古・釜石・盛・気仙沼を経由して仙台へ出るルートでの旅行はだいぶ以
前から計画していたのだが、いざ当日八戸に行くと悪天候だったりで今まで断念せざるを
得なかった。しかし、今日はこのうえなく晴れている。これなら三陸の青い海を見られそう
だと期待して久慈行きの普通列車に乗り換えた。ところが晴れていたのは八戸を出てから
鮫までの20分程度で車窓から美しい海岸線が望める陸奥白浜からは白い雲と灰色の海
になってしまった。まさに裏切られた感じで「何でやねん?」とぼやきたくなるような様変わ
りだ。よっぽど八戸に引き返して東北本線で仙台に直行しようかとも思ったが、「三陸の天
気は変わりやすいからそのうち好転するだろう」と期待して乗り続けることにした。久慈〜
宮古と釜石〜盛はJRではなく三陸鉄道線になる。沿線の景勝地では乗務員が車内放送
で車窓の風景を案内し、列車からでも落ち着いて写真撮影ができるようにわざわざ運転士
が一時停止までしてくれるという心憎いサービスをしてれたが、灰色の海では見ても嬉しく
もないし写真に撮っても仕方がないだろう。仕方がないので久慈からずっと運転台のすぐ
後ろに陣取って前方の景色を眺めていた。三陸鉄道線は複雑に入り組んだ海岸線を貫く
ため、トンネルがじつに多い。そのトンネルも長いものでは5kmを越える。そんな長大トン
ネルでは、入ってしばらくすると前照灯をつけているにもかかわらず、前方がよく見通せな
くなる。理由はトンネル内に霧がたちこめているからとのこと。こんな現象も初めて体験し
た。そんなトンネルをいくつもくぐりながらその合間に海が見え隠れする。しかし、天気は相
変わらず厚い雲に覆われたままでいっこうに青い海を望めそうにない。三陸を訪れること
を4回計画して4回とも好天に恵まれないので、思い余って私は乗務員に「この地方で晴
れている日が多いのは年間通じて何月ごろですか?」と尋ねてみた。もしかしたら8月では
ないかもしれないからだ。しかし、乗務員の答えはやはり8月だった。梅雨明けも遅いので
7月一杯は雨の日が多く、また9月下旬からは冬にかけても曇天の日や雨・雪の日が多く
なるという。う〜ん。よほど三陸とは相性が悪いのか?
 ようやく晴れたのは気仙沼を出てからだった。朝8時過ぎに八戸を出てから8時間後の
16時になってからである。「もう今日は海はダメだろう」と思ってわざと海が見える側とは
反対側の席に座っていたらどんどん雲が切れて、小牛田に着くころには八戸のときと同じ
く雲一つない快晴になっていた。そして18時過ぎに仙台に到着。七夕の前日なので今日
はたいした人出ではないだろうと思っていたらとんでもない話で、これから夜になるという
のに大勢の若者や家族連れで賑わっている。ホテルへ行くために市営地下鉄に乗ったの
だが、その車内も満員だ。私の降りる駅と同じ勾当台公園でみんなが降りる。そしてホテ
ルと同じ方向にぞろぞろ歩く。七夕前夜の大イベントとして花火大会が催されていたので
ある。旭川とは比べ物にならない人出である。花火は2日前に見たばかりなので今夜は
行きつけの店で夕食をとることにした。店に入ると店員はみんな東北楽天ゴールデンイー
グルスのハッピを着ている。「七夕期間中だから着ているのですか」と尋ねたら「楽天のホ
ームゲームがある日はすべて着ています」とのこと。北海道に本拠地を移した北海道日本
ハムファイターズのときもそうだったが、地域の人々も地元の球団に対して熱く応援する姿
勢が育ってきたということなのだろう。以前は東北も北海道も読売ジヤイアンツばかり応援
していたような地域だったが・・・。
 花火大会が終わる時間にならないうちにホテルへ戻るべくまた地下鉄に乗った。勾当台
公園で降りると商店街のアーケードではほぼできあがった七夕の飾りつけに最後の調整
を施していて、明日から始まる七夕祭りの準備に余念がない。仙台の七夕は神奈川県の
平塚の七夕とともに、全国的に知られている。きっと明日も大勢の人で賑わうことだろう。
その七夕を見てから常磐線で上野へ向かうのが明日の旅程だ。

    (塾長コメント: 本日紹介の旅程も懐かしいですね!20年前に乗ったとき一番びっくりしたの
             は、電車の中に飲料水の自販機があったこと。それから、メルヘンチックな駅舎
             も印象的でした。カンパネルラ田野畑とかカルボナード島越とか、何れも宮沢賢
             治の童話から名付けられたとか。8月に旅行しましたが、ずっと晴天でした。や
             はり、日頃の行いが...あっ、菅ちゃん、ごめん!)

180「北海道の旅(Part4)」(8月12日)**********************************************
 今日は旭川から深川へ出て留萌本線を増毛まで乗り、ここから国道231号線を走るバ
スで札幌へ行く予定であった。留萌から雄冬にかけての海岸線は冬になるとカモメも叩き
落されるほど強い風が吹き、時化の日には道路を走る車といえども波しぶきをまともにか
ぶる場所だが、夏の穏やかな日にはじつに美しい大海原が望める。以前訪れたときは残
念ながら小雨だったので、今回は好天なら行くつもりでいた。しかし、起きてみると窓の外
は厚い雲が垂れ込めている。これでは行ってもダメだろうと思って函館本線経由で直接札
幌に行くことにした。列車に乗って15分ほどで留萌本線への乗り換え駅である深川だが、
そこを過ぎるととうとう雨が降り出した。「やはり行かないで正解だったなぁ」と思ったが、岩
見沢に着くと止んでおり、札幌では晴れていた。旭川から札幌までは136km、特急でわ
ずか1時間20分ほどしかないのに、途中の天気はめまぐるしく変わる。これは北海道を旅
行しているといつもそう感じることだ。一昨日の函館では曇っていたが27km北の大沼で
は晴れていたし、きのうも苫小牧では曇っていたが35km北東に位置する追分では晴れ
ていた。北海道へは何度も訪れているのに、私は気まぐれな天気にいつも翻弄させられて
いる。
 そんなことを考えているうちにも、列車は広大な石狩平野をひた走る。窓の外は牧場が
広がり、そこでは放し飼いに等しい環境で牛や馬がのびのびと草を食べたり寝そべってい
たりしている。そんな光景は北海道ならではだ。また牧場には刈り取った草を集めてロー
ル状に丸めたものがあちこちに見られる。そのロールの直径が1mは越えているので、遠
くから見ても非常に目立つ。これは牧場が雪に埋もれる冬季の餌にするためのものだと聞
いたことがある。駅が近づくと住宅もちらほらと見かけるが、どの家にも角柱状のものが屋
根に伸びているので、家を見ただけで自分が今北海道にいることを実感できる。この角柱
状のものは煙突だ。玄関は本物のドアの手前に人が2人くらい入れそうな屋内の空間が
設けられており、そこにも引き戸がついている。つまり2度ドアをあけないと家の中には上
がれないのだ。玄関のドアを2重にすることで厳冬期の寒さを緩和させているのだろう。こ
ういう建築もやはり北海道ならではの光景だ。
 札幌の駅もここ数年で様変わりした。大丸をはじめとする駅ビルが建ち、高さ173m(38
階建て)のタワーが完成した。332mある東京タワーと比べると半分程度しかないが、それ
でも広大な石狩平野を見渡せることは間違いない。営業時間は23時までなので夜になっ
たら行くことに決めて、昼間は新装開店した駅ビルを中心に見て回ることにした。確かに中
は広い。売り場面積も相当あるので一日中見て回っても飽きないだろう。それに駅ビルな
ので列車を降りてから濡れずに行けることも魅力だ。これではすすき野の繁華街にある百
貨店や量販店はかなり影響を受けるのではないかと思った。おみやげを買い込み、夕食
をとる。今夜は22時出発の夜行列車で青森へ向かうことになっているので、その列車出
発までの1時間をタワーの頂上で過ごすことにした。札幌の夜景も美しい。さすがは180
万都市だけのことはある。以前にも藻岩山へ出かけて札幌の夜景を観賞したことはある
のだが、今回の方が感動した。眼下には札幌駅に進入する列車の灯が、遠くには新千歳
空港に離着陸する航空機の灯も見える。オリンピックのスキー滑降の会場にもなった大倉
山のジャンプ台の灯も見えた。今夜の展望台では特別なサービスとしてブラジル音楽のラ
イブがあり、観光客は生演奏を聞きながら夜景を観賞することができた。700円の展望台
入場券で、なかなかロマンティックな夜を過ごすことができた。

    (塾長コメント: 勉強に疲れたとき、よく札幌駅地下の名画座や本屋さんにいりびたっていまし
             たね!安く入れたあの名画座はもうないでしょうね?)

179「北海道の旅(Part3)」(8月11日)**********************************************
 今日はまず夕張をめざす。夕張市は塾長コメントにあったとおり財政再建団体に転落し
てしまったが、昔は炭鉱の街として活況だった。農作物ではなんといってもメロンだろう。
どんな街なのか、とりあえず行ってみることにした。苫小牧から普通列車の岩見沢行き普
通列車に乗り、追分で下りる。ここから石勝線に乗り換えて新夕張へ、そして夕張へ行く。
これでJR北海道の鉄道会社線は全線全区間乗ったことになる。
 夕張はもともと炭鉱の街ということなので、私は福岡県を南北に貫く筑豊本線の車窓と
大同小異なものを想像していた。田畑の向こうに石炭が採掘された跡が残るボタ山がど
こまでも続くような車窓である。しかし、行ってみると深い山の中で大自然そのものといっ
た光景であった。山も緑一色で地肌が剥きだしの山などどこにもなかった。夕張のメロン
といえば全国的に有名なのに、メロンを栽培していると思われるような畑も見当たらない。
終着駅の夕張には駅前に立派な温泉旅館が建っていた。しかし、その旅館だけが場違
いのようにそびえているだけで、あとは何一つない。喫茶店どころかタバコや飲料の自販
機すらない。もちろんメロンを直売しているような土産物店も見当たらない。少し駅から離
れたところには青少年が合宿するような施設がたくさんあったが、そこも大勢の若者で賑
わっている様子は感じられなかった。住宅もそこそこあったが、江差と同じくやはり喧騒は
聞かれなかった。だからであろう、たった1両しかない列車でもがらがらで10人程度の乗
客だ。それもほとんどが私と同じくわざわざ夕張まで乗りに来たという旅行者で、地元の
人はいなかった。地元の人はクルマ利用なのだろう。もっとも夕張から出る列車が一日9
本しかないのではあまりにも不便で、利用しようにもしようがない。市の税金はどこから入
るのだろうかと思われるほど、何の産業のない街という印象を受けた。
 来たときに乗った同じディーゼルカーで新夕張まで引き返し、今度は千歳・札幌を経由し
て小樽へ向かう。昨日は一日中曇天で涼しかったが、今日は朝から快晴で午前中から気
温がぐんぐん上がった。小樽の手前から見える石狩湾も青一色で海水浴客がけっこうい
た。札幌から32分で小樽に着いた。ここの観光名所といえばまずは運河だろう。私もさっ
そく運河に向かって歩き、レンガ造りの倉庫などを見た。ここは観光客がいっぱいであっ
た。外国人もかなり多い。運河の光景はなかなか歴史を感じさせるものがあったが、散策
できる距離が意外と短いのには驚いた。普通の速さで歩くと10分もしないうちに終端に着
いてしまう。時間が余ったので倉庫の中などをゆっくり見て、それから今夜の投宿場所で
ある旭川に向かった。
 旭川に着くと改札口付近から駅前の広場まで大勢の若者でいっぱいである。何かある
のかなと思って見渡すと、今夜石狩川の河川敷で花火大会が催されるとのこと。この若者
たちはここで友人や恋人を待ち合わせしているのだろう。旅先で花火を見るのは洞爺湖
の湖上花火以来久しぶりであったので、私もチェックインして部屋に鞄を置いてから群集
に混じって会場の常盤公園に向かって歩いてみた。20分ほど歩いて会場に着くとほどな
くして花火の打ち上げが始まった。大音響とともに色とりどりの花火が夜空を焦がす。じつ
にきれいだった。

178「北海道の旅(Part2)」(8月10日)**********************************************
 8月2日の朝は定刻に函館に到着した。気温は23℃しかない。日中はそれなりに上が
っても朝夕の気温は夏でもかなり低いのが北海道の特徴だ。だから道民はちゃんと長袖
を着ている。日が高くなって暑くなったら袖を捲って済ませている。逆に半袖のTシャツ1枚
だけ身に着けて寒がっている人は内地からの旅行者、それも初めて北海道に来た人だと
一目でわかる。私も以前、16℃しかない7月の稚内で寒い思いをしたからよくわかるのだ。
 さて、この日の行程は江差を訪れることなので、まず普通列車で江差へ向かう。木古内
までは海岸線に沿って上野から乗ったルートを戻る格好になる。そこからは青函トンネル
へ入る路線と別れて山の中に入り峠越えをする。江差は奥尻島への玄関口として知られ
るが、行ってみると非常にさびれた街であった。駅前にあるのは小さなスーパーが1軒だ
けで、あとは何もない。函館を発車したときは30人程度が乗っていて車内はそれなりに
賑やかであったが、江差で降りたのはわずかに数人だったのもうなずける。そんなさびれ
方であった。海へ向かって小道を降りると幹線道路が1本通っていたが、沿道に商店街が
あるわけでもなく、車が時折走るだけである。海を眺めても船の姿も見当たらない。漁業
をやっている様子にも見えなかった。しかし住宅は意外なほど立ち並んでいる。それが不
思議だ。ここに住んでいる人は何をして暮らしているのだろうと思われてならなかったから
である。しかし、住宅の多さのわりにはそれに比例する喧騒はなかった。子どもの喚声も
聞えてこない。お年寄りばかりが住んでいるのだろうか。それとも半分以上は廃屋ではな
いのか。そう疑いたくなるほど静かな街だった。函館から乗った同じ車両で折り返す。乗
客は3人だ。それも1駅か2駅でみんな降りてしまい、終着の木古内まで乗っていたのは
私だけであった。江差から出る列車は一日に6本しかないが、これではJRも営業するだ
け赤字が膨らむばかりだろう。いつ廃止されても不思議ではなさそうな感じがした。
 再び函館へ戻る。函館は道都札幌と旭川に次ぐ北海道第3の都市だけに、さすがにこ
こは賑やかだ。ちょうど夏祭りをやっていて、浴衣姿の女性がかなり見受けられた。この
駅はすっかり様変わりしている。以前は平屋で三角屋根の駅舎であったが立派なビルに
なった。改札口からホームへもバリアフリー化がなされている。以前は階段を上って細長
い通路を歩きそれぞれのホームへ階段を下りたものだが、今は改札口からそのまま広々
とした通路になり、どのホームへも階段を全く昇降することなく行けるようになっている。
駅前も整備されて非常に広くなった。昼食代わりにミスタードーナツに行ってみたのだが、
以前あった場所には別の店舗が入っている。移転したのかと思ったら撤退したとのこと。
ちょっとショックだった。しかたなくドトールコーヒーで済ませて札幌行きの特急に乗った。
駒ケ岳を見て大沼公園を過ぎて噴火湾沿いに海を眺めながら苫小牧まで乗り、今夜は
ここで投宿した。

    (塾長コメント: Google Earth を利用すると、菅ちゃんの旅行記が実際の映像を見ている
             かのように感じられます。残念ながら「江差」は詳細地図の範囲外でした。)

177「北海道の旅(Part1)」(8月 9日)**********************************************
 8月1日夜19時。学校での勤務を終えて、今夜の弁当と翌日の朝食となるパンを買い込
んで上野へ直行した。2年前に北海道へ旅行したときは青森で途中下車してねぶた祭りを
見学してから北海道へ渡ったが、今回はどこへも寄らずに寝台特急で直行するプランにし
た。上野駅の地平ホームで列車の入線を待って、あらかじめ予約した個室寝台に入る。せ
っかく乗るのだから個室を確保するほうがいい。なによりもプライバシーが保たれるし、鍵
さえかければ盗難の被害にも遭わずに済むからだ。部屋に入って旅行鞄を置いて浴衣に
着替えたら、あとは寝るまでの時間をまったりと過ごすことができる。私の楽しみの一つは
流れ行く東京の夜景を個室寝台から観賞することだ。そのためにまず部屋の照明をすべ
てOFFにしてすっかり暗くする。これは個室寝台券を入手した乗客に限ってできる贅沢の
一つといえるだろう。他の車両でも夜景を眺めることはできなくはないが、夕方から夜にな
って外が暗くなれば車掌は車内灯をつけて車内を明るくするから、窓ガラスに車内の風景
が反射してしまいどうしても外が見にくくなる。しかし、個室寝台ならそんな心配も要らない。
室内灯の操作は客が好き勝手にできるからだ。
 上野を定刻に出発した。しばらくは非常にゆったりとした速度で走る。上野から赤羽にか
けては昼間見ると雑然とした東京の下町の風景にしか見えないのだが、色とりどりのネオ
ンで輝く夜の風景はなかなかきれいだ。荒川を渡り埼玉県に入ると企業のビルやネオン
も減り、そのかわりにマンション・団地や一戸建てが増えてくる。さらに進むと、その住宅群
も最初は線路際までびっしり立ち並んでいたのが、少しずつまばらになる。栃木県の宇都
宮を過ぎるころには田畑や雑木林ばかりになり、駅付近だけ住宅の灯が見えるといった風
景になる。そして黒磯を過ぎると関東平野も北限になり完全に山の中に入る。すると駅前
の商業施設にも変化が現れるのだ。関東地方で鳩のマークの店といえば長い間イトーヨ
ーカドー(現在は7&iHOLDINGS)であったが、それがいつのまにか同じ鳩のマークでも
ヨークベニマルという屋号に変わる。これで関東から東北へ、すなわち列車が栃木県から
福島県に入ったことがわかるのだ。室内にBGMを流しながら少しずつ変化していく夜景を
眺めるのが、私にとっての楽しみの一つである。

    (塾長コメント: いやぁ〜、菅ちゃん、とても贅沢な楽しみ方ですね!うらやましいです。夜景
             と言えば、私は東名高速上り線富士川SAを通り過ぎた辺りから見える富士市
             の夜景が好きですね。1kmほど直線の下り道路で、ダイヤモンドがちりばめら
             れた中に吸い込まれそうな錯覚におそわれます。)

