日本の数詞                        戻る

 中国の「算法統宗」(程大位、1592年)をもとに、吉田光由が1627年、「塵劫記」という日
本最初の数学入門書で数詞を示したが、それらの漢字が持つイメージを頭に描くと、当時の
人々の数の大きさに対する捉え方を垣間見ることができて、とても興味深い。

10の68乗 無量大数 むりょうだいすう   10の−1乗
10の64乗 不可思議 ふかしぎ   10の−2乗 りん
10の60乗 那由他 なゆた   10の−3乗 もう
10の56乗 阿僧祇 あそうぎ   10の−4乗
10の52乗 恒河沙 ごうがしゃ   10の−5乗 こつ
10の48乗 ごく   10の−6乗
10の44乗 さい   10の−7乗 せん
10の40乗 せい   10の−8乗
10の36乗 かん   10の−9乗 じん
10の32乗 こう   10の−10乗 あい
10の28乗 じょう   10の−11乗 びょう
10の24乗 じょ   10の−12乗 ばく
10の20乗 がい   10の−13乗 模糊 もこ
10の16乗 けい   10の−14乗 逡巡 しゅんじゅん
10の12乗 ちょう   10の−15乗 須臾 しゅゆ
10の8乗 おく   10の−16乗 瞬息 しゅんそく
10の4乗 まん   10の−17乗 弾指 だんし
10の3乗 せん   10の−18乗 刹那 せつな
10の2乗 ひゃく   10の−19乗 六徳 りくとく
10の1乗 じゅう   10の−20乗 空虚 くうきょ
10の0乗 いち   10の−21乗 清浄 しょうじょう

 日本の国家予算で、まだ「京」は使われていないが、使われるのも時間の問題でしょう。
現在のデフレ経済の中で、「京」の次の「垓」をみる時代は果たして来るのでしょうか?
 いかにも仏教用語っぽい数詞が並んでいるが、特に刹那とか空虚とか清浄という言葉
から、ほんとに、すっからかんにないぞ!というのが実感できて、なぜか可愛い。


(追記) ある週刊誌のコラム「たとえばこんな風に」で、森田真生さんが日本の古代数詞に
    ついて述べられている。大変面白い内容で、読まれた方も多かろう。
                                      (平成27年4月26日付け)

 日本語には、「いち、に、さ、し、ご、ろく、なな(しち)、はち、きゅう、じゅう」という数詞以外
に古代数詞も存在する。

 ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、いつつ、むっつ、ななつ、やっつ、ここのつ、とお

というアレである。

 小さいお子さんに、「おいくつ?」と聞けば、たとえば、「みっつ!」と返ってくることは誰でも
が経験していることだろう。

 ただ、この古代数詞で、「とお」の先はもう完璧に使われていないが、次のように読むらし
い。

 例えば、13は、「とおあまりみっつ」、・・・・ 、21は、「はたあまりひとつ」、・・・・
 20歳を「はたち」というのは多分古代数詞だろう。

 以下、30台は「みそ」、40台は「よそ」、50台は「いそ」、60台は「むそ」、70台は「ななそ」、
80台は、「やそ」、90台は「ここのそ」を用いる。

 このような読み方は、ドイツ語に近い。

 ドイツ語では、「21」は「1+20」、つまり、 einundzwanzig と表現される。

 100は「もも」、200は「ふたほ」、300は「みほ」、400は「よほ」、500は「いほ」、600は
「むほ」、700は「ななほ」、800は「やほ」、900は「ここのほ」は用いられる。

 1000は「ち」で、10000は「よろづ」である。

 ドイツ語では、例えば、468 は、

  vierhundertachtundsechzig(フィアフンダートアハトウントゼヒツィッヒ)

と読まれるが、日本の古代数詞を用いれば、「よほあまりむそあまりやっつ」と読まれる。
(ここは、やっぱり、「よんひゃく ろくじゅう はち」と読んだ方が分かりやすいですね!)