荒城の月碑・・・・・福島県 会津若松市にて撮影 

「はるこ〜う〜ろ〜う〜の〜」で始まる「荒城の月」は、1901年(明治34年)に「中学唱歌」
(東京音楽学校出版の音楽教科書)に載り(初発表のときの表題は「荒城月」)、以来、日本
の唱歌として、小・中学校で歌われ、また民間でも愛唱された。
作詞は、土井晩翠。仙台市の青葉城や、旧制二高時代に会津若松市の取り壊された鶴ヶ
城跡を訪れたことが作詞のモチーフになったといわれている。(昭和21年会津若松市で行
われた講演会で、土井氏が自ら語ったという。)
作曲は、瀧廉太郎。廉太郎にとって、作曲の原点は、故郷大分県竹田市にある岡城跡と
いわれる。日本人の心のよりどころとなる日本人による日本人のための音楽を数々作曲し
た。
「荒城の月」が世に出て既に100年余りが過ぎているが、その旋律によって、日本人の心
に響き、ある種の情感を抱くことは、時代に関わらず不変であることに気づかされる。
(追記) 平成18年10月7日付け
10月15日まで、東京藝術大学大学美術館で「NHK日曜美術館30年展」が開かれてい
る。黒田清輝や上村松園、ピカソ、ルノワールなど番組で取り上げられた作品や、出演者
の懐かしいビデオ上映など久しぶりにどっぷり美術の世界を堪能することができた。出演
者の中には、私の家のご近所さんが何人かいらして、生前何気ないところでお見かけして
いたので、なんとなく不思議な感じがした。
左の写真は、東京藝術大学正門。大学
美術館は、この真向かいにある。
上野駅から西洋美術館を過ぎて東京都
美術館の先にあり徒歩約15分くらい。上
野動物園入り口の右手の方である。
近くには国立博物館や科学博物館もあ
り、また、上野精養軒など食事場所にも
困らない。上野の森は私の好きな場所の
一つである。
| 東京都美術館から東京藝術大学に 行く途中に旧東京音楽学校奏楽堂が ある。 |
この庭先には、瀧廉太郎の銅像が設置されている。 この銅像を見ていると、なぜか、「荒城の月」が思 い出された。 |