「 1が並んだ数と奇数の完全数」についてです。
多項式は、係数によって因数分解できるか決まります。たとえば、パスカルの三角形が有
名ですね。ここでは、係数がすべて1の多項式について、考えてみます。
たとえば、x^3+x^2+x+1 はそういう式で、係数だけを並べると 1111 です。これを1が並んだ
数あるいはレピュニットと言います。
1111は1が4個並んだ数なので、4=2^2ですから、2個並んだ数づつに分けられます。つまり、
1111=11x101です。つまり、x^3+x^2+x+1=(x+1)(x^2+1) となります。ここで注意してもらいたい
のは、係数は、0、1 以外許されないということです。
まあ、x^3+x^2+x+1=(x+1)x^2+(x+1)=(x+1)(x^2+1) と同じ計算です。
1が並んだ数は、並んだ数が合成数でないと因数分解できません。そこが普通の因数分解
と違うところです。
さて、完全数においては、aが完全数になるには、2a=σ(a)でないといけません。σ(a)は約
数の関数と言います。
aが素因数分解されて a=xy ならば、約数は、1、x、y、xy ですので、総和は、
1+x+y+xy=(1+x)(1+y) したがって、約数の関数はσ(a)=(1+x)(1+y)となります。
また、別に考えてみると、xの約数は1、xで総和は 1+x なので、σ(x)=1+x、同様にσ(y)=1+y
なので、つまり、σ(xy)=σ(x)σ(y) なのです。さらに、a=x^ny^mでも、σ(a)=σ(x^n)σ(y^m)
とすることができます。
また、a=x^3 ならば、約数は、1、x、x^2、x^3 ですので、総和は、1+x+x^2+x^3 約数の関数
は、σ(a)=1+x+x^2+x^3 となります。これは、1が並んだ数ですね。σ(x^3)は1が4個並んだ数
なので、因数分解できます。σ(a)=x^3+x^2+x+1=(x+1)(x^2+1)でしたね。
完全数になるには、2a=σ(a)でしたから、2x^3=(x+1)(x^2+1)となります。
いま、xが奇数ならaは奇数ですが、(x+1)も(x^2+1)も偶数なので、両辺を2で割ると、左辺は
aで奇数ですが、それでも右辺は偶数で、aは完全数にはなりえないのです。
a=x^4ならば約数は、1,x,x^2,x^3,x^4ですので、総和は、1+x+x^2+x^3+x^4 約数の関数は
σ(a)=1+x+x^2+x^3+x^4 となります。これは、1が並んだ数ですね。σ(x^4)は1が5個並ん
だ数なので、因数分解できません。
完全数になるには、2a=σ(a)でしたから、2x^4=1+x+x^2+x^3+x^4となります。
いま、xが奇数ならaは奇数ですが、右辺のxの項は4個ですが、すべて奇数だから、全体で
5個の奇数の和で奇数です。なので、左辺は偶数、右辺は奇数で完全数にはなりません。
このように、1が並んだ数は、奇数の完全数の存在の証明に使うことができます。
「奇数の完全数はない」で、aを素因数分解した素数の数より、σ(a)を構成する合成数が
少なくとも1個以上多いことが証明できました。でも、それらの合成数を素因数分解して整理
したら、左辺と右辺の素数の数は等しくならないかという疑問が生じました。
それで、行き詰っています。
そこで、σ(a)の約数の素因数分解をやってみました。(→ 参考資料)
でも、そんなことでは解決しませんよね。誰か、この問題を解決してくれませんかね?
a^n+b^n=c^nにおいて、c^n-b^n=a^n となる。c=x+j、b=x、a=x-k とする。
すると、c^n-b^n=a^n から、(x+j)^n-x^n=(x-k)^n そこで、右辺をf(x)、左辺をg(x)とおく。
したがって、f(x)=g(x)でなければならない。
ガウスの代数学の基本定理より、 単一の重根kを持つならば、x=k のとき、f(k)=0 なので、
g(k)=0 であるはずである。
g(k)=(k+j)^n-k^n = i=0 n nCi k^(n-i)j^i -k^n
i=0のとき、nCi k^(n-i)j^i=k^nより、
= i=1 n nCi k^(n-i)j^i +k^n -k^n
i=1 n nCi k^(n-i)j^i >0 より、f(k)≠g(k) で、g(x)は、単一の重根kを持をもたない。
よって、c^n-b^n=a^n は、成り立たない。つまり、a^n+b^n=c^n は、成り立たない。
...フェルマーの最終定理が初等的に証明できた。
しかし、g(x)=(x+j)^2-(x+k)^2 >0 (ただし、j>k>0)でも、ピタゴラス数では、たとえば、
(13,12,5)という組み合わせがあります。
13^2-12^2=5^2 (13+12)(13-12)=25=5^2 となって、g(x)>0でも、解を持つのです。
これは、c^2-b^2=(c-b)(c+b) と因数分解できるからです。
もちろん、c^n-b^n も公式では、
c^n-b^n=(c-b){c^(n-1)+c^(n-2)b+c^(n-3)b^2+c^(n-4)b^3+・・・+cb^(n-2)+b^(n-1)}
より、2つの合成数の積です。それが、整理すると、a^nになるかもしれません。
これも、合成数の積を整理すると、という問題です。
もちろん、aが素数ならば、フェルマーの最終定理の初等的証明はできているのです。
c=x+j,b=x,a=(x-u)(x-v)とする。ガウスの代数学の基本定理より、 2つの重根u,vを持つならば、
f(x)=(x-u)^n(x-v)^n また、g(x)=(x+j)^n-x^n したがって、f(x)=g(x)でなければならない。
x=uのとき、f(u)=0なので、g(u)=0であるはずである。
g(u)=(u+j)^n-u^n = i=0 n nCi u^(n-i)j ^i -u^n
i=0のとき、nCi u^(n-i)j ^i=u^n より、
= i=1 n nCi u^(n-i)j ^i +u^n -u^n
i=1 n nCi u^(n-i)j ^i >0 より、f(u)≠g(u) で、同様に、f(v)≠g(v)
したがって、g(x)は、2つの重根u,vを持をもたない。
同様にして、a=(x-u)(x-v)(x-w)として、ガウスの代数学の基本定理より、 3つの重根u,v.wを
持つならば、同様に、f(u)≠g(u),f(v)≠g(v),f(w)≠g(w)
したがって、g(x)は、3つの重根u,v,wを持たない。
同様にして、a=(x-u)(x-v)(x-w)(x-z)・・・・として、ガウスの代数学の基本定理より、 n個の重
根u,v.w・・・・を持つならば、同様にf(u)≠g(u),f(v)≠g(v),f(w)≠g(w)・・・・
したがって、g(x)は、n個の重根u,v,w・・・・を持をもつならば、n個重根を持たない。
以上から、aを素因数分解したら、素数β1、β2、β3、β4、・・・・・であるとき、
b-α1=β1、b-α2=β2、b-α3=β3、・・・・ とする と、
f(x)=(x-α1)^n(x-α2)^n(x-α3)^n(x-α4)^n・・・・・ であるから、上記より、
f(α1)≠g(α1)、f(α2)≠g(α2)、f(α3)≠g(α3)、f(α4)≠g(α4)、・・・・・
より、c^n-b^n≠a^n
同様に、
より、c^n-a^n≠b^n
したがって、a^n+b^n≠c^n ゆえに、フェルマーの最終定理が証明された。
というのもどうかな?
うんざりはちべえさんからの続報です。(令和5年3月6日付け)
もちろん、c^n-b^n も公式では、
c^n-b^n=(c-b){c^(n-1)+c^(n-2)b+c^(n-3)b^2+c^(n-4)b^3+・・・+cb^(n-2)+b^(n-1)}
より、2つの合成数の積です。それが、整理すると、a^nになるかもしれません。
しかし、b、c が依存関係にあるとき、c=x+j、b=x とすると先にも書いたように、g(x)>0にな
るのです。
c^n-b^n=(x+j-x){c^(n-1)+c^(n-2)b+c^(n-3)b^2+c^(n-4)b^3+・・・+cb^(n-2)+b^(n-1)}
c^n-b^n=j{c^(n-1)+c^(n-2)b+c^(n-3)b^2+c^(n-4)b^3+・・・+cb^(n-2)+b^(n-1)}>0
より、ガウスの代数学の基本定理が使えないのです。つまり、この公式は間違ってしまうの
です。
c、b が独立であれば、c-b=0 が成り立つので、ガウスの代数学の基本定理から
c^n-b^n=(c-b){c^(n-1)+c^(n-2)b+c^(n-3)b^2+c^(n-4)b^3+・・・+cb^(n-2)+b^(n-1)}
となるのです。また、次の項は、
{c^(n-1)+c^(n-2)b+c^(n-3)b^2+c^(n-4)b^3+・・・+cb^(n-2)+b^(n-1)}>0
より、ガウスの代数学の基本定理が成り立つには、c-b=0 しかありえないのです。
したがって、c、b が独立でないと、
c^n-b^n=(c-b){c^(n-1)+c^(n-2)b+c^(n-3)b^2+c^(n-4)b^3+・・・+cb^(n-2)+b^(n-1)}
とはできないのです。
したがって、最初のフェルマーの最終定理の初等的証明は、間違ってないのです。
DD++ さんからのコメントです。(令和5年3月6日付け)
したがって、f(x)=g(x)でなければならない。
これは方程式ですか、それとも恒等式ですか?
うんざりはちべえさんからのコメントです。(令和5年3月6日付け)
方程式です。
f(x)=g(x) で、h(x)=g(x)-f(x) です。代数学の基本定理では、h(k)=g(k)-f(k)=0 ですが、f(k)=0
で、f(x)=g(x) なので、g(k)=f(k)=0 となります。
もともと、g(x)=c^n-b^n、f(x)=a^n より、c^n-b^n=a^n つまり、 a^n+b^n=c^n
ここで、c=x+j、b=x、a=x-k より、g(x)=(x+j)^n-x^n、f(x)=(x-k)^n また、g(x)=f(x) です。
c、bが従属(→ 参考)では、代数学の基本定理は使えませんが、普通に因数分解できる
ことには変わりありません。
c^2-b^2=(x+j)^2-x^2=x^2+2jx+j^2-x^2=j(2x+j)=j(x+j+x)=(c-b)(c+b)
(13,12,5)は、(c=x+j、x、x-k)より、j=1、2x+j=2x12+1=25 で、1x25=5^2 で、問題ありません。
c^n-b^n=(c-b){c^(n-1)+c^(n-2)b+c^(n-3)b^2+・・・+cb^(n-2)+cb^(n-1)}
c^n-b^n=j{c^(n-1)+c^(n-2)b+c^(n-3)b^2+・・・+cb^(n-2)+b^(n-1)}=a^n
となることは、ありえないでしょう。
いま、a=xyzxvwと素因数分解できたとして、a^n=x^n y^n z^n x^n v^n w^n ですから
c^n-b^n には j があるから、・・・。
DD++ さんからのコメントです。(令和5年3月6日付け)
方程式なのだとしたら、
したがって、g(x)は、単一の重根kを持をもたない
(「重根」じゃなく単なる「根」とすべきかと思いますが...。)
は、x=k 以外の根の存在は全く否定していません。
つまり、次の行の
よって、c^n-b^n=a^n は、成り立たない。
は「成り立たない例が存在する」に訂正されるべきです。
というか、そもそも 「 nCi k^(n-i)j^i >0」という不等式の根拠はどこから来たのでしょう。
n=4、k=-1、j=1 なら左辺は、-1 になるので、不成立であるように見えますが...。
うんざりはちべえさんからのコメントです。(令和5年3月6日付け)
c>b>a ということで、c、b、a、j、k、x とも自然数です。c^n=(x+j)^n なので、二項定理より、
i=0 n nCi x^(n-i) j^i となっています。i=0 では、nCi x^(n-i) j^i=x^n となります。
i=n では、nCi x^(n-i) j^i=j^n となります。二項定理をそのまま書くと、
c^n=nCo x^n j^0+nC1 x^(n-1) j +nC2 x^(n-2) j^2+・・・・+nC(n-1) x^1 j^(n-1)+nCn
x^0 J^n
つまり、
i=0 n nCi x^(n-i) j^i=nC0 x^n j^0+nC1 x^(n-1) j +・・・・+nC(n-1) x^1 j^(n-1)+nCn
x^0 J^n
ということですね。
g(x)=c^n-b^n = i=0 n nCi x^(n-i) j^i - x^n = i=1 n nCi x^(n-i) j^i +x^n-x^n
=i=1 n nCi x^(n-i) j^i > 0
となります。
DD++ さんからのコメントです。(令和5年3月7日付け)
上記の投稿を読む限り、どこを読んでも c>b>a という制限は課されていないよう見えます
が...。また、a が自然数だというのなら、 x=k とはできないはずです。
各部分ごとで勝手な条件を暗黙的に付け足して話をしていて、筋が全く通っていないように
見えます。
うんざりはちべえさんからのコメントです。(令和5年3月7日付け)
上記の投稿を読む限り、どこを読んでも c>b>a という制限は課されていないよう見えます
が...。
すみません。フェルマーの最終定理は、a^n+b^n=c^n ですから、a、b、c は自然数であり、
c>a、b です。a、b は、c^n-b^n=a^n から、b>a としました。
また、a が自然数だというのなら、 x=k とはできないはずです。
代数学の基本定理を利用するには、x=k でないとまずいのです。ご指摘のとおり、aは自然
数なら、これはできませんね。なるほど。
各部分ごとで勝手な条件を暗黙的に付け足して話をしていて、筋が全く通っていないように
見えます。
すみません。配慮が足りませんでした。
まあ、公式
c^n-b^n=(c-b){c^(n-1)+c^(n-2)b+c^(n-3)b^2+c^(n-4)b^3+・・・+cb^(n-2)+b^(n-1)}
があるので、c^n-b^n=a^n にはならないのですが、たまたま、2つの合成数の積がa^nになる
かという話に持ってゆくかと・・・?