176「北海道に行っています」(8月 2日)*********************************************
 例年のことですが、今夏も北海道を旅します。北海道は過去10回は旅行したので、主な
鉄道線と観光地はだいたい訪れました。しかし、JRの江差線と石勝線の支線ともいえる新
夕張〜夕張だけはいまだに乗ったことがないので、今回はその2線区を乗り、江差と夕張
の街を散策しようというわけです。じつは昨日、学校の勤務後に出発していますので、この
原稿が更新されている今朝には函館にいるはずです。今日は午前中に江差に寄ってから
夕方には苫小牧に投宿し、明日は、かつては炭鉱の街、今はメロンの産地として有名にな
った夕張を訪れる予定です。好天なら帰りに東北の三陸地方を経由する予定でいますの
で帰るのは8月6日になります。無事に旅行ができましたら、また紀行文をこの日記に掲載
するつもりです。お楽しみに。

    (塾長コメント: 夕張と言えば、メロンが代名詞でしたが、今は財政再建団体。炭坑が斜陽にな
             った頃から過疎化が心配されていましたが、とうとう自治体までが倒産とは大変
             な時代になったものです。いまブロードバンド対応の部屋を提供するホテルが増
             えてきました。このHPも毎日更新しておりますが、時々旅行等にも行くので、日
             によっては更新場所が自宅以外の時もあります。携帯電話による接続や宿泊先
             での接続など基本的に、このHPは電波の届く範囲で日本のどこにいてもアップ
             ロードが可能になっています。菅ちゃんの滞在記を速報でアップできればいいで
             すね!でも、そのためにはパソコンを持ち歩く必要がありますが、ちょっと大変か
             な? 菅ちゃん、よいご旅行を...。)

175「職員室のワックスがけで発見した興味深い現象」(7月26日)************************
 先週、私の勤務する学校では職員室のワックスがけがあった。まだ生徒も夏休みには入
っていなかったが、当日は球技大会で授業は全くなく、執務に支障はないとの判断で実施
することになった。ワックスがけの作業そのものは業者に依頼してあるのだが、我々職員
には作業前に職員室内の物品をすべて別の場所に移動させるという大仕事がある。朝の
打ち合わせの直後から全職員でこの作業が一斉に始まった。その後、所在なげに時を過
ごすこと数時間。夕方から職員室の復元作業が始まった。職員室から全ての物品を出す
のはあっという間だったが、復元は困難を極めた。ある物品がもともとどこに置かれていた
のかがわからなくなってしまったからである。「たぶんここだろう」と見当をつけて戻す位置
を指示する人もいる一方、「いや、ここにはこんな物はなかった」と証言する人もいて、作業
開始前の状態に戻すのにはかなりの時間がかかった。その土地に以前何らかの建造物
があっても、取り壊されて更地になってしまうとそこにもともと何が建っていたのかがわから
なくなることが往々にしてあるが、考えてみたらそれと同じことかもしれない。室内の物品を
すっかり取り出して広々とした空間になってしまうと、正確に元通りに戻すのにはよほどの
記憶力がなければ不可能なものなのだと、改めて感じた。ただ、そんな中、数学科の教員
は他教科の教員以上に、その物品のあった場所を正確に覚えていた。やはり図形の展開
図などで日頃から右脳を鍛えているからだろうか?

    (塾長コメント: 「数学科の教員は〜」のところは、あまり関係ないような...。)

174「お知らせ」(7月19日)********************************************************
 今回はお知らせです。3年前から私が作成してまいりました『こてんこてん』ですが、今年
度になって「問題集」と銘打って蔵庫5を新設しました。これまでは古典文法事項の解説だ
けでしたが、問題集で自分の実力を確認できるようになりました。現在のところ、出題内容
は歴史的仮名遣い・品詞分解・用言のみですが、各回ともそれぞれ初級・中級・上級の3
段階の難易度別に10問ずつ用意し、高校1年生の生徒から大学受験生までそれぞれの
学習内容に応じてチャレンジできるようになっています。基本的に新しい問題は毎週火曜
日に、その解答と解説を翌週の月曜日に更新という形で進めていきますので、『こてんこて
ん』を御覧になった方はぜひ問題集もご活用下さい。

173「夏休み前でも忙しい」(7月12日)***********************************************
 いよいよ夏休みまで1週間というところまできた。1年を3つの学期に分ける、いわゆる3
期制の学校では、この時期に1学期の期末試験が行なわれ、その答案採点と成績処理に
追われるから当然忙しくなる。それに対して1年を前期・後期の2つに分割する2期制の高
校がある。現在私は後者すなわち2期制の学校に勤めているのだが、1学期末の成績処
理がないとはいえ、夏休み前の今でもかなり忙しい。理由は3期制の学校が1学期の終業
式を行なう7月20日までほぼ平常どおりの授業が続くからだ。当然、毎回の授業の教材
研究や普段の小テストの作成・採点に追われることになる。それと同時に夏休みの宿題も
準備しなければならない。だから依然として朝5時30分に起床し8時30分に出勤して19
時過ぎまで学校で仕事し、帰宅できるのは早くても21時という日々である。

172「耳が変だ」(7月 5日)********************************************************
 先週は寝違えて首が痛くてたまらなかったと書いたが、それはおかげさまで4日後に治っ
た。しかし、今度は耳がおかしい。先週の金曜日から音の聞え方が妙だ。低い音が実際以
上に響いて大きく聞える。そして左の耳と右の耳とでは同じ音が違う音程で聞こえる。これ
は私には絶対音感があるのですぐにわかるのだが、たとえばある音楽を聴いていて「ド」の
音でなければならないはずなのに、それが左の耳では「シ」に聞える。じつはこういう現象
がここ10年の間に数回発生した。いずれも何の治療もせずに放置したら自然に回復した
のだが、なぜこういう現象が起こるのかはいまだにわからない。いろいろと調べた結果、こ
の症状は「感音性難聴」という難聴の一種であることはわかったのだが・・・。みなさんはそ
のような経験をされたことはないですか?

    (塾長コメント: 多分、私は絶対音感がないので、菅ちゃんのような苦労はないですね!いろ
             いろな雑音がただ漫然と私の耳を通り過ぎていきます。時には、それが一番い
             いことも...。)

171「寝違えた!」(6月28日)******************************************************
 23日の朝のことである。後頭部と首が痛くてどうしようもない。後ろを振り向くことはおろ
か、少しでも頭や首を動かしただけで耐え難い痛みが走るという有様だ。脳血管疾患の一
つにくも膜下出血があるのだが、軽いものでも後頭部に激痛が走るから、もしかしてそれ
ではないかと思ったくらいだった。たしかにここ2ヶ月は一日4〜5時間の睡眠しかとってい
ない日々だったから、何が起きても不思議ではないのだが・・・・。幸い他の症状は何もな
い。ということは一刻を争う病気ではなかろう。そう判断し、とりあえず出勤していつものよ
うに授業をした。しかし、教壇に立っても廊下側や窓側に着席している生徒を見るときは恐
る恐る首を動かさなければならない。たかが首だけなのになんと不自由なことか。その日
は家に帰っても痛みが残っていた。明日も激痛だったら脳外科に行かなければダメかなと
思ったが、翌24日は痛みがあったものの軽くはなっていた。そして首を動かさなければ痛
まないことがわかった。ということは、どうやら寝違えたのだろう。別にどこかへ宿泊したと
か飛行機の機内のシートで寝たというわけではない。22日の夜も自宅に帰ったから、部屋
にあるいつものベッドでいつもの姿勢で横になり、いつもの枕に頭をのせて寝たのだ。夜行
列車の座席で窮屈な姿勢で一夜を過ごしても何ともないのに、自宅のベッドに寝て寝違え
るとは情けない限りだ。ちなみに「寝違え」は正確にいうと頸筋の捻挫である。特に治療を
しなくても一両日で治ることが多いが、長いものだと一週間程度はかかるらしい。ということ
で、しばらくは辛抱するしかないだろう。そろそろ期末テストも作成しなければならないシー
ズンだから、いつもでも首を気にしている場合ではないのだが・・・・・・。

170「三者面談の思い出がない」(6月21日)******************************************
 今年も三者面談の季節になった。神奈川の県立高校ではどこでも新年度が始まって最
初の定期試験が済んだころに行なっているようだ。面談は一人当たり20分で設定してい
る。クラス担任は1日に平均して8人ずつ、だいたい1週間でクラスの全員を済ませるスケ
ジュールだ。そのため、この間は授業を短縮にして午後の時間を面談に充てている。しか
し、自分が高校生だった当時、三者面談をした記憶が全くないのだ。親が学校に行ってク
ラス担任と面談していた記憶はある。だが自分が親と同席した記憶がないのである。呼称
も「三者面談」ではなく「保護者面談」といわれていた。それもクラスの全員ではなく、希望
する保護者だけだった。だから私の親も毎年は面談に行かなかった。そういうわけで、こ
の時期にクラス担任が三者面談に臨んでいる姿を見ると、「生徒一人一人にきめ細かく
指導する時代になったなぁ。」と思わずにはいられない。もっとも私は神奈川ではなく兵庫
の県立高校の出身である。だから希望者のみに保護者面談というのも兵庫県独自の方
式なのかもしれないが、とにかく三者面談の記憶は全くなかった。

169「バラの花は咲いたけど・・・」(6月14日)******************************************
 118「バラの苗を植えました」で書いたバラの話題を久々にしようと思う。11月29日に
お伝えして以来、ずっとその結果を書かずに半年以上が経ってしまったが、おかげさまで
しっかり根付いて順調に成長し枝も太くなり、先月大きく立派な花が3つも咲いた。この後
も秋にかけていくつか花が咲くといわれているが、正直なところ私は心配だ。理由は今年
の関東地方は五月晴れらしい晴天もほとんどないまま梅雨入りしてしまったからである。
だから先月も今月も日照時間は非常に少ない。日照りばかり続くのも困りものだが、日照
時間が少ないのはもっと深刻だ。雨が降らなくても水撒きすればいくらでも水分は補充で
きるが、太陽の光線だけは補充のしようがないからである。まさに神頼みしかない。立派
な作物が実るか否かを毎年案じる農家の気持ちが実感としてよくわかった。

    (塾長コメント: バラは苦手です...。ちょっと虫がつきやすいので。バラを観賞するのは好き
             ですが!)

168「パンダのぬいぐるみを買うなら横浜中華街」(6月 7日)*****************************
 先月は国語科の歓送迎会があったが、先週の金曜日は全職員が一同に会する歓送迎
会があった。会場は横浜の中華街にある店だ。神戸の中華街は何度も行ったが、横浜の
中華街は生まれて初めてだ。入口に大きな門があってそこから中華料理店やお土産店が
軒を並べている。店頭に天津甘栗や中華饅頭などを並べて観光客に声をかけている店員
もいたが、話をしてみると日本語があまり通じない感じがする。「もしてかして」と思って私が
中国語で語りかけたら(大学の第2外国語で中国語を選択したので少しは話せる)、流暢
な中国語が返ってきた。やはり中国人だったのだ。さすがは中華街だけのことはあるなぁ
と思った。だが最も驚いたことは、どの土産物店にもパンダのぬいぐるみがたくさん陳列さ
れていたことだ。パンダは日本の動物園でも稀少価値だし、愛らしい顔をしているから、結
構人気がある。しかし、子ども用品やおもちゃ売り場に行ってもパンダのぬいぐるみは以
外と少ない。ぬいぐるみとしてはクマ・イヌが最も多く、コアラ・ウサギ・ネコ・ライオンなども
それなりに陳列してあるが、パンダはあっても1種類か2種類で、どれを買おうかと迷うほ
どの品数はない。ところが、横浜の中華街にはパンダばかり置いてあった。これは神戸以
上に多かった。中には目玉を光らせながら歩き回るぬいぐるみもある。まあ、パンダは中
国の動物だからぬいぐるみを陳列しているのも当然といえば当然なのだが、まさか横浜の
中華街にこれほど取り揃えてあるとは思わなかった。

167「試験の直前は教員の繁忙期」(5月31日)****************************************
 どんな職業にも繁忙期があると思うが、学校の教員のそれは、まず4月の年度当初、次
に中間・期末試験の直前だろう。私もこの1週間は中間試験に関する仕事で忙しかった。
試験というと、単に問題を作って採点するだけと思われがちだが、実際はそれだけでは済
まない。私の場合は、まず本番の問題の一部も含めた練習問題を作成することから始ま
る。人間の記憶力はじつに脆い。覚えたことの80%は1時間後には忘却してしまうという
厳然たる科学的事実があるほどだ。ましてや4月の始業式後まもなく始まった授業から1
ヶ月半が経過しているのだから、年度当初の授業内容などとうに忘れ去られているのが
当然なのだ。特に国語の場合は3〜4つの教材=つまり作品を講読してから試験を迎え
るので、最初に講読した作品ほどしっかりこの時期に復習しなければならない。そこで試
験の直前に復習する機会を生徒に与えるのだ。そのためにノートに書いた内容を見れば
解答できるような練習問題を作りプリントにして渡す。次に、生徒の学習状況をノート提出
という形でチェックする。特に古典はノートの構成の巧拙が試験の得点を左右するほど鍵
を握る。だから授業時にノートのつくり方を指導し、試験前にはそれが徹底しているかを
確認しなければならない。さらに漢字や古典文法など毎回の授業時に行なってきた小テ
ストの合計点もこの時期に算出しておく。試験得点以外の普段点も把握しておかなけれ
ばならないからだ。それらの業務と並行して試験範囲までの授業を進めたり試験問題の
作成・印刷をしなければならず、結構忙しいものなのである。特に国語科は・・・・・・。

    (塾長コメント: よく試験の時期になると、数学の先生方は他教科の先生から「数学はいい
             ですね〜!試験問題も少なくて直ぐ出来きるし採点もはやく終わって...」
             とねたまれる。でも、他教科の問題は得てして数ばかり多くて記号ばかりの
             ものが目立つのに対し、数学の答案は基本的には全問論述試験のようなも
             のだ。その論述されたものを数学の先生方は瞬時に判断して○×をつけて
             いるわけである。ある意味で、これは相当にハイレベルな作業をしていること
             になる。数学の先生方は難解な作業をしているのに決して不満をもらさない。
             でも他教科の先生方は、形だけを見て「楽そうだな〜!」と宣う。何か複雑な
             気分だ。)

166「東京湾一周の旅行をしました」(5月24日)****************************************
 先週は中間試験問題の作成で忙しい一週間だったが、それが一段落ついた土曜日、
私は東京湾一周の旅行に出た。関東地方はここのところ梅雨を思わせるような曇天の
日ばかり続いたが、この日は朝からよく晴れていた。まず大船からJR横須賀線を久里
浜へ。京浜急行の久里浜まで行き、そこから路線バスで東京湾フェリーの乗り場へ向か
った。バスから降りるやいなや、待機している係員が降車客の一人一人に「船に乗るか
否かを尋ねている。私が「乗る」と行ったら「すぐにそこの窓口で切符を買って走ってくれ」
とのこと。切符を買うと正規の客用乗り口とは全然違う方向へ案内された。「え?」と考え
る間もなく誘導されるままに走ったが、じつは自家用車積み込み口からの乗船であった。
バスが所定の時刻よりも遅れて着いたためにこういうことになったのだろう。とりあえずな
んとか間に合って、フェリーで金谷港へ向かった。天気は良かったため青い海を水平線
の彼方まで見渡すことができた。ただこの日は風が強かったために波が高く、そのため
に船もかなり揺れた。フェリーは40分で金谷に着いた。おみやげ売り場に千葉県名産の
「落花生」が並んでいるのを見て、「ああ、房総半島に着いたんだなぁ」と実感する。ここか
らJRの浜金谷駅に行く。久里浜駅付近はビルに囲まれており大勢の買い物客で賑わっ
ていたが、こちらはローカル線の小駅という感じである。すぐ近くに鋸山がそびえていて、
すぐ近くに山頂に上がるローブウェイ乗り場がある。金谷に着いてからどのくらい時間が
たってからだろうか、急に雲が広がったかと思うと空気がひんやりして突然大粒の雨が降
ってきた。しかし1時間もたたないうちに雨はやみ、また西の空から晴れ間が見えてきた。
どうやら寒冷前線が通過したらしい。浜金谷からは千葉へ総武線の普通列車に乗った。
列車は左手に東京湾を見ながらのんびり走っているが、海の向こうに富士山が見えたの
にはびっくりした。途中の君津までは田畑の合間に海が見えてときどきトンネルに入ると
いった、いかにもローカル線らしい車窓風景だったが、君津からは宅地が増えていく。もう
東京への通勤圏に入ったのだろう。しかし富士山はビルの合間からもときおりのぞいてい
た。千葉からは快速に乗り換えて東京へ向かい、新宿で夕食をとって自宅に帰った。今ま
で私は「旅」というと、学校が休みに入る時期に青春18きっぷで4泊も5泊もする旅行をし
ていたが、学期の最中でもこういう日帰り一周旅行に出るのもまたそれはそれで良いもの
だ。たかが東京湾とはいえ、40分間フェリーから大海原を見て少しばかり命の洗濯になっ
た。

165「国語科の歓送迎会で出る話題は」(5月17日)************************************
 新しく着任した職員を迎え、昨年限りで異動になった職員を送り出す、いわゆる「歓送迎
会」をどこの学校でも毎年この時期に行なう。これは学校の全職員が一堂に会するものと、
各教科ごとに集まるものと2つ行なわれるのが普通だ。先週私は後者、すなわち国語科の
歓送迎会に出席した。教科の歓送迎会で取り上げられる話題はだいたい決まっている。乾
杯と主賓である離着任者の挨拶の後は、着任した職員に対しては前任校の職場の話や自
分が大学で専攻した分野など、転任した職員に対しては転任先の職場の話などが話題と
なる。そのうち教科指導に関する話題で盛り上がる。国語科の場合だと「いかに論理的な
作文を書けるようにするか」「いかに読書をさせるか」「いかに古典文法を指導するか」「い
かに作品から鑑賞を深めさせるか」といった話題なる。ここまでは良いのだが、酒宴も佳境
になると他教科の悪口になる。「うちの○○科の教員はまとまりがない」とか「××科は指
導の方法が生徒の実態にそぐわない」という話だ。結論は「国語科は最高のスタッフでこん
なにがんばって取り組んでいるのに・・・」となるわけだが、私はそういう話を聞きながら『た
ぶん数学科や英語科の先生が集まると「国語科はどうしようもない」などと非難されている
のだろうなぁ』と思ってしまう。場合によっては「特に○○さんは・・・」という具合に個人攻撃
もされているかもしれない。私など他教科の職員からどのように思われているのだろうか?
非常に気になるところだ。

