パラドックス                         戻る

 ダンスとボーカルのユニット w-inds.が「paradox」で、2001年のレコード大賞最優秀
新人賞を受賞した。このページでは、その paradox について考えたい。

 Paradox(=逆説、逆理、背理)とは、一般に受け入れられている判断に反する結果を導
くものでありながら、よく考えてみると、一種の真理を言い表しているように感じ、それに反
論する論拠が見つからないようなものをいう。

 私が初めてパラドックスに遭遇したのは、小学生のころ、何かの本で「アキレスと亀」の話
を読んだときだ。アキレスとその前方100mの地点にいる亀が同時にスタートするとき、ど
んなにアキレスが速く走ろうとも絶対亀に追いつけないという話だ。アキレスが亀のいた所
に達する時間の間に、亀は前に進んでいるからというのが理由だった。もっともらしい理由
だが、現実的には、追いつき、追い越せるので、こういうことはありえない。ただ、何故かを
説明するのに、窮してしまう。これが、パラドックスのおもしろさである。

(追記) 平成28年1月1日付け

 「アキレスと亀」も距離で考えると、常にアキレスの前方に亀がいることになって、追いつき
追い越せることの説明が難しくなるが、亀に追いつくまでの時間に注目すると説明がし易い
かもしれない。

 計算を単純化させるために、アキレスの走る速さを 10m/s、亀の歩む速さを 1m/sとす
る。このとき、アキレスが亀に追いつくまでの時間Tは、

 T=10+1+1/10+(1/10)2+(1/10)3+・・・

となる。この時間Tが無限大に発散すれば、アキレスは永遠に亀に追いつくことは不可能と
なるわけであるが、実は、Tは有限確定値に収束する。

 高校3年で学ぶ数学Vの無限等比級数の知識を用いて、Tは初項10、公比1/10の無
限等比級数で、収束条件 −1<公比<1 を満たすので収束し、その和は、

 T=10/(1−1/10)=100/9

即ち、アキレスはスタートしてから100/9秒後に亀に追いつき追い越すことができる。


 「アキレスと亀」以外にも、古代ギリシア人たちは、「二分法」とか「飛矢」など、いろいろな
パラドックスを考案している。これについては、

   チェルニン著 田井正博訳 「時間のはなし」  (東京図書)

に詳しく述べられている。

 また、田村三郎 氏は小冊子「啓林」の中で、おもしろいパラドックスを紹介している。正直
に告白すると、私自身、このパラドックスの罠に引っかかってしまった。現実的には、ありえ
ないのだが、どうしても反論が見つからなかったのである。このパラドックスは、ガリレイの
「新科学対話(上)」にも出ていて、ガリレイも誤った認識を持っていたことを考えると、かな
り難度の高いパラドックスと言える。

 Paradox同心円の円周の長さは、皆等しい


  

 直線上を円が滑らずに1回転するとき、線分ABの長さは、円周の長さに等しい、という
ことは疑いのない事実だろう。

 しかし、次のように問題を設定した時、上記の事実に揺らぎは生じないだろうか?

  

 同じ中心を持つ大円と小円がぴったり重なっていて滑らない。大円を、直線XY上を滑ら
ないように、点Aから点Bのところまで1回転させる。

 XYに平行で小円に接する直線UV上を、小円も大円の動きに連動して1回転し、点Mか
ら点Nまで移動する。

 大円が滑っていないので、小円も滑っていない。従って、小円の円周の長さは、MNとい
うことになる。

 MN=AB なので、小円の円周の長さと大円の円周の長さは等しいということになる。

 これが、パラドックス「アリストテレスの車輪」である。

 これに対してガリレイは、小円の方は、UV上に「無限小の空隙を残している」と主張する
が、円周上の点と直線上の点との1対1の対応を考えれば、空隙は起こりえないので、ガ
リレイの考えには誤りがある。

 それでは、どう解釈すればよいのだろうか?