DD++ さんからのコメントです。(令和5年3月7日付け)
「自分は正しいと思う」と「確かに正しい」の間には雲泥の差があります。だからこそ証明と
いうものが必要になるのです。「これは自分が正しいと判断したから正しいんだ!」と喚くの
は数学的な態度ではありません。
私は、
まあ、公式
c^n-b^n=(c-b){c^(n-1)+c^(n-2)b+c^(n-3)b^2+c^(n-4)b^3+・・・+cb^(n-2)+b^(n-1)}
があるので、c^n-b^n=a^n にはならないのですが?
は何ら根拠になっていないと感じます。使用する文字の定義や記述する式の意味を丁寧に
明示した上で、論拠をはっきりさせた証明をお願いします。
うんざりはちべえさんからのコメントです。(令和5年3月7日付け)
DD++ さん、ご指摘ありがとうございます。
さて、c^2-b^2=a^2 ではなくて、c^2-b^2=(c-b)(c+b) です。
(c,b,a)=(13,12,5) では、 c^2-b^2=(13-12)(13+12)=1x25=5^2 となって、c^2-b^2=a^2
ですね。
だから、
まあ、公式
c^n-b^n=(c-b){c^(n-1)+c^(n-2)b+c^(n-3)b^2+c^(n-4)b^3+・・・+cb^(n-2)+b^(n-1)}
があるので、c^n-b^n=a^n にはならないのですが?
は、ご指摘の通り正しくありません。
c^n-b^n=(2つの合成数の積) ですから、2つの合成数の積がa^nになるかと、いう方向で、
進めないとまずいですね。ご指摘ありがとうございます。
うんざりはちべえさんからのコメントです。(令和5年3月8日付け)
フェルマーの最終定理の初等的証明を考える。
a^n+b^n=c^n において、a、b、c は自然数であり、n≧3では成り立たないという問題である。
a、b、c は互いに素な自然数なので、a、b、c 皆偶数ではなく、a、b、c 皆奇数はありえない
ので、
1)a、b、c:偶数、奇数、奇数
2)a、b、c:奇数、偶数、奇数
3)a、b、c:奇数、奇数、偶数
の場合だけを考えればよい。nが偶数の時は、無限降下法で、フェルマーによって証明済み
であり、nが奇数の合成数ならば、構成する最小の素数を考えればよい。→wikipedia参照
したがって、nは、奇数の素数でよい。
さて、公式より、
c^n-b^n=(c-b){c^(n-1)+c^(n-2)b+c^(n-3)b^2+c^(n-4)b^3+・・・+cb^(n-2)+b^(n-1)}
また、c^n-b^n=a^n
よって、
a^n=(c-b){c^(n-1)+c^(n-2)b+c^(n-3)b^2+c^(n-4)b^3+・・・+cb^(n-2)+b^(n-1)}
---(a)
さて、nは、奇数の素数であるので、{}の中は、n項である。
1)a、b、c:偶数、奇数、奇数
(a)式は、2つの合成数の積であるから、
a^s=c-b---(1)
a^(n-s)=c^(n-1)+c^(n-2)b+c^(n-3)b^2+c^(n-4)b^3+・・・+cb^(n-2)+b^(n-1)----(2)
でなければならない。ところが、(2)では、左辺は偶数、右辺は奇数の奇数個の和であるから
奇数。したがって、矛盾。
2)a、b、c:奇数、偶数、奇数
(a)式は、2つの合成数の積であるから、
a^s=c-b---(3)
a^(n-s)=c^(n-1)+c^(n-2)b+c^(n-3)b^2+c^(n-4)b^3+・・・+cb^(n-2)+b^(n-1)----(4)
でなければならない。(4)では、左辺は奇数、右辺はc^(n-1)の奇数を除いてすべての項は偶
数であるから奇数。したがって、矛盾しない。
3)a、b、c:奇数、奇数、偶数
(a)式は、2つの合成数の積であるから、
a^s=c-b---(5)
a^(n-s)=c^(n-1)+c^(n-2)b+c^(n-3)b^2+c^(n-4)b^3+・・・+cb^(n-2)+b^(n-1)----(6)
でなければならない。(6)では、左辺は奇数、右辺はb^(n-1)の奇数を除いてすべての項は偶
数であるから奇数。したがって、矛盾しない。
よって、2)、3)だけを考えればよい。
a^s=c-b---(3) b=c-a^s bは自然数より、c > a^s
a^(n-s)=c^(n-1)+c^(n-2)b+c^(n-3)b^2+c^(n-4)b^3+・・・+cb^(n-2)+b^(n-1)----(7)
ところで、(7)は、初項c^(n-1)、項比b/c,項数nの等比級数である。
そこで、
a^(n-s)=c^(n-1){1+b/c+(b/c)^2+(b/c)^3+・・・+(b/c)^(n-2)+(b/c)^(n-1)}
より、2つの合成数の積であるが、
a^t=c^(n-1) ---(8)
a^(n-s-t)={1+b/c+(b/c)^2+(b/c)^3+・・・+(b/c)^(n-2)+(b/c)^(n-1)} ----(9)
(8)式は、両辺をa^tで割ると、a、c は互いに素であるから、c^(n-1)/a^t は割り切れず、成
り立たない。すると、(7)は、成り立たないから、(6)式は成り立たない。
ゆえに、(a)式は成り立たず、c^n-b^n=a^nは成り立たない。
よって、フェルマーの最終定理は初等的に証明された。
DD++ さんからのコメントです。(令和5年3月8日付け)
nが偶数の時は、無限降下法で、フェルマーによって証明済みであり、
フェルマーが証明した(と考えられている)のは n=4 の場合のみのはずであり、
n=8, 12, 16, ……はともかく、n=6, 10, 14, ……はフェルマー自身の結果からは示されないは
ずです。
(a)式は、2つの合成数の積であるから、
a^s=c-b---(1)
a^(n-s)=c^(n-1)+c^(n-2)b+c^(n-3)b^2+c^(n-4)b^3+・・・+cb^(n-2)+b^(n-1)----(2)
でなければならない。ところが、(2)では、左辺は偶数、右辺は奇数の奇数個の和であるから
奇数。したがって、矛盾。
2)a、b、c:奇数、偶数、奇数
(a)式は、2つの合成数の積であるから、
a^s=c-b---(3)
a^(n-s)=c^(n-1)+c^(n-2)b+c^(n-3)b^2+c^(n-4)b^3+・・・+cb^(n-2)+b^(n-1)----(4)
でなければならない。(4)では、左辺は奇数、右辺はc^(n-1)の奇数を除いてすべての項は偶
数であるから奇数。したがって、矛盾しない。
3)a、b、c:奇数、奇数、偶数
(a)式は、2つの合成数の積であるから、
a^s=c-b---(5)
a^(n-s)=c^(n-1)+c^(n-2)b+c^(n-3)b^2+c^(n-4)b^3+・・・+cb^(n-2)+b^(n-1)----(6)
これらが a の累乗数でなければならないと考えた理由を教えてください。
あと、c-b が勝手に合成数とされている理由もですかね。なぜ、これが素数や 1 じゃいけ
ないんでしょう?
うんざりはちべえさんからのコメントです。(令和5年3月8日付け)
フェルマーが証明した(と考えられている)のは n=4 の場合のみのはずであり、
n=8, 12, 16, ……はともかく、n=6, 10, 14, ……はフェルマー自身の結果からは示されないは
ずです。
例えば、n=6=3×2 ですから、 (a^2)^3+(b^2)^3=(c^2)^3 で、A=a^2、B=b^2、C=c^2 と
すれば、A^3+B^3=C^3
10=2x5、15=3x5、18=3x3x2、・・・・ というように素因数分解できれば、奇数の素数になりま
すので、奇数の素数が証明できればいいのでしょう。Wikipedia(フェルマーの最終定理)を見
てください。
これらが a の累乗数でなければならないと考えた理由を教えてください。
左辺がa^nであるから、左辺はaの累乗でないといけません。
あと、c-b が勝手に合成数とされている理由もですかね。なぜ、これが素数や 1 じゃいけ
ないんでしょう?
素数でも1でも構わないのですが、一般的に一番大きな可能性が合成数ですよね。自然数
の方がいいかな?
DD++ さんからのコメントです。(令和5年3月8日付け)
「奇素数での証明ができれば十分である」自体は正しいですよ。でも、最後の一文に結果
的に正しいことが書いてあるからといって、途中に書いたものが全部正しかったことになる
わけじゃありません。
フェルマーの最終定理の証明も「最後の結果は別の方法で証明されているんだから、何を
どう書いたって正しい証明になるんだ」とか思ってませんよね?
左辺がa^nであるから、左辺はaの累乗でないといけません。
意味がわかりません。
素数でも1でも構わないのですが、一般的に一番大きな可能性が合成数ですよね。自然数
の方がいいかな?