164「今年のゴールデンウィーク」(5月10日)******************************************
 今年のゴールデンウィークは暦の関係で7日が日曜日となり、学校の場合は3日の水曜
日から5連休となった。海外に行こうと思っても行けたはずだが、私は4月からの新年度の
疲れを取る時期にしているので、いつも遠くへは出かけないことにしている。今年は清川村
の宮ヶ瀬にあるダムへ遊びに行った。
 小田急線の本厚木からバスに乗り半原まで45分。まず愛川公園に行き、ここからダム
をめざす。公園内はつつじが満開だった。つつじを見ながらどんどん階段を上がり、ダムの
本体に辿り着く。天気が良かったのでダムの上にある展望台からは横浜のベイブリッジと
ランドマークタワーも肉眼ではっきりと見ることができた。5月のさわやかな風が心地よく吹
いていた。ダムは上から見下ろすと恐ろしいほどの高度感がある。何しろ120mもの高低
差があるのだ。普通のビルで換算すれば40階分である。だから下をうろうろしている観光
客が豆粒のように見える。ダムでせき止められた西側は宮ヶ瀬湖。プールのように壁と底
をペンキで塗ったのではないかと思われるくらい、青緑色の湖面がじつにきれいだった。
何度訪れても飽きない場所である。

163「昔の仲間と会うと人間性も昔に戻る?」(5月 3日)********************************
 先週の土曜日、昔の教え子5人と焼肉店「牛角」に集まった。もう高校を卒業して5年が
経っている仲間だ。一人はまだ学生だがあとはみんな就職していた。長引く不況で厳しい
時代ではあるが、みんな元気にそれぞれの道で頑張っている。5人のうち3人とは、年に
1・2回の割合で会っていたが、あとの二人は卒業以来になるからまさしく5年ぶりだ。顔
を見てすぐにわかるかなと不安だったが、会ってみると高校生当時と全く変わっていなか
ったので安心した。これが女性だと5年も経つとすっかり変わってしまう人もいるようだが、
男性は数年くらいでは大して変わらないものだということがわかった。外見だけではない。
性格も、話し方も、喋ることも、何もかも変わっていなかった。在学していた当時真面目だ
った奴は今も真面目だった。ふざけていた奴は焼肉を頬張りながらふざけていたし、から
かわれた奴はやはりからかわれていた。高校を卒業してみんなそれぞれに成長している
はずだが、昔の仲間だけで集まると各人がその当時のキャラクターに戻ったかのようにな
り、当時の人間関係が再現されてしまう。じつにおもしろいものだ。

162「少しは慣れてきたのだが・・・」(4月26日)****************************************
 新年度の授業開始から2週間が過ぎた。どのクラスも私になじんできたためか私の体調
も年度当初よりはだいぶ良くなったが、それでもまだ緊張感が取れない。だから1週間が
1ヶ月にも2ヶ月にも長く感じられる。午前中に2時間授業しただけなのに、終わると立って
いるだけでもつらいほどの倦怠感を感じる。家に帰ると肝炎になったのではないかと思わ
れるほど体がだるい。今年度は吐き気を感じる日が少なく食欲は落ちなかったので体重
は思ったほど減らなかったのが幸いだが、この精神的な疲労は一向に取れない。そんな
私の姿は同僚にもすぐわかるらしく「本当に4月はテンション低いですね」と言われる始末。
これは直接私の姿を見ていない相手でも同じだ。電話で私の声を聞いただけで生気のな
い私の様子がすぐにわかってしまう。そんな状況を打開すべくこの時期は仕事が終ると直
ちに帰るようにしている。そして休日には江ノ島や吾妻山など近場の観光地へ遊びに行っ
てストレスの解消をしているのだが・・・。このぶんでは回復するまであと1週間はかかりそ
うだ。

161「吾妻山に遊びに行きました」(4月24日)******************************************
 先週、神奈川県の二宮町にある吾妻山に登ってみた。JR二宮駅のホームから「360度
の大パノラマ」と宣伝した看板を見たことがあるので前から気になっていた。ただ、今まで
訪れなかったのは隣町の大磯に湘南平があり、下界の風景はそれと大同小異だろうと思
っていたからである。しかし、今日行ってみてだいぶ違うことを発見した。JR二宮駅で降り
る。コンビニエンスストアと弁当屋が一軒ずつあるだけで、駅前にはそれ以外何もない。小
学校の裏側から登り坂が始まり、やがて階段となる。登るにつれて下界の風景がどんどん
見えてくる。新緑を見ながら階段をひたすら登り、展望台に着いた。改札口を出てからわず
か30分だ。標高にして136mなので名前こそ「山」だが、実際は小高い丘だ。それでもバ
カにしたものではない。下界の風景は見事である。南は水平線の彼方まで広がる相模湾、
東は三浦半島と房総半島、西は箱根の山と伊豆半島、北は富士山と丹沢山塊でまさに
360度とも雄大な眺めである。山にはモミジの木もたくさんあったから紅葉シーズンはまた
格別だろう。半年したらまた訪れてみようと思った。

160「江ノ島に遊びに行きました」(4月19日)******************************************
 先週の土曜日、午後から江ノ島に遊びに行った。新しい環境によるストレスを発散する
にはどこかに遊びに行った方がいいかなと思ったからである。大船からモノレールで13
分。そこから島へ渡りあとはひたすら神社の参道を思わせるような坂道を登った。登った
ところに大きな鳥居があり横に「エスカー乗り場」がある。「頂上まで5分」と書かれてある。
私は足腰に自信があるからそんなものに乗らなくても平気なのだが、同行者の体力を考
えて乗ることにした。この日は快晴とまではいかなかったが、まずまずの天気。さすがに
富士山や伊豆大島までは眺めることはできなかったが、展望台からは丹沢山塊や湘南
の青い海をじっくりと見ることができた。江ノ島に行ってびっくりしたのは野良猫がじつに
多いことだ。動物園かと思うほど猫がたくさん棲みついていて、いたるところで目にする。
観光客にも馴れてしまっているので、私が近づいても全然逃げる素振りも見せない。愛ら
しい猫ばかりだが、それにしてもどうしてこんなに生息しているのだろうと思った。

    (塾長コメント: 菅ちゃんが「江ノ島に行った」ということより、菅ちゃんが体力を気づかう「同行
             者」の存在の方が気になりますね...!)

159「不安を抱えての新年度スタート」(4月12日)**************************************
 旅行から1週間後の4月5日からついに新年度がスタートしてしまった。今年は特に体調
面での不安を抱えてのスタートだった。辞令交付の瞬間から「一年間身体がもつだろうか。
やっていけるだろうか」という一抹の不安が胸をよぎる。というのは去年の春の忌まわしい
体験がいまだに忘れられないのである。当時の日記にも書いたように去年の春は自律神
経の失調による一連の不快感に突然襲われて通勤ができなくなりホテル泊まりを余儀なく
されたからだ。今年はそこまでは悪くないのでまだましだが、それでもいつ悪化するかわか
らないという不安だけは払拭できない。こういうのを医学的には予期不安というのだが、「ま
た前と同じような状態に襲われるのではないか」とついつい考えてしまう。というわけで、あ
と1週間か2週間は様子を見ないと何ともいえない状況だ。

    (塾長コメント: 今年度は確実に昨年度に比べて4倍以上忙しい! まあ〜、そんなことは何で
             もないが、今一番痛いのは、連続更新記録が危機に瀕していることだろう。来週
             の水曜日がどうも更新できそうにない状況になりつつある。多分、732回目の更
             新が怪しい。何とか時間をずらして更新記録の継続を狙ってはいるが...。)

158「中国地方の旅(Part6)」(4月 6日)********************************************
 翌27日。朝早い時刻に鯖江から敦賀へ戻り小浜線に乗る。予報どおり天気は快晴だ。
小浜線は以前にも乗ったことがあるが、当時は電化されておらず車両はディーゼルカーだ
った。しかし、今は電車が走っている。それも他線区から回された中古電車ではなくまった
くの新車である。敦賀を出て途中の小浜まではどちらかというと山の中を走るが、そこを過
ぎると若狭湾がぐっと近づいてくる。若狭湾というと原子力発電所というイメージがあるが、
小浜線から見る海からはそんな感じは全くしない。どこまでも続く海水浴場で白い砂浜と青
い海がとても美しいからだ。
 2時間ほどで西舞鶴に着き、お目当ての北近畿タンゴ鉄道で丹後半島に足を踏み入れ
る。車窓からの見所はまず丹後神崎〜丹後由良で渡る由良川だ。河口すぐの場所に橋
が架かっているので、川の水量の多さは圧巻である。まるで海の上を渡っているかのよう
な錯覚に陥る。ここからしばらくは宮津湾を右手に見ながら進む。やがて宮津が近づくころ
から天橋立が遠望できる。青い海と深緑色をした橋立。そのコントラストがじつにきれいだ。
その天橋立で下車してみた。ここは広島の厳島・宮城の松島とともに日本三景の一つだ。
残り二景のうち厳島は既に観光したので、私にとっては2つ目を訪れたことになる。昔から
和歌に詠まれた天橋立はまさに巨大な砂嘴である。観光船に乗り橋立の松を見ながら対
岸の笠松公園に行く。細く長く伸びる陸地を見て、これほど繊細に形作られた自然は他に
はないのではないかと思った。さすがに日本三景と賞賛するだけのことはあると思った。再
び、天橋立から豊岡へ向けて列車に乗った。野田川までは海沿いを走るがそこからは峠越
えのため山の中に入る。丹後半島の付け根を横断するためだ。やがて久美浜で再び日本
海を眺める。ここも砂嘴である。ほどなく豊岡に着いた。まだ昼下がりの13時35分である。
 ここからは福知山・篠山口の2箇所で乗り換えて大阪をめざす。このうち篠山口から乗っ
た電車は快速で三田から通過運転になる。塚口を通過すると速度が急に落ちた。昨年4月
25日の脱線事故現場となった問題のカーブにさしかかるからだ。事故前は70km/hで通
過していたが、今日は50km/h程度という非常にゆっくりした速度で通過した。18時06分、
定刻に大阪に着いた。大阪まで着けば私にとってはもう地元なので旅が終わったようなもの
だ。翌日は阪神百貨店で阪神タイガースグッズを買ったり、京都の四条通りにあるハロプロ
ショップ京都店に行き、モー娘。グッズを買った。神奈川の自宅へ帰ったのは29日である。
毎回同じだが、米原・大垣・浜松・静岡の各駅で快速や普通を乗り継いで9時間かけて帰っ
た。こうして鈍行列車で旅をすると日本は決して狭い国ではないことがよくわかる。大阪から
でも9時間かかるのだ。ましてや北海道や九州ならなおさらである。それを飛行機で行くから
狭く感じるのだ。否、狭く感じるのではない。自分で日本を狭くしているのだ。
 それはさておき・・・・・・。今回の旅を振り返ってみよう。まず天候に恵まれていたことはあ
りがたかった。雨に降られたことは全くなく、曇天も一日だけだったので、天候がコロコロと
変わりやすい春にしては幸運だった。初日に人身事故が起きて近江長岡で列車が運転見
合わせをしたときはどうなるかと思ったが、その後の旅はおおむね予定通り楽しめたので
良かった。本当なら26日に丹後半島をめぐり27日は富山県の氷見まで行って日本海越し
に立山連峰を見る予定だったのだが、それはまた次回の楽しみにとっておこう。車窓の風
景だけでなく、いつの日か春の富山湾で蜃気楼も観察してみたいものである。

157「中国地方の旅(Part5)」(4月 5日)********************************************
 3月26日。この日は鳥取から城崎を経て丹後半島をめぐり舞鶴から敦賀へ出る旅程だ
ったが、朝から曇天であった。これでは青い日本海を眺めることはできまい。しかし翌日は
晴れるという予報なので、とりあえず今夜投宿予定の鯖江へ行くことにした。明日晴れてい
れば敦賀→舞鶴→天橋立→城崎と逆に乗れば良いと思ったからである。ただ、今日は天
橋立を経由せず山陰本線を福知山まで乗り、そこから舞鶴へ出て敦賀へ先回りするルー
トに変更した。豊岡→天橋立→西舞鶴は北近畿タンゴ鉄道という会社線なので、JRの乗
車券とは別に1680円がかかるからである。こういう時、青春18きっぷは便利だ。普通の
切符なら経路や行き先を指定して購入するから、変更をする場合は手続きをして差額の
精算をしなければならない。だが、青春18きっぷなら日本全国のJR線が乗り放題だから、
予定の変更も自由自在である。
 当初予定していた普通列車で鳥取を出る。途中の餘部駅と鎧駅には観光客が大勢いた。
餘部を出るとすぐに高さ41m、長さ311mの餘部橋梁を渡る。ここから見下ろす景色は高
度感があって圧巻だ。橋の下からは観光客が列車に向かって手を振っているが、蟻のよう
にしか見えない。それほど列車は高い場所を走っているのである。次駅の鎧はNHKの連
続テレビ小説『ふたりっ子』のロケ地になった場所らしい。両駅ともかつては地元の人を除
くと餘部橋梁を走る列車を撮影する鉄道ファンしか訪れる人のいない駅だったので、意外
な賑わいに私も驚いた。しかし、車内はいたって閑散としている。沿線には「但馬の願い・
山陰本線複線化を」という看板がやたらと立てられている。反対方向の列車の行き違いに
よる停車時間のために所要時間が延びることが地元の乗客にとっては不評なのだろう。し
かし複線化する必要が生じるのは、単線では捌き切れないほどの列車本数に増えたらの
話だ。現状ではそこまで輸送需要が逼迫しているわけではないから、残念ながらこの願い
は今後も叶うことはないだろう。地元の人にとっては気の毒ではあるが。
 福知山は高架化され、きれいな駅に生まれ変わっていた。以前の駅舎しか知らない人が
訪れたらたぶん驚くと思う。久しぶりに訪れてすっかり変わった駅や街を眺めるのも旅の楽
しみの一つだ。ここから舞鶴線に乗り、東舞鶴から小浜線に乗る。どうせ今日はきれいな
海は見られないのだから、わざと海とは反対側の座席に座った。発車して間もなく京都府
から福井県に入る。だが地元の乗客の言葉を聞くと福井訛りがほとんどない。福井県とは
いってもこの辺は嶺南なので、京都・滋賀と接している関係でまだまだ関西弁なのだ。しか
し、敦賀から北陸トンネルを抜けて武生まで来るとさすがに福井独特の訛りが聞かれる。
文字に直せば一緒でもアクセントが異なる語句も少なくない。同じ福井県でも嶺南と嶺北
とでは言葉が違うのだ。このように土地の人の話す言葉にじかに触れることができるのも、
鈍行列車の旅ならではの魅力である。

    (塾長コメント: 餘部橋梁は以前行ったことがあります。確か赤色の鉄橋が天高くそびえてい
             て圧倒されたのを覚えています。そこで事故があったことを思うと胸が痛みまし
             た。)

156「中国地方の旅(Part4)」(4月 4日)********************************************
 宇野から岡山に戻って24日はそこで宿泊。翌25日は吉備線で総社に出て伯備線で山
陰に出ようという旅程である。この日も朝からじつによく晴れていた。吉備線は密集した住
宅地を縫うようにして進む。次の備前三門を過ぎるとすぐ右側の窓から関西高校の校舎が
見える。毎年春・夏に甲子園球場で行なわれる高校野球で岡山県代表校として出場して
いるあの関西高校だ。「へぇ〜。ここにあったのか。」と思わぬ発見に感動する。その先は
民家が少しずつ減り、水田が増える。備前一宮を過ぎると松林の参道と吉備津神社の社
殿が見える。本殿と拝殿は国宝にもなっているらしい。だが、もっと驚くのは吉備津を過ぎ
てから、水田の中に忽然と現れる大きな鳥居だ。これは高松最上稲荷の鳥居で、京都の
伏見稲荷・愛知の豊川稲荷と並ぶ日本三大稲荷の一つだ。列車の車窓から大きな鳥居
を見たのは、新潟県内を走る弥彦線以来これで2度目だ。思い出せばあの鳥居もじつに
大きかった。
 総社に着き、伯備線に乗り換える。電車は4両つないでいるが、乗客は1両だけでも足り
るほどしかいない。高梁川に沿って20分ほどで備中高梁に着く。ここで途中下車して町並
みを散策してみた。備中高梁は備中松山城の城下町である。その松山城は駅から見上げ
るような高い山の頂に見える。日本で最も高い場所に建っている城だそうだ。街を歩くと城
下町らしく白い土塀や石垣が目立つ。商店街を抜けると高梁川にぶつかる。川面まで下り
てみた。川底まで見えていてじつにきれいだった。再び伯備線に乗り米子を目指す。車窓
から見下ろす高梁川はどんどん狭くなり渓流となる。電車はそこを右に左にとカーブしなが
らゆっくり進む。やがて新見に到着する。駅前に「日本で最初に電子投票を始めた街」と大
書した塔が誇らしげに立っている。その新見を過ぎ県境を越えると鳥取県。今度は日本海
側へ注ぐ日野川の渓谷に沿って山を下る。すっかり平野になると、今度は右側に雄大にそ
びえる山が見える。鳥取県を代表する大山(「だいせん」と読む)である。もう4月も近いとい
うのに、山頂は雪で真っ白だった。
 今日はここから山陰本線を東に進み鳥取に投宿する予定だが、その前に米子から境線
に乗り境港まで往復してみた。ディーゼルカーには車体いっぱいに一つ目小僧の絵が描か
れている。漫画『ゲゲゲの鬼太郎』で有名な水木しげる氏はこの境港の出身なのだ。だから
車体にもそれにちなんだ絵が描かれているのだが、『ゲゲゲの鬼太郎』を知らない人が見
たら奇怪なデザインの車体を不気味に思うだろう。乗ってみたのだが、走り出したかと思う
とすぐ駅に停まる。この線は東京の下町を走る路線のように駅間が非常に短い。どうりで
時間がかかるわけだ。境港までのわずか18kmを40分もかけているのである。列車はゴ
トゴト進む。海に向かっているはずなのに車窓から海は全く見えない。弓ヶ浜・和田浜・中浜
と、「浜」がつく駅が3つもあるにもかかわらず海は見えない。普通、駅名に「浜」がつくと車
窓からでも海が望めるはずなのだが、終点の境港まで住宅地が続いており、私にとっては
意外だった。境港に着く。もう駅前からゲゲゲの鬼太郎の銅像があり、まるで鬼太郎のテー
マパークに入園したような雰囲気であった。訪れた観光客は「水木しげるロード」と書かれた
道に足を向けている。私も観光客に混じって歩いてみた。歩道には『ゲゲゲの鬼太郎』に登
場するキャラクターのオブジェがいたるところにあり、観光客も足を止めて記念撮影している。
そのオブジェの数は半端ではない。おそらく100個は越えているだろう。一つの漫画作品に
対してここまで全市あげて観光資源にすべく力を入れた地は、たぶんこの境港市以外には
ないだろう。そう思った。
 再び米子に戻って鳥取行きの普通列車に乗る。日本海に沈む夕日を見ながらの旅は格
別だ。太平洋側の地域では見ることのできない光景であろう。きのうと同様に今日も朝から
夕方まで好天に恵まれた一日だった。

