日本の数学用語の歴史                  戻る

 霧雨が降ると思わず、「こーぬかー♪あめーふるー♪みぃーどーおぉーすーじー♪・・・」と、
口ずさんでしまう。これは、昭和46年のヒット曲 欧陽琲琲の「雨の御堂筋」の一節である。
この年は、ベンチャーズ歌謡が流行した年で、彼女のたどたどしい日本語にもかかわらず、
ベンチャーズの曲にのって、ダイナミックに歌いこまれた。パンチの効いた曲で、リズム感も
よく、その力強さは、今聞いても全く違和感を感じない。ベンチャーズの曲は、なぜか日本人
によく合うようだ。
 歌詞の中の「こーぬかー♪あめー」は、小糠雨と書かれ、細かで糠のような雨、霧雨のこと
である。英語では「drizzle」という単語であるが、単に雨といわれるよりも、小糠雨といわれる
ほうが、その場の情景を思い描きやすい。いろいろな形容詞をつけて、その場の雰囲気を伝
えることも可能であるが、ひとつの単語で、ある程度全てを表現できる漢字の素晴らしさに、
感動せざるをえない。
 このことは、色の表現でも同様である。色は、その人の主観的感覚で把握される。したがっ
て、同じ物をみているのに、それぞれ違う感じ方をしている可能性もあるわけだ。そこで、同じ
色に対して、多くの人が共通認識できるように、色の感覚に名前がつけられている。小説な
どで色を表現するとき、同じような色の感覚を共有することに役立つ。日本では、漢字の持つ
意味により、色を微妙に区別している。例えば、
 黄緑・・・・・萌黄色(もえぎいろ)、若草色、etc.
  (正直に告白すると、私には同じ色にしかみえない。多少若草色のほうが緑が濃いかな?)
 青・・・・・・・群青色(マドンナブルー)、瑠璃色(ラピスラズリ)、etc.
  (これは、私自身全く区別がつかない。こまったなー?)
RBGの値があれば区別できるのだろうが、それはあまり文学的ではない。もっとも、ある色
名の表す色の範囲はかなり広く、特定することは極めて難しいことらしいので、少しは私も救
われるかな?
 数学の世界でも、漢字のもつ機能に着目し、いろいろな数学的事象を、昔の人は微妙に
使い分けた。例えば、「内接」と「内切」。
 今学校現場では、内接円、外接円、内接三角形、外接三角形、・・・と全ての場合に、「接」
を無条件に用いている。しかし、「接」と「切」では、とらえ方に大きな違いがあるらしい。
 「切」・・・切々と心に迫るというように、さし迫るという意味
 「接」・・・接木(つぎき)の接でくっついているという意味
したがって、
    円に「ないせつ」する三角形では、頂点が円にくっついているので、内接三角形
       三角形が円に「がいせつ」するときは、辺が円にさし迫るので、外切三角形
と本来は区別されるべきものらしい。「接」で学んできたものにとって、このことはとても新鮮
に感じられる。
 日本で用いられている数学用語の多くは、中国からのものである。布教のため中国へ渡
ったヨーロッパの宣教師たちが中国人と協力して、西洋数学の中国語訳が試みられた。函
数、微分、積分などは、このときの創作である。
 「幾何原本」・・・マテオリッチらによる(16世紀ごろ)ユークリッド原論の最初の6巻の訳本
今、日本で使われている幾何用語はこの本からのものである。
 「代微積拾級」(1859年)
 「微積遡源」(1874年)
 微積分で使われている用語:変数、函数、陽函数、陰函数、代数函数、超越函数、微係数、
極大・極小などは、これらの本からのものである。
   「測量全義」(1631年)
 三角函数で使われている用語:正弦、余弦、正切などは、この本からのものである。
 日本で創作された数学用語もある。
現在使われている「座標」という用語は、中国語訳では「縦横線」であった。これを、東京大学
教授の藤沢利喜太郎が「坐標」とし、昭和の初め頃、東北大学教授の林 鶴一が「座標」とし
た。また、林はMenge(英語のset)を集合と訳した。「確率」という言葉も明治41年林による。
トポロジーを位相幾何学と訳したのは、中村幸四郎である(昭和7年)。
 戦後昭和21年に当用漢字表と現代かなづかいが制定され、学術用語も平易、簡明なもの
に統一することが学界、教育界から要望された。例えば、

(べき) 累乗 楕円(だえん) 長円
収斂(しゅうれん) 収束 矩形(くけい) 長方形
抛物線(ほうぶつせん) 放物線 梯形(ていけい) 台形
帰謬法(きびゅうほう) 背理法

 これらは、文部省により「学術用語集 数学編」として刊行された。たまたま、この本を所有
していることの偶然に私自身感謝しなければならない。
 いま中学・高校で使われている基礎的な数学用語は、明治時代からあまり変わっていない。
先人たちの知恵の結晶でもある数学用語を十分にかみしめて、これからも使い続けて欲しい
ものだ。

(参考文献:片野善一郎 著 日本の数学用語が決まるまで(東京理科大学科学フォーラム)
        梅棹忠夫 金田一晴彦他2名 日本語大辞典(講談社))
(追記)
 行列式のことを、ドイツ語では Determinante(Gauss の命名)、英語では determinant
また、行列のことを、英語では matrix(Sylvester の命名)というが、明治の日本では、あまり
いい邦訳はなかった。行列式はデテルミナント、行列は方列などと呼ばれていた。これらを、現
在の呼び名である行列式、行列としたのは、高木貞治である。



(参考文献:永田雅宜 著 線形代数の基礎(紀伊國屋書店))