ほら、勝手な決めつけを行なっている。それを 1 つでもやった瞬間、これは「存在しない証
明」ではなく、ただの「自分には見つけられなかったという無価値な失敗報告」になります。
証明するというのなら、まず、その認識を持ってください。
うんざりはちべえさんからのコメントです。(令和5年3月8日付け)
意味がわかりません。
(a)の式:a^n=(c-b){c^(n-1)+c^(n-2)b+c^(n-3)b^2+c^(n-4)b^3+・・・+cb^(n-2)+b^(n-1)}
---(a)
(a)の式は、a^nは2つの自然数の積で構成されています。それは、
c-b---(1)
c^(n-1)+c^(n-2)b+c^(n-3)b^2+c^(n-4)b^3+・・・+cb^(n-2)+b^(n-1)----(2)
の(1)、(2)式です。この2つの式の積がa^nなのですから、
a^s=c-b---(1)
a^(n-s)=c^(n-1)+c^(n-2)b+c^(n-3)b^2+c^(n-4)b^3+・・・+cb^(n-2)+b^(n-1)----(2)
でなければならないということです。
素数でも1でも構わないのですが、一般的に一番大きな可能性が合成数ですよね。自然数
の方がいいかな?
a^s=c-b において、左辺は、a の累乗の式ですから、c-b は、素数にはならないでしょう。
a^s が s=1 なら、a=c-b なので、aが素数でもありえます。しかし、
(c-b)^n+b^n=c^n
c^n-nC1 c^(n-1)b+nC2 c^(n-2) b^2-nC3 c^(n-3)b^3+・・・+nC1 c b^(n-1)-b^n+b^n=c^n
ここで、-b^n+b^n=0 で、両辺からc^nを引くと、
-nC1 c^(n-1)b+nC2 c^(n-2) b^2-nC3 c^(n-3)b^3+・・・+nC1 c b^(n-1)=0
これは、cb でくくれますから、
cb{-nC1 c^(n-2)+nC2 c^(n-3) b-nC3 c^(n-4)b^2+・・・+nC1 b^(n-2)}=0
cb は 0 でないので、割ると、
-nC1 c^(n-2)+nC2 c^(n-3) b-nC3 c^(n-4)b^2+・・・+nC1 b^(n-2)=0
nC2 c^(n-3) b+nC4 c^(n-5) b^3+・・+nC1 b^(n-2)
=nC1 c^(n-2)+nC3 c^(n-4)b^2+・・・+nC2 c b^(n-3)
となり、(a)式にはならず、(1)、(2)式は存在しなくなります。したがって、a=c-bでは、まずいの
です。
c-b=1 なら、 a^n+b^n=(b+1)^n
a^n+b^n=b^n+nC1 b^(n-1) +nC2 b^(n-2) +nC3 b^(n-3) +・・・+nC(n-1) b +1
両辺からb^nを引いて、
a^n=nC1 b^(n-1) +nC2 b^(n-2) +nC3 b^(n-3) +・・・+nC(n-1) b +1
となり、(a)式にはならず、(1)、(2)式は存在しなくなります。
したがって、c-b=1 では、まずいのです。
うんざりはちべえさんからのコメントです。(令和5年3月8日付け)
a^n=(c-b){c^(n-1)+c^(n-2)b+c^(n-3)b^2+c^(n-4)b^3+・・・+cb^(n-2)+b^(n-1)}
---(a)
(a)の式は、a^nは2つの自然数の積で構成されています。それは、
α=c-b---(1)
β=c^(n-1)+c^(n-2)b+c^(n-3)b^2+c^(n-4)b^3+・・・+cb^(n-2)+b^(n-1)----(2)
とします。すなわち、 a^n=αβ
ここで、a^n=v^n u^n とおくと、α=v^p 、β=v^q u^n
したがって、v^p=c-b 、v^p=v^r(c'-b') すなわち、c'-b'=v^(p-r)
c=v^rc' 、b=v^rb'
ところが、a、b、c は互い素であるから、これはありえない。
DD++ さんからのコメントです。(令和5年3月8日付け)
この2つの式の積がa^nなのですから、
a^s=c-b---(1)
a^(n-s)=c^(n-1)+c^(n-2)b+c^(n-3)b^2+c^(n-4)b^3+・・・+cb^(n-2)+b^(n-1)----(2)
でなければならないということです。
だから、それがなぜそうでなければいけないのかと問うています。「自分が正しいと思ってい
るから正しいんだ」では証明になっていません。まず、ここが解消されない限り、その先の話
は読む価値がないので一旦置いときます。
HN「通りすがり2」さんからのコメントです。(令和5年3月8日付け)
DD++ さんの「これらが a の累乗数でなければならないと考えた理由を教えてください。」に
対する「うんざりはちべえ」さんの「左辺がa^nであるから、左辺はaの累乗でないといけません。」
について、これが出来るのは、a が素数の場合だけです。例えば、aが合成数で、a=a1a2
とすると、
a^n=(a1a2)^n=a1^na2^n=(c-b){c^(n-1)+c^(n-2)b+c^(n-3)b^2+・・・+cb^(n-2)+b^(n-1)}
c-b=a1 かもしれないし、c-b=a1a2 かもしれません。n=3ぐらいだったら全ての組み合わせ
を調べられますが。
c-b=1 なら、 a^n+b^n=(b+1)^n
a^n+b^n=b^n+nC1 b^(n-1) +nC2 b^(n-2) +nC3 b^(n-3) +・・・+nC(n-1) b +1
両辺からb^nを引いて、
a^n=nC1 b^(n-1) +nC2 b^(n-2) +nC3 b^(n-3) +・・・+nC(n-1) b +1
となり、(a)式にはならず、(1)、(2)式は存在しなくなります。
したがって、c-b=1 では、まずいのです。
c-b=1 の場合は証明しなくてはいけません。
a^n=(c-b){c^(n-1)+c^(n-2)b+c^(n-3)b^2+c^(n-4)b^3+・・・+cb^(n-2)+b^(n-1)} ---(a)
(a)式とa^n=nC1 b^(n-1) +nC2 b^(n-2) +nC3 b^(n-3) +・・・+nC(n-1) b +1は同じ式です。
(a)式に c-b=1 を代入して、さらに、c=b+1 を代入すると、
a^n=(b+1)^(n-1)+(b+1)^(n-2)b+・・・+(b+1)b^(n-2)+b^(n-1) となりますが、これを二項定理で
展開して、b^(n-1) の係数を考えると、1+1+・・・+1(n個)=n また、nC1=nですから一致します。
また、定数項も1で一致しますよね。つまり、同じ式という事です。だから、c-b=1 の場合も証
明して下さい。
うんざりはちべえさんからのコメントです。(令和5年3月8日付け)
DD++さん、通りすがり2さんに、もう一度、注意してもらいたいのは、前提条件です。
@ a、b、c は、互いに素な自然数
a、b の最大公約数 gcd(a,b)=1
a、c の最大公約数 gcd(a,c)=1
b、c の最大公約数 gcd(b,c)=1
ということが守られているか?
A a、b、c:奇数、偶数、奇数
B a、b、c:奇数、奇数、偶数
C a^n+b^n=c^n
です。
たとえば、
*************************************************************************
(a)の式は、a^nは2つの自然数の積で構成されています。それは、
α=c-b---(1)
β=c^(n-1)+c^(n-2)b+c^(n-3)b^2+c^(n-4)b^3+・・・+cb^(n-2)+b^(n-1)----(2)
とします。したがって、a^n=αβ
a、b、c は互いに素な自然数の確認は、(1)式が都合が良いので、ここで、
a^n=v^n u^n(つまり、aを素因数分解したら、a=vu とすると) とおくと、
たとえば、
α=v^p
β=v^q u^n (ただし、p+q=n)
したがって、
v^p=c-b 引き算が成立するので共通因子v^rがあるとして、
また、v^p=v^r(c'-b') さらにc'-b'=v^(p-r)
すると、c=v^rc' かつ b=v^rb'
ところが、a、b、c は互い素であるから、これはありえない。
*********************************************************************
のように、確認しなければならないはずです。
通りすがり2さん、1=c-b の場合の検討は、参考になりました。ありがとうございます。
DD++ さんからのコメントです。(令和5年3月9日付け)
共通因子v^rがあるとして、また、v^p=v^r(c'-b')
なんの共通因子ですか?
うんざりはちべえさんからのコメントです。(令和5年3月9日付け)
余計なことを削除すればいいことに気づきました。
*********************************************************************
フェルマーの最終定理の初等的証明を考える。
a^n+b^n=c^n において、a、b、c は自然数であり、n≧3では、成り立たないという問題である。
a、b、c は、互いに素な自然数であるとする。さて、公式より、
c^n-b^n=(c-b){c^(n-1)+c^(n-2)b+c^(n-3)b^2+c^(n-4)b^3+・・・+cb^(n-2)+b^(n-1)}
また、c^n-b^n=a^n
よって、
a^n=(c-b){c^(n-1)+c^(n-2)b+c^(n-3)b^2+c^(n-4)b^3+・・・+cb^(n-2)+b^(n-1)} ---(a)
ここで、{ } の中は、初項 c^(n-1)、項比 b/c、項数 n の等比級数である。
a^n=(c-b)c^(n-1){1+b/c+(b/c)^2+(b/c)^3+・・・+(b/c)^(n-2)+(b/c)^(n-1)} ---(b)
(b)式の両辺を a^t で割ると、a、c は互いに素であるから、c^(n-1)/a^t は割り切れない。
ただし、t は、t<n の自然数である。
すると、(b)は、左辺は割り切れるが、右辺は少なくとも c^(n-1)/a^t が割り切れないので、
成り立たない。ゆえに、(a)式は成り立たず、c^n-b^n=a^nは成り立たない。
よって、フェルマーの最終定理は、初等的に証明された。
(コメント) 「(b)は、左辺は割り切れるが、右辺は少なくとも c^(n-1)/a^t が割り切れないの
で、成り立たない。」とありますが、これは誤魔化しではありませんか?
うんざりはちべえさんからのコメントです。(令和5年3月9日付け)
これを否定するのであれば、
(c-b)c^(n-1){1+b/c+(b/c)^2+(b/c)^3+・・・+(b/c)^(n-2)+(b/c)^(n-1)}
のc^(n-1)を除いた部分が、a^tで割れる、つまり、a^tの倍数であることを証明しなければな
りません。
(コメント) 逆に、c^(n-1)を除いた部分が、a^tで割れないということをうんざりはちべえさん
の方で勝手に仮定していませんか?
論理が破綻しているので、「フェルマーの最終定理は、初等的に証明された」とは
ならないのでは?
HN「アカン警察」さんからのコメントです。(令和5年3月9日付け)
「c^(n-1)/a^t は割り切れない」ので、
c-b と 1+b/c+(b/c)^2+(b/c)^3+・・・+(b/c)^(n-2)+(b/c)^(n-1)
も a^t で割り切れない事を示せれば、背理法で証明出来るのです。
そもそも「1+b/c+(b/c)^2+(b/c)^3+・・・+(b/c)^(n-2)+(b/c)^(n-1)」がなぜ自然数だと言える
のです?
例えば、c^2=9で、1+b/c+(b/c)^2+(b/c)^3+・・・+(b/c)^(n-2)+(b/c)^(n-1)=1/9 の可能
性だってあるじゃないですか。(細かい調整はしていません。)
例えば、3^2+4^2=5^2 より、3^2=5^2−4^2=(5−4)(5+4)=(5−4)5(1+4/5)で
1+4/5 は自然数じゃないですよね。
(コメント) 「c^(n-1)/a^t は割り切れない」ので、
c-b と 1+b/c+(b/c)^2+(b/c)^3+・・・+(b/c)^(n-2)+(b/c)^(n-1) も a^t で割り切れな
い事を示せれば
とのことですが、それは証明されたのですか?
うんざりはちべえさんからのコメントです。(令和5年3月9日付け)
これを否定するのであれば、
(c-b)c^(n-1){1+b/c+(b/c)^2+(b/c)^3+・・・+(b/c)^(n-2)+(b/c)^(n-1)}
のc^(n-1)を除いた部分が、a^tで割れる、つまり、a^tの倍数であることを証明しなければな
りません。
これは、表現がまずいです。
c^(n-1){1+b/c+(b/c)^2+(b/c)^3+・・・+(b/c)^(n-2)+(b/c)^(n-1)}
という等比級数が、a、c が互いに素なので、割れないというべきでしたね。c^(n-1) だけを取
り出したら、おかしくなりますね。すみません。
逆に、c^(n-1)を除いた部分が、a^tで割れないということをうんざりはちべえさんの方で勝
手に仮定していませんか?
そんなことは、思っていません。逆です。a^t の倍数でなければいけません。
「c^(n-1)/a^t は割り切れない」ので、
c-b と 1+b/c+(b/c)^2+(b/c)^3+・・・+(b/c)^(n-2)+(b/c)^(n-1) も a^t で割り切れない事を示
せれば
とは、言ってません。逆です。a^tの倍数でないといけないのです。どうしてそうなったのかな?
そもそも「1+b/c+(b/c)^2+(b/c)^3+・・・+(b/c)^(n-2)+(b/c)^(n-1)」がなぜ自然数だと言える
のです?