155「中国地方の旅(Part3)」(4月 3日)********************************************
 福山に到着した私は福塩線乗り場に行き、井原鉄道直通のディーゼルカーに乗る。途
中の神辺までは福塩線でそこから井原鉄道に入る。ゴトゴトと走り出したが、体感する限
り速度は40km/hも出ていない。並行する道路のクルマにも抜かれるような、のんびり
進むディーゼルカーに乗って、ようやく「これこそ本当の旅だ」と実感することができた。井
原鉄道というのは旧国鉄赤字線を引き継いだ第3セクターではなく、新線である。列車は
踏切も全くない贅沢な軌道をすいすいと進む。だから、乗り心地もたいへん素晴らしい。
車窓は遠くに低い山なみを、眼下に畑や家々を見るといった山陽らしいのどかな景色が
続く。神辺を出るときは10人程度しか乗っていなかったが、県境を越えて岡山県に入っ
てからは少しずつ乗客が増えていった。途中の矢掛から高校生が大勢乗り込んで急に
車内が賑やかになる。彼らの言葉を聞くと関西弁と広島弁を足して2で割ったような独特
の訛りだ。これが岡山弁なのかどうかは知らないが、関西育ちの私には妙な言葉に聞こ
えた。
 福山から乗ったディーゼルカーは総社まで行くが、その一つ手前の清音で降りJR伯備
線で岡山に戻る。今度は宇野線乗り場に移動した。本州から四国へ行く場合、瀬戸大橋
が開通する以前は岡山から宇野へ出てそこから高松まで連絡船で渡っていたものであ
る。ところが1988年4月に瀬戸大橋が開通した。これは上段が自動車専用道路、下段
が鉄道線という二層式の橋梁である。宇野線はこのときに大きな変貌を遂げた。岡山〜
茶屋町は瀬戸大橋を渡る列車を頻繁に通すことになったため、線路をはじめとする施設
が近代化された。しかしそこから宇野まではどんな風景なのだろう。そう思って今回訪れ
てみたのである。
 茶屋町から乗り換えた電車は2両編成。高架線からすぐ地平に下りて、児島湾の干拓
によってできた水田を左に見ながらじつにのどかに走る。途中の駅も古びていた。25分
ほとで終着の宇野。ここだけはきれいな駅になっていた。改札口を出る。快晴だったので
瀬戸内海も青く澄んでいた。桟橋へ出ると四国へ渡るフェリー乗り場が正面に見える。だ
が、なぜか入口に「人間だけでも乗れます。」と大書した看板がある。何でこんな宣伝文
句を掲げているのだろうと思ったが、これにはちゃんと理由があるのだ。かつて賑わって
いた宇野−高松の航路は今では大型トラックによる物流輸送が主になっているのである。
トラックでも瀬戸大橋を渡ることは可能だが通行料が高いので、フェリーでトラックごと航
送することで運送費を抑える方法を選ぶ荷主もいるのだろう。だから、そんな大型トラック
便のためにフェリーがいまだに運航されているわけだが、そのためか人間だけでは利用
できないと思い込む人が増えてしまったのである。だから乗り場の入口にわざわざ人間だ
けでも乗船できる旨を宣伝しているのだ。私は四国の鉄道線はすべて乗ったので、もう四
国へ行くつもりはなかったのだが、この看板を見ていつかフェリーで四国へ渡ってみたい
と思った。

    (塾長コメント: 相当昔に、宇高連絡船に乗って四国に渡ったことがあります。そのときは、栗
             林公園や屋島、高松城(玉藻城の大広間で大の字になって横になったのは気持
             ちがよかったな!)を見学しましたが、目的はただ一つ、本場の讃岐うどんを堪能
             することでした。その当時は秋葉原で本場の讃岐うどんを味わっていましたが、実
             際現地に行って味わう讃岐うどんは格別でした。3食ともうどんでいいや、とも思っ
             たほどです。香川県は、どこに行っても美味しいうどんが食べられますね!)

154「中国地方の旅(Part2)」(4月 2日)********************************************
 車掌の案内放送によると守山〜栗東で人身事故で野洲を先頭に列車が各駅で立ち往生
しているとのこと。人身事故なら警察の現場検証が終われば動くはずなので、車内で運転
再開を待つことにした。30分ほどで列車は動きはじめたものの、結局京都には1時間近く
遅れた。朝食をとりながら善後策を練るため時刻表とにらめっこする。空は雲一つない快
晴だ。これが曇天なら無理せずに旅行を打ち切って大阪の街で時間をつぶすところだった
が、この快晴で旅をしない手はない。そこで姫路〜福山を山陽新幹線で移動して時間を稼
ぐことにした。そうすれば福山で当初予定していた列車に乗れるからである。新幹線に乗る
ことなど勿論私の本意ではない。第一、鈍行列車でのんびり旅をするという趣旨にそぐわな
い。そのうえ新たに運賃・特急券の合計4930円も支払わなければならない。だが、こうい
う事態になった以上はやむを得まい。
 山陽新幹線に乗るのは昭和49年以来32年ぶりである。今度で生まれて2度目だが、自
分の意思で乗るのは今回が初めてだ。自由席の車内はほとんどの座席が埋まっている。
それも観光客と思われる者はいない。背もたれから引き出したテーブルの上にノートパソコ
ンを置いて仕事しているビジネスマンが大半であった。そうでない人は寝ているか週刊誌を
読んでいたが、ビジネスマンであることには変わりがない。太陽光線が眩しいのだろう、ほ
とんどの窓にはカーテンが引かれている。平日だから出張の会社員で座席は埋まっている
のだろうが、私は旅行気分がすっかり殺がれてしまった。高架線から街を見下ろすことがで
きる新幹線からの景色はどんなものだろうと思い、座席には座らずドアにもたれかかって窓
から外を見ることにした。だが動き出してみると、とても景色を見てはいられない。スピード
があまりにも速く私の目が追いつかないのだ。フィギアスケートの荒川静香選手が滑る姿で
さえ5分も見ていると目が回るくらいだから、300km/hで走る新幹線の車窓を見ていたら
たちまち乗り物酔いをしてしまうだろう。しかたないので座席に腰を下ろして目をつぶって福
山に着くのを待つことにした。しかし、心地よく眠れると思っていたら大間違いだった。トンネ
ルに入ると耳の鼓膜が潰されそうな感覚に襲われたからである。たぶん気圧の変化でそう
なるのだろう。そのたびに唾液を飲み込んだり口をあけたりして違和感の解消に孤軍奮闘
する。だがトンネルは数多くありそのたびに耳がおかしくなる。これにはほとほと参った。健
康体でさえつらいのだから風邪やアレルギー性鼻炎などで鼻づまりしていたらもっとつらい
のではなかろうか。
 姫路で乗ってから40分後。気圧の変化に悪戦苦闘しながらも福山に着いた。福山だから
広島県に入ったことは確かだが、私には全然そんな感じがしなかった。姫路からの所要時
間が40分ではあまりにも短すぎるからだ。いつも鈍行ばかり利用しているからだろう、姫路
から福山なら2時間30分はかかるという感覚が体の中に沁みついている。時間をカネで買
うというのはこういうことなのかと思ったが、速ければ良いというものでもないだろうと思う。
目的地までの移動も旅の一部だということを忘れているような気がする。窓から写真を撮影
することもできないだけではない。目が追いつかないほど景色の流れが速いばかりか、ひど
い気圧の変化で耳がおかしくなる列車に、私は一度で懲りてしまった。それにしても、みんな
よく平然と乗っていられるものだ。それとも私の三半規管と鼓膜が異常なのだろうか?

    (塾長コメント: そうか、事故で足止めにあってしまったのか。山陽新幹線はトンネルが多いの
             で有名ですよね!高速道路でいえば、北陸道という感じかな?)

153「中国地方の旅(Part1)」(4月 1日)********************************************
 今から9日前の3月23日の夜、私は学校で勤務した後ゆっくり夕食をとって東京駅へ出
た。大垣行きの夜行快速「ムーンライトながら」号に乗るためだ。西宮への帰省も含めて東
京から東海道を西に行くときは必ずといって良いほどこれを利用している。この列車は昔か
ら「大垣夜行」と言われていた。平成8年3月までは全席自由席だった。繁忙期には大変な
混雑で遅くとも発車の3時間前には並んでいないと座席が取れなかったが、今は全席座席
指定だから東京で並ぶ必要もない。それだけではない。車両も様変わりした。昔は4人が
向かい合わせに座るボックスシートに詰め込まれた。足を投げ出すこともできずに一夜を
明かしたものだった。しかし、今は特急車両を使っている。座席をリクライニングさせてゆっ
たりと座ることができるのだ。私も発車前からシートを倒して目を閉じていた。香水と声で隣
に若い女性が座ったのはわかったが、東京を発車したのは記憶にない。あっという間に眠
りに落ちていた。
 翌朝、夜行快速「ムーンライトながら号」は大垣に到着した。東京で乗り込んで眠ってから
途中全く目が覚めなかったばかりか、大垣の到着にも気づかないほどだったから7時間の
乗車中ぐっすり眠れた。直ちに降りる支度をしてドタドタと階段を駆け上がり隣のホームへ
移動する。ここで加古川行きの普通列車に乗り換えるためだ。この列車で米原まで行き、
そこからは新快速電車に乗り換えてまずは京都へ行く。ここで朝食をとってそれから再び
新快速電車に乗って相生まで。そこで乗り換えて福山へ行き、井原鉄道と宇野線の車窓を
探訪する。これが24日の旅程であった。加古川行きの普通は定刻どおり7時ちょうどに発
車した。垂井→関が原→柏原と進み、列車は岐阜県から滋賀県へ入る。柏原の次が近江
長岡。山頂に雪をかぶった伊吹山が間近に見える。ここから米原まではあと2駅であった
が、私が乗った列車はここで運転見合わせになってしまった。

    (塾長コメント: 菅ちゃん、お帰りなさい!また、いろいろな出来事があったようですね。今日の
             文の終わり方だと明日以降の掲載が待ち遠しいです。何が起こったのだろう?)

152「おかげさまで!」(3月27日)***************************************************
 おかげさまで『さくぶん上手』も本日をもちまして無事に書き終えることができました。まだ
まだ不十分な内容だという評価をされる方もいらっしゃるかもしれませんが、私としては考
えつく限りのことは書きました。開設して1年と少しでしたが、とりあえず擱筆ということにし
たいと思います。短い間でしたが、お世話になりました。4月からですが、『こてんこてん』を
再開し、問題集をと思っています。

151「春の旅行に行ってきます」(3月22日)*******************************************
 明日からのんびりと鈍行列車の旅に出ることにした。四国・九州地方と山陽本線徳山以
南の本州は既に全路線乗ったので、今回は中国地方の中部である。岡山を中心とする支
線として宇野線・吉備線・井原鉄道に乗り車窓風景を眺め、その後、伯備線で米子へ出て
境線を往復してから山陰本線を東に進み城崎→天橋立→舞鶴→小浜→敦賀と日本海沿
いに旅をしよう考えている。一応29日に帰る予定だが、果たして天候に恵まれるかな?

    (塾長コメント: 城崎→天橋立→舞鶴→小浜→敦賀というコースは車で走破したことがありま
             す。太平洋とは異なる日本海の荒波が印象的でしたね!特に城崎での温泉巡
             り、小浜の福喜旅館がGoodでした。菅ちゃん、ご無事で!)

150「年に一度の大掃除」(3月20日)************************************************
 先週末、私は職場の机と自分の部屋の大掃除をした。「年に一度のお掃除」というとみな
さんは年の瀬にする一仕事と思われるだろうが、私は毎年この時期にしている。学校は4
月に始まり3月に終わるというサイクルなので、職場の私物の整理も自分の部屋の整理も
3月にしたほうが都合が良いのだ。職場の掃除は主に一年間に溜まった膨大な印刷物の
後始末だ。これは個人情報とそうでないものとに分け、前者をシュレッダーにかけて処分し
後者は自宅に持ち帰って再利用している。毎年同じようにやっていることなのでどうという
ことはない。問題は私の部屋の中に増え続けるCDと書籍だ。実質5畳分という狭い部屋
の中でもなんとか収納する場所を設けながらこれまで悪戦苦闘してきたが、部屋の有効な
スペースをほぼ100%使い切った今となっては、収納場所にはもう限界が近づいている。
あとは何かを購入したら以前買ったものを古本屋に売却処分するしかないのだが、ほとん
ど読まない本や聴かないCDとはいえ手放すのは忍びないものがある。特に絶版になって
いるものはもう手放せない。いずれはもっと広い部屋に住み替えるしかないのだろうなぁと
思いつつも、手に持っている本やCDの収納場所を見出そうとして部屋中を見回している今
日この頃だ。

149「涙の卒業式」(3月15日)******************************************************
 今月上旬、私は自分の学校を含めいくつかの卒業式に出席した。卒業式というものは本
来はお祝いの行事だ。卒業生の前途を祝福し教員側も笑って送り出せる。現に私も毎年
笑顔で送り出してきたが、今年出席した卒業式では涙が出てしまった。卒業式の涙という
と今まで仲良く学校生活を送った級友との別れを惜しむ涙と相場が決まっているが、今回
はそうではない。同情の言葉も見つからないほどの悲しい涙である。それは、悪性の疾患
のためにこれから長期にわたって闘病生活を送らなければならない生徒がいたからであ
る。卒業を目前にして病に倒れて入院生活が始まり、式当日も病院から外出許可を得て
の出席である。在籍中は学校を代表する優秀な人物と評しても過言ではない生徒だった
ので、もちろん卒業後の大学進学も既に決まっていた。しかし、それも療養のために入学
を断念せざるを得なくなってしまった。病気を治し健康を取り戻せば再度受験して入学す
ることはできるだろう。だが高校を卒業し人生これから花開くときなのに闘病生活とは、人
間の運命はなんと非情なものなのだろう。あまりのご不運に、私は本人の前で「おめでとう」
とはついに言えなかった。

148「やっと休息できる時が来た」(3月 8日)******************************************
 学年末試験の成績処理も無事に終わり、ようやく今年度も激務から解放された。これで
4月の始業式まではこれといった業務はない。ということで、しばらくは暇になるわけだが、
まずはゆっくり休みたい。正直言って今年度は例年以上に疲れた。過去の教員人生の中
で最も疲れた一年だった。朝の出勤は早く、夜の帰宅は遅くなり、平日の睡眠時間は5時
間程度という日がほとんどだった。よく年度途中で倒れなかったものだと我ながら不思議
なほど忙しかった。なぜそこまで多忙をきわめたのかと今年度を振り返ってみると、何とい
っても時間の余裕がなかったことに尽きる。持ち時間数もさることながら自分が担当してい
る科目の数が多かったため、教材研究が非常に大変で日々の授業に追いつくのがやっと
という状態が続いた。どこの高校でもそうだろうが昨今は自由選択科目・選択必修科目が
増え、多種多様な生徒のニーズに応える方向にカリキュラムが編成されている。そのため、
たとえ教員の持ち時間数が同じでも担当科目数の増加に伴う負担が大きくなる傾向にあ
る。来年度は担当科目数を減らしてもう少しラクをしたい。これが私の偽らざる今の心境だ。

    (塾長コメント: エ〜ッ!菅ちゃん、うらやましい...。私なんかは、今年度の業務の締めくくり
             と同時進行で、新年度の業務の打ち合わせで「忙中忙あり!」です!ゆったりコ
             ーヒーを飲んでいる暇もありません。これからさらに仕事が舞い込んでくる様子な
             ので、一体いつ休息できるのか、全く予想がつきません。猫の手も借りたいくらい
             です。)

147「STARBUCKS COFFEE 初体験」(3月 1日)*********************************
 先週の日曜日だったが、ある駅に出かけて買い物などを楽しんだのだが、その付近には
いつも利用しているミスタードーナツがなかった。その場合は第2候補のドトールコーヒーに
入ることにしているのだが、それもない。目に入った喫茶店はSTARBUCKS COFFEE
だけである。ここはコーヒーの風味を損なわずに味わっていただくという理由で全席禁煙の
喫茶店として有名である。今や全国的に店舗を広げているのだが、私は今まで一度も入っ
たことがなかった。というわけで生まれて初めて入店してみた。コーヒーを頼むと分量が4種
類あることにまず驚いた。また、出てきたコーヒーが紙の容器なのにも驚かされた。さらに、
テーブルには砂糖もミルクもスプーンもない。かといって店員が差し出したコーヒーにそれら
が備え付けられているわけでもない。砂糖やミルクなどは別のコーナーに、しかも何種類か
置かれてあって、客が各自の好みで選択して入れる仕組みになっている。つまりそれだけ
こだわっているということなのだろう。
 感想は良い点4つと悪い点2つであった。コーヒーそのものはなかなか良い味であった。
全席禁煙にしたことでタバコの匂いが店内に全くしないのも歓迎できる。店内の雰囲気も
良く、従業員の接客態度も好感が持てる。壁側の椅子は掛け心地の良いソファーもあっ
て落ち着ける。しかし、コーヒーを入れる容器が紙コップなのはいただけない。それだけで
なんだか安っぽいコーヒーを飲まされているかのような錯覚に陥る。やはり陶器のコーヒ
ーカップに注いでほしかった。また、4種類の分量から選ぶ方式にせず、一杯の分量を少
なくしたうえでおかわり自由にした方が良いと思う。そうすれば店内で長く過ごしても熱いコ
ーヒーが飲める。