 実は、解決の糸口は 1対1 の対応にあった。円周と線分が、1対1 に対応しているから
といって、両者の長さが等しいとは限らないという事実である。即ち、MNは実際の長さより、
ゴムひものように伸びているものと解釈するわけである。

 実際に模型を作って、UV上を小円に注目して1回転させた場合と、XY上を大円に注目し
て1回転させた場合で、停止する円の位置が異なることを見てみるのも面白いだろう。

 また、次のような解釈も考えられる。

 大きな円が点Aから点Bに滑ることなく転がるにつれて、小さい円は平行線UV上を滑りな
がら点Cから点Dへと転がる。正しく、小さな円が空中を飛ぶように進んでいるという感覚で
す。


(追記) 最近、宮崎興二 編著「かたちの科学おもしろ事典」(日本実業出版社)を読んで
    いたら、その中に、上記の話題に関連して、

 「車のタイヤはどのように動くのでしょうか−回転の秘密−」(神戸大教授 小高直樹)

というものがあった。

 車が定速走行しているとき、タイヤの中で路面から最も離れた部分は、各瞬間において、
地面に接している部分よりも常に速く動いているという。

 上記では、「ゴムひものように伸びている」という表現をしたが、ここでは、きっちりと数学
的に考えてみることにしよう。

 円が直線上を滑ることなく転がる時、円周上の点は、サイクロイドと呼ばれる曲線を描く。
このとき、下図から分かるように、地面上の点Pとその直径の端点Qは、同時間経過してい
るにも関わらず、明らかに進んだ距離が異なる。

        

即ち、円周上の点は、サイクロイド曲線上を等速では動いていないということである。

 実際に、サイクロイド曲線の媒介変数表示は、回転する円の半径を 1 として、

     X=θ−sinθ、 Y=1−cosθ

なので、速さ V は V=2sin(θ/2) で与えられる。

 同心円の場合も同じ状況なので、図を掲示しておく。

          

「なぜ、ゴムひものように伸びるのか」が、これで実感できるでしょうか?

(追記) 平成20年4月24日付け

 平成20年4月21日付けで、当HPの掲示板「出会いの泉」に、晴臣さんという方の書き
込みがあった。3時間ほど当HPをご覧になられたとのことで、業務に支障がでなかったか
心配です。(その他の話題について、同日付けで、メールも頂戴しました!)

 晴臣さんによれば、同心円のパラドックスは、「1対1対応」などという概念を知っている人
だけが引っかかり、一般の人は、直観的に間違っていると感知できるのでは?とのこと。

 とは言うものの、直観的に等しくないと感知できても、「円周の長さ=線分の長さ」という呪
縛の罠にはまってしまって感覚と論理の矛盾に困惑する人が大多数と思うのですが...。

 これに対して、晴臣さんによれば、アキレスと亀のパラドックスは、極限の考え方が必要な
ので、数学を知らない人は論破が難しいだろうとのこと。

 とは言うものの、数学的には時間を無限に裁断することは出来ても現実には不可能なわ
けで、これまでの経験則から「追い抜ける」と感知できる方が大多数と思うのですが...。


(追記) 令和3年10月25日付け

 最近、パラドックスという言葉を久々に聞いた。(→ 「アレーのパラドックス」)

 ここで、上記のパラドックスとは異なるパラドックスを眺めてみよう。

○ シンプソンのパラドックス

  イギリスのエドワード・シンプソンにより、1951年に指摘されたパラドックスである。これ
は、集団の一部分が持つ性質が集団全体も持つだろうという思いこみに対する警鐘となる。

例 40人学級の2つのクラスA、Bがある。クラスAは、男子10人、女子30人で、クラスBは
  男子30人、女子10人である。

  この2つのクラスに、100点満点のあるテストを実施したところ、次のような結果になった。

 クラスAの男子の平均点 72点  クラスAの女子の平均点 44点

 クラスBの男子の平均点 64点  クラスBの女子の平均点 32点

  上記のデータでは、男子も女子もクラスAの方がクラスBを上回っている。

 果たして、クラスAの方がクラスBよりも優秀だと言えるだろうか?

  クラスAの平均点は、 (72×10+44×30)/40=51

  クラスBの平均点は、 (64×30+32×10)/40=56

と計算してみると、クラス全体の平均点を比較すると、クラスAよりもクラスBの方が優秀であ
ると判断できる。

 男女別の平均点では、クラスAの方が高かったのに、クラス全体の平均点では、クラスB
の方が高いというパラドックスでした。

 集団全体の性質と集団を分けたときの性質が異なるということを指摘したシンプソンのパ
ラドックスは、1951年「分割表における相互作用の解釈」で指摘された。



  以下、工事中!