これは、等比級数c^(n-1){1+b/c+(b/c)^2+(b/c)^3+・・・+(b/c)^(n-2)+(b/c)^(n-1)} ですから
自然数です。
(c-b)c^(n-1){1+b/c+(b/c)^2+(b/c)^3+・・・+(b/c)^(n-2)+(b/c)^(n-1)}が、a、c が互いに素で
あるから a^t で割れないと言っているだけです。
それを否定するなら、
(c-b)c^(n-1){1+b/c+(b/c)^2+(b/c)^3+・・・+(b/c)^(n-2)+(b/c)^(n-1)} が、a^t
で割れる
といえばいいのです。それだけです。
山下達郎さんは、今年70歳の誕生日を迎えました。ユーミンも来年70歳で、生きていれ
ば、安部さんも来年70歳でした。私も来年70歳です。もう、難しいことはできません。「論理
が破綻している」と言われましたが、それも理解できません。
でも、フェルマーの最終定理は、n=3 とか c が素数とか、制限を付けると、論理的に受け
入れられます。しかし、nになると、とてつもない壁が前に立ちはだかるのです。
おかしな話です。
(コメント) おかしな話ではないのでは?例えば、定木・コンパスを用いて、角の3等分問題
を考える場合、60°の角が3等分できたから、一般の場合もできる、と言ってい
るようなものではないでしょうか?
H.Nakao さんからのコメントです。(令和5年3月10日付け)
FLTの証明についてですが、論理的には初等的に証明できる可能性はあります。しかし、
これまでいろいろな数学者が挑戦して、少なくとも初等的な証明はできなかったわけです。
もしFLTの簡単な(例えば100ページ以下の)初等的証明が存在するのであれば、名だたる
数学者の手によって既に証明できていることでしょう。
ということは、FLTの初等的証明は(一生かけても書ききれないほどに)とんでもなく長いも
のである可能性が高いです。当然、その証明が正しいかどうか検証するのも困難かもしれ
ません。
僭越ながら、うんざりはちべえさんにおかれましては、自身が書いた証明が正しいのかどう
か、自分で判断できるようになるまで、FLTの証明(と称するもの)の公表を控えていただき、
自身が書いた証明の正しさ・誤りを正確に判断できるようになったら、FLTの証明を公表して
いただきたいと思います。
そもそも、うんざりはちべえさんのFLTの初等的証明では、n≧3 という条件を1回も使って
いない。もし使っているというのであれば、どこで使っているのですか?
仮に、この証明が正しいと仮定すると、n≧2 で、FLTが成立することになり、矛盾する。
これでも、正しいFLTの証明と言えるのでしょうか?
(注意) 命題FLT(n)を「x^n+y^n=z^nを満たす自然数x,y,zは存在しない」とすると、FLT(2)は成
立しない(なぜなら、3^2+4^2=5^2などの反例が多数存在するので)。
うんざりはちべえさんからのコメントです。(令和5年3月11日付け)
私は、フェルマーの最終定理をみんなが挑戦すればいいと思います。非常に、良い教材だ
と思います。それには、自分の習ったすべてを利用しなければできないからです。また、自分
がわかってないところにも気づくし、いい事づくしです。それを今まで数学者ができなかったか
ら、禁止せよという御論には、全く賛同できません。
1=0.999・・・・ とか、有理数は四則演算で閉じているのにバーゼル問題では無理数になっ
ています。数学では、触れてはならない問題がいっぱいあります。そんな事態は、おかしい
でしょう。
数学者は、そういうことを、触らぬ神祟りなし、と決めてかかっているように思われます。
フェルマーの最終定理もそのような扱いですね。それは、おかしいでしょう?
私は、それは、数学にとって極めて不健全だと思います。
ですから、「1=0.999・・・」「バーゼル問題」「フェルマーの最終定理の初等的証明」をやめる
つもりはありません。
数学は、開かれた数学でないといけません。そう私は、確信しております。
また、最初に、nは3以上の自然数と書いてあります。また、a、b、c も互いに素な自然数と
書いてあります。
私が、a、b、c が自然数をつかってないから、負の数はどうするのかというのは、おかしい
でしょう。a、b、c が整数なら、a^n+b^n=c^n が成り立つことは、この掲示板でも取り上げられ
ています。
そもそも、私は、完全だと思うから(他人から見れば不完全なこともありますが)投稿してい
るのであって、それが一般的に正しいと証明されていれば、投稿するはずがないでしょう?
H.Nakao さんからのコメントです。(令和5年3月11日付け)
正しい証明はだれが見ても完全なものであるので、うんさりはちべえさんが完全だと思うだ
けでなく、他人から見ても(だれが見ても)完全であると判断できる証明を投稿して欲しいので
す。
うんざりはちべえさんからのコメントです。(令和5年3月11日付け)
どうして、自分が他人になれるのですか?自分が、完全であると思ったものは、どうしよう
もないでしょう?
H.Nakao さんからのコメントです。(令和5年3月11日付け)
証明の中で、そこ以外に、n≧3 を使っている場所はないのですね。
その証明が正しいものと仮定すると、(他で、n≧3 を使っていないので)その証明の「nは3
以上の自然数」の部分を「nは2以上の自然数」と書き換えても正しい証明になります。
よって、FLT(2)が成立することになり、矛盾します。
DD++ さんからのコメントです。(令和5年3月11日付け)
私は、フェルマーの最終定理をみんなが挑戦すればいいと思います。
それを今まで数学者ができなかったから、禁止せよという御論には、全く賛同できません。
この点に関しては、うんざりはちべえさんに同意します。
「これまで一例もなかったのだから、これから先もそんな例はない」なんて理屈がひどい誤
謬であるのは数学をやっている人なら誰でもわかります。Nakaoさんの言い分は明らかに筋
が通っていません。しかも、実際の歴史上で難問と言われてきた問題がある日突然あっさり
解決した例がないかどうかもわかりませんしね(むしろ探せばいくらでも出てきそう)。
しかし一方で、はちべえさんははちべえさんで、非常に独善的な決めつけが多く、結果とし
て証明とはとても呼べない妄言に近いものの繰り返しになってしまっているのも確かです。
「正しくあってほしいこと」
「正しいと自分が信じていること」
「自分が証明できたと主張すること」
「証明が世間で受け入れられること」
「誤りであってほしいこと」
「誤りだと自分が信じていること」
「誤りだと自分が証明できたと主張すること」
「誤りである証明が世間で受け入れられること」
これらの違いは数学では非常に大事です。というか、これらを区別することが数学という世
界の唯一のルールだと私は思っています。このルールを遵守している限り、「1+1=0 である」
という主張をするのすら数学では自由です。(「2を法とする剰余類」という実際に存在する話
です)数学は広く開かれていると思いますよ。
はちべえさんが何をどれだけ熱弁しても批判ばかりなのは、理屈が誤っているからでも、
数学の世界が狭量だからでもありません。はちべえさんがこのルールを無視しているから、
ただそれだけです。数学界が不健全なのではなく、はちべえさんの数学に対する態度が不
健全なんですよ。
うんざりはちべえさんからのコメントです。(令和5年3月11日付け)
DD++ さん、ご指摘ありがとうございます。でも、オープンな議論を許せば、そういう多様性
からも、何か得るものがあると思うのですよ。まあ、私が異常な人間かもしれませんが・・・・?
DD++ さんからのコメントです。(令和5年3月11日付け)
ええ、「議論になっていれば」、そうでしょうね。しかし私は、はちべえさんの話は「そもそも
議論と呼べるものになっていない」と言っているのですよ。
H.Nakao さんからのコメントです。(令和5年3月11日付け)
他人になれとは書いていない。「だれが見ても完全であると判断できる証明を投稿して欲
しい」と書いた。たとえ自分の証明の正しさに確信があったとしても、投稿前に、他のだれか
にその証明をレビューしてもらって、レビュー者が正しいと判断した証明を投稿すれば良い
のです。
うんざりはちべえさんからのコメントです。(令和5年3月11日付け)
その証明が正しいものと仮定すると、(他で、n≧3 を使っていないので)その証明の「nは3
以上の自然数」の部分を「nは2以上の自然数」と書き換えても正しい証明になります。
それは、フェルマーの最終定理にも言えることではないですか?n≧3 という前提があるの
です。それを無視すれば、フェルマーの主張は間違っています。前提条件を無視するのは、
おかしくありませんか?
たとえ自分の証明の正しさに確信があったとしても、投稿前に、他のだれかにその証明を
レビューしてもらって、レビュー者が正しいと判断した証明を投稿すれば良いのです。
国家の品格という本を書いた数学者が、「査読をしてくれと無理矢理郵便物を送りつけくる
やつがいる。そんなものは無視する。」と言ってます。査読を引き受けてくれる人は、めった
にいません。そこで、失礼ですが、この掲示板を利用しています。
しかし私は、はちべえさんの話は「そもそも議論と呼べるものになっていない」と言っている
のですよ。
DD++ さんのおっしゃるとおりです。査読で、明らかな間違いを指摘されたら、その修正作
業になりますよね。その点で、DD++ さんのご指摘は、私は明らかな間違いが自覚できまし
た。議論とは、間違いと認められないとき、起こるのではないでしょうか?
DD++ さんからのコメントです。(令和5年3月11日付け)
Nakao さんの話で、
・フェルマーの最終定理が n≧3 で成り立ってほしい
・フェルマーの最終定理(と同形式の文)は n=2 では誤りであることは証明されている
(はちべえさんも同意してくれますか?)
という二つから考えると、フェルマーの最終定理の正しい証明になっている「文書X」があった
とすると、
・n≧3 の場合は文書X理屈の通った文章になる
・n≧3 という条件を無視して n=2 とした場合は文書Xはどこかに誤りがある文章になる
ということが言えるはずなんです。Nakao さんは「その n=2 のときに誤りである箇所はどこな
のか」と問うていますね。
まあ、それで証明が誤りだとわかったとしても、どこを修正すべきなのか何の情報も得られ
ないので、レビューでの指摘の仕方としてあまりうまいやり方だとは思いません。
が、証明できたと主張する側からは投稿前に考慮するべき点ではあったかなとも思います。
H.Nakao さんからのコメントです。(令和5年3月11日付け)
n≧3 という前提があるのです。それを無視すれば、フェルマーの主張は間違っています。
前提条件を無視するのは、おかしくありませんか?
証明の中で使っていない前提は、証明から除去しても、証明の正しさは保存される(結論も
保存される)。FLTでは、n≧3 の前提は必須なので、FLTの証明が正しければ、必ずその証
明中で使われることになる。
うんさりはちべえさんのFLTの初等的証明は、n≧3 の前提を全く使っていないので、誤り
である。
うんざりはちべえさんからのコメントです。(令和5年3月11日付け)
n=2 のとき、a^2=c^2-b^2=(c-b)(c+b)=(c-b)c(1+b/c) で、a と c は互いに素であるから、
aで a^2=(c-b)c(1+b/c) は左辺が割り切れるが右辺は割り切れない。
よって、a^2+b^2=c^2はなりたたない。
しかし、ピタゴラス数から、明らかに間違いである。
このように、一見 n≧3は使われているように見えませんが、ちゃんと使われているのです
よ。DD++ さんのご指摘にも回答になったかな?
さて、ご指摘のあった間違いを修正して、PDFにしました。これで、どうでしょうか?
H.Nakao さんからのコメントです。(令和5年3月11日付け)
a^2=c^2-b^2=(c-b)(c+b)=(c-b)c(1+b/c) で、a と c は互いに素であるから、aで
a^2=(c-b)c(1+b/c) は左辺が割り切れるが右辺は割り切れない。
よって、a^2+b^2=c^2はなりたたない。
例えば、a=3、b=4、c=5 のときを考えてみなさい。a=3とc=5は互いに素である。左辺のa^2
はaで割り切れる。右辺の(c-b)*c*(1+b/c)=(5-4)*5*(1+4/5)=9はa=3で割り切れる。
ここで、証明は破綻している(それまでの推論が正しくない)。矛盾が導かれたので、この
証明はこれ以上続ける意味が無い。
(矛盾を仮定すると、どんな命題でも証明できてしまうため)
DD++ さんのご指摘にも回答になったかな?