146「烏に襲われた!」(2月27日)**************************************************
 先週火曜日のことである。いつものように学校へ出勤しようとしたのだが、いよいよ校門
の前まで着いたときに突然バタバタという羽音と同時に自分の頭の上に何かが乗ったよう
な感触があり、続いてまたバタバタという羽音とともにさきほどの感触が消失するという奇
妙なできごとに遭遇した。この間わずか数秒もない。直ちに周囲を見回すとやはり校門の
そばの木の枝に烏が一羽止まっており、ご丁寧にもその烏は「犯人は俺だよ」と言わんば
かりにこちらを眺めている。その瞬間、私は「烏に間違いない!」と思った。じつは数年前
にも同様の体験をしたのだ。あのときは東京の神保町の古書街を散策しているときであっ
た。やはり、一瞬だったが頭上に何かが乗った感触があった。あのときは近くに烏の姿も
見えず何のことか見当もつかなかった。
 その神保町での体験後にテレビで烏の被害を扱った番組を見たことがあった。さまざま
な被害が紹介されていたが、その中には烏の嘴で頭部を突かれて本人はかなりの怪我
をしたという事件もあった。だから決して他人事ではない。番組中、専門家いわく、「烏は
黒いものに反応する」とし、「日本人の頭髪は黒なので危険」と指摘していた。しかし、だ
からといって高校の教員が自ら金髪に染めるわけにもいくまい。わざと白く染めてお年寄
りの頭髪のような白髪頭にするのもみっともない。頭を保護するなら帽子か傘を使う手が
ある。しかしスーツ姿では適切な帽子がない。スーツを着ると普通は帽子をかぶらないか
らだ。いくら烏による襲撃から頭を守るためとはいえ、スキーヤーが愛用するようなニット
帽をかぶって出勤するわけにもいかないだろう。だからといって工事現場で働くわけでも
ないのにヘルメットを着用しているのも妙だ。傘にしてもそうだろう。雨でもないのにさして
いたらアホな男に思われる。結局上を見て烏の行動を監視しながら歩くしかないのだろう
か。

    (塾長コメント: 菅ちゃんを襲った犯人は、かわいい「鳥」ではなくて、黒い「烏」なんですね!
            私自身「カラス」に襲われた経験はありませんが、羽ばたく瞬間って、相当大き
            いですよね。頭が良くって、学習能力もあり、悪さをしなければ、いい奴だと思う
            のですが...。)

145「2週連続で山登り」(2月22日)*************************************************
 先月から2月5日にかけては試験問題作りなどで土曜・日曜日にも学校に行って自分の
仕事をしていたことが多かったのだが、ようやくそれも終わり先々週・先週と土曜日は2週
連続で山登りを楽しんだ。いずれも丹沢で卒業生と一緒に行った。(ただし11日・18日は
別々の山、別々のメンバーである。)自宅の裏山を別にすると今年になってからは初めて
の登山になった。この時期は南関東地方に属する神奈川県といえども丹沢や箱根といっ
た山々では雪が降る。だから登山道にしても日の当る場所は雪が溶け出して道はぬかる
んでいるし、逆に日陰となる場所は氷のように硬くなった雪が積もったままだ。どちらにして
も足場が悪いことには変わりがない。だから滑落することのないよう一歩一歩時間をかけ
て登るのだが、そんな苦労をし危険を冒してでも、否、それだけの苦労をするからこそ、山
頂に到達できたときの感慨は格別なものがある。18日の下山後は例によって炭火焼肉チ
ェーン店でおなじみの「牛角」で焼肉を囲んだ。こういうひとときが私にとっては一番楽しい。
普段の授業では口が裂けても言えないような問題発言?も遠慮なく言えるし、ボケかまし
たりツッコミ入れたりでアホな話に花を咲かせながら卒業生の近況を聞くことができるから
だ。彼らは高校を卒業して今春で6年目を迎えるからもう24歳になる。若者のフリーターや
ニートが社会問題となっている昨今だが、正規に採用されてしっかり仕事をしているとの報
に私も安心した。

144「新聞を読む暇もない」(2月15日)***********************************************
 最近、友人の読者からこんな意見が寄せられた。
  言わせて頂戴だけど、最近の事件に対する過激な意見が載らないね。「ホリエモンは
 みんなの期待を裏切った」とか「東横インの西田社長は許せない」とか、いつ言うのだろ
 うと思っているんだけど。

そうなのだ。今年に入ってから企業の不正が雨後の筍のごとく発覚している。1月24日に
はライブドアの堀江貴文社長・宮内亮治取締役ら4人が虚偽の企業買収情報を公表した
として、証券取引法違反の容疑で逮捕された。また、建築関係では昨年の耐震強度偽装
の問題に続いて、1月27日には大手のビジネスホテルチェーン「東横イン」で、法律や条
例で義務付けられている施設を検査直後に撤去・改造するという悪質な違法建築が発覚
した。さらに、今月に入ってからは姉歯秀次元一級建築士以外の建築士による物件でも
耐震強度の偽装が発覚した。この他、大きく報道された不祥事として、防衛施設庁の官製
談合事件も挙げられる。技術審議官で防衛庁ナンバー3といわれる河野孝義ら3人が逮
捕されているからだ。
 このように次から次へと事件が起きており書きたいことは山ほどあるのだが、いかんせん
情報を収集する暇がないのが実情だ。事件を『言わせて頂戴』で酷評?するためには、ま
ず新聞などで信頼できる情報を入手することから始めなければならないのだが、学校の仕
事に追われて新聞を読む時間すら満足に取れない。朝も早く帰りも遅いのでテレビのニュ
ースを見ることもできず、情報は同僚の雑談の中からしか入って来ないのが現状だ。事実
を正確に認識しないことには自分の見解の持ちようもないので過激な文章を書きたくても
書けないのである。そこで世の中の事件とは無関係に日頃思っているコインロッカーとかカ
タカナの言葉の氾濫などで原稿を更新しているわけで・・・。3学期は非常に短いくせに、次
年度に入学する生徒の選抜試験に始まり、卒業試験・卒業判定会議・在校生の学年末試
験・卒業式・在校生の成績処理と進級判定会議など、さまざまな業務を次々と消化しなけれ
ばならないので、じつに忙しいのである。すべてが終わり一段落すれば世の中の事件に対
するタイムリーな論評ができる時がくると思うのであしからず・・・。

143「学級閉鎖」(2月 8日)********************************************************
 先月から神奈川県内でインフルエンザがだいぶ流行っていたが、今月に入り私の勤める
高校でもついに学級閉鎖が出てしまった。1年生が2クラス、2年生が3クラスで、このうち
私は2年生2クラスの授業を担当している。幸い私は今のところ元気だ。しかし、インフルエ
ンザというのは急に発病するから、今は元気でも数時間後はわからないという点が厄介だ。
学校にいるときに発病して早退する生徒を見ているとこのことがよくわかる。朝は元気で授
業を受けていたのに2時間もしないうちに40℃近く発熱したりするからだ。私自身も過去に
経験があるので、その恐ろしさはよくわかる。きのう『言わせて頂戴』に記した予防法の成
果?で、平成13年の1月以来インフルエンザにはかかっていないのだが・・・・・・。

142「少しはラクになりそうです」(2月 1日)*******************************************
 先月の第4週から3年生が卒業試験に入った。そのため先週の後半から3年生の授業は
なくなっている。私も3年生を1クラス担当していたので、その時間が空き時間になる。私の
担当していた科目は2単位なので減ったといっても月曜の4時限と水曜の6時限の2コマが
なくなるだけだが、それでもその時間が空き時間になるのと授業をするのとではずいぶん違
う。特に国語の場合は教材研究など事前の準備にもかなりの時間を費やされるのでなおさ
らだ。というわけでこれから3月の学年末試験までは少しばかりだがラクになりそうだ。

141「小倉百人一首大会が終了」(1月31日)******************************************
 1月も間もなく終わりだが、私は学校で小倉百人一首大会を主催し無事に終了することが
できた。今までも毎年行なってはいたが、それはクラスごとに教室でやっていただけである。
しかし今年は6クラスある文系生徒の古典選択者を一堂に会しての、文字通り「大会」であ
った。その責任者は私になった。だから企画から当日の司会進行まですべて私が務めなけ
ればならなくなった。まず会場の問題があった。参加する生徒も約100名に及び通常の教
室では不可能なので、体育科から柔道場を拝借した。やはり百人一首は畳の上でやりたい
ものである。しかし、同僚からは柔道場では狭いのではないかという意見がかなり寄せられ
た。「過去に100人の生徒を柔道場に入れたことは本校では一度もない。」とまで言われた。
競技中に盛り上がるのは結構だが、勢い余って札を取ろうとした生徒同士が頭をぶつける
恐れも指摘された。競技後に大勢の生徒が出口に殺到したらけが人が出ることも指摘され
た。このようにあれこれと言われると私も不安になってきた。私は事前に柔道場を下見し「こ
の広さなら問題ない。」と判断したのだが、周囲からそのように言われると「狭くて収容しきれ
なかったらどうしよう。」と考えたりもした。また、事故さえなければ良いというものでもないだ
ろう。定刻に生徒が集合して競技を開始することができるのか?競技中につまらなくなった
生徒が退場しようとしたり他の生徒の妨害をしないだろうか?などなど、当日まで心配の種
は尽きることがなかった。
 しかし、大会を始めてみるとそれらの不安は全て杞憂であった。生徒は私の指示した時刻
よりも早目に集合してくれたおかげで、競技も定刻に始めることができた。競技中も全く問題
はなかった。24チームあるから12のカードができるわけだが、各カードでは100枚の取り
札の周りに8人の生徒がくっつくようにして座っている。だから1カードあたり4畳分の広さも
あれば充分で、全然狭くはなかった。競技も私の立てたスケジュール通りに順調に進んだ。
もう少しのところで相手チームに札を取られてしまったために悔しがって畳を叩く生徒もいた
り、仲間がお手つきをしたためにどっと沸くチームもあったりで、競技はかなり盛り上がった。
去年の11月に生徒に話を持ち出したときはあまりやる気のなさそうな顔をした者も少なから
ずいたが、競技が終わってみると「もう一度やりたい」という声も結構あった。職員室に帰る
と「本当に良かったです。先生ご苦労様でしたね。」とねぎらってくれた。私は気づかなかった
のだが、競技中に多くの同僚が柔道場まで見に来てくれたらしい。柔道場に100名近くの生
徒を集めて百人一首をやるというのは本校では初の試みだっただけに、やはり生徒の様子
や会場の雰囲気を知りたかったのであろう。「あそこまでみんなが盛り上がって競技に熱中
しているとは驚きでした。」という同僚の感想を聞いて、私はこの企画は成功だったのだと思
うことができた。

140「皆既日食を体験したい」(1月26日)*********************************************
 きょう職員室で「今までに見たことのない地学的な現象」という話題で盛り上がった。私が
見たことのないものはいろいろある。ダイヤモンドダストも蜃気楼も見たことがない。いつか
は見てみたいと思っているのだが、しかしこれらは、その時季に現地へ旅行して滞在すれ
ば叶わない夢でもない。ダイヤモンドダストなら真冬の北海道、それも旭川などの内陸に行
けば観察できる。蜃気楼なら春に富山県の氷見に行けば良い。だから、そんなものよりもっ
と珍しいものを見たい。それは皆既日食だ。白昼なのに次第に暗くなりついに夜同然になっ
てコロナが見えるそうだが、私はいまだに体験したことがない。そこで私が「皆既日食を見た
い」と言ったら、理科の同僚が「それなら日本でも3年後に見られる」と教えてくれた。2009
年の9月25日だそうだ。但し東京でもなければ大阪でもない。屋久島に行かなければ皆既
日食にはならないという。屋久島は鹿児島県である。それも人工衛星の打上げ場所になっ
ている種子島のさらに南の島だ。あと1ヶ月早ければ学校が夏休み中になるので容易に行
けるのだが、9月だと2学期の授業が始まってしまっている。どうしても屋久島へ行くのなら
年次休暇を取るしかない。理由が何であれ年休を取るのは労働契約上の権利だから形式
的には何の問題もない。だが、その間は授業を自習にさせることになるから、現実問題とし
ては難しいだろう。ちなみに東京で皆既日食になるのは29年後の2035年だそうだ。これ
は私には厳しい。ひょっとしたら仏になっているかもしれない。う〜ん、やはり一生に一度も
皆既日食を体験できずに終わってしまうのだろうか?

139「TITANICを買いました」(1月25日)*********************************************
 さて、恒例の帰省も無事に終わり、その2日後の1月7日に私は映画『TITANIC』のDVD
を購入した。「今さらTIYANIC?」と思われるだろうが、今回リリースされたのは1997年に
封切りされた劇場公開版『TITANIC』のアルティメット・エディションである。劇場公開版には
収録されなかった未公開シーンやもう一つのエンディング、さらには実際にTITANICに乗船
していて救出された方々の証言など、今まで見たことのないさまざまなシーンが盛り込まれ
ている。しかも30万枚の限定生産である。『TITANIC』は全世界で興行収入2300億円を
あげた名作だけに、30万枚くらいはすぐに売れてしまうかもしれない。それに『TITANIC』
のファンとしてはこのアルティメット・エディションを買わずにはいられないだろう。そう思って
私は発売当日に購入した。さっそく見たが、特典映像が充実していて満足できる内容であ
る。じつは7年前、私はアメリカで$30.00で販売されている『TITANIC JAMES CA-
MERON’S ILLUSTRATED SCREENPLAY』という書籍を旅行先であった愛媛県宇
和島市内の古本屋で偶然入手した。その本には劇場公開版にないシーンの写真がいくつ
も掲載されており、買った当時は不思議に思った。正直なところ「よく似ているけど別の監
督による『TITANIC』か?」とさえ疑ったくらいである。だが、それらの写真は今回発売され
たアルティメット・エディションに盛り込まれていたのだったということが、DVDを見てからわ
かった。ただ、ひとつだけ残念なのは未公開シーンが本編とは別に収録されていたことだ
った。欲を言えば未公開シーンも本編に含めて1本の作品に仕上げてほしかった。

138「帰省&旅行(Part8)」(1月19日)**********************************************
 1月4日。いよいよ帰る日が来た。帰るときも青春18きっぷで在来線の普通・快速のみ
を利用している。大阪から東京へ戻る場合は2通りある。ひとつは大阪を昼過ぎに出て快
速や普通を乗り継いで夜遅く戻る手だ。もうひとつは大阪を夜に出発して、大垣から夜行
列車で東京へ向かう手だ。前者は青春18きっぷ一回分だけで済むので経済的であるが、
午後の時間の大部分を列車の中で過ごさなければならないことと、すべての列車が自由
席なので乗り換えのたびに神経をつかわなければならないのが難点だ。特に青春18きっ
ぷを利用できるシーズン中は他の旅行客も同じ行動をとるから、うかうかしていると次の列
車に座れなくなってしまう。しかも乗り換えが米原・大垣・豊橋・浜松・熱海などと数ヶ所ある。
その点、後者なら大垣から指定席なので座席の心配はない。大垣までの乗り換えも1回だ
けなのでラクだ。但し、日付の変わる刈谷以東の乗車券が必要になるから実質的には青
春18きっぷを2回分使うことになる。だが、それでも私は後者を選択した。何よりも大阪に
夜まで過ごせるのが嬉しい。
 最後の夜は行きつけのお好み焼き店で過ごした。そして20時30分。大阪から新快速電
車に乗った。車内は家路に向かう通勤客ばかりで満員である。しかし、高槻・京都・山科・
大津とどんどん降りていくので、いつのまにかがらがらになる。静かに雪の降る米原で乗り
換える。ここから大垣までは30分である。昼間晴れていると車窓から伊吹山の雄大な姿を
間近で望むことができ、東海道本線で最もローカル色の濃い区間である。まあ、今は夜も
更けているので何も見えないが・・・。大垣からは行きに利用した「ムーンライトながら92号」
に乗る。今回は寒すぎもなく暑すぎもなくぐっすり眠ることができた。翌日、東京に定刻に着
いた。時刻は4時47分である。まだ夜明け前だし朝食を出すお店も閉まっているので、睡
眠時間を稼ぐためにも山手線に乗って目をつぶる。1周1時間4分。大阪環状線と同じで
終点がないから、いくら乗っていても車掌に起こされる心配はない。朝日が昇り通勤ラッシ
ュが始まる時刻になってから渋谷で降りた。朝食をとってから学校で勤務するために横浜
へ、そして夜になって10日ぶりに自宅へ戻る。東急や小田急など首都圏の電車を見たと
き、「10泊11日も旅行していたのに終わってみるとあっという間だな」という感じがした。

    (塾長コメント:イヤ〜菅ちゃんはタフですね!10泊11日の旅行の最終日にもう仕事とは驚き
            です。私だったら2〜3日は寝込んじゃいます。)

137「帰省&旅行(Part7)」(1月18日)**********************************************
 2006年も元旦を穏やかに迎えることができた。前夜に除夜の鐘を聴きに出かけたた
め、初日の出を見に行くということはせず、ゆっくり起きて新年を迎えた。午後になってか
らみんなで伏見稲荷へ初詣に行く。これも例年通りで毎年、しかも元日の午後にお参りし
ている。読者の皆さんの中には「なにも毎年同じ寺社に初詣に行かなくても・・・。」と思わ
れるかも知れない。しかし私の場合はそうはいかないのだ。一度だけ元日の初詣を伏見
稲荷から北野天満宮に変更したところ、その参拝した日の16日後に兵庫県西宮市内で
あの阪神淡路大震災に遭遇してしまったからである。単なる偶然と言ってしまえばそれま
でだが、あんな忌まわしい体験をしてしまうと、必ず元日の午後には伏見稲荷に参詣しな
ければらないような気がする。もし行かないと、その一年間は何らかの不幸に見舞われる
ような気がして怖くなってくるのだ。他のものは欠かすことはあっても、知恩院の除夜の鐘
と伏見稲荷の初詣だけは今後も毎年欠かすことはないだろう。
 2日は大阪の梅田や心斎橋に行き、百貨店の初売りに出かけた。これも例年通りであ
る。そのとき地下鉄御堂筋線や東海道本線などを利用したのだが、新大阪へ向かう電車
がいつも以上に混んでいた。年末年始をふるさとで過ごした人のUターンラッシュがもう始
まっているからである。高いお金を払って新幹線で帰郷しても大晦日と元日だけしか過ご
せないとは、なんとせわしない帰省なのだろう。いくらリストラされずに会社に残ることがで
きたとはいえサラリーマンも可哀想なものだと思う。もっと言えばこの初売りのために出勤
している百貨店の店員も可哀想なものだ。幸い私は職業柄10日の始業式までまだまだゆ
っくりできる。あらためて我が身の幸せを感じた。

