・ 計算の工夫(2)                  S.H氏

 NHK総合TVの「クローズアップ現代」(19:30 〜 20:00)は、私の好きな番組の一つだ。
キャスターの国谷裕子さん(何年か前に電車の中でお見かけしたような...?)のファン
ということもあるが、毎回タイムリーに、現代社会の問題点を取り上げ、するどく切込みを
入れるというスタイルは、見ていて勉強になるし、清々しい。

 2004年1月8日放送分は、「学力テスト公表 揺れる小学校」についてであった。

 最近、文部科学省は、世論の学力低下論に危機感を持って、ここ2年間で全国的な学
力調査を行っている。(私自身、この学力調査に携わったことがある。)今から40年ほど
前、全国規模で行われていた学力テストも、世論の批判にあい、取り止めになった経緯
がある学力テストを、文部科学省が率先して復活させた(一部の任意抽出校だけではあ
るが)のは、学力低下論という逆風に対処するためのやむを得ぬ選択だったのだろう。

 しかしながら、学力テストの実施結果に対する評価は、「期待された目標値に比べて、
著しく劣るものではない」という、生徒の実態と比べて若干違和感のあるものであった。

 いろいろな民間の調査結果では、学力の低下は明らかであるのに、文部科学省のこう
した発表は、首を傾げるものであった。

 ところが、始まったばかりの新学習指導要領の一部手直しが決定された。10年周期で
改訂されている学習指導要領が途中で方針を変更するのは、異例中の異例である。や
はり、学力は確実に低下しているという認識が、遅ればせながら、世論に後押しされ、文
部科学省にも浸透してきたのだろう。

 これまでは、「〜は教えないものとする。」とか、いろいろ制限があったが、学校裁量で
自由に教えることが可能だという。教科書においても、新学習指導要領で削除された事
項の復活を認めるらしい。

 でも、これには多くの問題点が含まれる。教科書では、復活される事項は、「発展」のペ
ージに限定されるし、本文に載ることはない。また、教師の力量、各学校の取り組みによ
って、生徒が与えられる教育に差が出来てしまう。また、入試レベルも、教科書の本文レ
ベルに限定するよう文部科学省が各大学に要請するようだから、授業時間が少なくなって
いる現状で、どのような取り組みがなされるのか、甚だ疑問である。

 「クローズアップ現代」は、こうした揺れる学力観に対して、その余波をもろに受けた小学
校の現場での「揺れる指導」についての話だった。

 東京都品川区では、中学校1年生に対して、学力調査を行い、その結果を、各生徒の出
身小学校に対して、結果を公表しているらしい。

 そこで、問題になったことは、小学校で学んだことがしっかり身に付いていないという「学
力剥離」の問題である。一度習ったことでも、ある程度、時間が経過すれば、忘れてしまう
というのは当然のことであるが、あまりに忘れるのが早いのだという。学習した後、すぐテ
ストをしても、学習したことが全く反映されないのだという。

 新しい学力観では、知識の修得と習熟は軽視されがちである。生きる力の学力というこ
となので、何事も本人の自発性に任され、本人が問題点に気づき、解決する方策を自分
で発見していくという学力観である。

 その意味では、新しい学力観が忠実に学校現場に浸透しているという印象を番組を見て
思った。

 番組では、学力を定着させるための取り組みとして、宿題を出し、小テストを頻繁にやり、
居残り指導などもして、生徒の学力をきめ細かにチェックしていくという、ある小学校の話
が紹介された。

 これらの取り組みは、私が小学生の頃は、多分、日本全国で行われていたことと思うが、
これらの取り組みが、最近の小学校ではなかったということに対して、とても新鮮な驚きで
あった。

 また、番組の中で、一つ気になることがあった。学習したことを、小テスト等で、確認する
ことに異論はないが、ある算数の問題で、「そこまで要求する?」というものがあった。

問題  54×7+46×7 を計算しなさい。

 この問題は、分配法則 (A+B)×C=A×C+B×C を逆に用いるという工夫によって、
「 与式=(54+46)×7=100×7=700 」と解答されることを期待して出された問題
である。

 ところが、番組では、ある程度できる児童は、こうした工夫をせず、各々計算して求めて
いた。: 「 与式=378+322=700 」

 この解答を見て、「教えたことが身に付いていない!」と、教師は嘆くわけである。理由を
聞かれた児童は屈託がない。: 「そういう工夫に気づかなかった。微妙〜。」

 私自身、問題を見て、計算の工夫をしようとは思いつかなかった。計算の工夫をする必
要性を感じなかったからである。多分、番組の児童もそういう認識であったのだろう。

 問題のような場面が果たして現実的であろうか?問題のための問題としか思えない。確
かに工夫すれば、計算は楽なのだろうが、その工夫が、他の場面でも生かせるという実感
がわかない。むしろ、児童のように、各項毎に計算する方が、今後の計算場面においては、
実践的である。

 計算の工夫は一つの知識であるが、それは強要されるものではないと思う。自分で、そ
れは便利だと認識されれば、用いるだろうし、便利と認識されなければ、用いないだろう。
計算の工夫とは、そのレベルの話だと思う。

 したがって、授業で教えた計算の工夫を、児童が用いていないからといって、全然嘆き悲
しむことはないはずである。(番組では、教師が本当にがっかりしていたな〜!)

 上記の話は、基礎学力の定着と生きる力としての学力の間でジレンマに揺れていること
とは別次元の問題であるが、教師が教えたとおりに、児童は計算しなければいけないと思
うのは、ある意味で教師のエゴであり、児童の豊かな発想力・創造力を阻害するものとして、
強要してはいけないことと肝に銘じるべきであろう。


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