全くなってない。
DD++ さんからのコメントです。(令和5年3月11日付け)
議論とは、間違いと認められないとき、起こるのではないでしょうか?
数学の世界に限っての話だとして、議論になるのは、「証明中で略しているところについて、
世間でその部分の証明が受け入れられているので略していいと思っている人 vs 世間で受け
入れられている証明があるのを知らないので疑問を投げかける人」の構図が多いと思います。
その場合、
「証明する側がその部分の証明を追加提出して決着」
「世間でその部分の証明が受け入れられているというのが勘違いだったことが発覚して決着」
のどちらかになるでしょうね。
今回だと私や管理人さんが「世間で受け入れられている証明があるのを知らないので疑問
を投げかける人」で、はちべえさんが指摘を受けた部分の追加証明をしないので、周囲の人
は「世間でその部分の証明が受け入れられているというのが勘違いだったことが発覚して決
着」をしたんだなと見ていると思います。
こういう場合、両者が数学的態度であれば、証明できたと言っていた側も「すいません思い
込みでした」となって終わります。
もしここで「自分が思い込みなんてするはずがないんだ!」とやり始めた場合というなら、
議論が起こるどころか、それはもう既に議論という舞台からはみ出しての乱闘と化した状態
です。
PDFの2ページ目の3行目、「a^t の倍数でなければならない」に、より詳細な証明が必要で
す。現状ここは、はちべえさんが「正しくあってほしいと思っていること」でしかありません。
うんざりはちべえさんからのコメントです。(令和5年3月12日付け)
さて、ご指摘のあった間違いを修正して、PDFにしました。これで、どうでしょうか?
DD++ さんからのコメントです。(令和5年3月12日付け)
何も変わっていないように見えますが...。私が求めているのは論理的な裏付けであって、
決して声を大きく言うことでも繰り返して何度も言うことでもないんですよ。
あと、一番上のところ、まるで私がこれで完成であることに賛同しているような記述はやめ
てください。私は、これは証明として欠陥だらけのひどい状態だと思っています。
うんざりはちべえさんからのコメントです。(令和5年3月12日付け)
やはり、
「a^t の倍数でなければならない」に、より詳細な証明が必要です。
の方でしたか?私は、その下の方だと思いましたので。
あと、一番上のところ、まるで私がこれで完成であることに賛同しているような記述はやめ
てください。私は、これは証明として欠陥だらけのひどい状態だと思っています。
どうもご迷惑をおかけしたようですね。削除しました。
DD++ さんからのコメントです。(令和5年3月12日付け)
両方直さなくてはいけません。複数欠陥があるうち1つだけ直しても完璧になるわけがない
でしょう。(しかも、n≧3 の方も直ってるとは思えません)
まあ、でも、n≧3 の方は結果的に必要性が出てくればいい話なので、積極的な修正を急
ぐものではないと思います。まず修正すべきは論理の欠陥の方です。
件の式が a^t で割り切れる整数になるというのを裏付ける論理を私は知りません。多分他
の誰も知りません。
はちべえさんの中ではなぜかそういう定理が存在していることになっているようですが、
はちべえさんがその定理の内容と証明を開示するまでは、得られた結論ははちべえさん
の妄想でしかありません。「議論をするのに必要となる正しいか間違っているかの判断材
料を隠したまま、ただ『自分が間違えるわけないんだ』と連呼してばかりの人がいる」のが
現状です。
うんざりはちべえさんからのコメントです。(令和5年3月12日付け)
件の式が a^t で割り切れる整数になるというのを裏付ける論理を私は知りません。多分他
の誰も知りません。
等式の性質だと思うのですが・・・・。単なる数式の計算に論理が要るでしょうか?
DD++ さんからのコメントです。(令和5年3月12日付け)
単なる数式の計算ではないから論理を求めているのです。
うんざりはちべえさんからのコメントです。(令和5年3月12日付け)
では、どこに論理があるのでしょう?私は、ただ、等式の性質を使って、数式計算をしただ
けなのです。思い当たるフシがありません。
学校の先生は、順を追って、説明します。かと言って、意図した論理から、結論につながる
ことはまずありません。オイラーにしても、ラマヌジャンにしても、ひたすら計算して、発見する
のです。そこで、初めて、現象を説明する論理が構成されるのです。まず、発見が最初なん
です。
DD++ さんからのコメントです。(令和5年3月13日付け)
どこに論理があるのでしょう?
それを私が聞いているのですが...。どこかに (b) 式から (c) 式になる正しい論理が存在
するのだとしたら、それは証明者の頭の中か証明の文章の中です。そして現状、証明の文章
の中にはそれがありません。はちべえさんの頭の中にもないのであれば、この証明は論理破
綻しているということになりますね。
うんざりはちべえさんからのコメントです。(令和5年3月13日付け)
等式において、両辺を0でない同じ数で割っても、等式の性質により成り立ちます。PDFより、
(b) 式の両辺を a^t で割ると、a、c は互いに素であるから、(b) 式の右辺の c^(n-1) は a^t
では割り切れない。ただし、t は t < n の自然数である。
ゆえに、右辺の c^(n-1) を除いた式は a^t の倍数でなければならない。
となって、(c)式が構成されるのです。
DD++ さんからのコメントです。(令和5年3月13日付け)
だから、それが正しい計算である根拠はどこにあるのですか、と。「正しくあってほしいこと」
を何度言おうがどんな大きい声で言おうがそれは「何度も大きな声で言われた正しくあって
ほしいこと」でしかなく、「正しいこと」にはなりません。
うんざりはちべえさんからのコメントです。(令和5年3月13日付け)
これは、等式の性質から、導かれることで、私の都合の論理では、ありません。
その性質とは、前にも書いたとおり、等式において、両辺を0でない同じ数で割っても、等式
の性質により等式は成り立ちます。
DD++ さんからのコメントです。(令和5年3月13日付け)
だから、そんな計算を可能にする性質を誰も知らないのでその内容を開示してください、と
言っているのですが...。。
はちべえさんが訳の分からないことしか言わないので、(a) から (b) までの論理の提示例
を示します。
k は 1≦k≦n を満たす自然数。
c^(n-k) * b^(k-1) = { c^(n-1) * c^(1-k) } * b^(k-1)
(指数法則 a^(m+n) = a^m * a^n:証明は高校数学IIの教科書等を参照)
= c^(n-1) * { c^(1-k) * b^(k-1) } (積の結合法則 (ab)c = a(bc):公理)
= c^(n-1) * { b^(k-1) * c^(1-k) } (積の交換法則 ab = ba:公理)
= c^(n-1) * { b^(k-1) * (c^(-1))^(k-1)}
(指数法則 a^(mn) = (a^m)^n:証明は高校数学IIの教科書等を参照)
= c^(n-1) * { b^(k-1) * (1/c)^(k-1)} (-1乗の定義)
= c^(n-1) * {(b/c)^(k-1)}
(指数法則 a^n * b^n = (ab)^n:証明は高校数学IIの教科書等を参照)
(a) 式の { } の中
= Σ[k=1..n] c^(n-k) * b^(k-1) (Σの定義)
= Σ[k=1..n] c^(n-1) * {(b/c)^(k-1)} (上で示した等式:上で書いた証明を参照)
= c^(n-1) * Σ[k=1..n] {(b/c)^(k-1)}
(分配法則 k(a+b+c+…) = ka + kb + kc + …:2項のものは公理、3項以上は和の結合法則
と数学的帰納法により示される)
(b) 式の左辺
= (a) 式の左辺 (同一の式)
= (c-b) * { Σ[k=1..n] c^(n-k) * b^(k-1) } ((a) 式:本文の証明を参照)
= (c-b) * [ c^(n-1) * Σ[k=1..n] {(b/c)^(k-1)} ] (上で示した等式:上で書いた証明を参照)
= (c-b) * c^(n-1) * Σ[k=1..n] {(b/c)^(k-1)} (積の結合法則 (ab)c = a(bc):公理)
= (b) 式の右辺
はい、(b) 式から (c) 式までをはちべえさんの手でどうぞ。
うんざりはちべえさんからのコメントです。(令和5年3月13日付け)
DD++ さん、PDFと表現が違うだけで、同じですよね?「+・・・+」の表現をΣにしただけで
すよね?
DD++ さんからのコメントです。(令和5年3月13日付け)
本気で言ってます?+ とΣの表記の違いなんて些末な違いですよ。各変形がどういう論理
で正当化されるのか、1行ごとに全部書いてあるのが見えないんですか?
うんざりはちべえさんからのコメントです。(令和5年3月14日付け)
DD++さんのご指摘は、理解できました。
H.Nakao さんからのコメントです。(令和5年3月12日付け)
n=2 のとき、a^2=c^2-b^2=(c-b)(c+b)=(c-b)c(1+b/c) で、a と c は互いに素であるから、
aで a^2=(c-b)c(1+b/c) は左辺が割り切れるが右辺は割り切れない。
よって、a^2+b^2=c^2はなりたたない。しかし、ピタゴラス数から、明らかに間違いである。
「a^2+b^2=c^2はなりたたない」が証明できたことで、そこまでの証明(推論)が間違ってい
ることは明らか。明らかに間違いであるのは、うんさりはちべえさんの証明です。どこが間
違っているのかは、問題ではない(問題にもならない)。
一見 n≧3 は使われているように見えませんが、ちゃんと使われているのですよ。
証明では使われていない。(どこにも書いていない)初等的な証明というのであれば、その
中で使った補助定理は、うんさりはちべえさんによって、全て証明できるはずです。証明で
使われた補助定理の少なくとも1つには、n≧3 の前提が含まれるので、書いていなくても
使われているは詭弁ですよ。
DD++ さんのご指摘にも回答になったかな?
全くなってない。
うんざりはちべえさんからのコメントです。(令和5年3月11日付け)
「オイラー積」は間違いである。
(1-1/2^2)(1-1/3^2)(1-1/5^2)(1-1/7^2)(1-1/11^2)・・・ζ(2)=1 ---(1) となっています。
これより、
{(2^2-1)/2^2}{(3^2-1)/3^2}{(5^2-1)/5^2}{(7^2-1)/7^2}{(11^2-1)/11^2}・・・ζ(2)=1 ---(2)
{(2+1)(2-1)/2^2}{(3+1)(3-1)/3^2}{(5+1)(5-1)/5^2}{(7+1)(7-1)/7^2}{(11+1)(11-1)/11^2}・・・ζ(2)=1 ---(3)
より、
{(2+1)(2-1)}{(3+1)(3-1)}{(5+1)(5-1)}{(7+1)(7-1)}{(11+1)(11-1)}・・・ζ(2)=2^2
3^2 5^2 7^2 11^2・・・・ ---(4)
となります。左辺は素数の前後の数の積で、{(2+1)(2-1)}を除いて、すべて偶数ですね。
一方、右辺はすべての素数の2乗の積ですね。
ところで、オイラーが求めたζ(2)=π^2/6です。この値はバーゼル問題で求められました。
ζ関数とは、無関係に求められています。オイラーは、バーゼル問題から発展させて、オイ
ラー積を見つけるのです。オイラー積に感動してリーマンはζ関数を進めてゆくのです。です
から、ζ(2)という表現は誤解を招くかもしれませんね。
ここで、(4)式の右辺には、偶数は 2^2 しかないのに、左辺は、左辺は素数の前後の数の
積で、{(2+1)(2-1)}を除いて、すべて偶数ですね。それは、2の指数が左辺と右辺では明らか
に違いますね。
したがって、この式は成り立ちませんね。つまり、オイラー積は間違いであるということです。
ということは、バーゼル問題も間違いであり、リーマンゼータ関数も間違いであるということ
ですね。
まあ、無限積であるから、指数が違うと言っても押し切られてしまうでしょうね、オイラー積
は問題ないと。
(4)式は左辺が無理数、右辺が自然数といっても、無意味かな・・・・ 虚しい努力か・・・・・?