    (塾長コメント:今年の元旦は、イマイチでしたね!関西とは違い、雨空で初日の出も見られな
            かったような...。以前、京都の洛星高校(私の数学の恩師 小田先生の母校)
            を訪れたとき、その近くに北野天満宮があるのをうっかりして行かずじまいでした。
            でも、菅ちゃんの話を伺っていると、それで良かったのかと思わず納得してしまっ
            た。)

136「帰省&旅行(Part6)」(1月16日)**********************************************
 前夜、下関から乗った夜行列車で12月31日の朝6時32分に新大阪へ着く予定だった
が、広島で目が覚めてしまった。まだ2時だ。何とか眠る努力はしたが、全然眠れない。そ
れもそのはずだ。座席下の暖房が効きすぎていて暑くてたまらないからである。他の乗客
を見回してみると、静かに眠っている人もいるが起きている人も多い。やはり暑くて眠れな
い様子だ。車掌が来たら訴えようと思ってしばらく待ってみたが、こういうときに限って全く
来ない。しかたがないので姫路まで我慢してここで降りてしまった。姫路で降りたのはここ
からなら始発の電車が多数出ており、乗り換えなく大阪や京都へ戻れるからである。時刻
は5時14分、まだ真夜中のような暗さだ。ほどなくして始発の電車が来たのでこれで一眠
りする。車内は寒いくらいで私にとってはちょうど良かった。
 京都で下車し、27日の朝と同じ「ホテル京阪」の最上階で朝食を食べた。今日の京都は
雲が多いながらも薄日が差し込んでいた。その後は大阪へ出て阪神百貨店の阪神タイガ
ースグッズ売り場に行った。2006年のカレンダーをはじめ、いろいろと買い込む。それか
ら難波のなんばウォークやなんなんタウンに行って買い物をした。以前紹介した会津屋の
たこ焼きももちろん食べに行った。夕方になって親戚の家に行く。ここからは例年通りだ。
夜になってから親戚の一家と一緒に京都へ向かう。毎年、知恩院へ除夜の鐘を聴きに出
かけているからだ。不思議なもので鐘を聴かないと一年が終わったような気がしないのだ。
「ゴ〜ン」。あの音色は一度聞いたら忘れられない。鐘を打つための棒には縄が6本つけ
られていて、6人の和尚さんがそれぞれ1本ずつ縄を手に持って掛け声とともに鐘を叩い
ている。冬の京都は寒い。除夜の鐘が鳴る時刻にはしんしんと雪が降っている年もあった。
それでも毎年出かけてきた。今夜もこの鐘の音を聴き入って、多忙を極めた1年がようや
く終わったような気がした。

135「帰省&旅行(Part5)」(1月14日)**********************************************
 12月30日になった。もう2005年もあと2日である。予定では徳山へ出て岩徳線に乗り、
岩国の手前の川西から錦川鉄道を訪れる予定であったが、ホテルの窓から見たときの天
候が思わしくなかったことと広島地方の天気予報が悪いとの情報を鑑みて、再び九州へ入
ることにした。今にも雨が降りそうなところを乗っても良い写真が撮れないし、乗っていても
おもしろくない。こういうときは天気の良い場所を旅行するのが一番だからだ。幸い、下関
あたりから雲もなくなりすっかり晴れてきた。というわけで、もう一度筑豊本線に乗って若松
へ行き海を眺め、その後は博多へ出て山陽新幹線の末端に伸びる博多南線に乗ってみた。
 博多南線はJR西日本の在来線の扱いだが新幹線車両を使い、運賃の他に100円の特
急料金がかかるという特殊な路線である。したがって青春18きっぷでは利用できない。し
かし往復しても580円である。たいした出費ではないので訪れてみた。車窓の風景は最後
まで博多の住宅街である。乗って驚いたのは速度が非常に遅いことだ。わずか8.5kmの
距離を10分もかけて走るのだから、50km/hそこそこしか出ていないことになる。これで
100円とはいえ特急料金を徴収するのはいかがなものかと思うが、車両だけは新幹線だ
から乗り心地は格別である。だからこの100円は特急料金というよりも新幹線車両の着席
料金と銘打ったほうが良いだろう。
 これで九州地方の鉄道は全線を訪れたことになった。夜になってから小倉の郊外である
下曽根に行く。ここにはとんかつ専門店「新宿さぼてん」がある。夕食をとってから下関へ
出て、新大阪行きの夜行列車に乗った。27日の夜に乗ったムーンライト九州号の上り列
車である。

134「帰省&旅行(Part4)」(1月12日)**********************************************
 今朝もよく晴れている。今日は山陽地方西部のローカル線めぐりである。新山口から宇
部線に乗り宇部へ出る。電車は2両編成だ。地図で見ると宇部線は海沿いを走る線という
感じだが、車窓から海が見えるのはごくわずかの区間だけで、新山口側は遠くに山が連な
り近くは田畑というのんびりとした風景、宇部に近づくにつれて住宅街という車窓であった。
宇部からは山陽本線を2駅乗り、今度は美祢線のホームへ行った。これはディーゼルカー
が1両だ。しかしきのうの原田で乗ったディーゼルカーとは違い、車内は立っている人も大
勢いて満員である。既に帰省のピークが始まっていたからである。こういう日は車両を増結
するなどして柔軟に対処してほしいものである。乗客は大きな鞄や紙袋を持った若夫婦や
学生が目立っていた。しかし、これまでに乗ったローカル線の経験から「まあ全員が終着駅
まで行くはずはあるまい。2、3駅で降りる人が出て車内はやがてがらがらになるだろう。」
と、私はたかをくくっていた。ところがこれが大きな誤算だった。終着駅の1つ前の長門市ま
でほとんど目立った乗り降りはなく、ずっと満員であった。山あり田畑あり渓谷ありで車窓の
風景はなかなか良かったが、仙崎まで1枚も撮影できなかった。車内が満員で外気温との
差が生じて、窓ガラスがすぐに曇ってしまったからである。仕方ないので仙崎から厚狭へ戻
る列車で撮ることにした。天気が悪くなりはしないかとひやひやしたが、朝からの好天が続
いてくれたおかげでなんとか良い写真が撮れた。
 再び厚狭に戻ってからは小野田へ出て小野田線を訪れた。この沿線は工業地帯である。
石油コンビナートや工場が林立し、その向こうに海が広がるといった風景であった。このう
ち雀田から長門本山へ伸びる支線は朝夕5往復だけで日中は1本も走らない。運転士に
聞くと「長門本山に住む学生さんを運ぶだけですね」とのこと。ということはここの学生さん
は遅刻も早退もできないのだ。さっそく私もその支線に乗ってみた。既に学校は冬休みに
入っているので、乗客は鉄道ファンとおぼしき人が数名しかいなかった。長門本山に着い
て駅からすぐの海岸で日没を拝んでから同じ列車で折り返し、新山口のホテルに戻った。

    (塾長コメント:私の陸路での西端は倉敷。空路での西端は博多。菅ちゃんの旅行記は私の
            未知の土地の紹介で楽しいですね!情景が浮かんでくるようです。)

133「帰省&旅行(Part3)」(1月11日)**********************************************
 前夜新大阪から乗った夜行列車「ムーンライト九州」号は定刻に博多に着いた。というの
は、新大阪では北陸地方の大雪の影響で20分ほど遅れて発車したからだ。夜中のうちに
遅れを取り戻したのだろう。博多へも何度も行っているので、行きつけのホテルに行きバ
イキングの朝食をとった。その後、ローカル線めぐりに出発した。今日は筑豊本線と香椎
線である。それ以外のJR九州各線は既に全線全区間乗っている。ちなみに私の「乗った」
という意味は、車窓の風景を撮影できる明るい時間帯に乗って景色を眺め、主要駅の駅
舎や途中の風景をカメラにおさめたということ。よく「私は全線乗った」と豪語する人に「あ
の線はどんな風景だった?」と尋ねると「夜乗ったから全然わからん」という答えが返って
くることがある。しかし、それでは乗ったことにはならないと思う。あくまでも自分の目で沿
線の風景や主要駅の駅前ぐらいは見ないことには・・・。
 今日は朝から天気は快晴だ。気持ちよく出発できた。まず鹿児島本線を原田まで乗って
筑豊本線の列車に乗り換える。列車といってもディーゼルカー1両だけで車掌のいないワ
ンマンカーだ。発車したときの乗客は自分を含めて4人しかいない。福岡県都の博多から
わずか20km離れただけでもうこのようなローカル線が存在するのだから、いかに都市規
模が小さいかがわかる。ディーゼルカーは深い山の中をごとごとと走り桂川に着いた。途
中の駅で乗り降りはあったが、乗客は最後まで一桁だった。これでは一日に6往復しか走
らない理由もうなづける。桂川から篠栗線で長者原へ出てここから香椎線を宇美まで行き
同じ列車で折り返して西戸崎まで乗った。香椎線も博多の郊外をのんびりと走るローカル
線だ。ディーゼルカーは2両つないでいるが、私が乗ったときは1両でも充分な程度の乗客
しかいなかった。香椎まで戻り鹿児島本線を折尾まで行き、ここで昼食。昼はミスタードー
ナツ2個とカフェオレである。その後、筑豊本線の続きということで折尾を起点にして若松ま
で往復しその後桂川まで往復した。炭鉱の町というイメージがあったため切り崩された山ば
かりが続くような風景を想像していたが、そのようなものはなく、なだらかで優美な手付かず
の山が遠くに連なっている。特に直方付近に見える山はきれいだった。今日はそこまでで
ある。関門トンネルをくぐり山陽本線を新山口まで乗り投宿した。

132「帰省&旅行(Part2)」(1月10日)**********************************************
 日付が変わり12月27日の早朝、大垣の一つ手前の穂積で目が覚めた。大垣到着と同
時に隣のホームへ急ぐ。今まで乗っていた列車は9両編成だが、今度の乗り換え列車は4
両編成しかなく半数以上の人は座れないからだ。ここできのうの塾長コメントの内容にも触
れておこう。いわゆる「大垣夜行」と称される夜行列車についてだが、現在でも毎日運転さ
れている。東京を23時43分に出るもので、「ムーンライトながら号」という列車名がついて
いる。昔は全席自由席だったが、現在は東京→小田原は全席座席指定となっている。しか
し、年末年始や夏休みなどの繁忙期はこの列車1本だけでは運びきれないため、続行運
転する臨時列車が設定されている。それが品川を23時55分に出る「ムーンライトながら
91号」である。私はいつもこれに乗る。なぜなら臨時列車の方が1時間近く前に終着駅に
着くという利便性があるからだ。それに終着までの全区間が座席指定なので車内が静か
なのも嬉しい。通年運転のムーンライト号では小田原から自由席になるため、小田原でど
やどやと乗り込んできて通路が立ち客でいっぱいになり車内がやかましくなる。そのため
に安眠を妨げられるのが私は嫌なのだ。
 さて、話を元に戻そう。まだ6時前で外は真っ暗である。乗り換えた列車でも目をつぶり
もう一眠りしたい。うまい具合に窓側の席を確保しさっそく眠った。しかし、30分もしないう
ちにドスンという音とともに「誰か医者の方はいらっしゃいませんか?」という声で目が覚め
てしまった。恐らく脳貧血か何かだろう、近くの立ち客が突然倒れたらしい。本来なら介抱
したり席を譲って座らせてあげるべきだが、私は目は閉じたまま眠っているふりをした。冷
淡に思われるだろうが、病人を見てしまうと途端に自分の体調まで悪化して旅行を続行で
きなくなるから、やむを得まい。この病人と一緒の列車には乗っていたくないので、私は米
原で新快速列車に乗り換えた。そしてまた一眠りする。粉雪の舞う京都で下車して八条口
にある「ホテル京阪」で朝食をとった。洋食のバイキングで1600円。ホテルの朝食として
みても決して安い値段ではないが、最上階(13階)からの眺望も値段のうちと思えば納得
できる。東山や比叡山など、東京方向の景色を望みながらゆっくりと朝食をとった。その後
は大阪を経由して和歌山へ行き昔の友達と会った。すっかり夜になってから大阪に戻り、ま
た夜行列車に乗った。めざすは九州である。

    (塾長コメント:一体菅ちゃんはどこまで遊びに行くのでしょうか?今後の展開が楽しみですね!
            また、後発の臨時列車の方が1時間も先に着くというのは面白い。西村京太郎の
            トラベルミステリーに使えそうかな...?菅ちゃんが朝食をとった「ホテル京阪京
            都」は、以前、無料宿泊券が当たって利用したことがあります。バイキングと聞い
            たらつい入っちゃいますよね!)

131「帰省&旅行(Part1)」(2006年1月9日)****************************************
 今から2週間前の12月26日。品川駅23時過ぎの7番ホームは普段ならしーんと静まり
返っているはずだが、この日は一見して旅行客とわかる人々で賑わっている。その理由は、
年末年始に限りこのホームから臨時の快速列車が出発するからだ。ファンの間ではあまり
にも有名だが、この列車は翌朝岐阜県の大垣に5時55分に到着するのだ。そこから乗り
換えれば京都・大阪はおろか岡山までなら午前中に着くことができる。人によってはさらに
西へ進み、四国や九州へその日のうちに到着している。しかも新幹線や特急を使わずに
である。春・夏・冬の3シーズンに限って発売される「青春18きっぷ」を利用すれば、たった
の2350円で東京から四国・九州へも行くことができるので大混雑する。私もじつはそのき
っぷの常連だ。新幹線に乗って東京から関西へ帰省したことは一度たりともない。毎年こ
の大垣行きの夜行列車で西に向かっている。
 私はこの日、昼間は学校で勤務し、その後この列車に乗るために品川へ向かった。東京
から大垣へは東海道本線を走るし全席座席指定なので、もちろん横浜からでも乗ることは
できる。しかし、少しでも睡眠時間を稼ぐためにも始発駅である品川から乗り込んだほうが
有利である。列車は発車時刻の30分以上前からホームに入っており、乗客も車内で発車
までの時間を過ごすことができるからだ。つまり、座席を倒してゆったりできるのである。私
は発車前からうとうとしていた。もちろん途中で車内検札が来るので一度は車掌に起こされ
る。だが、たいしたことはない。あとは耳栓とアイマスクをしていつのまにか眠ってしまった。

    (塾長コメント:大垣行きの夜行電車って、以前は毎日定時に走っていなかったですか?随分
            昔、新宿伊勢丹の近くにあった「radio city」というディスコで踊りまくった後、急
            いで乗り込んだのがそれだったような気がします。新聞紙を敷いて座り込む人な
            どもいて普段の東海道線とは違う雰囲気に驚いた覚えがあります。青春18切符
            はまだ一度も使ったことがないのですが、23時53分という発車時刻が微妙です
            よね!菅ちゃんも、日付けが変わって最初に停車する駅までの乗車券(品川−横
            浜間の280円?)を別に購入して、日付けが変わったら回ってきた車掌に領収印
            を青春18切符に押してもらうという裏技を使ったのでしょうか?)

130「来年のお知らせ」(12月26日)*************************************************
 今年もあと5日ですね。おかげさまで今回の原稿をもちまして『教えて頂戴』『言わせて頂
戴』『日記とお知らせ』の各ページが揃って130回に達しました。来年も基本的に各コーナ
ーとも毎週1回ずつの更新でこれからも続けていこうと考えてます。しかし、1年は365日、
週で計算すると52週+1日ですので、週1回の更新ですと2006年末では182回になりま
す。それではあまりキリの良い数ではないので、頑張って200回到達を目標にしようと思い
ます。その後は年間50回ずつの更新ペースで進もうと思います。なお、『さくぶん上手』は3
月の完成予定をめざして引き続き更新いたします。最後になりましたが、拙筆にもかかわら
ず今年も一年間アクセスしていただきありがとうございました。明年もよろしくお願いします。
それでは良いお年を・・・・・・。

    (塾長コメント:当初の目標通り、全コーナーで130回を達成され、感服しております。私も負け
            ずに千日連続更新記録達成を目標に日々精進していこうと思います。読者の方が
            「見に来てよかった〜」と思えるように、内容の充実を今後とも念頭において運営し
            ていきたいと思います。「菅ちゃんの呟き」同様「私的数学塾」もどうぞよろしくお願
            いいたします。)

129「年賀状の作成」(12月25日)***************************************************
 きのうはクリスマスイブである。世の中の人々は夜の繁華街に出かけて色とりどりに輝く
イルミネーションに感激し素敵な夜を過ごしていたのだろうが、私は一日を年賀状の作成
に費やしてしまった。例年なら11月の上旬の年賀状発売開始と同時に購入して学期中に
少しずつ書いていたのだが、今年は授業の持ち時間数が私の教員史上で最も多かったた
め、毎日が非常に忙しくとても年賀状どころではなかった。したがって郵便局がさかんに言
う「元日に届くようにするには12月24日までに」という期限はもう過ぎてしまったのだが実
際には12月27日ぐらいまでに投函すれば元日に届くので、今からでも書いて出そうという
わけである。ところで、年賀状を作成していて毎年思うことが一つだけある。それは、まだ
年が明けてもいないのに「あけましておめでとうございます」と書くことに対する違和感であ
る。「あけまして・・・・・・」と書く以上は本来なら新年になってからにしたいものだ。いつの頃
から「元日に届くように」という風習ができて、年の瀬の慌しい時期に年賀状を購入して書く
ようになったのだろうか?

    (塾長コメント:以前お世話になった方と最近会っていなくても、1年に1回でも年賀状の交換が
            あると昔の思いがよみがえりますね!是非続けてほしい風習です。でも最近忙し
            く、年賀状を書いている暇がありません。私も「27日までは...」と思うのですが、
            26日も出張です。「書けるのかしら?」と思う今日この頃です。最後の手は、メー
            ルですかね?)

