自然対数の底の起源                 戻る

 自然対数の底が持つ最も優れた、そして最も美しい性質は、

                  

という微分の公式だろう。この性質のおかげで計算公式が大変簡略化される。この性質は、

                  

とも言い換えることができる。従って、

                  

となる a の値を、と定義する場合もある。しかし、本来のは、このような美しい形で世に
登場したわけではない。

 については、ネーピア(John Napier)の1594年から1614年までの20年間の労作

  Mirifici logarithmorum canonis descriptio 「素敵な対数表の解説」

を抜きに語ることは出来ない。

 彼が生きた時代16〜17世紀は、あらゆる分野で科学が進展した時代であった。コペルニ
クスの地動説が受け入れられ、新しい宇宙観のもと、ケプラーは惑星の3つの運動法則を発
見、また、マゼランの地球一周航海が成功(1521年)し、メルカトールによる新しい世界地図
の発明(1569年)は航海術に大きな影響を与えた。これらの発展に伴って、科学者に数値計
算の重労働が課せられることになった。コンピュータなどない時代なので、紙と鉛筆で地道に
計算するほかなかった。(加法と減法しか出来ないが、17世紀半ばにパスカルは計算機を考
案している。ただし、計算の効率は悪かったらしい。)

 時代は、この退屈な重労働から科学者たちを解放するような発明を待っていた。この発明に
立ち向かったのがネーピアであった。残念ながら、ネーピアがどのような着想で対数の発明に
到達したのかは不明である。しかし、それを類推することは可能だ。彼は、三角法には精通し
ていたので、当然、加法定理による積和の公式は知っていただろう。この公式は、三角比の
積の計算を、和の計算に置き換える働きを持つ。同じように、幾何数列に対して、算術数列が
対応すること(つまり、公比を r として、r の2乗と r の4乗を掛ける場合、指数の和2+4=6
を求めて、r の6乗とするに等しい)も知っていただろう。(1829年エコールポリテクニクの口
頭試問で、エヴァリスト・ガロアが不合格となった、いわくつきの問題である!)

 このように、積の世界を和の世界に導くものとして、ネーピアは対数という着想を得たのでは
ないだろうか。

 ネーピアは、ある1つの数Xを定めて、任意の数Nを N = Xn と表すようにしたかったらしい。
もし、これが出来れば、
      M = Xm 、 N = Xn のとき、M × N = Xm+n 、 M ÷ N = Xm-n
となるからである。

 問題は、Xの値として何が適当かということであった。例えば、X=2 だと、幾何数列は、
1,2,4,8,・・・となり、値が飛び飛びになって隙間があきすぎてしまう。

 そこでネーピアは、Xとして十分小さな数を選べば、累乗がゆっくり変化していくのではと考え
た。しかし、あまり小さすぎると、累乗の変化の仕方が遅すぎてしまう。ネーピアは、1に近いが
近すぎない数として、X=0.9999999とした。つまり、X=1−(10の−7乗)である。このXを
用いて幾何数列を計算するわけであるが、ネーピアはさらに、なるべく小数の計算を使わない
ように工夫した。その当時、小数は既に知られていたが、まだ一般の人は使い慣れていなかっ
たからである。そこで、数列の各項に10の7乗を掛けることにしたのである。このことにより、
小数計算から解放されることになった。

  10の7乗         =10,000,000
 (10の7乗)×(X)      = 9,999,999
 (10の7乗)×(Xの2乗)  = 9,999,998
 (10の7乗)×(Xの3乗)  = 9,999,997
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 (10の7乗)×(Xの100乗)= 9,999,900

N=(10の7乗)×(XのL乗)と書くとき、Lは

         Nのネーピアの対数(logarithm=比logos+数arithmos)

いわれる。
 
このとき我々は、現代風の e の定義:
                 
を思い出す。
   

即ち、ネーピアの対数は、現代風にいえば、底を1/eとする対数を意味する。

 e の定義として、  が一番スッキリしているが、

という定義も、なかなか味があって捨てきれないでいた。(2つの定義が同等であることは、簡
単な計算で容易に確認することができる。)

特に、 という式がなぜ出てくるかは、e の2つの定義の同等性から納得はできるが、

最初に考えた人は微分法なんて知らない人だろうから、どういう思いつきで考えついたのか、
以前より疑問に思っていた。今回、下記の書籍により、ネーピアの辿った軌跡をふりかえる機
会を持つことができ、なんとなく了解できたような気がする。

(参考文献:E.マオール著 伊理由美 訳 不思議な数eの物語(岩波書店)
        高橋正明 著 モノグラフ 微分(科学新興社)
        小堀 憲 著 物語数学史(新潮社))


(補記)ジョン・ネーピアの発明した対数は、1960〜70年代に電卓 が登場するまで、計算数
   学の中心的な役割を担ってきた。

    (1964年3月18日 早川電機(シャープ)が世界初のトランジスタ電卓を発売。
     1970年2月12日 シャープが世界初のLSI電卓「マイクロコンペット」(QT-8D)を発売。
     1972年8月 カシオ・ミニが発売される。)


   しかし、今はもう往年の勢いはない。1891年以来計算尺を生産してきたアメリカの代表
   的な科学器具メーカーのKeuffel&Esserも、1980年生産を停止した。

    私が高校生の頃、まだ教科書には計算尺の項があったと記憶している。雑誌の付録に
   簡単な計算尺がついていて、その計算手法の特異さに感激したことを今でも覚えている。
   現在高校では、計算尺については一切教えない。対数についても、以前と比べて、教え
   る内容はだいぶ減ってしまった。教科書の巻末には、かろうじて対数表が載っているが、
   これも、過去の遺物として、将来的にはなくなってしまうのだろう。しかし、ジョン・ネーピア
   の果たした仕事は、計算数学という観点からは、その役割を終えたが、対数という概念は
   今もなお、現代科学のあらゆる分野で中心的な役割を果たしているということは、特筆す
   べきことである。