DD++ さんからのコメントです。(令和5年3月11日付け)
右辺が自然数
これを証明してください。私が知る限りでは、自然数の無限積が自然数になるという証明は
存在しませんので、今のところこれは、はちべえさんが「正しくあってほしいこと」でしかありま
せん。
追加証明が必要な点は他にもあると思いますが、最大の問題点はまずここです。
うんざりはちべえさんからのコメントです。(令和5年3月12日付け)
まず、無限積について、素数は素数定理より数が求められますが、無限でした。カントール
に言わせれば、この無限は付加番無限なんでしょうね。つまり、数えられる程度の無限ですね。
数学的帰納法は、自然数範囲で成り立つものなら、自然数はカントールの付加番無限であ
り、数えられるものですね。すると、付加番無限であるから、自然数範囲なので、付加番無限
程度なら、数学的帰納法は、使えるんじゃないかなと思ったりしますが、どうなんでしょうね。
余談ですが、有理数も、付加番無限であります。
DD++ さんからのコメントです。(令和5年3月12日付け)
「数学的帰納法はなぜそれで証明されたことになるのか?」を考えたことはあるでしょう
か。また、「無限とは何であるか?」を考えたことは。
これらについて、一般的にどのように考えられているかをきちんと理解すれば、可算無限
で数学的帰納法を使えるわけがないということが納得できると思います。ですから、まずは
その辺りを調べてみてはどうでしょう。
うんざりはちべえさんからのコメントです。(令和5年3月12日付け)
集合論らしいですね。カントールの付加番無限(番号をつけて数えられる無限)とどう違う
のですか?集合の要素に番号をつけて、数えられる無限だそうです。おなじようですね。
うんざりはちべえさんからのコメントです。(令和5年3月15日付け)
オイラー積が認められ、リーマンのゼータ関数が認められている以上、無限の問題はない
と言えます。リーマンのゼータ関数でも、各分数は、k は素数なので、
(k^s-1)/k^s=(k-1){k^(s-1)+k^(s-2)+k^(s-3)+・・・+k^2+k+1}/k^s
k が 2 を除いて、奇数の素数は、(k-1) が偶数なので、本質的に違いはありません。
したがって、リーマンのゼータ関数も間違っています。
ζ(s)がどうであれ、等式として、左辺と右辺の 2 のべき乗数が違うので、成り立ちません。
ζ(s)が、2 番のべき乗であることはないので、問題ありません。
とはいえ、まあ、私は、どこかに論文を発表するわけでもないし、そういう目的もないので
すから。
DD++ さんからのコメントです。(令和5年3月15日付け)
今の話題は、「数学的帰納法は無限でも有効か」ですよね。オイラー積やゼータ関数のど
こで数学的帰納法が用いられているのですか?
私は、どこかに論文を発表するわけでもないし、そういう目的もないのですから。
論文という形でなくても、ここへの投稿は十分「発表」に該当するでしょう。発表である以上、
可能な限り正しくあろうとする心構えは必要です。
うんざりはちべえさんからのコメントです。(令和5年3月15日付け)
今の話題はね「数学的帰納法は無限でも有効か」ですよね。
そうなっていますね。私としては、ただ無限という漠然ではなく、たとえば、可付番無限に
絞った場合、オイラー積もリーマンのゼータ関数も自然数の範囲なのでしょうか、わかりま
せんが、無限ということを気にすることなく成立しているのは事実です。ですから、無限の
種類について、検討する必要があるでしょう。
オイラー積やゼータ関数のどこで数学的帰納法が用いられているのですか?
つかわれていません。
論文という形でなくても、ここへの投稿は十分「発表」に該当するでしょう。発表である以上、
可能な限り正しくあろうとする心構えは必要です。
ご指摘、理解できました。
DD++ さんからのコメントです。(令和5年3月16日付け)
無限ということを気にすることなく成立しているのは事実です。
違います。無限ということを気にした上で、非常に慎重に論理を確認した上で成立してい
ます。無限ということをある程度軽く扱ってわかりやすく「説明」や「解説」をすることはありま
すが、それらは「証明」ではないのです。
うんざりはちべえさんからのコメントです。(令和5年3月17日付け)
無限ということを気にした上で、非常に慎重に論理を確認した上で成立しています。
それは、オイラーもリーマンもどのようにして、裏付けられたのですか?
無限ということをある程度軽く扱ってわかりやすく「説明」や「解説」をすることはありますが、
それらは「証明」ではないのです。
確かに、改めてそれを証明されていませんね。
DD++ さんからのコメントです。(令和5年3月17日付け)
オイラーもリーマンもどのようにして、裏付けられたのですか?
掲示板のレス程度に収まる話じゃないので、「無限数列の絶対収束」「複素関数の解析接
続」にきちんと触れながら証明している書籍等を探してみてください。
改めてそれを証明されていませんね。
証明はされています。はちべえさんが読んだことないだけです。
GAI さんからのコメントです。(令和5年3月12日付け)
ウォリスの積で分子を偶数、分母を奇数で積を作り、
(2*2*4*4*6*6*8*8*10*10*12*12*14*14*16*16*18*18*・・・・)
/(1*1*3*3*5*5*7*7*9*9*11*11*13*13*15*15*17*17*・・・・)
=π/2
という等式がありますよね。
そこで、これから
2*(2*4)/(3*3)*(4*6)/(5*5)*(6*8)/(7*7)*(8*10)/(9*9)*(10*12)/(11*11)*(12*14)/(13*13)
*(14*16)/(15*15)*(16*18)/(17*17)*・・・・=π/2
よって
(2*4)/(3*3)*(4*6)/(5*5)*(6*8)/(7*7)*(8*10)/(9*9)*(10*12)/(11*11)*(12*14)/(13*13)
*(14*16)/(15*15)*(16*18)/(17*17)*・・・・=π/4
即ち、 lim[n->oo]Π(k=1,n,(2*k)*(2*k+2)/(2*k+1)^2)=π/4・・・・・・・@
これはまたガンマ関数を使えば、Γ(3/2)^2 によっても示される。
そこで@を3以上の素数pに限定にしてみてk番目の素数をprime(k)で表すと、
lim[n->oo]Π(k=2,n,(prime(k)-1)*(prime(k)+1)/prime(k)^2・・・・・・・・A
即ち、
=(2*4)/(3*3)*(4*6)/(5*5)*(6*8)/(7*7)*(10*12)/(11*11)*(12*14)/(13*13)*(16*18)/(17*17)*・・・・・
がどんな極限値をとるのかは面白いテーマとなりますね。
ここに、はちべいさんがオイラー積は間違いであるとして掲載している等式
[{(2+1)(2-1)/2^2}{(3+1)(3-1)/3^2}{(5+1)(5-1)/5^2}{(7+1)(7-1)/7^2}{(11+1)(11-1)/11^2}・・・]*ζ(2)=1
を利用させてもらうと、
3/4*{(2*4)/(3*3)*(4*6)/(5*5)*(6*8)/(7*7)*(10*12)/(11*11)*(12*14)/(13*13)*(16*18)/(17*17)*・・・・・}*ζ(2)=1
即ちA=4/3*(1/ζ(2))
私は、オイラーさんの発見は間違いどころか、人間の考える力の結晶と高く評価し、その
結果を利用させてもらうと、
=4/3*6/π^2
=8/π^2
更に発展させれば、奇数の合成数に限定して、
(8*10)/(9*9)*(14*16)/(15*15)*(20*22)/(21*21)*(24*26)/(25*25)*(26*28)/(27*27)*・・・・・B
はどんな極限値なのかということも考えられる。
これには、@、Aの結果より、
B=@/A=(π/4)/(8/π^2)=π^3/32
この極限値は、
1-1/3^3+1/5^3-1/7^3+1/9^3-1/11^3+1/13^3-1/15^3+・・・・・C
でもある。つまり、B=C
無限に操作することには不思議なことが起こるとつくづく感じられます。
うんざりはちべえさんからのコメントです。(令和5年3月12日付け)
無限って、ある意味都合のいい話でしょうね。私は、オイラーのバーゼル問題は、有理数
が四則演算で閉じているのに、無理数になっていることがおかしいと思います。
そこで、無限和について、調べているのですが、
1)0の無限和は0である。
2)であるから、有限和の先が、0の無限和であると、有限和に等しい。
ということで、バーゼル問題も、lim1/n^2→0 ですから、途中から0の無限和になるはずです
から、有限和であると思っています。つまり、有理数であるということです。無理数なんかに
はならないのでは?
無限の研究は、NHKの「笑わない数学」で無限の話で、カントールの話を聞きました。多く
の場合、付加番無限で、実数は超無限というような感じです。
GAI さんの無限は、付加番無限ですから、番号をつけて数えられる無限ですね。つまり、
自然数の範囲だと思うのです。そうであれば、数学的帰納法の範囲じゃないかなと思ったり
します。おかしいですかね?
Dengan kesaktian Indukmu さんからのコメントです。(令和5年3月12日付け)
私は、オイラーのバーゼル問題は、有理数が四則演算で閉じているのに、無理数になっ
ていることがおかしいと思います。
「閉じている」の定義について勘違いをなさっておいでです。定義に戻れば、二項演算を1回
行ったときに、その結果が台、ここでは有理数体に含まれることとなります。
※有限回の二項演算の組み合わせの結果もまた、有理数になることを含意しています。
しかるに、はちべいさんは閉じていることの定義をふみはずして、無限回の四則演算の結
果もまた必ずいつも有理数であるはずだと、思い込んでいらっしゃる。
うんざりはちべえさんからのコメントです。(令和5年3月12日付け)
無限とひとくくりにするから、間違ってしまうのです。
(((((a+b)+c)+d)+e)+f)+・・・ とすれば、無限に2項演算です。計算は、小学校で、そう習いま
した。
Dengan kesaktian Indukmu さんからのコメントです。(令和5年3月12日付け)
はちべえさんの、無限に二項演算、この操作については、「閉じている」ことの定義からは
ずれています。有限でのハナシが無限相手でも通用する、そういう気分は捨てて頂きたく存
じます。
うんざりはちべえさんからのコメントです。(令和5年3月12日付け)
今日のBSフジ ガリレオXはアレルギーの話でした。これまでは、食品からアレルギー物質
を除去する治療だったそうですが、今では、微量のアレルギー物質を残し、だんだん慣らして、
アレルギー反応をなくす方向に進んでいるそうです。無限もアレルギー反応ではないでしょうか。
はちべえさんの、無限に二項演算、この操作については、「閉じている」ことの定義からは
ずれています。
どうしてなのでしょう。私は、( )つけて演算に制限かけています。( )は優先順位がありま
す。無限に2項演算ではありません。前の2項演算の結果は単項ですから、各演算は、2項
演算に違いありません。2項演算で、閉じていることがなされているのですから、どこに無理
があるのでしょう?無限という言葉に、アレルギーがあるのではないですか。計算は、小学校
で、前の演算の結果と2項演算すると習いました。どこが、おかしいのでしょうか?
また、
私は、オイラーのバーゼル問題は、有理数が四則演算で閉じているのに、無理数になっ
ていることがおかしいと思います。
そこで、無限和について、調べているのですが、
1)0の無限和は0である。
2)であるから、有限和の先が、0の無限和であると、有限和に等しい。
ということで、バーゼル問題も、lim1/n^2→0(世間では=0と書いています)ですから、途中か
ら0の無限和になるはずですから、有限和であると思っています。つまり、有理数であるとい
うことです。無理数なんかにはならないのでは?
と、有限和としています。無限和ではありません。ちゃんと読んでから、おねがいします。
Dengan kesaktian Indukmu さんからのコメントです。(令和5年3月13日付け)
もうしわけありませんが、はちべえさんの「論理?」は全く理解できません。思い込みを羅
列しているだけなのでは?その点でいけば、ネイピア数 e も有理数になりますね。
ある単調増加有理数列 a_n、単調減少有理数列 b_n が存在して、任意の正の自然数 n
について、 a_n < e < b_n となり、かつ、n → ∞ のときに、b_n - a_n → 0 とすることがで
きるからです。
超越数 e ですら有理数でなければならぬとする、そのようなはちべえさんの思い込みを
世界が納得するとはとても思えません。
うんざりはちべえさんからのコメントです。(令和5年3月13日付け)
ネイピア数は、lim(1+1/n)^n です。n→∞ ですから、途中から0の無限和にできません。
したがって、有限和にできず、有理数になる根拠がありません。
オイラーは、これを微分で証明しています。また、バーゼル問題も計算で、π^2/6と確信し、
最終的に微分で論理つけをしています。両方とも、無理数です。
ある単調増加有理数列 a_n、単調減少有理数列 b_n が存在して、任意の正の自然数 n
について、 a_n < e < b_n となり、かつ、n → ∞ のときに、b_n - a_n → 0 とすることがで
きるからです。
これをもう少し詳しく教えてもらえないでしょうか?