128「商店のくじ引きに挑戦」(12月24日)********************************************
 天皇誕生日のきのう、私は地元の商店主催のくじ引きに挑戦した。この時期になるとど
この商店でもやっていることだが、お買い上げ金額に応じて抽選券をレシートと一緒に渡
されて、それでくじ引きができるというイベントである。私がよく行く商店でもこれをやってお
り、それまでの買い物でたまった抽選券を持ってくじ引きの会場に行ってみた。くじ引きは、
あの八角形をした朱色の箱をガラガラと回して中から出てくる玉によって賞品が渡される
という、昔ながらの方式である。抽選券は14枚持っていたので玉も14個出てくるまで回し
続けた。その結果3個の玉が「当り」となり、300円の金券2枚と500円の金券1枚を獲得
した。1100円も当るとちょっと得した気分になるものである。お買い上げ金額3000円で
抽選券1枚だから、計算上は42000円の買い物をして1100円が割り引かれることにな
っただけの話だが、それでもそれが来年の抽選会への購買意欲をかきたてる手だとした
ら、商店もなかなか考えたものだなと思った。

    (塾長コメント:「八角形をした朱色の箱」を回すというのは懐かしいですね!今は、ボタンを押
             して当たりはずれをパソコンに委ねるというものが多いと思います。行きつけの
             店からいつも1回だけ抽選ができるハガキが届くのですが、最近ははずれてば
             っかりです...。でも何年か前、3000円の商品券が当たったときは嬉しかっ
             たかな?)

127「卒業生と再会」(12月22日)**************************************************
 一昨日の退勤途中、ある駅の改札口で「先生、お久しぶりです」と声をかけられた。雑踏
でそういう挨拶をしてくれたのだから、たぶん昔の教え子なのだろう。しかし今さら「失礼で
すがどなた様でしょうか?」などと聞くわけにもいかない。だから、知っているふりをして対
応するしかない。会った場所やそのときに交わした会話から、その教え子が今春に卒業し
た生徒だということがわかった。しかも、2年前に彼が2年6組に在籍していた当時、私が
国語Uの教科担当として彼を指導したことまでわかった。だが、そこまでわかっていながら
彼の名前が思い出せない。その人が右脳と左脳のどちらが優れているかによるのだろう
が、ある人物を思い出すとき顔からすぐに思い浮かぶ人と名前からという人とに分かれる
らしい。私は後者のタイプである。長い間教員をやっていて、名前を言われてピンとこなか
った経験は一度もなかった。しかし、顔を覚えるのは非常に苦手である。だから雑踏で出
くわすと困る。こういうとき、どうすれば良いのだろうか?

    (塾長コメント:私の場合は、顔から思い出す方です。でも一番困るのは、街の中で保護者と
            思われる方から挨拶されるときですね。年に数回しか会わないし、本人とあまり
            似ていない場合もあって名前が思い出せません。そんなときは「ちょっと急いで
            いるので〜」とかいって、速攻でその場から退避してしまいますね。)

126「人間の記憶力」(12月19日)**************************************************
 きのうは久々に最寄り駅までバスに乗って出かけて買い物をした。その帰りの路線バス
の車内でのことである。声から推測すると高校生だろうか、「あれ、今度コンビニになった
んだ〜。」「うん。先月できたばかりだけど」「前はここ何だったっけ?」「・・・・・・」という会話
が私の後ろから聞えた。見るとそこには新しく建ったコンビニエンスストアが営業している。
私もそこにコンビニが開店したのは知っているので、その乗客の会話を聞きながら「これ
ができる前は何が建っていたのだろう」と思ったが、いくら考えても思い出せない。昨今の
不景気のせいか、商店の移り変わりは特に激しい。去年か一昨年に開店したかと思った
らいつの間にか店じまいしている。そして更地になったかと思うと、もう新しい店舗が建って
いる。だから前にあった建物や店舗などあっという間に忘れてしまうのだろう。だが、それ
にしても・・・・・・。ここで私は人間の記憶について考えてみた。前にあった建物をすぐ忘れ
るほど、そんなに記憶は脆いものかということだ。決してそうではないだろう。20年も30年
も昔の、それも忘れていても当然のようなくだらない出来事を今でも昨日のことのように鮮
明に覚えていたりすることもあるからだ。なのに、わずか2ヶ月前までそこにあった建築物
を思い出せないとは・・・。人間の記憶のメカニズムは摩訶不思議なものだ。

    (塾長コメント:みんなそうなんだ〜!私にも経験があります。あれって、とても気になりますね。)

125「自宅の裏山に登りました」(12月18日)******************************************
 14日からひいた風邪はまだ完治してはいないものの、だいぶ良くなったので、久しぶり
に自宅の裏にある山に登ってみた。普通、山に登るにはそれなりの装備をするのが常識
だが、ここは30分も登れば展望台のある山頂に着くことができるので、いつでも気軽に散
歩気分で行けるのが魅力である。標高は250mにも満たないが、それでも好天に恵まれ
ると東京都庁の高層ビル群をはじめ横浜のベイブリッジ・江ノ島までは肉眼で望むことが
できるし、運が良ければ伊豆大島や筑波山までをも見ることができる。きのうも昼過ぎに
行き、山頂からの景色を楽しんだ。ふだんは地元の人が犬を連れてウォーキングをしてい
るだけだが、きのうは土曜日とあって他所から訪れた登山者も結構いた。長野県のアルプ
スと比べたら山のうちにも入らない山だが地元の住民にとっては憩いの場である。切り崩
すことなくいつまでも同じ姿で後世に残しておきたいと思った。

124「預金金利は雀の涙」(12月17日)***********************************************
 きのうのことだったが、私の取引先の銀行からハガキが郵送されてきた。中身は定期預
金の満期のお知らせである。私は自分の定期預金を年の瀬に満期になるようにしたので
ハガキも毎年この時期になると郵送されてくる。しかし、中身を見て愕然とさせられるのは
利息の乏しいことだ。預金100万円につき銀行がつけた利息は1年あたりわずかに300
円である。つまり年率0.03%にしかなっていないのだ。金融機関名は明かせないが、私
の取引先は関西でも優秀な部類にランキングされている有名銀行である。そこの行員が
「当行自慢の商品」と銘打って薦めている定期預金ですらこの有様だから、いかに昨今の
預金金利が低いものかがよくわかる。たぶん普通預金では雀の涙にもならない利率であ
ろう。バブル全盛期には100万円あたり年率9%で元金保証、5年間の定期預金で45万
円(税引き前)も利息がついた金融商品があったが、それから比べると同じ日本とは思え
ぬような情けなさである。年率9%までは要求しないが、少なくとも利息が小遣い程度にな
るくらいは景気を回復できないものだろうか。しかも、問題はそれだけではない。さらに腹
が立つのは、そのわずかな利息からも国税15%・地方税5%が差し引かれていることだ。
つまり、100万円の利息300円から45円と15円とで計60円が既に天引きされているの
である。だから自分のものとなる利息は240円しかない。取りやすいところからは例えわ
ずかな額でもきっちり徴収し、取りにくいところには目をつぶる現在の課税方式が、こうい
うところにもはっきり現れているとつくづく思った。

    (塾長コメント:預ける側からみれば、この低金利時代は困ったものですが、多額の住宅ローン
            を抱える我が家としては助かっています。ローンの返済が終わるまでこのままで
            いってほしいと思います。超が付くくらいの低金利ですが、銀行はしっかり利ザヤ
            を稼いでいますね!その分をいくらかでも預金金利の方に反映できないんでしょ
            うか?)

123「風邪をひいてしまいました」(12月16日)*****************************************
 およそ2年ぶりだろうか、久々に風邪をひいてしまった。14日、喉の痛みに始まり、その
後は咳・鼻水・くしゃみと定番の症状に見舞われている。13日に成績処理がすべて片付
いたので年休を取っても迷惑はかからない時期なのが幸いしたが、それでも引かないに
こしたことはない。それにしても不思議だ。周囲ではかなりの人が風邪を引いていたにも
かかわらず今までは何ともなかった。特に試験前後は睡眠不足の日が続きかなり無理し
てはいたが、それでもくしゃみ一つなく過ごせた。それがここにきて風邪を引くとはどういう
ことなのだろう。やはり業務が一段落して気が緩んだせいなのだろうか。

    (塾長コメント:世間様では、「病は気から」と申すようです...。

122「お知らせ」(12月14日)*******************************************************
 今回はお知らせです。おかげさまで各コーナーとも順調に進み、『教えて頂戴』は前回の
原稿で当初予定していた130回に到達しました。『言わせて頂戴』も次回で130回となりま
すので、今後の年内の原稿は『日記とお知らせ』が主となります。また、毎週金曜日に更新
中の『さくぶん上手』も年内は12月16日の1回のみとし、第8章の稿をもって今年はひとま
ず終わりとさせていただきます。なお、毎年最終回の『言わせて頂戴』は今年一年を振り返
る内容にしているのですが、資料の収集がまだですので、原稿の掲載は12月25日に延期
させていただきます。
 さて、例年のことですが、年末年始は関西に帰ります。今年は12月26日夜に東京を出発
し、1月4日に戻る予定ですので、新年の原稿はそれ以後となります。

    (塾長コメント:『日記とお知らせ』が2日に1回の更新ペースになりますが、大丈夫ですか?

121「久しぶりに『北京』で焼肉」(12月13日)******************************************
 前回の『日記』に記したとおり、やはり先週の土曜・日曜とも採点と成績処理で忙しかった。
答案の採点から始めて学期の成績伝票の記入終了まで、1クラス5時間前後を要する。そ
の合間を縫って土曜日の夜は例の焼肉料理店『北京』へ行き、職場の同僚と楽しいひと時
を過ごすことができた。前回、『北京』に集まって食べたのが7月だったので、じつに5ヶ月ぶ
りである。久しぶりに食べに行ったためかいつも以上においしく感じられた。その翌日は、こ
れも採点が終わってから夕方から都内へ出かけた。この間初めて足を踏み入れたばかりだ
が、上野のアメ横センタービル内にあるハロプロショップ(モーニング娘。など、ハロープロジ
ェクト所属のアーティストのグッズを売っている店)にも行き、これからの業務にも役立つよう
クリアファイルなどを買った。

    (塾長コメント:ちょっと昔、焼肉食べ放題のお店に入り職場の同僚ともどもみんなで食べまくり
             ました。そのときは何でもなかったのですが、翌日顔が真っ青になって難渋しま
             した。そのトラウマのせいか、焼肉というと思わず敬遠してしまいます。焼肉って
             どんなに頑張って食べても、せいぜい400g位が限界ですよね!昔は質より量
             でしたが、最近は量より質を重視した食生活を目指しています。どんなに食べて
             も太らない菅ちゃんがうらやましい...菅ちゃん、若い!)

120「2週連続で週末がつぶれる時期」(12月 7日)************************************
 今年ももう20日余り・・・。12月に入って最初の週末を迎えた。毎年そうなのだが、12月
の第1週は試験問題の作成、第2週目は答案の採点作業である。今年も例年通りの日程
で試験が行なわれるので、当然のことながらこの間の週末は2日間とも問題の作成に費や
した。そして現在が試験期間中で、今度の週末が成績処理になる。いずれ『言わせて頂戴』
に書くつもりでいるが、特に国語科は、問題の作成も答案の採点も非常に時間と労力を要
する。この点だけに関して言うと、他教科の職員と同じ待遇では不公平なほどの差がある。
逆に最も短時間で片付けることができるのが数学科だ。あっという間に仕事を終えて早々
と年休を取って退勤したり雑談している隣席の数学科の同僚がこの上なく恨めしく思われ
てならないのが、このシーズンである。

    (塾長コメント:「数学の問題は数が少ないので、作るのも採点するのも楽だろう!」という一般
            の人の声をよく耳にしますが、「それは誤解です!」という意味を込めて、「構想に
            1年、作問に1時間」といつも答えることにしています。常日頃の生徒の学習状況
            を見て、数学的なものの見方・考え方や知識・理解、技能・表現・処理など基本的
            な数学の学習の成果を適切に判断するには、どのような問題がふさわしいか、い
            つも考えているわけです。その蓄積があるからこそ、学期末のテスト問題は自然と
            定まってしまいます。数学の先生方も目に見えないところで、結構苦労していると
            思いますよ!)

119「岩手県からの封書」(11月30日)***********************************************
 きのうのことだったが、いきなり「岩手県三陸鉄道強化促進協議会」から封書が届いた。
もちろん、私はそのような協議会と関わりがない。何だろうと思って開封してみると、中には
「三陸鉄道利用者4000万人達成感謝キャンペーン」と銘打ってあり、「この冬には車内の
座席を掘りごたつにしたこたつ列車を運転しますので、皆様お誘いあわせの上ぜひご利用
下さい。」という案内状とパンフレットが入っていた。それでも最初はなぜ私にそんな封書が
と思ったのだが、「アンケートにご協力いただいた方に送らせていただきました」という文を
見て、今夏に私は三陸鉄道線に乗ったとき車内で乗車した感想を書いたことを思い出した。
この封書はそのお礼というわけである。岩手県の太平洋沿岸は三陸地方といわれ、南北
に広がるリアス式海岸で有名である。しかしご多分に漏れずこの地方も過疎化が進み、沿
線人口は減少の一途である。そのため、ここ数年の営業成績は三陸鉄道が開業した1984
年当時には到底及ばない数値である。そこで全国から一人でも多くの乗客を誘致しようと、
風変わりな列車を宣伝して懸命の営業努力を続けているというわけだ。だが、こたつ列車を
試乗するだけの目的で訪れる鉄道ファンは別として、観光目的で冬に三陸地方を訪れる人
はそうはいないだろう。沿線に著名なスキー場や温泉があるわけでもないし、車窓に広がる
景色が雪と灰色の雲ばかりで青い海が眺められないのでは行く気にもなれない。だから夏
のような盛況にはならないのではなかろうか。果たして封書を受け取った人の何%が再訪
するかはわからないが、過疎化が進む地方を走る鉄道経営の厳しさを改めて実感させられ
た。

118「バラの苗を植えました」(11月29日)********************************************
 先週の土曜日、バラの苗を鉢に植えた。私は別に花や鉢植えの趣味があるわけではな
いのだが、同僚にバラをこよなく愛好する人がいて、その人から苗が贈られてきたので育
ててみようと思い植えてみたという次第である。私にとっては全くの初体験なので、苗を贈
ってくれた同僚から学校で詳しく植え方を聞いた。鉢は適当な大きさのものが家にあった
ので、園芸用品のコーナーに行き鉢底石とバラ用の培養土を買ってきた。教わったとおり、
まず水はけをよくするために鉢底石を1〜2cmほど入れ、それから培養土を数センチ入
れ、その上に苗を入れて再び培養土を入れて根付くように土を固めた。あとは水をたっぷ
りやれば来年の5月には咲くとのことだ。私も楽しみではあるが、果たして花が咲いてくれ
るのかは私にもわからない。

117「小倉百人一首の準備開始」(11月23日)*****************************************
 今年もあと1ヶ月余りになった。高校の授業日数で数えるとあと2週間しかない。その後
は試験や成績処理のために授業がないからである。毎年正月明けに私は自分の担当す
る授業のクラスに「小倉百人一首大会」と銘打って生徒に競技をさせているのだが、その
ための下準備は今から始めている。まず生徒に趣旨を話し、競技のルールを説明し、4
人からなるチームを作らせなければならないからだ。そして冬休み中に一首でも多く和歌
を覚えてもらうことを宿題にする。毎年やっていることなので私にとってはどうということは
ないのだが、今年度は今までとは違う点が一つある。それは私の担当クラスだけでなく6
つある文系クラスが合同となって、古典を選択している生徒全員の参加による、クラス対
抗別の大会にしようという方向で話が進んでいるからだ。生徒の総数が100人を越える
ので普通の教室ではできず、体育科にお願いして柔道場を使わせていただくことになった。
過去の実績?もあって毎年やってきた私が全体の音頭を取ることになったので、無事に
済むまでは気が抜けない。さて、今年度はどんな大会になるのやら・・・。

116「紅葉狩りは登山が一番」(11月22日)*******************************************
 先週の土曜日、私は久しぶりに丹沢山塊に出かけて山登りを楽しんだ。好天に恵まれた
週末に紅葉狩りの時節が重なったため、この日の入山者はかなり多かった。山で出会った
人と一言二言交わすことはままあるのだが、この日はやはり紅葉の美しさが話題になった。
人工的に整備された大通りの銀杏並木を見るのも紅葉狩りには変わりはないが、どうせ行
くならやはり尾根や渓谷を歩いて大自然の紅葉を観賞するのが一番だと私は思う。一口に
「紅葉」と言っても葉の色は植物によってさまざまだ。山の斜面のいたるところに、赤・黄・朱
色・だいだい色になった葉が陽光を浴びて照り映える姿は圧巻である。同じことは桜につい
ても言えるだろう。何千本と植えられた桜並木を歩くのも悪くはないが、人があまり歩かない
登山道を進み、どこにいるかわからない鶯の鳴き声に耳を傾けながら斜面にぽつぽつと散
見できる山桜もまた格別なものである。

115「シラバスを作成しました」(11月19日)*******************************************
 学校教育に携わっていない読者の方には、「タイトルにあるシラバスって何?」と疑問にお
感じになるだろう。これはいわば教科指導計画書というべきもので、各科目ごとに指導目標
・指導方法・評価方法・使用する教科書や副読本・扱う予定の教材を年度首から順に羅列
し、公表するものである。神奈川県の公立高校では2年前から作成するようになったが、私
が自分でしたのは今回が初めてである。作成したのは今年度私が授業を担当している科目
の中の一つだけであったが、4月から現在までの授業の進捗状況や生徒の実情を踏まえて
来年度に向けてシラバスを作るのはなかなか大変な作業だった。

    (塾長コメント:一般の人には、授業の進度表といった方が通りがいいかな?それに成績の付け
            方を書き添えたものが「シラバス」ですね!シラバスを見ると、1年間どんな勉強を
            して、どのように頑張ればいいのかが分かるという優れものです。一種の情報公開
            ですが、作成するのが大変です。菅ちゃん、お疲れ〜!)

