例えば、y=x^(1/2) と言う関数があったとします。このとき、原点におけるこの曲線の接線
は、y軸となるのでしょうか?微分係数も片側からしか求められないときに、その点における
接線をどう考えるべきとされているのかよくわからないので、一般的な考え方を教えて頂け
ませんでしょうか?
らすかるさんからのコメントです。(平成27年7月18日付け)
こちらによると、接線はy軸で良いようです。
ポテトさんからのコメントです。(平成27年7月18日付け)
ありがとうございます。私もこの記載は読んだのですが良く理解が出来なかったもので(接
線の定義がちゃんと分かってないからだと思います。)。
私がピンときてないのは、
1 片側極限で考えれば良いのか
それとも
2 この例においては、y2=x という関数を背景に持つと考えれば原点における接線はy軸な
のは当然だから
という所です。おそらく1が正しいと思っていますが(2は、勝手に定義されてないことを前提
に考えているから)、だとすると片側極限で接線を定義できていた関数が、定義域を拡張す
ることで、さっきまで認められていた接線がなくなることになる(例 y=x^{1/2}、xが0未満だと
y=-xのような関数)ので、そこに違和感があります。また、そのように定義域が変化すること
で接線があったりなかったりするのなら、接線の存在意義がよく分からないなと思っておりま
す。
らすかるさんからのコメントです。(平成27年7月18日付け)
上記の定義に従えば、そういうことになりますね。違和感があるかどうかにかかわらず、定
義に従った結論が絶対ですから、その定義に従った場合にそうなるのは仕方ありません。
例えば、x2+y2=1の(1,0)における接線は、x=1ですよね。これを拡張して
x≦1のとき、x2+y2=1 、x>1のとき、y=0
という曲線にすると(1,0)における接線がなくなるのは仕方ないと思いませんか?
DD++さんからのコメントです。(平成27年7月18日付け)
私も昔全く同じことが気になって調べたことがありますが、数学には珍しいことに結論は残
念なもので、「引ける定義なら引けるし、引けない定義なら引けない」というものでした。
高校の数学IIIで初めて極限をちゃんと習う際、我々は以下のように教わります。
左側極限と右側極限が一致するとき、それを極限とする
ところが、大学で複素関数になると左右どころか斜めに近づいたりぐるぐる回りながら近づ
いたりできるので、これを以下のように拡張します。
可能な全ての近づけ方で一致するとき、それを極限とする
ところがこれ、実関数の定義域の端での極限に、前者は「片側は計算できないので一致し
ないから極限はない」と答え、後者は「可能な近づけ方は一通りしかないからそれが極限で
ある」と異なる答えを返すことになり、完全な互換になっていません。
この差異が、極限を用いて計算される微分ができるかどうかの差異につながり、接線を引
けるかどうかの差異になります。
つまり、y=x^(1/2) の原点での接線は、高校数学的な定義では「両側揃わないので接線は
ない」、複素関数的な定義では「近づけ方が1つしかないので片側極限で接線はy軸」となる
ようです。wikipediaは後者を採用しているようですね。この差異が大きな問題になる話題の
場合、わざわざ注意書きがあることもあるようですよ。
また、片側極限で考えるときに定義域が広がると接線がなくなるのに違和感があるとのこ
とですが、そもそも「極限がない」というのは「極限が(複数の候補があるせいでこれが極限
だと断言でき)ない」意味なので、「接線がない」というのも「接線が(複数の候補があるせい
でこれが接線だと断言でき)ない」意味となります。
そう考えると、定義域の反対側が伸びたせいで接線がなくなるのは自然と受け入れられる
のではないでしょうか。
ポテトさんからのコメントです。(平成27年7月18日付け)
違和感があるかどうかにかかわらず、定義に従った結論が絶対ですから、その定義に
従った場合にそうなるのは仕方ありません。
そこなんですよ。違和感があるのは定義がウィキ(片側極限で接線の傾きを認める、とい
う記述が、私の持っているものでは見つからない。)ゆえ、どこまで信用できるかもそもそも
怪しい。
また、定義は矛盾をなるべくしない形で作られるべき物でしょうから、「定義がそうなんだか
らそうなんだ」というだけでは違和感がなかなかぬぐえないもので。
ちなみに、高木先生著の岩波書店、定本解析概論38頁の10行目あたりには、定義として
「dy=f'(x)dx」が接線の定義だという記述がありますが(実際には、これが接線の方程式にほ
かならない〜それは接線を定義したに他ならない、とあります。)、ここでも片側極限でも良い
という記載がなく(どこかに有るかもしれませんが)、よく分かりません。
たぶん、定義をよく分かってないという自覚は、「片側極限が通用する場面」がよく分かって
ないからだと思っています。すなわち、定義における「近づけたとき」という言葉の中に、「どち
らからでも」と読むか、それとも「一方からしか近づけないときは一方からでも良い」と解釈す
るかに難儀しております。
拡張して、x≦1のとき、x2+y2=1 、x>1のとき、y=0 という曲線にすると、(1,0)における
接線がなくなるのは仕方ないと思いませんか?
この例は、多分私が自分で書いた話と同じような趣旨だと思いますので、この例をもって
納得することは出来ません(趣旨をとらえ損なっていたらすいません。)
らすかるさんからのコメントです。(平成27年7月18日付け)
趣旨はちょっと違います。(1,0)に(半)直線をくっつけると(1,0)における接線がなくなるとい
うことは、x2+y2=1上の任意の点(a,b)に(半)直線をくっつけると、(a,b)における接線がなくな
るということで、つまり、もし「曲線を拡張して接線がなくなる点の接線は認めない」としたら接
線というものがどこにも存在し得なくなってしまいます。
ですから、y=x^(1/2)においても原点だけを特別視するのは疑問ということです。
一般の「接線」は別に「一価関数」だけについて定義されるものではありませんから、一般
の曲線を考えた場合、例えば、x4+2x2y2+y4-4x2=0 のような曲線の原点における接線が
y軸であることは納得されると思いますが、このように1点にいくつもの曲線が集まるような一
般の場合を考えると、1本の場合だけ「片側極限」のように特別視するのは不自然ですよね。
よって、一般の曲線に関するWikipediaの接線の定義に従った場合は、y=x^(1/2)は、(0,0)
で終わっているから、y軸が接線となり、(0,0)の先に異なる向きの曲線を追加すれば接線は
なくなると考えるのが自然だと思います。