DD++ さんからのコメントです。(令和5年3月13日付け)
dengan さんがしているのは、e = Σ[k=0..∞] 1/(k!) の話でしょう。これも「0に収束する有
理数の無限和」です。
うんざりはちべえさんからのコメントです。(令和5年3月13日付け)
dengan さんがしているのは、e = Σ[k=0..∞] 1/(k!) の話でしょう。
それは、微分積分学の基本的な関数を使った定義ですよね。私は、微積分学を使わない
オイラーのバーゼル問題について言っています。オイラーは、微積分学を使って、マクローリ
ン展開で、x^3の項を比較してπ^2/6=Σ[k=0..∞] 1/(k^2)を理論づけていますが、同じ式か
ら、x^5,x^7の項は求めることはできません、私が計算してできませんでした。
そこで、オイラーは、Σ[k=0..∞] 1/(k^4)からx^5の項を求めているはずです。オイラーの
微積分学を使って、x^3の項を比較してπ^2/6=Σ[k=0..∞] 1/(k^2)を理論づけは、その場
しのぎと思っています。まあ、こんなことを書くと異常人になるでしょうね・・・・。
1πから7πまでの掛け算を計算してみました。
((1-x^2/(1π)^2) (1-x^2/(2π)^2) (1-x^2/(3π)^2) (1-x^2/(4π)^2)
*(1-x^2/(5π)^2) (1-x^2/(6π)^2) (1-x^2/(7π)^2))
=x^14の項、・・・、x^8の項、
x^6の項
- x^2/(4π)^2 x^2/(6π)^2 x^2/(7π)^2 - x^2/(5π)^2 x^2/(6π)^2 x^2/(7π)^2
- x^2/(4π)^2 x^2/(5π)^2 x^2/(7π)^2 - x^2/(3π)^2 x^2/(5π)^2 x^2/(7π)^2
- x^2/(3π)^2 x^2/(4π)^2 x^2/(7π)^2 - x^2/(4π)^2 x^2/(5π)^2 x^2/(6π)^2
- x^2/(3π)^2 x^2/(6π)^2 x^2/(7π)^2 - x^2/(2π)^2 x^2/(6π)^2 x^2/(7π)^2
- x^2/(1π)^2 x^2/(6π)^2 x^2/(7π)^2 - x^2/(2π)^2 x^2/(5π)^2 x^2/(7π)^2
- x^2/(1π)^2 x^2/(5π)^2 x^2/(7π)^2 - x^2/(3π)^2 x^2/(5π)^2 x^2/(6π)^2
- x^2/(2π)^2 x^2/(4π)^2 x^2/(7π)^2 - x^2/(1π)^2 x^2/(4π)^2 x^2/(7π)^2
- x^2/(2π)^2 x^2/(3π)^2 x^2/(7π)^2 - x^2/(1π)^2 x^2/(3π)^2 x^2/(7π)^2
- x^2/(1π)^2 x^2/(2π)^2 x^2/(7π)^2 - x^2/(2π)^2 x^2/(3π)^2 x^2/(6π)^2
- x^2/(2π)^2 x^2/(5π)^2 x^2/(6π)^2 - x^2/(1π)^2 x^2/(5π)^2 x^2/(6π)^2
- x^2/(3π)^2 x^2/(4π)^2 x^2/(6π)^2 - x^2/(2π)^2 x^2/(4π)^2 x^2/(6π)^2
- x^2/(1π)^2 x^2/(4π)^2 x^2/(6π)^2 - x^2/(1π)^2 x^2/(3π)^2 x^2/(6π)^2
- x^2/(1π)^2 x^2/(2π)^2 x^2/(6π)^2 - x^2/(3π)^2 x^2/(4π)^2 x^2/(5π)^2
- x^2/(2π)^2 x^2/(4π)^2 x^2/(5π)^2 - x^2/(1π)^2 x^2/(4π)^2 x^2/(5π)^2
- x^2/(2π)^2 x^2/(3π)^2 x^2/(5π)^2 - x^2/(1π)^2 x^2/(3π)^2 x^2/(5π)^2
- x^2/(1π)^2 x^2/(2π)^2 x^2/(5π)^2 - x^2/(2π)^2 x^2/(3π)^2 x^2/(4π)^2
- x^2/(1π)^2 x^2/(3π)^2 x^2/(4π)^2 - x^2/(1π)^2 x^2/(2π)^2 x^2/(4π)^2
- x^2/(1π)^2 x^2/(2π)^2 x^2/(3π)^2
x^4の項
+ x^2/(6π)^2 x^2/(7π)^2 + x^2/(5π)^2 x^2/(7π)^2 + x^2/(4π)^2 x^2/(7π)^2
+ x^2/(3π)^2 x^2/(7π)^2 + x^2/(2π)^2 x^2/(7π)^2 + x^2/(1π)^2 x^2/(7π)^2
+ x^2/(5π)^2 x^2/(6π)^2 + x^2/(4π)^2 x^2/(6π)^2 + x^2/(3π)^2 x^2/(6π)^2
+ x^2/(2π)^2 x^2/(6π)^2 + x^2/(1π)^2 x^2/(6π)^2 + x^2/(4π)^2 x^2/(5π)^2
+ x^2/(3π)^2 x^2/(5π)^2 + x^2/(2π)^2 x^2/(5π)^2 + x^2/(1π)^2 x^2/(5π)^2
+ x^2/(3π)^2 x^2/(4π)^2 + x^2/(2π)^2 x^2/(4π)^2 + x^2/(1π)^2 x^2/(4π)^2
+ x^2/(2π)^2 x^2/(3π)^2 + x^2/(1π)^2 x^2/(3π)^2 + x^2/(1π)^2 x^2/(2π)^2
x^2の項
- x^2/(7π)^2 - x^2/(6π)^2 - x^2/(5π)^2 - x^2/(4π)^2
- x^2/(3π)^2 - x^2/(2π)^2 - x^2/(1π)^2
定数項
+ 1
x^2(実際はx^3)の項から、
(x^2/π^2){1/1^2+1/2^2+1/3^2+1/4^2+1/5^2+1/6^2+1/7^2}=(x^2/π^2) Σ1/n^2はでき
ますが、x^4,6(実際はx^5,7)の項からできませんね。ちなみに、x^4(実際はx^5)の項は、
オイラーによると、π^4/90 だそうです。
つまり、同じ式から求められません。そこで、オイラーは、Σ[k=0..∞] 1/(k^4)からx^5の項
を求めているはずです。
Dengan kesaktian Indukmu さんからのコメントです。(令和5年3月13日付け)
はちべえさんへ。
a_n = (1 +1/n)^n 、b_n = (1 +1/n)^(n +1) ・・・ とりいそぎ。
うんざりはちべえさんからのコメントです。(令和5年3月13日付け)
a_n = (1 +1/n)^n 、b_n = (1 +1/n)^(n +1) で、n→∞ となると、a_n→e になりますね。
参考までに、a_n のグラフ 、b_n のグラフ 、b_n-a_n のグラフ(1、2) です。
b_n-a_n=(1+1/n)^(n+1)-(1+1/n)^n={(1+1/n)-1}(1+1/n)^n=(1/n)(1+1/n)^n で、
n→∞ となると、(1/n)(1+1/n)^n=(1/n)e となって、無理数ですね。
(1/n)がかかっているので、lim(1/n)e→0 ですね。
グラフから見ると、a_n は、割と早く e に収束しますね。つまり、無理数に近づくということ
ですね。
b_n=(1+1/n)a_nですから、 a_n<e<b_n は a_n<e<(1+1/n)a_n=b_n
b_n-a_n は、 0<e-a_n<(1+1/n)a_n-a_n=b_n-a_n 、0<e-a_n<(1/n)a_n
さて、nをかけて、0<n(e-a_n)<a_n すなわち、 ne-n a_n<a_n より、 ne< a_n +n a_n
よって、 e<(1+1/n)a_n=b_n ・・・ なんか行き詰まったなあ。
a_n も b_n も e に近似するから、無理数と言えるんじゃないかなあ。
DD++ さんからのコメントです。(令和5年3月13日付け)
x^4,6(実際はx^5,7)の項からできませんね。
できますよ。というか、かつて、ここの(旧)掲示板で実際にやったことがあるので、サイト
の方の膨大な記事のどこかに残っているはずです。どれだったかな。
うんざりはちべえさんからのコメントです。(令和5年3月13日付け)
できますよ。
そうなんですか!
Dengan kesaktian Indukmu さんからのコメントです。(令和5年3月13日付け)
a_n も b_n も e に近似するから、無理数と言えるんじゃないかなあ。
はちべえさんは、はちべえさんなりの「閉じていること」に身を捧げなくてはいけないのでは
ないでしょうか?
a_n も b_n も有理数に無限回、四則演算を適用したものですから、はちべえさんによる「閉
じている」定義によれば、ネイピア数 e もまた有理数であるはずです。
しかるに、無理数であるとおっしゃる。自己矛盾。
原因は、閉じていることについての理解不足があるのです。
うんざりはちべえさんからのコメントです。(令和5年3月14日付け)
私の無限和は、途中から0の無限和になったら、有限和になるというのは、実は平然と、
lim 1/n^2=0 という記述があったからです。lim 1/n^2→0 であって、lim 1/n^2=0 とするのは
おかしいと思ったのです。しかし、循環小数のWikipediaでは、そうなっています。
x=a
10x=10a
(10-1)x=(10-1)a
9x=9a
x=a
これは、等式の性質から、a=0.999・・・として、x=0.999・・・ が x=1 となるはずがないのです。
無限小数を分数にする式は、等式の性質から、無理なのです。
でも、あちこちで、敵がそういうインチキを使うのなら、私も lim 1/n^2=0 を使ってみようと
思ったのです。やはり、インチキはいけません。
バーゼル問題は、また進展がみられたらご報告します。
Dengan kesaktian Indukmu さんからのコメントです。(令和5年3月17日付け)
はちべえさんが考えるところの有理数体は(無限回の)四則演算について閉じている、に
ついては、既にネイピア数を例に上げて誤りであるとお示しさせて頂きました。
実は、値のわかっている、あるいは値を計算可能な任意の無理数 c について、次のこと
がいえます。すなわち、
ある単調増加有理数列 a_n、単調減少有理数列 b_n が存在して、任意の正の自然数 n
について、 a_n < c < b_n となり、かつ、n → ∞ のときに、b_n − a_n → 0 となる。
a_n も b_n も、無論、c に収束します。
無理数 c が与えられれば、上のような、有理数列 a_n や b_n を高校数学の範囲でも四則
演算を使って構成可能なのです。
重ねて強調しておきますが、はちべえさんが考えるところの有理数体は(無限回の)四則
演算について閉じている、という概念が真ならば、任意の無理数が有理数になってしまいま
す。バーゼル問題どころの騒ぎではないのです。
無限回の操作では、有限回の操作までの感覚が通用しないことがたくさんあります。この
あたりをきちんと教科書で学ばないと、人生の貴重な時間が無駄になります。
はちべえさんにご理解頂きたいことをもうひとつ。
実数 a、b (ただし、b≧a )について以下がいえます。
任意の正数 ε について、b−a<ε であるならば、b−a=0 である。きちんと書けば、
∀ε>0;b−a<ε ⇒ b−a=0
これを疑っても益がありません。事実上、公理だと思って下さい。
はちべえさんが反例を見出すことは不可能です。もしも正しい反例があれば、中間値の定
理やロールの定理、平均値の定理、テーラー展開にまつわる定理、リーマン積分にまつわる
定理など、もろもろ全て、真理値が偽、になります。
最近の、はちべえさんによる数の体系についての一連の疑義、訴えは、全て
∀ε>0;b−a<ε ⇒ b−a=0
への異議申し立てになっているのです。
うんざりはちべえさんからのコメントです。(令和5年3月17日付け)
有理数体は(無限回の)四則演算について閉じている、という概念が真ならば、任意の無
理数が有理数になってしまいます。
Wikipedia「バーゼル問題」の、収束することの証明で、
Σn=2∞ 1/{n(n-1)}=Σ(1/(n-1) - 1/n}=(1/1-1/2)+(1/2-1/3)+(1/3-1/4)+・・・=1
という計算があります。有理数の無限和ですが、有理数で閉じています。
これは、1/1+0+0+0+・・・・=1 以前言った、有限和+(0の無限和)=有限和の例です。
まあ、無限と言っても自然数の範囲なので、無限という表現は正しくないのかもしれません。
また、
ある単調増加有理数列 a_n、単調減少有理数列 b_n が存在して、任意の正の自然数 n
について、 a_n < c < b_n となり、かつ、n → ∞ のときに、b_n − a_n → 0
とすることができるからです。
a_n = (1 +1/n)^n 、b_n = (1 +1/n)^(n +1) ですが、で、n→∞ となると、a_n=e になります
ね。b_n=(1+1/n)a_n なので、n→∞ となると、b_n=e になりますね。
ですから、a_n < e < b_n は、e<e<e で無理数です。これは、無理数になるでしょう。
Dengan kesaktian Indukmu さんは、教科書に書いてある極めてまっとうなことを言っている
のでしょう。それは、理解できますが、初項 a、公比 r の等比級数の和の公式は
a(r^n-1)/(r-1) (ただし、r≠1) ですが、数学公式集に、r<1 ならば、 a/(1-r) とも書いて
あります。これは、lim r^n → 0 ならわかるのですが、lim r^n = 0 となっています。
いろいろそういう問題は、あちこちにあって、教科書はおかしいのです。
うんざりはちべえさんからのコメントです。(令和5年3月17日付け)
有理数体は(無限回の)四則演算について閉じている、という概念が真ならば、任意の無
理数が有理数になってしまいます。
10進数の小数は、 Σi=1∞ ai/10^i (ただし、0≦ai≦9 の整数) です。したがって、全部
有理数なのです。つまり、私に言わせれば、10進数の小数は無理数はあつかえないのです。
循環小数は、余りが循環するから循環小数で、無限小数で有理数です。10進数の小数で
表せるものです。でも、無限小数で循環する根拠がない、つまり、余りが循環するということ
がないものは、無理数であると定義されています。つまり、これは、10進数の小数で扱えな
いものであるとすればいいのではないでしょうか?