114「久々に東京へ買い物を楽しみました」(11月16日)*********************************
 先週の土曜日、東京へ買い物に行った。東京へはほぼ毎月一度のペースで行くが、行く
場所や店はいつも決まっている。私が行くのは神保町・秋葉原・新宿のいずれかである。
神保町には古書店が軒を連ねている。その中に日本文学書を専門に扱う書店があるので、
絶版になった学術書を目当てにして行く。秋葉原はオーディオ製品やパソコンなどの最新
機種を検討するために行く。新宿には行きつけの紳士服専門店がある。スーツなどは必ず
そこで購入している。また、新宿には京王百貨店があり阪神グッズを売っているコーナーが
ある。だから当然そこにも行く。しかし、先週の土曜日から訪れる場所が一つ増えた。それ
は上野である。モーニング娘。のグッズを売っている店があるからだ。店自体は以前からあ
ったのだが、私は先週の土曜日に初めて訪れた。アメ横の中にあるので店にたどり着くま
で混雑するのが玉に瑕だが、店ではいろいろ手に入るのでこれから東京に行くときは立ち
寄ることに決めた。

113「冬支度」(11月 9日)*********************************************************
 今年も残すところあと2ヶ月をきった。さすがに11月ともなると朝夕の冷え込みがかなり
厳しくなってきたので、この間の土・日に私は冬に向けてあれこれと準備をした。箪笥にし
まってある冬物の衣料品を引っ張り出すことはどこの家でもやっているとは思うが、私の
場合はそれだけでない。部屋一面に電気カーペットを敷かなければならないからだ。じつ
はこれが最も大変な作業なのである。私の部屋は4畳半。ここに書棚・ベッド・パソコンデ
スクが部屋の3辺に沿うような形で置いてある。部屋の中央には約2畳分ほどの空間が
あるのだが、カーペットはそれよりも大きいので結局パソコンデスクを部屋の外へ一旦出
さないときちんと敷くことができない。だからパソコン本体は勿論のこと、プリンターなどの
周辺機器も全部取り外しカーペットを敷いてから再びセッティングする。翌年の春にカー
ペットを取り外すときも同じだから、私の家では毎年2回この作業のために日曜日が半日
つぶれるのである。デスクトップパソコンが軽くなる時が来るまで、そして各種のケーブル
で煩わしい配線がなくなる日が来るまでは当分この作業が続きそうだ。

    (塾長コメント:いつもは12月位から着始める長袖のセーターも今回の寒い日々で袖を通して
             しまいました。これも、ある意味で冬支度ですよね!)

112「最近はまっている飲み物」(11月 5日)******************************************
 私はアルコールがダメなので居酒屋や赤提灯には行かないが、その代わりに喫茶店へ
は足繁く通う。中でもミスタードーナツにはよく行く。店舗によっては既に始めているのたが、
私が行く店でも「カフェオレ」という新商品を販売するようになった。アメリカンコーヒーと同じ
値段(店舗によって若干異なるが300円前後)で、おかわりも無料である。私は初めて飲ん
だときから「これは旨い!」と思った。以後、毎日のように学校の帰りにミスタードーナツに
寄っては飲んでいる。胃粘膜が弱くてコーヒーがダメな人でもカフェオレならだいじょうぶだ
と思うので、お試しになってはいかが?

    (塾長コメント:最近はまっている飲み物は、タウリン3000mg配合のモアビタンD-3000。
            滋養強壮、栄養補給ドリンクである。仕事の疲れを癒すために、体が要求するよ
            うだ。これを飲むと、何故か活力が湧き上がるのを感じる。それからクローブ(丁
            子)と紅茶葉をミルクで煮出ししたクローブティー。仕事の疲れを癒してくれる一
            杯である。)

111「たこ焼きのうまい店は」(11月 3日)********************************************
 昨日このコーナーで話題にしたたこ焼きであるが、私も関西から現在の住所に転居して
からは、おいしいたこ焼き屋に出会ったことがない。やはり、本場の味はその地方で賞味
するのが一番だ。これはたこ焼きに限らず銘菓でも何でもそうだろう。というわけで、今回
は本当においしいたこ焼き屋さんを紹介しておこう。私のお薦めは大阪ミナミの地下街「な
んなんタウン」内にある会津屋さんだ。たこ焼きの元祖と銘打っているだけあって、大阪で
も老舗である。外側はかりっとした歯ざわりで中身はふっくらとした食感を楽しめる。普通、
たこ焼きはソースや青海苔をかけてそれらと一緒に味わうことが多いが、ここのたこ焼き
はそのままでも充分おいしく食べることができる。理由は外側の衣に醤油をベースにした
味付けがされているからだ。ちなみに値段は12個で420円。一度会津屋さんのたこ焼き
を食べてしまうと、もう近所の祭りや花火大会などの屋台で出されるたこ焼きなどとても食
べられなくなると思う。それほど素晴らしい味である。ぜひご賞味あれ。なお、会津屋さん
が入店している「なんなんタウン」は我が国初の地下街で関西では有名だが、初めて行く
人はまごつくと思うので時間に余裕を持って訪れることをお勧めする。

    (塾長コメント:会津屋のたこ焼きは、私の愛読書「美味しんぼ」でも取り上げられています。
            通信販売もやっているようなので、今度頼んでみようかな?菅ちゃんに感謝!
            たこ焼き好きの私としては、会津屋さんのものを一度食べてしまうと、もう他の
            店のものは食べられなくなってしまうというのは少し怖いですね。)

110「たこを焼きました」(11月 2日)*************************************************
 たこ焼きといえば大阪を代表する食べ物の一つだが、先週、私はそのたこ焼き作りに参
加した。これは文化祭の模擬店で販売するためのもので、私がその有志団体に参加した
のである。初日は焼きあがったたこにソース・マヨネーズ・かつおぶし・青海苔などをかけて
パックに入れて売る仕事をした。2日目は調理室でメリケン粉作りをした。薄力粉に水と卵
を混ぜて液状になるまでひたすらこねる作業だ。たこ焼きは初日も2日目もどんどん売れ
た。1パック8個入りで値段は200円である。これを各日150パックずつ、2日間で300パ
ック売ることを目標にしていた。だが、実際は初日だけで238パック、2日間あわせて500
パックも売れた。お客さんの行列は途切れることがなかったので、私たちは全く休む暇もな
く作業しつづけた。2日目が終わったときは確かに疲れたが、こういう機会でもないとできな
いことなので参加してとても良い体験になった。模擬店をやって感じたことは需要の予測が
大切だということだ。作り足りないとお客さんを長い時間待たせて開店準備中状態、さらに
は売り切れで開店休業状態になる。逆に作りすぎると売れずに残ったものを処分せざるを
得なくなる。どの程度売れるのか?これを見極めるのだが、需要の予測はじつに難しい。

    (塾長コメント:「たこ焼き」といえば大阪に限る、と以前に東京の私学の人が言っていたっけ。
             でも食べたお店が悪かったのか、大阪で食べたものは普段食べているものと
             あまり変わらなかった。菅ちゃん、教えてください!関西人ご推奨のたこ焼きは
             どこで食べられる?
              文化祭と言えば、たこ焼き、焼きそば、・・・ですよね。私のクラスの場合も大
             当たりしました。作るそばから売れていくというのは本当に快感ですよね。
              商品は「揚げだこ」・・・冷凍たこ焼きを油で揚げて、マヨネーズ、ソースでトッ
             ピング、1皿6個入りで楊枝付き。原価に少し上乗せして、飛ぶように売れたお
             かげで、クラスの子らと行った美術展の入場料もまかなうこともできました。家
             庭の負担が少しは軽減できたのかな?)

109「秋が深まると・・・」(10月26日)************************************************
 一ヶ月前まで猛暑が続いていた関東地方だったが、いつのまにか涼しくなり、今では朝夕
は冷え込むようになってきた。これからは紅葉が美しい時節である。うだるような暑さから解
放されて過ごしやすくなったのは非常にありがたいのだが、秋が深まり空気が冷え込んでく
ると急にかぜの患者が増えてしまうのが難点だ。勤務先の高校でも、毎日の通勤に利用し
ている電車の車内でも、もうゴホンゴホンと咳をしている人が少なからずいる。自分もうっか
りしているとかぜをもらって体調を崩しかねないので、睡眠をとり体力をつけて感染しても発
病しないように健康管理をしっかりとしなければならない。まだまだ2学期の真っ只中。冬休
みまでは1ヶ月以上先である。当分は休めない日々が続くだけに、神経を遣う。

    (塾長コメント:「秋」といえば、「勉学の秋」よりも「食欲の秋」「天高く馬肥ゆる秋」という言葉の
             方が真っ先に浮かぶ今日この頃、「風邪を引かないように体力をつけよう!」とい
             う言い訳をしながら、秋を満喫しております。これって、不純ですか?)

108「試験の前後は教員の繁忙期」(10月22日)***************************************
 どの業種にも繁忙期があるとは思うが、高校の教員のそれはやはり試験の前後だろう。
試験前は問題作成や生徒の特別補習に、試験後は採点業務と成績処理に追われる。先
週から今週にかけて、私の勤める学校では中間考査が行なわれた。きのうようやくその成
績処理が一段落したのだが、ここ2週間はプライベートな時間がほとんどなかった。本当は
だいぶ伸びてきた髪を切ってさっぱりしたかったのだが・・・。

    (塾長コメント:最近、公務員の人件費削減の話題が目立ちます。高校を小中に合わせろ!(即
             ち減額)、給与表を行政に合わせろ!(即ち減額)という声です。仕事内容が同じ
             だから、とか学歴等が似通ってきたからという理由らしいのですが、どうも釈然と
             しませんネ!)

107「商店からのお誕生日祝い」(10月19日)*****************************************
 10月は私の誕生日がある月。最近はどこの店舗も顧客確保に必死になっているのか、
私がポイントカード会員になっている商店からは誕生日祝いのハガキが結構くる。ハガキ
の中身は「普段の2倍のポイントを差し上げます」とか、「期間中はあなた様だけ店頭表示
価格からさらに2割引」とか、「本券で2000円分のお買い物券としてご利用いただけます」
など、店舗によって内容はさまざまだが、いずれにしてもお買い得であることには変わりが
ない。だから私は8月・9月はなるべく買い物を控えて10月にまとめて購入するようにして
いる。今年もスーツを新調したり書籍やCDを購入したりと、存分にハガキを使わせてもら
った。ハガキを提示して特典に与るときに思うことは、長引く不況であるがゆえに顧客や常
連客を大切にする精神が出てきたのではないかということだ。その証拠にかつてのバブル
期には商店もこのようなサービスはしなかった。そう考えると不景気もあながち悪いことば
かりでもなさそうだ。

106「3連休でしたが・・・」(10月12日)***********************************************
 10月8日から3連休。行楽日和だったら横浜のベイブリッジとか湘南平とか近場で海が
見えるところにでも行って気分をリフレッシュしようと思っていたのだが、私の住む関東地
方はあいにく3日間とも雨だった。それほどひどい雨ではなかったが、やはり海を見に行く
なら青い海を見たいし、秋晴れのすがすがしい空のもとで遊びたいものだ。関東以外の地
方は穏やかな秋晴れだったようだが、学期中の疲れも多少あったので遠出する気にもな
れなかった。というわけで、この3日間はささやかな誕生日祝いをしただけで特にどこにも
行かなかった。中間試験が近いこともあって、既にできあがった試験問題の見直しやホー
ムページの原稿作成など、いつもの雨の日の休日の過ごし方になってしまった。
 吉田兼好は随筆『徒然草』の中で「花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは。」と述
べ、「満開の花や満月を観賞するよりも、花びらがすっかり散ってしまった後の庭や雨で
月が見えない夜こそ素晴らしいものだ」と説いていた。雨の休日になると私はいつもこの
徒然草の一節を思い出しては「灰色の海でもそれはそれで良いものだ」と思うようにしよ
うと努力はしているのだが、いくつ歳を重ねてもなかなかそんな心境にはなれない。やは
り『徒然草』を書くような法師と私のような凡人とは違うのだろうか?

    (塾長コメント:あっ!菅ちゃんの誕生日は10月7日でしたね!誕生日おめでとうございます。
            私もどうやら兼好法師の心境には賛同できませんね。)

105「信号故障ばかり」(10月12日)*************************************************
 昨日、私の住む地域を走る某私鉄が信号故障を起こしたため、ダイヤが大幅に乱れた。
信号故障は始発電車が走り出して間もない午前4時50分ごろであった。ダイヤが回復す
るまで数時間要したため、朝の通勤客の足を直撃した。私が出勤のために利用したのは
午前7時30分であったが、この時間帯もやはり乱れていた。こういうとき、駅員や車掌の
対応はあてにならない。たとえばさっきまで「この電車は○○まで行きます」などと案内して
おきながら、突然変更になって「この電車はこの駅止まりとさせていただきます。全員お降
り下さい」という案内がなされたりする。だから運転はされていても目的地にいつ到着でき
るかわからない。これでは授業に支障が出るので、私は振り替え輸送による別ルートで出
勤した。それにしても・・・。最近は列車ダイヤの乱れに出くわすことが多い。じつは、この
某私鉄は先月28日にも信号故障を起こしたばかりであった。工事業者がうっかり信号ケ
ーブルを切断してしまったのが原因である。このときは昼下がりから夕方にかけて5時間
余り不通となり、運転再開後も終電までダイヤは乱れっぱなしであった。今回はそれから
2週間も経たない間の故障であったこともあって、度重なるダイヤの大幅な乱れと遅延で、
乗客の中には怒っている人も少なくなかった。

104「大騒ぎしました」(10月 5日)**************************************************
 先週29日に阪神タイガースが優勝した。翌30日の出勤途中に私はデイリースポーツ紙
を早速最寄り駅近くのコンビニエンスストアで購入した。2003年のときは買いそびれてしま
ったので、今回はぜひ欲しかったのである。ところが、授業に行くと「先生、これどうぞ。」と
新聞を差し出してきた。デイリースポーツとは別のスポーツ紙ではあったが、私が阪神ファ
ンであることを知って生徒が買って来てくれたのだ。週末は2年前と同じく大阪でビールか
けを楽しんだ。まあさすがに道頓堀へ飛び込む年でもないので・・・。(笑)ビールが目に入
るとすごく沁みて痛いことを2年前に初めて知ったのだが、今回も参加した。その後家に戻
ると、「優勝おめでとう」というメールも山のように来た。今年はモーニング娘。のメンバーと
握手できたことに加えて、またひとつ素晴らしい思い出ができた。

103「祝、10万ヒット達成!」(10月 3日)********************************************
 ついにホームページ【私的数学塾】にアクセスしてくださった方が延べ10万人に達しま
した。2000年の夏からスタートして5年余りでの達成です。この1年間は1日に100人を
越える方々がアクセスされていまして、年間で約4万人のペースでした。この速さには私
も驚いております。アクセスしていただいている方々の期待に応えられるよう、今後も頑
張りたい思います。

    (塾長コメント:平成12年8月10日に産声をあげた当HPも1年間は更新も全くせずほったら
            かし状態でした。長期休業中の研修テーマとして最初考えていて更新は二の次
            でした。もっともその当時使っていた更新用のソフトが利用しづらく更新の妨げに
            なっていました。その環境が劇的に変化したのが、「Homepage Builder」の
            導入です。非常に快適にアップ原稿が作成できファイル転送も自由自在で、それ
            までの環境が嘘のようでした。平成14年1月22日からは「菅ちゃん」という強力
            な助っ人を得、それ以来当HPは菅ちゃんとの二人三脚でこれまで歩んできまし
            た。一口に5年とはいうものの私にとっては長いようで短い、そんな気分です。当
            HPのコーナー「意外な疑問」を企画するきっかけを頂いた関西在住の高校生も
            無事現役で関西学院大学法学部に合格し、いま2年生です。こんなことを書いて
            いると月日の流れを否応なしに感じざるを得ませんが、気がついたら5年、10万
            ヒット!というのもまた事実です。今後とも日々更新を目標に、数学の楽しさ、面
            白さを皆さんに伝えるべく精進していきたいと思います。)

102「お知らせ」( 9月28日)********************************************************
 毎月第1金曜日に更新している『教えて頂戴』ですが、次回で130回になりますので今
年はそこで終わりにします。以前にも告知したとおり、今年が終わった時点でそれぞれの
コーナーの更新回数を130回に揃える予定でいるからです。『教えて頂戴』の130回目
は12月2日に掲載することにしました。したがって10月と11月の2ヶ月は休載いたしま
す。『言わせて頂戴』は12月11日で130回目になりますので、あと11週は今までどおり
毎週日曜日の更新といたします。『日記とお知らせ』に関しては水曜日以外にも不定期に
更新します。『さくぶん上手』は引き続き金曜日に更新いたします。ご活用下さい。

101「職員定期健康診断」( 9月21日)***********************************************
 先月下旬に職員の定期健康診断が行なわれ、先週その結果が返ってきた。今回もなん
とか精密検査だけは免れたが、私にとっては、学校の年間行事の中で最も避けて通りた
いものがこれである。理由は非常な精神的ストレスを受けるからだ。
 まず検査前夜は眠れたためしがない。理由は異常値が出て要精密検査となることへの
恐怖感があるからだ。現に過去にそうなったことがある。(詳細は『言わせて頂戴』045
「健康診断はストレスのもと?」を参照)睡眠不足だと視力は下がり血圧は上昇するから、
これだけでも平常値とは変わってしまう。
 次に「血液の脂質検査をするので前夜9時以後何も飲食しないように」と書かれている
が、これは私にとって無理な注文だ。そんなことをしたら学校への出勤途中に乗り物酔い
をして(空腹は乗り物酔いの誘因となる)、検査どころではなくなるのが目に見えているか
らだ。そうでなくても睡眠不足で乗り物酔いを招きやすい状況に置かれているのである。
前夜から学校に泊り込めば話は別だが、機械警備となる夜間は職員といえども校舎内に
立ち入ることはできないので、当日の朝食も自宅で普通に食べて検査に臨んでいる。だ
から脂質検査も正常な値が出ることは決してない。この脂質検査をするためになされる採
血は最も苦痛だ。注射が痛いこともさることながら、血液を抜かれるとすーっと眼前が暗く
なり、まるで魂が抜かれたような気分になるからだ。そして採血した腕は脱力感に襲われ
て力が全く入らない。重いものどころか紙切れ数枚も持てない。だから当日と翌日は授業
ができる状況ではない。
 検査中や検査後に肉体的な苦痛がなければ良いというものでもない。心電図の検査は
別に痛くも何ともないのだが、「異常があったらどうしよう」と少しでも考えるとたちまち心
拍数が速くなり呼吸が浅くなる。何か別なことを考えてなるべく気持ちを紛らわす努力を
するのだが、検査中に音楽を聴いたりテレビを見るわけにもいかないから容易ではない。
だから、これも毎年異常値が出ている。問診でも、ごまかすのが常だ。実際には「吐き気
や腹痛・下痢が起こる」とか「胸が締め付けられるような息苦しさがある」など、あてはまる
症状がいくつもあるのだが、そんなことはとても言えない。というわけで毎年ごまかして臨
み「異常なし」という判定を得るべく努力?しているのだが、そんな思いまでして健康診断
に臨んで果たしてどんな意義があるのだろう?やってくれない方がよっぽどストレスから
解放されて健康に過ごせるのだが・・・。