たとえば、は、10進数の小数で扱えないものでありますよね。
DD++ さんからのコメントです。(令和5年3月17日付け)
はちべえさんが言ってることって、「この内容は自分が気に入らないから数学の世界から
排除すべきだ!」ということですよね。少なくとも私にはそうとしか捉えられません。
数学の世界は開かれているべきです。気に入らないというだけの非論理的な理由で何か
を排除する人は、数学の世界に来るべきではありません。
うんざりはちべえさんからのコメントです。(令和5年3月18日付け)
そんなことは言ってません。おかしいのではないですか?と言っているだけです。感情論で
はありません。
私のバーゼル問題の研究の途中からですが、こちらに示すように、有理数の無限和が、
有理数である例はいくつでもあります。
下から2番めの式と、一番下の式から無限和の一部を切り出しても有限和で、有理数で
閉じています。
一番下の式では、kをどんどん大きくしても、有理数で「閉じて」います。
DD++ さんからのコメントです。(令和5年3月18日付け)
はい、有理数の無限和は有理数に収束する場合ももちろんありますよ。しかし、それは
有理数で閉じていることの根拠には全くなりません。
うんざりはちべえさんからのコメントです。(令和5年3月18日付け)
まだ、研究中なので、また新しい何かを発見したら、結論にたどり着けるかもしれません。
Dengan kesaktian Indukmu さんからのコメントです。(令和5年3月18日付け)
有理数体は有限回の四則演算について閉じていますが、有理数の無限和は有理数に収
束する場合もありますし、無理数に収束する場合もあります。既に一例をお示しいたしました。
閉じていることについてのはちべえさんの誤解は修正されるべきです。この誤解が解ける
までは、はちべえさんは、呪いにかかっているようなものです。 人生の無駄遣いです。
はちべえさんは、いちど、妄執を捨てて、大学初年度の教科書をきちんと学ぶべきです。
呪いを解くために。
稠密と完備との違いがわかれば、素敵で面白い世界が目の前にあることに感動すること
でしょう。
うんざりはちべえさんからのコメントです。(令和5年3月19日付け)
Dengan kesaktian Indukmu さん、ご指摘、ご指導ありがとうございます。
さて、こんな生意気なことを考えました。ご立腹したら、お許しください。_(_._)_
*************************************************************************
教員とは、それができるまでの歴史や経緯を無視して、わかりやすいように、筋道立てて
教えます。したがって、生徒に対しては、筋道のステップを踏んでいるかの審査官になります。
ところで、生徒のオイラー君が1/n^2の和が、収束が極めて悪いのに、これは多分、
π^2/6というのです。審査官の貴方は、常識的に、「おいおい、自然数からどこからπなんか
出てくるんだ?」と思うでしょう?当然却下ですよね。
導電性プラスチックでノーベル賞をもらった白川博士は、研究室の韓国人学生が、プラス
チックを作る実験で、配合をとんでもなく違えて、とんでもないプラスチックを作るのです。そ
こから、博士のノーベル賞につながるのです。そのおかげで、我々の多くの生活に利用され
て、高性能なものができているのです。
だから、私のとんでもない間違いから、普通では有りないことが起きているかもしれませ
ん。そこから、発見すれば、大博士だし、常識的にありえないとすれば、ただの教員です。
審査官は、ふつうのコトしか期待しません。異常があってはならないですからね。研究者
と審査官の違いです。
*************************************************************************
DD++ さんからのコメントです。(令和5年3月19日付け)
これは多分、π^2/6というのです。・・・当然却下ですよね。
「多分こうです」なら却下ですね。はちべえさんは、この掲示板で、「多分こうです」しか言わ
ないので、この掲示板での意見はほとんど誰にも聞いてもらえていませんね。
「こうであることが証明できました」で証明が正しかったなら当然受け入れます。オイラー
などの数学者は正しい証明を残しているので結果が受け入れられてます。
GAI さんからのコメントです。(令和5年3月12日付け)
無限って、ある意味都合のいい話でしょうね。
という感想を見て、はちべえさんは目に見えるものだけは信じれるが、目に見えないものは
信じられないと堅く信じられているように感じられます。クロネッカーがカントールに対してとっ
た態度に似てなくもない。
というより無限は深遠で豊饒な世界を包み込んでいると思われてはどうでしょう?
うんざりはちべえさんからのコメントです。(令和5年3月12日付け)
BBCが、日本の金継ぎを放送したそうです。YOUTUBEでみました。
壊れた茶碗を漆と金粉でつなぎ合わせて元より芸術的なっている。わび・さびなんだそうで
す。
日本では、このように、壊れたものも再生する。まるで、傷ついた人間でも、前よりも美しく
復活できるという哲学であり、人間もいずれ傷つき、金継ぎで遥かに豊かな人間として復活
される。
西洋では、一神教なので、完全か不完全かしかなく、不完全は捨てられる。
例えば、電車で寝るような、不注意な人間は、財布をすられても当然であるということです。
無限もそういう意味では、わび・さびなのかもしれませんね。でも、数学は、一神教なのでは、
ないのですか?
うんざりはちべえさんからのコメントです。(令和5年3月14日付け)
オイラー積で、すべての素数の積は許されて久しいです。それをmとします。
以下は、「数の不思議世界」に投稿(2022-4-17)したものに手を入れたものです。
もうすでに、a^3+b^3=c^3 はオイラーが証明しましたね。
ここで、a=p^m、b=q^m、c=r^m とすると、 p^3m+q^3m=r^3m ですね。
すると、3の倍数はすべて証明済みですよね。
ところで、mは、5の倍数でもあるから、5x となりますよね。
p^3(5x)+q^3(5x)=r^3(5x) すなわち、 p^5(3x)+q^5(3x)=r^5(3x)
そこで、u=p^3x、v=q^3x、w=r^3x とすると、 u^5+v^5=w^5 となって、
n=5が証明されていることになりますよね。
さらに、mは、7の倍数でもあるから、7y となりますよね。
p^3 7y+q^3 7y=r^3 7y すなわち、 p^7(3y)+q^7(3y)=r^7(3y)
さっきのようにして、 f^7+g^7=h^7 となって、n=7 が証明されていることになりますよね。
同様にして、すべての素数を証明できますよね。
すると、もうとうの昔に、オイラーによって、フェルマーの最終定理は証明されていたと言え
ませんかね?
DD++ さんからのコメントです。(令和5年3月14日付け)
なりませんね。どう見ても論理の筋が通ってないです。何かを主張したいのであれば、まず
「証明とは」を勉強してくることをオススメします。
うんざりはちべえさんからのコメントです。(令和5年3月16日付け)
背理法で論理を証明できますよね。
命題 Aは真であるとする。
矛盾 矛盾の発見
結論 よって、Aは偽である。
となります。
では、命題が論理積だった場合、
命題 (A∧B)は真であるとする。
矛盾 矛盾の発見
結論 よって、(A∧B)は偽である。
となりますね。では、(A∧B)は偽であるとはどいうことでしょうか?
答えは、ド・モルガンの法則により、¬(A∧B)=(¬A)∨(¬B)となるのです。
なお、
A∧BはAとBの論理積を表すとします。
A∨BはAとBの論理和を表すとします。
¬Aは、Aの否定を表すとします。
例えば、A={奇数である}、B={完全数である} とすると、A∧Bは、{奇数の完全数である} と
するという命題ですね。
命題 奇数の完全数であるとする。
矛盾 矛盾の発見
結論 よって、{奇数の完全数はない}。
ではなくて、¬(A∧B)=(¬A)∨(¬B)より、¬A={奇数でない}あるいは¬B={完全数でない}
のいずれかである。つまり、{偶数かあるいは完全数でないかのいずれかである}となってし
まうのです。
命題 奇数の完全数であるとする。
矛盾 矛盾の発見
結論 よって、{偶数かあるいは完全数でないかのいずれかである}。
となって、{奇数の完全数はない}にはならないのです。
では、どういう命題にすれば、{奇数の完全数はない}にできるのでしょうか?
そこで、真理値表で考えてみます。
A B | A∧B | Aの意味 | Bの意味
--------------------------------------------------
1 T T | T |A={奇数である}|B={完全数である}
2 T F | F |A={奇数である}|B={完全数でない}
3 F T | F |A={奇数でない}|B={完全数である}
4 F F | F |A={奇数でない}|B={完全数でない}
図真理値表 (T 真 F 偽)
これより、2が、結論になればいいのですから、命題は、{1あるいは3あるいは4のいずれ
かである}ということになります。
つまり、 {A∧B}∨{(¬A)∧B}∨{(¬A)∧(¬B)}=(¬A)∨B ですから、
¬A={奇数でない}∨B={完全数である} つまり、{偶数であるかあるいは完全数のいずれかとする}
となるのです。
したがって、{奇数の完全数はない}を証明する背理法は、
命題 偶数であるかあるいは完全数のいずれかとする。
矛盾 矛盾の発見
結論 よって、{奇数の完全数はない}。
と証明できるのです。
(コメント) 「奇数の完全数はない」は、「完全数ならば偶数」と捉える方が自然なのでは...?
うんざりはちべえさんからのコメントです。(令和5年3月18日付け)
背理法については、こちらにまとめてあります。
{奇数の完全数はない}は、{奇数である}、{完全数である}、{存在する}の3つの論理積という
配慮が抜けています。
以下、工事中!